アトサヌプリ

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アトサヌプリ
弟子屈町摩周第3展望台から見たアトサヌプリ(中央)とマクワンチサップ(右)
弟子屈町摩周第3展望台から見たアトサヌプリ(中央)とマクワンチサップ(右)
標高 512 m
所在地 日本の旗 日本 北海道
釧路総合振興局川上郡弟子屈町
位置 北緯43度36分37秒 東経144度26分19秒 / 北緯43.61028度 東経144.43861度 / 43.61028; 144.43861座標: 北緯43度36分37秒 東経144度26分19秒 / 北緯43.61028度 東経144.43861度 / 43.61028; 144.43861
種類 溶岩ドーム(活火山ランクC)
アトサヌプリの位置(日本内)
アトサヌプリ
アトサヌプリの位置
プロジェクト 山
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中央上にアトサヌプリ溶岩ドームとマクワンチサップ溶岩ドームとサワンチサップ溶岩ドーム
アトサヌプリ溶岩ドーム 酸性の火山噴出物の影響で周辺は丈の低いハイマツとイソツツジしか生えていない

アトサヌプリは、北海道弟子屈町にある第四紀火山である。標高は512m。活火山に指定されている。硫黄山(いおうざん)とも呼ばれる[1]

硫黄山の名は、狭義には明治年間にアトサヌプリの麓にあった硫黄鉱山のみを指すことがある。当山付近をさす地名には「跡佐登」の字を用いる。

山名の由来

アトサヌプリの名は、アイヌ語の「アトゥサ」(atusa, 裸である)と「ヌプリ」(nupuri, 山)に由来する。つまり「裸の山」の意である。アイヌ語研究者で自身もアイヌであった知里真志保によれば、北海道、南千島において、熔岩や硫黄に覆われた火山を、アイヌは atusa-nupuri と呼んだ[2]

火山の歴史

アトサヌプリは屈斜路カルデラの中に存在する活火山で、屈斜路カルデラの最後の大噴火(約3万年前)以後に生成した後カルデラ火山に相当する。狭義のアトサヌプリは写真の中央に見える溶岩ドームを指すが、火山学的には隣にあるマクワンチサップなどの周辺の溶岩ドームと直径約4kmの小カルデラを含むアトサヌプリ火山群として定義される。

3万年前以後の活動で一旦成層火山を形成し、その後火砕流を伴う噴火で直径約4 kmの小カルデラができた。カルデラ内にマクワンチサップ(573 m)、サワンチサップなどの溶岩ドームができた後、最後に1,500年前以後の火山活動でアトサヌプリ溶岩ドームが完成した。最近の噴火は数百年前に起こったもので、このときの噴火で爆裂火口「熊落とし」ができた[3][4]。現在[いつ?]アトサヌプリ火山群は活動度の低い「ランクC」の火山と認定されている。

火山噴火予知連絡会によって火山防災のために監視・観測体制の充実等の必要がある火山に選定されている[5]。気象庁の火山性微動や噴火に伴う空気の振動等を観測するための地震計や空振計が設置されている[1]

特徴

地質は安山岩およびデイサイト流紋岩。サワンチサッブ、マクワンチサップなどの溶岩ドーム群からなる。噴気活動は活発で大規模に噴出ガスを排出し、山体のあちこちから火山ガスが噴出している。数箇所の噴気孔では業者が卵を加熱しており、観光客に販売している。

火山から出る硫黄成分のため山麓周辺部の土壌は酸性化しており、一般に広く見られるエゾマツトドマツなどが生育できない。荒地に適応したハイマツと、酸性土壌を好むイソツツジが優勢であり、7月初旬にはイソツツジ群落の一斉開花が見られる。一部にはコケモモガンコウランなどの高山植物も見られ、日本でも最も標高の低い場所にある高山植物帯となっている。また、地熱が高い部分は冬でも雪が積もることがない。川湯温泉の硫黄泉はアトサヌプリを起源としている。

硫黄鉱山

アトサヌプリの硫黄鉱山は、明治時代士族反乱西南戦争等)における国事犯収容施設(集治監)の建設、北海道開拓の停滞を打破したい開拓使の方針、安田財閥による鉱山開発の意向など様々な思惑が結びついて開発されたものである。鉱山としての命脈はわずかな期間であったが、集治監の設置や鉄道の建設などを通じ行われたインフラの整備は、後の釧路地方開発の礎となった。採掘した鉱石の積み出しは、アトサヌプリの東麓に敷設された鉄道により行われた。

歴史

  • 1876年 釧路市の網元佐野孫右衛門が開発に着手するも頓挫し、権利は函館の銀行家(山田銀行)の手を経て安田財閥へ移る。
  • 1884年 標茶町釧路集治監を設置。収容者による鉱山開発が活発化する。
  • 1886年 標茶町と鉱山の間に安田鉱山鉄道の敷設を着手、同年中に完成。後に釧路鉄道として鉱石輸送が始まる。
  • 1890年頃 硫化水素中毒による斃死(へいし)者が増え、看守も含めて200人近くが倒れたことから労働環境が問題となる。
  • 1896年 集治監の収容者による鉱山労働を中止。
  • 1897年 資源枯渇のため採掘を中止。
  • 1931年 跡佐登鉱業株式会社設立。操業再開。
  • 1944年 企業整備令により休山。
  • 1951年 跡佐登鉱業、野村鉱業野村財閥系列。旧イトムカ鉱山を経営)の子会社となり、同社の支援のもとに再開。昭和30年代まで操業。

観光

山麓の噴気孔
アトサヌプリ周辺の空中写真。画像右(東側)には釧網本線川湯温泉駅が見える。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。1977年撮影の2枚を合成作成。

2007年現在、落石事故の発生により、山頂付近への立ち入りが禁止となっている。

山麓には、アトサヌプリ周辺の自然、ならびに明治時代の硫黄採掘の歴史などについて、パネルや各種資料を通じて展示・解説するビジターセンター(通称:硫黄山ネイチャーホール。飲食店、土産物店が入居するレストハウスを兼営)が設置され、噴気孔などが観察できる観光スポットとなっている。噴気孔付近には、噴気孔から出る熱で蒸した温泉卵を販売する露店がある。この露店は、一代限りの営業許可を得た者によって営まれているが、1985年頃から暴力団関係者が無許可で営業する例が確認されている[6]

ギャラリー

脚注

関連項目

外部リンク