アレッサンドロ・ディアマンティ
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名前 | ||||||
本名 | Alessandro Diamanti | |||||
カタカナ | アレッサンドロ・ディアマンティ | |||||
ラテン文字 | Alessandro DIAMANTI | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | イタリア | |||||
生年月日 | 1983年5月2日(40歳) | |||||
出身地 | トスカーナ州 プラート県プラート | |||||
身長 | 180cm | |||||
体重 | 73kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | アタランタBC | |||||
ポジション | MF (OH, AMF) / FW | |||||
背番号 | 23 | |||||
利き足 | 左足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1999-2004 | プラート | 72 | (23) | |||
2000-2001 | → エンポリ (loan) | 0 | (0) | |||
2001-2002 | → フチェッキオ (loan) | 24 | (3) | |||
2002-2003 | → フィオレンティーナ (loan) | 3 | (0) | |||
2004-2006 | アルビーノレッフェ | 26 | (0) | |||
2007-2009 | リヴォルノ | 63 | (24) | |||
2009-2010 | ウェストハム・ユナイテッド | 28 | (7) | |||
2010-2011 | ブレシア | 32 | (6) | |||
2011-2014 | ボローニャ | 83 | (19) | |||
2014- | 広州恒大 | 24 | (4) | |||
2015 | → フィオレンティーナ (loan) | 11 | (2) | |||
2015-2016 | → ワトフォード (loan) | 3 | (0) | |||
2016- | → アタランタ (loan) | 0 | (0) | |||
代表歴2 | ||||||
2010-2013 | イタリア | 17 | (1) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2015年11月7日現在。 2. 2013年11月18日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
アレッサンドロ・ディアマンティ(Alessandro Diamanti, 1983年5月2日 - )は、イタリア・プラート出身のサッカー選手。セリエA・アタランタBC所属。ポジションはミッドフィルダー、フォワード。
来歴
クラブ
ACプラート
1999年に生まれ故郷のクラブであるACプラートでデビュー。エンポリFCやACFフィオレンティーナへのレンタル移籍を経験した後、2004年にUCアルビーノレッフェに共同保有権が譲渡される。同チームで1シーズン半プレーした後、2006年にACプラートが保有権を買い戻した。2006-07シーズンは3シーズンぶりに復帰した古巣でセリエC2を舞台に戦い、31試合で15得点を挙げた。
リヴォルノ
この活躍が認められ、2007年夏にセリエAのASリヴォルノ・カルチョへ完全移籍。1年目から14試合に先発し12試合で途中出場したが、チームは最下位に終わりセリエB降格。2年目はリーグ戦とカップ戦で計39試合に出場して20得点を挙げるなど攻撃の中心を担い、チームのセリエA復帰の原動力となった。これによりインテルをはじめとする国内外のクラブの注目を集め、2009年夏の移籍市場でその動向が注目された。
ウェストハム・ユナイテッド
2009-10シーズン開幕直後に同国人のジャンフランコ・ゾラが率いるプレミアリーグのウェストハム・ユナイテッドFCに5年契約で完全移籍[1]。サポーターによるシーズンMVP投票ではスコット・パーカーに次ぐ2位に選ばれたが[2]、ゾラ監督が解任されたこともありわずか1年で国内復帰を決意する。
ブレシア
2010年夏の移籍市場でブレシア・カルチョに移籍。移籍金は220万ユーロ(約2億4000万円)[3]。32試合に出場しアンドレア・カラッチョロに次いでチーム内2位の6得点を挙げたが、チームは19位でシーズンを終えセリエBに降格した。
ボローニャ
2011年夏の移籍市場でボローニャFCに共同保有権が譲渡され、2011-12シーズンは同チームでプレーすることになった[4]。2012年4月12日のカリアリ戦では決勝点となるフリーキックを決め、チームの一部残留を手繰り寄せた[5]。なお、このゴールを祝う際にユニフォームを脱いで愛妻へのメッセージが書かれたアンダーシャツを見せたが、この行為でイエローカードを受けている。
広州恒大
2014年2月7日、中国スーパーリーグ・広州恒大足球倶楽部への移籍が発表された[6]。
ACFフィオレンティーナ
2015年1月10日、広州恒大足球倶楽部から半年レンタル、200万ユーロで完全移籍のオプション付きでACFフィオレンティーナに移籍することが発表された[7]。2014-15シーズン途中に加入で公式戦15試合に出場して2ゴールを記録していたが、完全移籍には至らなかった。
ワトフォードFC
2015年8月17日、中国の広州恒大からイングランドのワトフォードFCへレンタル移籍をした[8]。
代表
2010年11月17日、ルーマニアとの親善試合でイタリア代表デビューを果たし、前半のみで退いた。
代表歴わずか1キャップで予選にも出場していなかったが、チェーザレ・プランデッリ監督によりEURO2012のメンバーに抜擢される。グループリーグ第3戦のアイルランド戦に途中出場すると、コーナーキックからマリオ・バロテッリのゴールをアシストした。準々決勝のイングランド戦でも後半にアントニオ・カッサーノとの交代で出場。延長戦ではクロスがポストを叩く惜しい場面を演出し、PK戦では5人目のキッカーを任されると落ち着いてこれを決め、チームの準決勝進出に貢献した。
FIFAコンフェデレーションズカップ2013の3位決定戦、ウルグアイ戦で代表初得点を挙げた。
しかし、2014年ブラジルW杯では2月に決断した中国行きが、国外組の招集に消極的なプランデッリ監督の逆鱗に触れ、本大会メンバーから落選した。
プレースタイル
トップ下(トレクァルティスタ)でのプレーを得意とする左利きのファンタジスタ[9][10]。好不調の波は激しいが、運動量豊富で創造性も確かと評される[11]。キックの精度が高く、流れの中からでも無回転シュートを放つことができる。
所属クラブ
- プロ経歴
- 1999年 - 2004年 ACプラート
- 2000年 - 2001年 → エンポリFC (期限付き移籍)
- 2001年 - 2002年 → ACフチェッキオ (期限付き移籍)
- 2002年 - 2003年 → ACFフィオレンティーナ (期限付き移籍)
- 2004年 - 2006年 UCアルビーノレッフェ
- 2007年 - 2009年 ASリヴォルノ・カルチョ
- 2009年 - 2010年 ウェストハム・ユナイテッドFC
- 2010年 - 2011年 ブレシア・カルチョ
- 2011年 - 2014年 ボローニャFC
- 2014年 - 広州恒大足球倶楽部
- 2015年1月 - 2015年6月 → ACFフィオレンティーナ (期限付き移籍)
- 2015年8月 - 2016年1月 → ワトフォードFC (期限付き移籍)
- 2016年1月 - → アタランタBC (期限付き移籍)
脚注
- ^ ウェスト・ハムがディアマンティを獲得
- ^ Scott Parker has been voted as 2009/10 Hammer of the Year by West Ham United supporters
- ^ ブレシア、ウェストハムのディアマンティを獲得
- ^ ボローニャ、共同保有でディアマンティ獲得
- ^ ボローニャ12位浮上 残留に前進
- ^ 亚历山德罗·迪亚曼蒂(Alessandro Diamanti)正式加盟广州恒大足球俱乐部
- ^ フィオレンティーナ、広州恒大FWディアマンティのレンタル加入発表サッカーキング2015年1月10日
- ^ 広州恒大所属のFWディアマンティ、ワトフォードへレンタル移籍決定soccerking 2015年8月18日
- ^ ディアマンティ「もしボローニャに来ていなかったら、プレミアに帰っていた」
- ^ トッティを口撃するディアマンティ 「偉大な選手だけど…」
- ^ コラム:イタリアの勝利を決めた5つの場面