アート・ロス

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アート・ロス

アート・ロスArt Ross)ことアーサー・ハウィー・ロスArthur Howie Ross, 1886年1月13日 - 1964年8月5日)は、カナダオンタリオ州生れの元プロアイスホッケー選手(ポジションはディフェンス, 現役生活は14年間)で、引退後はNHL (National Hockey League) 及びその前身である NHA (National Hockey Association) チームのコーチ、レフェリー、GM などを歴任した。

来歴

アート・ロスは1886年オンタリオ州ノートン (Naughton) で生まれ、ケベック州モントリオールで育ち、ここでアイスホッケーを学んだ。

長じて、NHA のオタワのヘイリーベリー 及びモントリオール・ワンダラーズ (Montreal Wanderers) で8シーズンに渡って選手として活躍した。この間、1907年には、ケノラ・シスルズ (Kenora Thistles) で、翌1908年にはワンダラーズで、それぞれスタンレー・カップ優勝を経験している。

ワンダラーズは、NHLの発足年度となる1917-1918シーズンからこのリーグに参戦をしているが、ロスはNHLではわずか3試合しか選手として出場していない(なお、ワンダラーズのアリーナはこの後火災で焼失し、チームは休部に追い込まれた)。この後、レフリーとして活動する。

NHLの1924-1925シーズンから、ロスはボストン・ブルーインズの初代ヘッドコーチに就任し、チームを3度のスタンレー・カップ優勝に導く。さらに、その後ブルーインズの総支配人 (GM) に昇進した。

1949年には、この年選出された12名の中の一人としてホッケーの殿堂入りを果す(殿堂入りの区分は、選手としてではなく、ホッケーの管理者に与えられる「ビルダー (Builder) 」)。[1][2]

生涯成績

    レギュラーシーズン   プレイオフ
シーズン チーム リーグ GP G A Pts PIM GP G A Pts PIM
1917-1918 モントリオール・ワンダラーズ NHL 3 1 0 1 0
NHL合計 3 1 0 1 0

ホッケー界への貢献

ロスは、アイスホッケーの試合に用いるパックについて、従来用いられた天然ゴム素材の代わりに合成ゴムを使用することを初めて提唱したと伝えられている。これにより、(偶然に左右されることなく)より堅実で矛盾のないゲームを楽しめるようになったとされる。

また、ロスはホッケーにおけるゴールネットの形状について、アルファベットのBのようにたるみを持たせた形に工夫したとされる。これにより、ネットから跳ね返ったパックが選手を直撃する危険を少なくすることができるようになった。

アート・ロス記念賞

NHLでは、1947-1948シーズン以降、レギュラーシーズン通算で最高のポイント(ゴール数+アシスト数)を獲得した選手には、アート・ロスの名を刻んだアート・ロス記念賞が授与されているが、このトロフィーはロスが寄贈したものである。

この賞の受賞基準について、仮にポイント数が同点の者が複数存在した場合には、最多のゴールを上げた者が受賞資格を有する。また、それでも受賞者が決しない場合には、出場試合数の少ない者、次に最も早期にゴールを上げた者の基準により受賞者を選出する。それでも決しない場合は、受賞者は複数とされる。

脚注

外部リンク