コンスタンティン・フィルム

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コンスタンティン・フィルム
Constantin Film AG
種類 株式会社
本社所在地 ドイツの旗 ドイツ
バイエルン州の旗 バイエルン州 ミュンヘン
設立 1979年
業種 情報・通信業
事業内容 映画製作・配給事業
代表者 マルティン・モスコヴィッツドイツ語版
従業員数 422人(2010年12月現在)[1]
主要株主 ハイライト・コミュニケーションズドイツ語版 100%
関係する人物 ヴァルトフリート・バーゼルドイツ語版
プリベン・フィリップセンドイツ語版
ベルント・アイヒンガー
フレット・コーゲルドイツ語版
外部リンク http://www.constantin-film.de/1/home/
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コンスタンティン・フィルム(Constantin Film AG)は、ドイツの映画製作配給会社。スイスハイライト・コミュニケーションズドイツ語版の100%子会社となっている[2]

設立[編集]

1950年4月1日、ドイツ人ヴァルトフリート・バーゼルドイツ語版とデンマーク人プリベン・フィリップセンドイツ語版により、フランクフルト・アム・マインに映画配給会社「コンスタンティン・フィルム・リリース」として設立された。社名はフィリップセンの父コンスタンティン・フィリップセンに由来する。設立時はフィリップセンが会長を務めたが、1955年に辞任した。後任となったバーゼルは、取締役となった妻インゲボルグに支えられ会社を経営し、1950年代から1960年代にかけて会社は成長した。また、この頃、ミュンヘン支社を取り仕切るゲアハルト・F・フンメルドイツ語版の影響力が増していった。

1964年12月21日、社名を「コンスタンティン・フィルム」に変更し、1965年7月1日にはベルテルスマンに株式の60%を売却した。また、1976年には残りの株式もハーゲン社に売却した。翌1977年10月、会長のカール=ハインツ・ボーリングハウスはミュンヘン地方裁判所に破産を申告した[3]

アイヒンガーによる買収[編集]

1978年、映画プロデューサーのベルント・アイヒンガーが買収の意向を表明し、翌1979年に「新コンスタンティン・フィルム」を設立し会長に就任した。1983年からは映画制作事業に参入し、1986年からはキルヒ・グループドイツ語版が経営に参加するようになった。アイヒンガーは1979年から2011年に死去するまでの間、取締役・最高経営責任者・会長・副会長の職を歴任した。

2002年5月、キルヒ・グループの破産後、スイスハイライト・コミュニケーションズドイツ語版が株式の23%を取得した。ハイライト・コミュニケーションズはその後、2003年半ばに58%の株式を取得し、2006年1月には90%を取得し、最終的にハイライト・コミュニケーションズ以外の株主が株式を放棄したため、2009年4月21日の株主総会で完全子会社化が決定した[4]。10月7日にはフランクフルト証券取引所に上場した。この間、アイヒンガーの後任としてフレット・コーゲルドイツ語版が最高経営責任者となり、2009年1月1日にはオリヴァー・バーベンドイツ語版が国内外の映画事業を統括する役員となった[5]

バイオハザードシリーズ[編集]

1998年1月に日本のゲームメーカーカプコンからバイオハザードシリーズの映画化権を獲得し監督・脚本にポール・W・S・アンダーソンを器用しミラ・ジョボビッチを主演に迎え2002年から2016年まで計6作を製作した。2021年にはゲームを忠実に再現したリブート作品バイオハザード: ウェルカム・トゥ・ラクーンシティNetflixでドラマシリーズを製作するなど同社の看板作品となった。

製作作品[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Elektronischer Bundesanzeiger, 10. Mai 2011, Konzernabschluss zum 31. Dezember 2010
  2. ^ Schweizer Highlight schluckt Constantin: 21. April 2009
  3. ^ In den Wind geschrieben Der Spiegel, 46/1977
  4. ^ Constantin Film Squeeze-out eingetragen, finanzen.net, Artikel vom 7. Oktober 2009
  5. ^ Süddeutsche Zeitung

外部リンク[編集]