インディアナポリス500

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Indianapolis 500
インディカー・シリーズ
開催地 インディアナポリス・モーター・スピードウェイ
初開催 1911
全長 500マイル (805 km)
周回 200
旧名 International Sweepstakes (1911–1915, 1920-1980)
Liberty Sweepstakes (1919)
最多勝利
(ドライバー)
A.J.フォイト (4)
アル・アンサー (4)
リック・メアーズ (4)
最多勝利
(チーム)
ペンスキー (16)
最多勝利
(マニファクチャー)
Chassis: ダラーラ (15)
Engine: オッフェンハウザー (27)
Indy 500(1994年)

インディアナポリス500マイルレースIndianapolis 500 インディアナポリス500 インディ500とも呼ぶ)は、アメリカ合衆国インディアナ州インディアナポリス市近郊のスピードウェイにあるインディアナポリス・モーター・スピードウェイで毎年5月に開催されるアメリカンモータースポーツイベントである。

概要

Panoz G-Force GF09B
(2004年優勝のバディ・ライスのマシン)

インディ500の決勝レースは毎年5月最終月曜日・メモリアルデーの前日の日曜日、すなわち5月24日から30日までの日曜日に開催される。インディアナポリス・モーター・スピードウェイのオーバルトラック1周2.5マイル(約4.023km)を200周、走行距離500マイル(804.672km)で争う。第1回開催は1911年F1モナコGP(開催日程の都合上、近年はモナコGPと同日に開催されることが多い)、ル・マン24時間レースと並び世界3大レースのひとつに数えられる。

世界最速の周回レース

インディ500の周回平均速度は予選で225mph、決勝でも220mphを超える。これは同じマシンでレースが行われるインディカー・シリーズの中はもちろん、世界の周回レースカテゴリーの中でも最も速い。また、最高速度は380km/hに達する。これはF1の瞬間最高速度記録(372.4km/h)を上回り、これより速いカテゴリーはドラッグレース(NHRAトップフューエルクラスで520km/h超)のような非周回レースに限られる。33台のマシンがテール・トゥー・ノーズ、サイド・バイ・サイドで競り合い、スリップストリームを駆使してオーバーテイクするアメリカンモータースポーツの典型とも言える展開が広がる。

選手権としての位置付け

1951年から1960年までは世界選手権という体裁を整えるためにF1の一戦として組み込まれていた。しかしF1ドライバーの参戦は少なく、ほとんど名目上のものであった[1]1996年以降はインディカー・シリーズの最大イベントレースとして組み込まれ40万人の観客を集めるビッグイベントとして存在している。

車両

1960年代までのインディ500は、様々なエンジン形式、駆動方式が参加可能であった。1952年ポールポジションを獲得したターボディーゼルエンジン搭載のカミンズ・ディーゼル・スペシャルや1967年1968年に登場したガスタービンエンジン搭載車が有名である。

CARTやインディカー・シリーズなどのオープンホイールレース選手権の1戦に組み込まれるようになると、参戦車両は選手権のレギュレーションに対応したものに変わった。インディ500では「スーパースピードウェイ・パッケージ」と呼ばれる高速オーバル用のエアロパーツが取り付けられる。これは前後共に一枚板構造(シングルエレメント)を持ち、空気抵抗を最小限に抑えることで超高速走行を実現している。

危険性

速度域の高さや接戦の多さから、毎年事故が多発するレースとしても知られている。代表的な死亡事故には1964年のデイブ・マクドナルドエディー・ザックス、1982年のゴードン・スマイリー、1996年のスコット・ブレイトンなどがあるが、詳細はインディ500死亡事故一覧(英語)を参照。

伝統

小さなサポートイベントなどを含めると約2週間にわたって行なわれること、予選グリッドの決め方が独特であることや、レース優勝者には牛乳が与えられるなど(下述)、他のレースと異なる「伝統」を持ったレースである。また、準優勝者(二位)には「最も速かった敗者」、初参戦のドライバーで最上位を獲得した者には「ルーキー・オブ・ザ・イヤー」の称号が与えられる。また、決勝の順位ごとに賞金が与えられるほか、「決勝1周目をトップで通過したドライバー」、「最後に予選を通過したドライバー」など、さまざまなケースのボーナス賞金が多々ある。

ボルグワーナー・トロフィー

インディ500の優勝トロフィーとして「ボルグワーナー・トロフィー」がある。このスターリングシルバー製トロフィーのチェッカーフラッグ状の壁面にはインディ500の歴代優勝者全員の顔を立体的にかたどったレリーフが埋め込まれ、それぞれ下のブロックに優勝者の氏名・開催年・優勝者の決勝レースにおける平均速度(マイル毎時)が刻まれている。トロフィーという名称ではあるが優勝者が持ち回りで所有できるわけではなく、また約153ポンド (約69.4kg)という重さのため持ち上げることもできない。普段はIMS内のミュージアムに展示されていて、インディ500決勝日にヴィクトリーレーンに飾られるモニュメント的な存在である。インディ500優勝者にはトロフィーの壁面に自分の顔のレリーフを埋め込む権利、決勝レースの翌日にトロフィーと一緒に写真を撮る権利が与えられ、後日ボルグワーナー・トロフィーを模したミニトロフィーが授与される(こちらは永久保持が可能)。

大会日程

インディ500は5月初頭に開幕し、練習走行・予選・決勝レースなどのレースプログラムと、サイン会やパレードなどの観客向けイベントが1ヶ月(2010年から2013年までは2週間)の長期に渡って開催される。期間中にはインディカー・シリーズの公式戦である「グランプリ・オブ・インディアナポリス」やインディ・ライツの「フリーダム100」といったレースイベントも開催される。以下は例年行われるレース関連行事である。

ルーキー・オリエンテーション・プログラム (ROP)

決勝レースの3週間前、5月第1日曜日に行われる。初出場のドライバーや長らくオーバルでのレースに出場していないドライバー(「リフレッシャー」と呼ばれる)が対象となる。インディ500では常に350km/h以上の巡航速度でレースが進むため、極端に遅いマシンはレースの妨げになり大変危険である(これはインディ500に限らず他のオーバルレースでも同様である)。そこでコースレイアウトに慣れることと、安定したペースで周回を重ねられるようになることが主な到達目標に据えられている。細かい部分は年によって異なるが、目標となる平均速度毎にいくつかの「フェーズ」が用意され、それらを1つずつクリアしていく方式がとられる。

練習走行

5月第3週の月曜日から金曜日および第4週月曜日に行われる自由練習期間。前半概ねマシンセッティングの確認が行われる。後半は予選に向けたハイペース走行や、決勝を意識したスリップストリームを使う練習が行われる。特に最終日の金曜日は"ファストフライデー"と呼ばれ、この日のトップタイムを記録したドライバーには賞金が贈られる。

予選

5月第3週の土曜日、及び翌日曜日の2日間で行われる(2001-2009年などは4日間)。複雑な方式によって行われるため、それについては下記の予選方式にて解説する。

カーブ・デイ

決勝レース2日前、金曜日(2004年までは木曜日)午前に1時間だけ行われる最終練習。予選を通過した33台すべてが決勝レース用のセッティングを施してコースに入り、ドラフティングを利用しながらレースを想定した練習走行をする。カーブ・デイとはカーブレーション・デイの略であり、かつて決勝レースの前にカーブレーター=キャブレターを調整できる最後の時間であったためにこの名がついた。また、この日の正午過ぎにフリーダム100が開始される。午後には一部のドライバーと担当ピットクルーがピット作業の速さを競う「ピットストップ・コンテスト」が行なわれる。

予選方式

インディ500の予選方式は何度か変更されているが、2014年以降はおおむね以下の方式によって行なわれている。

基本事項

  • 予選通過枠は33台、スターティンググリッドは3台✕11列。
  • エントリーはシャシー単位で、一つのカーナンバー(ドライバー1人)につき車を2台までエントリーさせることができる。2台目は「Tカー」と呼ばれ、カーナンバーの後ろに「T」を付けることで区別される。
  • 予選1日目を土曜日、2日目を日曜日に行う。
  • ドライバーは1回の計測(アテンプト)で4周走行し、その平均速度が参照される。
  • 雨が降ればその日の予選は中止になる。現行ルール下で初めて予選が1日中止になった2015年は予選2日目の1日で全てのグリッドを確定させた。(4日間で行なわれていた時代は中止の場合、予選日程は短縮され、中止になった分も含めてその日の予選順位を決めていた)

ドライバー交代

インディ500では、予選と決勝でドライバーを交代させることができる。ただし、ドライバー交代が行われたシャシーはグリッドが最後尾に降格する。2台以上で交代があった場合、選手権ポイントが少ない方が最後尾につく。


予選1日目

予選1日目では、30位までの決勝進出者が決定する。エントリーする全ての選手が最低1回のアテンプトを行い、その暫定順位によって以下のように振り分けられる。また、33位までのドライバーにはポイントが与えられる。

  • 1位-9位:予選通過確定、ファストナイン・シュートアウト進出
  • 10位-30位:予選通過確定、2日目セグメント1進出
  • 31位以下:2日目セグメント2で予選通過と予選最終順位が決定

1日目は予選時間中であれば、回数に制限なくアテンプトを行える。2回目以降のアテンプトに臨む際は、直前に記録されたタイムを取り消すか残すかを選択できるが、取り消した選手が優先的に出走できる。

予選2日目(ポール・デイ)

予選2日目は、3つのセッションが行われる。前日の記録はすべてリセットされる(暫定順位は保存される)ため、全ての選手が再びアテンプトを行う必要がある。

  • セグメント1

セグメント1では、10番手から30番手のスターティング・グリッドが確定する。暫定10位から30位の選手を対象に、順位の低い選手から一度だけアテンプトを行い、その最終順位がスターティング・グリッドとなる。

  • セグメント2

セグメント2では、31位以下の決勝進出者とスターティング・グリッドが確定する。ただし、エントリーが33台以下となった場合は、セグメント2は行われず、セグメント1で10-33位を確定させる。この予選方式初年度となった2014年はエントリーが33台に留まったため行われなかった。

  • ファストナイン・シュートアウト

ファストナイン・シュートアウトではポール・ポジションから9番手までのスターティング・グリッドが確定する。暫定1位から9位の選手を対象に、セグメント1同様順位の低い選手から一度だけアテンプトを行う。ファストナイン進出者は最終予選結果に応じてボーナスポイントが与えられる。

歴代優勝者

優勝者 車体・エンジン チーム/オーナー レース距離[歴代 1]
マイル
平均時速[歴代 2]
マイル毎時
1 1911年 アメリカ合衆国の旗 レイ・ハルーン マーモン マーモン 500 74.602
2 1912年 アメリカ合衆国の旗 ジョー・ドーソン ナショナル ナショナル・モーター・ビークル 500 78.719
3 1913年 フランスの旗 ジュール・グー プジョー プジョー 500 75.933
4 1914年 フランスの旗 ルネ・トーマ ドラージュ ドラージュ 500 82.474
5 1915年 アメリカ合衆国の旗 ラルフ・デパルマ メルセデス E.C Patterson 500 89.840
6 1916年 イギリスの旗 ダリオ・レスタ プジョー プジョー 300[歴代 3] 84.001
1917年・1918年: 第一次世界大戦の影響により開催されず
7 1919年 アメリカ合衆国の旗 ハウディ・ウィルコックス プジョー I.M.S Corporation 500 88.050
8 1920年 アメリカ合衆国の旗 ガストン・シボレー フロンテナック ウィリアム・スモール・カンパニー 500 88.618
9 1921年 アメリカ合衆国の旗 トミー・ミルトン フロンテナック ルイ・シボレー 500 89.621
10 1922年 アメリカ合衆国の旗 ジミー・マーフィー デューセンバーグ・ミラー ジミー・マーフィー 500 94.484
11 1923年 アメリカ合衆国の旗 トミー・ミルトン ミラー H. C. S.モーターカンパニー 500 90.545
12 1924年 アメリカ合衆国の旗 ローラ・L・コラム
アメリカ合衆国の旗 ジョー・ボイヤー[歴代 4]
デューセンバーグ デューセンバーグ 500 98.545
13 1925年 アメリカ合衆国の旗 ピーター・デパオロ デューセンバーグ デューセンバーグ 500 101.127
14 1926年 アメリカ合衆国の旗 フランク・ロックハート ミラー ピーター・クライス 400(雨) 95.904
15 1927年 アメリカ合衆国の旗 ジョージ・サウダース デューセンバーグ ウィリアム・S・ホワイト 500 97.545
16 1928年 アメリカ合衆国の旗 ルイス・メイヤー ミラー アルデン・サンプソン2世 500 99.904
17 1929年 アメリカ合衆国の旗 レイ・キーチ ミラー M. A. Yagle 500 97.585
18 1930年 アメリカ合衆国の旗 ビリー・アーノルド サマーズ・ミラー ハリー・ハルツ 500 100.448
19 1931年 アメリカ合衆国の旗 ルー・シュナイダー スティーブンス・ミラー B. L. シュナイダー 500 96.629
20 1932年 アメリカ合衆国の旗 フレッド・フレイム ウェッタロス・ミラー ハリー・ハルツ 500 104.144
21 1933年 アメリカ合衆国の旗 ルイス・メイヤー ミラー ルイス・メイヤー 500 104.162
22 1934年 アメリカ合衆国の旗 ビル・カミングズ ミラー H. C. ヘニング 500 104.863
23 1935年 アメリカ合衆国の旗 ケリー・ペティロ ウェッタロス・オッフィー ケリー・ペテイロ 500 106.240
24 1936年 アメリカ合衆国の旗 ルイス・メイヤー スティーブンス・ミラー ルイス・メイヤー 500 109.069
25 1937年 アメリカ合衆国の旗 ウィルバー・ショウ ショウ・オッフィー ウィルバー・ショウ 500 113.580
26 1938年 アメリカ合衆国の旗 フロイド・ロバーツ ウエッタロス・ミラー ロウ・ムーア 500 117.200
27 1939年 アメリカ合衆国の旗 ウィルバー・ショウ マセラティ ボイル・レーシング 500 115.035
28 1940年 アメリカ合衆国の旗 ウィルバー・ショウ マセラティ ボイル・レーシング 500 114.277
29 1941年 アメリカ合衆国の旗 フロイド・デイビス
アメリカ合衆国の旗 マウリ・ローズ[歴代 5]
ウェッタロス・オッフィー ロウ・ムーア 500 115.117
1942年~1945年: 第二次世界大戦の影響により開催されず
30 1946年 アメリカ合衆国の旗 ジョージ・ロブソン アダムス・スパークス Thorne Engineering 500 114.820
31 1947年 アメリカ合衆国の旗 マウリ・ローズ デート・オッフィー ロウ・ムーア 500 116.338
32 1948年 アメリカ合衆国の旗 マウリ・ローズ デート・オッフィー ロウ・ムーア 500 119.814
33 1949年 アメリカ合衆国の旗 ビル・ホランド デート・オッフィー ロウ・ムーア 500 121.327
34 1950年 アメリカ合衆国の旗 ジョニー・パーソンズ カーティス・オッフィー カーティス 345(雨) 124.002
35 1951年 アメリカ合衆国の旗 リー・ワラード カーティス・オッフィー Murrell Belanger 500 126.244
36 1952年 アメリカ合衆国の旗 トロイ・ラットマン クズマ・オッフィー Christopher J.C. Agajanian 500 128.922
37 1953年 アメリカ合衆国の旗 ビル・ブコビッチ カーティス・オッフィー ハワード・ケック 500 128.740
38 1954年 アメリカ合衆国の旗 ビル・ブコビッチ カーティス・オッフィー ハワード・ケック 500 130.840
39 1955年 アメリカ合衆国の旗 ボブ・スウェイカート カーティス・オッフィー ジョン・ジンク 500 128.209
40 1956年 アメリカ合衆国の旗 パット・フラハーティ ワトソン・オッフィー ジョン・ジンク 500 128.490
41 1957年 アメリカ合衆国の旗 サム・ハンクス エパリー・オッフィー Geoge Salih 500 135.601
42 1958年 アメリカ合衆国の旗 ジミー・ブライアン エパリー・オッフィー Geoge Salih 500 133.719
43 1959年 アメリカ合衆国の旗 ロジャー・ウォード ワトソン・オッフィー Leader Cards 500 135.875
44 1960年 アメリカ合衆国の旗 ジム・ラスマン ワトソン・オッフィー Ken-Paul 500 138.767
45 1961年 アメリカ合衆国の旗 A.J.フォイト トレビス・オッフィー Bignotti-Bowes Racing 500 139.130
46 1962年 アメリカ合衆国の旗 ロジャー・ウォード ワトソン・オッフィー Leader Cards 500 140.293
47 1963年 アメリカ合衆国の旗 パーネリー・ジョーンズ ワトソン・オッフィー Christopher J.C. Agajanian 500 143.137
48 1964年 アメリカ合衆国の旗 A.J.フォイト ワトソン・オッフィー Ansted-Thompson Racing 500 147.350
49 1965年 イギリスの旗 ジム・クラーク ロータスフォード チーム・ロータス[歴代 6] 500 150.686
50 1966年 イギリスの旗 グラハム・ヒル ローラ・フォード メコン・レーシング・チーム 500 144.137
51 1967年 アメリカ合衆国の旗 A.J.フォイト コヨーテ・フォード Ansted-Thompson Racing 500 151.207
52 1968年 アメリカ合衆国の旗 ボビー・アンサー イーグル・オッフィー Leader Cards 500 152.882
53 1969年 アメリカ合衆国の旗 マリオ・アンドレッティ ホーク・フォード STP 500 156.867
54 1970年 アメリカ合衆国の旗 アル・アンサー PJコルト・フォード Vel's Parnelli Jones Ford 500 155.749
55 1971年 アメリカ合衆国の旗 アル・アンサー PJコルト・フォード Vel's Parnelli Jones Ford 500 157.735
56 1972年 アメリカ合衆国の旗 マーク・ダナヒュー マクラーレン・オッフィー ペンスキー・レーシング 500 162.692
57 1973年 アメリカ合衆国の旗 ゴードン・ジョンコック イーグル・オッフィー オール・アメリカン・レーサーズ 332.5(雨) 159.063
58 1974年 アメリカ合衆国の旗 ジョニー・ラザフォード マクラーレン・オッフィー マクラーレン[歴代 6] 500 158.589
59 1975年 アメリカ合衆国の旗 ボビー・アンサー イーグル・オッフィー A.J.フォイト・エンタープライゼス 500 161.331
60 1976年 アメリカ合衆国の旗 ジョニー・ラザフォード マクラーレン・オッフィー マクラーレン 255(雨) 148.725
61 1977年 アメリカ合衆国の旗 A.J.フォイト コヨーテ・フォイト A.J.フォイト・エンタープライゼス 500 161.331
62 1978年 アメリカ合衆国の旗 アル・アンサー ローラ・コスワース シャパラル・レーシング 500 161.363
63 1979年 アメリカ合衆国の旗 リック・メアーズ ペンスキー・コスワース ペンスキー 500 158.899
64 1980年 アメリカ合衆国の旗 ジョニー・ラザフォード シャパラル・コスワース シャパラル・レーシング 500 142.862
65 1981年 アメリカ合衆国の旗 ボビー・アンサー ペンスキー・コスワース ペンスキー・レーシング 500 139.084
66 1982年 アメリカ合衆国の旗 ゴードン・ジョンコック ワイルドキャット・コスワース STPパトリック・レーシング 500 162.029
67 1983年 アメリカ合衆国の旗 トム・スニーバ マーチ・エンジニアリング・コスワース Bignotti-Cotter 500 162.117
68 1984年 アメリカ合衆国の旗 リック・メアーズ マーチ・コスワース ペンスキー 500 163.612
69 1985年 アメリカ合衆国の旗 ダニー・サリバン マーチ・コスワース ペンスキー 500 152.982
70 1986年 アメリカ合衆国の旗 ボビー・レイホール マーチ・コスワース トゥルースポーツ 500 170.722
71 1987年 アメリカ合衆国の旗 アル・アンサー マーチ・コスワース ペンスキー 500 162.175
72 1988年 アメリカ合衆国の旗 リック・メアーズ ペンスキー・シボレー ペンスキー 500 144.809
73 1989年 ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ ペンスキー・シボレー パトリック・レーシング 500 167.581
74 1990年 オランダの旗 アリー・ルイエンダイク ローラ・シボレー ダグ・シアソン・レーシング 500 185.981
75 1991年 アメリカ合衆国の旗 リック・メアーズ ペンスキー・シボレー ペンスキー 500 176.457
76 1992年 アメリカ合衆国の旗 アル・アンサーJr. ギャルマー・シボレー ギャレス・クラコ・レーシング 500 134.477
77 1993年 ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ ペンスキー・シボレー ペンスキー 500 157.207
78 1994年 アメリカ合衆国の旗 アル・アンサーJr. ペンスキー・メルセデス ペンスキー 500 160.872
79 1995年 カナダの旗 ジャック・ヴィルヌーヴ レイナード・フォード チーム・グリーン 500 153.616
80 1996年 アメリカ合衆国の旗 バディ・ラジアー レイナード・フォード ヘメルガーン・レーシング 500 147.956
81 1997年 オランダの旗 アリー・ルイエンダイク Gフォースオーロラ(オールズモビル) トレッドウェイ・レーシング 500 145.827
82 1998年 アメリカ合衆国の旗 エディ・チーバーJr. ダラーラ・オーロラ チーバー・レーシング 500 145.155
83 1999年 スウェーデンの旗 ケニー・ブラック ダラーラ・オーロラ A.J.フォイト・エンタープライゼス 500 153.176
84 2000年 コロンビアの旗 ファン・パブロ・モントーヤ Gフォース・オーロラ チップ・ガナッシ・レーシング 500 167.607
85 2001年 ブラジルの旗 エリオ・カストロネベス ダラーラ・オーロラ ペンスキー 500 153.601
86 2002年 ブラジルの旗 エリオ・カストロネベス ダラーラ・シボレー ペンスキー 500 166.499
87 2003年 ブラジルの旗 ジル・ド・フェラン パノスGフォース・トヨタ ペンスキー 500 156.291
88 2004年 アメリカ合衆国の旗 バディ・ライス パノスGフォース・ホンダ レイホール・レターマン・レーシング 450(雨) 138.518
89 2005年 イギリスの旗 ダン・ウェルドン ダラーラ・ホンダ アンドレッティ・グリーン・レーシング 500 157.603
90 2006年 アメリカ合衆国の旗 サム・ホーニッシュJr. ダラーラ・ホンダ ペンスキー 500 157.085
91 2007年 イギリスの旗 ダリオ・フランキッティ ダラーラ・ホンダ アンドレッティ・グリーン・レーシング 415(雨) 151.774
92 2008年 ニュージーランドの旗 スコット・ディクソン ダラーラ・ホンダ チップ・ガナッシ・レーシング 500 143.567
93 2009年 ブラジルの旗 エリオ・カストロネベス ダラーラ・ホンダ ペンスキー 500 150.318
94 2010年 イギリスの旗 ダリオ・フランキッティ ダラーラ・ホンダ チップ・ガナッシ・レーシング 500 161.623
95 2011年 イギリスの旗 ダン・ウェルドン ダラーラ・ホンダ ブライアン・ハータ・オートスポーツ 500 170.265
96 2012年 イギリスの旗 ダリオ・フランキッティ ダラーラ・ホンダ チップ・ガナッシ・レーシング 500 167.734
97 2013年 ブラジルの旗 トニー・カナーン ダラーラ・シボレー KVレーシング・テクノロジー 500 187.433[歴代 7]
98 2014年 アメリカ合衆国の旗 ライアン・ハンター=レイ ダラーラ・ホンダ アンドレッティ・オートスポーツ 500 186.563
99 2015年 コロンビアの旗 ファン・パブロ・モントーヤ ダラーラ・シボレー チーム・ペンスキー 500 161.341
  1. ^ (雨)は降雨によって途中で打ち切られたレース。
  2. ^ 太字はその時点での最速記録。ただしインディ500ではフルコースコーション中も周回数が数えられるため、実際のレーシングスピードは記録を上回る。
  3. ^ 1916年のレースはレース距離300マイルとして開催
  4. ^ 1924年のレースでは、ローラ・L・コラムがスタートさせた車をレース途中でジョー・ボイヤーが引き継ぎ優勝したため、両名が優勝者として扱われている。
  5. ^ 1941年のレースでは、フロイド・デイビスがスタートさせた車をレース途中でマウリ・ローズが引き継ぎ優勝したため、両名が優勝者として扱われている。
  6. ^ a b 1965年のチーム・ロータスと1974年のマクラーレンは、同年にF1コンストラクターズタイトルも獲得している
  7. ^ 平均レース時速最速記録。時速301.644km。

記録

予選速度の変遷

レース

  • 最多ポール・ポジション - リック・メアーズ/6回(1979, 1982, 1986, 1988, 1989, 1991年)
  • 最高レース平均速度 - 187.433mph(301.644km/h)/トニー・カナーン(2013年)
  • 最高予選速度(1周) - 237.498mph(382.216km/h)/アリー・ルイエンダイク(1996年)
  • 最高ファステストラップ - 236.103mph(379.971km/h)/エディ・チーバー(1996年)
  • 最多ラップリード - 198周(3-200周目)/ビリー・アーノルド(1930年)
  • 優勝ドライバーの最少ラップリード - 1周/ダン・ウェルドン(2011年)
  • 最多リーダー人数 - 14人(2013年)
  • 最多リードチェンジ - 68回(2013年)
  • 1位と2位の最小タイム差 - 0.043秒/1位:アル・アンサーjr,2位:スコット・グッドイヤー(1992年)
  • 最大ポジション上昇 - 32(38番手スタートから6位フィニッシュ)/ジーク・メイヤー(1932年)

ドライバー

  • 最年少優勝 - トロイ・ラットマン/22歳80日(1952年)
  • 最年少出走 - マルコ・アンドレッティ/19歳2ヶ月15日(2006年)
  • 最年長優勝 - アル・アンサー/47歳360日(1987年)
  • 最年長出走 - A.J.フォイト/57歳4ヶ月5日(1992年)

勝利数

回数 ドライバー
4 アメリカ合衆国の旗 A・J・フォイト 1961年、1964年、1967年、1977年
アメリカ合衆国の旗 アル・アンサー 1970年、1971年、1978年、1987年
アメリカ合衆国の旗 リック・メアーズ 1979年、1984年、1988年、1991年
3 アメリカ合衆国の旗 ルイス・メイヤー 1928年、1933年、1936年
アメリカ合衆国の旗 ウィルバー・ショウ 1937年、1939年、1940年
アメリカ合衆国の旗 マウリ・ローズ 1941年、1947年、1948年
アメリカ合衆国の旗 ジョニー・ラザフォード 1974年、1976年、1980年
アメリカ合衆国の旗 ボビー・アンサー 1968年、1975年、1981年
ブラジルの旗 エリオ・カストロネベス 2001年、2002年、2009年
イギリスの旗 ダリオ・フランキッティ 2007年、2010年、2012年
2 アメリカ合衆国の旗 トミー・ミルトン 1921年、1923年
アメリカ合衆国の旗 ビル・ブコビッチ 1953年、1954年
アメリカ合衆国の旗 ロジャー・ウォード 1959年、1962年
アメリカ合衆国の旗 ゴードン・ジョンコック 1973年、1982年
ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ 1989年、1993年
アメリカ合衆国の旗 アル・アンサーJr. 1992年、1994年
オランダの旗 アリー・ルイエンダイク 1990年、1997年
イギリスの旗 ダン・ウェルドン 2005年、2011年
コロンビアの旗 ファン・パブロ・モントーヤ 2000年、2015年

連勝

2連勝したドライバーが5名いる(3連勝以上したドライバーは存在しない)。

他カテゴリとの間の記録

モナコグランプリル・マン24時間レースと関係する記録は世界三大レースを参照のこと
アメリカ合衆国の他カテゴリと複数制覇
ドライバー インディ500優勝 CART/インディカー・シリーズチャンピオン デイトナ500優勝 デイトナ24時間レース優勝
アメリカ合衆国の旗 ジミー・ブライアン 1958年 1956年、1957年
アメリカ合衆国の旗 ロジャー・ウォード 1959年、1962年 1959年、1962年
アメリカ合衆国の旗 A・J・フォイト 1961年、1964年、1967年、1977年 1960年、1961年、1963年、1964年、
1967年、1975年、1979年
1972年 1983年、1985年
アメリカ合衆国の旗 ボビー・アンサー 1968年 1968年、1974年
アメリカ合衆国の旗 マリオ・アンドレッティ 1969年 1965年、1966年、1969年、1984年 1967年 1972年
アメリカ合衆国の旗 アル・アンサー 1970年、1971年、1978年、1987年 1970年、1983年、1985年 1985年
アメリカ合衆国の旗 マーク・ダナヒュー 1972年 1969年
アメリカ合衆国の旗 ゴードン・ジョンコック 1973年、1982年 1976年
アメリカ合衆国の旗 ジョニー・ラザフォード 1974年、1976年、1980年 1980年
アメリカ合衆国の旗 リック・メアーズ 1979年、1984年、1988年、1991年 1979年
アメリカ合衆国の旗 トム・スニーバ 1983年 1977年、1978年
アメリカ合衆国の旗 ダニー・サリバン 1985年 1988年
アメリカ合衆国の旗 ボビー・レイホール 1986年 1986年、1987年、1992年 1981年
ブラジルの旗 エマーソン・フィッティパルディ 1989年、1993年 1989年
アメリカ合衆国の旗 アル・アンサーJr. 1992年、1994年 1990年、1994年 1986年、1987年
カナダの旗 ジャック・ヴィルヌーヴ 1995年 1995年
アメリカ合衆国の旗 バディ・ラジアー 1996年 2000年(IRL)
スウェーデンの旗 ケニー・ブラック 1999年 1998年(IRL)
コロンビアの旗 ファン・パブロ・モントーヤ 2000年、2015年 1999年(CART) 2007年
ブラジルの旗 ジル・ド・フェラン 2003年 2000年、2001年(CART)
イングランドの旗 ダン・ウェルドン 2005年、2011年 2005年(IRL)
アメリカ合衆国の旗 サム・ホーニッシュJr. 2006年 2001年、2002年、2006年(IRL)

ゲームソフト

日本では、トミー(現:タカラトミー)から、1997年5月23日に、プレイステーション用ゲームソフトとして、Indy500がリリースされた。 Indy500の日本での知名度は低いが、当時の大ヒットゲームとなった。また、セガからもアーケードゲームとしてインディ500 がリリースされた。

日本人ドライバーとINDY500

1991年ヒロ松下の参戦後、数多くの日本人ドライバーが挑戦しており、最高位は2003年に高木虎之介が記録した5位。以下参戦ドライバーと決勝順位を記載する(「DNQ」は予選落ちの意)。

  • ヒロ松下 1991年 16位、1992年 DNQ(予選中の怪我による)、1993年 18位、1994年 14位、1995年 10位
  • 桃田健史 1992年 DNQ
  • 松田秀士 1994年 24位、1995年 15位、1996年 8位、1999年 10位、2000年 DNQ(予選中の怪我による)
  • 服部茂章 2001年 DNQ、2002年 20位、2003年 30位
  • 中野信治 2003年 14位
  • 高木虎之介 2003年 5位、2004年 19位
  • ロジャー安川[2] 2003年 10位、2004年 10位、2005年 18位、2006年 16位、2007年 21位、2008年 DNQ
  • 松浦孝亮 2004年 11位、2005年 17位、2006年 15位、2007年 16位
  • 武藤英紀 2008年 7位、2009年 10位、2010年 28位
  • 佐藤琢磨 2010年 20位、2011年 33位、2012年 17位、2013年 13位、2014年 19位、2015年 13位

テレビ放送

  • 日本では、地上波ではかつてTBSテレビ朝日で全国ネット生中継、2003年からは日本テレビで後日ダイジェスト放送(関東ローカル)がされていたが、2012年からは放送されていない。衛星放送ではGAORAが生中継している。なおGAORAではインディカー・シリーズを全戦放送している。アメリカではABCが毎年生中継をしている。映画デルタ・フォースのテーマ曲The Delta Force Theme がオープニングや挿入曲として使われている。

エピソード

優勝者は牛乳を飲む

インディ500では、優勝したドライバーは牛乳を飲むという慣習がある。1933年、ルイス・メイヤーは自身二度目の優勝を飾ったが、レース終了後にバターミルクをリクエストした。ルイス・メイヤーは1936年にも自身三度目の優勝をし、この際もバターミルクをリクエストしたが、コップではなくボトルで手渡され、それをそのまま飲んだ。その飲んでいる写真が牛乳会社の目に止まり、それ以降優勝者には牛乳が提供されるようになった(1947年から1955年までの間を除く)。

唯一この慣習に従わなかったのがエマーソン・フィッティパルディで、1993年の優勝時には自身がブラジルでオレンジ農園を営んでいるという理由から、牛乳の代わりに(厳密には牛乳より先に)オレンジジュースを飲んでいる[3]

この「ヴィクトリーレーンで牛乳を飲む」という行為にもスポンサーがついており、仮に牛乳を飲まなかった場合は該当スポンサーからの賞金は与えられない。

1998年に優勝したエディ・チーバーは、この「Winner's Milk」を表彰台でボトル二本も飲み干した。

アナウンス

レース開始前のエンジン始動の有名なアナウンス(A(One) lady/Ladies and) gentlemen, start your engines!」は、現在インディアナポリス・モーター・スピードウェイを所有するハルマン家の当主マリ・ハルマン・ジョージが行っている。

元々はマリの父であるトニー・ハルマンがアナウンスを行っていたが、1977年に死去し、翌1978年からはトニーの妻でありマリの母であるメアリー・フェンドリッチ・ハルマンが行うようになった。しかしメアリーも1998年4月に死去。それにともない、1998年からは娘のマリが引き継いでいる。ただし1982年と2007年はインディアナポリス・モーター・スピードウェイの場内放送アナウンサーだったトム・カーネギーが行っている。

かつてはレースに参加するドライバーは男性ばかりだったので、アナウンスの台詞は「Gentlemen, start your engines!(紳士諸君、エンジンを始動してください)」だったが、女性ドライバーが参加するようになり、セリフは「A(One) lady and gentlemen, start your engines!(淑女と紳士諸君~)」と改められ、女性が複数人参加するようになった現在ではセリフも複数形に改められ「Ladies and gentlemen, start your engines!」となっている[4]

優勝者にはキルトが贈られる

1976年以降、優勝者には手作りのキルトが贈られている。これは、地元のキルターであり、自らも元女性レーサーであったジャネッタ・ホールダーが手作りしたもの。レースをこよなく愛するホールダーは、レーサーのサインを集めて刺繍(ししゅう)したオリジナルのアップリケキルトを毎年作り、優勝者に贈っている。そのため、彼女は「キルト・レディ」として、レーサーや関係者に親しまれている。 そのうちの一人、数回の優勝経験をもつボビー・アンサーはヘンリー・フォード・博物館(ミシガン州ディアボーン)にキルトを寄贈した。また、アル・アンサーは自ら設立したアンサー・レーシング博物館(ニューメキシコ州アルバカーキー)に授与されたキルトを飾っている。 [5]

脚注

  1. ^ 世界選手権から外れた直後の1960年代には、いくつかの参戦例がみられる。
  2. ^ 厳密には日系アメリカ人である
  3. ^ インディ500とは? Vol.3
  4. ^ このようなアナウンスはインディ500に限らず他のインディカー・シリーズのレースでも行われているが、最近は性別に関係しない「Drivers, start your engines!」というセリフも多く使われている。
  5. ^ "Quilter's Newsletter Magazine" No.421

関連項目

外部リンク