ニューヨーク・ニックス

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ニューヨーク・ニックス
New York Knicks
2022-23シーズンのニューヨーク・ニックス
所属リーグ アメリカ合衆国の旗  NBA 
カンファレンス  イースタン・カンファレンス 
ディビジョン  アトランティック 
創設 1946年(NBAの前身、BAAのチームとして)
チーム史 ニューヨーク・ニックス
(1946年-)
本拠 ニューヨーク州の旗 ニューヨーク州
ニューヨーク市マンハッタン区
ニューヨーク・ニックスの位置(アメリカ合衆国内)
ニューヨーク・ニックス
アリーナ マディソン・スクエア・ガーデン
チームカラー 青, オレンジ, シルバー, 黒, 白[1][2]
         
主なスポンサー Squarespace[3]
オーナー ジェームズ・ドーラン英語版
社長 レオン・ローズ
GM スコット・ペリー
ヘッドコーチ トム・シボドー
優勝歴 2回
1970年, 1973年
ファイナル進出 8回(1951年, 1952年, 1953年, 1970年, 1972年, 1973年, 1994年, 1999年)
ディビジョン優勝 9回(1953年, 1954年, 1970年, 1971年, 1989年, 1992年, 1993年, 1994年,2013年)
永久欠番  10   12   15   19   22   24   33   613 
NBAGL提携チーム ウェストチェスター・ニックス
公式サイト www.nba.com/knicks
アソシエーションのジャージ
チームカラー
アソシエーション
アイコンのジャージ
チームカラー
アイコン
ステートメントのジャージ
チームカラー
ステートメント
シティエディションのジャージ
チームカラー
シティエディション
クラシックのジャージ
チームカラー
クラシック
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ニューヨーク・ニックスNew York Knicks、またはNew York Knickerbockers)は、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨークに本拠を置く全米プロバスケットボール協会(NBA)のチーム。イースタン・カンファレンスアトランティック・ディビジョン所属。チーム名のknickとはニッカーボッカーズのこと。ニューヨークはオランダ人が開拓した町であることからイメージして名付けられた。

ニックスは、ボストン・セルティックスゴールデンステート・ウォリアーズと共にNBAのオリジナルチームであり、なおかつ結成以来同じ都市を本拠地としている2つのチームのうちの1つである。世界的な都市であるニューヨークを本拠地にしているため、他のチームに比べても注目度は高くトップクラスの人気を誇る。またスパイク・リーなど著名人のファンも多い。1990年代は常に優勝を争っていたが、近年はフロントが迷走し、低迷している。

経済誌『フォーブス』によると、2021年のニックスの資産価値は推定50億ドルされており、全世界のスポーツチームの中ではNFLダラス・カウボーイズMLBニューヨーク・ヤンキースに次ぐ3位、NBAチームの中では1位と格付けされている[4]

歴史[編集]

初期[編集]

ニューヨーク・ニッカーボッカーズ、通称ニューヨーク・ニックスは、NBAの前身であるBAA(Basketball Association of America)のチームとして1946年に創設された。「ニッカーボッカーズ」とは植民地時代初期のオランダ移民が穿いていたズボンの一種で、のちにニューヨークを象徴する存在になった。19世紀には同名の「ニューヨーク・ニッカーボッカーズ」という野球チームがあった。

1949年のNBA創設を挟む時期のニックスは、中堅から強豪といった強さのチームで、1950年代初頭にはNBAファイナル(決勝)にも進んでいる。1950年代後半からは負け越しのシーズンも多くなり、1960年代前半には勝率が4割以下にまで落ち込むこともあった。

リード時代の優勝[編集]

ウィリス・リード

ニックス史における最盛期の始まりとなったのは、1965年ウィリス・リードビル・ブラッドリーの獲得だった。このシーズンにはまだチームは勝ち越せなかったが、1967年ウォルト・フレイジャーをドラフトで指名、同じ年のシーズン中にレッド・ホルツマンをヘッドコーチに迎えて以降ニックスの成績は上向き始めた。同じ67年には、のちにヘッドコーチとして9度のNBAファイナル制覇(シカゴ・ブルズで6回、ロサンゼルス・レイカーズで3回)を果たすフィル・ジャクソンも選手としてニックスに加わっている。1968年にはデイブ・ディバッシャーがトレードでニックスに参加した。

1970年にニックスはリーグ最高の60勝22敗の成績でシーズンを終え、プレイオフではNBAファイナルまで進み、4勝3敗でロサンゼルス・レイカーズを下して初のNBAファイナル制覇を果たした。このシリーズ最終の第7戦で、負傷していたウィリス・リードが怪我をおしてマディソン・スクエア・ガーデンに入場したことはニックス史上最も有名な出来事の一つである。ニックスは1972年にもNBAファイナルに進出したがレイカーズに敗退。翌シーズンにはアール・モンローも加え再びファイナルに進み、レイカーズを破り2度目の優勝を成し遂げた。

低迷期[編集]

その後のニックスは次第に低迷していき、勝率が5割に届かずプレイオフ進出も果たせないシーズンが増えていった。1982年にトレードで獲得したバーナード・キングは得点王にもなる活躍を見せたが、チームはリーグの底辺から中堅程度の強さだった。

ユーイングの時代[編集]

1995年のパトリック・ユーイング

1985年には24勝58敗と低迷し、この低い勝率のためにニックスは翌シーズンのドラフト1位指名権を得た。ニックスはそのドラフトでパトリック・ユーイングを指名、ユーイングはその後20世紀の終わりまでチームにとって最も重要な選手となった。

ユーイングを獲得したもののニックスの勝ち数はすぐには増えなかったが、1989年に52勝30敗でディビジョン首位の成績。しかし翌シーズンには再び勝率が下がっていった。ニックスは1980年代の終わりにかけ、マーク・ジャクソンチャールズ・オークレージョン・スタークスなど1990年代の核になる選手を獲得している。

これらの選手を擁したニックスが再び強豪になるのは、1991年パット・ライリーヘッドコーチを迎えて以降だった。ライリーはニックスをディフェンスの強いチームに育て上げ、他チームを苦しめた。ライリー初年度は51勝、翌シーズンは60勝と勝ち星を増やし、プレイオフではシカゴ・ブルズを追い詰めた。ニックスに再び優勝のチャンスが訪れたのは続く1994年で、シーズン途中にダラス・マーベリックスからデレック・ハーパーをトレードで獲得し、タフなディフェンスにさらに磨きをかけて、プレイオフではマイケル・ジョーダンの引退したシカゴ・ブルズに対して20点差以上つけられた試合も、第4Qに逆転する試合を演じて、ひさびさにNBAファイナルまで勝ち進んだ。ファイナルではアキーム・オラジュワンに率いられたヒューストン・ロケッツと対戦、ユーイングとのセンター対決、ガードの得点能力に注目が集まった。ロケッツの先発ガードの2人、ポイントガードケニー・スミスシューティングガードバーノン・マックスウェルは概ね押さえ込んだが、当時はあまり注目されていなかった控えの新人ガード、サム・キャセールに僅差でリードされていた試合の要所で3ポイントシュートを決められるなど、3勝4敗でロケッツに優勝を譲った。

1990年代のニックスにとって、インディアナ・ペイサーズがライバルチームの1つとなった。プレイオフではペイサーズのレジー・ミラーの活躍がしばしばニックスを苦しめた(詳細はレジー・ミラーの項を参照のこと)。

ライリーは1995年を最後にマイアミ・ヒートに去り、後任にはジェフ・ヴァン・ガンディーが就いた。ヒートもライリーがニックスを退団後、ヒートのコーチになった頃からのライバルで、1997年のプレイオフではヴァン・ガンディーを巻き込んだ乱闘が起きたこともあった。この時、乱闘に直接加わらなかったもののベンチにいて立ち上がった選手も出場停止処分を受けた。

ヴァン・ガンディーに率いられたニックスは、ロックアウトで短縮された1999年のシーズンを27勝23敗とイースタン・カンファレンス8位の成績で終え、辛うじてプレイオフ進出を果たした。しかしその後はプレイオフ1回戦で宿敵ヒートを破るなど、快進撃を続け第8シードからNBAファイナルまで進んだNBA史上初のチームになった。この年のNBAファイナルでは、サンアントニオ・スパーズに1勝4敗で敗れて優勝を果たせなかった。翌1999-2000シーズンが終わると、ユーイングはシアトル・スーパーソニックスへ放出された。

アイザイア・トーマス体制[編集]

ユーイング退団後不振に喘ぐニックスは、2003年にかつてデトロイト・ピストンズで活躍したアイザイア・トーマスをジェネラルマネージャーに迎えた。トーマスはニックスの潤沢な財源を利用して選手と次々と高額契約を結びチーム改革を進めたが、彼が獲得した選手はステフォン・マーブリースティーブ・フランシスアンファニー・ハーダウェイなどガードの選手に偏り、さらにエディ・カリーザック・ランドルフなど自分本位なプレイが批判される選手が多かった。特にマーブリーは、2005年にHCに就任した名将ラリー・ブラウンと度々衝突するなどチームがバラバラな状態に陥ったニックスはさらに低迷した。

高額契約した選手のほぼ全員が期待どおりに働かず、放出した選手が他チームで活躍するなど、ゼネラルマネージャーのアイザイアの手腕を疑問視する声も聞こえる中、2006-2007シーズンにはトーマスが自らHCに就任。しかしマーブリーはトーマスとも衝突し、チームの状況はかえって深刻に悪化した。2007年にはトーマス自身のセクハラ訴訟もあり、トーマス体制に辟易していたニックスファンは、MSGで「ファイヤー・アイザイア(アイザイアをクビにしろ)」の大合唱をする始末で、トーマスを擁護し続けてきた球団オーナーもトーマスの解任を決断せざるを得なくなった。

トーマス体制からの脱却[編集]

2008年、元インディアナ・ペイサーズGMのドニー・ウォルシュがジェネラルマネージャーに、フェニックス・サンズで辣腕を振るったマイク・ダントーニがHCにトーマスの後任としてそれぞれ就任した。彼らの就任後、2009-10シーズン後にFAとなるレブロン・ジェームズアマーレ・スタウダマイアーといった大型選手獲得に向けたサラリーキャップ対策を実施。その間のチーム成績は振るわなかったものの、トーマス体制で獲得し活躍できなかった選手を次々とトレード等で放出して、サラリーキャップを大きく空けることに成功した。そして、2009-10シーズンオフ、1番獲得したかったジェームズを獲得する事ができなかったものの、スタウダマイアーを獲得する事に成功した。2011年2月22日の大型トレードでデンバー・ナゲッツよりカーメロ・アンソニーチャウンシー・ビラップスらを獲得しチーム強化を進めている。

マイク・ダントーニ体制からマイク・ウッドソン体制[編集]

2011-2012シーズンの途中でマイク・ダントーニが解任され、当時アシスタント・コーチであったマイク・ウッドソンが暫定ヘッドコーチに就任した。その後マイク・ウッドソンは正式なヘッド・コーチに就任し、オフシーズンにジェイソン・キッドマーカス・キャンビーラシード・ウォレスらベテランを獲得し、それまでのマイク・ダントーニのオフェンス中心のスタイルから、ディフェンス中心のチームに変えた。2012-2013シーズンはスタートダッシュに成功し、ニューヨーク・ニックスを強豪に変身させた。

フィル・ジャクソン体制(2014年以降)[編集]

  • 2013年9月26日、ニックスは、GMをスティーブ・ミルズに交代することを発表、[5]、2014年3月10日、NBADリーグのホワイトプレーンズ買収を発表した[6]。 1月22日フォーブス誌は、ニックスが世界で最も資産価値(1.4億ドル)が高いバスケットボール球団であると報じた[7]
カーメロ・アンソニー

2014年1月24日、 カーメロ・アンソニーがフランチャイズ記録の62得点、13リバウンドを達成[8]。 2014年3月18日、フィル・ジャクソンが球団社長に就任することを発表した[9]。 2014年4月21日、マイク・ウッドソンをすべてのスタッフとともに解雇した。[10]2013-14シーズンは37勝45敗、イースタンカンファレンス9位という不本意な結果に終わった。2014年6月9日、かつてフィル・ジャクソンの下で5度のチャンピオンに輝いたデレック・フィッシャーをヘッドコーチとして招き、5年2500万ドルの契約を交わした。

カーメロからポルジンギスへ[編集]

  • 2017年9月25日、2011年からチームのエースを務めてきたカーメロをオクラホマシティ・サンダーにトレード[12]、ポルジンギスの一頭体制に移ることになった。2018年1月23日にはポルジンギスがキャリア初のオールスター選ばれたが[13]、2月6日のミルウォーキー・バックス戦で左膝前十字靭帯断裂の大怪我を負い長期離脱が決定した[14]。結局、昨季から2つ勝ち星を落とし29勝53敗でシーズン終了、5季連続でプレーオフ進出を逃した[15]。2018年4月12日、ホーナセックをヘッドコーチの職から解任した[16]

続く迷走[編集]

R・J・バレット

低迷脱却へ[編集]

  • 2020-2021シーズンはディフェンシブチームの構築に定評のあるトム・シボドーが新ヘッドコーチに就任[19]。これによりチームのディフェンスは飛躍的に向上した。さらに在籍2年目のジュリアス・ランドルがオールスターに選出されるなどエースに成長。2年目のバレットや新人のイマニュエル・クイックリーらの活躍もあり、開幕からプレーオフ争いを演じる。シーズン途中にはかつてシボドーのもとでプレーしたローズを再びトレードで獲得した。その後もランドルを中心にチームは奮闘。シーズン終盤には9連勝を記録するなど快進撃を見せ、8年ぶりとなるプレーオフ進出を決めた。

シーズンごとの成績[編集]

Note: 勝 = 勝利数, 敗 = 敗戦数, % = 勝率

シーズン % プレーオフ 結果
ニューヨーク・ニックス
1946–47 33 27 .550 1回戦勝利
カンファレンス決勝敗退
ニックス 2, クリーブランド 1
フィラデルフィア 2, ニックス 0
1947–48 26 22 .542 1回戦敗退 ボルチモア 2, ニックス 1
1948–49 32 28 .533 1回戦勝利
カンファレンス決勝敗退
ニックス 2, ボルティモア 1
ワシントン 2, ニックス 1
1949–50 40 28 .588 1回戦勝利
カンファレンス決勝敗退
ニックス 2, ワシントン 0
シラキュース 2, ニックス 0
1950–51 36 30 .545 1回戦勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退
ニックス 2, セルティックス 0
ニックス 3, シラキュース 2
ロチェスター 4, ニックス 3
1951–52 37 29 .561 1回戦勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退
ニックス 2, セルティックス 1
ニックス 3, シラキュース 1
ミネアポリス 4, ニックス 3
1952–53 47 23 .671 1回戦勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退
ニックス 2, ボルティモア 0
ニックス 3, セルティックス 1
ミネアポリス 4, ニックス 1
1953–54 44 28 .611 総当り戦
総当り戦
シラキュース 2, ニックス 0
セルティックス 2, ニックス 0
1954–55 38 34 .528 1回戦敗退 セルティックス 2, ニックス 1
1955–56 35 37 .486 1回戦敗退 シラキュース 1, ニックス 0
1956–57 36 36 .500
1957–58 35 37 .486
1958–59 40 32 .556 1回戦敗退 シラキュース 2, ニックス 0
1959–60 27 48 .360
1960–61 21 58 .266
1961–62 29 51 .363
1962–63 21 59 .263
1963–64 22 58 .275
1964–65 31 49 .388
1965–66 30 50 .375
1966–67 36 45 .444 1回戦敗退 セルティックス 3, ニックス 1
1967–68 43 39 .524 1回戦敗退 シラキュース 4, ニックス 2
1968–69 54 28 .659 1回戦勝利
カンファレンス決勝敗退
ニックス 4, ボルチモア 0
セルティックス 4, ニックス 2
1969–70 60 22 .732 1回戦勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル優勝
ニックス 4, ボルチモア 3
ニックス 4, バックス 1
ニックス 4, レイカーズ 3
1970–71 52 30 .634 1回戦勝利
カンファレンス決勝敗退
ニックス 4, ホークス 1
ボルチモア 4, ニックス 3
1971–72 48 34 .585 1回戦勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退
ニックス 4, ボルチモア 2
ニックス 4, セルティックス 1
レイカーズ 4, ニックス 1
1972–73 57 25 .695 1回戦勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル優勝
ニックス 4, ボルチモア 1
ニックス 4, セルティックス 3
ニックス 4, レイカーズ 1
1973–74 49 33 .598 1回戦勝利
カンファレンス決勝敗退
ニックス 4, キャピタル 3
セルティックス 4, ニックス 1
1974–75 40 42 .488 1回戦敗退 ロケッツ 2, ニックス 1
1975–76 38 44 .463
1976–77 40 42 .488
1977–78 43 39 .524 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ニックス 2, キャブス 0
シクサーズ 4, ニックス 0
1978–79 31 51 .378
1979–80 39 43 .476
1980–81 50 32 .610 1回戦敗退 ブルズ 2, ニックス 0
1981–82 33 49 .402
1982–83 44 38 .537 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ニックス 2, ネッツ 0
シクサーズ 4, ニックス 0
1983–84 47 35 .537 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ニックス 3, ピストンズ 2
セルティックス 4, ニックス 3
1984–85 24 58 .293
1985–86 23 59 .280
1986–87 24 58 .293
1987–88 38 44 .463 1回戦敗退 セルティックス 3, ニックス 1
1988–89 52 30 .634 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ニックス 3, シクサーズ 0
ブルズ 4, ニックス 2
1989–90 45 37 .549 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ニックス 3, セルティックス 2
ピストンズ 4, ニックス 1
1990–91 39 43 .476 1回戦敗退 ブルズ 3, ニックス 0
1991–92 51 31 .622 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ニックス 3, ピストンズ 2
ブルズ 4, ニックス 3
1992–93 60 22 .732 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
ニックス 3, ペイサーズ 1
ニックス 4, シャーロット 1
ブルズ 4, ニックス 2
1993–94 57 25 .695 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退
ニックス 3, ネッツ 1
ニックス 4, ブルズ 3
ニックス 4, ペイサーズ 3
ロケッツ 4, ニックス 3
1994–95 55 27 .671 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ニックス 3, キャブス 1
ペイサーズ 4, ニックス 3
1995–96 47 35 .573 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ニックス 3, キャブス 0
ブルズ 4, ニックス 1
1996–97 57 25 .695 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ニックス 3, シャーロット 0
ヒート 4, ニックス 3
1997–98 43 39 .524 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ニックス 3, ヒート 2
ペイサーズ 4, ニックス 1
1998–99 27 23 .540 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝勝利
NBAファイナル敗退
ニックス 3, ヒート 2
ニックス 4, ホークス 0
ニックス 4, ペイサーズ 2
スパーズ 4, ニックス 1
1999–2000 50 32 .610 1回戦勝利
カンファレンス準決勝勝利
カンファレンス決勝敗退
ニックス 3, ラプターズ 0
ニックス 4, ヒート 3
ペイサーズ 4, ニックス 2
2000–01 48 34 .585 1回戦敗退 ラプターズ 3, ニックス 2
2001–02 30 52 .366
2002–03 37 45 .451
2003–04 39 43 .476 1回戦敗退 ネッツ 4, ニックス 0
2004–05 33 49 .402
2005–06 23 59 .280
2006-07 33 49 .402
2007-08 23 59 .280
2008-09 32 50 .390
2009-10 29 53 .354
2010-11 42 40 .512 1回戦敗退 セルティックス 4, ニックス 0
2011-12 36 30 .545 1回戦敗退 ヒート 4, ニックス 1
2012-13 54 28 .659 1回戦勝利
カンファレンス準決勝敗退
ニックス 4, セルティックス 2
ペイサーズ 4, ニックス 2
2013-14 37 45 .451
2014-15 17 65 .207
2015-16 32 50 .390
2016–17 31 51 .378
2017–18 29 53 .354
2018–19 17 65 .207
2019–20 21 45 .318
2020–21 41 31 .569 1回戦敗退 ホークス 4, ニックス 1
通算勝敗 2,840 3,019 .485
プレイオフ 186 192 .492 優勝2回

主な選手[編集]

現役選手[編集]

ニューヨーク・ニックス ロースター
プレーヤー スタッフ
Pos. # 名前 国籍 年齢 身長 体重 出身
F/C 5 プレシャス・アチュワ (Precious Achiuwa) ナイジェリア 24 (1999/09/19) 6 ft 8 in (2.03 m) 243 lb (110 kg) メンフィス大学 
F 8 OG・アヌノビー (O.G. Anunoby) イギリス 26 (1997/07/17) 6 ft 7 in (2.01 m) 240 lb (109 kg) インディアナ大学 
F 44 ボヤン・ボグダノビッチ (Bojan Bogdanović) クロアチア 35 (1989/04/18) 6 ft 7 in (2.01 m) 226 lb (103 kg) クロアチア 
G 4 チャーリー・ブラウン・ジュニア (Charlie Brown Jr.)  アメリカ合衆国 27 (1997/02/02) 6 ft 6 in (1.98 m) 199 lb (90 kg) セントジョセフス大学 
G 18 アレック・バークス (Alec Burks) アメリカ合衆国 32 (1991/07/20) 6 ft 5 in (1.96 m) 214 lb (97 kg) コロラド大学 
G 11 ジェイレン・ブランソン (Jalen Brunson) アメリカ合衆国 27 (1996/08/31) 6 ft 1 in (1.85 m) 190 lb (86 kg) ビラノバ大学 
G 0 ドンテ・ディビンチェンゾ (Donte DiVincenzo) アメリカ合衆国 27 (1997/01/31) 6 ft 4 in (1.93 m) 203 lb (92 kg) ビラノバ大学 
F/C 55 アイザイア・ハーテンシュタイン (Isaiah Hartenstein) ドイツ 25 (1998/05/05) 7 ft 0 in (2.13 m) 249 lb (113 kg) ドイツ 
G/F 3 ジョシュ・ハート (Josh Hart) アメリカ合衆国 29 (1995/03/06) 6 ft 4 in (1.93 m) 215 lb (98 kg) ビラノバ大学 
G 2 マイルズ・マクブライド (Miles McBride) アメリカ合衆国 23 (2000/9/8) 6 ft 2 in (1.88 m) 200 lb (91 kg) ウェストバージニア大学 
G/F 13 シェイク・ミルトン (Shake Milton) アメリカ合衆国 27 (1996/09/26) 6 ft 5 in (1.96 m) 205 lb (93 kg) SMU 
F 30 ジュリアス・ランドル (Julius Randle) キャプテン  アメリカ合衆国 29 (1994/11/29) 6 ft 8 in (2.03 m) 250 lb (113 kg) ケンタッキー大学 
C 23 ミッチェル・ロビンソン (Mitchell Robinson) アメリカ合衆国 26 (1998/04/01) 7 ft 0 in (2.13 m) 240 lb (109 kg) シャルメット高等学校 
C 45 ジェリコ・シムズ (Jericho Sims) アメリカ合衆国 25 (1998/10/20) 6 ft 10 in (2.08 m) 245 lb (111 kg) テキサス大学 
F 00 ジェイコブ・トッピン (Jacob Toppin) アメリカ合衆国 23 (2000/05/08) 6 ft 8 in (2.03 m) 200 lb (91 kg) ケンタッキー大学 
G 1 デュアン・ワシントン・ジュニア (Duane Washigton Jr.)  アメリカ合衆国 24 (2000/03/24) 6 ft 2 in (1.88 m) 197 lb (89 kg) オハイオ州立大学 

記号説明


外部リンク


更新日:2024年04月3日


年代別主要選手[編集]

太文字…殿堂入り選手 (C)…優勝時に在籍した選手 (M)…在籍時にMVPを獲得した選手 (50)…偉大な50人 (75)…偉大な75人

栄誉[編集]

コーチ、その他[編集]

チーム記録[編集]

ニューヨーク・ニックスのチーム記録

脚注[編集]

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  2. ^ New York Knicks Reproduction and Usage Guideline Sheet”. NBA Properties, Inc.. 2016年8月10日閲覧。
  3. ^ "Squarespace X Knicks Announce Signature Partnership". NYKnicks.com (Press release). NBA Media Ventures, LLC. 10 October 2017. 2017年12月17日閲覧
  4. ^ World’s Most Valuable Sports Teams 2021” (英語). Forbes (2021年5月7日). 2021年6月11日閲覧。
  5. ^ Steve Mills rejoins Knicks as GM”. ESPN New York (2013年9月26日). 2013年9月26日閲覧。
  6. ^ NBA D-League Expands to 18 as Knicks Purchase Team”. NBA.com (2014年3月10日). 2014年3月10日閲覧。
  7. ^ Forbes Releases 16th Annual NBA Team Valuations”. Forbes.com (2014年1月22日). 2014年5月5日閲覧。
  8. ^ Ben Golliver, "Carmelo Anthony sets Knicks franchise, MSG scoring records with career-high 62 points", Sports Illustrated, 11 February 2014
  9. ^ Phil Jackson Named President of New York Knicks 2013- 2014 NBA the New York Knicks would miss the playoffs finalized”. knicksnow.com (2014年3月18日). 2014年3月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月18日閲覧。
  10. ^ Begley, Ian. “Knicks fire entire coaching staff”. Article. ESPN. 2014年4月21日閲覧。
  11. ^ Stoudemire's time in New York done after buyout from Knicks --- YahooSports.com
  12. ^ Thunder Acquires All-Star Forward Carmelo Anthony
  13. ^ ブラッドリー・ビール、ビクター・オラディポ、クリスタプス・ポルジンギス、カール・アンソニー・タウンズが初選出”. NBA.com (2018年1月24日). 2018年1月25日閲覧。
  14. ^ Giannis dunks over Knicks, who lose Porzingis to knee injury” (英語). ESPN.com. ESPN (2018年2月6日). 2018年2月7日閲覧。
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  16. ^ JEFF HORNACEK RELIEVED OF HEAD COACHING DUTIES” (英語). NBA.com (2018年4月12日). 2018年4月13日閲覧。
  17. ^ ニックスがデイビッド・フィズデイルHCを解任”. www.sportingnews.com. 2020年3月2日閲覧。
  18. ^ ニックスがスティーブ・ミルズ球団社長を解雇 | NBA Rakuten”. nba.rakuten.co.jp. 2020年3月2日閲覧。
  19. ^ New York Knicks Name Tom Thibodeau Head Coach”. NBA.com (2020年7月30日). 2020年10月21日閲覧。

外部リンク[編集]