アシックス
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | |
本社所在地 |
日本 〒650-8555 神戸市中央区港島中町7丁目1-1 |
設立 |
1977年7月21日 (中央産業株式会社)(注1) |
業種 | その他製品 |
法人番号 | 8140001005877 |
事業内容 | スポーツシューズ、用品の製造販売 |
代表者 |
代表取締役会長CEO 尾山基 代表取締役社長COO 廣田康人 |
資本金 | 239億72百万円 |
発行済株式総数 | 1億9996万2千株 |
売上高 |
連結:4001億57百万円 (2017年12月期) |
営業利益 |
連結:195億71百万円 (2017年12月期) |
純利益 |
連結:129億70百万円 (2017年12月期) |
純資産 |
連結:2013億2百万円 (2017年12月期) |
総資産 |
連結:3482億32百万円 (2017年12月期) |
従業員数 |
連結:8586人 (2017年12月31日現在) |
決算期 | 12月末日 |
主要株主 |
日本マスタートラスト信託銀行(信託口) 6.61% 日本トラスティ・サービス信託銀行(信託口) 5.00% 三菱UFJ銀行 4.16% 三井住友銀行 3.50% 日本生命保険 3.01% (2018年12月31日現在[1]) |
主要子会社 | 関連会社参照 |
関係する人物 | 鬼塚喜八郎(創業者) |
外部リンク | https://www.asics.com/jp/ja-jp/ |
特記事項:注1:1963年6月1日に(旧)オニツカ株式会社を株式額面変更目的で吸収合併。当社の事業のルーツは、(旧)オニツカ株式会社に1958年に合併された「鬼塚株式会社」(1949年9月1日設立)。 |
株式会社アシックス(英: ASICS Corporation)は、兵庫県神戸市中央区に本社を置く、日本の大手総合スポーツ用品メーカーである。
概要
アシックス(ASICS)のブランドで競技用シューズやスニーカー、アスレチックウェアなどを製造、販売する。スポーツシューズに強みを持ち、とりわけマラソン競技、バレーボールなどでは高いブランド力を持つ。
現在では国内の同業界内で、売上高一位を誇り、業界屈指の総合スポーツ用品企業の座に君臨する。
海外売上は年々拡大しており、2015年には海外売上比率76%を達成する等、グローバル企業として高い知名度を誇る。
ブランドコンサルティング会社インターブランドが発表した、日本発のグローバル・ブランド価値評価ランキング「Japan’s Best Global Brands 2016」では、17位に選出された。
アシックスに社名・商標を変更する以前のブランドであるオニツカタイガー(en)は、レトロな雰囲気からファッションアイテムとしての人気を呼び、現在では再び一般向けシューズのブランドとして製造販売されている。また1980年代や1990年代にスポーツシューズの代名詞として使われたアシックスタイガーも2015年に復活し、当時使われたハイテク素材に加えファッション製の高さで人気を集める。
海外にも進出しており、オニツカタイガーが、特に欧米とタイ[2]で人気を集めている。シューズの他、スポーツウェア、アウトドア用品等の製造販売、輸入等も行っている。
東京五輪が開催される2020年末まで、国内最高位スポンサーである「ゴールドパートナー」の契約を東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会と結んだ。
2015年3月期の連結売上構成はスポーツシューズ81%、スポーツウエア14%、スポーツ用品5%となっている。
1980年代にはサイクルウェア(レーサージャージやツーリング用シューズ)も手がけていたがのちに撤退。
社名の由来
社名の由来は、前身となる鬼塚商会起業のきっかけとなった、古代ローマの作家ユウェナリスが唱えた「健全なる精神は健全なる身体にこそ宿るべし (ラテン語: Mens Sana in Corpore Sano)」という言葉から着想を得ている。Mens(才知、精神)をAnima(生命)に置き換え、「Anima Sana in Corpore Sano」の各文字の頭文字A・S・I・C・Sを並べたものである[3]。
1977年(昭和52年)の合併時に、3社の代表が集まる際に足が6本ある(人が3人)から「アシックス」(脚 six)になったという説や[4]、「足」と「靴」で「アシクツ」→「アシックス」になった、という説があるが、事実ではない(合併前からアシックスというブランド名は存在していた)。
沿革
鬼塚喜八郎が1949年(昭和24年)に神戸で興した鬼塚商会[5]がバスケットシューズの製造販売をしたことに始まる。その年9月に法人組織の鬼塚株式会社とした。
鬼塚は選手や監督に直接意見を聞き、シューズの改良を進めながら全国を営業して歩き、高校の運動部を中心に徐々にオニツカの製品が売れていった。鬼塚は、シューズのブランドを、新鮮で印象に残り、スポーツシューズにふさわしい強さと敏捷性を表すものとして「虎印」とした。虎印の商標権はすでに他社に取得されていたため[6]、鬼塚と組み合わせて「ONITUKA TIGER」印を横につけ、虎の絵の下にTigerの文字を入れたマークを靴底につけた。
- 1953年(昭和28年)、マラソンシューズの開発を開始。1959年には靴底に針ほどの小さな穴を開け、空気と熱を外に逃がすエアーベント式を開発しマラソンランナーにとって最大の敵だった足のマメができにくい魔法の靴として絶賛されたマジックランナーを発売。
- 1956年(昭和31年)、オニツカタイガーがメルボルンオリンピック日本選手団用のトレーニングシューズとして正式採用され、スポーツ界での知名度はさらに高まった。
- 1958年(昭和33年)、生産子会社のオニツカ株式会社が存続会社となり、鬼塚株式会社、販売子会社の東京鬼塚株式会社を合併。
- 1961年(昭和36年)、毎日マラソン出場のために来日したアベベ・ビキラを鬼塚はホテルまで訪問し「裸足と同じぐらい軽い靴を提供するからぜひ履いてくれ」と説得し、シューズを提供。アベベはその靴を履いて毎日マラソンで優勝。1964年(昭和39年)の東京オリンピックでは、オニツカの靴を履いた選手が体操、レスリング、バレーボール、マラソンなどの競技で金メダル20個、銀メダル16個、銅メダル10個の合計46個を獲得[7]。
- 1963年(昭和38年)、当時休眠会社の中央産業株式会社が、オニツカ株式会社を吸収合併し「オニツカ株式会社」に商号変更(株式額面変更目的)。現在の株式会社アシックスは、この会社である。
- 1964年(昭和39年)、2月に神戸証券取引所、同4月には大阪証券取引所第2部に上場を果たすが、オリンピック景気の落ち込みに対し経営危機となり、1966年(昭和41年)には取引先に対し約束手形の支払を繰り延べてもらう事態も生じていたと後に鬼塚は語っている。またこの年、現在まで使用される「タイガーライン」が初めてシューズに装着された。
- 1966年(昭和41年)、それまではオリンピックごとに新たなオニツカマークを発表していたが、社内公募を経てこの年に「メキシコライン(現アシックスストライプ)」が採用された。以後はこのラインが定着し、ブランドを象徴するデザインとなる。
- 1972年(昭和47年)、5月に東京証券取引所第2部、1974年(昭和49年)には同1部に指定替えとなった。1975年(昭和50年)にヨーロッパ市場に進出。
- 1976年(昭和51年)、モントリオール・オリンピックにて5,000mでの優勝後、ミリ単位でソールの微調整を依頼し10,000mでも金メダルを獲得したフィンランド代表のラッセ・ビレン選手が脱いだシューズに感謝するかのように両手に掲げてウイニングランを行い、この一件が世界各国で報じられ大きなPR効果をもたらした。
- 1977年(昭和52年)、自社の不足部分を補うため、スポーツウェア・用具メーカーの株式会社ジィティオ、ニットウェアメーカーのジェレンク株式会社と合併し、社名を株式会社アシックスに変更、スポーツ用品総合メーカーとなった。
- 1985年(昭和60年)、神戸市のポートアイランドに地下1階から地上8階建て敷地面積6,600㎡の新本社ビルを建設。
- 1990年(平成2年)、アシックススポーツ工学研究所・人財開発センターが竣工。敷地面積は1万6,000㎡で、研究所内には陸上トラックやプールの他、二種類のテニスコートや実験用体育館など生体工学の見地からスポーツを研究する設備と約100人分の宿泊施設と各種研究施設を完備。黒岩守が入社。
- 2002年(平成14年)、アシックスの誕生と同時にワンブランド制が導入され封印されていたオニツカタイガーブランドが当時のトレンドだったレトロブームの過熱とファンの要望により復刻され再ブレイク。2003年公開の映画「キル・ビル」では主演のユマ・サーマンが劇中で着用しており、大きな話題を呼んだ。現在でも海外市場において重要なスポーツファッション分野を牽引している。
- 2007年(平成19年)、ブランドマークを現在のタイプに変更。2008年(平成20年)に世界統一のブランドスローガン「sound mind sound body(サウンド・マインド・サウンド・ボディ)」を制定し、2009年(平成21年)には創業60周年を迎えた。
- 同年2月、皇居前を走る一般ランナー達を中心にショップやシャワーなどの施設を提供し、正しいランニングの指導や最新計測機器による最適なシューズ選びのサポートを行うアシックスストア東京を銀座にオープン。店舗内では走行中の足の運びや三次元の足形計測が可能で、シューズのカスタムオーダーも出来るなど、これまでアシックスが蓄積したノウハウや最新技術の提供を受けられる。
- 2010年(平成22年)、スウェーデンの大手アウトドア用品メーカー「ホグロフス」を買収し子会社化[8]。
- 2013年(平成25年)にアシックスジャパン株式会社を設立して国内事業を移管し、アシックス関越販売などの販売子会社をアシックス販売株式会社に統合して、アシックスジャパン株式会社の100%子会社にした(2016年1月、アシックス販売はアシックスジャパンへ吸収合併)[9][10]。同年ブランドの再編が行われ、野球用品において長年結ばれていたローリングスとのライセンス契約を解消し、グラブ・バットなどの全野球用品を「アシックス」ブランドに統一し[11]、「タラスブルバ」[12]「ジェーンリバー」「メスカリート」等の自社アウトドアブランドの販売も終了した。
- 2014年(平成26年)、全国高等学校7人制ラグビーフットボール大会にアシックスカップとして冠協賛。
- 2015年(平成27年)、アシックスアパレル工業大牟田工場の経営権を帝人の子会社に譲渡[13]。
- 2017年より3年間、ワールドアスレティックス(IAAF)のオフィシャルパートナーとなる[14]。
- 2019年から2年間、F1のレッドブル・レーシング、スクーデリア・トロ・ロッソとパートナー契約を結び、ポロシャツ、パンツ、ジャケットなどを提供すると発表[15][16][17]。モータースポーツ業界におけるアシックスの認知度の向上を目的としている[15][16][17]。
ナイキとの関係
ナイキの前身であるブルーリボンスポーツ(BRS)社は、アメリカにおけるオニツカタイガーの販売代理店であった。スタンフォード大学で経済学を学んだ後、1963年(昭和38年)に卒業旅行で日本に立ち寄ったBRSの共同創業者フィル・ナイトがオニツカシューズの品質の高さと価格の安さに感銘を受け、すぐさまオニツカ社を訪ね、アメリカでのオニツカシューズの販売を嘆願した。その後、オレゴン大学の陸上コーチであったビル・バウワーマンと共同でBRSを設立し、オニツカの輸入販売代理業務を開始した。
アメリカ西海岸地域を中心に販売は好調であったが、その後BRSはナイキブランドを創設。初期のナイキシューズ(コルテッツ等)は日本製のものがほとんどだが、これらはオニツカ社から技術者の引き抜きなどを行い、福岡のアサヒコーポレーションで生産されたものであり、事実上ライバルメーカーへの仕入の切り替えであった。その後、オニツカ側がバウワーマンが考案したデザインやモデル名をそのまま使用し続けたためにBRS社から訴訟を提起され、和解金として1億数千万円が支払われた[18]。
水着
アシックスは自社で水着など水泳用品も積極的に手がけており、日本水泳連盟から代表選手のための各種用品を提供するオフィシャルサプライヤー企業の一社に指定されている。
もともとはイタリアのディアナ社と提携関係にあり、競泳用もディアナブランドで出していたが、1980年代以降順次自社ブランドに切り替えた。しかし、SPEEDOと袂を分かったミズノとは異なり、ディアナ社との関係は完全に解消したわけではなく、ファッション性も重視される女性向けフィットネス用の分野では現在もディアナブランドで商品が発売されている。
日本のメーカーだけに特にアジア人の身体的特徴に合った水着開発能力が評価されており、中国などアジア圏では一定のシェアを誇る。専門の社員選手がいるというわけではないが、背泳ぎの中村礼子(東京スイミングセンター)と各種サポート契約を結んでおり、中村も商品開発に一定の協力を行っている。
主な商品(一部ブランドのみ)
- ターサー - ランニングシューズ
- スカイセンサー - ランニングシューズ
- フリークス - ランニングシューズ
- マラソン80 - ランニングシューズ
- タイガーパウ - 陸上競技用スパイク
- マラップ - マラソン用軽量シューズ
- マラソンソーティ - マラソン用軽量シューズ
- CALCETTO(カルチェット) - フットサルシューズ
- DESTAQUE(デスタッキ) - フットサルシューズ
- ローテ・GELALTA(ゲルアルタ) - バレーボールシューズ
- SKY HAND(スカイハンド) - ハンドボールシューズ
- フィーノ・プレステージライト - テニスシューズ
- バード・ラッシング - バドミントンシューズ
- GELBURST・GELTRIAX・GELZONE・GELHOOPDUO - バスケットボールシューズ
- TIGRE(ティグレ)シリーズ、DS-LIGHTシリーズ、インジェクター、シャペ - サッカーシューズ
- タイガーラグ - ラグビーシューズ
- ミサイル - アメフト用シューズ
- GELSTATES - ゴルフシューズ
- パーフェクトプロ - ボウリングシューズ
- アタック - 卓球シューズ
- G-Ⅱ TREKKING - トレッキングブーツ
- ワークアウト - フィットネス、エアロビクス用シューズ
- オーダーコンポ - オリジナルユニフォーム作成システム
なお、前述のとおり野球用品はグラブの一流ブランド、米ローリングス社と2012年まで提携[19]していた。
- オニツカタイガー - 「オニツカ」時代の主力スポーツシューズ。現在は60-70年代をイメージしたシューズ、バッグ、アパレルなどを展開。
- アシックスタイガー - 80年代-90年代に主力だったスポーツシューズ。2015年にブランド復活、「asics」ロゴも当時のものが使われている。
- ホグロフス - スウェーデン生まれのアウトドアブランド。2010年からアシックスの傘下に。
- SEED - 自然環境を配慮したシューズ。
- WHIZZER
- CHIMERA
- SALUTIS(サルティス) - フィットネスウォーキング用シューズ
- GIRO(ジーロ) - ウォーキング用オシャレ靴
- PEDALA(ペダラ) - ウォーキング用シューズ
- WALLAGE(ワラッジ) - ウォーキング用ビジネスシューズ
- TARAS BOULBA(タラスブルバ)[20] - アウトドア・ライフスタイル・ウェア
- BUMDEEP(バムディープ) - スノーボードウェア
- スクスク・ワンテン - (キッズ用スニーカー)
- ナースウォーカー - (看護士用スニーカー)
- はだしウォーカー - (ウォーキング用シューズ、ショップ・マニフィカ(旧住商ホームショッピング)通販限定))
- ウィンジョブ - 安全靴(ワーキングシューズ)
- Runwalk - (走れるビジネスシューズ)
他にエアボーンなどと提携している。
陸上競技 及び長距離種目、マラソン、駅伝競走用ブランドとして金剛力士像や歌舞伎の隈取といった和柄、あるいはギリシャ神話のケーリュケイオンを用いた GONA (Great Originality of Noble Athlete の略。1987年から2000年代半ば頃まで存続) 、さらにはトレーニングウェア用ブランド∂BEZAが在り、 ユーザーにも好評だったにも関わらず、終了している。これらの復活を待望しているファンは存在する。
主な契約選手
- ゴルフ - 片山晋呉
- サッカー -フランコ・バレージ、ジャンルカ・ヴィアリ、アルバロ・レコバ、 アンドレス・イニエスタ[21]、乾貴士、 小野伸二、川口能活、京川舞、三都主アレサンドロ、谷口博之
- 水泳 - 今井月[22]、鈴木聡美[23]、中西悠子、萩原智子
- スケートボード - 中村貴咲[24]
- 体操競技 - 内村航平
- 卓球 - 石川佳純、四元奈生美
- テニス - ノバク・ジョコビッチ(シューズのみの契約[25])、ガエル・モンフィス、スティーブ・ジョンソン、ダビド・ゴフィン、バセク・ポシュピシル、杉山愛
- トレイルランニング - 荒木宏太[26]、グザビエ・テベナール[27]
- バスケットボール - 岡田優介、佐古賢一、篠山竜青[28]、渡嘉敷来夢[29]
- バレーボール - 宇佐美大輔、清水邦広、福澤達哉、柳田将洋
- ボクシング - 長谷川穂積、黒木優子
- 野球 - イチロー(シューズ、スパイクは2003年モデルまでは神戸・高塚台のアシックス工学研究所、2004年以降は鳥取・境港の山陰アシックス工業で2014年まで製造、2015年以降は他社に変更。エルボーガード、アンダーシャツおよびアンダーソックス)、赤田将吾、糸井嘉男、井端弘和、今岡誠、岩瀬仁紀、金本知憲、川﨑宗則、工藤公康、高橋由伸、英智、福留孝介、藤川球児(いずれもスパイクのみ)、井口資仁、今江敏晃、大谷翔平、小坂誠、鈴木尚広、田中広輔、鈴木誠也、ダルビッシュ有、平野佳寿[30]、前田智徳、丸佳浩、涌井秀章
- ラグビー - アニセ・サムエラ、アマナキ・レレィ・マフィ、カーン・ヘスケス、トンプソン・ルーク、三上正貴、ラファエレティモシー、リーチ・マイケル[31]、レメキ・ロマノ・ラヴァ
- 陸上競技 - 井上大仁[32]、川内優輝[33]、桐生祥秀、佐藤敦之、末續慎吾[34]、醍醐直幸、有森裕子、大櫛エリカ、岡田久美子、渋井陽子、すみれ、高橋尚子、土佐礼子、中村友梨香、野口みずき、福島千里、藤永佳子
- レスリング - 伊調馨[35]
ユニフォームサプライチーム
陸上
クリケット
ラグビー
野球
サッカー
バスケットボール
バレーボール
- 男子日本代表チーム
- デンソー・エアリービーズ
- 東レ・アローズ (男子)
- パイオニアレッドウィングス
- JTサンダーズ広島
- JTマーヴェラス
- サントリーサンバーズ
- パナソニック・パンサーズ
- 豊田合成トレフェルサ
- 大分三好ヴァイセアドラー
- 日立リヴァーレ
- バレーボールイタリア男子代表
- バレーボールイタリア女子代表
- バレーボールドイツ男子代表
- バレーボールドイツ女子代表
- Molico/ネスレ-オザスコ
ハンドボール
フットサル
アメリカンフットボール
研究機関
- アシックス スポーツ工学研究所 - 1985年(昭和60年)設立
訴訟問題
育児休暇を取得した男性社員に対して上司や同僚がマタニティ・ハラスメント(具体的には無視や暴言、いわゆるパワハラ)をした上、復職初日に子会社へ出向命令を出し、育児休暇取得に対する制裁人事であるとして慰謝料440万円を求め、男性社員に提訴される。それに対して、アシックス側は「訴状が届いていないので、当社社員の主張についてのコメントは差し控えたい。これまで当社社員の代理人弁護士や、社外の複数の労働組合も交えて順次、誠実に交渉を続けてきたが、最終的な解決に至らずに残念だ。当社としては今後、裁判の中で事実を明らかにしていきたい」とコメントをした。 男性は2011年に同社に入社し、2013年に人事部に配属されたが、上司の飲酒運転や先輩社員の暴力について会社側に通報したことなどを契機に嫌がらせが始まり、本来の業務をさせなかったり、専門外の業務ができないことを理由に懲戒処分にするという種類のパワハラを受けたと男性側は主張している。 そして、1回目の育児休暇を出す際に、部長に相談を行うと「奥さんが働かないといけないのか」と言及し、その後無視が始まった。1回目の復職後(2016年)茨城県にある倉庫での勤務となる「アシックス物流」に半月後に出向するよう命じられたという。なお、出向を命じられた日に社内の労働組合に相談したものの、「与えられた環境で頑張ってください」と言われ、交渉してもらえなかったと明かしている。また、東京労働局に「出向は育児介護休業法違反のパタハラに当たる」と訴えるが、同局は法律違反とはいいがたいと判断したという。出向後、商品の入った段ボールの荷降ろしや検品など、肉体労働に従事することになり、1週間後に肩を痛めており、通院を余儀なくされてしまった。男性と弁護士は出向命令解除を求めたことで2016年11月に東京支社に配転となり、元の人事部に配属された。しかし、人事部では英訳など専門外の業務を求められ、会社側は男性を業務命令に従わなかったとして譴責・減給の処分とした。その後、第二子の誕生により、再び育児休暇を取る。2回目の復職後(2019年3月)は、再び人事部で英訳をし、さらに、男性1人のみが配属された障害者雇用プロジェクトに放置されることとなったが、仕事を終えても上司からの指示がない状態が続いたと言う。なお、18年に個人で加入できる社外の労組に加盟して会社と交渉してきたが満足いく回答を得られず、提訴に踏み切ったという。男性は「暗いトンネルを進んでいるような気分だった。会社はこの事件を正面から受け止めてほしい」と話した。
関連会社
日本
- アシックスジャパン株式会社[36](東京都江東区)
- アシックスキャピタル株式会社[36](神戸市中央区)
- アシックスアパレル工業[36](福井県越前市)(スポーツウエア等の製造)
- 山陰アシックス工業[36](鳥取県境港市)(スポーツシューズ等の製造)
- アシックス商事[36](神戸市須磨区)(シューズ製品の製造・販売、物資の販売・輸出入)
- 株式会社ニシ・スポーツ[36](東京都江東区)
世界
- アシックスアメリカコーポレーション(アメリカ カリフォルニア州アーバイン)
- アシックスブラジルリミターダ(ブラジル サンパウロ)
- アシックスヨーロッパB.V.(オランダ 北ホラント州ハーレマーメール郡ホーフトドルプ)
- アシックスドイチェラントGmbH(ドイツ ノルトライン=ヴェストファーレン州ノイス)
- アシックスフランスS.A.S(フランス エロー県モギオ)
- アシックスUKリミテッド(イギリス チェルシー)
- アシックスオセアニアPTY.LTD(オーストラリア ニューサウスウェールズ州)
- アシックスイタリアS.p.A.(イタリア ピエモンテ州クーネオ)
- アシックスアジアPTE.LTD.(シンガポール)
- アシックスコリアコーポレーション(韓国 ソウル)
- 亞瑟士(中国)商貿有限公司(中国 上海)
通信販売
脚注
- ^ 有価証券報告書(第65期)
- ^ “タイ人に大人気の「オニツカタイガー」、その理由は王様にあり【TVウォッチング】”. タイランドハイパーリンクス (2015年9月16日). 2017年6月26日閲覧。
- ^ アシックス公式サイト
- ^ 鬼塚喜八郎も『「三人のオーナーが集まって足が六本、アシックス」といわれたのには参った。』と著書「私の履歴書」に書いている。
- ^ この当時から社名の読みは「おにつか」であり、「おにづか」とは濁らない。
- ^ 後の1957年(昭和32年)に商標権を譲り受けている。
- ^ 但しマラソン優勝のアベベは、このときはプーマを履いていた
- ^ アシックス、スウェーデンアウトドア大手ホグロフス買収 Fashionsnap.com、2010年7月13日。
- ^ “沿革”. 株式会社アシックス. 2015年8月19日閲覧。
- ^ “国内のグループ組織再編(吸収分割および吸収合併)に関するお知らせ”. 株式会社アシックス (2012年7月19日). 2015年8月19日閲覧。
- ^ “野球用品「ローリングス」との契約終了 アシックス”. 日本経済新聞 (2012年6月18日). 2015年8月19日閲覧。
- ^ “お客さまへの重要なお知らせ アウトドア商品販売終了に伴う修理対応についてのお知らせ”. 株式会社アシックス (2013年6月24日). 2015年8月19日閲覧。
- ^ “アシックス、工場を譲渡 帝人子会社に”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 朝刊 9面. (2015年11月19日)
- ^ IAAF AND ASICS ANNOUNCE NEW PARTNERSHIP - 国際陸上競技連盟公式HP(英語)、2016年12月3日
- ^ a b “アシックスジャパンとホンダF1がパートナー契約を締結。ウエアやシューズの提供へ”. www.as-web.jp. auto sport (2019年3月18日). 2019年3月18日閲覧。
- ^ a b “【ホンダF1】アシックスとパートナー契約を締結…スタッフがウェアやシューズを着用”. レスポンス(Response.jp). レスポンス (2019年3月18日). 2019年3月18日閲覧。
- ^ a b “アシックス、ホンダF1とパートナーに。ウエア・シューズを提供”. jp.motorsport.com. motorsport.com日本版 (2019年3月18日). 2019年3月18日閲覧。
- ^ 出典:1990年7月24日 日本経済新聞『私の履歴書 鬼塚喜八郎』
- ^ 合併前は株式会社ジィティオが国内代理店となっていた。
- ^ アウトドア商品(TARAS BOULBA)は2013年に終了した。
- ^ 「ヴィッセル神戸」のアンドレス イニエスタ選手とアドバイザリースタッフ契約を締結
- ^ Meet the Athlete vol.8 今井 月 2018年02月21日
- ^ Meet the Athlete vol.7 鈴木聡美 2018年02月05日
- ^ プロスケートボーダーの中村貴咲選手とアドバイザリースタッフ契約を締結
- ^ 男子プロテニスプレーヤー ノバク・ジョコビッチ選手とアドバイザリースタッフ契約を締結
- ^ Meet the Athlete vol.10 荒木宏太 2018年08月10日
- ^ MEET THE ATHLETE VOL.16 グザビエ・テベナール2019年05月31日
- ^ Meet the Athlete vol.4 篠山竜青 2017年09月30日
- ^ Meet the Athlete vol.5 渡嘉敷来夢 2017年12月22日
- ^ 米国MLBアリゾナ・ダイヤモンドバックス (Arizona Diamondbacks) 平野佳寿選手とアドバイザリースタッフ契約を締結
- ^ MEET THE ATHLETE VOL.15 リーチ・マイケル 2019年03月27日
- ^ MEET THE ATHLETE VOL.14 井上大仁 2018年12月26日
- ^ 川内優輝選手とアドバイザリースタッフ契約を締結
- ^ 陸上競技短距離の末續慎吾選手とアドバイザリースタッフ契約を締結
- ^ Meet the Athlete vol.1 伊調馨(ALSOK) 2017年08月04日
- ^ a b c d e f “会社概要 国内関係会社”. 株式会社アシックス. 2018年3月31日閲覧。
外部リンク
- アシックス
- ASICS Japan (@ASICS_JP) - X(旧Twitter)
- アシックス (ASICSJapan) - Facebook
- ASICS JAPAN (@asics_japan) - Instagram
- ASICS Japan - YouTubeチャンネル