アパッチプロレス軍
アパッチプロレス軍(アパッチプロレスぐん)は、日本のプロレス団体。
概要
2002年3月、FMWの解散後、冬木弘道が新団体「WEW(ダブリュー・イー・ダブリュー、ワールド・エンターテイメント・レスリング)」を設立。その目的を冬木は「荒井(元FMW社長)の構想のなかにあった『WEWの名での新団体設立』を形にした」などとしていた。その冬木の死後、WEWは「冬木軍プロモーション(ふゆきぐんプロモーション)」[1]としてプロモーション化され、それに伴い元WEWの金村キンタローが筆頭たるユニット「アパッチプロレス軍(アパッチプロレスぐん)」を結成。冬木軍興行にてプロレスリングZERO-ONEとの対抗戦を行った後2004年に団体化。インディーの地位向上を目指してハードコアとデスマッチを中心にプロレスリングZERO1-MAXや大日本プロレスと相互に参戦し合う。
2009年、アパッチの活動を休止した。残された選手の大半はプロレスリングFREEDOMSを旗揚げ。
2010年12月、XWFとTEAM MAKEHENを母体としてアパッチプロレス軍が復活。
WEWの名はアパッチ管理のタイトルに残されている。
歴史
WEW - 冬木軍プロモーション
- 2002年3月、冬木弘道が中心となり、WEWを設立。
- 5月5日、川崎球場でWEW旗揚げ。
- 2003年3月19日、冬木が病死。
- 7月7日に社名を冬木軍プロモーションに改称。
- 2004年5月5日に川崎球場大会で最終興行をもって冬木軍を活動停止。
第1次アパッチプロレス軍
旗揚げ
- 2004年8月30日に後楽園ホールでアパッチプロレス軍の旗揚げ戦を開催。
- 2005年1月5日、金村キンタローが以前からインディー批判の長州力と対戦し敗れ、「負ければ長州の軍門に下る」という公約をめぐって金村はアパッチで孤立。長年に渡り、BADBOY非道が仕切っていたが後に和解。
- 12月、各選手のセルフプロデュース興行を実施。佐々木貴と葛西純は「金村と黒田体制からの脱却」という共通の目標が生まれ、「WEWヘビー奪還」を目標とするマンモス佐々木とも意見が一致。「新生アパッチ」と称した新体制の旗揚げを高らかに宣言。
- 2007年12月、選手と上層部の意見が対立し、後楽園ホール大会の発表、チケット発売が大幅に遅れてしまい、後楽園から撤退せざるを得なくなる。
活動停止
- 2008年2月18日、金村が参戦していた大日本プロレスの女性スタッフに猥褻行為を行っていた事件が公に発覚(詳しくは「大日本プロレス」を参照)。話し合いの結果、2月22日新木場1stRING大会をもって金村の無期限出場禁止(後に懲戒解雇処分)。並びにアパッチプロレス軍の無期限活動自粛を発表。
- 団体活動停止の間、アパッチファンのために4月17日に黒田哲広が5月16日に佐々木が、それぞれ自主興行を打ったが金村を擁護した折原昌夫が試合に出たため、批判を浴びた。
活動再開、解散
- 2008年6月、団体のロゴマークを一新して活動を再開。小幡優作、新宿鮫が退団して金村が旗揚げしたXWFへ合流。
- 新木場1stRINGでミスター雁之助を主将とする「FMWレジェンド軍」との抗争と、新たなデスマッチファイターの発掘を軸にして8月に解散したWMFの選手も一部受け入れながら活動するも観客動員数の低迷(100人を下回った大会も続出)や求心力の著しい低下など、金村の事件による影響は大きかった。
- 12月、運営会社のCF企画が団体運営から撤退したため、年内の活動停止が発表されたが葛西プロデュース興行にて佐々木を中心とした経営で活動継続を発表。
- 2009年5月、試合終了後、XWFの金村がリングへ乱入、会場が混乱状態となる。これは全くアングルもなかったため、不審者として会場からつまみ出される。金村と共に観戦していたのはプロレスリングZERO1の佐藤耕平とTEAM MAKEHENの橋本友彦で佐藤は後に会社から厳重注意され、謝罪コメントを出している。橋本は週プロモバイルにて金村と佐藤とは偶然居合わせたとコメントして謝罪。
- 6月26日新木場大会直前、「アパッチ」という名前を使うことが困難になったことを理由に8月の岩手県一関市大会を最後に活動を休止すると宣言して事実上解散が決定。
- 解散後は佐々木をはじめとした所属選手(黒田哲広、療養中のHi69とマンモス佐々木を除く)は、佐々木を中心に設立した新たなプロレス団体「プロレスリングFREEDOMS」の旗揚げに参加。
第2次アパッチプロレス軍
復活
- 2010年10月、金村がXWFを母体としてアパッチプロレス軍を復活させると発表。12月17日に新木場1stRINGにて再旗揚げ戦を行った。XWFの選手は小幡を除きアパッチプロレス軍へ移籍(小幡もフリーとして2012年のZERO1に入団まで常連参戦)し、第1次アパッチプロレス軍在籍時よりXWFにレギュラー参戦した黒田、橋本、小坂井寛も合流。事実上XWFとMAKEHENの合併という形での復活。以前からプロレスラー志望で大仁田厚自主興行にも参加していた俳優の脇知弘が入団。
- 出場選手が少ないためか、1回の興行に2試合組まれている選手がでるなどしている(金村も復活興行で第1試合とメインの2試合に出場)。また自前の道場を持たず、練習は主にZERO1道場を借りている。
- 2011年5月21日、力丸(本名:井上貴昭)がデビュー。
- 6月、力丸が練習中に意識不明となり病院に搬送される。急性硬膜下血腫と診断。
- 7月13日、都内病院にて肺動脈血栓塞症のため死去。
- 第2次旗揚げ以降の興行は新木場1stRINGを常打ちとして使用していたが2012年以降は会場及び日程変更が相次ぎ、TAKESHIBAコロシアムと西調布格闘技アリーナを転々としている。2013年は大阪大会の会場まで変更された。
- 2012年12月22日、フリーの西村賢吾がアパッチプロレス軍所属選手全員の契約書を盗んだため、12月25日、無期限出場停止処分となった。
- 2013年3月30日、西調布大会を最後に長らく興行は開かれておらず、3月限りで公式モバイルサイトは終了し、4月29日限りでPC版公式サイトも更新停止。
- 7月14日、3ヶ月ぶりの興行を若獅子会館で開催。
ルール
2009年1月の新体制発足と共に制定されたが第2次アパッチプロレス軍では行われていない。
- アパッチルール
- 場外カウントなし
- 決着はリング内のみ
- レフェリーが特に危険とみなさない限り、あらゆる反則、凶器攻撃が許可される。
- アパッチ式デスマッチルール
- レフェリーが特に危険とみなした反則、凶器攻撃も全て許可される。
タイトルホルダー
タイトル | 保持者 | 歴代 | 防衛回数 | 次期挑戦者 |
---|---|---|---|---|
WEWヘビー級王座 | 金本浩二 | 第13代 | ||
WEWタッグ王座 | MIKAMI&美月凛音 | 第21代 | 1 |
所属選手
スタッフ
レフェリー
リングアナウンサー
ゼネラルマネージャー
過去の所属選手、スタッフ
- 第1次
- 第1次解散後にプロレスリングFREEDOMSを設立
- 第2次
故人
脚注
- ^ 正確には「冬木軍プロモーション」としては“再旗揚げ”となる。