アネット・ペッチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
アネット・ペッチ
Anett PÖTZSCH
フィギュアスケート選手
1979年ブラオエン・シュベルター杯でのアネット・ペッチ
生誕 (1960-09-03) 1960年9月3日(63歳)
カール=マルクス=シュタット
選手情報
代表国 東ドイツの旗 東ドイツ
引退 1980年
獲得メダル
フィギュアスケート
オリンピック
1980 レークプラシッド 女子シングル
世界選手権
1977 東京 女子シングル
1978 オタワ 女子シングル
1979 ウィーン 女子シングル
1980 ドルトムント 女子シングル
欧州選手権
1975 コペンハーゲン 女子シングル
1976 ジュネーヴ 女子シングル
1977 ヘルシンキ 女子シングル
1978 ストラスブール 女子シングル
1979 ザグレブ 女子シングル
1980 イエテボリ 女子シングル

アネット・ペッチAnett Pötzsch1960年9月3日 - )は、旧東ドイツ出身の女性フィギュアスケート選手で、現在はフィギュアスケートコーチ兼国際スケート連盟公認の技術審判員。1980年レークプラシッドオリンピック女子シングル金メダリスト。1978年、1980年世界フィギュアスケート選手権優勝。

2006年ドイツ選手権のアネット・ペッチ

経歴[編集]

1960年6月3日、旧東ドイツカール=マルクス=シュタット(現在のケムニッツ)で生まれる。

ユッタ・ミュラーに師事し、1972-1973年シーズンから国際大会へ出場を果たした。1975年欧州選手権で初表彰台の3位となり、1976年インスブルックオリンピックではオリンピック初出場ながら4位入賞を果たした。

1977年欧州選手権では初優勝を飾り、以後1980年欧州選手権まで4連覇を達成する。世界選手権では1977年世界選手権でアメリカリンダ・フラチアニに次ぐ2位となったものの、翌1978年世界選手権ではリンダ・フラチアニを抑え初優勝を飾った。しかし、1979年世界選手権では再びリンダ・フラチアニに敗れ2位となる。

1980年レークプラシッドオリンピックでは、それまで世界選手権で優勝を分け合ってきたリンダ・フラチアニとの対決に注目が集まった。アネット・ペッチは当時行われていたコンパルソリーフィギュアを得意としており、一方のリンダ・フラチアニはコンパルソリーフィギュアが苦手な反面、ショートプログラムフリースケーティングを得意としていた。勝負の行方はリンダ・フラチアニのコンパルソリーフィギュアでの出来と、アネット・ペッチのショートプログラムおよびフリースケーティングの出来に左右されていた。

オリンピックではアネット・ペッチがコンパルソリーフィギュアで1位、ショートプログラム4位、フリースケーティング3位、一方のリンダ・フラチアニはコンパルソリーフィギュアで3位、ショートプログラムで1位、フリースケーティングで2位となり、アネット・ペッチが僅かの差で金メダルを獲得した。これは東ドイツの選手がフィギュアスケート競技で初めて手にしたオリンピックの金メダルでもあった。オリンピック後に引退。

引退後はケムニッツでコーチとして活動し、現在は国際スケート連盟のテクニカル審判員としても活躍している。私生活では、カタリナ・ヴィットの兄であるアクセル・ヴィットと結婚。のちに離婚したものの2人の子であるクラウディア・ラウシェンバッハはペアスケート選手として活動し、ロビン・ゾルコーヴィとペアを組み2001年ドイツ選手権で優勝した。

主な戦績[編集]

大会/年 1972-73 1973-74 1974-75 1975-76 1976-77 1977-78 1978-79 1979-80
オリンピック 4 1
世界選手権 14 11 8 4 2 1 2 1
欧州選手権 8 7 3 2 1 1 1 1
東ドイツ選手権 3 2 2 1 1 1 1 1

外部リンク[編集]