Wikipedia:井戸端/subj/夕刊フジの特別扱い

夕刊フジの特別扱い[編集]

本議論[編集]

先行議論はノート:加計学園問題#夕刊フジです。数ある大衆紙の中で夕刊フジだけを特別扱いする意見があります。前提として、夕刊フジは自ら大衆紙[1]と称しており、WP:NOTRSでは「夕刊紙やスポーツ紙のような娯楽中心の大衆紙」を「信頼性に乏しい出版物」としています。さて夕刊フジを特別扱いする根拠の1つは、日本新聞協会に加盟との事ですが[2]、「加盟しているスポ日は、加盟していないロイター日本支社より信頼できる」とはなりません。また、新聞社が発行という意見もどこかで見ましたが、その理屈でいうと週刊朝日やサンデー毎日も同様に扱うことになります。他に根拠がなければ、夕刊フジは他の大衆紙と同様に扱うべきです。次に、Wikipedia:井戸端/subj/大衆紙は政治問題や存命人物の批判の出典に使用できるか?では、文責が専門家の場合、大衆紙でも使用できるという意見が多くありました。例えば、[3]はギルバート氏に文責があります。一方、[4]の文責は和田氏ではなく編集部と判断します。娯楽中心の大衆紙が部分的に拾った発言と判断し、これは使用できない出典と考えます。これについても御意見頂きたく思います。関連議論としては、ノート:竹中平蔵#2017年6月12日付け編集ついてノート:豊田真由子#カテゴリー論の間違いがあります。--JapaneseA会話2017年7月31日 (月) 06:50 (UTC)[返信]

  • コメント まず、最も問題なのは、日本共産党の機関誌にすぎないしんぶん赤旗のみの特別扱いが横行し多用されすぎていることですが、JapaneseAさんは、なぜ、それを指摘されても結論を先延ばしされ続けているのでしょうか。なぜ、最も問題が大きいしんぶん赤旗の扱いに関する意見を保留され続けているのか、まったく回答していただけません。また、ハフポストのブログやBLOGOSのブログ、まぐまぐマネーボイス(編集部の査読なしの個人記事でブログと同等)など、明らかに一次資料であると方針で定められているものについて、頑として一次資料であると認められないJapaneseAさんの態度についても、疑問に感じています。JapaneseAさんによる、しんぶん赤旗やハフポストのブログ、BLOGOSのブログ、まぐまぐマネーボイスの主張(査読なし)に関する態度を見ていると、ダブルスタンダードではないかと感じることがあります。夕刊フジは、産業経済新聞社が発行している夕刊紙であり、日本新聞協会にも加盟しています。必ずしも娯楽というわけではありません。日本新聞協会への加盟が意味するところは、「雑誌」ではないということです。スポニチも「雑誌」ではありません。しかし、日刊ゲンダイは一般的に雑誌扱いであり[5]日本新聞協会に加盟していません。日本新聞協会への加盟という事実により、雑誌とは根本的に異なることは明らかであることを再三述べているにもかかわらず、JapaneseAさんは、夕刊フジを雑誌と同じだと決めつけられていますが、単なる思い込みを捨ててもらわない限り、全く議論になりません。一般雑誌は貧弱な情報源であることは明らかですが、JapaneseAさんは、夕刊フジが「娯楽中心」であることを、これまで一度も証明されていません。夕刊フジについては、学者や政治家など有識者が連載している娯楽ではない政治経済コラムもあります。また、国会議事録に書かれていることが引用されていたり、政治家の主張が引用されている記事について、夕刊フジ自身の批評にふれず、国会での発言や政治家の主張の引用の出典に使うことについては正確性についても問題ないと思います。国会の議事録という一般公開されている一次資料などで確認が出来ることばかりです。国会の議事録は一次資料であり長いので、それが簡潔に見やすくなっている夕刊フジも出典としてつけることについて、特別扱いではないと思います。機関誌のしんぶん赤旗や一次資料であるブログの除去には反対され続けているにも関わらず、夕刊フジを国会議事録の二つ目の出典につけることに目くじらを立てておられるのはなぜでしょうか。--はるみエリー会話2017年7月31日 (月) 08:21 (UTC)[返信]
    • コメント 論点をずらさないでください。赤旗について何かやりたいのであれば別に議論を設けてやればいいじゃないですか。なんで「赤旗は許されるのに夕刊フジを許さないのか」になるのかわかりません。1点目、夕刊フジは「大衆紙」の扱いであって、通常のWikipedia:信頼できる情報源には反していますから、特別に理由を示せないなら除去される対象になります。大衆紙とは、読者に受け入れやすいように作られているもので、多くは書誌(雑誌)を指しますが、新聞媒体でも大衆紙という分類はあります。2点目、国会での発言(議事録)についてフジで補わなければならない理由が説明されていません。別の情報源で補えないのでしょうか。フジは分類でいえば信頼できる情報源で扱いを慎重にしなさいとされている情報源なんですから、それならば同じ情報を一次情報源で補っても問題はないでしょう。3点目、信頼できる情報源であるかどうかは日本新聞協会に加盟しているかどうかではありません。どこにも「日本新聞協会に加盟すれば信頼できる情報源である」とは書かれていません。少なくともWikipedia:検証可能性を知っていれば「信頼性に乏しい」とは判断されるはずです。以上から、Wikipedia:信頼できる情報源Wikipedia:検証可能性Wikipedia:中立的な観点という記事を書く上で必要な三大方針を読み込めば、「夕刊フジは信頼できる情報源である」とは言えないはずですが、その点はどうお考えなんでしょうか。--アルトクール会話2017年7月31日 (月) 12:59 (UTC)[返信]
論点をずらしてはいません。前半で主張を述べましたが、夕刊フジについて、後半で論点をずらさずに発言していますので、きちんとお読み下さい。信頼できる情報源であるかどうかについて、0か100かという考え方に当てはめられるとは限りません。二次資料として有用な情報もありますし、ケースバイケースで判断すべきだと思います。アルトクールさんの主張によると、三大方針を読み込まなければ理解できないということですが、それはつまり、明確に方針で否定されていないから解釈に頼っているということを言い換えられているにすぎません。国会の議事録にすでに公表されていることを二つ目の出典として夕刊フジをつけたことについて、なぜ、JapaneseAさんが不当だと主張されているのかなど、具体的な事例をひとつずつ検証しなければ、抽象論だけ言っていてもまったくなんの解決にもなりません。説明責任があるのはJapaneseAさんのほうであり、それを果たされていないままです。--はるみエリー会話2017年7月31日 (月) 13:36 (UTC)[返信]

コメント JapaneseAさんは、「しんぶん赤旗の特別扱い」などの特別扱いが存在してことを言わず、「夕刊フジの特別扱い」だけが存在しているかのように決めつけられた上で、自分の主張を通そうとされているように見えますが、そういう抽象論では水掛け論にしかならず、公平性にも欠けます。ケント・ギルバートの文責はいいかとか、国会議事録という公開情報がありそれと同じ事が書いてあることの二次資料として良いかなど、具体論で議論しないと解決しないと思います。国会議事録の二次資料としての利用は、雑誌や機関誌なら記述不要ですが、夕刊フジやJ-CASTニュースなどのネットニュースなら許容範囲だと思います。信頼できる情報源の「信頼」とは0か100かしか存在しないわけではありません。夕刊フジと雑誌とは明確に異なるにもかかわらず同一として論じていることがそもそもの間違いの元です。そういう細かな印象操作が生じたとしても、そういうことに左右されないように具体性をもたせた依頼にするべきです。--はるみエリー会話2017年7月31日 (月) 13:58 (UTC)[返信]

  • コメント 提起者のJapaneseAさんの議題は「大衆紙の中で夕刊フジだけを特別扱いする」ことについてです。提起された議題に対してのみについて議論してください。アルトクールさんと同様、赤旗を論じたければ余所でお願いします(公平性に欠けるというなら、なおさらご自分で赤旗の特別扱いを議論として建てれば済む話です)。「頑として一次資料であると認められないJapaneseAさんの態度についても、疑問に感じています。」のような、他の編集者のメディアの捉え方など無用な言及です。「説明責任があるのはJapaneseAさん」も同様。JapaneseAさんは本議題の単なる提起者に過ぎません。説明責任があるとすれば、例えば議題が曖昧で明確すべきなどの場合に限られるでしょう。本議論においては、当該議題にのみフォーカスしてロジカルに(個人の見解・メディアの捉え方は本議論に差し挟まず、メディアの特質や、RSか否かの根拠を何とするか、など)議論するよう強く求めます。はるみエリーさんへの議論参加についてのお願いは以上にしますが、一点私からお尋ねします。はるみエリーさんのコメントで、「日本新聞協会への加盟が意味するところは、「雑誌」ではないということです。」について、日本新聞協会の加盟会社を確認しました。なるほど、明らかに雑誌系出版社は会員にいないようです。一方、4大キー局(テレビ朝日、日本テレビ、TBSテレビ、フジテレビ)、その他テレビ東京やWOWOW、地方局やラジオ局も加盟しています。はるみエリーさんは、日本新聞協会の加盟を信頼出来る情報源の判断基準で相当重要なファクタと考えているとお見受けしますが、協会加盟の関西テレビの放送コンテンツが、非加盟のNew York TimesやFinancial Timesの記事より信頼性が高いと考えてらっしゃるのでしょうか。ご見解をお聞かせください。--Okiifstation会話2017年7月31日 (月) 15:33 (UTC)[返信]
Okiifstationさんは、「提起された議題に対してのみについて議論してください」と人に言っていながら、自分はいきなり、議題と異なる新たな質問をされていますが、こういう態度をダブルスタンダードと言います。論点ずらしにもなっています。「日本新聞協会の加盟を信頼出来る情報源の判断基準で相当重要なファクタと考えている」と発言したことはなく、勝手な思い込みによる決めつけもおやめください。日本新聞協会に加盟できるのは、雑誌ではないからだ、と言っているだけです。夕刊フジは雑誌ではないのに、雑誌と同じであるかのようにJapaneseAさんが言われていることについて、間違っているのは明白です。Okiifstationさんは、はるみエリーが参加している様々な対話で、個人攻撃ではないのに個人攻撃だ、と逆にはるみエリーを攻撃される行動や、逆張り的な発言をされるだけに見える行動を起こされていますが、このような態度はたんに感情的な動向に見えます。落ち着いてこれまでの議論で出された方針をお読みください。--はるみエリー会話2017年8月1日 (火) 04:05 (UTC)[返信]
確かに議題は「大衆紙の中で夕刊フジだけを特別扱いする」点ですね。日本新聞協会に関する質問は議題の傍論なので質問しましたが、はるみエリーさんの言うとおり、提起された議題からずれていると言わざるを得ません。よって、質問は撤回しお詫びします。なお、『「日本新聞協会の加盟を信頼出来る情報源の判断基準で相当重要なファクタと考えている」と発言したことはなく』について、そのような発言があったとは言っていません。しかし、はるみエリーさんがノート:竹中平蔵の2017年7月22日 (土) 11:30(UTC)で、「なぜ、日本新聞協会の加盟に言及してはいけないのでしょうか。大衆紙ではあっても、日本新聞協会に加盟しているメディアのほうが、日本新聞協会非加盟のメディアよりも信頼性が高いと判断していることを否定する方針はありません。」との発言、ノート:前川喜平の2017年7月14日 (金) 09:30 (UTC)で、「夕刊フジは日本新聞協会に加盟していますが、日刊ゲンダイや日本共産党の機関誌であるしんぶん赤旗は日本新聞協会非加盟です。」との発言から、相当重要なファクタだと『お見受けします』と述べました(断定はしておらず、そのような傾向が見られるという意味です)。勝手な思い込みについて、これは頻度や感じ方によるところがあるので平行線になるかも知れませんが、上記のようなはるみエリーさんの発言の事実から敷衍した私の主観ですが、少なくとも事実を起点にしているため勝手な思い込みとまでは考えていません。一方、はるみエリーさんが勝手な思い込みと捉えられるのも、私の主観と大枠変わらないため、これについては争わないことにします。「日本新聞協会に加盟できるのは、雑誌ではないからだ、と言っているだけです。」というのは、客観的に見て間違い、または発言が矛盾していると言えます。はるみエリーさんは、ノート:竹中平蔵で、日本新聞協会の加盟の有無を信頼性の高低判断にしていることを否定する方針はないと明言されています。最後に、私も認めるところでお詫びもしましたが、最後段の「Okiifstationさんは、はるみエリーが参加している様々な対話で、(略)方針をお読みください。」は、私も筆が滑った「本議論以外の議論は控える」ことに反します。このような言及は論点ずれを招くので、お互い注意して議論を行いましょう。--Okiifstation会話2017年8月1日 (火) 14:40 (UTC)[返信]
「夕刊フジは雑誌ではないのに、雑誌と同じであるかのようにJapaneseAさんが言われていることについて、間違っているのは明白です。」という意見について、「夕刊フジは雑誌でなく、雑誌と同じであるかのように扱うのは明白に間違っている」理由ないし根拠を、できる限りロジカルに(つまり、誰かの言動等に依拠せず、メディアの特質などに基づき、および/または、必要に応じてWP方針やWPコミュニティで確立された一定のコンセンサスに基づいて)論じてください。明白と断言するのであれば、主観ではなく正確性・客観性のあるロジックで論じていただくようお願いします。--Okiifstation会話2017年8月1日 (火) 14:59 (UTC)[返信]
Okiifstationさんは、「提起された議題に対してのみについて議論してください」と人に注意しつつ、一方で、自分が進んで、「提起された議題」と異なる議論を度々提起され、話を逸らし続ける、というダブルスタンダードな行動を繰り返さないでください。「夕刊フジは日本新聞協会に加盟していますが、雑誌は加盟出来ません。」と、何度も同じ話をしていますが、きちんと読まれていないのでしょうか。日本新聞協会は「新聞社・通信社・放送局」が加盟対象です。まず、他人の発言をきちんと読まれた上で、ダブルスタンダードな発言を繰り返されるなどの混乱を呼ぶような行動はお控えください。また、論理的には「夕刊フジが雑誌ではない」ことを証明しろ、というのは、そもそもが悪魔の証明であり、「夕刊フジが雑誌である」ということを証明したい側が証明してください。--はるみエリー会話2017年8月2日 (水) 08:40 (UTC)[返信]
ダブルスタンダードと指摘されないよう必要最小限だけ。お互い「本議論以外の議論」があったことを記載した上で(具体的事実を記載しないとお互いはぐらかす可能性があります)、「こういうのは控えましょう」と述べただけです。度々提起などしていません。(←左記記載は、異なる議題提起ではないことを念押ししておきます)。--Okiifstation会話2017年8月2日 (水) 09:22 (UTC)[返信]
必要に応じて「本議論以外の議論」を話すべきである場合もあります。そもそも、議題そのものがおかしいことは指摘せざるをえず、「提起された議題に対してのみについて議論しなければならない」ということは思い込みにしたがって、注意される必要が初めから無かったと思います。--はるみエリー会話2017年8月2日 (水) 13:35 (UTC)[返信]
「そもそも、議題そのものがおかしい」という見解に対しては私の意見表明は控えます。議題そのものがおかしいというのが、客観的に見て是とも否とも言えるほど明らかではないように見受けられるため。とはいうものの、議題そのものがおかしい可能性も否定できないため、はるみエリーさんのいう「必要に応じて「本議論以外の議論」を話すべきである場合もあります。」は理解しました。いずれにせよ、議題に対する議論でも、議題そのものの疑義に関する議論でも、出来る限り主観は排し、客観性のあるロジックが好ましいと考えます。--Okiifstation会話2017年8月2日 (水) 14:27 (UTC)[返信]

コメント JapaneseAさんは、これまで、一度も、夕刊フジが雑誌と同じと証明されたことはなく、何の根拠もなく言い続けられているため、それについて態度を改めてください。「数ある大衆紙の中で夕刊フジだけを特別扱いする意見がある」という前提についても、「サンデー毎日だけを特別扱いする意見(ノート:豊田真由子#カテゴリー論の間違い)」や「週刊朝日だけを特別扱いする意見(ノート:竹中平蔵#2017年6月12日付け編集ついて)」が存在することを知りつつ、それを隠し「関連議論」と言われるなどは、「夕刊フジだけが特別扱いする意見」が多いかのように見せかけようとされているかのような印象操作にしか見えません。Wikipedia:井戸端/subj/大衆紙は政治問題や存命人物の批判の出典に使用できるか?によっても、夕刊フジは雑誌と同一ではないのは明らかであるにも関わらず、なぜ、いい加減な発言をされ続けるのでしょうか。なんの根拠もなく決めつけをもとに議論提起されていますが、それについて根拠を示すべきなのはJapaneseAさんのほうです。JapaneseAさんが根拠を示されない限り、夕刊フジと雑誌を同一視するというようなそもそもの議論提起が成り立たず、議論を始める段階にさえ到達できません。雑誌のなかでも、週刊朝日やサンデー毎日など週刊誌と、月刊論壇誌も同一に扱うべきではなく、議論の提起の仕方がそもそも雑すぎます。同じ雑誌でも、週刊誌単独は原則としてダメ(存命人物に肯定的な場合はOK)、月刊論壇誌はケースバイケースで帰属化して記述OKなど、普段の編集で違った扱いをしているにも関わらず、それを隠して、夕刊フジを週刊朝日やサンデー毎日などと同じであるかのようにいきなり言われるなどは、暴論にすぎません。--はるみエリー会話2017年8月2日 (水) 08:40 (UTC)[返信]

まず、「雑誌」vs「新聞」、というのはちょっと変な論点です。「雑誌」の方が大きな概念なので比較にならず、あまり議論しても仕方ない点だと思います。元々の提起に戻って、『夕刊フジ』は大衆紙(タブロイド紙でもよいです)に近いか高級紙に近いか、という点、大衆紙ならば高級紙には劣る信頼性なのではないか、という点についてはいかがですか。ジャーナリズム研究者の川井良介(東京経済大学)氏は日本の「主要な夕刊紙」として『夕刊フジ』と『日刊ゲンダイ』を挙げ、詳細に比較しています(稲葉三千男/新井直之編『新聞学』p.240から)。川井氏の分析によれば、タブロイド版であること、紙面が派手であること、男性サラリーマン向けの実益重視の記事を掲載していること、野球・ギャンブルなどの娯楽情報を提供していること、の4点が両紙に共通する特徴であるそうです。この2つを「タブロイド判の「夕刊紙」」とする別の例(後藤将之氏)もありますように、少なくともこの2紙を同列に扱うのはジャーナリズム研究では一般的といっていいかと思います。ちなみに後藤氏の場合は『夕刊フジ』と『日刊ゲンダイ』の2つを「新聞」の一種として解説していますね。川井氏も同様です。雑誌か新聞かについても、特定の団体の定義によれば○○紙は雑誌である新聞であるというのはあくまでその団体の主張に過ぎないのであって、研究者の間で定着している分類も少なくとも同程度には尊重すべきではないかと。「大衆紙」「タブロイド紙」……これらが「高級紙」(という言い方は欧米のジャーナリズムについて言われることが多いですが)と一線を画すものであるという認識は特におかしな理解ではないと思います。 --163.49.209.114 2017年8月2日 (水) 12:18 (UTC) 少し発言に補足。 --163.49.209.114 2017年8月2日 (水) 12:31 (UTC)[返信]
夕刊フジは日本新聞協会に加盟していますが、日刊ゲンダイは加盟していません。「雑誌」vs「新聞」の観点からいえば、夕刊フジは新聞側の夕刊紙ですが、日刊ゲンダイは雑誌側です。夕刊フジは高級紙に劣るとはいえ、日刊ゲンダイよりは信頼性が優ると思います。日刊ゲンダイは週刊誌に近い信頼性といえると思いますが、夕刊フジは月刊論壇誌レベルの記事もあります。共通点もありますが違いもあるので、ケースバイケースで判断することも出てくるはずです。Wikipedia:井戸端/subj/大衆紙は政治問題や存命人物の批判の出典に使用できるか?では、夕刊フジケント・ギルバートの文責であれば出典に使用して良いということでしたが、日刊ゲンダイではそうはならないかもしれません。日刊ゲンダイは雑誌社の発行で日本新聞協会非加盟であるということが、雑誌側であることのなによりの証明だと思います。--はるみエリー会話2017年8月2日 (水) 13:35 (UTC)[返信]
私から、辞書的定義を提示します。すべてデジタル大辞泉からです。なお、あくまで辞書での定義の紹介であり、本議論において辞書の定義が種々の論点より常に優越するという訳ではないと思います。議論における参考情報として、本議論の参加者が公平にアクセスできる参考情報を紹介したに過ぎないということを予め表明しておきます。
新聞:1 社会の出来事の報道や論評を、広い読者を対象に伝達するための定期刊行物。日刊が多いが、週刊・旬刊・月刊などもある。※2, 3の意味もありますが、本議論に関係ないと思われるため省略。必要なら再掲していただいて構いません。
雑誌:1 雑多な事柄を記載した書物。2 複数の筆者が書き、定期的に刊行される出版物。週刊・月刊・季刊などがある。マガジン。
大衆紙:ゴシップ記事や娯楽的な内容などを多く取り扱う新聞。英国などの階級社会において、労働者層に好まれる。ポピュラーペーパー。→高級紙
高級紙:詳細な情報や高度の論評に主眼をおく、社会的影響力の強い新聞。英国の「ガーディアン」「タイムズ」などが代表的。クオリティーペーパー。→大衆紙
タブロイド紙:判型がタブロイド判の新聞。多く、英国などの大衆紙のこと。「ザ‐サン」「デーリー‐ミラー」などが有名。
夕刊紙:夕方にだけ発行される新聞。タブロイド判が多い。
ジャーナリズム:新聞・雑誌・ラジオ・テレビなどにより、時事的な問題の報道・解説・批評などを伝達する活動の総称。また、その機関。
情報源:情報を提供してくれる人。情報を手に入れる経路。ニュースソース。--Okiifstation会話2017年8月2日 (水) 14:11 (UTC)[返信]
はるみエリーさんへ。赤旗出典記述への対応ご苦労様です。JapaneseAさんの編集について問題があると考えるならコメント依頼を利用してください。
日本新聞協会は活動内容を見ても、BPOのように定期的に所属団体の出版放送物の審査をしているという説明もありませんし、新聞放送通信業界によるロビイングのための団体のようにしか見えません。なので、記事をWikipediaの出典として使用する時に、日本新聞協会に所属しているという事実が信頼性にどのように寄与しているか分かりません。日本新聞協会に所属しているから夕刊フジは一般紙に近く、所属していない日刊ゲンダイはあくまで雑誌なので、比較すると夕刊フジの方が信頼性が高いということでしょうか?東京スポーツも日本新聞協会に所属してます。
今日コンビニで買って紙面を比較しましたが夕刊フジと日刊ゲンダイは値段も同じ140円ですし区別が付きません。はっきり言って夕刊フジと日刊ゲンダイと東京スポーツのどれが新聞雑誌として信頼性が高いか?などという議論をしても意味がなく無駄な労力です。大衆紙、スポーツ紙、娯楽紙の括り以上でも以下でもないでしょう。ですので、それぞれの問題となっている個別の記事の信頼性について議論した方が良いと思います。
詳しい人がもっと良い参考文献を探してきてくれるとありがたいのですが、日本マス・コミュニケーション学会(旧・日本新聞学会)が出している学会誌「マス・コミュニケーション研究」でジャーナリズム論について書かれた記事に、

世論形成に大きな影響力を持っているはずの報道・娯楽混合型の様々なメディア(テレビの「ワイドショー」や「特番」、スポーツ紙や夕刊紙=日刊ゲンダイ、夕刊フジ、東京スポーツなど)、女性誌を含む週刊誌などの効果をどう位置づけるのか。これらも含めた「娯楽メディア」の「ジャーナリズム的な」機能、人々の意識への影響をどう計測するのか、という問題である。 — 「ジャーナリズム」の揺らぎと転換(<特集><変容>の時代とジャーナリズム意識) 冠木雅夫 毎日新聞社

とありましたが、三紙まとめて「報道・娯楽混合型メディア」、「娯楽メディア」と分類されています。あくまでジャーナリズム論という切り口ではこういった分類になるという一例ですが。
このような議論についてはHmanさんの説明([6][7][8])で決着が付いていると思っていたのですが、どうやら納得できない方がいらっしゃるようですね。Hmanさんの説明に従って、文責がはっきりしている物に関しては断りを入れ一つの論として紹介するということではダメなのでしょうか?Hmanさんの言葉を借りますが、『査読機関の質まで素人集団であるjawpが厳密に判断することは無理です。無理な以上、無責任な様ですが、「○○によれば××である」として、○○を信用するかどうかは読者に委ねるしかありません』(元の書き込みの査読期間は機関の間違いと思われるため修正しました。)であり、もちろん『あくまで専門的な相応の権威ある人物があくまで記名で寄稿もしくはインタビューなどに応じた際に限って適用されるべき考え方』ということで、ご納得いただけないのでしょうか?--Zakinco会話2017年8月3日 (木) 13:23 (UTC)[返信]

コメント 皆様コメントありがとうございます。今のところ、夕刊フジ=大衆紙で合意しています。Zakinco様へ「Hmanさんの説明に従って、文責がはっきりしている物に関しては断りを入れ一つの論として紹介するということではダメなのでしょうか?」、私はその意見には反対ですが、以前の議論で賛同する方が多かったのでそれに従っています。本議題で問題としているのは、文責のはっきりしないかつ夕刊フジです。はるみエリー様へ。議題に直接関係ない赤旗~などの質問は、この依頼のノートで箇条書きにして頂ければそちらで回答します。直上のコメントの最後の1行は暴言と判断します。私は暴言は不問にすると常日頃言っていますが、それは管理者伝言板に報告しないし、撤回も求めないというだけです。私にも感情があるので、そういう物の言い方をされると議論しにくくなります、今後はお控え下さい。以上、これで暫く黙ります。--JapaneseA会話2017年8月3日 (木) 16:08 (UTC)[返信]

コメント なんだかぼかした言い方をされていますが、大衆紙だからといって週刊誌と同じとは決してなりません。一口に雑誌といっても、週刊朝日やサンデー毎日と月刊論壇誌や専門誌では異なります。夕刊フジについては、Wikipedia:井戸端/subj/大衆紙は政治問題や存命人物の批判の出典に使用できるか?で出典に使用できるという合意に達していますので、高橋洋一 (経済学者)が文責であればもちろんOKですし、文責がしっかりしている政治家発言の2次資料として使用するのもOKなはずです。なんどもお伝えしていますが、なぜ、具体的な事例をあげられないのでしょうか。この井戸端の発端は、ZakincoさんがあげられているHmanさんの発言に、JapaneseAさんが納得されていないだけのために、既に結論が出ていることをぶり返されているだけにすぎません。夕刊フジの高橋洋一 (経済学者)文責記事や政治家発言の2次資料としての使用(1次資料の文責はしっかりしている)はOKである、ということは揺るぎません。--はるみエリー会話2017年8月3日 (木) 17:09 (UTC)[返信]

  • コメント JapaneseA様は、結局、文責が高橋洋一氏政治家発言2次資料の記述を「文責のはっきりしない夕刊フジ」と決めつけられて反対されているのでしょうか。はるみエリー様が「政治家発言の2次資料」と呼ばれているものをJapaneseA様は「文責が夕刊フジ」だから使ってはいけないと主張されているだけのことなのでしょうか。であれば、はるみエリー様が主張されるように、政治家の発言が1次資料で確認できるものを2次資料として夕刊フジが報じた場合には、夕刊フジは出典で使えると言えます。そもそも、JapaneseA様が主張されるような「文責のはっきりしない夕刊フジ」の記事とは何を指すのか不明であり、混乱を招いていると考えるものです。1次資料の文責がしっかりしていて、それを2次資料として紹介している「夕刊フジ」については、使用可能であることは言うまでもございません。--RXX-7979Ⅲ会話2017年8月3日 (木) 18:13 (UTC)[返信]
記名記事の議論は最近あったのなら繰り返す必要はないでしょう。誰が納得したかしなかったか、納得すべきであったかどうか、などはよそでやってください。それより、急に「前川喜平」記事の話題に移ったのに理解に苦しむのですが。JapaneseAさんが今回の井戸端議論の発端(「先行議論」)として示したのはノート:加計学園問題#夕刊フジ(先週からの加計学園問題記事に関する議論)とノート:竹中平蔵#2017年6月12日付け編集ついてノート:豊田真由子#カテゴリー論の間違い、合わせて3点ですね。3週間前からの前川喜平記事に関する議論ではなく(この「前川喜平」記事の議論では、そもそも、誰からも「夕刊フジ」という言葉を含む発言がありませんし……)。そこは切り分けてください。名前が分かる形で専門家の主張を紹介しているケースはここでは議論しない(既に議論したので)、ということでいいでしょう。解決すべき課題として残っているのは、媒体として編集部として「夕刊フジ」は他の大衆紙より信頼性が優れているかという点です。 --49.239.65.30 2017年8月3日 (木) 23:49 (UTC)[返信]
  • コメント ノート:竹中平蔵#2017年6月12日付け編集ついてでは、『週刊朝日』と夕刊フジが同じかどうかが話題になってますけど、『週刊朝日』よりは夕刊フジのほうが信頼できます。ノート:豊田真由子#カテゴリー論の間違いは『サンデー毎日』が話題になってますけど、『サンデー毎日』よりは夕刊フジのほうが信頼できます。ノート:前川喜平で話題になってる、高橋洋一氏文責の夕刊フジと政治家の発言の2次資料の夕刊フジは出典として使えます。結局、議論をよく見ると、はるみエリーさんが夕刊フジのみを特別扱いしていたわけではなく、JapaneseAさんが夕刊フジだけに、週刊誌と同じにしろなどという逆特別扱いを要求されてるようにしか見えません。こういう姿勢については、JapaneseAさんのダブルスタンダードでしかすぎませんし、Hmanさんの発言によりなんの問題がない高橋洋一氏文責の夕刊フジにまでクレームをつけられるなどは、いったいどういうおつもりでしょうか。夕刊フジは週刊誌と同じではないことは議論するまでもありませんよね。それをJapaneseAさんがご理解されてないだけが井戸端で議論を始められたきっかけなので、そのきっかけとは関係のない余計な議論をされればされるほど、話がズレていくだけでしょう。--ぽてから会話2017年8月4日 (金) 05:29 (UTC)[返信]
  • コメント 暫く黙るつもりでしたが。私は文責が高橋洋一氏の事は議題対象としていません(つまり「使いたければどうぞ」です)。問題にしているのは、夕刊フジ編集部自体(これは多くの方から使用すべきでない大衆紙だという御意見が出ています)と、2次資料であろうが文責全体が編集部の場合の2点です。「夕刊フジが信頼できる」と言う人は根拠を御願いします。また、2次資料であろうが、個人サイトは使用できません。大衆紙も同様です。私個人と議論したい人はノートで御願いします。--JapaneseA会話2017年8月4日 (金) 06:09 (UTC)[返信]
JapaneseAさんの主張は、「サンデー毎日・週刊朝日・夕刊フジは同じ[11]」ですよね。それについては、週刊誌と夕刊フジは違う、ことを議論する必要ありませんね。Hmanさんの発言の主旨に照らしても、文責が国会や政治家の2次使用は良いと言えるでしょう。議事録は首相官邸や衆議院・参議院の公式サイトにのってますし、政治家のサイトは個人サイトというよりは公式サイトと言えるでしょう。なぜ、何度も同じような話をぶり返されたり、夕刊フジを週刊誌と同等だなどと言い出されるのか理解に苦しみます。「夕刊フジ」は他の大衆紙より信頼性が優れているか、ではなく、週刊誌より優れてるかで揉めてるわけで、夕刊フジは週刊誌より信頼性が優れてることなど議論するまでもなく当たり前なだけに、この議論の方向性がズレてきてます。本来、揉めてる点について、具体的に挙げるべきでしょうね。JapaneseAさんは、夕刊フジは「サンデー毎日・週刊朝日」などの週刊誌より信頼性が優れてることを納得されましたでしょうかね。JapaneseAさんが納得されればこの議論は必要性がなくなります。--ぽてから会話2017年8月4日 (金) 06:24 (UTC)[返信]
JapaneseAさんが問題としているのは、「本議題で問題としているのは、文責のはっきりしないかつ夕刊フジです。」(2017年8月3日 (木) 16:08 (UTC)での発言)、「問題にしているのは、夕刊フジ編集部自体(これは多くの方から使用すべきでない大衆紙だという御意見が出ています)と、2次資料であろうが文責全体が編集部の場合の2点です。」(2017年8月4日 (金) 06:09 (UTC)での発言)のあたりですね。そうであれば、ぽてからさんの「「夕刊フジ」は他の大衆紙より信頼性が優れているか」も「週刊誌より優れてるかで揉めてる」でも、JapaneseAさんが問題としている点を正確に捉えていないように思います。ぽてからさんの「夕刊フジは週刊誌より信頼性が優れてることなど議論するまでもなく当たり前」も、JapaneseAさんの問題意識に基づいて言葉を補うと、「(文責があってもなくても、または文責が夕刊フジ編集部にあっても、常に)夕刊フジは週刊誌より信頼性が優れてる」のかが議題であって、JapaneseAさんはそれに疑義があると提起しているのではないでしょうか。ぽてからさんがどの観点で『夕刊フジ』を捉えているか分かりかねますが、「夕刊フジは週刊誌より信頼性が優れてることなど議論するまでもなく当たり前」と言い切れる理由を教えていただけますか。または『○○の条件付きの夕刊フジは』のような、前提条件がある可能性も想定したので、もしそのような前提条件があるなら、それを教えてください。なお、「サンデー毎日・週刊朝日・夕刊フジは同じ[11]」というJapaneseAさんの主張箇所を引用していますが、そこでは「文責も専門家ではありませんので。」と、文責有無をJapaneseAさんは気にしているようです。--Okiifstation会話2017年8月4日 (金) 08:58 (UTC)[返信]
夕刊フジは新聞ですが、週刊誌は雑誌です。根本的に違いますし、Hmanさんの発言からも、雑誌にはない夕刊フジの優位性が示され、その点で合意できてます。夕刊フジと週刊誌が同一という新たなJapaneseAさんの主張はHmanさんの発言を覆すものであり、JapaneseAさんが根拠を出されるべきことです。文責というか、政治家の発言の2次資料ですよね。それは問題ないでしょう。もともと公式サイトで書いてあることなんですから。「夕刊フジ自身の批評を除去」は、ノート:前川喜平で除去で合意済みであり、そういう主張ではないですよ。だいたい、「文責のはっきりしない」記事とは何を指してるんですかね。JapaneseAさんの依頼の仕方には大きな疑問を感じますね。--ぽてから会話2017年8月4日 (金) 09:07 (UTC)[返信]
質問 こんにちは。Moon.riseと申します。JapaneseAさんや皆さん(特に発言数が多い方)のご意見を伺っていて、よく分からない(錯綜しているかもしれない)と思う所がありました。この議論にあたって、それぞれの皆さんがお考えになっている元々の「モデル」が違うと、いつまでも話がかみ合わないのではないかと思います。私が思いつく「モデル」を2種類挙げてみます。
モデルA
高級紙および同格:朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞ほか。夕刊フジ?(A-1)
大衆紙および同格:東京スポーツ、日刊ゲンダイ。サンデー毎日、週刊朝日、週刊現代ほか。夕刊フジ?(A-2)
モデルB
高級紙および同格:朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、産経新聞ほか。夕刊フジ?(B-1)
大衆紙および同格:東京スポーツ、日刊ゲンダイ。夕刊フジ?(B-2)
週刊誌(雑誌がより正確か)および同格:サンデー毎日、週刊朝日、週刊現代ほか。夕刊フジ?(B-3)
もし「モデルA」でお考えの方がいれば、「夕刊フジが(A-2)であるべきと思うが、周囲の方で(A-1)という主張があるのが疑問」ということがあるかもしれません。
もし「モデルB」でお考えの方がいれば、「夕刊フジが(B-3)であるべきと思うが、周囲の方で(B-2)という主張があるのが疑問」ということがあるかもしれません。
しかし、これが議論をするお互いで異なっていると、「(B-2)の主張 対 (A-2)の主張」のようなことになる可能性があり、議論を把握してかみ合わせるのが難しくなると思います。
よろしければ、JapaneseAさんや皆さん(特に発言数が多い方)がどの立場なのか(あるいはまた別のモデルなのか)について、お聞かせいただければと思いました。いかがでしょうか。--Moon.rise会話) 2017年8月4日 (金) 12:47 (UTC)加筆修正--Moon.rise会話2017年8月4日 (金) 13:11 (UTC)[返信]
モデルBで、夕刊フジは「大衆紙および同格」(B-2)に位置する前提で議論しています。雑誌のなかでも、月刊のオピニオン誌と週刊誌でも同列ではないと思います。この議論は、第三者からのコメントは、夕刊フジ・日刊ゲンダイ・東スポなどの比較論が多いのでわかりにくいのですが、実際にJapaneseAさんが主張されているのは、「大衆紙および同格」(新聞)と「週刊誌」(雑誌)が同格だ、です。大衆紙の中で、夕刊フジ、東スポ、日刊ゲンダイに差があるか、という点について、先行議論では話題に出たことはありません。JapaneseAさんがリンクを貼っている先行議論では、簡単に言うとサンデー毎日・週刊朝日のゴシップを書きたい人がいて、「夕刊フジが出典に使えるなら、サンデー毎日のみ、週刊朝日のみのゴシップを書かせろ」とWP:BLPに反する暴論を言って即刻除去を阻止しようとしただけのことです(しかも、主張したのは、無期限ブロックのソックパペットと、LTA:GORDONの疑いのあるIP)。JapaneseAさんによる「Wikipedia:井戸端/subj/大衆紙は政治問題や存命人物の批判の出典に使用できるか?では、文責が専門家の場合、大衆紙でも使用できるという意見が多くありました」という前提についても、「文責が専門家の場合」というのはJapaneseAさんがそういう言い方をされているだけです。Wikipedia:井戸端/subj/大衆紙は政治問題や存命人物の批判の出典に使用できるか?で、夕刊フジについて合意が形成されている範囲内で編集をしていたにも関わらず、JapaneseAさんだけ(+無期限ブロックのソックパペットと、LTA:GORDONの疑いのあるIP)が納得されないことがこの井戸端の発端です。JapaneseAさんが、突然、大衆紙と週刊誌が同格だ、などと言い出されたことについて、なんの根拠も提示されていません。たんに、先行議論として、「夕刊フジがいいなら、サンデー毎日や週刊朝日などの週刊誌のゴシップも書かせろ」という暴論が出たことを支持するかのような井戸端を提起されたことについては、抗議したいと思います。はるみエリーとしては、Wikipedia:井戸端/subj/大衆紙は政治問題や存命人物の批判の出典に使用できるか?の合意を維持することが望ましいと考えているので、JapaneseAさんが合意を理解されれば、この議論そのものが不要となると思います。--はるみエリー会話2017年8月5日 (土) 02:29 (UTC)[返信]
私の意図はモデルAでの議論です。ただしモデルBの場合でも、高級紙以外はWP:NOTRSなので大差ないと思います。「週刊朝日は週刊誌だから~」と言うのであれば、スポーツ紙との比較にすれば良いでしょう。--JapaneseA会話2017年8月6日 (日) 16:38 (UTC)[返信]

コメント 議題の1点目ですが、コミュニティの見解は、夕刊フジ=大衆紙=WP:NOTRSという認識のようですね。RXX-7979Ⅲ様も[12]のように仰っていますし、「文責が夕刊フジのものは使用できない」、Hman様も[13]夕刊フジ編集部や記者による取材・論評であれば、それは出典としては不適切と考えます。」と仰っています。これ以上、異を唱える人は、WP:NOTRSのノートで議論を提起して下さい。次に「文責が高橋洋一氏のようなケースは使用できる」という合意があるので、今更これを覆そうとは思いません。議題の2点目。議題の1点目と前回の合意より[14]の文責は「和田氏」であれば使用できる、「編集部」であれば使用できない、となりますが、これについては皆様、文責はどちらにあると御考えでしょうか?私は「編集部」だと思います。--JapaneseA会話2017年8月6日 (日) 16:38 (UTC)[返信]

仮にも大衆紙であっても、新聞である以上、週刊誌と同じであるはずがございません。モデルAはありえない選択と言わざるを得ないものです。WP:NOTRSであれば、「夕刊フジによると」と記述すれば良いだけであり、「サンデー毎日」や「週刊朝日」などの週刊誌と同じという理由にはなっておりません。週刊誌を新聞と同等に扱うべきという方針が存在しない以上、大衆紙を「夕刊フジによると」と記述することを妨げることは可能にはならず、WP:NOTSCANDALの精神から週刊誌は使用が大きく利用が制限されることは明白でございます。Hman様の「夕刊フジ編集部や記者による取材・論評であれば、それは出典としては不適切と考えます。」という発言からも、すでに発表されている政治家の発言の2次資料使用は可能であるということになりますが、JapaneseA様は大きく誤認されているだけ、であったことを理解いたしました。--RXX-7979Ⅲ会話2017年8月6日 (日) 17:41 (UTC)[返信]
  • コメント新聞協会に加盟している媒体であれば無条件で信頼できる情報源としていいのか、という問題を解決しないと議論が一歩も進まない気がします。新聞協会に加盟しているから明らかに信頼できる!と主張する人の気持ちはわからなくはないですし、一応ロジックとしては筋が通っているようには見えるんですよね。でも、まずはそこをしっかりとお互いに話し合わないと何も先に進まないんじゃないですかね。「明らかだ!明白だ!」ばかりでは何も議論になりません。全然明らかじゃないからこそ揉めているわけで…。はるみエリーさんたちは微妙な問題をすぐ「明らかだ」で片付けるから議論が進みにくくなるんだと常々感じます。
ちなみに私は新聞協会に加盟してるからって、夕刊フジが産経と同等とはこれっぽっちも思えません。つまり、新聞協会の加盟の有無が信頼性には直接寄与しないという考えです。もちろん高橋洋一氏文責のような記事は使っていいと思いますが、夕刊フジ編集部が文責の記事は使わないほうがいいんじゃないですかね。
あと、はるみエリーさん方はHmanさんのご発言を錦の御旗みたいに使われているようですが、「夕刊フジ編集部や記者による取材・論評であれば、それは出典としては不適切と考えます」という発言から鑑みると、Hmanさん自体は夕刊フジは信頼のおける出典としては使えないっていう考えを持ってそうですが。大丈夫なのでしょうか。Hmanさんが出てきて全部ひっくり返しちゃったらはるみエリーさんたち身動き取れなくなると思いますよ。そういう危うい議論の仕方はやめた方がいいですよ。辻褄が合わなくなります。
とりあえず「新聞協会に加盟している媒体は信頼できるのかどうか」については個別の井戸端にするなりして、もう少し幅広くコミュニティから意見を募ったほうがいいんじゃないですか。で、いつも意見を述べていらっしゃるいつものメンツの方々と可変IPさんにはちょっと黙っててもらって、普通の人からの意見を参考にした方がいいですよ。夕刊フジを信頼のおける情報源として使えると思っている人と、赤旗を使えるって人たちだけで議論しても何も決まらないですよ。双方から石投げられる覚悟で言いますが、どっちも出典としては低質極まりないですよ。結局、政治的信条に沿った出典を使いたがってるだけにしか見えないんですよね…。夕刊フジと共産党赤旗が百科事典の出典として信頼が置けちゃうってどんな異世界ですか。そういう人たちの意見は横に置いておいて、他の人達で議論する場所って作れないんですかね。今参加してるメンツでこの井戸端を続けても何も解決しませんよ。--むよむよ会話2017年8月7日 (月) 06:05 (UTC)[返信]
むよむよさんも誤解されてるということは、よほど、JapaneseAさんの依頼文に問題が生じているということを表すと言えるでしょう。まず、はるみエリーさんは、「新聞協会に加盟しているから明らかに信頼できる!」と主張されてませんよね。「夕刊フジは新聞だ。だから、週刊誌と同じ土俵で比べることはできない」とこう主張されてるように見えます。JapaneseAさんが、「新聞協会に加盟しているから明らかに信頼できるというわけではない」と主張されてるのは、はるみエリーさんに対する印象操作にしか過ぎないと言えるでしょう。JapaneseAさんは、なにかというと、はるみエリーさんの編集を追いかけて絡んでいくという行為を行い、それだけならいいのですが、はるみエリーさんの主張をあたかも間違っているかのように喧伝されるなどWP:BATTLEに抵触してる段階にきてしまってます。JapaneseAさんはクールダウンされるべきだし、第三者は、JapaneseAさんの意見を鵜呑みにせず、直接履歴を自身で確かめるべきでしょう。はるみエリーさんの編集内容は、Hmanさんの「夕刊フジ編集部や記者による取材・論評であれば、それは出典としては不適切と考えます」という言葉に反する編集はされてません。Hmanさんの主張をねじ曲げて解釈し、いつまでも納得しないのは、JapaneseAさんだけと言えるでしょう。少なくともノート:前川喜平と先行議論に上げられた議論を見れば、誤ってるのは、はるみエリーさんではなく、JapaneseAさんです。JapaneseAさんがヒートアップしているだけ、ということに注意を払い、依頼文は無視して、直接議論を見ないと見極めが出来ないので、注意が必要だと言えるでしょう。--ぽてから会話2017年8月7日 (月) 06:20 (UTC)[返信]

コメント はるみエリーさんの発言は「日本新聞協会への加盟が意味するところは、「雑誌」ではないということです。」です。新聞と雑誌を同一という概念で論じることを疑問視されてるわけですが、週刊誌はWP:NOTSCANDALにも注意しなければなりません。JapaneseAさんの発言は「本議題で問題としているのは、文責のはっきりしないかつ夕刊フジです。」ということですが、「文責のはっきりしない」記事など世の中に存在するのでしょうか?ということからして、JapaneseAさんの発言そのものが意味が不明であるという指摘はすでになされてる通りですよね。JapaneseAさんが、「新聞協会」に加盟してることは信頼出来る情報源ではないと主張されてますけど、そんなことは、はるみエリーさんはおっしゃってなく、議論すべき必要などないでしょう。文責のはっきりしない記事などというこの世に存在するのかよくわからないものが、いったいどの記事を指すのか不明な状態で議論しても、まったく徒労に終わるだけで、JapaneseAさんの依頼文がミスリードを誘ってますよね。書き直されないのであれば、この議論はクローズされるべきではないですかね。JapaneseAさんは、Hmanさんの発言を理解されてから出直されるべきでしょう。--ぽてから会話2017年8月7日 (月) 08:51 (UTC)[返信]

コメント 「文責」という言葉の使い方に個人差があるように思われます。試しにネット辞書で調べてみたところ、デジタル大辞泉では「談話を記事にした場合などの、書かれた文章についての責任」[15]と記載されており、「談話」などの発言者ではなくそれを文章にまとめた人物に文責があるものと思われます。この観点からいうと、上記の和田氏の発言をとりあげた記事の文責はあくまでも夕刊フジ側にあるのではないでしょうか。発言を記事としてまとめる際にどの発言を抜き出すかに執筆者の判断が入りますから、記事は和田氏の発言に記者のバイアスがかかったものになるでしょう。執筆者が専門家のケースと発言者が専門家で記事にしたのは別の記者のケースの場合では、後者の方がバイアスがかかる分信頼性は落ちるのではないでしょうかWP:NOTE信頼できる情報源に該当するかどうかはまた別問題かとは思いますが。個人的には発言の抜き出し方で恣意的な解釈も可能であるため、発言者が専門家というだけではWP:NOTE信頼できる情報源には該当しないように思われます。--SilverSpeech会話) 2017年8月7日 (月) 09:22 (UTC)ミス修正。--SilverSpeech会話2017年8月7日 (月) 12:00 (UTC)[返信]

Wikipedia:井戸端/subj/大衆紙は政治問題や存命人物の批判の出典に使用できるか?の議論において、文責による判断を基準とすることが合意された、と思い込まれているのはJapaneseAさんだけなので、文責が誰かを話合われることはあまり意味がないと思います。夕刊フジは、ケント・ギルバート氏の発言を捏造する可能性があるほど「信頼性が低い」わけではありません。
  • EULEさん「例えばケント・ギルバート氏のコラムだとして掲載されながら、実はギルバート氏のコラムではなかったというくらいに「信頼性が低い」情報源であるなら問題でしょうが、今回、俎上に乗っているのはそこまでのものではありません。」「そうではなく、事実関係に対する査読ということであれば、ギルバート氏の「言った内容」が「事実」であるということを、ウィキペディアの執筆者が査読した場合には問題になりますが、ギルバート氏が「こう言っている」という「事実」の査読は、それが夕刊紙であれ週刊誌であれ、検証可能な媒体に記載されている以上、問題はありません。もし、今回のケースで否定するなら、例えばギルバート氏そのものが信頼できない情報源とする以外なく、そもそもそこがクリアされた上での議論において、媒体を問題視するというのはピントがズレているとしか言いようがありません。」
  • Hmanさん「このケースの場合、その人が意見を表明した事が事実であることを証明できればよいとだけされています。まさか、夕刊フジがケント・ギルバート氏の発言を捏造したなどと想定することはできないでしょう。」
JapaneseAさんが、どの編集を「文責がどこにあるか不明」だと考えているのかなど、わからないことだらけの依頼をされていることがそもそもの問題なのですが、国会で政治家がこういった、政治家がこのような主張をしている、ということ事態を捏造することなど考えがたいため、媒体を問題視するのはピンとがずれていますというのが、当初の合意ラインであり、それについて維持で良いと思います。にもかかわらず、何度も除去しようとされていますが、いったい、過去のどの編集が問題だったのかを示してくださいと頼んでも示されないのは、どの編集も過去の合意に反する編集はしていないからだと思います。媒体が週刊誌であればWP:NOTSCANDALにも注意すべきなので、使用範囲は新聞よりも狭まるという違いもあります。JapaneseAさんだけが、Wikipedia:井戸端/subj/大衆紙は政治問題や存命人物の批判の出典に使用できるか?ですでに合意されたことを認められず、いつまでも納得しようとせず、理解しようとされないことについて、態度を改めて下さい。--はるみエリー会話2017年8月7日 (月) 09:51 (UTC)[返信]
  • コメント [16]について、「これは使用できない出典と考えます」というJapaneseA氏の考えについては、賛同できません。夕刊フジが「和田氏は24日未明、自身の公式ブログに」書いた内容を捏造するはずもなく、「夕刊フジによると、和田は〜とブログに書いている」と、書けば良いと思います。--61.205.2.162 2017年8月7日 (月) 10:53 (UTC) https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=ノート:出会い喫茶&diff=65043325&oldid=65042998 JapaneseA氏の発言]から、WP:NOTRSはあくまでもタブロイド新聞(夕刊紙やスポーツ紙のような娯楽中心の大衆紙)について述べた方針であるにもかかわらず、JapaneseA氏が週刊誌のことだと思い込まれているだけだったことが判明しました。この井戸端は、根本的に、JapaneseA氏の誤解に基づく茶番だったことになってしまいましたね。--61.205.2.162 2017年8月7日 (月) 11:35 (UTC)目的外利用者のコメントに取消線。このIPは「目的外利用、WP:MEATの疑いも否定せず」としてブロックされました。--JapaneseA会話2017年8月8日 (火) 15:03 (UTC)[返信]
  • コメント はるみエリー氏は、夕刊フジは信頼できる情報源のなかでも信頼性が低いことを認め、WP:NOTRSに添った運用をし、Hman氏もWP:NOTRSの観点から記述せよと述べています。一方、JapaneseA氏は、週刊誌を夕刊フジ並の扱いをしろとWP:NOTRSにないことを言いだし、さらに、Hman氏の発言には反対だと言っている。この状況を冷静に比べると、はるみエリー氏の編集は妥当であり、むしろ、JapaneseA氏が、サンデー毎日や週刊朝日にもWP:NOTRSを認めろという、方針にない独自なことを言い出している、ということになるでしょう。はるみエリー氏が「夕刊フジを特別扱い」して滅茶苦茶な編集をしているのかと思いきや、実態は、方針に添った至極まともな編集をしている。一方、JapaneseA氏が「夕刊フジだけ特別扱いするな」とアピールするが実際は誰も特別扱いしていない、ということが事実だということです。JapaneseA氏の言うことはまともではないですね。騙されそうになりました。--110.134.152.126 2017年8月7日 (月) 20:19 (UTC)sockpuppetのコメントに取消線--JapaneseA会話2017年9月8日 (金) 08:19 (UTC)[返信]
  • コメント 日刊ゲンダイやダイヤモンド・オンラインは使って良い出典ですから、このようにいきなり除去することはできませんよね。JapaneseAさんは、どうやら、日刊ゲンダイやダイヤモンド・オンラインレベルの出典を書かせないようにしたいみたいですが、それはさすがに認められませんよ。編集合戦してまで除去する根拠がないのはもちろん、原則として、帰属化すれば記述できると方針で認められてます。しかもJapaneseAさんが「文責が文責が」と拘っておられる点についても、文責がジャーナリストなので、まったく除去する理由はありませんね。JapaneseAさんによる方針の悪用は見過ごせませんし、方針の改悪解釈でしかありません。JapaneseAさんはクールダウンしてください。--ぽてから会話2017年8月8日 (火) 07:21 (UTC)[返信]
こんにちは。Moon.riseです。ぽてからさんのコメントから、出会い喫茶の除去編集を見てまいりました。片方の日刊ゲンダイについては、「帰属化すれば記述できる」という条件に当てはまらないと思います。つまり、除去で適切だと思います。日刊ゲンダイは大衆紙であり、Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源より、あまり重要でないものならば除去になります。私の感覚では、ここで特例を使うほどの重要な情報には見えませんでした(基本的には、記事は信頼できる情報源を使って書かれるべきです)。もうひとつ、大衆紙は政治問題や存命人物の批判の出典に使用できるか?の合意に合致するかとなれば、これはまったく条件を満たしません。条件は「夕刊紙であれ週刊誌であれ、検証可能な媒体に、専門的な相応の権威ある人物があくまで記名で寄稿もしくはインタビューなどに応じた場合」です(このページの別の位置に詳述しています)。日刊ゲンダイの記事[17]は、専門的な相応の権威ある人物がまるごと書いた(寄稿した)記事ではありません。尾越まり恵氏(ライター)がちらりと意見を出しているのでは、これには合致しません。また、尾越まり恵氏はまったく、専門的で権威のある立場の人物とは評価できません。
さてしかし、申し訳ないのですが、もう片方のダイヤモンド・オンラインの記事[18]については、私には評価ができません。週刊ダイヤモンドと同程度の「信頼性」なのかもしれませんが、出会い喫茶にとって信頼できる情報源かどうかは、そうかもしれず、そうでないかもしれず(私には分からない)です。なお、筆者の竹井善昭氏について評価しておくと、専門的で権威のある立場の人物とは評価できません(Amazonで一冊著書がある程度のため)。「出会い喫茶の専門家」ということもないでしょう。結局、ダイヤモンド・オンラインが通常の意味で「信頼できる情報源」と評価できるか次第、ではないでしょうか。--Moon.rise会話2017年8月8日 (火) 08:04 (UTC)[返信]

大衆紙・週刊誌は政治系記事の信頼できる情報源になるか[編集]

(サブ節追加。ご了承いただきたいです--Moon.rise会話2017年8月9日 (水) 14:34 (UTC)[返信]

  • コメント 「夕刊紙、大衆紙、スポーツ紙」については、多くの政治系記事で使用されている実態があります。夕刊フジは新聞系、日刊ゲンダイは雑誌系なので、多少の違いはあると思いますが、いずれにせよ、大衆紙であることを否定はしていません。JapaneseAさんの依頼文につられるようなかたちで、違いだけを述べたところ、なにが誤解を招く結果になってしまっているような気がしましたので、改めて述べます。現状、民進党都民ファーストの会などの政党記事でも「夕刊紙、大衆紙、スポーツ紙」や「ダイヤモンド、プレジデント」など経済誌は出典に使用されています。「〜紙によると」と帰属化せずに用いていることもありますが、なにか問題が起こっていますでしょうか?「夕刊紙、大衆紙、スポーツ紙」については原則出典に使用できますし、専門家や政治家の発言であるとか、2次資料としての使用を禁止する根拠は、Wikipediaの方針にはありません。スポーツ紙で存命人物の伝記に否定的な情報であるとか、瑣末な情報であるとか、将来の予測であるとか、記述すべきではないことである場合に使用しなければ良いと思います。ちょっと、ここで冷静になって考えてみて下さい。スポーツ平和党に所属しているアントニオ猪木猪木快守の記事から、「スポーツ紙をすべて除去せよ」などと言い出すのは、馬鹿げたことだと思いませんか? お笑い芸人知事になったりしますし、どんなバックグラウンドのある人が政治家になるか予測出来ない世の中です。「夕刊紙、大衆紙、スポーツ紙」を使うな、とか、合意形成してからじゃないと認めないなどと言われること自体が、現実的に混乱を招くだけにすぎないと思いませんか? 「夕刊紙、大衆紙、スポーツ紙」出典記述を、出突然除去してまわる行為が本当にWikipediaに貢献を生むのでしょうか? JapaneseAさんが依頼文で先行議論としてあげられたのは、WP:NOTGOSSIPに反する週刊誌だけですので、除去するのは当たり前であり、「夕刊紙、大衆紙、スポーツ紙」を使うなの先行議論でもなんでもありません。JapaneseAさんは、「夕刊紙、大衆紙、スポーツ紙」の使用により記事が破壊されたなどの例をあげられることもないので、結局、空論にすぎない考えであると思います。「夕刊紙、大衆紙、スポーツ紙」や「ダイヤモンド・プレジデント」などの経済誌を、政治系記事から消してまわるなどの行為は行うべきではありませんし、Hmanさん発言の合意ラインを変えなければならない理由は一つも示されていません。厳に、それらの出典を今使用している、民進党都民ファーストの会アントニオ猪木猪木快守などから、スポーツ紙はダメ、などと疑義が発せられたこともありません。--はるみエリー会話2017年8月9日 (水) 08:19 (UTC)[返信]
コメント Moon.riseです。はるみエリーさんのコメントを受けまして、「大衆紙・週刊誌は政治系記事の信頼できる情報源になるか」を論じたいと思います。JapaneseAさんの本議論からはやや離れるので、サブ節を入れてみることにいたしました。ご了承いただけますと幸いです。
まず、対象となる記事内容を「政治系記事」という範囲にすることを、前提にさせていただきます。「科学系の記事では朝日新聞(高級紙)が必ずしも信頼できる情報源とはみなされない」ということを、ここで議論に含む必要はないでしょう。また、「スポーツ系の記事では東京スポーツ(大衆紙)が信頼できる情報源とみなせる余地がある」ことも、直接的には政治系記事には関係しません。このように、記事で扱う対象が何であるかは、何が信頼できる情報源かを判断するのに、とても重要になります。
次に、Hmanさん発言の合意(この引用がたいへんに人気ですが、WP:Hmanみたいなショートカットになりませんかね? すみません。冗談です)については、ここでは場合として特に取り上げません。「夕刊紙であれ週刊誌であれ、検証可能な媒体に、専門的な相応の権威ある人物があくまで記名で寄稿もしくはインタビューなどに応じた場合」というのは、そもそも状況限定の強いものです。「安倍晋三首相の寄稿」といった記事の場合にご検討ください。
あまりにも基本的なWikipedia:検証可能性の方針からですが、「記事には、信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべきです」「記事に新しい内容を加筆するときは、信頼できる情報源―出典(参考文献)―を明らかにすべきです」ということが、議論の余地のない三大方針です。「出典=信頼できる情報源」ということで、意味はまったく一致するものです。
信頼できるかどうかの区分を追加して整理してみます。(「大衆紙vs週刊誌」の節より引用して追記)
  • 公刊&信頼できる:朝日新聞(高級紙) →出典になる
  • 公刊&信頼性に乏しい:夕刊フジ(大衆紙),サンデー毎日(週刊誌) →出典にならない
  • 公刊されていない:自費出版の本,TVで見た →出典にならない
この区分を見れば、基本的に「大衆紙・週刊誌は政治系記事の信頼できる情報源(=出典)にならない」というのは明確です。
まずは「本当に、政治系記事で夕刊フジ(大衆紙)・サンデー毎日(週刊誌)は、信頼できる情報にならないのか?」ということを考えますが、「大学レベルの教科書(略)主流の新聞などは信頼できる情報源です(何を信頼できる情報源とするか)」を見ても、「信頼性に乏しい情報源とは、事実確認について評判がよくない情報源、あるいは事実確認の機能を欠く情報源、または編集上の監督を欠く情報源です(信頼性に乏しい情報源)」「例えばタブロイド新聞(夕刊紙やスポーツ紙のような娯楽中心の大衆紙)のような、信頼性に乏しい出版物(信頼性に乏しい情報源)」を見ても、方針・ガイドラインは基本的に高級紙を信頼できるとする態度、大衆紙を信頼性に乏しいとする態度です。
そもそも政治系記事は、信頼できる情報源である高級紙などによる一次資料が、容易に入手できる分野です。何が事実であるか、検証可能性を満たすために、単行本や高級紙を頼るようにすればよいでしょう。Wikipedia:信頼できる情報源にも、「編集者は複数の情報源の信頼性を評価し、できる限りより信頼でき、よりすぐれていると一般に認められているものの中から、出典を幅広く選ぶようにして下さい。信頼できる情報源であるかぎり出典は一つである必要はなく、複数挙げられていることがむしろ好ましいです」と書かれています。政治系の情報で、読売新聞も報じない、朝日新聞も報じない、毎日新聞も報じない、産経新聞も報じないことを、ウィキペディア編集者があえて事実として書き残す必要があるのでしょうか? これを考えますに、政治系記事で大衆紙・週刊誌がまとめて「出典にならない」ことは、方針・ガイドラインで言及された基本的判断を超えてまで再考する必要はないと思います。
  • 現状、民進党都民ファーストの会などの政党記事でも「夕刊紙、大衆紙、スポーツ紙」や「ダイヤモンド、プレジデント」など経済誌は出典に使用されています
  • 「〜紙によると」と帰属化せずに用いていることもありますが、なにか問題が起こっていますでしょうか?
まず、この場合に夕刊紙、大衆紙、スポーツ紙は出典には該当しないので、「出典に利用されています」という表現をされるのは、厳密には正しくありません。出典ではありません。<ref></ref>タグがあるだけで、結果的には「出典のない編集。除去することができる」という状態です。また、現状で問題が起こっていないことは、必ずしも方針・ガイドラインに合致している証明にはなりません。
この場合、アントニオ猪木猪木快守が、政治系記事でもあり、スポーツ系記事でもあると考えますが、いかがでしょうか。例えばアントニオ猪木氏についても、大衆紙・週刊誌を出典(=信頼できる情報源)として使う箇所は、スポーツ系の情報に限るべきだと思います。
  • 「夕刊紙、大衆紙、スポーツ紙」については原則出典に使用できますし、専門家や政治家の発言であるとか、2次資料としての使用を禁止する根拠は、Wikipediaの方針にはありません
それは違うと思います。夕刊紙、大衆紙、スポーツ紙については原則出典に使用できません。2次資料としての使用を禁止する根拠は、「記事には、信頼できる情報源が公表・出版している内容だけを書くべきです」というWikipediaの方針があります。二次資料であっても、情報源の信頼性は重要になりますし、事実確認について評判がよくない情報源(大衆紙など)を認めないことは適切な判断です。
  • JapaneseAさんが依頼文で先行議論としてあげられたのは、WP:NOTGOSSIPに反する週刊誌だけですので、除去するのは当たり前であり
WP:NOTGOSSIP(ウィキペディアは演説台、広告宣伝の手段ではありません)の内容から明らかなことですが、この方針は情報源の差別なく、あらゆる記述に対して適用されます。「週刊誌だけ」ということは決してあり得ません。WP:NOTGOSSIPであるかどうかは、情報源をチェックしているのではなく、記事内容をチェックしているものです。例えば、「記事は、とりわけ時事問題に関するものでは、記載内容の間に妥当な釣り合いが取れるように配分」これに該当したのであれば、朝日新聞(高級紙)でも夕刊フジ(大衆紙)でも除去されます。--Moon.rise会話2017年8月9日 (水) 14:34 (UTC)[返信]
ここまでくると、本題から離れすぎだと思います。また、Moon.riseさんが想定されている「政治系記事」が何を指すのかなども曖昧すぎて、議論が不可能です。あるテレビ番組、漫画、映画、サッカーの試合などが政治性を帯びることはありますが、そういう現実を理解された上の発言であるとは到底思えません。特に、スポーツ平和党の議員だけは政治系記事とスポーツ記事を兼ねるからスポーツ記事は良い、とか、そういう小手先のルールを増やすなどは絶対にやめたほうが良いです。政治家でもある芸能人は?お笑い芸人は?映画監督は?予備校講師は?大学教授は?主婦は?など、際限なく例外が存在します。「政治系記事(厳密に何を指すのかわかりかねますが)」には必ず大量に出典があるというのもただの幻想にすぎません。時事問題であればあるほど学術誌などは少ないものです。政治系記事の新聞の誤報は非常に多いことをご存じですか?政治に関する論評は、新聞社の社説などを羅列するなどは望ましくないのに、無条件で新聞だけしか使えないようにしてしまうと、記事の質が下がってしまいます。政治家でもある横山ノックはほとんど出典がついていません。民進党都民ファーストの会の記事でさえ、スポーツ紙を出典に使用されていますが、それを禁止して無出典や大衆紙は全部除去してまわれというのでしょうか。議論を拡散させすぎであり、ここでこれ以上議論するのはやめるべきだと思います。Wikipediaは検閲主義ではありませんから、政治系だけはこの出典を使ってはいけないなどと決めることが、そもそもWikipediaの精神に逆行しています。普段政治的な編集をされていない方であればあるほど、とくに、現実離れした空論をおっしゃる傾向があると感じます。--はるみエリー会話2017年8月9日 (水) 15:22 (UTC)[返信]

コメント たとえば、安倍内閣 (劇作品)も政治系記事ですが、ただの芸能記事だと考える人もいるかもしれません。政治系記事は、などという検閲ルールを作った場合、かえって、これは政治記事だとか芸能記事だとか、逆に争いを誘発してしまう悪い予感しかしません。このように、ちょっと考えただけでも、変なルールさえつくらなければいらなかった争いを作る危険性があります。「政治系記事」だけなどという独自検閲には、絶対に反対という立場を表明しておきます。--はるみエリー会話2017年8月9日 (水) 15:35 (UTC)[返信]

Moon.riseです。まずちょっと驚いたのですが、はるみエリーさんは、ウィキペディアでは検閲は行われません(WP:CENSOR)をまったく誤解されています。方針・ガイドラインには「出典(信頼できる情報源)に関する方針」と「ウィキペディアの記事に関する方針」があり、それぞれがどちらに適用される方針なのかは、厳密に区別していただかなくてはなりません。WP:CENSORは、記事にのみ適用される方針です。ウィキペディアは演説台、広告宣伝の手段ではありません(WP:NOTGOSSIP)の話題の時にも気になったのですが、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#内容の節は、すべて記事にのみ適用される方針です。辞書ではない、独自の考えを発表する場ではない、演説台や広告宣伝の手段ではない、教科書・学術雑誌ではない、新聞ではない、検閲は行なわれない。すべて記事にのみ適用されることであり、出典(信頼できる情報源)にはまったく関係がありません。何が信頼できる情報源であるかについて検討することは、三大方針にとって不可欠なことです。独自検閲ルールなどでは断じてありません。「多くの場合に大衆紙は出典にならない」ということは三大方針から出てくるものであり、それを否定しては始まりません。そもそも、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#内容が、出典に関する方針ではないことは、ウィキペディアは新聞ではありません(WP:NOTNEWS)からもすぐに分かることです。これを見て、「そうか、ウィキペディアでは、出典に新聞は使えないのだ」と思うのであれば、本当に間違った判断をすることになります。とりあえず、「政治系だけはこの出典を使ってはいけないなどと決めることが、そもそもWikipediaの精神に逆行しています」というご主張だけは、撤回をお願いいたします。お考えいただけますと嬉しいです。--Moon.rise会話) 2017年8月9日 (水) 16:37 (UTC) 語調が強すぎたかなと思い一部取り消し処置させてください。--Moon.rise会話2017年8月9日 (水) 16:54 (UTC)[返信]
驚いているということであれば、そうとう客観性を失っている状態であると思います。結局、どんな問題がおこっているかという問いに答えもありません。これ以上、本題から逸れる議論をすることはやめたほうが良いと思います。Moon.riseさんの提案は現実離れしていますし、そもそも、曖昧で具体性もないので議論することさえ困難なことには変わりありません。また、どのように表現を変えられようとも、WP:CENSORに反する提案であることに変わりありません。「多くの場合に大衆紙は出典にならない」というMoon.riseさんの極論も三大方針と異なる見解です。--はるみエリー会話2017年8月9日 (水) 17:01 (UTC)[返信]
Moon.riseです。今はとりあえず、ウィキペディアでは検閲は行われません(WP:CENSOR)についてだけ、反論するようにしております。「どのように表現を変えられようとも、WP:CENSORに反する提案」ということは、はるみエリーさんがリンク先を読まれていない、というレベルのお話ですが、大丈夫でしょうか? わざわざ引用すれば「しかし、記事の内容に関連したものであるため、不快に感ずる人がいるかもしれない記述、画像、リンクが含まれている記事もあります。不快に感じるおそれのある内容についての議論は、それが不快に感じられるかどうかという点ではなく、その内容を記事に含めることが適切かどうかという点に焦点を当てるべきです」「とりわけ、引用に際しては、引用部分に不快感を与え得る言葉があっても、これを検閲して除去してはいけません」つまり、どう読んでも、記事内容についての話です。要約すれば「記事内容に不快な部分があっても検閲して除去しない」です。Wikipedia:検証可能性に反する内容が除去されるのは、WP:CENSORに反することではなく、当然の判断です。--Moon.rise会話2017年8月9日 (水) 17:18 (UTC)[返信]

コメント Moon.riseです。ノート:豊田真由子からですが、はるみエリーさんの投稿を引用させていただきます。[19]

「週刊誌だから、あるいは、大衆紙だから、といったカテゴリー論でサンデー毎日について論じるのは、まったくの間違いです。」というご意見については否定されたことがハッキリしたと思います。WP:NOTRSでは、娯楽中心の大衆紙は「信頼性に乏しい出版物」とされています。方針で定められていることを個人の解釈で勝手に変えることはできないので、ここでいくら議論してもまったくなんの意味もありません。方針を変えたいのであれば、適切な場所で議論してください。--はるみエリー会話) 2017年7月17日 (月) 15:03 (UTC)

この機会にすでにはるみエリーさんは、「大衆紙は信頼性に乏しい出版物」ということを自ら主張されています。Moon.riseの主張である「大衆紙・週刊誌は政治系記事の信頼できる情報源(=出典)にならない」と異ならないものです。 「娯楽中心の大衆紙は「信頼性に乏しい出版物」とされています」というはるみエリーさんの主張が、自ら「「夕刊紙、大衆紙、スポーツ紙」については原則出典に使用できますし」[20]というはるみエリーさんの主張に矛盾するものです。私としましては、不思議に思わざるを得ません。--Moon.rise会話2017年8月9日 (水) 18:01 (UTC)[返信]

和田政宗議員のブログを夕刊フジが報じた記事はWP:BLPに反するか[編集]

コメント Moon.riseです。JapaneseAさんが出された議題の2点目、「和田政宗議員のブログを夕刊フジが報じた記事はWP:BLPに反するか」について、これまでにコメントを寄せられた方が見つけられませんでした。そこでコメントさせていただくにあたり、勝手ながらサブ節を入れさせていただきました。

  • 和田政宗議員がブログで「メディアに文書を持ち込んだのは(以下イニシャル)」と報じる
  • 夕刊フジがそれを引用して「(省略)和田政宗議員、加計学園「怪文書」犯人を告発」と報じる[21]

これはいけません。難しく考えるまでもなく、自然に考えて、完全にWikipedia:存命人物の伝記(WP:BLP)違反は明白じゃありませんか。

「夕刊フジのケント・ギルバート氏のコラム」は、なぜ夕刊フジだけが報じていたのかといえば、夕刊フジ=ケント・ギルバート氏での契約があったからです。それを、大衆紙ではない高級紙など、他の情報源が同じ内容を報じることができなかったのは、ひとえに夕刊フジ=ケント・ギルバート氏での契約の問題です。まさか、例えば朝日新聞が、コラムと全く同じ内容を記事で出せるはずもありません。こういう場合には、「掲載が大衆紙だったから」「掲載が週刊誌だったから」ということではなく、本当に特別に「信頼できる情報源」とみなして扱っても、問題にはなりませんねということです。これが大衆紙は政治問題や存命人物の批判の出典に使用できるか?での結論ということです。

難しく考えるのではなく、自然に考えて、今回報じられた内容を見てください。和田政宗議員のブログはその段階ですでに、言及した相手をイニシャルにしており、相手方に対する名誉棄損にもつながると分かっていたことは明らかです。そして、この内容は「夕刊フジと契約したから夕刊フジの記事になった」わけではありません。むしろ、公開されたブログには読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞でも、とにかく大衆紙ではなく「信頼できる情報源となる出版機関」がアクセスして、記事にすることが可能だったのです。大衆紙である夕刊フジが記事として拾うのに対し、それ以外の高級紙などが「見なかったことにした」のはなぜでしょうか? 記事にする価値がないと考えたか、いえ何よりも、名誉棄損などの問題になることを危惧したからでしょう。

この情報が、後に間違いだと否定されたら、和田政宗議員はどうするのでしょうか? 和田議員が訴えられたらどうするのでしょうか? 和田議員でさえとりあえずイニシャルにした、そんな怪情報を、Wikipediaに記載するのは明らかに危険なことです。あまりにも明白なWikipedia:存命人物の伝記(WP:BLP)の方針の無理解であり、大衆紙は政治問題や存命人物の批判の出典に使用できるか?での結論に対する無理解です。

なお、JapaneseAさんの「文責は和田氏ではなく編集部と判断」かどうかというご質問には、淡々と「文責は編集部」とお答えさせていただきます。また、添えておきますと、夕刊フジはこのような記事を出すからこそ、「事実確認について評判がよくない情報源」であり、「信頼性に乏しい出版物」であり、「夕刊紙やスポーツ紙のような娯楽中心の大衆紙」という評価になるのです(WP:NOTRS)。無論のこと「存命中の人物に関する否定的な情報で参考文献や出典の無い、あるいは貧弱な情報源しかないものは、項目本文およびノートから即刻除去するべきです」(WP:BLP)という対応です。--Moon.rise会話2017年8月9日 (水) 19:01 (UTC)[返信]

和田議員が訴えられていないということが全てです。しかも、それを「怪情報」と断じることは、逆に、和田議員を侮辱する発言です。「「総理のご意向」と書かれた文書は、前川さんが報道機関に流したのか。」という質問に、前川氏は「情報の流出元については私はコメントしない、ということでご理解いただくしかない。[22]」と回答するなど否定するチャンスがあっても明確に答えていません。前川氏の発言を両論並記すべき案件となると思います。あまり経緯をご存じないようですが、自分が書いたメールが新聞に全文掲載されたのだから、自身で新聞社に持ち込んだのかと思う人があっても驚くことではないと思います。和田議員は国会議員ですし、根拠に基づく批判なのですから、和田議員がなにか法的に問題があることをしたかのように決めつけるのはやめたほうが良いと思います。公人が公人を批判することは当然です。批判を書いてはいけないという方針ではありません。事務次官のような公人を国会議員が根拠に基づいて批判する発言が、2次資料で確認されています。非常に誤解なさっているみたいですが、なにも法的リスクはありません。各種方針の無理解が甚だしいようですが、削除の必要もありませんので、削除依頼も取り下げされたほうが良いと思います。--はるみエリー会話2017年8月9日 (水) 23:37 (UTC)[返信]

大衆紙vs週刊誌[編集]

(IPが変わっていましたが、今の所ここのIPは全部一人=私です) 直近いくつかの発言を見ると、どうも根源的な相違点は、大衆紙(夕刊フジ、日刊ゲンダイなど)と週刊誌(サンデー毎日など)の間に優劣があるかどうか、であったように見えるのですが、それでいいでしょうか。日刊ゲンダイは雑誌だから週刊誌に近くて上の分類ではどちらとも言えない、という人もいるかもしれませんが、多分ごく少数派ですよね。研究者の間では、日刊ゲンダイは新聞相当の扱いが一般的ですので。それで、大衆紙は週刊誌よりましだ(ご本人の言葉では「『サンデー毎日』よりは夕刊フジのほうが信頼できます」)、という主張がぽてからさんからありました。私にとってはこれ、結構驚される主張なのですが、その根拠は何でしょうか? 「夕刊フジは週刊誌と同じではないことは議論するまでもありませんよね」(強調引用者)という発言もありましたが、こと信頼性に関しては、それほど圧倒的な賛同が得られそうな意見とは思えません。たとえば発行間隔や販売手法はもちろん違いますが、大衆紙である新聞と週刊誌である雑誌とは信頼性の観点でほとんど区別できない、同程度のもの、という判断は十分あるかと。 --49.239.70.113 2017年8月4日 (金) 08:50 (UTC)[返信]

これまで、JapaneseAさんとも、産経系列だと、産経新聞>夕刊フジ・ironna・正論(ケースバイケース)>週刊新潮・週刊文春・週刊朝日・サンデー毎日・・・、という暗黙の了解は存在してたと認識してます。Hmanさんも、文責が明確な記述は「夕刊フジによると」と記述しても良いというご発言があり、それに納得してますけど、週刊誌出典のみで誰々が発言した、などは記載すべきではないと言えるでしょう。夕刊フジはあくまでも新聞であり、雑誌である週刊誌と同一だと主張されるのであれば、新たな主張なので根拠を出されるべきでしょう。これまでのHmanさんの発言で合意が形成されてるわけですが、それを根本的に覆す内容ですよね。--ぽてから会話2017年8月4日 (金) 09:00 (UTC)[返信]
その暗黙の了解は「夕刊フジ」のみ間違っています。そんな了解はしていませんので。--JapaneseA会話2017年8月6日 (日) 16:38 (UTC)[返信]
上記発言であきらかとなったのは、JapaneseA様が逆に「夕刊フジ」を特別扱いしている、ということではありますまいか。JapaneseA様のコメント依頼で話合うべきであると考えられます。--RXX-7979Ⅲ会話2017年8月6日 (日) 17:32 (UTC)[返信]
大衆紙はあくまでも新聞のカテゴリにおける大衆紙であり、方針上、雑誌と比較した言及がないため、大衆紙と週刊誌を同一だと結論づけることは出来ないのではないでしょうか。媒体というより、書いてある中身によって、記述すべきかそうではないかが変わってくるはずです。大衆紙と週刊誌が同一とする、モデルAの枠で議論するのはそもそも間違っています。--61.205.2.162 2017年8月7日 (月) 10:46 (UTC)目的外利用者のコメントに取消線。このIPは「目的外利用、WP:MEATの疑いも否定せず」としてブロックされました。--JapaneseA会話2017年8月8日 (火) 15:03 (UTC)[返信]


こんにちは。Moon.riseと申します。Wikipediaの方針・ガイドラインとして、一次資料としての大衆紙と週刊誌の扱いに差異はないという主張、および根拠を書かせていただきます。 こちらは井戸端ですから、一般論(個別具体的記事のことではない)になります。

今から例として名前を挙げるのは「朝日新聞(高級紙)」「夕刊フジ(大衆紙)」「サンデー毎日(週刊誌)」「自費出版の本」「TVで見た」の5種類としておきます。それぞれの具体名に深い意味はございません。「産経新聞(高級紙)」でも「東京スポーツ(大衆紙)」でも何でもよかったと付記しておきます。 また、「夕刊フジ(大衆紙)」などを話題の中心としていることから、今回は「一次資料として」という見方をしております。「二次資料として」では、また状況に応じて扱いが異なる場合もあります。

一次資料に限らず、「信頼できる情報源から公開されている情報だけを記事に書くことができる(Wikipedia:検証可能性Wikipedia:信頼できる情報源)」ということは、今さら確認は必要ないでしょう。一次資料としての話になると、Wikipedia:信頼できる情報源より、「ウィキペディアの記事で一次資料を使ってよいのは、信頼できる出版元から公刊されている場合だけです」とされています。さらに、Wikipedia:独自研究は載せないより、「ウィキペディアにおいて一次資料を使用してよいのは、事実について率直な記述を行う場合のみ」とされています。

まずここまで、各人によって意見が分かれないであろう要素として、公刊された情報源であるか否かという区分について見ることができます。

  • 公刊されている:朝日新聞(高級紙),夕刊フジ(大衆紙),サンデー毎日(週刊誌)
  • 公刊されていない:自費出版の本,TVで見た

信頼できる情報源の評価についてですが、Wikipedia:信頼できる情報源より、「以下に、信頼できる情報源の類型と情報の信頼性について幾つかの具体例を取り上げますが、それが全てというわけではありません。その時々の状況によって、正しい出典の用い方はいつも同じではありません。その作業には常識的感覚と編集上の判断が不可欠です」とされています。何が信頼できる情報源であるかは、その具体的状況によって判断されるべきであり、例えば「朝日新聞(高級紙)であればいつでも常に信頼される」ということは、ありません。これは重要なことです。しかし、各記事ノートで「ではまず、今回の朝日新聞の信頼性を疑うところからですが……」という議論の始め方をするのは、これも多少現実的ではありません。今回ここでの一般論として、ガイドラインという意味で「朝日新聞(高級紙)」「夕刊フジ(大衆紙)」などの区分を見ていくのは、現実的であるものと考えて続けます(厳密さが気になる方は、以下の記述の適切な位置に「多くの場合には」という語を補って読むようにしてください)。

また、信頼性に乏しい情報源を「まったく記事に書くことができない」かというと、そうでもないとされています。Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源では、「ある情報が、例えばタブロイド新聞(夕刊紙やスポーツ紙のような娯楽中心の大衆紙)のような、信頼性に乏しい出版物ひとつの上にしか見つけられないという時があり得ます」「その情報があまり重要でないものならば、それを除去してください。もしもその情報が重要で残す値打ちがあるものならば、それを件の情報源によるものと明示してください」とされています。つまりここで、信頼性に乏しい情報源には「除去」「情報源明示の上で記載」という、ふたつの判断の行き先があるということになります。

信頼できるかどうかの区分を追加して整理してみます。

  • 公刊&信頼できる:朝日新聞(高級紙)
  • 公刊&信頼性に乏しい:夕刊フジ(大衆紙),サンデー毎日(週刊誌)
  • 公刊されていない:自費出版の本,TVで見た

丁寧に述べるのであれば、さらに取り除かれるべき(扱いを別にする)対象もあります。例えば「政党や宗教団体のウェブサイトや出版物」は、「政治的主張や宗教的信条が含まれていなくても注意して扱うべきであり、情報源として使わない理由になります(Wikipedia:信頼できる情報源)」という特別扱いをするべきです。しかし、上記5種類は扱いを別にする対象ではなく、区分されるべき所に収まったと考えます。

「朝日新聞(高級紙)」の区分について、「大学レベルの教科書(略)主流の新聞などは信頼できる情報源です(Wikipedia:検証可能性#何を信頼できる情報源とするか)」であり、多くの場合には異論のない所でしょう。「夕刊フジ(大衆紙)」「サンデー毎日(週刊誌)」の区分について、Wikipediaの方針・ガイドラインからすれば収まるべき所はここです。信頼性に乏しい情報源とは、「事実確認について評判がよくない情報源・事実確認の機能を欠く情報源・編集上の監督を欠く情報源(Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源)」です。「例えばタブロイド新聞(夕刊紙やスポーツ紙のような娯楽中心の大衆紙)のような」というのは、あくまでも一例の提示であり、この例に挙がらないからといって、信頼性に乏しい情報源という評価を免れるわけではありません。

大衆紙と週刊誌がいずれも同じ区分(信頼性に乏しい情報源)になる以上、Wikipediaの方針・ガイドラインとして、記事に使えるかどうかは「除去」「情報源明示の上で記載」というどちらかに行き着きます。一般論としては「夕刊フジを除去」「夕刊フジを記載(情報源明示)」「サンデー毎日を除去」「サンデー毎日を記載(情報源明示)」という、いずれの場合もあり得ます。そして、それは個別具体的記事に応じて、個別に判断するべきことです。たった一度「夕刊フジを記載(情報源明示)」という判断があっても、いつも記載する理由にはなりません。同じく、たった一度「サンデー毎日を記載(情報源明示)」という判断があっても、いつも記載する理由にはなりません。

「サンデー毎日は週刊誌である」これは事実です。「サンデー毎日は週刊誌である。だから、いつでも常に除去される」これは事実ではありません。Wikipediaの方針・ガイドラインは、「信頼性に乏しい情報源」という下に、「もっと信頼性に乏しい情報源」という区分を持ってはおりません。最後に繰り返しいたしますが、「以下に、信頼できる情報源の類型と情報の信頼性について幾つかの具体例を取り上げますが、それが全てというわけではありません。その時々の状況によって、正しい出典の用い方はいつも同じではありません。その作業には常識的感覚と編集上の判断が不可欠です(Wikipedia:信頼できる情報源)」ということで、お願いいたします。--Moon.rise会話2017年8月7日 (月) 17:09 (UTC)[返信]

ケースバイケースということについてはその通りです。しんぶん赤旗の信頼性の程度についても、その通りだと思います。JapaneseAさんが主張されているのは、政治家発言・国会発言について、二次資料として夕刊フジを使うな、ということを言われたり、風俗店のような大衆文化に関係する記事において、ダイヤモンド・オンラインや日刊ゲンダイのジャーナリストの記事を使うな、ということであったりします。ここまで話してなんですが、やはり、利用者のコメント依頼で話すべき内容なのかもしれません。Moon.riseさんのコメントは、JapaneseAさんの編集行動が不適切であることを裏付ける意見になっていますが、それを第三者が理解することはもはや困難になってしまっていると思います。--はるみエリー会話2017年8月8日 (火) 10:11 (UTC)[返信]

Hmanさん発言の合意形成ラインの再考が必要か?[編集]

大学レベルの教科書・権威的な出版社からの書籍・雑誌・論文・主流の新聞などは信頼できる情報源です。夕刊フジは日本新聞協会加盟の「主流の新聞」に近い夕刊紙です。ケースバイケースで出典に使用できるということですでに合意済みです。一方、一般週刊誌や写真週刊誌はゴシップ中心の編集方針であり、信頼できる情報源ではありません。「週刊新潮の編集方針は3つ。金銭欲、色欲、権力欲」だそうですが、こういう編集方針は、「新聞」とは開きが大きいです。夕刊フジについては、文責が高橋洋一、政治家の発言の2次資料、のパターンの出典としての利用が記憶に新しいのですが、Hmanさん発言のラインでそれはすでに記述可能と合意済みの範疇であると思います。JapaneseAさんの主張はそのラインを改めて再考すべき、という議論の蒸し返しにすぎないという指摘がありますが、再考を求めていなければ、この議論は必要ないと思います。JapaneseAさんは、一方で、雑誌オルタナとしんぶん赤旗という貧弱な情報源を帰属化さえもせずに記載されるなど[23]、当然即時除去すべき記述を除去させないなどのダブルスタンダードな行動をとられてますが、この井戸端についてもその延長線上のいい加減な内容にしか思えません。「本議題で問題としているのは、文責のはっきりしないかつ夕刊フジです。」についても、結局、「文責のはっきりしない」が何を指すのかよくわかりません。なぜ、具体的に、この編集がいいかどうか、という話をされないのでしょうか。合意形成ラインについて言及されたHmanさん発言「「○○の関係者によると」「△△に近い筋によると」はダメ、「○○によれば××である」と、その論を紹介する事は可能」に改めて賛同しますし、それに反する編集は意図してません。文責のはっきりしない云々などということさえ、JapaneseAさんが後から言い出されたことであり、Hmanさんの発言をご理解されてないだけです。改めて、Hmanさんによる「「○○の関係者によると」「△△に近い筋によると」はダメ、「○○によれば××である」と、その論を紹介する事は可能」を合意形成ラインとして維持することに賛同し、それに反する編集は意図してないこと、再考の必要性がないことをお伝えし、かつ、JapaneseAさんのいつまでも納得されない行動については強く抗議せざるをえません。--はるみエリー会話2017年8月4日 (金) 10:56 (UTC)[返信]

「文責が高橋洋一」については(私は反対ですが)前回の合意に従っていますので、再考は求めていません。--JapaneseA会話2017年8月6日 (日) 16:38 (UTC)[返信]
「私は反対ですが」というのが問題ではありますまいか。文責の線で除去することが不可能だということが判明したら、今度は、高橋洋一氏を専門家とは認めないなどという意味不明ないちゃもんを付けられる始末。井戸端で話合うことではなく、JapaneseA様のコメント依頼で話合う必要があるのではありますまいか。はるみエリー様が主張される政治家発言の2次資料使用についても、Hman様の主張と合致することを、JapaneseA様が認められていないだけ、ということについても再考されるべきと考えられます。--RXX-7979Ⅲ会話2017年8月6日 (日) 17:31 (UTC)[返信]

こんにちは。Moon.riseです。Wikipedia:井戸端/subj/大衆紙は政治問題や存命人物の批判の出典に使用できるか?のHmanさんのご発言が、井戸端での合意として大変な人気になっているみたいです。ここで、そのご発言をより深く追求(つっ込み)させていただこうと思います。 [24]

健康を害しておりまして、私がコメントを行う前にどうやら落着してしまった様です。ですが、妥当な結論に落ち着いた様でほっと致しました。結局、情報源の解釈については、EULE氏の仰る『一般に大衆紙、ゴシップ紙が信頼できないとされるのは情報源が曖昧な場合においてです。「○○の関係者によると」「△△に近い筋によると」などのような記事が典型例かと思います。』と言う点、また同時にKojidoi氏の仰る様に、記事にとって要不要は情報源のみに依存するものではない点に尽きるでしょう(私もたまに、出典があれば何でも書いていいわけじゃないんですよ!とか言いますし)。まあ検証可能性の文書の原則に則れば、専門家が書いたものでもやはり査読はされていないものはいないもので、これをさも「事実」のように書く事はできません。しかしそれが記事にとって必要な情報と見なせるのであれば、「○○によれば××である」と、その論を紹介する事は可能であると考えます。事実として断り無く書き下ろす事と、断りを入れ一つの論を紹介すること、この行為には大きな隔たりがあります。それを同一視し同一の基準で仕分けようとするからわけのわからないことになるのです。検証可能性の文書は、原則として事実で有ると見なせる筆致で記事を執筆するケースのみを想定していると見なせ、また、より細かく書かれているガイドライン「信頼出来る情報源」においては明らかに、検証が可能である前提下において「意見」を「紹介」する事が認められています。このケースの場合、その人が意見を表明した事が事実であることを証明できればよいとだけされています。まさか、夕刊フジがケント・ギルバート氏の発言を捏造したなどと想定することはできないでしょう。--Hman会話) 2017年4月10日 (月) 02:13 (UTC)

見やすさのために、思い切って引用させていただきました。

ここで結論として「「○○によれば××である」と、その論を紹介する事は可能である」という部分が目を引きますが、それのみならず、EULEさんのご発言を引用されている部分にも、注目すべき所です。 [25]

ウィキペディアに限らず、一定の信頼性の保証が必要なものの場合において、一般に大衆紙、ゴシップ紙が信頼できないとされるのは情報源が曖昧な場合においてです。「○○の関係者によると」「△△に近い筋によると」などのような記事が典型例かと思います。 逆に言えば情報源がはっきりしているもの、それこそ情報源として有用な人物の記名記事、コラムである場合に、それの出典を元に淘汰するなんて話は普通無いです。媒体による語調、角度(確度じゃない)などが問題だというなら、それこそ、そこを踏まえて引用なり、記述するのが執筆者に求められている能力であって、そこを否定したら話にもなりません。--EULE(会話) 2017年4月8日 (土) 06:23 (UTC)

つまりこれは、「情報源として有用な人物の記名記事・コラムである場合に限り、大衆紙・ゴシップ紙であったとしても、(信頼性に乏しい情報源扱いではなく)信頼できる情報源とみなすことができる」ということです。ここで「信頼できる情報源」であることに、改めて注目してください。他のノートページではありますが、Hmanさんはノート:ニュース女子にて、「あの文言(=その情報があまり重要でないものならば、それを除去してください)は、タブロイドだのエロ本紛いのゴミのような記事しかない雑誌だの女性週刊誌だのに載っている事を信じるな、まではよいのですが、ただし適切な権威による寄稿やインタビューなどを除く、が抜けています。こういったケースの場合、発表媒体の差があまり問題にならないのは明らかです。文言の改訂は是非なされるべきでしょう」「改訂するまではそれに妄信的に従え?NO。方針やガイドラインは文面だけではなく、その精神を尊重するものです」と発言されています[26](なお括弧内はMoon.rise付記)。大衆紙は政治問題や存命人物の批判の出典に使用できるか?でも、Hmanさんは「あくまで専門的な相応の権威ある人物があくまで記名で寄稿もしくはインタビューなどに応じた際に限って適用されるべき考え方です」と、EULEさんは「Kojidoi氏やHman氏が指摘されていることですが、「信頼できる情報源」とみなせる余地があっても、即、記述すべきという証明にはならない」と、発言されています。

Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源に挙げられた、「信頼性に乏しい出版物ひとつの上にしか見つけられない(略)もしもその情報が重要で残す値打ちがあるものならば、それを件の情報源によるものと明示してください」という理由で、大衆紙の情報を記事に使う場合とは、まったく異なるというのが、私の挙げておきたいことになります。

ここまでに提示している話として、夕刊フジ(大衆紙)を例にすれば、記事に使われているのは以下2種類の場合が挙げられます。

  • ①専門的な相応の権威ある人物があくまで記名で寄稿もしくはインタビューなどに応じた場合。信頼できる情報源と評価している。「ケント・ギルバート氏によれば…」
  • ②情報が重要で残す値打ちがあるものの場合。信頼性に乏しい情報源という評価のまま。「イギリスのタブロイド紙『サン』によれば…」

「どちらも記事に使えているのだから、分類する理由はあるのか?」と思われるかもしれませんが、これはWikipedia:存命人物の伝記、「もし信頼できる第三者的情報源によって文書化されていないなら、除去してください」との兼ね合いを考えるにあたり、重要なことになります。

「ケント・ギルバート氏によれば…」として、人物についての記事に使用する場合、その記事内容はたまたま「掲載が朝日新聞(高級紙)だった」「掲載が夕刊フジ(大衆紙)だった」「掲載がサンデー毎日(週刊誌)だった」ということです。EULEさんが「それの出典を元に淘汰するなんて話は普通無い」と書かれたように、大衆紙、ゴシップ紙、タブロイド、エロ本紛いのゴミのような記事しかない雑誌、女性週刊誌、どれでも使ってください(つまり決して夕刊フジには限定されません)。

「イギリスのタブロイド紙『サン』によれば…」として、人物についての記事に使用する、これは決して使うべきではありません。執筆者が「重要で残す価値があると思うから」ということではいけません。

「夕刊フジによれば…」「夕刊フジ編集部によれば…」という書き方は、帰属化しているので、一見して大衆紙は政治問題や存命人物の批判の出典に使用できるか?を踏まえた判断をしているように見えるかもしれません。そして、存命人物の批判の出典に使おうとする方がいらっしゃるかもしれません。しかし、それは違います。若干名の方のご意見が、これを理解されているか気になりましたので、ここで整理しておこうと思いました。--Moon.rise会話) 2017年8月7日 (月) 20:32 (UTC)加筆--Moon.rise会話2017年8月7日 (月) 21:12 (UTC)[返信]

夕刊フジや日刊ゲンダイが専門家による意見を配信した場合に記述すれば良いという合意があったということと、基本的に帰属化して出典には使って良いということは言えます。JapaneseA氏は、夕刊フジや日刊ゲンダイを使うなとなんでもかんでも除去しようとされていますが、それもまた方針の悪用にすぎません。大衆紙やタブロイドは、タブロイドであってもしっかりした新聞社が発行している限り、さすがに専門家の発言を捏造するなどの記事はないと言えますが、発行者が新聞社などではない雑誌社や企業であれば、査読が新聞社よりも甘くなることも発生してくると思われます。そういう事情を勘案して、新聞社発行の記事とエロ本紛いののゴミのような記事しかない雑誌を同一と扱うという極論には賛成いたしかねる次第でございます。Wikipedia:信頼できる情報源では、「評判が良い」ことについても触れられていますが、タブロイドであっても、新聞社は評判が一番よく、雑誌社は次ぎに評判が良いでしょうが、さすがに、エロ本紛いのゴミのような記事しかない雑誌は評判が良くないなどの差は生じているはずでございます。記事の内容によって、また、メディアの評判によっても、ケースバイケースで判断するということになってくるものであり、一律同じだという極論もまたおかしいと言えるものです。--RXX-7979Ⅲ会話2017年8月8日 (火) 05:07 (UTC)[返信]
RXX-7979Ⅲさんの書かれた「夕刊フジや日刊ゲンダイが専門家による意見を配信した場合に記述すれば良いという合意」は誤りで、「夕刊紙であれ週刊誌であれ、検証可能な媒体に、専門的な相応の権威ある人物があくまで記名で寄稿もしくはインタビューなどに応じた場合」が正しいものです。本文をよく読み込んでいただけるよう、お願いいたします。
RXX-7979Ⅲさんが「ケースバイケースで判断」と挙げられるのは、それは個別具体的記事について考える場合には、当然にケースバイケースで判断するべき段階があります。大衆紙は政治問題や存命人物の批判の出典に使用できるか?では一般論として、「専門的な相応の権威ある人物があくまで記名で寄稿もしくはインタビューなどに応じた場合」というしっかりした条件のもとに、「夕刊紙であれ週刊誌であれ、検証可能な媒体に記載されている以上、問題はありません(EULEさん)」という結論をしています。情報源の信頼性は「創作物自体、創作物の製作者、創作物の出版機関の意味に解釈されます。この3つ全てが情報源の信頼性に関わってきます」という通りですが(Wikipedia:検証可能性)、創作物自体と創作物の製作者について高い信頼性を評価できる、そしてそれを条件にしている、という話です。これは、極論ではなく一般論です。
例として、ケント・ギルバート氏のコラムとして話をするなら、このコラムが持ち込まれたのが朝日新聞(高級紙)であれば、朝日新聞から出版される。持ち込まれたのが夕刊フジ(大衆紙)であれば、夕刊フジから出版される。持ち込まれたのがサンデー毎日(週刊誌)であれば、サンデー毎日から出版される。持ち込まれたのが女性自身(女性週刊誌)であれば、女性自身から出版される。どの場合も、最終的なコラムの内容に違いはありません。その場合には、「発表媒体の差があまり問題にならないのは明らかです(Hmanさんノート:ニュース女子)」ということです。
RXX-7979Ⅲさんが「評判がよいこと」という視点で、Wikipedia:信頼できる情報源にリンクされるなら、そのまま信頼できる情報源を「評判」で検索されるとよいでしょう。「評判がよいことと信頼できることはかなりの部分で重なるものではありますが、一方をもって他方の代わりとなるものではありません(Wikipedia:信頼できる情報源#信頼性の評価)」という文章にすぐにたどり着くことができます。--Moon.rise会話2017年8月8日 (火) 07:11 (UTC)[返信]
上記については、議論の拡散になってますよね。そういう議論のための議論は不要ではないかと思いますね。ケースバーケースの判断となってくる要素もあるんで、一律、これは良いとかこれはダメとか、決められるものではないですし、方針もそうなってます。--ぽてから会話2017年8月8日 (火) 07:24 (UTC)[返信]
はるみエリーさんが見出しを立てて議題を出された「Hmanさん発言の合意形成ラインの再考が必要か?」を判断する材料になるコメントですので、議論の拡散ではありません。また、議論というよりも「井戸端議論のまとめ」であり確認という内容でもあります。大衆紙は政治問題や存命人物の批判の出典に使用できるか?は、一般論を議論することで、利用者に対するガイドライン(一般的な意味で)として役に立ちます。ケースバイケースの判断は、先に判断基準(ガイドラインなど)が必要になってくるものです。「特定条件下では夕刊紙も週刊誌も出典にできる」というガイドラインをあげたことが重要であり、それを実際に使うか使わないかは、個別具体的に判断の余地があります。--Moon.rise会話2017年8月8日 (火) 08:18 (UTC)[返信]
Moon.riseさんは、RXX-7979Ⅲさんと同じく、Hmanさんらの発言を支持する、再考の必要はないということで良いでしょうか。週刊誌はWP:BLPWP:NOTSCANDALに抵触する記事も多いので、スクープ記事であることが第三者出典で言及がある場合など、使用が限られてくるとは思いますが、使ってはいけないということではないと思います。結局、そもそも、誰も夕刊フジだけを特別扱いした編集を行っていないため、「Hmanさん発言の合意形成ラインの再考が必要か?」の答えがNOであることが確認できれば、これ以上のこの節の議論は不要であるということになると思います。--はるみエリー会話2017年8月9日 (水) 13:01 (UTC)[返信]

JapaneseAさんの主張の真意について[編集]

JapaneseAさんは、貧弱な情報源だから、などという理由で、出会い喫茶に下記記述を書かせないという行動を取っています。大衆紙やダイヤモンド・オンラインだから、という理由で、合意もないにもかかわらず出典ごと記述を除去しても良い、というお墨付きをもらいたいがための井戸端にすぎないと判断します。下記の出典について、「使用不可」や「使用禁止」にすることなどは出来ません。詳細は、Wikipedia:コメント依頼/JapaneseA 20170808でコメントしたいただいたほうが良いかもしれませんが、出典がついているにもかかわらず、日刊ゲンダイだからとか、ダイヤモンド・オンラインだからという理由で、編集合戦して除去しても良い、という考えは否定されるべきだと思います。--はるみエリー会話2017年8月8日 (火) 10:28 (UTC)[返信]

(以下JapaneseAさんが編集合戦をして除去された内容)

マーケティング・コンサルタントの竹井善昭は、出会い系バーに潜入し3人の女子にヒアリングしたところ、「お金に困っているワケではなくて、タダ飯、タダ酒にありつければOK」という子ばかりであり貧困女子には出会えなかったことから、「出会い系バーで貧困女子の実態を調査することは非常に困難」という感想を持ったと述べている[1]

日刊ゲンダイの女性記者が渋谷の出会い系バーで実態調査を行い、23歳と24歳のOLに話を聞いたところ、男性客からの「タダ酒とタダ飯を期待して」利用していたとしている[2]

ライターの尾越まり恵は、日刊ゲンダイで、今時の20代女子は、生まれたときから不景気が続く中で育ったために、お金にシビアで節約志向であり、雇用不安も抱えているとし、その一方で、貪欲に人脈を広げたいという意欲が強く、「それらをまとめて解決できるのが出会い系バー。人脈づくりの場所と考えている女性もいます」と述べている[2]

コメント 非常に長い議論となっているため、すでに指摘されているのを私が見落としているのならご容赦ください。一つ指摘したい点として、はるみエリー氏の主張する「夕刊フジは、産業経済新聞社が発行している夕刊紙であり」がそもそも間違いです。夕刊フジは名前に夕刊という単語が偶々入っているだけで産経新聞社の発行していた夕刊版は21世紀初めごろには廃止されて、2017年現在存在しません。夕刊フジがWikipediaの求める信頼性を有しないゴシップ紙であることは、百云十円出してコンビニなどで購入すればすぐにわかることです。--219.108.128.225 2017年8月13日 (日) 15:16 (UTC)[返信]

産経新聞の夕刊版は廃止されています。しかし、「夕刊フジは、産業経済新聞社が発行している夕刊紙であり」は間違いではありません[30]。--はるみエリー会話2017年8月14日 (月) 14:55 (UTC)[返信]
219.108.128.225さん、はるみエリーさんへ。産経新聞の夕刊版は近畿圏では現在も発行していますよ[31]。念のため訂正。--Okiifstation会話2017年8月14日 (月) 15:50 (UTC)[返信]
そうでした。東京本社版の夕刊が廃止です。--はるみエリー会話2017年8月15日 (火) 05:11 (UTC)[返信]

Ks aka 98さん発言の合意形成ラインの再考が必要か?[編集]

Wikipedia:井戸端/subj/中立的な観点は、恣意的に操作できるものなのでしょうか?でKs aka 98さんが、以下の発言をされています。

コメント ウィキペディアにおける中立的な観点は、Wikipedia:中立的な観点に説明されています。宗教事典や論文など信頼性の高いものを使うことは好ましいことですが、それらから「だけ」で書かれたものが中立的ということではなく、当事者の意見や告発も、適切に帰属化させ、事実ではなく意見や主張を紹介するような形で、記事の記述に含ませていくことが「中立的」です。もちろん、信頼性が高いもののほうが記述の中心になるでしょう。
「不適当な文献は用いるべきではなく、それを根拠にした記載はないほうがまし」という時に、その「不適当さ」の程度問題はありますが、ウィキペディアはそれとは異なる編集方針を持ちます。Wikipedia:検証可能性#通常は信頼できないとされる情報源であっても、Wikipedia:中立的な観点#偏った記述は帰属化・明確化するという形で記述を残す余地はあります。
「告発本」というのも、実は一面的なラベリングで、元信者のような当事者であったり、ジャーナリストであったりが書いたものであったりするわけです。社会問題に対して、事実の把握をする上で、研究者らの著作が、そうした当事者やジャーナリストと比べて、常に優れているというわけでもないでしょう。現場に近いのは当事者であり、近づこうとするのはジャーナリストという立場です(学術的な参与観察もあるでしょうけれど)。また、研究者のほうが調査や公表に際して求められる厳密さが高い分、書けない、と言う形で抑圧される事実と言うものもあります。
ですから、多くの信者を獲得しているということや、有名人の信者がいるということ、幸福になったという証言などがあるというようなことも書かれるかもしれないけれど、それは宗教団体自体からの情報発信であることが分かるようにして書かれる、同じように、様々な批判も帰属を明らかにして書かれる。包括的なところは、学術的な研究があるなら、それを用いることになるでしょう。
批判が多ければ批判の分量は増えるでしょう。そこで批判を削りすぎるのは、擁護的な記述になりかねません。ただし、単に出典がいいからとか、事件や訴訟や騒動といったものを併記していけばいいというものではない。「競合する様々な観点を、その主題についての専門家や関係者の勢力に合わせて提示すべき」と、Wikipedia:中立的な観点#釣り合いのとれた重みづけには書かれています。--Ks aka 98会話) 2016年1月7日 (木) 12:59 (UTC)

過去に、Ks aka 98さんは、信頼性の高いものを使うことは好ましいことですが、それらから「だけ」で書かれたものが中立的ということでないと、明言されています。Hmanさんの発言もこの発言と矛盾しません。しかし、夕刊フジだからダメ、などという、最近JapaneseAさんが主張されている内容は、過去のJapaneseAさんの行為と矛盾してダブルスタンダードである上に、Ks aka 98さんやHmanさんの発言とも矛盾します。長らく、Ks aka 98さんやHmanさんの主張が合意形成ラインとして機能していますが、再考は不要であると思います。--はるみエリー会話2017年8月16日 (水) 04:25 (UTC)[返信]

  • コメント Ks aka 98さんの発言を考慮すると、JapaneseAさんが、大衆紙と週刊誌を「不適当さ」で同一だと決めつけ、しかも、大衆紙だからという理由で各地で除去を行うなどの行動は、正当性を失いますね。JapaneseAさんは、自身の政治的思想を方針より優先させるなどの行動を取られ始めてるので、政治系記事では関わるべきではないと言えるでしょう。ダブルスタンダードが鮮明すぎて、周囲を混乱に陥れはじめてます。また、JapaneseAさんは、過去にやまさきなつこさんの編集をリバートをされるなどし、きつい口調で対応されて、疲弊させたという損失を生みました。今度は、はるみエリーさんに同じようなことをされています。だぶるすてっちさんがJapaneseAさんに行ってたようなことと同じような行動をご自身がとられはじめてます。JapaneseAさんは、はるみエリーさんの編集を否定したいだけのために、この井戸端を提起されたように見えますが、そういうことはやめて、はるみエリーさんからお引き取りください。JapaneseAさんがはるみエリーさんに絡んでいくために、逆に、他の利用者が議論にはいっていけないのです。政治的分野で活動する利用者の大半が、JapaneseAさんよりも知見が優れているのですから、他者に任せてください。--ぽてから会話2017年8月17日 (木) 08:18 (UTC)[返信]

コメント 幾つかの観点を混在させていらっしゃるように見受けられます。「#Hmanさん発言の合意形成ラインの再考が必要か?」とも関連しますが、以下長文失礼申し上げます……m(_ _)m。

Wikipedia:井戸端/subj/中立的な観点は、恣意的に操作できるものなのでしょうか?でks aka 98様が対象としている情報源は、宗教事典にしろ告発本にしろ、信頼できる情報源の中での話です。議論提起者のやまさきなつこ様が「より高次な文献があっても低次の文献による文章は残さなければならないのでしょうか?」とおっしゃられたことを受けての議論ですが、これは

とくに歴史・医学・科学分野のときは、学術的で査読を経た出版物が存在する場合、それが最も信頼できる情報源です。しかしこれらの分野でも、それだけが信頼できる情報源ではありません。学術的でない情報源であっても、それが特に主流の権威的出版物だと信頼されている場合は使用することができます。 それ以外でも、大学レベルの教科書・権威的な出版社からの書籍・雑誌・論文・主流の新聞などは信頼できる情報源です。 電子的な出版物でも同等の基準を満たしていれば使用できます。 — Wikipedia:検証可能性#何を信頼できる情報源とするか

に影響されてのものだと思われます。これに対してはるみエリー様が掲載したks aka 98様の見解が出てくる訳ですが、この見解は

偏った論述は、それを主張する論者に帰属化した形での記述に限って、含めることができます。例えばウィキペディアでは、「ジョーン・ドゥは最も優れた野球選手である」と言わんとする論について、読み手が事実と受け取るような表現で記述してはいけません。「ジョーン・ドゥの野球技術は、アル・カーリンとジョー・トーアといった野球関係者から賞賛されている」といった事実に基づく意見としては記載することができます。しかしその意見は検証可能性を満たし適切な出典に基づかなければなりません。 — Wikipedia:中立的な観点#偏った記述は帰属化・明確化するWP:SUBSTANTIATEWP:ATTRIBUTEPOV

に立脚しています。最も信頼性が高い学術的な情報源程ではなくても、「信頼できる情報源」であれば使ってよいという話です(この編集が問題の編集だと思いますが、告発本はISBNも付されたちゃんとした出版物のようです)。これを持って一律に信頼性に乏しい情報源(夕刊フジや日刊ゲンダイ)を使ってよいということにはならないと考えられます。

で使ってよい場合はどうかとなりますと、EULE様やHman様の見解であり、これは

例外となりうるのは、関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)が自主公表した場合でしょう。その人の著作がこれまでに信頼できる第三者によって出版済みであるなら、その人の自主公表物を情報源として認めてよいこともあり得ます。 — Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源WP:V#SPWP:SPSWP:SELFPUBLISHWP:BLOGS

を基盤にしていると考えます。この考え方は、

  • 当該分野における「著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)」の信頼性が、情報源の査読機能に勝る価値を持つ

ということだと考えられます(個人的にはそう解釈しています)。そして、自主公表されているものがOKであれば、

ある情報が、例えばタブロイド新聞(夕刊紙やスポーツ紙のような娯楽中心の大衆紙)のような、信頼性に乏しい出版物ひとつの上にしか見つけられないという時があり得ます。その情報があまり重要でないものならば、それを除去してください。もしもその情報が重要で残す値打ちがあるものならば、それを件の情報源によるものと明示してください。例えば「イギリスのタブロイド紙『サン』によれば…」としてください。 — Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源WP:V#NRWP:NOTRELIABLEWP:NOTRSWP:QSWP:TVWATCHWP:RADIOLISTEN

と組み合わせて、

  • 信頼性に乏しい情報源でも「関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)」による情報を使ってよい

という見解になったのだと考えられます。この場合、「信頼性に乏しい情報源」がどのように「著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)」の意見・情報を掲載しているかが極めて重要です。そのため、

という文責の問題が出てくるのだと思います。文責についてはEULE様の

何を持って文責の所在が明白だと言えるかです。例えばその「あるスポーツにおいて著名な元選手がある指導者」で言えば、その「著名な元選手が受け持っているコラム」の中で言及したことであれば、それはその元選手に文責があるとみなせます。しかし、「Aという記者が書いた記事やコラム」の中で「なお、元選手の○○は「××」と論評した」と書いてあった場合、ここでいう文責とは元選手ではなくAという記者に帰属するものです。」--EULE(会話) 2017年5月3日 (水) 03:44 (UTC) 追記--EULE(会話) 2017年5月3日 (水) 03:56 (UTC) — Wikipedia:井戸端/subj/大衆紙は政治問題や存命人物の批判の出典に使用できるか?

という説明が分かりやすいかと思います。つまり、

  • 信頼性に乏しい情報源に掲載される際に「関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)」の情報にフィルターがかけられていてはいけない
  • 掲載された情報源によって、「関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)」による情報の信頼性が損なわれてはいけない。

ということだと考えられます。(ちょっと表現に自信がありませんが、うまく意図を組んでいただければ幸いです……(>_<")。)

基本的に井戸端で見られる見解は、「検証可能性」や「中立的な観点」といった方針に基づいてあり、これらを見直す必要はないのかもしれません。ですが、政治系や宗教系はその分野が求める情報源の信頼性が明確でなく、そのためにいろいろ揉めてしまうのかもしれません(ガイドライン「Wikipedia:信頼できる情報源#分野ごとのアドバイス」にも、政治分野や宗教分野の基準は現在記載されていないようです)。

なお、「出会い喫茶」などは情報源が求めるに求められる信頼性は若干低くなると思われます。そのため、

存命中の人物の項目中で、その人物に関する批判、否定、あるいは有害と解釈できる情報が掲載された場合にはすぐに取り除くべきであり、ノートページに移動してもいけません。他の記事の、存命の人物に関する記述を含んだ節についても同じです。実在の人物が巻き込まれ、あなたのことばで傷つく可能性があります。私達は雑誌の記述活動をしているのではありません。私達は百科事典を作っているのです。 — Wikipedia:信頼できる情報源#存命人物の伝記

に反しない限りは「Wikipedia:検証可能性#信頼性に乏しい情報源」に基づき、重要な記述は適切な形で記述できると考えられますが、「重要」の判断でやはり揉めてしまうのかもしれません。

長くなりましたが、はるみエリー様やぽてから様の解釈が「刺激惹起性多能性獲得細胞」のような科学系の学術記事にまで派生してしまうことが危惧されたため、丁寧に記述させていただきました。(心配し過ぎかもしれませんが……(>_<")。)また、僭越ながらJapaneseA様とはるみエリー様が仲良くしていただければと思う次第です……m(_ _)m。--Assemblykinematics会話) 2017年8月19日 (土) 14:33 (UTC) 誤解を招く表現を修正。--Assemblykinematics会話2017年8月23日 (水) 15:16 (UTC)[返信]

Aという媒体で、Bという人物が、Cという議題に対して、Dと主張した[編集]

(節追加。--Moon.rise会話) 2017年8月23日 (水) 16:02 (UTC))(位置移動。--Moon.rise会話2017年8月23日 (水) 16:35 (UTC)[返信]

久々に時間が取れて、本来なら自分の広げた風呂敷を畳みにいかないといけないのですが、私の過去のコメントが飛躍して引用されており、死んだ議論より生きている議論の方が影響が大きいので、ここにコメントいたします。
今回の話題を抽象的に表しますと 「Aという媒体で、Bという人物が、Cという議題(話題)に対して、Dと主張した」という情報があった時に、それをウィキペディアとして(また一般論として)どう扱うべきか、という話になります。
まず、大前提として「信頼できる情報源」とは呼べないものは、ただちに「使用できない情報源」ではないです。多くの場合は正確に言えば「信頼できる情報源と同等には扱えない情報源」であり、分野や記述の仕方など、ケースによっては使用できる情報源です。あるいは逆に、一義的には信頼できる情報源とは呼べるが、使い方によっては使用できない情報源だってあります(それは前に言った朝日新聞による慰安婦報道など例はいくらでもあります)。ただし、まったく権威の無い人物の自費出版本などまず絶対に「使用できない情報源」も存在することは否定いたしません。「信頼性があるorない」=「使用できるorできない」の0or1の世界ではないことをまずは重々承知していただきたいと思います。ゆえに語弊がないように、以後、夕刊フジのようなものは必要に応じて「信頼できない情報源」ではなく「信頼性に乏しい情報源」と表現いたします。
で、前回、私が言ったのは、すごく簡略化すると「Bが単独で信頼できる情報源と見なされ、かつ、Bに文責がある場合に、Aの信頼性を必要以上に問うことに意味はない」「『CはDである』と無条件の事実として書くのはアウトであるが、『BはCについてDと主張した』と意見の事実を書くのが正しい」「『BはCについてDと主張した』と記述すれば、AやBの信頼性を無視しても良いことにはならない」です。ここまでは、よろしいですかね。
しかし、「Aが信頼できる情報源ではなく、かつ、Aに文責がある場合、それは出典にできない」などとは一言も言っておりません。あくまで「BはCについてDと主張した」と記述する場合に、それは無条件で許されるのではなく、文責の所在がAにあるのかBにあるか峻別して、それに必要な信頼性とは何で、基準はどのくらいかを考えるべきだということです(そこに引用された「5月3日 (水) 03:44 (UTC)」の私の発言は、Assemblykinematics氏の、存命人物の評価に直結する論点かつ『あるスポーツにおいて著名な元選手がある指導者に対して「~~の試合における……については、彼の采配ミスと言えるだろう。」と発言したという記述があった場合』に対する回答であって、いかなる場合にでも適用すべき普遍的な話じゃありません)。
前回の議論は、ギルバート氏が信頼できる情報源として認められているという前提があったから、「ギルバート氏が信頼できる情報源だと認められている時点で、その掲載媒体の信頼性を問題視すること自体に意味はない」という主旨で述べました。すなわち「ギルバート氏に文責がある以上、夕刊フジの信頼性を必要以上に問うことに意味はない」というような趣旨や「ギルバート(あるいは夕刊フジ)によれば・・・ という形式であれば何を書いてもいいわけではない」という趣旨のことは述べたのだけれども、「夕刊フジに文責がある場合は、ウィキペディアでは使用することができない」などとは言ってないのです。
生憎時間がないので、乱雑に整理いたしますが、「Aという媒体で、Bという人物が、Cという議題(話題)に対して、Dと主張した」という情報があった時に、それをウィキペディアで引用や出典として用いる場合、「信頼できる情報源の基準とはAとBの両方に掛かる」、「AとBに掛かる基準は異なる」、「AとBの関係性によっても基準は異なる」、「引用や記載の仕方によっても基準は異なる」、という点の考慮が足りていないのだと思います。
まず、「B自体が信頼できる情報源と見なせて、かつ、Bに文責がある」のであれば、Aに課せられる信頼性の基準とは「本当にBの主張といえるか?」です。これは前回の議論の通りです。
上記でない場合にAに課せられる信頼性の基準とは、まず「Dが事実といえる妥当性」にばかり注意しがちだけれども、実際には「Cに対する意見として、Bを専門家や権威者として出すのは妥当か?」「そもそも議題Cを設定すること(ニュースとして報じること)自体が妥当か?」という点も含みます。そして、一般的には、ことに政治の大きな話題となれば、ある観点での指摘(見解)が極めて重要なものであるのであれば、それは信頼できる情報源によって言及されるはずであり、その点で、信頼性に乏しい情報源は間引かれる可能性があります。でも逆に言えば、そういったものに合理的な理由が付けられるのであれば、それは情報源として認められうる余地があるということでもあります。
ここで1つ注意していただきたいのは、文責の所在が変わると、Aに求められる信頼性の必要水準も変わるということです。信頼性の基準とは不変的なものではなく、あるケースでは信頼性の問題で使用できない情報源だからといって、他のケースでも使用できないと短絡的には決まらないのです(その逆も然り)。
AとBの関係性というのは、それが記名記事か無記名記事か、記名としてそれはAに所属する記者かそれとも外部者かで、これまた変わるということです。
そして引用の仕方によって変わるとは、①「CはDである(事実的記述)」②「BはCについてDと言った(意見的記述)」③「BはA紙上でCについてDと言った」④「A紙は、BがCについてDと言ったと報じた」というように、同じ情報であっても、ウィキペディア上でどう記述するかによって、これまた必要な信頼性の基準は変わる。また、一見すると③と④は同じように見えるけど、これは文責の所在という点で全然違う(Aに文責がある情報源を③のように書いたらアウトです)。
そして、その情報源が信頼できるか否かと、その情報がウィキペディアに記述するべき価値があるかは、(まったく無関係とは言わないが)別問題だということです。
また、念のため付け加えると、私は夕刊フジはOK、他の週刊誌は駄目とかその辺の話題に関してはまったく関知しておりません。そもそも赤旗だろうと、必要に応じて適切に引用されさえすれば、それはウィキペディア上は問題ないという立場でございます。具体的にはWikipedia:コメント依頼/ポンピドゥーなどですかね。少なくとも、「赤旗は○○と言った」と書いてあれば、まともな人間なら「カビ臭い革命オタクの戯言か」と前提を置いて理解するのであり、「夕刊フジは○○と言った」と書いてあれば、「しょせん自称新聞の週刊誌モドキの記事だから眉にツバつけておこう」と読むだけのことです。ただ、そこで発言者を隠したら問題です。
最後に。こうして書きなぐっておいて非常に申し訳ないのですが、何分忙しく、質問や反論は受けられません(もしかしたら次の土日に少し時間ができるかもしれませんが、まず10月末までは厳しい)。だから、今日のこの私の発言は、ノイズとしてノートに移されても何でも構いませんが、ただまあ、「夕刊フジに文責があったら、無条件でその出典は認められない」などとは言ってないということはよくよくご承知おきの程を。前回、良くも悪くも私はそこまで踏み込んだ発言をした覚えはないです。--EULE会話2017年8月23日 (水) 15:45 (UTC)[返信]

まとめ[編集]

皆様コメントありがとうございます。[32]のような文責のはっきりしているものを覗き「夕刊フジは信頼できる情報源ではない」、[33]の文責は夕刊フジ編集部である、これが第3者の総意と判断します。普通に考えれば、こんなもん議論提起するまでもないのですが、ベテランの第3者のコメントにさえ納得されていないようでしたので、あえて提起しました。はるみエリー様、ぽてから様、および同調者は(既に手遅れかもしれませんが)手遅れにならない内に軌道修正すべきでしょう。--JapaneseA会話2017年8月22日 (火) 13:47 (UTC)[返信]

コメント まとめとしては、「こちらの出典は除去でよいという結論となりました」と、これでかまわないでしょう。JapaneseA氏の判断についてですが、科学、政治、大衆記事では解釈が分かれるという意見が反映されていません。また、Hman氏、EULE氏、Ks aka 98氏の過去のコメントとも異なるまとめとなっています。自身の主張通りに編集をしたいためなのかどうかは判断つきかねますが、同調性のある意見を中心にとりあげて「まとめ」という既成事実をつくろうとされていませんでしょうか。本当に第3者の総意であると心底思われているとすれば、自身と反する意見が入ってこない状態となっていることを表していると考えます。一例として、以下のHman氏の主張をご覧ください。

検証可能性の文書は、原則として事実で有ると見なせる筆致で記事を執筆するケースのみを想定していると見なせ、また、より細かく書かれているガイドライン「信頼出来る情報源」においては明らかに、検証が可能である前提下において「意見」を「紹介」する事が認められています。このケースの場合、その人が意見を表明した事が事実であることを証明できればよいとだけされています。まさか、夕刊フジがケント・ギルバート氏の発言を捏造したなどと想定することはできないでしょう。--Hman(会話) 2017年4月10日 (月) 02:13 (UTC)

つまり、簡単にいうと、Hman氏は、Wikipedia:信頼できる情報源#意見を理由として「夕刊フジや週刊誌でもかまわない」と主張されているのであり、文責のはっきりしているものを覗き「夕刊フジは信頼できる情報源ではない」とおっしゃったわけではありません。

Wikipedia:信頼できる情報源#意見もご覧下さい。

意見とは、誰かが抱いている見解であり、その内容は検証できる場合もできない場合もあります。しかし、ある人やグループがある意見を表明したということは事実であり(つまり、その人がその意見を表明したのは真である)、そのことが検証可能である(つまり、そうした人や団体が意見を表明したことを示す適切な情報源を参照できる)ならば、そのことはウィキペディアに含めることができます。

JapaneseA氏が判断したからという理由だけで、Hman氏の主張とも異なっている見解を「まとめ」とすることはいかがなものかと考えます。まとめをみて、そもそもJapaneseA氏がHman氏の主張を正確に理解されていなかったことが、意見の食い違いの原因でもあったのではないかと感じました。また、あまりに皮肉的であるためにあえてこの場で申し上げますが、同調者云々ということについて、もともとJapaneseA氏が自身に利する利用者と徒党を組んだかのような同調行動を何度も取られていますね。「そんなことはない」と思っているから他人に言っているのでしょう。自分を含まない他人事であるかのように聞こえました。しかし、私のなかでは「どっちもどっち」に、JapaneseA氏自身も含まれていますので、自分を棚にあげて自身の欠点を他人に向かっておっしゃっているようにさえ聞こえたということをお伝えしておきます。同調者という問題において、JapaneseA氏は潔白ではないと自覚なさるべきでしょう。そういう議論で述べる必要がない一言が、ウィキペディアにおける対立を深くするという弊害を生むということについて、過去のコメント依頼で散々指摘されているのですから、今後は、俯瞰的なものの見方に基づく行動をなさるよう期待いたします。--Husa会話2017年8月23日 (水) 01:29 (UTC)[返信]

コメント こんにちは。Moon.riseです。「まとめ」節でも議論が行われていますが、これはJapaneseAさんのまとめで適切なものであり、Husaさんのご主張は誤りです。まず、常識的に考えてこの「まとめ」節はこのページでの議論のまとめであり、Husaさんが「JapaneseA氏が判断したからという理由だけで、Hman氏の主張とも異なっている見解を「まとめ」とすることはいかがなものかと考えます」と書かれましたが、そもそもこのページのまとめをするにあたり、「Hman氏の主張(と呼んでHusaさんが引用したもの)のみがまとめになる」ことはありえません。他のすべての議論の経緯を要約してこその「まとめ」です。もう少しJapaneseAさんのご発言を細かく見ると「これが第3者の総意と判断します」という注記をつけた「まとめ」とされています。

ウィキペディアに限らず、一定の信頼性の保証が必要なものの場合において、一般に大衆紙、ゴシップ紙が信頼できないとされるのは情報源が曖昧な場合においてです。「○○の関係者によると」「△△に近い筋によると」などのような記事が典型例かと思います。 逆に言えば情報源がはっきりしているもの、それこそ情報源として有用な人物の記名記事、コラムである場合に、それの出典を元に淘汰するなんて話は普通無いです。媒体による語調、角度(確度じゃない)などが問題だというなら、それこそ、そこを踏まえて引用なり、記述するのが執筆者に求められている能力であって、そこを否定したら話にもなりません。--EULE(会話) 2017年4月8日 (土) 06:23 (UTC)

そうではなく、事実関係に対する査読ということであれば、ギルバート氏の「言った内容」が「事実」であるということを、ウィキペディアの執筆者が査読した場合には問題になりますが、ギルバート氏が「こう言っている」という「事実」の査読は、それが夕刊紙であれ週刊誌であれ、検証可能な媒体に記載されている以上、問題はありません。--EULE(会話) 2017年4月8日 (土) 14:48 (UTC)

Wikipedia:井戸端/subj/大衆紙は政治問題や存命人物の批判の出典に使用できるか?の結論として、「大衆紙、ゴシップ紙、夕刊紙、週刊誌が信頼性に乏しい情報源である」ことは異論がありません。

宗教事典や論文など信頼性の高いものを使うことは好ましいことですが、それらから「だけ」で書かれたものが中立的ということではなく、当事者の意見や告発も、適切に帰属化させ、事実ではなく意見や主張を紹介するような形で、記事の記述に含ませていくことが「中立的」です。もちろん、信頼性が高いもののほうが記述の中心になるでしょう。--Ks aka 98(会話) 2016年1月7日 (木) 12:59 (UTC)

Wikipedia:井戸端/subj/中立的な観点は、恣意的に操作できるものなのでしょうか?でks aka 98様が対象としている情報源は、宗教事典にしろ告発本にしろ、信頼できる情報源の中での話です。議論提起者のやまさきなつこ様が「より高次な文献があっても低次の文献による文章は残さなければならないのでしょうか?」とおっしゃられたことを受けての議論ですが、--Assemblykinematics(会話) 2017年8月19日 (土) 14:33 (UTC)

Wikipedia:井戸端/subj/中立的な観点は、恣意的に操作できるものなのでしょうか?についてをAssemblykinematicsさんが解釈してくださっていますが、「信頼できる情報源の中での話です」という認定で適切であり、それに異論は見られません。

1点目、夕刊フジは「大衆紙」の扱いであって、通常のWikipedia:信頼できる情報源には反していますから、特別に理由を示せないなら除去される対象になります。大衆紙とは、読者に受け入れやすいように作られているもので、多くは書誌(雑誌)を指しますが、新聞媒体でも大衆紙という分類はあります。--アルトクール(会話) 2017年7月31日 (月) 12:59 (UTC)

詳しい人がもっと良い参考文献を探してきてくれるとありがたいのですが、日本マス・コミュニケーション学会(旧・日本新聞学会)が出している学会誌「マス・コミュニケーション研究」でジャーナリズム論について書かれた記事に、(引用部分:スポーツ紙や夕刊紙=日刊ゲンダイ、夕刊フジ、東京スポーツなど) とありましたが、三紙まとめて「報道・娯楽混合型メディア」、「娯楽メディア」と分類されています。あくまでジャーナリズム論という切り口ではこういった分類になるという一例ですが。--Zakinco(会話) 2017年8月3日 (木) 13:23 (UTC)

モデルBで、夕刊フジは「大衆紙および同格」(B-2)に位置する前提で議論しています。雑誌のなかでも、月刊のオピニオン誌と週刊誌でも同列ではないと思います。--はるみエリー(会話) 2017年8月5日 (土) 02:29 (UTC)

「夕刊紙、大衆紙、スポーツ紙」については、多くの政治系記事で使用されている実態があります。夕刊フジは新聞系、日刊ゲンダイは雑誌系なので、多少の違いはあると思いますが、いずれにせよ、大衆紙であることを否定はしていません。--はるみエリー(会話) 2017年8月9日 (水) 08:19 (UTC)

双方から石投げられる覚悟で言いますが、どっちも出典としては低質極まりないですよ。結局、政治的信条に沿った出典を使いたがってるだけにしか見えないんですよね…。夕刊フジと共産党赤旗が百科事典の出典として信頼が置けちゃうってどんな異世界ですか。--むよむよ(会話) 2017年8月7日 (月) 06:05 (UTC)

信頼できるかどうかの区分を追加して整理してみます。(「大衆紙vs週刊誌」の節より引用して追記)

公刊&信頼できる:朝日新聞(高級紙) →出典になる

公刊&信頼性に乏しい:夕刊フジ(大衆紙),サンデー毎日(週刊誌) →出典にならない

公刊されていない:自費出版の本,TVで見た →出典にならない

この区分を見れば、基本的に「大衆紙・週刊誌は政治系記事の信頼できる情報源(=出典)にならない」というのは明確です。--Moon.rise(会話) 2017年8月9日 (水) 14:34 (UTC)

これに対してはるみエリー様が掲載したks aka 98様の見解が出てくる訳ですが、この見解は(WP:BLOGSWP:SUBSTANTIATE引用省略) に立脚しています。最も信頼性が高い学術的な情報源程ではなくても、「信頼できる情報源」であれば使ってよいという話です(この編集が問題の編集だと思いますが、告発本はISBNも付されたちゃんとした出版物のようです)。これを持って一律に信頼性に乏しい情報源(夕刊フジや日刊ゲンダイ)を使ってよいということにはならないと考えられます。--Assemblykinematics(会話) 2017年8月19日 (土) 14:33 (UTC)

このページから丁寧に引用しました。「夕刊フジは大衆紙である」ことは確実な結論であり、「夕刊フジは大衆紙であり信頼性に乏しい情報源である」ことも、「第3者の総意」となれば確実な結論です。

つまりこれは、「情報源として有用な人物の記名記事・コラムである場合に限り、大衆紙・ゴシップ紙であったとしても、(信頼性に乏しい情報源扱いではなく)信頼できる情報源とみなすことができる」ということです。ここで「信頼できる情報源」であることに、改めて注目してください。他のノートページではありますが、Hmanさんはノート:ニュース女子にて、「あの文言(=その情報があまり重要でないものならば、それを除去してください)は、タブロイドだのエロ本紛いのゴミのような記事しかない雑誌だの女性週刊誌だのに載っている事を信じるな、まではよいのですが、ただし適切な権威による寄稿やインタビューなどを除く、が抜けています。こういったケースの場合、発表媒体の差があまり問題にならないのは明らかです。文言の改訂は是非なされるべきでしょう」「改訂するまではそれに妄信的に従え?NO。方針やガイドラインは文面だけではなく、その精神を尊重するものです」と発言されています(なお括弧内はMoon.rise付記)。--Moon.rise(会話) 2017年8月7日 (月) 20:32 (UTC)加筆--Moon.rise(会話) 2017年8月7日 (月) 21:12 (UTC)

最後に、本当はWikipedia:井戸端/subj/大衆紙は政治問題や存命人物の批判の出典に使用できるか?をすべて読んでいただきたいのですが、「夕刊紙であれ週刊誌であれ、検証可能な媒体に、専門的な相応の権威ある人物があくまで記名で寄稿もしくはインタビューなどに応じた場合に限り、信頼できる情報源とみなすことができる」ということが、「大衆紙は~出典に使用できるか?」の結論です。

以上より、JapaneseAさんによる「[34]のような文責のはっきりしているものを覗き「夕刊フジは信頼できる情報源ではない」、[35]の文責は夕刊フジ編集部である、これが第3者の総意と判断します」これで問題ないものでしょう。--Moon.rise会話) 2017年8月23日 (水) 04:04 (UTC) 自分が書いた文章の引用部分に、内部リンクを補足させていただきました。--Assemblykinematics会話) 2017年8月23日 (水) 15:16 (UTC) 内部リンクのショートカットを間違えてしまった部分を訂正……(>_<")。--Assemblykinematics会話2017年8月23日 (水) 23:14 (UTC)[返信]

コメント 関連の削除依頼等の議論も含めて、JapaneseA氏とMoon.rise氏の意見に一致性が存在するのは承知しています。ですから、JapaneseA氏のまとめと同じ意見であるとおっしゃることについても理解できます。しかし、残念ながら、Hman氏、EULE氏らが、Wikipedia:信頼できる情報源#意見と密接に関わっている見解を表明されている点については、JapaneseA氏とMoon.rise氏は同じく関知されていないままであると考えます。JapaneseA氏が主張されるような「文責」を理由にしているとは言えません。また、Assemblykinematics氏は、「信頼性に乏しい情報源」(部分否定)と表現しているにもかかわらず、JapaneseA氏が「夕刊フジは信頼できる情報源ではない」(全否定)と表現していることからも、JapaneseA氏の解釈・判断が、「第3者の総意」ではないことを裏付けます。「こちらの出典は除去でよいという結論となりました」という点については、第3者の総意です。しかし、その理由付けについては、第3者が「信頼性に乏しい情報源」(信頼できる情報源ではない、とまでは言っていない)と呼び、文責を理由に挙げられていないことが、反映されていません。また、「まとめ」というからには、本来は、自身の主張、対立する主張、中立的な主張を明確に区別し、その共有部分を「総意」と呼ぶべきであると考えます。共有部分がなければ、複数の意見があったことを示すこともできます。自身の主張を中心に据え、対立する主張を排し、第3者の主張のうち自身の主張と異なる点を排したものは、「総意」とはみなせないと考えます。--Husa会話2017年8月23日 (水) 08:34 (UTC)[返信]

返信 Moon.riseです。Husaさんへの返信になります。一点目。EULEさんとHmanさんは、文責を理由に挙げています。それはHusaさんの読み落としでしょう。「それこそ情報源として有用な人物の記名記事、コラムである場合に、」(EULEさん)と「ただし適切な権威による寄稿やインタビューなどを除く、が抜けています。」(Hmanさん)について、このページを検索していただければすぐに出てきます。

ただ、それは文責がはっきりしてて、その信頼性が媒体の信頼性とは分けられる場合には、考慮する必要がないということです。 だからもし、今回の一連の議論で「○○は××と言った」という形式だったら、何を出典にしても良いという風に捉えた者がいたとしたら、それは誤りであると明言しておきます。--EULE(会話) 2017年5月3日 (水) 03:44 (UTC) 追記--EULE(会話) 2017年5月3日 (水) 03:56 (UTC)

念のためにWikipedia:井戸端/subj/大衆紙は政治問題や存命人物の批判の出典に使用できるか?からの引用を足しておきます。EULEさんもHmanさんも、文責を理由から外すことはありません。

二点目。「信頼できる情報源」のショートカットがWP:RS(reliable sources)で、「信頼性に乏しい情報源」のショートカットがWP:NOTRS(not reliable sources)ですが、この説明ではご納得いただけませんか?--Moon.rise会話2017年8月23日 (水) 11:05 (UTC)[返信]

返信 Hman氏とEULE氏が文責がはっきりしている場合には良いと明言されていることは承知しています。しかし、Hman氏は、「文責は夕刊フジ編集部である」からダメであるとはおっしゃっていないとご理解いただきたいと思います。

あくまで専門的な相応の権威ある人物があくまで記名で寄稿もしくはインタビューなどに応じた際に限って適用されるべき考え方です。--Hman(会話) 2017年4月16日 (日) 14:43 (UTC)

インタビューの場合は、文責は夕刊フジ編集部となります。
  • Moon.rise氏とJapaneseA氏-文責が夕刊フジはダメ
  • Hman氏、Assemblykinematics氏、はるみエリー氏-(文責は夕刊フジであっても)「専門的な相応の権威ある人物」のインタビュー・発言等は良い。
文責が「専門的な相応の権威ある人物」である場合は重要な情報であるという見解は一致していると思います。ただし、文責が編集部であっても、「専門的な相応の権威ある人物」のインタビュー・発言等は良いかどうか、というこの微妙な違いにおいては、一致点は見いだせていないままであると考えます。そのため、JapaneseA氏の「第3者の総意」は、Hman氏の文責に関する考え方(文責が編集部でもインタビューは良い)を排した内容となっています。以前の井戸端で、Hman氏の発言で合意形成したとするなら、「文責が夕刊フジ+文責が編集部であってもインタビューは良い」で合意が形成されていると言えるでしょう。しかし、実際は、文責が編集部であってもインタビューは良いかどうかは曖昧なまま終わっていたのではないでしょうか。ここまで長大になってしまっているので、これ以上の議論は負担となるだけかもしれませんが、文責が編集部であった場合に「専門的な相応の権威ある人物」の直の発言や引用がいいかどうか、という本当に揉めている点について、絞った方が良かったのではないかと考えます。Moon.rise氏が、たびたび、議論を拡散しないように、とお願いされている理由は、本当に揉めている、文責が夕刊フジ編集部であっても、国会議事録の引用や政治家発言はいいかどうか、から離れた話題になってしまったからであるようにも感じます(依頼文に原因があるという指摘もあるので、必ずしもMoon.rise氏の責任であるとはいうわけではありません)。--Husa会話2017年8月23日 (水) 12:45 (UTC)[返信]

返信 Moon.riseです。Husaさんへの返信になります。EULEさんは、文責が大衆紙・週刊誌であればダメ「信頼性に乏しい情報源」ということをおっしゃっています。

2点目は、何を持って文責の所在が明白だと言えるかです。例えばその「あるスポーツにおいて著名な元選手がある指導者」で言えば、その「著名な元選手が受け持っているコラム」の中で言及したことであれば、それはその元選手に文責があるとみなせます。しかし、「Aという記者が書いた記事やコラム」の中で「なお、元選手の○○は「××」と論評した」と書いてあった場合、ここでいう文責とは元選手ではなくAという記者に帰属するものです。実は前後の脈絡を無視して一文を抜き出し異なる印象を与えていたとか、そもそもそんなことは言っていなかっただとか、そういった問題の可能性を考慮する必要がある。この時、Aという記者が情報源として信頼できるものかという話になり、大衆紙や週刊誌の信頼性の問題につながってきます(無論、朝日新聞や産経新聞だったら発言者の意図を正しく記事にしているかといえば、そんなことはないですが、だからと言って週刊紙ほどではないと言ったところでしょうか)。--EULE(会話) 2017年5月3日 (水) 03:44 (UTC) 追記--EULE(会話) 2017年5月3日 (水) 03:56 (UTC)

このページでもほぼ同じ部分をAssemblykinematicsさんが一度引用されていますね。

それでは、「実は前後の脈絡を無視して一文を抜き出し異なる印象を与えていたとか、そもそもそんなことは言っていなかっただとか、そういった問題の可能性を考慮する必要がある。」(EULEさん)と「あくまで専門的な相応の権威ある人物があくまで記名で寄稿もしくはインタビューなどに応じた際に限って適用されるべき考え方です。」(Hmanさん)との整合性があるのかどうかという話です。「専門的な相応の権威ある人物が、あくまで記名でインタビューに応じていて、実は前後の脈絡を無視して一文を抜き出し異なる印象を与えていたとか、そもそもそんなことは言っていなかっただとか、そういった問題の可能性がない場合」ということになります。文責とは「その文章についての責任」ですが、この場合には「インタビューに応じた専門家」に責任がある文章内容になるでしょう。Hmanさんも「あくまで記名で」とされています。文責はここにあります。

Husaさんのいわれる「文責が編集部であった場合に「専門的な相応の権威ある人物」の直の発言や引用がいいかどうか」「文責が夕刊フジ編集部であっても、国会議事録の引用や政治家発言はいいかどうか」は、これで判断することができます。「権威ある人物の発言が引用」であればダメ「信頼性に乏しい情報源」です。「国会議事録の引用」は、どうやっても「専門的な相応の権威ある人物が」という話にならないのでダメ「信頼性に乏しい情報源」です(こちらは他の機会に別途検討されてもよい議題かもしれませんが)。--Moon.rise会話) 2017年8月23日 (水) 14:35 (UTC)表現修正--Moon.rise会話2017年8月23日 (水) 16:14 (UTC)[返信]

Moon.rise氏の意見は理解しています。ただ、それは、あくまでMoon.rise氏の主張であり、まとめではない、ということなのです。インタビュアーは本人ではありませんから、文責が本人ではありません。Hman氏はそれでもよいと主張していますが、このあたりについては、様々に判断が分かれたままではないかと考えます。また「国会議事録の引用」というのは、発言者が政治家等ですから、高い確率で「専門的な相応の権威ある人物が」に該当することでしょう。関連議論で、Moon.rise氏はJapaneseA氏と一致率が高いために、JapaneseA氏のまとめに矛盾を感じないということは理解していますが、逆に、他者との相違点が理解しにくくなっている状態のようです。「第3者の総意」とした場合には、第3者であるHman氏の意見を排した内容はまとめになりませんし、微妙な線引きについては、今回の井戸端で進展がなかったのですから、「総意」に含めることは不適切であろうと考えます。自分がこうだ、と思っていると、他の意見が見えにくくなってしまう、ということはあると思います。また、見えないときに自分の意見ばかりを言っても、余計見えなくなってしまうということもあると思います。今回、JapaneseA氏が「文責は夕刊フジ編集部である」から、と発言されたことについては、いくらMoon.rise氏が何度も主張されても、第3者の総意ではないという事実を変えることは不可能です。もし、それが変わることがあるとするなら、Hman氏などが根本的に見解を改められた場合のみ、となります。ご了承ください。--Husa会話2017年8月23日 (水) 15:02 (UTC)[返信]
コメント お二方のコメントと競合してしまいましたが、ほぼそのままコメントさせていただきます。
Moon.rise様の指摘とも重なりますが、Hman様は「記名で寄稿、もしくはインタビュー」と書かれていますので、正確には
  • はるみエリー様、Husa様 - 「著名人のインタビュー」
  • Hman様、Assemblykinematics - 「著名人が記名でインタビュー」
という違いがあるはずです。この「記名でインタビュー」という場合、インタビューを受けた人が原稿をきちんと校正しており、聞き間違いの単語や意図を誤解しかねない記述は、インタビューを受けた人によって訂正されます。そのため文責が編集部や記者などにあったとしても、インタビューを受けた人の著作物相当の扱いになります(CiNiiなどのデータベースでは、その記事のクレジットがインタビューを受けた人にあるケースも多々あります)。
また、「意見」の場合は検証可能であれば使ってよいという観点が提起されていますが、方針には
分かり易く言えば、検証可能性とは信頼できる情報源(例えば、査読制度のある雑誌や新聞)からすでに公開されている情報だけをウィキペディアに記載することで、読者にも検証可能にするということです。 — Wikipedia:検証可能性#「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」
とあり、Wikipediaにおける「検証可能」は「信頼できる情報源で検証できる」と置き換えて解釈する必要がありそうです。これはガイドラインの
そのことが検証可能である(つまり、そうした人や団体が意見を表明したことを示す適切な情報源を参照できる)ならば — Wikipedia:信頼できる情報源#意見
における、「適切な情報源を参照できる」という記述と矛盾しないと考えられます。--Assemblykinematics会話2017年8月23日 (水) 15:16 (UTC)[返信]
<ここに記入されたEULE様のコメントは、節「#Aという媒体で、Bという人物が、Cという議題に対して、Dと主張した」に移動されています。Moon.rise様が引用されたEULE様の2017年5月3日 (水) 03:44 (UTC) の発言に対して、補足があります。--Assemblykinematics会話2017年8月23日 (水) 23:14 (UTC)[返信]

コメント Moon.riseです。さきほどEULEさんの投稿をいただきまして、拝読させていただきました。ありがとうございます。さて、Husaさんのいわれる「まとめ」ですが、ここでは3つのまとめが出てくるものだと思います。①「大衆紙は~出典に使用できるか?」のまとめ、②「中立的な観点は~操作できるもの?」のまとめ、③夕刊フジの特別扱い(本ページ)のまとめです。①と②はすでにまとめられている(結論が出ている)と考えるのが自然であり、誰かが遡ってまとめを変えるものではなく、あるとすれば「何が結論だったのかを確認する」「どの部分が様々に判断が分かれたままなのかを確認する」ということでしょう(この部分であれば、Husaさんが「あくまでMoon.rise氏の主張であり、まとめではない、ということなのです」ということをおっしゃるのは分かります)。

そして③夕刊フジの特別扱い(本ページ)についてのまとめは、また別にまとめられるものです。そして気にしていることはありまして、意味として「要約」「結論」「総意」などはどれも違いがあるということです。これはJapaneseAさんにご提案させていただきたいのですが、「第3者の総意」ではなく、「第3者による結論」という表現を希望いたします。井戸端での議論・意見交換ですから、このあたりの表現が妥当ではないでしょうか。そして③については「第3者による結論」をまとめることができるはずです。例えばですが、Hmanさんの真意やいかにということはこの項目では関係ありません。

  • ① (さきほどのEULEさんの投稿を皆でよく読むまで、当面、まとめ確認の保留を提案したいです)
  • ② ks aka 98さんの見解は「最も信頼性が高い学術的な情報源程ではなくても、「信頼できる情報源」であれば使ってよいという話」と理解できます。
  • ③ 「夕刊フジは大衆紙である」ことは結論であり、「夕刊フジは大衆紙であり信頼性に乏しい情報源である」ことも、「第3者による結論」となれば結論です。ただし、「夕刊フジは信頼できる情報源ではない」という表現にするのは、正確ではなくなるもので、避けられるべきです。

まだ①が保留ですが、この節の冒頭の「JapaneseAさんによるまとめ」に代わる文章として、提案させてください。--Moon.rise会話2017年8月23日 (水) 17:15 (UTC)[返信]

コメント ①は政治記事や存命人物への批判的記述を対象にしており、②は宗教記事です。③は政治的な時事問題が元々ですが、「出会い喫茶」のような記事も対象になってしまっており、この記事は法規制や条例も絡む社会問題でもあります。それぞれ対象が異なるため、簡単に一般化してまとめられないと思っています。個人的には無理にまとめをせず、井戸端の議論全体を読んで内容をつかんでもらうという形でもよいような気がします。--Assemblykinematics会話2017年8月23日 (水) 23:14 (UTC)[返信]

(インデントをどこに置いていいか分からない)ここのまとめにおいては、「夕刊フジは信頼できる情報源ではない」という表現が最も適切でだと思うんです(影響する範囲はおよそ最小だし、特に新しいことを確認したわけでもなし)。情報源にはその信頼性の度合いがさまざまある中で、wikipediaではその最上級に位置するものを「信頼できる情報源」(査読のある学術雑誌に掲載された論文とかね)と呼んでいて、夕刊フジはそのランクには該当しない、という(確認するまでもないような)ことを確認しただけでしょう?信頼できないとも、使用できないとも言ってない。で、そういう情報源であれば、出典として用いている理由をwikipedia利用者は編集者に対して問うことはできる(問う際の手順だかマナーだかの気の遣い方はあるにせよ)。そこから先は是々非々というかケースバイケースというか、記事のバランスやボリュームや発展の可能性とか方向性とかそういうのを編集者たちで話し合って決める。そういう意味では、もともと全ての情報源はその記事に掲載するにふさわしいかどうかを検討するべきであって、無条件に利用していい情報源というもののほうが存在しません。節名にあるような特別扱い、とかいうのがもうズレてる気がします。ただそれだと労力が見合わないからある程度無条件に盲目的に使用してもいいよね、というのが「信頼できる情報源」でしょうよ。(ここで消費されている労力がもっとも何にも見合っていない、という、こういうのを悪ふざけとナンセンスに置けばいいのに)--Caserio会話2017年8月24日 (木) 01:45 (UTC)[返信]

コメント Moon.riseです。Assemblykinematicsさんへのコメントになります。私は(特に③について)まとめが欲しいと思っています。Caserioさんもほぼ同様にいってくださいましたが「夕刊フジは大衆紙であり信頼性に乏しい情報源である」という内容はここのまとめ(③)に適切だと思います。Assemblykinematicsさんは「そんなに基本的なことなら、わざわざまとめにすることなの?」「議論全体を読んで分かることでしょう?」と思われるかもしれませんが、私はそうでもないと思っております。例えばですが、私はまさにこのページで「週刊誌を出典に使うのはWP:NOTGOSSIPに反するので、除去するのは当たり前」というご主張を見かけております。私はこれを見て一瞬固まりました。私はAssemblykinematicsさん宛にここで改めて「そんなはずはない」「WP:NOTGOSSIPは出典評価に関係がない」という理由は書きませんが、よろしいですよね? こうして考えますに、とても基本的に見えることでも、必ずしも簡単に見解は一致してくれないという現実があります。基本的なことでも、ちゃんとまとめとして評価しておくのがよいと思っています(Caserioさんの「ここで消費されている労力がもっとも何にも見合っていない」にも頷くものです)。--Moon.rise会話2017年8月24日 (木) 11:42 (UTC)[返信]

コメント 「著名人が記名でインタビュー」とは書きませんでしたが、私自身の意見をこの井戸端で表明していませんし、その予定もありません。ただ、第三者の総意ではないな、と表明しただけとお考えください。Assemblykinematics氏とEULE氏から、JapaneseA氏のまとめが、第三者の総意ではなかったことが述べられましたので、これ以上はありません。ただし、「第3者による結論」とした場合、関連議論に参加していない第三者が作成した結論でなければならないため、JapaneseA氏やMoon.rise氏の提案を除外して第三者が初めから考えるプロセスをとることとなります。第三者にそのような煩雑な作業を依頼し負担をかけるほどかな、とも思いますので、無理なまとめは必要ではないと考えます。--Husa会話2017年8月24日 (木) 15:38 (UTC)[返信]

コメント Moon.riseです。一点目。「Assemblykinematics氏とEULE氏から、JapaneseA氏のまとめが、第三者の総意ではなかったことが述べられましたので」などということはいえません。まずEULEさんについてですが、今回「「夕刊フジに文責がある場合は、ウィキペディアでは使用することができない」などとは言ってないのです。」「「夕刊フジに文責があったら、無条件でその出典は認められない」などとは言ってないということはよくよくご承知おきの程を。」ということを丁寧にいわれたい(念を押す)という文章です。さて私、Moon.riseですが

信頼できる情報源の評価についてですが、Wikipedia:信頼できる情報源より、「以下に、信頼できる情報源の類型と情報の信頼性について幾つかの具体例を取り上げますが、それが全てというわけではありません。その時々の状況によって、正しい出典の用い方はいつも同じではありません。その作業には常識的感覚と編集上の判断が不可欠です」とされています。何が信頼できる情報源であるかは、その具体的状況によって判断されるべきであり、例えば「朝日新聞(高級紙)であればいつでも常に信頼される」ということは、ありません。これは重要なことです。しかし、各記事ノートで「ではまず、今回の朝日新聞の信頼性を疑うところからですが……」という議論の始め方をするのは、これも多少現実的ではありません。今回ここでの一般論として、ガイドラインという意味で「朝日新聞(高級紙)」「夕刊フジ(大衆紙)」などの区分を見ていくのは、現実的であるものと考えて続けます(厳密さが気になる方は、以下の記述の適切な位置に「多くの場合には」という語を補って読むようにしてください)。

(中略)

最後に繰り返しいたしますが、「以下に、信頼できる情報源の類型と情報の信頼性について幾つかの具体例を取り上げますが、それが全てというわけではありません。その時々の状況によって、正しい出典の用い方はいつも同じではありません。その作業には常識的感覚と編集上の判断が不可欠です(Wikipedia:信頼できる情報源)」ということで、お願いいたします。--Moon.rise(会話) 2017年8月7日 (月) 17:09 (UTC)

というように、「「夕刊フジに文責があったら、無条件でその出典は認められない」などとは言ってない」ことは、このページでの私の見解もまったく同じです。ケースによっては使用できる情報源であるという意図を、前置きとして丁寧に述べております。私の意見とEULEさんの意見で、双方の対立点はおおむね見られないでしょう(私信:EULEさんへ。2017年4月11日 (火) の有言実行で三大方針+αの熟読はさせていただきました。私の考えも4月11日頃に比べてだいぶ変わっております)。

まず、大前提として「信頼できる情報源」とは呼べないものは、ただちに「使用できない情報源」ではないです。多くの場合は正確に言えば「信頼できる情報源と同等には扱えない情報源」であり、分野や記述の仕方など、ケースによっては使用できる情報源です。あるいは逆に、一義的には信頼できる情報源とは呼べるが、使い方によっては使用できない情報源だってあります(それは前に言った朝日新聞による慰安婦報道など例はいくらでもあります)。ただし、まったく権威の無い人物の自費出版本などまず絶対に「使用できない情報源」も存在することは否定いたしません。「信頼性があるorない」=「使用できるorできない」の0or1の世界ではないことをまずは重々承知していただきたいと思います。ゆえに語弊がないように、以後、夕刊フジのようなものは必要に応じて「信頼できない情報源」ではなく「信頼性に乏しい情報源」と表現いたします。--EULE(会話) 2017年8月23日 (水) 15:45 (UTC)

ここのまとめにおいては、「夕刊フジは信頼できる情報源ではない」という表現が最も適切でだと思うんです(影響する範囲はおよそ最小だし、特に新しいことを確認したわけでもなし)。情報源にはその信頼性の度合いがさまざまある中で、wikipediaではその最上級に位置するものを「信頼できる情報源」(査読のある学術雑誌に掲載された論文とかね)と呼んでいて、夕刊フジはそのランクには該当しない、という(確認するまでもないような)ことを確認しただけでしょう?信頼できないとも、使用できないとも言ってない。--Caserio(会話) 2017年8月24日 (木) 01:45 (UTC)

というように、③夕刊フジの特別扱い(本ページ)について「夕刊フジは大衆紙であり信頼性に乏しい情報源である」という内容が適切だということは、むしろ支持を増しています。

Assemblykinematicsさんについては、「個人的には無理にまとめをせず、井戸端の議論全体を読んで内容をつかんでもらうという形でも」というご発言はありますが、これは「まとめられる点が見いだせない」というご発言ではありません。

二点目。Wikipedia:井戸端/subj/大衆紙は政治問題や存命人物の批判の出典に使用できるか?から結論を導き出すにあたり、

で、前回、私が言ったのは、すごく簡略化すると「Bが単独で信頼できる情報源と見なされ、かつ、Bに文責がある場合に、Aの信頼性を必要以上に問うことに意味はない」「『CはDである』と無条件の事実として書くのはアウトであるが、『BはCについてDと主張した』と意見の事実を書くのが正しい」「『BはCについてDと主張した』と記述すれば、AやBの信頼性を無視しても良いことにはならない」です。ここまでは、よろしいですかね。--EULE(会話) 2017年8月23日 (水) 15:45 (UTC)

今回のEULEさんの振り返りでも、ちゃんと「Bが単独で信頼できる情報源と見なされ、かつ、Bに文責がある場合に」というのは条件として見るべき所です。

合意形成ラインについて言及されたHmanさん発言「「○○の関係者によると」「△△に近い筋によると」はダメ、「○○によれば××である」と、その論を紹介する事は可能」に改めて賛同しますし、それに反する編集は意図してません。文責のはっきりしない云々などということさえ、JapaneseAさんが後から言い出されたことであり、Hmanさんの発言をご理解されてないだけです。--はるみエリー(会話) 2017年8月4日 (金) 10:56 (UTC)

改めてはるみエリーさんの発言を引用させていただきましたが、やはりWikipedia:井戸端/subj/大衆紙は政治問題や存命人物の批判の出典に使用できるか?についてのご理解として、「Bが単独で信頼できる情報源と見なされ、かつ、Bに文責がある場合に」という条件が足りないと、明確になったものでしょう。「文責のはっきりしない云々などということさえ、JapaneseAさんが後から言い出されたことであり」という部分ははるみエリーさんの誤解です(つまり、文責に言及するのを忘れなかったJapaneseAさんが適切と思われます)。

三点目。「第3者による結論」という第三者の意味する所は、正確には(最初にそういわれた)JapaneseAさんのご見解が欲しい所ですが、私はこのページの冒頭「先行議論はノート:加計学園問題#夕刊フジです」から考えまして、おおむね「ノート:加計学園問題」に参加していなかった第三者を指すものだと思います。このあたり、JapaneseAさんから「まとめをどうしたいか」というご意見をいただきたい所です。この井戸端の議題設定をされたのはJapaneseAさんであり、今後のために何が得られたのか、まとめが必要か不要か、そういったことも最終的にはJapaneseAさん次第だと思います。--Moon.rise会話2017年8月24日 (木) 17:18 (UTC)[返信]

コメント ①「大衆紙は~出典に使用できるか?」のまとめ、②「中立的な観点は~操作できるもの?」のまとめ、③夕刊フジの特別扱い(本ページ)のまとめについて。

  • ① 綺麗にまとまった以下の引用(EULEさん投稿より)がまとめになります。

で、前回、私が言ったのは、すごく簡略化すると「Bが単独で信頼できる情報源と見なされ、かつ、Bに文責がある場合に、Aの信頼性を必要以上に問うことに意味はない」「『CはDである』と無条件の事実として書くのはアウトであるが、『BはCについてDと主張した』と意見の事実を書くのが正しい」「『BはCについてDと主張した』と記述すれば、AやBの信頼性を無視しても良いことにはならない」です。ここまでは、よろしいですかね。--EULE(会話) 2017年8月23日 (水) 15:45 (UTC)

  • ② ks aka 98さんの見解は「最も信頼性が高い学術的な情報源程ではなくても、「信頼できる情報源」であれば使ってよいという話」と理解できます。
  • ③ 「夕刊フジは大衆紙であり信頼性に乏しい情報源である」というのが井戸端に寄せられた第三者による意見のまとめになります。

この節の冒頭の「JapaneseAさんによるまとめ」に代わる文章として、提案させてください(更新)。--Moon.rise会話2017年8月24日 (木) 18:03 (UTC)[返信]

より広い範囲での合意形成を求めて、井戸端で議論しているのですから、EULE氏やAssemblykinematics氏やHusa氏などの意見を尊重するべきではないでしょうか。JapaneseA氏とMoon.rise氏がタッグ・チームのようになってしまっていますが、主張するばかりではなくて第三者の意見に耳に傾けなければ、なんのための井戸端だったのかということになります。「まとめ」をしたほうがいいのかどうかも、Assemblykinematics氏の発言[36]ですでに結論が出ていると思いますが。最終段階にいたっても自説を繰り返され続けていますが、JapaneseA氏とMoon.rise氏が第三者の意見に耳を傾けるということが出来ていないがために、議論が白熱しているだけになってしまっていないでしょうか。--119.104.122.239 2017年8月24日 (木) 19:19 (UTC)目的外利用者のコメントに取消線(119.104.0.0/16は目的外利用。MEATの疑いでブロック)--JapaneseA会話2017年9月5日 (火) 06:55 (UTC)[返信]

コメント 私の意図する「第3者」は、いつもの互助会・タッグチーム・党派的行動をしている特定利用者を抜かしてという事です。なお、第3者の総意・結論・要約、どれでも構いません。本来はこんなもん議論提起するまでもなかったんですよ。まとめるのであれば「夕刊フジはそのランクには該当しない、という(確認するまでもないような)ことを確認しただけでしょう?」の一言に尽きますね。--JapaneseA会話) 2017年8月24日 (木) 23:31 (UTC)(ミス修正。--JapaneseA会話2017年8月24日 (木) 23:33 (UTC)[返信]

関連の削除依頼があるので、JapaneseA氏とMoon.rise氏を除かなければ、第三者にならないと思います。自分を除かなければ第三者にならないことは言うまでも無いと思います。また、文責やインタビューかなどにより、信頼性があがるなど、細かい内容が反映されないまとめは不要だと思います。それから、自覚はないとしてもJapaneseA氏自身に互助会・タッグチーム・党派的行動といえる行動があるので、安易にこの言葉を使うのはやめたほうが良いと思います。とくに、タッグチームはわかりますが、「互助会」と「党派的行動」は意味不明ながらも決めつけているので、個人攻撃ではないかと思います。--はるみエリー会話2017年8月24日 (木) 23:42 (UTC)[返信]
そんな無理やり反論めいたことをしなくてもいいのに。ここの議論に参加されているうちのどなたが「夕刊フジは「信頼できる情報源」である」などと述べていますか?誰もいませんでしょう?であれば、これを総意とすることにいったいどんな余地が残されているというんですか。いったい何が不満なの?もちろん場合によっては夕刊フジを出典として使用できる場面もあるでしょう。でもその場面/条件はどういうものであるか、なんてことは当然に一律で決められるものではなくて、文責、文責の専門性、内容、さらには記事のバランスなどなどさまざまに考慮しなきゃね、ってところまで誰も否定さえしてない。議論(と呼べるしろものではないが)が紛糾しているかのように見えるのは、個別の事例を持ち込んでみたり、他人の編集の不当性を演説したりする輩のせいです。JapaneseAさんはわざと「夕刊フジは「信頼できる情報源」ではない」というところに結論をとどめてらっしゃるのが分かりませんか?各記事のノートなりでの議論で合意さえとれたなら、その記事で夕刊フジを使用することだって受け入れる、という余地がそこにはあるんですよ?(そろそろご自分の姿が周りにどのように映っているのかについて、少しご想像を働かせた方がよろしいかと思いますよ。--Caserio会話2017年8月25日 (金) 04:46 (UTC)[返信]