アロウズ・A1

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アロウズ・A1
リカルド・パトレーゼのドライブするアロウズ・A1、 1979年イモラにて
リカルド・パトレーゼのドライブするアロウズ・A1、
1979年イモラにて
カテゴリー F1
コンストラクター イギリスの旗 アロウズ
デザイナー トニー・サウスゲート, デイヴ・ウォス
先代 アロウズ・FA1
後継 アロウズ・A2
主要諸元
シャシー アルミニウムモノコック
エンジン フォード-コスワース DFV
3.0リッター, 470馬力, V8,
NA,
トランスミッション ヒューランド FGA 400,
前進5速 + 後進1速, MT
重量 589kg
燃料 バルボリン
タイヤ グッドイヤー
主要成績
チーム ヴァルシュタイナー・アロウズ・レーシングチーム
アロウズ・レーシングチーム
ドライバー イタリアの旗 リカルド・パトレーゼ
ドイツの旗 ロルフ・シュトメレン
ドイツの旗 ヨッヘン・マス
初戦 オーストリアの旗 1978年オーストリアグランプリ
出走優勝ポールFラップ
13000
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アロウズ・A1は、トニー・サウスゲートデイブ・ウォスが設計したフォーミュラ1カーで、1978年から1979年にかけてアロウズチームによって使用された。

概要

1978年用に開発されたFA1が、サウスゲートの所属していたシャドウの新型マシン、DN9と酷似していたためシャドウ側から訴訟を起こされ、敗訴を見越して開発されたのがA1である[1]。開発に約50日をかけ、完成が敗訴から3日後[2]という短期間だったため、形状は細部が修正されたほかはFA1とほぼ同じである[2]。異なる所はサイドポンツーンの側面にスカートが設けられ、気流を通すためにスカート内側の底面が持ち上げられている[2]所と、フロントノーズのオイルクーラー吸気口が2つに分かれた[3]点である。

スペック

F1における全成績

(key) (太字ポールポジション

チーム エンジン タイヤ ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 ポイント 順位
1978年 アロウズ・レーシングチーム フォード コスワース・DFV G ARG
アルゼンチンの旗
BRA
ブラジルの旗
RSA
南アフリカ共和国の旗
USW
アメリカ合衆国の旗
MON
モナコの旗
BEL
ベルギーの旗
ESP
スペインの旗
SWE
スウェーデンの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
西ドイツの旗
AUT
オーストリアの旗
NED
オランダの旗
ITA
イタリアの旗
USA
アメリカ合衆国の旗
CAN
カナダの旗
11* 10位
イタリアの旗 リカルド・パトレーゼ Ret Ret Ret EX 4
ドイツの旗 ロルフ・シュトメレン DNPQ DNPQ DNPQ 16 DNPQ
1979年 ヴァルシュタイナー アロウズ・レーシングチーム フォード コスワース・DFV G ARG
アルゼンチンの旗
BRA
ブラジルの旗
RSA
南アフリカ共和国の旗
USW
アメリカ合衆国の旗
ESP
スペインの旗
BEL
ベルギーの旗
MON
モナコの旗
FRA
フランスの旗
GBR
イギリスの旗
GER
西ドイツの旗
AUT
オーストリアの旗
NED
オランダの旗
ITA
イタリアの旗
CAN
カナダの旗
USE
アメリカ合衆国の旗
5* 9位
イタリアの旗 リカルド・パトレーゼ DNS 9 11 Ret 10 5 Ret
ドイツの旗 ヨッヘン・マス 8 7 12 9 8 Ret 6

1978年

*( 1978年のポイントの内8ポイントはアロウズ・FA1の成績。)

1979年

*( 1979年のポイントの内2ポイントは後継型アロウズ・A2の成績。)

  • コンストラクターズランキング9位。
  • ドライバーズランキング11位(リカルド・パトレーゼ)予選最高位9位1回 決勝最高位5位1回
  • ドライバーズランキング-位(ヨッヘン・マス)予選最高位8位1回 決勝最高位6位3回

脚注

  1. ^ 『GRAND PRIX CAR 名車列伝 Vol.6』 三栄書房、2012年、24 - 25頁。
  2. ^ a b c 大串信「意匠万華鏡 〜愛すべき試行錯誤〜」第19回 FA1 vs. DN9、『GRAND PRIX SPECIALエムオン・エンタテインメント、2012年7月号、91頁。
  3. ^ 『名車列伝』、23頁。