吉田喜重

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
よしだ よししげ / きじゅう
吉田 喜重
吉田 喜重
生年月日 1933年2月16日(80歳)
出生地 日本の旗 日本 福井県福井市
職業 映画監督演出家
活動期間 1955年 -
配偶者 岡田茉莉子

吉田 喜重(よしだ よししげ、1933年2月16日 - )は日本の映画監督。名は「きじゅう」と音読みされることが多い。

目次

略歴 [編集]

1933年、福井県福井市佐佳枝下町で生まれる。1945年に順化小学校を卒業後、旧制の県立福井中学に入学。同年8月、福井大空襲で家が焼失する。1947年春に一家で東京へ転居し、田園調布の自宅から都立城南中学に通う。同校は吉田の在学中、学制改革により城南高校となる。この頃、フランス語を習うためアテネ・フランセへ通い、フランス映画をよく観ていた。またNHKラジオに詩を投稿して賞金を貰ったり、演劇部には入らなかったものの、自作の演劇脚本を文化祭で上演するなど、早くも高校時代から才能を顕していた。

1951年、東京大学文学部仏文科入学。哲学科志望であったが、吉田を外交官にしたい父の意向に従い仏文科に進む。同科には矢島翠宮川淳石堂淑朗種村季弘らが在学していた。

1955年大学卒業とともに、石堂と松竹大船撮影所に入社。木下惠介などの助監督を経て、1960年に『ろくでなし』で監督デビュー。大島渚篠田正浩らとともに松竹ヌーヴェルヴァーグの旗手として活躍する[1]1964年女優岡田茉莉子と結婚。新婚旅行中に、監督6作目の『日本脱出』(1964)のラストシーンを松竹により無断でカットされたため退社。1966年に独立プロの「現代映画社」を設立する。

1973年の『戒厳令』を最後に映画界を離れ、テレビドキュメンタリーを数多く制作、1986年の劇映画『人間の約束』により、13年ぶりに映画監督として復帰した。2011年現在の最新作は『鏡の女たち』(2002年)。

1999年、著書『小津安二郎の反映画』で芸術選奨文部大臣賞。2003年にフランス政府より芸術文化勲章オフィシエ章を贈られる。

監督作品 [編集]

著書 [編集]

参考書 [編集]

脚注 [編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 勝田友己によるインタビュー、山田洋次「時代を駆ける:山田洋次:YOJI YAMADA (4)」 『毎日新聞』 2010年1月25日、13版、5面。