アレイシ・エスパルガロ

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アレイシ・エスパルガロ
2022年
生年月日 (1989-07-30) 1989年7月30日(34歳)
カタルーニャ州グラノリェース
現在のチーム アプリリア・レーシング
ゼッケン 41
レースでの経歴
ロードレース世界選手権 MotoGPクラス
活動期間2009年-2010年, 2012年-
マニファクチャラードゥカティ (2009年-2010年)
ART (2012年-2013年)
フォワード ヤマハ (2014年)
スズキ (2015年-2016年)
アプリリア (2017年-)
チャンピオン0
2022年 順位4位 (212 pts)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
226 2 10 5 3 1222
ロードレース世界選手権 Moto2クラス
活動期間2011年
マニファクチャラーポンスカレックス
チャンピオン0
2011年 順位12th (76 pts)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
17 0 1 0 0 76
ロードレース世界選手権 250ccクラス
活動期間2006年-2009年
マニファクチャラーホンダ (2006年)
アプリリア (2007年-2009年)
チャンピオン0
2009年 順位20位 (22 pts)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
44 0 0 0 0 181
ロードレース世界選手権 125ccクラス
活動期間2004年-2006年
マニファクチャラーホンダ
チャンピオン0
2006年 順位NC (0 pts)
出走回数 勝利数 表彰台 PP FL 総ポイント
23 0 0 0 0 36

アレイシ・エスパルガロ・イ・ビリャ ( Aleix Espargaró i Villa, 1989年7月30日 - ) は、スペインカタルーニャ州グラノリェース出身のオートバイレーサー。アレックス・エスパルガロとも表記される。2012年よりロードレース世界選手権MotoGPクラスに参戦する。弟のポルも同じくオートバイレーサー。

経歴[編集]

2004-2008[編集]

2004年のスペインロードレース選手権(CEV)125ccクラスで史上最年少のチャンピオンに輝いたエスパルガロは、翌2005年よりロードレース世界選手権125ccクラスにフル参戦デビューを果たした。セードルフ・レーシングでアルバロ・バウティスタのチームメイトを務め、シリーズランキング16位でデビューシーズンを終えた。

2006年はBQRチームに移籍し引き続き125ccに参戦していたが、第8戦ダッチTTよりマルティン・カルデナスの後釜[1]として、250ccクラスにステップアップを果たした。250ccデビューシーズンはシリーズランキング19位を記録した。またこの年には弟のポルが125ccクラスに参戦を開始した。

2007年はブルセンス・アプリリアチームに移籍しシリーズ15位、翌2008年はロータス・アプリリアチームでアレックス・デボンをチームメイトにシリーズ12位と成績を伸ばしていった。

2009[編集]

2009年シーズン開幕前のエントリーリストではカンペテーラ・レーシングからの参戦が予定されていたが後にキャンセルされ[2]、世界選手権でのレギュラーシートを失ってしまった。そのためエスパルガロは次年度より始まるMoto2規格のマシンの開発ライダーを務め、スペイン国内選手権にテスト参戦することになった。MotoGP第7戦ダッチTT第9戦ドイツGPには、ガボール・タルマクシが去った後の250ccクラスのバラトンリンク・チームから代役参戦[3]し、それぞれ4位・7位という好成績を残した。

第12戦インディアナポリスGP第13戦サンマリノGPには、ミカ・カリオの代役[4]としてプラマック・レーシングから最高峰MotoGPクラスにデビューを果たした[5]。スペイン選手権時代より宇井陽一に憧れて、宇井と同じゼッケン41を使用し続けてきたアレイシだったが、MotoGPではすでにガボール・タルマクシがNo.41を使っていたため、この年に限っては弟のポルと同じゼッケン44を付けることになった[6]。この2戦でエスパルガロはそれぞれ13位、11位という安定した成績を残した。これが評価され、翌2010年からはニッコロ・カネパに代わりプラマック・レーシングのレギュラーシートに収まることになった[7]。終盤2戦にはそのカネパが負傷欠場となったことによって再び代役参戦を果たし、合計4戦出場・全レースでポイントを獲得し、シリーズランキング18位を記録した。

2010[編集]

MotoGPフル参戦初年度となった2010年シーズン、エスパルガロはほぼ全てのレースでチームメイトのカリオを上回る結果を残し、第4戦イタリアGP第16戦オーストラリアGPでベストリザルトとなる8位でフィニッシュ、シリーズランキング14位を記録した。

2011[編集]

2011年シーズンはMotoGPクラスでのシートを確保できなかったため、シト・ポンス率いるポンス・レーシングからMoto2クラスに参戦することとなった[8]。また弟のポルも125ccからMoto2にステップアップするため、同クラスでの兄弟対決が実現することとなる。開幕して数戦は思うようなパフォーマンスを発揮できなかったが、第4戦フランスGPで予選4位・決勝6位と初めて上位に食い込むと、地元となる第5戦カタルニアGPでは自身およそ3年ぶりとなるフロントロウ2番グリッドを獲得。レースでも優勝争いに絡む走りを見せ、自身初の表彰台3位を獲得する活躍をみせた。

2012-2013[編集]

2012年シーズンより、MotoGPクラスへの昇格が決まる。アスパーチームよりアプリリアのCRTマシンで参戦する。CRT勢のライダーでありながら、2013シーズンは複数回一桁順位で完走する等ワークスマシン勢を超える安定した成績を度々残し、CRTクラスでは2年連続トップとなる総合年間ランキング11位となり「CRT勢の雄」と称された。

2014[編集]

Forwardに在籍。アラゴンGPにて最高位2位を獲得。

2015[編集]

チームスズキ・エクスターへ移籍する。ファクトリチームへの在籍は初。カタルーニャGPにてPPを獲得。フランスGPではFP中の転倒により、レース後に右手親指の腱の手術を行なった。

2022[編集]

2004年シーズン以来のファクトリーチームとして参戦するアプリリア・レーシングから参戦。第3戦アルゼンチンGPではMotoGP出走回数200戦目にして、ポール・トゥ・ウィンを飾った[9]

戦績[編集]

  • 凡例
  • ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
シーズン クラス バイク 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 順位 ポイント
2004年 125cc ホンダ RSA SPA FRA ITA CAT NED BRA GER GBR CZE POR JPN QAT MAL AUS VAL
24
NC 0
2005年 SPA
14
POR
16
CHN
7
FRA
12
ITA
17
CAT
15
NED
Ret
--- GBR
Ret
GER
9
CZE
13
JPN
12
MAL
15
QAT
18
AUS
17
TUR
17
VAL
11
16位 36
2006年 SPA
Ret
QAT
17
TUR
21
CHN
16
FRA ITA
Ret
CAT
Ret
NC 0
250cc NED
15
GBR
12
GER
15
--- CZE
Ret
MAL
9
AUS
15
JPN
Ret
POR
13
VAL
13
19位 20
2007年 アプリリア QAT
11
SPA
Ret
TUR
11
CHN
11
FRA
18
ITA
12
CAT
20
GBR
Ret
NED
17
GER
11
--- CZE
13
SMR
12
POR
12
JPN
17
AUS
14
MAL
10
VAL
12
15位 47
2008年 QAT
9
SPA
9
POR
11
CHN
9
FRA
9
ITA
9
CAT
Ret
GBR
10
NED
17
GER
13
--- CZE
10
SMR
Ret
IND
C
JPN
7
AUS
8
MAL
5
VAL
7
12位 92
2009年 QAT JPN SPA FRA ITA CAT NED
4
--- GER
7
GBR CZE 17位 22
MotoGP ドゥカティ IND
13
SMR
11
POR AUS MAL
11
VAL
13
18位 16
2010年 QAT
Ret
SPA
15
FRA
9
ITA
8
GBR
10
NED
10
CAT
Ret
GER
Ret
USA
Ret
CZE
12
IND
9
SMR
11
ARA
10
JPN
14
MAL
Ret
AUS
8
POR
Ret
VAL
11
14位 65
2011年 Moto2 ポンス カレックス QAT
11
SPA
24
POR
Ret
FRA
6
CAT
3
GBR
18
NED
16
ITA
9
GER
Ret
--- CZE
6
IND
10
RSM
Ret
ARA
5
JPN
31
AUS
13
MAL
8
VAL
21
11位 76
2012年 MotoGP ART QAT
15
SPA
12
POR
12
FRA
13
CAT
13
GBR
11
NED
Ret
GER
13
ITA
13
USA
9
IND
10
CZE
10
RSM
Ret
ARA
10
JPN
12
MAL
8
AUS
10
VAL
11
12位 74
2013年 QAT
11
AME
11
SPA
9
FRA
13
ITA
8
CAT
8
NED
8
GER
8
USA
Ret
IND
12
CZE
10
GBR
10
RSM
13
ARA
11
MAL
9
AUS
11
JPN
Ret
VAL
11
11位 93
2014年 Forward QAT
4
AME
9
ARG
15
SPA
7
FRA
9
ITA
9
CAT
6
NED
4
GER
6
IND
Ret
CZE
8
GBR
9
RSM
Ret
ARA
2
JPN
11
AUS
Ret
MAL
Ret
VAL
7
7位 126
2015年 スズキ QAT
11
AME
8
ARG
7
SPA
7
FRA
Ret
ITA
Ret
CAT
Ret
NED
9
GER
10
IND
14
CZE
9
GBR
9
RSM
10
ARA
6
JPN
11
AUS
Ret
MAL
Ret
VAL
7
11位 105
2016年 QAT
11
ARG
11
AME
5
SPA
5
FRA
6
ITA
9
CAT
Ret
NED
Ret
GER
14
AUT
Ret
CZE
Ret
GBR
7
RSM
Ret
ARA
7
JPN
4
AUS
Ret
MAL
13
VAL
8
11位 93
2017年 アプリリア QAT
6
ARG
Ret
AME
17
SPA
9
FRA
Ret
ITA
Ret
CAT
Ret
NED
10
GER
7
CZE
8
AUT
13
GBR
Ret
RSM
Ret
ARA
6
JPN
7
AUS
Ret
MAL VAL
Ret
15位 62
2018年 QAT
19
ARG
Ret
AME
10
SPA
Ret
FRA
9
ITA
Ret
CAT
Ret
NED
13
GER
DNS
CZE
15
AUT
17
GBR
C
RSM
14
ARA
6
THA
13
JPN
Ret
AUS
9
MAL
11
VAL
Ret
17位 44
2019年 QAT
10
ARG
9
AME
Ret
SPA
11
FRA
12
ITA
11
CAT
Ret
NED
12
GER
Ret
CZE
18
AUT
14
GBR
Ret
RSM
12
ARA
7
THA
Ret
JPN
15
AUS
10
MAL
13
VAL
9
14位 63
2020年 SPA
Ret
ANC
Ret
CZE
10
AUT
11
STY
12
RSM
13
EMI
Ret
CAT
12
FRA
14
ARA
13
TER
Ret
EUR
Ret
VAL
9
POR
8
17位 42
2021年 QAT
7
DOH
10
POR
6
SPA
6
FRA
Ret
ITA
7
CAT
Ret
GER
7
NED
8
STY
Ret
AUT
8
GBR
3
ARA
4
RSM
8
AME
Ret
EMI
7
ALG
Ret
VAL
9
8位 120
2022年 QAT
4
INA
9
ARG
1
AME
11
POR
3
SPA
3
FRA
3
ITA
3
CAT
5
GER
4
NED
4
GBR
9
AUT
6
RSM
6
ARA
3
JPN
16
THA
11
AUS
9
MAL
10
VAL
Ret
4位 212
2023年 POR
9
ARG
15
AME
Ret
SPA
5
FRA
5
ITA
6
GER
16
NED
3
GBR
1
AUT
9
CAT
1
RSM
12
IND
Ret
JPN
5
INA
10
AUS
8
THA
8
MAL
Ret
QAT
Ret
VAL
8
6位 206

脚注[編集]

外部リンク[編集]