イフラ・ニーマン

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イフラ ニーマン
基本情報
生誕 (1923-02-13) 1923年2月13日
出身地 レバノンの旗 レバノンサイダ
死没 (2003-01-04) 2003年1月4日(79歳没)
ジャンル クラシック音楽
職業 ヴァイオリニスト
担当楽器 ヴァイオリン

イフラ・ニーマンアラビア語: يفراح نيعمان; 英語: Yfrah Neaman, 1923年2月13日2003年1月4日[1]レバノン出身のユダヤ人ヴァイオリニスト

経歴[編集]

サイダに生まれる。両親はパレスチナ出身のユダヤ人であった。パリジャック・ティボーに師事した後ロンドンに移住、同地でカール・フレッシュマックス・ロスタルに師事した。

ギルドホール音楽演劇学校で教鞭を執るかたわら、カール・フレッシュ・コンクールの芸術監督を担当した。著名な門人に、クジュシトフ・スミェタナヴォルフガング・ダーヴィットラドスラフ・シュルツらがいる。

ウォルター・ピストンの《ヴァイオリン協奏曲》(1952年)ならびにロベルト・ジェラールの《ヴァイオリン協奏曲》(1955年)の英国初演を担当した。

1983年OBEを授与されている。

ロンドンにて死去。

脚注[編集]

  1. ^ The guardian