デヴィッド・T・フレンドリー

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デヴィッド・T・フレンドリー
David T. Friendly
生年月日 (1956-05-01) 1956年5月1日(67歳)
出生地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス
職業 映画プロデューサー
配偶者 プリシラ・ネッド・フレンドリー
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デヴィッド・T・フレンドリーDavid T. Friendly, 1956年5月1日 - )は、アメリカ合衆国映画プロデューサーである。2006年の映画リトル・ミス・サンシャイン』でアカデミー作品賞にノミネートされた。

キャリア[編集]

1978年にノースウェスタン大学を卒業後にジャーナリストとなり、『ニューズウィーク』誌のスタッフライターとなった[1]。1985年に『ロサンゼルス・タイムズ』へと移ると映画産業関係のコラムを執筆するようになり[2]、1987年にはイマジン・エンターテインメントの設立者のブライアン・グレイザーロン・ハワードの誘いで同社の映画部門の副社長となった[1]。同社では『マイ・ガール』、『マイ・ガール2』、『バラ色の選択』、『遺産相続は命がけ!?』、『チェンバー/凍った絆』で製作総指揮を務めた。1994年にはデイヴィス・エンターテインメント英語版の社長に就任し、同社で『デイライト』、『ウィズ・ユー』を製作した。また自らの製作会社であるフレンドリー・プロダクションズを立ち上げ、『愛ここにありて』を製作した[1]。2000年9月にはマーク・タートルトーブと共同でディープ・リヴァー・プロダクションズを立ち上げた[3]

2006年にはタートルトーブらと共同でプロデューサーを務めた『リトル・ミス・サンシャイン』が公開され、アカデミー賞英国アカデミー賞インディペンデント・スピリット賞全米製作者組合賞などにノミネートされた[4][5]

私生活[編集]

妻は編集技師プリシラ・ネッド・フレンドリーである[1]。同じくプロデューサーのアンディ・フレンドリーとは兄弟である[4]。父は1964年から1966年までCBSニュースの社長を務めていたフレッド・W・フレンドリー英語版である[2]

フィルモグラフィ[編集]

参考文献[編集]

  1. ^ a b c d Board of Directors: David Friendly – Advisory Board”. US-Ireland Alliance. 2007年10月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年8月8日閲覧。
  2. ^ a b Haggerty, Ryan (2007年12月7日). “The Producer”. Northwestern University. 2008年8月8日閲覧。
  3. ^ Fleming, Michael (2004年9月). “Deep River funnels indies to Big Beach”. Daily Variety. 2008年8月8日閲覧。 [リンク切れ]
  4. ^ a b Fleming, Michael (2004年9月24日). “Fox, Friendly ink production pact”. Variety. 2008年8月8日閲覧。
  5. ^ Gardner, Chris (2005年11月20日). “Hopper flows to Deep River”. Variety. 2008年8月8日閲覧。

外部リンク[編集]