アイドル
アイドルとは、「偶像」「崇拝される人や物」「あこがれの的」「熱狂的なファンをもつ人」「人気者」を意味する英語に由来し[1]、文化に応じて様々に定義される語である。
概説
日本の芸能界における「アイドル」とは、成長過程をファンと共有し、存在そのものの魅力で活躍する人物を指す[2]。キャラクター性を全面に打ち出し、歌・演技・お笑いなど幅広いジャンルで活動を展開しやすいのが特色である[2]。
“存在そのものの魅力”よりも“音楽的スキル”が主たる職業能力である場合には、「アイドル」には分類されず「アーティスト」や「ミュージシャン」などと呼ばれる。ただし本人や所属事務所などの意向により、どちらの立場をとるか決めることもでき、線引きはあいまいである。そのため本人が「アーティスト」と名乗っていても、「アイドル」に分類されることがある[3]。
かつての主流は20代でアイドルを辞め、アーティストや俳優(女優)などに転向することであったが、2000年代以降は様相が変わってきている。本人が30代以降になっても新たなチャレンジなどをし続ければ、“成長過程”や“存在そのものの魅力”が問われるアイドルという職業を継続することが可能であり、世間からもそれが認められるようになった[4]。
日本型「アイドル」の誕生まで
アイドル(idol)の本来の意味は、偶像、すなわち神や仏などの存在をかたどって造られた像で、かつ崇拝の対象となっているもののことである[5]。 この用語が転用され、20世紀前半のアメリカで「若い人気者」としての意味で使われ始めた。
1927年に「マイ・ブルーヘブン」をヒットさせた歌手のルディ・ヴァリーや、1940年代に「女学生のアイドル(bobby-soxer's idol)」と呼ばれて熱狂的な人気を生んだフランク・シナトラらがidolと呼ばれ始め[6]、デビュー時のエルヴィス・プレスリー(1950年代)やビートルズ(1960年代)らは、日本でも「アイドル」として認知されていた[7]。
以上のような経緯によって、日本においては当初「アイドル」という言葉は、主に日本国外の芸能人を対象にした呼称として用いられ[8][9]、日本の人気芸能人は一般的に「スター」と呼ばれていた。テレビが普及していない時代における主力産業が映画だったことから、スターの大半は映画俳優であり、特に加山雄三、吉永小百合、浜田光夫らは「青春スター」と呼ばれた(東映ニューフェイスも参照)。女性においては美空ひばりや吉永小百合らの時代であり、そのひばりに江利チエミ、雪村いづみを加えた「三人娘」、あるいは、中尾ミエ、伊東ゆかり、園まりから成る「スパーク3人娘」らが人気を博した。
しかし1960年代には、産業としての映画の衰退、本格的なテレビ時代の到来、グループ・サウンズのブーム[10]が巻き起こる過程で、徐々に「スター」の呼称が使われなくなり、「アイドル」の呼称に取って代わられるようになった[11]。
1970年代に至り、未成熟な可愛らしさ・身近な親しみやすさなどに愛着を示す日本的な美意識を取り入れた独自の「アイドル」像が創造された[12]。また1968年に設立されたCBSソニー(現・ソニー・ミュージックエンタテインメント)が、それまでレコード会社が楽曲制作を自社の専属作家に任せていたのを、無所属の作家に開放したことが切っ掛けで、「アイドル歌謡」が隆盛するようになった[13]。
女性アイドル史
アイドル黎明期
1972年デビューのキャンディーズや新三人娘(小柳ルミ子・南沙織・天地真理)らがアイドルの源流とされる。
1970年代には『スター誕生!』や「ミスセブンティーンコンテスト」、「ホリプロタレントスカウトキャラバン」などの大規模なオーディションが相次いで開催されるようになり、森昌子、桜田淳子、山口百恵から成る「花の中三トリオ」やピンク・レディー(『スター誕生!』)、松田聖子や国生さゆり、工藤静香(「ミスセブンティーンコンテスト」)ら、後の人気アイドルを輩出した。小学館の学年別学習雑誌]]の表紙は、それ以前に子供の写真か子供を描いた水彩画が用いられていたのに対し、1970年代後半からアイドルの写真、いわゆる表紙グラビアになった。
アイドル全盛期
1980年代に入り、松田聖子・小泉今日子・中森明菜[14]ら若年層に向けたポップスを主とする歌手が活躍を始め、「アイドル」の呼称が市民権を得るようになった[15][16]。1980年の時点では松田のレコード売上は新人部門4位で、ニューミュージック勢が優勢であったが[16]、1982年に小泉と中森がデビューし、女性アイドルの黄金時代となった[17]。1980年代の後半には、工藤静香、中山美穂、南野陽子、浅香唯の4人が「アイドル四天王」と呼ばれた。
彼女らは、レコードリリースと歌番組を軸として活動しており、バラエティー番組出演や女優業などは、いわゆる「副業」という位置づけであった。シングルレコードは、おおよそ3か月程度で一枚を出すのが常で、とりわけデビュー前後においては、レコード会社及びプロダクションが最も力を注ぎ[18]、多大な宣伝効果を期待していた[19]。年度始めのデビューが多く、「豊作の82年組・85年組」「不作の83年組」など、年度単位でアイドルがカテゴライズされることもあった。
日本レコード大賞を筆頭に数々の賞を賭けた歌番組が80年代に勃興し、各賞を獲得することが当時のアイドルにとってのステータスであり、その激しさから「賞レース」などとも呼ばれた[20]。また、『ザ・ベストテン』『歌のトップテン』等のランキング番組は、その宣伝効果から、オリコンチャートに匹敵、むしろそれを上回る重要性さえ持っていた。
80年代アイドルは、基本はまず「歌うこと」が仕事のメインという前提があったが、「角川三姉妹」と呼ばれた薬師丸ひろ子、原田知世、渡辺典子のように女優業をメインとして、歌手業が副業的な場合もあった。歌番組出演は当時のアイドルの生命線でもあったが、このようなタイプのアイドルはむしろ乱発的に出演せず、最小限のテレビ出演に留め、映画公開と併せたプロモーション効果としてシングル曲を巧く利用していた。
コンサートやイベントなどでは、「親衛隊」と呼ばれる、事務所側から公認・支援を受けた全国的応援組織が複数存在した。
本来の「アイドル」の消滅
1980年代後半から、レコードの売り上げが頭打ちになる。『ベストテン』『トップテン』『夜のヒットスタジオ』などの生放送歌番組が相次いで打ち切りになり、日本レコード大賞などの権威も失墜。アイドルがアピールできる媒体が消滅していった。
一方で、フジテレビ『夕やけニャンニャン』から生まれたおニャン子クラブや、井森美幸、島崎和歌子、松本明子、森口博子、山瀬まみら、主にテレビのバラエティ番組で活動するバラエティーアイドル(略して「バラドル」)と呼ばれる存在が派生した。
かとうれいこ、細川ふみえ、C.C.ガールズら雑誌のグラビアを中心に活動した「グラビアアイドル」と呼ばれる存在も派生し、以降アイドルという存在が急速に多様化していった。
それまでのアイドルは一般的に歌手や俳優、グラビア写真モデルなど1人で様々な分野で活動し、“成長過程をファンと共有し、存在そのものの魅力で活躍する人物”を目指していた。しかし、素人同然の「バラエティーアイドル」やビジュアル重視の「グラビアアイドル」の出現により、人間的魅力と成長過程を追い求める「アイドル」という概念が崩壊。女性アイドルはそのファンも含めて、あまりいいイメージで捉えられなくなっていく。90年代初頭において、高橋由美子が「最後のアイドル」と呼ばれたのが象徴的事象であったように、アイドルそのものは存続していたが、本来の「アイドル」は、この時期に終焉を迎えたと言える[21]。
アイドル冬の時代
1990年代に入ると、歌手活動を中心とするアイドルはWink、CoCo、高橋由美子、東京パフォーマンスドールらの活動が見られたものの、テレビ歌番組の減少と共に「アイドル冬の時代」「アイドル氷河期」[22]を迎えた。
1990年代終盤、小室哲哉のプロデュースによる華原朋美や篠原涼子などのアイドル出身者(いわゆる小室ファミリー)、安室奈美恵やSPEEDなどの沖縄アクターズスクール出身者などがミリオンセラーを連発。アイドル的な存在が再びスポットを浴びたが、彼女らはアーティスト的要素を強く打ち出していたので、アイドルとはみなされない場合が多い。
2000年代前半にかけて、テレビ東京『ASAYAN』の企画でデビューしたモーニング娘。や鈴木あみ、松浦亜弥らが台頭した。これにより本来の「アイドル」が再興する予感をうかがわせたが、あくまでつんく♂プロデュースによるハロー!プロジェクトの一人勝ち状態で、邦楽界全体に波及しなかった点では、80年代の状況とは異なる。
グループアイドルの勃興
2000年代に入ると、ハロー!プロジェクトに℃-ute、Berryz工房らが加わり規模が拡大するとともに、グループからの「卒業」という概念が生み出された。これにより各アイドルグループは、メンバーを入れ替えながら存続を計ることが選択肢の一つとなった。
2005年には現在に人気が続くAKB48が結成され、2007年の紅白歌合戦に中川翔子、リア・ディゾンと共に「アキバ系アイドル」枠で出場した[23][24]。
アイドルはソロよりもグループの形態が主流となり、前述の中川翔子や小倉優子、木下優樹菜、里田まい、スザンヌらは、「アイドル」としてではなく「バラエティタレント」というスタンスでテレビ出演しており、これ以降も同様の傾向が続く。
この時期には、フジテレビ『アイドリング!!!』から誕生したアイドリング!!!(2006年)や、スターダストプロモーション所属のももいろクローバーZ(ももいろクローバーとして2008年)、ハロー!プロジェクトのアンジュルム(S/mileageとして2009年)、PASSPO☆(ぱすぽ☆として2009年)らが始動した。
また、アイドルとして活動をスタートしたPerfumeが、テクノポップユニットとして音楽面から人気を獲得し海外へも進出する一方、KARAや少女時代らK-POP勢も来日して活動を展開。
アイドル戦国時代
2010年代に入ると、「アイドルを名乗るタレントの数が日本の芸能史上最大」[25]という状況になり、「アイドル戦国時代」と呼ばれるようになった[26][27]。AKB48関連グループの拡大、エイベックス・グループ所属のSUPER☆GiRLS・東京女子流のデビュー、ももいろクローバーZの国立競技場での単独公演開催[28]、アミューズ所属のさくら学院から派生したBABYMETALの世界進出など、多数のグループが次々と活躍した。2010年から始まった、女性アイドルの大規模フェスTOKYO IDOL FESTIVAL(TIF)の規模も、2015年の第6回には「154組」もの出演者に達した[29]。
この時期には、新潟のNegicco、宮城のDorothy Little Happy、愛媛のひめキュンフルーツ缶、福岡のLinQなど、ローカルアイドル(ロコドル)と呼ばれる、地域に密着したアイドルも相次いで全国デビュー[25][26][30]。中には福岡のRev. from DVLに所属する橋本環奈のように、個人で全国区の人気を集めたケースもある。
主な女性アイドル
1970年代
デビュー年
- 1970年…吉沢京子ら。
- 1971年…天地真理、小柳ルミ子、南沙織から成る「新三人娘」ら。
- 1972年…麻丘めぐみ、アグネス・チャン、森昌子、坂口良子ら。
- 1973年…浅田美代子、桜田淳子、山口百恵、キャンディーズら。
- 1974年…浅野ゆう子、林寛子、木之内みどり、伊藤咲子、太田裕美、松本ちえこ、相本久美子、早乙女愛、リンリン・ランランら。
- 1975年…片平なぎさ、岡田奈々、岩崎宏美、ザ・リリーズら。
- 1976年…神保美喜、三木聖子、ピンク・レディーら。
- 1977年…榊原郁恵、大場久美子、高田みづえ、清水由貴子、荒木由美子、香坂みゆき、五十嵐夕紀、アグネス・ラムら。
- 1978年…石野真子、トライアングル、石川ひとみ、高見知佳ら。
- 1979年…能瀬慶子、倉田まり子、沢田聖子、井上望、比企理恵、大滝裕子、BIBI(早坂あきよ・小西直子)、川島なお美ら。
1980年代
デビュー年
- 1980年…松田聖子、河合奈保子、三原順子、岩崎良美、柏原よしえ、浜田朱里、甲斐智枝美、石坂智子、鹿取洋子ら。
- 1981年…薬師丸ひろ子(1978年から女優として活動しているが歌手として1981年デビュー)、松本伊代、伊藤つかさ、島田歌穂、沢田富美子、沢村美奈子、中島めぐみら。
- 1982年…小泉今日子、中森明菜、北原佐和子、三田寛子、堀ちえみ、早見優、石川秀美、原田知世、伊藤かずえ、新井薫子、松居直美、白石まるみ、つちやかおり、川田あつ子、中野美紀、川島恵、伊藤さやか、水谷絵津子、渡辺めぐみ、水野きみこ、真鍋ちえみ、三井比佐子、坂上とし恵ら。
- 1983年…わらべ、岩井小百合、富田靖子、伊藤麻衣子、武田久美子、桑田靖子、松本明子、大沢逸美、森尾由美、小林千絵、横田早苗、原真祐美、高橋美枝、徳丸純子、木元ゆうこ、小出広美、河上幸恵、松尾久美子、太田貴子 ら。
- 1984年…菊池桃子、岡田有希子、安田成美、渡辺桂子、長山洋子、荻野目洋子、宇沙美ゆかり、工藤夕貴、渡辺典子、山本ゆかり、田中久美、辻沢響江、渡辺千秋、加藤香子、青田浩子、わらべからソロで倉沢淳美、少女隊、セイントフォー、麻生真美子&キャプテンら。
- 1985年…おニャン子クラブ、中山美穂、本田美奈子、橋本美加子、斉藤由貴、南野陽子、浅香唯、芳本美代子、井森美幸、森口博子、いしのようこ、松本典子、岡本舞子、森川美穂、山本理沙、高橋里奈、網浜直子、森下恵理、志村香、YOU(江原由希子としてデビュー)、大西結花、宮崎ますみ、佐野量子、村田恵里ら。
- 1986年…西村知美、島田奈美、杉浦幸、山瀬まみ、相原勇(本名の小原靖子としてデビュー)、勇直子、真璃子、森恵、水谷麻里、浅倉亜季、佐藤恵美、藤井一子、芹沢直美、八木さおり、清水香織、中沢初絵、おニャン子クラブからソロで国生さゆり、新田恵利、河合その子、渡辺美奈代、渡辺満里奈ら。
- 1987年…森高千里、酒井法子、立花理佐、渡瀬マキ、石田ひかり、中村由真、小川範子、仁藤優子、つみきみほ、畠田理恵、牧野アンナ、小沢なつき、伊藤美紀、伊藤智恵理、白田あゆみ、五十嵐いづみ、守谷香、BaBe、おニャン子クラブからソロで工藤静香(『夕やけニャンニャン』終了と同時期)ら。
- 1988年…Wink、西田ひかる、高岡早紀、田中律子、深津絵里、中山忍、藤谷美紀、本田理沙、坂上香織、小高恵美、国実百合、仲村知夏、相川恵里、北岡夢子、吉田真里子、姫乃樹リカ、安永亜衣、円谷優子、麻田華子、川越美和、山口由子、おニャン子クラブからソロで生稲晃子、山崎真由美(『夕やけニャンニャン』終了後)ら。
- 1989年…宮沢りえ(1985年にモデルデビュー)、田村英里子、CoCo、ribbon、島崎和歌子、田中美奈子、細川直美、千葉美加、里中茶美、増田未亜、山中すみか、河田純子、山口弘美、星野由妃ら。
1990年代
デビュー年
- 1990年…高橋由美子、桜井幸子、裕木奈江、かとうれいこ、岡本夏生、宍戸留美、和久井映見、千堂あきほ、松田樹利亜(アイドルグループBABY'Sで活動)、加藤貴子(アイドルグループLip'sで活動)、田中陽子、寺尾友美、西野妙子、早坂好恵、駒村多恵(当時は佐月亜衣の名前で活動)、中野理恵、杉本理恵、薬師寺容子、東京パフォーマンスドール、乙女塾からソロで花島優子ら。
- 1991年…観月ありさ、牧瀬里穂、中江有里、横山知枝、諸岡なほ子、江崎まり、C.C.ガールズ、乙女塾からソロで三浦理恵子、瀬能あづさ、はねだえりか、中嶋美智代、Qlair、堀川早苗、東京パフォーマンスドールからソロで篠原涼子、桜っ子クラブからソロで胡桃沢ひろ子、井上晴美、中谷美紀(アイドルグループKEY WEST CLUBで活動)、中條かな子ら。
- 1992年…SUPER MONKEY'S、小田茜、水野美紀、細川ふみえ、新島弥生、貴島サリオ、遠野舞子、鈴木ユカリ、乙女塾からソロで宮前真樹、大野幹代、桜っ子クラブさくら組、桜っ子クラブからソロで加藤紀子ら。
- 1993年…持田香織、酒井美紀、安達祐美、坂井真紀、飯島愛、はしのえみ(アイドルグループ・ブカブカで活動)、柳原愛子、藤原久美、木内美歩、電波子、山崎亜弥子、山口リエ、KaNNa、乙女塾からソロで永作博美、桜っ子クラブからソロで持田真樹、Melodyら。
- 1994年…内田有紀、辺見えみり、葉月里緒菜、大橋利恵、千葉麗子、笹峯愛、水野あおい、ら。
- 1995年…SUPER MONKEY'Sからソロで安室奈美恵、MAX、奥菜恵、菅野美穂、鈴木蘭々、華原朋美、瀬戸朝香、雛形あきこ、篠原ともえ、村田和美ら。
- 1996年…SPEED、知念里奈、PUFFY、D&D、ともさかりえ、仲間由紀恵、上原さくら、矢部美穂ら。
- 1997年…モーニング娘。、広末涼子、知念里奈、鈴木紗理奈、Folderら。
- 1998年…鈴木あみ、八反安未果、遠藤久美子、山口紗弥加、柳明日香、チェキッ娘、未来玲可ら。
- 1999年…深田恭子、チェキッ娘からソロで下川みくに、山田優(アイドルグループy'z factoryで活動)、太陽とシスコムーン、前田亜季、須藤温子ら。
2000年代以降のソロアイドル
デビュー年
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2000年代以降のグループアイドル
男性アイドル史
「アイドル」以前
1950年代の映画の全盛期には、日活映画や歌で活躍した石原裕次郎ら東宝や日活などのニューフェイス、1960年代に「御三家」と呼ばれた橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦ら、中盤には三田明が台頭し、御三家に三田を加えて「四天王」と呼ばれた。他にスリーファンキーズ、或いは、日劇ウエスタンカーニバルに代表されるロカビリー歌手、グループ・サウンズ、1970年代の新御三家ら、そして、初代ジャニーズのあおい輝彦ら、折々の時代に即した多くのスターが登場した。
1970年代
郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎から成る「新御三家」は、3人とも主に歌手として活動した。更に、ザ・タイガースの後もソロないしバンドとして活動を続けた沢田研二も『ザ・ベストテン』など歌番組の常連として人気を保った。ザ・スパイダースの堺正章、井上順はソロとなった後、ヒット曲を数曲出したが、俳優、司会やバラエティ番組出演に軸足を移した。ザ・テンプターズの萩原健一、オックスの田浦 幸こと夏夕介は俳優に転身し人気となった。
新御三家の他にはフォーリーブス(ジャニーズ事務所所属)やフィンガー5、にしきのあきら、野村将希、伊丹幸雄、荒川務らが登場した。アイドル百花繚乱時代であった。
この時代の男性アイドルのレコードジャケットやブロマイド、アイドル雑誌のグラビアではヨーロッパの城のような建物をバックに撮られた「白馬に乗った王子様」というような非現実的なイメージのものも多く、女性アイドル同様、手の届かない別世界のスターとして記号化される事例も見られた[31]。一例として、ギリシャ神話の彫像のような恰好をした郷ひろみの「裸のビーナス」のジャケットやメルヘンチックなタイトルの「イルカにのった少年」の大ヒットで知られる城みちるが挙げられる。また、豊川誕(ジャニーズ事務所所属)や三善英史のように「不幸な生い立ち」が売り出しの際に喧伝されたものもいた。これらどこかおとぎ話や物語の中の人物のような人々とは一線を画し、テレビが社会に広く浸透したことから、『笑点』の「ちびっ子大喜利」出身のグループずうとるびや情報番組『ぎんざNOW!』出身の清水健太郎や、オーディション番組『スター誕生!』出身の城みちる、藤正樹、『スター・オン・ステージ あなたならOK!』出身のあいざき進也、『レッツゴーヤング』の「サンデーズ」出身の太川陽介、渋谷哲平、川崎麻世(ジャニーズ事務所所属)らのように素人、あるいは素人同様のタレントとしてテレビ番組に出演し、その成長とともに視聴者のアイドルとなっていく者たちもいた。
一方、若手俳優の中からも山口百恵とのコンビで一世を風靡した三浦友和、石橋正次、桜木健一、近藤正臣、星正人、草川祐馬、国広富之、広岡瞬などテレビドラマからブレイクし、アイドル的人気を博す者も多く現れた。石橋は紅白歌合戦にも出場するほどの大ヒット曲「夜明けの停車場」(1972年度年間ランキング第11位)に恵まれている。沖雅也は日活ニューフェイス出身だが、映画の斜陽化により、映画ではなくテレビドラマに進出してから、森田健作と仲雅美や井上純一は元々は歌手として売り出されたが、テレビドラマでの活躍によってアイドルとなった。井上はヒット曲に恵まれなかったが、森田、仲はそれぞれ大ヒット曲を持つ。
この時代はまだロック・ミュージックが一般化していなかったため、のちに本格的なロックギタリストとして名声を博すCharやシンガーソングライターの原田真二もアイドルとして売り出された。
アイドルの多様化の中、この時期から高校野球の選手がアイドル視される現象も起こった。太田幸司、原辰徳、荒木大輔らである。
また、1970年代初頭には西欧の古代や中世の格好をする日本人アイドルやGSグループには飽き足らず、本物の北米人のアイドルやヨーロッパ人の俳優が招かれ、テレビコマーシャルに出演し、そのタイアップとして更に日本でのみ日本語でレコードをリリースしヒットさせた例もある[32]。イタリア映画『ガラスの部屋』で人気となったイタリア人俳優レイモンド・ラブロックやイタリア映画『ベニスに死す』の美少年俳優ビョルン・アンドレセン[33][34]らが該当する。また、アメリカの人気ファミリーグループ「オズモンズ」のジミー・オズモンドが他の兄弟とともに出演し[35]、日本語で歌ったカルピスのCMソング「ちっちゃな恋人」は1970年の年間28位の大ヒットとなった。他には1970年代当時TBSで放送され、高視聴率を得ていた『東京音楽祭』で1974年にグランプリを受賞した当時13歳のカナダ人歌手ルネ・シマールも日本で大人気となり、トンボ学生服や旺文社の学習参考書の広告に出演した[36][37]。
1980年代
1979年の『3年B組金八先生』で生徒を演じた田原俊彦、近藤真彦、野村義男から成るたのきんトリオ(ジャニーズ事務所)がソロ歌手デビューし、次々とヒットを飛ばした。
ジャニーズ事務所は、その後も、本木雅弘、薬丸裕英、布川敏和から成るシブがき隊や、少年隊、光GENJI、男闘呼組、忍者といった人気グループを次々と輩出した。また、『金八シリーズ』からは他に竹の子族出身の沖田浩之、ジャニーズ事務所所属のひかる一平が人気アイドルとなった。ソロ歌手としては他に竹本孝之、『レッツゴー・ヤング』のサンデーズ出身者からは堤大二郎、新田純一、ジャニーズ事務所所属の中村繁之、映画やテレビドラマで活躍した山本陽一が挙げられる。
アイドルの多様化の中で、横浜銀蝿の弟分としてデビューした嶋大輔、紅麗威甦(グリース)が人気アイドルとなり、原宿の歩行者天国の路上ダンスパフォーマーだった風見慎吾は萩本欽一の番組でブレイクする。風見のように萩本の番組からアイドルとなった者も多い。イモ欽トリオ、CHA-CHA(勝俣州和がメンバーだったことで知られるが、他にメンバー数名が当時ジャニーズ事務所所属)など。他のバラエティ番組からは『笑っていいとも!』のいいとも青年隊(羽賀研二、野々村真ら)、ABブラザーズ(中山秀征ら)、とんねるずがアイドル的な人気を得た。
また、ロック志向のチェッカーズ、吉川晃司、本田恭章はアイドルとしてデビューした。チェッカーズは70年代に日本でも大人気だったイギリスのアイドルグループ・ベイ・シティ・ローラーズ風に、本田は80年代前半にイギリスで人気を博したニューロマンティック風にそれぞれビジュアルを強調して売り出された。1970年代同様に「日本でのみデビューする洋楽アイドル」も存在し、イギリス人のロックバンドG.I.オレンジが成功を収めている。ジャニーズ事務所からも野村義男がロックバンドTHE GOOD-BYEの一員としてレコードデビューした。初期にはテレビドラマでも活躍した岡本健一、前田耕陽、高橋和也らが男闘呼組がボン・ジョヴィなどに影響を受けたスタイルのハードロックバンドとしてデビューしている。
この頃はまだ俳優もアイドル風に売り出されるものがいた。JAC出身の真田広之、中井貴一、石黒賢、角川映画の野村宏伸、『金八シリーズ』出身の鶴見辰吾、映画『ビー・バップ・ハイスクール』でブレイクした清水宏次朗、仲村トオル、西川きよしの息子西川弘志、モデル出身の阿部寛、子役出身の菊池健一郎らであるが、歌うアイドル俳優として特筆すべきなのは『太陽にほえろ!』の「ラガー刑事」役で人気を博した渡辺徹で、シングル「約束」が自身も出演したグリコ「アーモンドチョコレート」のCMのタイアップソングとなり、1982年の年間ランキングでは33位にランクインしさせる大ヒットとなっている[38]。他にヒット曲を出した俳優としては、湯江健幸、横山やすしの息子の木村一八、子役を経てアイドルとして人気を博した坂上忍、高橋良明がいるが、特に数曲のヒット曲に恵まれた木村と高橋はジャニーズ事務所所属者に席巻された80年代後期の男性アイドルシーンで前後する形で健闘を見せたが、木村は1988年に自身の起こした傷害事件で少年院送致となり、アイドルとしての前途が断たれ、高橋は交通事故で1989年1月に16歳で夭折、と共に不幸な結果に終わってしまった。
1990年代
主にジャニーズ事務所が送り出したグループの時代であり、当初は光GENJIが他を圧倒する人気を見せたが、バンドブームなどのあおりで失速。中盤からは、デビュー当初からバラエティー分野での活躍が目立ったSMAPが現在に至る人気を確立し、更に、KinKi Kids、TOKIO、V6など後続者も人気を得て自身が冠バラエティ番組も持つようになった。また、木村拓哉を筆頭にメンバー個人も俳優としても成功した。また、SMAPがテレビの第一線で活躍する影響もあり、30代、40代でもアイドルとして活躍でき、男性アイドルの寿命が伸びた。
そういったジャニーズ全盛の中、ヴィジョンファクトリー系のDA PUMPやw-inds.なども人気を集めた。また若手俳優からは織田裕二、1980年代後半にジャニーズ事務所所属の経歴を持つ反町隆史、いしだ壱成、「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」出身の武田真治、柏原崇は歌手としても一定の成功を収めた。
2000年代 - 2010年代
女性アイドルと同じく『クイズ!ヘキサゴンII』などのクイズ番組から無知を逆手に売りにする羞恥心のメンバーや、あくまでも「俳優集団」を称するD-BOYSのメンバー、或いは、「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」でグランプリを獲得してデビューした小池徹平や溝端淳平ら、また、ウルトラシリーズ出身の杉浦太陽、仮面ライダーシリーズ出身のオダギリジョーや要潤、水嶋ヒロや佐藤健、スーパー戦隊シリーズ出身の松坂桃李がブレイクする。 かつて1990年代に一世を風靡したZOOのメンバーだったHIROを中心に結成されたEXILE、或いは、女性アイドルと同じく東方神起やBIGBANGを皮切りに超新星や2PM、FTislandらのK-POP組など、バラエティーからでなく、音楽の方面から人気を博す事例も再び見られ、また、嵐を筆頭としたジャニーズ事務所のグループも音楽や芝居、バラエティー分野などで人気を集めている。
文献情報
- 青木一郎[39]「絶対アイドル主義」(プラザ、1990年3月)ISBN 9784915333675、「炎のアイドルファン ―絶対アイドル主義2―」(青心社、1990年12月)ISBN 9784915333859
- 稲増龍夫 「アイドル工学」 (ちくま文庫、1993年)
- 稲増龍夫「「ネットワーク組織としてのSMAP-現代アイドル工学'96」(評価問題研究会第11回研究会)」『日本ファジィ学会誌』第8巻第5号、日本知能情報ファジィ学会、1996年10月15日、NAID 110002940787。
- 青柳寛「アイドル・パフォーマンスとアジア太平洋共同体の意識形成(環太平洋経済圏における産業・経営・会計の諸問題)」『産業経営研究』第18巻、日本大学、1996年3月30日、43-58頁、NAID 110006159892。
- 濱本和彦「1/f ゆらぎを用いた松浦亜弥の「国民的アイドル度」の客観的評価に関する研究」(東海大学情報理工学部情報メディア学科)[1]
- 竹中夏海 「IDOL DANCE!!! ―歌って踊るカワイイ女の子がいる限り、世界は楽しい―」ポット出版、ISBN 9784780801927
脚注
- ^ “アイドル(あいどる)とは”. コトバンク. 2015年6月7日閲覧。
- ^ a b “アイドルとは何か”. 産経デジタル. 2016年1月26日閲覧。
“アイドル特集【総論】改めての素朴な疑問「アイドルとは何か?」”. ダヴィンチニュース. 2016年1月26日閲覧。 - ^ “本人やファンは否定するけど「アイドルじゃん」と思うアーティストランキング”. ライブドアニュース. 2016年1月16日閲覧。
- ^ “さんま、たけし、タモリらがSMAPへ賞賛のメッセージ「前代未聞のアイドルグループ」”. リアルライブ. 2016年1月26日閲覧。
- ^ つまり、神や仏というのは、本来は不可視で触れることもできないはずで、物体的な像などでは表現したり代用できるわけもないのに、像が作られて(不適切にも)崇拝されるようになってしまったもののことである。もともとは、そうしたことを若干ほのめかしている面、風刺する意味もこめられていたからこそ、この用語が選ばれていたのではあるが。
- ^ 音魂大全 鈴木 創著 洋泉社刊より、ザ・ビートルズ1962年〜1966年、ザ・ビートルズ1967年〜1970年(東芝EMIアナログ盤)付録:石坂敬一による論文より
- ^ ビートルズ日本公演プログラムより。
- ^ 『YOUNGヤング』・1964年4月号より。
- ^ 映画の中のみでなら、1938年の松竹映画・『愛染かつら』で使用された例がある。またフランス映画の『アイドルを探せ』が1964年に日本でも公開された。
- ^ 絶頂期のビートルズの来日(1966年)などを受けたザ・スパイダース、ザ・タイガース、ザ・テンプターズなど。
- ^ 『別冊キネマ旬報』・1968年10月号より。
- ^ 特定の歌手に対して本格的に「アイドル」の呼称を使用し出したのは南沙織や天地真理辺りからである。1970年代後半に入ると、竹内まりや、中島みゆき、松任谷由実どのニューミュージック歌手がヒットするようになり、デビュー当初の竹内まりやは、アイドル的な売出し方をされたこともあった。
- ^ 「J-POPを殺したのはソニー」 知られざる音楽業界のタブー(1/2ページ) - MSN産経west
- ^ 80年代の初頭にデビューしたアイドル歌手のうち、シングル売上において他の者にダブル・スコア以上の差をつけた3名(2012年6月29日に放送された『ミュージックステーション』より)。
- ^ 『アイドル工学』・P.69より。
- ^ a b 「アイドル考現学」『TVガイド』2月6日号、東京ニュース通信社、1981年、20-21頁
- ^ “Pop 'idol' phenomenon fades into dispersion - The Japan Times”. ジャパンタイムズ (ジャパンタイムズ). (2009年8月25日) 2013年5月13日閲覧。
- ^ キャッチフレーズ(例:中森明菜「ちょっとエッチな ミルキーっ子」「井森美幸16歳、まだ誰のものでもありません」等)を用いる等した。
- ^ 少女隊、セイントフォーらは、数億円とも呼ばれる巨額をデビューに費やしていた
- ^ 当時は、レコード売り上げの指標となるオリコンチャートも重要視されつつ、アイドル歌手にとって、歌番組に出演することは必須であり、テレビ媒体を通して宣伝するという事が当然視されていた
- ^ 1990年代中盤、歌手活動を中心としたアイドルは、スーパーモンキーズ、中谷美紀、菅野美穂、加藤紀子らを輩出した桜っ子クラブさくら組、酒井美紀、Melodyらが健闘していたものの、テレビ歌番組は減少の一途を辿っており活動の場は限定された。同時期、ドラマ出演をきっかけに注目された内田有紀、水着グラビアで中高生男子の圧倒的な支持を得た雛形あきこがブレイク。両者とも、後にCDデビューを果たしている。1991年には、テレビCMから人気を博した牧瀬里穂、観月ありさがCDデビューを果たし、宮沢りえを含めた3人が「3M」と呼ばれ若年層の絶大なる人気を獲得。またこの時期、アイドル的な活動をする声優が増えた。
- ^ この時代にアイドルだった世代は、「氷河期世代」(団塊ジュニア・ポスト団塊ジュニア)とも重なる。
- ^ “紅白にアキバ枠しょこたんら出場 - 芸能ニュース nikkansports.com”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2007年11月25日) 2013年5月13日閲覧。
- ^ “紅白曲順が決定 注目の“アキバ枠”は米米CLUBと激突! ニュース-ORICON STYLE-”. オリコンニュース (オリコン). (2007年12月27日) 2013年5月13日閲覧。
- ^ a b “ポストAKBはどうなる? アイドル戦国時代の行方 今を読む:文化 Biz活 ジョブサーチ YOMIURI ONLINE(読売新聞)”. YOMIURI ONLINE (読売新聞). (2012年10月9日) 2013年4月23日閲覧。
- ^ a b “【12年ヒット分析】新旧グループから地方アイドルまで~“アイドル戦国時代”さらに激化 (AKB48) ニュース-ORICON STYLE-”. オリコン (オリコン). (2012年12月9日) 2013年4月23日閲覧。
- ^ “Gザテレビジョン編集部ブログ Gザテレビジョンは来週月曜日、24日発売です!”. ザテレビジョン (2010年5月19日). 2013年4月23日閲覧。
- ^ “ももクロ、国立で宣言「笑顔を届けることにゴールはない」”. ナタリー. 2014年3月17日閲覧。
- ^ “総勢154組出演「TOKYO IDOL FESTIVAL 2015」終幕”. ナタリー. 2016年2月5日閲覧。
- ^ ““アイドル戦国時代”の懐の広さを垣間見る──『インディーズ・アイドル名鑑』(1-3) - 日刊サイゾー”. サイゾー (サイゾー). (2012年11月1日) 2013年5月5日閲覧。
- ^ 1970年代 人気男性アイドル/年代流行
- ^ 1970/08/27 歌謡チャート
- ^ ビョルン・アンドレセン
- ^ 70年代CMソングコレクション
- ^ カルピスCM ジミー
- ^ スーパーアイドルルネ/ニューソングブック臨時増刊号、啓文社、昭和49年9月1日発行
- ^ 「ルネの「トンボ学生服」」
- ^ 別冊ザテレビジョン『ザ・ベストテン ~蘇る!80’sポップスHITヒストリー~』(角川インタラクティブ・メディア)p.92 - 93
- ^ MBSラジオ「ヤングタウン」を担当した放送作家でアイドル評論家。1952年生まれ、2003年10月死去