すき焼き

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すき焼き(当初の牛鍋に近いもの)

すき焼き鋤焼、すきやき)は、薄くスライスした食肉や他の食材を浅い鉄鍋で焼いたり煮たりして調理する日本の料理である。調味料割下など、醤油砂糖が使用される。

一般的なすき焼きは薄切りにした牛肉が用いられ、春菊椎茸焼き豆腐シラタキなどの具材(ザクと呼ぶ)が添えられる。味付けは醤油砂糖が基本である。溶いた生の鶏卵をからめて食べる。しゃぶしゃぶの薄切り肉は熱湯にくぐらせるだけで食べられるほど薄いが、すき焼きの薄切り肉はしゃぶしゃぶに用いる肉よりも厚いことが多い。なお、牛肉以外の材料を使用したものについても「魚すき」、「鳥すき(鶏すき)」、「うどんすき」などと呼ぶことがある[1]すき鍋も参照)。

合わせ調味料の割下を用いた甘辛い味付けの料理の総称として「すき焼き風」という呼称も用いられる。牛丼チェーン店[2]や、横浜などの老舗店[3]の一部においては、かつての「牛鍋」という名を使用した料理を提供している。

歴史

鋤焼

日本では幕末になるまで、牛肉を食べることは一般には行われていなかったが、別に「すきやき」と称された料理は存在していた。古くは寛永20年(1643年)刊行の料理書『料理物語』に「杉やき」が登場しており[4]、これはなどの魚介類と野菜を杉材の箱に入れて味噌煮にする料理である。さらに享和元年(1801年)の料理書『料理早指南』では、「鋤やき」は「のうへに右の鳥類をやく也、いろかはるほどにてしょくしてよし」と記述されている。また、文化元年(1804年)の『料理談合集』や文政12年(1829年)の『鯨肉調味方』にも具体的な記述が見られ[4]、使い古した鋤を火にかざして鴨などの鶏肉や鯨肉、魚類などを加熱する一種の焼き料理であった[5]。他にも、すき身の肉を使うことから「すき焼き」と呼ばれるようになったという説もある。この魚介類の味噌煮の「杉やき」と、鳥類・魚類の焼肉という「鋤やき」という2種類の料理が、「すき焼き」のルーツとして挙げられている[4][6]

牛肉の供給

安政6年(1859年)の横浜が開港後、居留地の日本国外の人々から食肉文化が伝わってきた。日本に肉牛畜産の産業がなかったため、当初は中国大陸や朝鮮半島あるいはアメリカから食用牛を仕入れていた。しかし居留地人口の増加に伴い牛肉の需要が増加し、のちに神戸の家畜商が横浜へ食用牛を搬送するようになった[7]。このような背景の元、幕府元治元年(1864年)居留地に指定されていた横浜市海岸通屠牛場の開設を認めた。

牛鍋

ぶつ切り牛肉を使った牛鍋

屠場開設から2年遡った文久2年(1862年)に横浜入船町で居酒屋を営んでいた「伊勢熊(いせくま)」が1軒の店を2つに仕切り、片側を牛鍋屋として開業したのが最初の事例とされる[8][4]。幕末期、開港場の横浜では牛肉の煮売り屋台があった。1867年江戸で珍しい牛肉屋を開いていた「中川」も牛鍋屋を開業した[6]明治元年(1868年)、高橋音吉が「太田なわのれん」を創業し、当時主流の味噌煮込み風牛鍋を提供した[9]。同年、横浜につづき東京の芝にも外国人向け屠牛場ができると牛鍋屋の流行は飛び火し、それ以降の牛食は文明開化の象徴となった[10]

食肉処理技術や冷蔵設備の未発達から、幕末から明治時代初期の牛肉は固くて獣臭さが目立ち、それらを緩和するために関東の牛鍋はぼたん鍋紅葉鍋に類似した内容で、具材は牛肉の薄切り肉を使うことが定着しておらず、角切り肉を使う場合もあり、野菜はネギのみで味噌仕立ての味付けで煮る・炒め煮にする調理法が主流で[8][6][5][11]、ネギを五分の長さに切ったことから、明治初期には具材のネギが「五分」と呼ばれたこともあった[12]。明治初期の「牛屋(ぎゅうや)」の牛鍋もこうした味噌鍋が主流であったが、肉質が上るにつれて関東の味付けは味噌から、醤油砂糖などを調合したタレ割下)が主流になっていった[6][5]

1870年(明治3年)、福澤諭吉築地の牛馬会社の求めに応じて書いた牛肉や牛乳の摂取をすすめる宣伝文『肉食之説』で

古来我日本国は農業をつとめ、人の常食五穀を用い肉類を喰うこと稀にして、人身の栄養一方に偏り自から病弱の者多ければ、今より大に牧牛羊の法を開き、其肉を用い其乳汁を飮み滋養の欠を補うべき筈なれども、数千百年の久しき、一国の風俗を成し、肉食を穢たるものの如く云いなし、妄に之を嫌う者多し。畢竟人の天性を知らず人身の窮理を弁えざる無学文盲の空論なり。 — 福澤諭吉『肉食之説』:旧字旧仮名 - 青空文庫

と表現していた[13]1871年(明治4年)に仮名垣魯文はこうした状況を『安愚楽鍋[14]で「士農工商老若男女賢愚貧福おしなべて、牛鍋食わねば開化不進奴(ひらけぬやつ)」と表現していた[15]1877年(明治10年)の東京における牛鍋屋は550軒を超えるほどであった[6]

1887年(明治20年)頃になると、具材において牛肉や野菜の他に白滝豆腐が使われ始め、ネギはザクザクと切ることから「ザク」と呼ばれ、この「ザク」という言葉は具材全体の総称にもなっており、これらを沢山の割下で煮た牛鍋が関東風すき焼きの原型となった[12][10]

すき焼き

すき焼きの一例

すき焼きは関西で使用されていた言葉であり、1869年(明治2年)に神戸で牛肉すき焼き店「月下亭」が開店、牛肉を焼いてから砂糖・醤油で調味するものであり、関東大震災以降に割下を使用するすき焼きが広がっていった[6][11]

高度成長期の昭和30年代後半には、ブランド牛が高級化すると共にすき焼きも高級化の一途をたどり、多くの人が好むごちそうとなっていった。

作り方の例

牛肉以外の肉を使用して同様に調理する料理については、「すき鍋」を参照。

各地方での調理法の違い

すき焼きは、日本国内各地方でその調理法に違いが見られる。使用する野菜も、地方や家庭によってはモヤシを入れたりジャガイモを入れたりと様々である。

北海道東北地方新潟県では、牛肉ではなく豚肉を使うことが一般的だった。これは、かつてこれらの地域では牛肉が高価だったうえに入手しにくかったこともあり、食べる習慣があまりなかったためである。しかし、比較的安価に牛肉が提供されるようになった現在では牛肉を使う場合が多いが、牛肉を使ったすき焼きを別に「牛すき焼き」と呼んでいる店や地域もまだ残っている。

関東では、明治時代に流行した「牛鍋」がベースになっており、肉を焼くのではなく出汁醤油砂糖みりんなどの調味料を混ぜた割下をあらかじめ鍋に張り、この中で牛肉を煮る。当初は、鹿・猪・馬の肉を使う紅葉・牡丹・桜鍋のアレンジ料理であり牛肉の質も悪かったことから味噌で味付けしたが、牛肉の質が改善されるにつれて味付けが現代のタレに変わり豆腐・白滝が入れられていった。下町を中心として現在でも古いスタイルを守っている「牛鍋屋」や各種の「鍋」屋があり、浅草には高級すき焼き屋が多数あるなど、新旧入りまじり多種多様である。

滋賀県愛知県などでは鶏肉を使用するスタイルもある。愛知県の尾張地方では特に名古屋コーチンで食べる場合、「ひきずり」と称して、牛肉で作る「すき焼き」とは区別することがある。滋賀県の琵琶湖沿岸(とりわけ湖北地方)ではすき焼き風の味付けの鍋料理を「じゅんじゅん」と称し(具の煮える音に由来)、牛肉や鶏肉のほか、ウナギ・ホンモロコ・ナマズ・コイなどの湖魚や川魚を使うこともある[16]

一般的に関西以西では、「すき焼き」の名のとおり肉を焼くスタイルである。火にかけたすき焼き鍋に牛脂を引いて牛肉を焼き、これに砂糖・醤油・酒などをかけて味を付け、さらにネギ・キクナ(シュンギク)などの野菜や豆腐・糸コンニャクといった具を加える。お店によっては、焼いた肉だけを先に味わい、後は焼いた肉の上に野菜や焼き豆腐などを盛り合わせ、それらから出た水分で鍋のように煮込んでいく。また、現在の大阪では、割下を採用して店独自の味付けで差異をつけることが多い[11]

溶き玉子

溶き玉子と牛肉。

溶き玉子につけて食べるようになった由来は諸説あり定かではない。

篠田鉱造の『明治百話』(岩波文庫版なら下巻、p110「集金人の役得」)には、明治20年頃の商店における番頭の思い出話として、四谷の牛肉店「三河屋」へ上がり込んで「姉やん、鍋に御酒だ。それからせいぶんを持って来てくンな」と言ったところ、その「せいぶん」が何か通じず、女将が出てきて「何でございます、せいぶんと仰いましたのは」と問われ、「ナニサ、玉子(ぎょく)のことだよ、せいぶんをつけるからさ、この山の手では流行らねえ言葉かい」と言った、という記述がある。ここでいう玉子が玉子焼きなのか、ゆで卵なのか、生なのかは不明だが、牛肉店でゆで卵や玉子焼きを注文するのは変な話であることから、煮た牛肉を生玉子にくぐらせて食べたのではないかとされる。

関東風

材料

分量はおおよそ4人前。

  • 牛肉 - 400g
  • ネギ(根深ネギ)- 2本
  • しらたき - 1玉
  • シイタケ - 12枚
  • 焼き豆腐(生豆腐よりも崩れにくいため、よく用いられている) - 2丁
  • シュンギク - 1束
  • 牛脂 - 適量(食用油でも代用可能)
  • 割下
    • 出汁 - カップ1/2(無い場合もある)
    • 醤油 - カップ1/2
    • みりん - 大さじ3(砂糖で代用可能)
    • 砂糖 - 大さじ3
    • 料理酒 - 大さじ4(塩分が含まれるため、多く入れると塩辛くなるので注意。日本酒であれば、割下の味が濃くなった際の薄めに使用可能)
  • 溶き玉子 - 適量(1人1回1個程度)

作り方

  1. 材料は食べやすい大きさに切っておく。
  2. 熱したすき焼き鍋に割下を適量入れ、肉や野菜と共に煮る。割下を入れる量は、味の濃い割下なら鍋底が隠れる位の少量で、味が薄めの割下なら通常の鍋と同程度の量を入れる。
  3. 火が通ったら溶き玉子にくぐらせて食べる。
  4. シメには茹でたうどんを入れ、旨みの凝縮された汁を味付けをし直した後、染み込ませて食べる。味付けの濃い割下では辛くなるだけなので要注意。

なお、北大路魯山人によると「まずは肉だけを煮て食べ、次にザクだけ、というように交互に食べるとよい」という。また、「酒呑みのためのすき焼きには砂糖は入れない」のだそうである。

関西風

材料(関西風)

分量はおおよそ4人前。

  • 牛肉 - 400g
  • 葉ネギ・根深ネギ - 2本 もしくは玉ねぎ
  • シュンギク - 1束
  • シイタケ - 6個
  • 白菜 - 1/2個
  • 糸コンニャク - 1玉
  • 焼き豆腐
  • - 6個
    • その他、もやしなど好みの野菜を使用する。かつては椎茸ではなく松茸が多く用いられた。中国地方四国地方などでは大根も具材に加えることがある(分量は1/2本、切った大根はあらかじめ下茹でしておく)。茹でたうどんを野菜などと一緒に、または途中から入れられることも多い。地域によっては一口大に切ったを入れる。
  • 牛脂 - 1かけ(食用油でも代用可能)
  • 味付け
    • 醤油(濃い口) - カップ1/3程度
    • 砂糖 - 大さじ3程度
    • 料理酒 - 大さじ4程度(日本酒を使用する場合は塩味を足す形で調整が必要)
  • 溶き玉子 - 適量(1人1回1個程度)

作り方(関西風)

  1. 野菜や豆腐などの具材は食べやすい大きさに切っておく。
  2. すき焼き鍋を熱して牛脂をひき、牛肉を入れて火が7割ほど通るまで焼く。
  3. 焼けた肉の上に砂糖をのせ、その上から醤油、料理酒をかける。
  4. 野菜や豆腐など、牛肉以外の具を入れる。水分は野菜から出るが、ここで好みにより水や日本酒、昆布出汁を追加しても良い。野菜からの水分で味が薄くなるため、好みによって砂糖や醤油、酒で味を調整する。
  5. 火が通ったら器に入れた溶き玉子にくぐらせて食べる。

備考

  • すき焼きに用いられる鍋は「すき焼き鍋」と呼ばれ、南部鉄器などの鋳鉄製のものが多いが、近年はアルミ製などのものもある。
  • しらたきの近くに肉を置くと、しらたきに含まれているカルシウム分のために肉が硬くなるので、これらの具は離して置いたほうが良い。
  • 牛丼は牛鍋(すき焼きの関東での古い呼び名)の中身を丼にしたのが始まりといわれている。
  • 沖縄県では大衆食堂の定番メニューであり、鍋料理ではなく皿盛りの煮込み料理として提供される。
  • アメリカでは日本料理の代表としてよく知られている。
  • ハワイにはすき焼きから派生した「ヘッカ」と呼ばれる煮込み料理がある。これは日系移民が伝えて定着したもので、現地では牛肉ではなく鶏肉を用いるのが一般的である。
  • タイには「タイスキ」 (現地では「スキヤキ」と呼ばれる) という料理があるが、しゃぶしゃぶ寄せ鍋に近い料理である。
  • フランスの記号論の哲学者ロラン・バルトは『表徴の帝国』で日本には中心が不在と語ったが、その中で「すき焼き」も「中心のない食べ物」と書いている。フランス料理だとアントレというメインがあり、時間的にも空間的にも中心にある。鍋料理は食材を自由に入れて好きな順番で食べることができるし、具材がなくなっても追加して時間を継続でき、終わりがない。
  • 1963年アメリカ合衆国において坂本九の楽曲「上を向いて歩こう」が"Sukiyaki"という英語タイトルでリリースされた。楽曲の内容と鋤焼きとは何ら関連はないが、レコード会社の社長の意向によって命名された。牛肉好きのアメリカ人にも鋤焼きは人気があって、当時のアメリカでは、"Fujiyama"、"geisha"などと並んで"sukiyaki"がポピュラーな日本語であったことによる。なお、1963年6月15日にはビルボードおよびキャッシュボックスの第1位にランキングされたが、日本人の歌がアメリカでヒットチャートのNo.1になったのはこの曲だけである。
  • 映画監督の小津安二郎は、映画撮影後にスタッフや俳優に「カレーすき焼き」を振る舞った。おおむね好評だったが、『早春』に出演した池部良が「誰がカレー粉を入れた」と怒って以後は二度と振る舞われることはなかったという。このメニューは小津とゆかりの深い「茅ヶ崎館」で今も饗されている[17]

関連項目

脚注

  1. ^ 語源由来辞典
  2. ^ 吉野家 「牛鍋丼」
  3. ^ 文明開化の味がする?横浜の牛鍋に舌つづみ
  4. ^ a b c d 海外における日本食レストランの現状について / (4)海外の日本食レストランでよく提供される料理の起源(1/2) (PDF) - 農林水産省 2006年(平成18年)11月
  5. ^ a b c 名物料理論「鍋に理由あり、味付けには理由あり」 - サントリーグルメガイド全国版 2010年1月号
  6. ^ a b c d e f すき焼きの歴史(すき焼き事典) - すき焼きクラブ(ヤマサ醤油 すき焼専科)Facebook 2011年9月3日
    ヤマサすき焼きクラブ:すき焼きの歴史 - ヤマサ醤油
  7. ^ 「タイムスリップよこはま桜木町周辺 - - 最古の牛鍋屋 」
  8. ^ a b 牛鍋(味噌仕立て) (PDF) - 神奈川県
  9. ^ 太田なわのれん」は現存し、今でもぶつ切り牛肉を使い、適宜、割下を注ぎながら濃い味噌だれで炒りつけるように煮る牛鍋を提供している。
  10. ^ a b 特集:年末年始は家族そろって“すき焼き” - 素敵・快適(東上ガス)2012年冬号
  11. ^ a b c 大阪鍋物語:鍋の文明開化 第2話 関西と関東で異なる「すき焼き」 - 公益財団法人大阪21世紀協会
  12. ^ a b 牛肉の普及 牛鍋から牛丼まで - キッコーマン国際食文化研究センター
  13. ^ 福澤諭吉全集』第20巻、岩波書店、1971年(昭和46年)、38-41頁。
  14. ^ この作品での表記は「牛鍋(ウシナベ)」日本国語大辞典(小学館)による。
  15. ^ 日本国語大辞典(小学館)。
  16. ^ 大阪鍋物語 じゅんじゅん、財団法人関西・大阪21世紀協会、2014年12月31日閲覧。
  17. ^ 小津安二郎が振る舞った、カレーすき焼きがある。プレジデントオンライン 食の研究所