さわぎり (護衛艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Yokosuka-No1 (会話 | 投稿記録) による 2016年3月21日 (月) 07:12個人設定で未設定ならUTC)時点の版であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

さわぎり
基本情報
建造所 三菱重工業長崎造船所
運用者  海上自衛隊
艦歴
発注 1985年
起工 1987年1月14日
進水 1988年11月25日
就役 1990年3月6日
要目
基準排水量 3,550トン
全長 137m
最大幅 14.6m
吃水 4.5m
機関 川崎ロールス・ロイス オリンパスSM1Aガスタービン 4基
2軸推進、54,000PS
最大速力 30ノット
乗員 220名
兵装 62口径76mm単装速射砲 1門
Mk15 MOD12 高性能20mm機関砲CIWS) 2基
ハープーンSSM 4連装発射筒 2基
GMLS-3型A シースパロー短SAM 8連装発射機 1基
74式アスロック8連装発射機 1基
68式3連装短魚雷発射管 2基
搭載機 HSS-2B/SH-60Jヘリコプター 1機
レーダー OPS-24 対空レーダー
OPS-28C 水上レーダー
81式射撃指揮装置2型-23/2型-12G
ソナー OQS-4A ソナー
OQR-1 曳航式ソナー
電子戦
対抗手段
NOLR-8 ESM
OLT-3 ECM
Mk137 チャフ発射機 2基
テンプレートを表示

さわぎりローマ字JS Sawagiri, DD-157)は、海上自衛隊護衛艦あさぎり型護衛艦の7番艦。艦名は「沢に立つ霧」に由来する。

艦歴

「さわぎり」は、中期業務見積りに基づく昭和60年度計画3,500トン型護衛艦2228号艦として、三菱重工業長崎造船所で1987年1月14日に起工、1988年11月25日進水、1990年3月6日に就役し、同日付で第2護衛隊群隷下に新編された第47護衛隊に「あさぎり」、「やまぎり」とともに編入され佐世保に配備された。

1992年1994年1996年と3回続けて環太平洋合同演習 (RIMPAC) に参加した。

1997年3月24日、隊番号の改正により第47護衛隊が第6護衛隊に改称。

1998年遠洋練習航海に参加。

1999年3月18日、第2護衛隊群第2護衛隊に編入。

2003年、遠洋練習航海に参加。

2005年11月25日国際連合難民高等弁務官事務所の要請を受け、被災民救援活動として掃海母艦「うらが」と共にカラチ港に向かう。その後「さわぎり」は2002年2月までインド洋にてテロ対策特別措置法に基づく協力支援活動に従事し、4月25日に帰国した。

2007年、遠洋練習航海に参加。

2008年3月26日、護衛隊改編により第1護衛隊群第5護衛隊に編入。

2009年12月4日、08:45時ごろ高知県足摺岬沖合南約130kmにて、対海賊訓練中に「DD-111 おおなみ」と接触する事故が発生した。双方ともけが人はなく自力航行は可能であった[1]。その後佐世保重工業にて修理がなされる[2]

2010年1月30日第4次派遣海賊対処行動水上部隊としてソマリア沖に向けて出航、僚艦となる「DD-111 おおなみ」とは途中で合流[3]2月25日から5月31日まで、32回の船団護衛で合計283隻の船舶を警護し、任務終了により7月1日に佐世保に帰港した。

2012年5月12日第12次派遣海賊対処行動水上部隊としてソマリア沖に向けて佐世保から出航、僚艦となる「DD-107 いかづち」とは途中で合流し約3週間後から任務を開始し[4]、同年7月1日には日中印の三カ国協同による護衛編隊が組まれる[5]。同年10月24日、佐世保に帰港した。

2014年3月13日護衛艦隊直轄第13護衛隊に編入。

2015年7月5日第22次派遣海賊対処行動水上部隊として「あきづき」と共にソマリア沖・アデン湾に向けて佐世保基地から出航[6]、任務を終了し、同年12月18日に帰国。

現在は、護衛艦隊第13護衛隊に所属し定係港は佐世保である。

歴代艦長(特記ない限り2等海佐
氏名 在任期間 出身校・期 前職 後職 備考
1 伊藤清海 1990.3.6 - 1991.8.6 さわぎり艤装員長 海上自衛隊幹部学校教官
2 伊藤修一 1991.8.7 - 1993.3.30   いしかり艦長 はまな副長
3 大島幸男 1993.3.31 - 1994.12.14 くまの艦長 海上幕僚監部調査部調査第1課
4 森 善昭 1994.12.15 - 1995.7.9   佐世保基地業務隊補充部付 佐世保基地業務隊補充部付
5 小田和春 1995.7.10 - 1997.3.24   海上自衛隊第1術科学校教官 海上自衛隊幹部候補生学校主任教官
6 土方利昌 1997.3.25 - 1998.10.19   自衛隊愛知地方連絡部募集課長 海上幕僚監部人事教育部援護業務課
7 青山春光 1998.10.20 - 2000.3.23   海上自衛隊第1術科学校教官 海上幕僚監部調査部調査第3班長
8 舩渡 健 2000.3.24 - 2001.8.19   うみぎり艦長 阪神基地隊総務科長
9 佐伯精司 2001.8.20 - 2002.8.19 東大法学部 第1護衛隊群司令部幕僚 海上幕僚監部人事教育部補任課
10 宮﨑 守 2002.8.20 - 2004.1.19 はるゆき艦長
11 溝江和彦 2004.1.20 - 2005.3.24 自衛艦隊司令部幕僚  
12 髙田昌樹 2005.3.25 - 2006.8.6 統合幕僚会議事務局第3幕僚室 大湊地方総監部管理部人事課
13 松原 匡 2006.8.7 - 2008.7.31   海上幕僚監部
指揮通信情報部情報課
大湊地方総監部管理部人事課長
14 柴田公雄 2008.8.1 - 2010.8.9   あさゆき艦長 舞鶴海上訓練指導隊船務航海科長
15 廣中敬三 2010.8.10 - 2011.7.31 第3護衛隊群司令部幕僚 自衛艦隊司令部幕僚
16 西澤俊樹 2011.8.1 - 2012.11.4 海上自衛隊幹部学校付 海上訓練指導隊群司令部幕僚
17 藤井健一 2012.11.5 - 2014.1.16 防大39期 あしがら副長 海上幕僚監部
指揮通信情報部指揮通信課
18 白方将司 2014.1.17 - 2015.4.23 おおすみ運用長兼副長 しらせ運用長
19 佐藤 剛 2015.4.24 みょうこう副長

さわぎり事件

艦内で1999年(平成11年)11月8日に発生した、当時21歳の機関科所属の3等海曹自殺について、遺族が国家賠償請求を起こした。自衛官の自殺をめぐる国賠訴訟は、これが最初である。この事件を契機に自衛隊内でのメンタルヘルスが研究されるようになったとされるが、自殺者は自衛隊全体で事件後も減っていない。自殺の原因は不明だが遺族によると、上官からの執拗な「いじめ」を受けていたという。なお、2004年から2006年度は3年連続で、陸海空合わせて毎年100人に達している(防衛省調)。

この裁判の中で、艦内の飲酒や博打、別の三曹学生(訓練中の海上自衛官)の貯金を上司が勝手に引き出したという事実も発覚した。このため、青山春光艦長および三尉以上の同艦幹部9人らをはじめとして乗員180名のうち61名の大量の処分者をだした。青山艦長らは2000年3月24日付で異動させられた。「海上自衛隊第22期一般曹候補学生のアンケート調査結果等の 一部開示決定に関する件(平成14年諮問47号)」[1]ほか 。

さわぎりの係争は2008年8月、自殺と上官の言動に因果関係があった旨認定され、遺族に350万円の賠償を命じる判決が国に下った(「自衛官自殺 いじめ認定、原告側が逆転勝訴 福岡高裁」毎日新聞8月25日)。

脚注

参考文献

  • 石橋孝夫『海上自衛隊全艦船 1952-2002』(並木書房、2002年)
  • 世界の艦船 増刊第66集 海上自衛隊全艦艇史』(海人社、2004年)
  • 三宅勝久『悩める自衛官―自殺者急増の内幕』(花伝社、2004年9月)ISBN-10:4763404296/ISBN-13:978-4763404299
  • 『世界の艦船』第750号(海人社、2011年11月号)

関連項目