アンジェリーノ・アルファノ
アンジェリーノ・アルファノ Angelino Alfano | |
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アンジェリーノ・アルファノ | |
生年月日 | 1970年10月31日(53歳) |
出生地 | イタリア、シチリア州アグリジェント県、アグリジェント |
出身校 |
サクロ・クオーレ・カトリック大学 パレルモ大学 |
所属政党 |
キリスト教民主主義 (- 1994)、 フォルツァ・イタリア (1994 - 2009)、 自由の人民 (2009 - 2013) 新中道右派 (2013 - ) |
公式サイト | Angelino Alfano |
内閣 | エンリコ・レッタ |
在任期間 | 2013年4月28日 - 現職 |
内閣 | エンリコ・レッタ |
在任期間 | 2013年4月28日 - 現職 |
内閣 | シルヴィオ・ベルルスコーニ |
在任期間 | 2008年5月8日 - 2011年7月27日 |
当選回数 | 4 |
在任期間 | 2001年 - 現職 |
在任期間 | 2011年6月1日 - 2013年10月25日 |
アンジェリーノ・アルファノ(イタリア語: Angelino Alfano、1970年10月31日 - )は、イタリアの政治家。内相、代議院(下院)議員(4期)を務めている。
副首相、法相、自由の人民幹事長、シチリア州議会議員を歴任した。
来歴
ベルルスコーニの最側近
シチリア州アグリジェント県、アグリジェント出身。サクロ・クオーレ・カトリック大学、パレルモ大学で学ぶ。
1994年、シルヴィオ・ベルルスコーニ率いるフォルツァ・イタリアに入党。党公認候補としてシチリア州議会議員に当選する。
2001年、総選挙に党公認で立候補し、代議院議員に当選する。
2008年、政権を奪回し首相に返り咲いたベルルスコーニの抜擢により、法相に就任。イタリアの法相としては最年少[1]。
2011年、党幹事長に就任する。
ベルルスコーニへ反旗
2013年、総選挙で中道左派勢力に敗北するも上院で多数派勢力が存在しない中でエンリコ・レッタを首相とする大連立に参画。副首相兼内相に就任する[2]。
ベルルスコーニの脱税容疑を端とする議員資格停止問題により、ベルルスコーニがレッタ内閣の倒閣を目指した時に反旗を期す。党内穏健派のアルファノは不信任案提出の場合の反対・党分裂を示唆したため、結果的にベルルスコーニは倒閣を断念するがアルファノとベルルスコーニの関係が悪化していった[3]。 。
ベルルスコーニが中道右派勢力の立て直しのためにフォルツァ・イタリアの再結成を行うが参加せず、新党「新中道右派」を結成する[4]。
脚注
- ^ “次期伊首相はベルルスコーニ氏抜擢の人物か”. ウォールストリートジャーナル. (2011年11月10日) 2011年11月10日閲覧。
- ^ “レッタ氏が首相就任 イタリア「大連立」内閣発足”. 日本経済新聞. (2013年4月28日) 2013年4月28日閲覧。
- ^ “イタリア:ベルルスコーニ氏、政治生命の危機…倒閣失敗で”. 毎日新聞. (2013年10月3日). オリジナルの2013年10月31日時点におけるアーカイブ。 2013年10月3日閲覧。
- ^ “イタリア:中道右派が分裂 元首相の政治基盤弱体化”. 毎日新聞. (2013年11月16日). オリジナルの2013年11月24日時点におけるアーカイブ。 2013年11月16日閲覧。
外部リンク
- Angelino Alfano(イタリア語)
公職 | ||
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先代 Luigi Scotti |
法相 2008–2011 |
次代 Nitto Francesco Palma |
先代 Anna Maria Cancellieri |
内相 2013 |
現職 |
党職 | ||
新設官職 | 自由の人民幹事長 2011–2013 |
次代 解党による役職廃止 |