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目次

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[編集] 記事に使う出典の優先度や制限とは?

ノート:松江騒擾事件で議論が噛み合わなくて困っているのですが、その中で当惑している編集方針の違いについて、ご意見を伺いたく思います。

当方の理解では、先方の主張はインプットを重視しており、「該当記事において使用される出典の相対的優先度は該当記事名を中心に取り扱っている物である。客観性の担保が出来ないと考え、文意や語意の解釈は提示しない。結果として読者の文意や語意に対する不理解や疑問に対しては出典を読んで自己理解を深める努力をして貰うか、読み飛ばすことで解決すべきである。出典から借用した語句が妥当でない可能性もあるが、その語句を書き換えるのは現在最も信頼する出典以上に信頼できる該当記事名を扱った出典が普及した時だ」との主張です。

当方はアウトプットを重視しており、「実際に書かれている該当記事自身の内容に対応した出典があればWikipedia:検証可能性を満たしていると考え、かつ出典は必ずしも記事名を主題とした出典に限定する必要はないと考えます(記事内容が出典で確認が取れればOK)。直接引用以外の、多くの記事の書き方は筆者の出典読解や解釈から内容をまとめるものであり、文責は当然編集者に起因する。結果ノート等で検証不足等が指摘されればコンセサスに基づいて改善をしていけばよい」であり。優先順序で有れば、記事内容に対して「1.出典の有る事実」「2.出典のある意見」「3.出典のない事実」「4.出典のない意見」などの内容による優先度があるのではないかと思います。

もう少し具体的に言えば、前述ノートで事件の背景説明文について先方は「事件を取り扱った出典による背景説明が優先される」と主張し、当方は「実際に表現された文章(事件の前提である時代背景や社会背景の説明文)を検証可能にする出典があれば充分であり。文章に誤解を招く表現は避けて改善すべき」と主張しており、議論が噛み合いません。

なお当たり前ですが、先方も一文一語に出典が必要とは考えていないようであり、例えば章題などは独自に作文された物のようであり、また改善を求めている該当文章は出典より先方により語句の省略語順の入れ替えが為されており、状況から出典の解釈無しに作文された物とは考えにくいと思っています。良きアドバイスをよろしくお願いします。--yasumi 2009年6月2日 (火) 11:56 (UTC)

Wikipedia:井戸端/subj/用例は存在し正しい日本語ではあるものの辞書に載っていない語をどうするか。というのと似通った部分もあるので、これを引き合いに意見を述べさせてもらいます。
ある出典に「触媒する」という言葉がある。「触媒する」は辞書に載ってない、つまり確固とした定義を持たない、極論を言えば「曖昧な定義」の言葉です。主執筆者は、これをもっと一般的な言葉に直すべきかもしれないが、直しようが無くて、そのまま出典にあるように「触媒する」と言う言葉を記述した。ところが、これ(Yasumi氏の言葉を借りるなら「アウトプット」)を見たある人が「触媒する」では「曖昧な定義」だから、辞書(あるいは別の出典)にあるような(確固とした定義に)これを書き換えるべきだと異議を唱えた。でも、それは無理です。アウトプットしか見てないから曖昧でわからないはずの言葉を、アウトプットしか見てない人が適切な語には直すなんて無理。無理に直せば誤ってる可能性が高い。(蛇足:今回の発端は、「触媒する」が「無条件降伏」という極めて政治的な用語になったというお話です)
ある記述を書き換える・置き換える際には、その記述の元になった出典を読むというのが理想ですが、それは少し窮屈すぎる。だから、ある程度の合理的な理由を持っていれば、例え出典を読んでいなくても(より適切な記述に)書き換えを行うことは私は悪いことだとは思いません。しかし、例え、合理的な理由があろうと、その書き換えに対して、その記述の元になった出典を盾に反論されたら、その出典にあたらなくては、書き換えは不可だと考えます。なぜなら、出典元の方が、アウトプットしか読んでない人間の書き換えより間違いが無いからです。しいては、これは出典というWikipediaの正確性を保障するシステムを蔑ろにする可能性があります。出典が参照されなくて書き換えが可能であるなら、出典を用いる意味など無いのですから。--EULE 2009年6月3日 (水) 04:18 (UTC)
EULEさん、議題が正しく捉えられていないせいか、早速話が逸れています。私は書かれた表現は出典に書いてあるという前提に立って話をしているのです(実は出典には記事内容が書かれていなかったという場合もあるのでしょうが、この話をする上では除外します)。何度もはぐらかされていますが議論が進んだ段階の今こそ言わせて貰うと、今回で言うと実際に表現されている記事「1945年(昭和20年)8月15日の正午、玉音放送によってポツダム宣言の受諾による無条件降伏が国民に伝えられた」に対し、私はある程度の終戦経緯を知っているため「玉音放送ではポツダム宣言による無条件降伏が国民に伝えられていない」という「事実」が存在する、それ故に書き換え提議を行っているのです。逆に「触媒する」については用語の専門性が問題となっているとはいえ「事実」なのでしょ?(踏み込まないまま言わせて貰えば「触媒する」に「用語の補足説明」なり、「リンク張りと立項」があると読者に親切だと思います。なお、私は違和感なく読めました) また「曖昧でわからない」とは具体的に無条件降伏の意味を知らないという意味ではなく、一般的な使い方を含めた使い分けのどのケースを使用しているのか分からないと言うことです。好意的解釈はできますが、それ以外の読み方をすれば誤解誤読を招くという危険をはらんでいると言うことです。それを踏まえて、文責者にどのような意味に於いて表現したのかを問い合わせたのですが、「解釈は公表しない出典を引き写した」との趣旨の回答だけでした。状況から言えば語義文意は解釈しているはずなのですが・・・これらの問題は出典に依存することなく実際に表現された記事に起因して存在し得ます。
今回の場合、なるほど先方のご主張通りに単体編集として放送内容を出典POV(意見が表明された事実)として無条件降伏と表現することは確かにルールに則った編集でありましょう。それが「出典を持つ事実」を書く記事に対して独特の解釈による出典選択への信頼性を盾に優位性を担保できるのでしょうか?
もう一つは、同手法同士での編集優位点について、例えばノートでも発言していますが、ZERO氏が出典より「天皇」を削除省略したのと同じ手法を使って「無条件降伏」を削除省略した「1945年(昭和20年)8月15日の正午、天皇による玉音放送によってポツダム宣言の受諾が国民に伝えられた」という編集がされたとして、前後の編集記事にどのような優位性が担保できるのか?また、それが出典の正当性のみ述べて自己文責を放棄して文意を解説しない者に言えることなのでしょうか?
EULE氏の最終行については更にミスリードを誘う言葉ですね。私は出典無しに書き換えろなんて主張していませんよ。だから、出典のある記事同士の編集案で優位性は何によって決まるのかというこの節を設けているのです。--Yasumi 2009年6月3日 (水) 10:27 (UTC)
あの、すみませんが、何を言っているのかわかりません。「私は書かれた表現は出典に書いてあるという前提に立って話をしているのです」といわれても、私は別に、氏の主張が「書かれた表現が出典に無い」という前提で話してませんから。というか、むしろ「表現が出典に無い」なら、私の異論すら破綻します。それとも「異論を発した方は、相手(主執筆者)が提示した出典を読んだという前提で話をしている」と言う意味でしょうか?そうであるなら、確かに私の意見は論点が外れていたようですが、そういうことで良いんでしょうか?
とりあえず上記の点を見極めてから、中段の論点について述べますが、最後の点に関しては、深読みのしすぎです。ちょっと冷静になって読み直してみてください。最終行で「Yasumi氏は出典無しでも書き換えが可能と言っている」なんて普通は読み取れません。ミスリードでも詭弁でも、あるいは寓話だろうが。 --EULE 2009年6月3日 (水) 11:24 (UTC)
なるほど、わかりませんか。当たり前ですが私は記事本文に関して指摘しているという点に留意して再度読み直しをお願いします。--Yasumi 2009年6月4日 (木) 21:08 (UTC)
わかりませんね。せめて、私が「書かれた表現が出典に無い」という前提で話しているところを指摘していただければ、わかると思いますが。--EULE 2009年6月4日 (木) 22:17 (UTC)
出典に書かれているとの前提が一致しているのであればたいへん結構なことです。そのまま読んで理解されれば良かりましょう。記事文について述べているのです。--Yasumi 2009年6月6日 (土) 07:34 (UTC)

yasumiさんが指摘しているのは具体的にこのような事でしょう。
以下ノート:松江騒擾事件/過去ログ2-1の2009年5月30日 (土) 11:26版より転記。

しかしながら、当ページにおいて信頼できる情報源として相対的に優先されるべきは、「松江騒擾事件を中心に取り扱っているもの」であって、「玉音放送」や「日本の降伏」を中心に取り扱っているものではありません(「玉音放送」の記事で優先されるべき情報源が「玉音放送を中心に取り扱っているもの」であるのと同様に)。記事の設計思想にはいろいろな考えの幅があるでしょうけれども、少なくとも本ページでは、こうした考えのもとに記事全体を構成しています。このあたりは、一部Wikipedia:秀逸な記事の選考/松江騒擾事件の際にも述べました。したがって、松江騒擾事件を中心的に述べている情報源のなかで、ことさら「無条件降伏」を否定しているものがない限り、「無条件降伏」の語のみを除去する理由とはなりえません。情報源の誤字であったり、数字の更新であったりといった些細な点を他の情報源で補うならまだわかりますが。

—--ZERO 2009年3月19日 (木) 09:37 (UTC)

「少なくとも本ページでは、こうした考えのもとに記事全体を構成しています。」微妙な見解だと思いますね。Wikipediaは立項者個人の考えを発表する場ではないでしょう。

以下ノート:松江騒擾事件/過去ログ2-2の2009年5月31日 (日) 00:16版より転記。

EULEさんの言うこととも重なりますが、厳密に言えば、「何のためか」など書いた本人にしかわかりませんし、読んだ人間が好きに読み取ればいいことです(ある作家のエッセイで、息子が国語のテストを受けたらその作家の文章について「作者は何が言いたいのか」と出題されて、どれが正解かわからなくて作家本人に聞いたら本人が解らなかった、そんな話があったと思います)[要出典]

—--ZERO 2009年4月30日 (木) 15:43 (UTC)

「本人」は出典とされている「竹永氏」なのか、この項目の立項者である「ZEROさん」なのかで大きくとらえ方が変わると思います。また、私が要出典範囲を付けさせていただきましたが、この部分は微妙な論調で、出典を重要視されるZEROさんらしくないですね。
--Qoop 2009年6月2日 (火) 13:52 (UTC)  この節を、セクション単位編集すると何故かウオッチリストで「フランスの民族について」を編集したことになってしまいますね--Qoop 2009年6月2日 (火) 14:07 (UTC)

私はZERO氏ではないですが、普通に読めば、(置き換えるならば)ここで言う「本人」は竹永氏で、「読んだ人間」がZERO氏でしょう。そして、後半の、括弧付けされた、ある作家の話は、竹永氏でもZERO氏でも無い(もっと言うなら、今回の話とは全く関係が無い)第三者の話ですよ。普通に読めばですが。さらにいえば、これに要出典を付けるのはおかしい。例え話程度のものですからね。まあ、私は当事者だし、普通や常識なんて個人が担保できるものではないですから、何人かの第三者の意見を待った方が良いと思いますが、おそらく私と同じ意見を言うと予想します。
あと、節がおかしいことについてですが、Yasumi氏が投稿する際に、上部の「新しい話題を投稿する」からではなく、「フランスの民族について」から続けて書いたせいじゃないでしょうか?まあ、よくわかりませんが。--EULE 2009年6月3日 (水) 04:18 (UTC)
「普通や常識なんて個人が担保できるものではない」「すべての意見はPOVだ」との趣旨に対しては、Wikipedia:中立的な観点#客観的な視点など存在しないという項目があり「この路線のポリシーにとって何か問題含みな点があるとしたら、それは論争をフェアに描写することができる、だから全ての主要な参加者が結果として生み出された文章を見て全ての観点が好意的に、できるだけ完全な形で紹介されている(少なくとも議論の文脈に関係がある範囲内で完全である)と合意できるだろう、という含意でしょう。」と読みにくいですが、要は編集者は責任転嫁をせずに文責を負い、常識的であろうとの方針に基づいて意見を開陳し、他者と対話して合意を求めることが必要なのではないでしょうか?例えば、記事に関して事実関係についての追求があれば「事実」と「意見」の切り分けが可能となり、必然的に記事に記載する優位性が明確になると思います。「意見」同士であればあっちの出典とこっちの出典どっちが優位か?同レベルの出典での優劣はつきません。(編集後に「フランスの民族について」となる件について。申し訳ありません、投稿時に最終節「フランスの民族について」の下に新節を設けたためにWikipedia:井戸端/subj/フランスの民族についての付属別節扱いされているようです。システムに詳しくないのでどうすればよいか分かりませんが、Ks aka 98氏に修正して頂けたようで感謝します)--Yasumi 2009年6月3日 (水) 10:27 (UTC)
文章をよく読んでください。Qoop氏の2009年5月31日 (日) 00:16版の引用について述べてるわけで、全く論点が違います。--EULE 2009年6月3日 (水) 11:24 (UTC)

「該当記事において使用される出典の相対的優先度は該当記事名を中心に取り扱っている物である」いう見解についてのみコメントさせていただきます。あるテーマに関する出典を関連性の深い出典と関連性の浅い出典とではWikipedia:検証可能性について同列ならば同列に扱うべきですが、該当記事名を中心に取り扱っている場合その取材対象に対して何らかの思想的根拠を持っていたり、書き手に何らかの感情が含まれている場合が多いことを考えると該当記事名を中心に扱っている資料の方がWikipedia:中立的な観点について考えると出典とするにはより危険な書物だと考えます。勿論「出典」でなく「参考資料」であればその項目をより深く知るための資料ですから、本項目により深く関わっている書物を優先すべきだとは考えます。ですが出典として用いる場合には寧ろ本項目から遠い書物で当該事実を証明して頂いたほうがより記事の公正性、思想的中立性が増すと考えられます。なお、「『1.出典の有る事実』『2.出典のある意見』『3.出典のない事実』『4.出典のない意見』などの内容による優先度」に対して賛成するものではないことをお断りしておきます。--Himetv 2009年6月3日 (水) 05:45 (UTC)

コメントありがとう御座います。たぶんZERO氏の主張は比較を行わない新規の単体編集としては正しい手続きの元に編集された物なのでしょう。しかし他編集との比較に於いて、私の問いかけた内容の議論をすることなく出典の優位性を主張することにより議論が進まずに噛み合わなくなってしまいました。例えば「議論に参加するなら出典を読んでください」等の議論参加資格を要求されて各出典にあたりもしましたが、むしろそれは私の論点から遠ざかっていたと今実感できます(それにはZERO氏の表現作成過程を疑似体験するという有用点があったかも知れませんが本題とは異なります)。--Yasumi 2009年6月3日 (水) 10:27 (UTC)

コメント コメント一般に、その項目で扱われる主題について、その記述に使用される情報源は、その主題について重点的に調査・検証・検討が行われたものが重視されるでしょう。それらの情報源をより広い観点から評価し、位置づけるためには、概観的な情報源が必要であり、記述を掘り下げるためにはその主題をさらに細分化した主題を専門に取り上げる情報源を用いることも必要です。

これらの情報源の間で、どれを優先させるかは、その情報源の公表時期、内容、全般的な信頼性などを考慮して決めることになると思います。項目全体を眺めている執筆者には手が回らない細部というのもあるでしょうし、細部における厳密な正しさは全体の中では追求する必要がないということもあるでしょう。文意や語意は独自に「解釈」すべきではないとしても、わかりやすく書き改めたり、より適切な用語があれば置き換えることを否定するべきではないと思います。

事件の背景の説明文について、その背景となる事実の説明としては、個別の事実についての情報源が必要であり(十分共有されている知識であれば、その項目でいちいち踏み込む必要はないとしても)、その事実が背景となっているということの情報源が必要であり(これがなければ独自研究です)、これとは別に事件当時の社会的な事実の認識や当事者の事実の認識の情報源が必要であり、本来ならば情報源の執筆者の認識もまた他の情報源を用いて検証する必要があるでしょう。特に、その資料が第三者のものでない場合や、多少古いものであったり、背景となる個々の事実について専門的な知識を持っていないと推察される場合などは。

ひとつには、玉音放送とポツダム宣言の受諾に対して「無条件降伏」という表現がどの程度一般的か、専門的な世界でどの程度誤りという合意があるのか、ということが問われると思います(議論すべき場所は、今の場所ではないと思いますが)。「無条件降伏」という表現が、少なくとも学問の世界では通説として誤りであるとされているならば、基本的にこの表現を使うべきではなく、強力な異論があるのならば避けておいたほうがよいでしょう。他方、「日本国政府の基本見解である(無条件降伏)」ということで、じゅうぶん一般的だが、論争があるという程度であれば、内部リンクでもよいかと思います。むしろ論争があることを脚注で付ける事が中立的ではなくなるという見方も出来ます。このへんは、藤田(2007)で検討されているように、「無条件」というのが、「まったく無条件」なのか、「些細な条件はあるとしても実質的に無条件と言えるもの」というような定義付けがされるのか、というような話だったりもするのかもしれませんし、評論家と、歴史学、政治学、法学の間で意見が異なるのかもしれません。[1]を見ると近年でも諸論あるようですから、無条件降伏#条件降伏論争の根拠[2]だけでは、「無条件降伏」という表現が、どれほど適切ではないか、という検証が不足しているようにも思います。

この記事について考えるなら、松江騒擾事件のなかで、また事件を中心的に述べている情報源のなかで、どの程度「無条件降伏」であることが重要なのか、ということが問題となります。積極的であれ否定的であれ、ことさら「無条件降伏」を取り上げているものがあるのでなければ、あるいはその事件において、「無条件」降伏という認識が鍵となるのでなければ、記事中で使われている「無条件降伏」という用語は、単なる事実として、言いかえが必要で、適切な表現があるならば言い換えるのが望ましいでしょう。「無条件降伏」であることが鍵になるが、事件当事者および情報源の執筆者がともに「無条件降伏」であることを当然なものとして認識している場合は、ことさら「無条件降伏」という表現を取り上げないこともあるでしょうから、その情報源を丁寧に読んで判断するか、その情報源または著者についての論文・書評などを探すことが必要になります。ウィキペディアの執筆者として、その判断に自信が持てないなら、情報源にある記述を用いておくということは、あってよいと思います。

松江騒擾事件で論点となった記述を見る限りでは、「無条件降伏」という表現に特段の意味は感じられず、玉音放送の内容の説明と思われますから、「玉音放送によってポツダム宣言の受諾が国民に伝えられた」「玉音放送によってポツダム宣言の受諾による降伏が国民に伝えられた」と書きかえてもよさそうだなと思いました。

ただ、ぼくは事件や無条件降伏論争などの知識があるわけではないので、最初に書いた一般論を、Qoopさんのまとめやウィキペディアの項目などを見ながら、当てはめてみただけに過ぎません。書きかえるべきだ、と主張しているのではないので、「松江騒擾事件」の記述をどうするかについては、知識・関心のある方で検討してください。--Ks aka 98 2009年6月3日 (水) 12:20 (UTC)

特に議論に参加されていない方からのコメントを頂けて参考になります。さて今回、戸惑い、面くらったのは議論相手が文意語意の直接説明と読者への便宜性を「客観性が担保できないから」という趣旨で回避していることです。一見、中立的に正しいかのような主張ですが、Wikipedia:中立的な観点をよく読むと、合意が取れるように努力するなどのウィキペディア的なルールとは違うような気がします。ルールを隅々まで把握していませんが「分からないなら分からないと言うことも含んで、自分の言葉で書く」というのは当たり前だと思っていたので。当初はWikipedia:編集方針#他の人が書いた情報(意味内容)は保存するよう努めてくださいの尊重を模索していたのですが行き詰まってしまいました。できますれば、議論の進め方に関してもアドバイスをお願いします。--Yasumi 2009年6月4日 (木) 21:08 (UTC)
「客観性が担保できないから」と指摘されたのはYasumi氏が一般事象とか固有事象という造語を用いて論理展開したからでしょう。一般と固有の違いは何だ?、その判断基準は何だ?と言う点から出てきた言葉じゃないですか。--EULE 2009年6月4日 (木) 22:07 (UTC)
(追記)そもそもYasumi氏のいう客観性って、単なる客観性じゃなくて、万人に通じる一般性・客観性のことでしょう?そんな物は無いですよ。--EULE 2009年6月4日 (木) 22:42 (UTC)

私個人としては、Ks aka 98さんの本文中で無条件降伏か否かについては触れない「玉音放送によってポツダム宣言の受諾が国民に伝えられた」「玉音放送によってポツダム宣言の受諾による降伏が国民に伝えられた」という文案が適当かと考えます。実際のところ無条件降伏か否かという点については適切な場所で、ポツダム宣言の記事本文でも「無条件降伏であるか否かは論争がある。詳細は無条件降伏を参照のこと。」とあるため、ノート:無条件降伏あたりででも討議していただければよいかと考えます。--Himetv 2009年6月4日 (木) 22:20 (UTC)

Ks aka 98氏やHimetv氏が文意語意と事実を受けて現在の出典のまま「玉音放送によってポツダム宣言の受諾が国民に伝えられた」「玉音放送によってポツダム宣言の受諾による降伏が国民に伝えられた」などの編集案を思いつくというのは妥当に思えます。私もノート:松江騒擾事件--yasumi 2009年5月10日 (日) 11:39 (UTC) で前者と同じ可能性を打診したつもりですが、議論になりませんでした。(なお、更に上案の文末直後に「(詳しくは日本の降伏終戦の日を参照のこと)」などのリンクを追加しても理解を深める上で良いかと思います。)
なぜなら、先方の意見はノート:松江騒擾事件--ZERO 2009年5月4日 (月) 03:52 (UTC) に象徴されるように「yasumiさんがご自分の目で確認されたとおり竹永氏は、日本国民に伝えられたものがポツダム宣言の受諾による「無条件降伏」だと書いています。第三者の方にも確認して頂きたい。これで「出典と見比べて誤解を招く表現だから正確にしろ」「出典に基づいて情報を増やせ」「別な情報源も使って両論併記しろ」といわれるなら、こちらならまだわかります。しかし、せっかく廿粁さんの意見に近づけるよう出典に基づく情報を増やしたのに、いまさら「あえて出典と乖離した不正確なものにしろ」といわれても応じられません。竹永氏の記述に基づく「無条件降伏」を、勝手に別な語へ書き換えてよいのかどうか。基本的に、話はこれで終わりのはずです。」と、出典から語句を加えるならまだしも、言い換えや削除を容認しない模様です。
つまり命題の通りなのですが、先方は編集過程で事件を本題とした出典を読み比べ(逆に言えば出典を限定し)、その中で背景説明に最も適した出典を選んでまとめて記事にしている。中立性を担保するために、出典を信頼することで文意語意を解せずに編集しているというのです。つまり、問題が提示された記事部分を背景説明文であるかないかを評価せず、採用した文意語意を解釈せず、出典に忠実なまとめをしたので現状文より出典に近づける方向以外は認めていないようです。ここで先方の言う正確性とは信頼する出典文からの乖離を意味します。上案もおそらく、出典からの語句削除は独自研究を載せないに違反する等の反論が予想されます。
私が背景説明文・一般説明文など事件に固有しない文章の出典は事件を取り扱った出典に限定されないと主張しても受け入れられません。私の背景・一般・などの表現が拙かったのかも知れませんが「出典は現実に表現された記事に由来するし、現実に表現された記事について合意の取れるような議論と改善を模索する」は空振り、先方の「記事は出典より作り出されるのだから、記事名を扱った出典から最適の出典を選び、出典に忠実なまとめと表現を行う」という主張と噛み合うことがありません。
草案ではありますが、出典先を良く読んで理解して記事にアウトプットするというWikipedia:引用のガイドライン/草案#執筆は自分の言葉での通りだと思います。でなければ、議論にも合意にもなりません。「実際に表現された記事に対しての出典であり、記事の妥当性や是非を論じるべき」かと思うのですが、「出典有っての記事だから、現出典を上まる新出典がなければ議事の改変不可」といわれてどう議論を進めて良いか戸惑っているのです。--Yasumi 2009年6月6日 (土) 07:34 (UTC)
安易な語句の置き換えが適切ではないというのは確かだと思うんです。「竹永氏の記述に基づく「無条件降伏」を、勝手に別な語へ書き換えてよいのかどうか」というと、安易に書き換えてはダメだけど、書き換えるべき場合もある、だと思うのですね。よくわかりませんが「全面降伏」に書き換えることは、Yasumiさんも同意されないのだと思います。ところが、ここで無条件降伏という表現のなかの「無条件」という部分に、今日の百科事典としての説明として問題が生じるということならば、「「無条件降伏」という表現を竹永が使っている」という理由だけでは、「問題が生じる」ことが妥当ならば、「無条件降伏」の語を保持する理由にはならない。もし、どうしても竹永が「無条件降伏」という表現を用いているということが重要ならば、これを「降伏」と改めることは編集者の独自の観点を推し進める改変とみなされるでしょうから、「竹永はこれを無条件降伏と表現し云々」という文章としてとりあげるか、カギカッコで囲んで引用とするということになるかと思います。--Ks aka 98 2009年6月6日 (土) 08:50 (UTC)
Ks aka 98氏の上記指摘は一々ごもっともで。記事の文章や出典の文章を読んでも「無条件」自体に大きな意味を感じない(終戦の代名詞として使っているであろう)と思います。多くの人もそう思うでしょうという予感もあります。しかし、今まで話した感じでは先方はおそらく「無条件降伏」をただの「降伏」に置き換えるのはWikipedia:独自研究は載せないに違反すると主張することが予想されます。先方は中立性を保つために出典も記事も文章を解釈しないそうです。議論を始められる良い方法はないものでしょうか?--Yasumi 2009年6月6日 (土) 09:19 (UTC)
会話ページで声をかけてみました。EULE さんの考えも聞きたいところですので、ご覧になっていたらコメントください。なお、Yasumiさんがいらついているのはわかりますが、太字の強調など、相手を刺激する表現は控えていただければ。--Ks aka 98 2009年6月6日 (土) 10:56 (UTC)
(インデントを戻す)この議題に関しては↑の方で、理由は「わかるはずです」としか言われなくて、噛み合わないどころか、私の意見のどこに反論しているのかも現状では掴めない状態で、もう諦めているのですが。まあ、ノート:松江騒擾事件に関してで、コメントを一応。
まず、先に言えば、今回の問題は、結局のところ1ユーザーと1ユーザーの対立に過ぎない物だと見ています。ある記述を巡って異論が出たので、その部分を記述した者が反論を行った。その上で、ZERO氏は実際に自身が用いた出典を根拠理由に挙げた。
その記事を構築した出典に、実際にそう書いてあって、主筆者が「これは書き換えるべきではない」と言うなら、私は少なくとも主筆者の言う出典に当たらないといけないと考えます。例えアウトプット上で、意味が無いように見えても、実際に、出典を読んで、そのアウトプットを書いた人間が「必要だ」と言うのだから、出典を読んでもいない人間が、その正誤を判断することはできない。また、実際の出典を証明の手段として前面に押し出すのは、これは至極正当な行為であり、ウィキペディア上で、自身の記述の正しさを証明するのにこれ以上の物は無いはずです。
Yasumi氏は、氏自身の意見が不当な物だと扱われていると勘違いしてますが、(少なくとも私は)それ単独なら構わないと思うんですよ(だから、ノートでの私の一番最初の意見などは、Ks aka 98氏と同じか近い物だったりします)。ただ、対立した時に、根拠としては弱い。何故なら、書き換え提案をすると言うことは、相手が間違っていることを証明しないといけない。つまるところ、Yasumi氏は、記述が間違っているから、正しい物に変えるって言う提案ですから。その上で、(特に提示された出典にすらあたらなかった序盤の)Yasumi氏の論調と言うのは、ZERO氏の意見を到底反論しきれるような物ではなく、とても支持できるような物ではなかった。
Yasumi氏は今回の議論に見られるように出典の優先順位と言うのを気にしていますが(それはZERO氏の方だと言われそうですが)、じゃあ、主題と直接関係の無い外部資料が、実際にしようされた出典に無条件で勝るか?といえば、そんなことは無いんですね。結局、出典の優先度と言うのはKs aka 98氏が言ったように、一概に決まるような物じゃない。だから、私の立場からは、2009年5月5日 (火) 14:18 (UTC)で言ったように、後は2人ですり合わせをお願いします。としか言えない。
とりあえず、以後は、この議題に関しては、有用な反論・意見を頂けないようなので、見るだけで、逐一書き込むことはしませんが、ただ、一点。ここ井戸端で、出典の優先順位だけで、事を解決できるような話では無いということは強調しておきます。--EULE 2009年6月6日 (土) 13:59 (UTC)

EULEさん、ありがとうございます。似たような意見を書いていながら、ぼくとEULEさんが別の立場にあるように見える理由がはっきりしたように思います。

さて、yasumiさんが、ZEROさんの言葉として「yasumiさんがご自分の目で確認されたとおり竹永氏は云々」というのを引いていますから、現時点では、yasumiさんは、典拠とされているものを確認されているのでしょう。また、出典の扱いについては、ぼく、EULEさん、おそらくはHimetvさんも同じような立場にあると思われます。つまり、ZEROさんが挙げている出典にある「無条件降伏」の部分については、その著者が特に意図的にその語を用いているのでなければ、他の信頼できる根拠を用いて適切な語に言い換えることは可能です。

出典の扱いについては、それでよいとしても、少なくとも、この井戸端での議論では、yasumiさんは「ある程度の終戦経緯を知っているため「玉音放送ではポツダム宣言による無条件降伏が国民に伝えられていない」という「事実」が存在する」と書かれていて、この事実性を疑いないものと捉えていらっしゃるようですが、ぼくの2009年6月3日 (水) 12:20 (UTC)の書き込みにある「ひとつには、玉音放送とポツダム宣言の受諾に対し」以下のところにあるように、単純に「事実」と言い得るものかどうかは明らかではなく、適切な情報源が必要な事柄だと思われます。ノートの「無条件降伏の表現を使う問題点」を見ると、辞典類や同時代的と思われる資料が挙げられていますが、「「事実」が存在する」というには、二次的な文献がないのは弱いように思います。上でciniiの検索結果へのリンクは置きましたが、そこに挙がっているもの、たとえば、無条件降伏の項目でも挙げられている藤田(2007)(PDFで読めます)などを確認し、「事実」であることの裏づけを補強するか、あるいは論争のある語句として使用を避けるということで合意をはかってみるというのがよいのではないかなと思います。--Ks aka 98 2009年6月6日 (土) 17:58 (UTC)

まず何について議論するかという点で先方とは最初から食い違っていると思います。また無条件降伏については諸説があり無条件降伏論争であれば他で議論すべきという点については一致していると考えています。その上で表現の不適切について定義してきました。それは(現時点でノートログから合意無き削除をされていますが)当初ノート:松江騒擾事件#無条件降伏の表現を使う問題点に投稿した文の後半[3]で問題点を指摘しています。
  • 問題点1では当日の玉音放送に無条件降伏という説明が無い点を上げています。むしろ終戦の詔書を天皇が朗読した玉音放送の内容でには日本側条件であった国体の護持が得られたと書かれており、玉音放送に続く放送にも交渉経緯の説明と結果として国体護持の確保がされた内容があります。
  • 問題点2は語句としての無条件降伏の第一義に有る「全てを敵の権力に委ねた条件のない降伏」について記事本文に当て嵌まらないことを挙げています。
  • 問題点3で無条件降伏の定義を、出典及び記事本文を好意的に解釈して「敵の降伏条件を無条件で受諾する降伏」の場合に特定した場合の問題点として「無条件で受諾した説」に関しても疑問が存在するという問題点を挙げています。
  • 問題点4ではそれ以外の定義がされていた場合や竹本本からの引用に特筆性がある場合は引用形態を取るべきであるという問題点を挙げています。
私は先方の執筆を尊重した上で、これら現状の記事本文の持つ内容の問題性について議論したいのですが、現出典に当たらない者は議論資格無しとか、現出典からの改変は方針違反するとの内容に踏み込む議論が回避されたままです。
EULE氏へ、「主題と直接関係の無い外部資料が、実際にしようされた出典に無条件で勝るか?といえば、そんなことは無いんですね。結局、出典の優先度と言うのはKs aka 98氏が言ったように、一概に決まるような物じゃない。」後半の一概には決まらないには同意ですが、前半について先方は「主題(松江騒擾事件)に関する出典が優先され、問題の記事本文(今回は終戦経緯や無条件降伏に関する出典)は却下されるという」優先序列を示されています。議論に入る前に、問題とした背景文に関係した出典の中から松江騒擾事件を扱っていない物を除外するという限定に大いに疑問を感じます。この議論に際してさえ、出典を制限することに対してEULE氏はZERO氏と同意見なんですか?--Yasumi 2009年6月7日 (日) 03:19 (UTC)


Ks aka 98さんから連絡を受けて参りましたが、、、、唖然としました。正直なところ「なぜ井戸端で話し合われているんでしょうか?」というのが端的な感想です、何重もの意味で。

「記事に使う出典の優先度や制限は?」・・・・約60万もの記事があるウィキペディア日本語版において、一般化した答えが井戸端で導けるはずがないです。もしもそういうものが万が一井戸端で決定なされたとして、机上の空論にしかなり得ない。「ウィキペディアのルールに従いつつ各記事やウィキプロジェクトで個々に考えるべき問題である」という結論以外に落ち着きようがないと思っています。

各記事主題において、それにまつわる資料の質や量は全く異なります(例えば、十分に学術的な研究がなされた主題であるならば情報源を「学術論文だけにする」という判断があるでしょうが、そうでない主題の場合、そうした判断は現実的ではない)。また資料の問題だけではなく、ウィキペディアにおける問題として、「記事と記事の関係」も、「それぞれが立項されている状況」も、「記事の成長の度合い」も全く違う(たとえば形式上の話として、記事「本能寺の変」が立項されていない、そうした状況下において「織田信長」のなかで「本能寺の変」について詳細に触れる、そういった事態がウィキペディアではあり得る。また別の場合として、元々親記事から分割されただけの子記事が、単独の記事として親記事を凌ぐ分量に成長することさえある)。また記事の組み方を考える上で、執筆者のウィキソロフィー(包摂主義・排他主義・削除主義といったもの)によって動く部分がある。さらにこれらの状況は固定することがなく、変化し続けます。これら幾億通の組み合わせと、それらが常時再構築され続ける現実があるのに、井戸端で一般化した答えを出そうとすること自体、わたくしは無謀なことだと考えます。各記事において、その記事内全体を現実的にまとめられる範囲において基準を決定するのが関の山でしょう。

井戸端で話される内容としての「記事に使う出典の優先度や制限とは?」について、私の意見は以上となりますが、Ks aka 98さん、こんなところでよろしいでしょうか。

さて。今までの議論の場とは全く別なところで告知もないまま、何日も前から自分の発言が話の流れから切り取られて歪められ、それを云々されることが平然となされている事態を見つけたとき、皆さんはどう思われるでしょうか。後々ちまちまと誤謬を指摘し続けるのは簡単ですが、もっと問題なのは、私がKs aka 98さんから連絡を受けるまで、それすら担保されない状態にされていたということです。こうしたやり方で発生した問題をひとつあげておきます。本議論においては、わたくしが「中立性を保つために出典も記事も文章を解釈しない」という発言をしたことにされていますが、私が本当にそういう不用意な言葉の使い方をしたのかどうか、興味のある第三者の方は検証して頂くとよいかとおもいます。あと、「〜等の反論が予想されます。先方は中立性を保つために出典も記事も文章を解釈しないそうです。議論を始められる良い方法はないものでしょうか?」って・・・・・・・相手のいない状況下の公の場で、反論予想を開陳してしまうことのまずさ(議論の存在すら知らせず、弁解の機会を与えない決めつけの披露)もありますが、ひとまずまだこの世に存在しない『予想される反論』を前提として、それに対する「良い方法」を自分で思いつかず第三者から募集せねばならなくなった時点で、議論の透明性であるとか自己の論理性であるとか、まわりを納得させるための大切なものを自ら捨ててしまっているような気がするのですが・・・という批判をせざるを得ないんですが、こういう事態になることは「予想」できなかったんでしょうか。--ZERO 2009年6月9日 (火) 03:51 (UTC)

ZERO氏が言う具体的議論が何に当たるのか分かりませんが、オープンな場で話されては困ることがあったでしょうか?私も何日も前から自分の発言が話の流れから切り取られて歪められ、それを云々されることが目の前で平然となされ、自己主張でない意見を理由に多数決に掛けられるような仕打ちを受けたばかりです。
ZERO氏のような議論の手練れにはとても敵いませんが、はぐらかさせ続けていた議論がどうやったら進むのか伺うために立項したのがここです。まあ、総論としては具体的に記事を読解して読者の便宜をはかる方向で考えれば議論が合意に至れるのではないかという点では一致しているように思えます。
議論をされていると言われましたが、具体的にノート:松江騒擾事件で記事の内容に対しての議論をしたいのですが、はぐらかされてばかりですし、かなり踏み込んだつもりの発言もノート:松江騒擾事件#無条件降伏の表現を使う問題点に投稿した文の後半[4]が削除を受けて現在に至っています。いい加減、ZERO氏の文責で書かれた記事の問題点について議論をしたいものです。--Yasumi 2009年6月10日 (水) 05:57 (UTC)
井戸端で発生した固有の問題から順に話します。
仮に、自分の意見を相手が歪めていたとします。双方の議論上(目の前で)でなされたならば、都合に応じて修正を求めることは簡単ですし、私は今までそうしてきましたし、この発言自体もその一形式です。ただ、もしもyasumiさん、改めYasumiさんが「目の前でされる」ことさえも許せないなら、「相手のいないところ」でそれをすることなど、絶対できないはずではないですか?
ましてや相手のいる場所であっても、相手の出方を「予想」してそれに対応する「良い方法」を募集したりしたことは、今まで見たことがありません。当否はともかく「予想」ができて、それに対する「良い方法」が自分で思いつかない。それならもう、しょうがないじゃないですか。結果が納得できないからといって、相手の意見のどこかに自分の見いだせない間違いがあると考えるのは、理屈としておかしいです。
次に、荒らしや個人攻撃でないのなら、個人の発言を同意なく削除してしまうのは極めてまずい。もしそれが事実なら、削除を差し戻して良いと思います。しかし、自分が不利益を被ったことを理由に、別の人間に不利益をかけてよい理由にはならない。わたしもKs aka 98さんも、実際に会話ページや議論の場に告知を出しても、何ら削除されたりすることはありませんでしたが。
井戸端で話されて困る理由なら沢山あります。その1、今までの議論参加者・閲覧者を置いてけぼりにすること。その2、議論の場を変えることで、いままでの議論蓄積を無視されてしまうこと。その3、その結果として、論点の拡散や双方の話の流れが齟齬をきたす可能性があること。その4、実際そういう問題が起きたこと。端的に示せば「中立性を保つために出典も記事も文章を解釈しない」太字で強調されてるんですが、私がこの発言をしたのはいつですか?・・・・という質問すら、こういう発言がなされていることすら知らされない状態だったんですけれども、そういう問題は起きてよいと?
「はぐらかされてばかりです」と言われても、私からすればYasumiさんが論点も提案も変え続けているように見える。論点を変えていっているのだから「議論がかみ合わない」のは当たり前です。先に指摘した部分も含め、この井戸端の議論上に限っても反論を加えたい箇所が沢山あるんですが、井戸端でやってもいいものでしょうか。それをやると、どうしてもWikipedia一般の話からは乖離して個別記事の話になっていくんですけれども。
  • ひとまず、「記事に使う出典の優先度や制限とは?」の特有の問題として、Yasumiさんが当然の前提としていままで扱ってきた「中立性を保つために出典も記事も文章を解釈しないそうです」これだけでもひとまず、説明していただけますか。「文責で書かれた記事の問題点」の話をするにしろ、いままで井戸端の話のなかで私のいないときに、私が言ったこととして扱われてきたわけですから、大事な点です。これはどういうことなのか、Yasumiさんに説明をお願いします。
  • せっかくお呼びいただいたので、Ks aka 98さんの話された(ある語が)重要なのか・強い意味なのか、という点について、不特定多数に話をふってみます。これならある程度は広がりのある話になりそうですけれど、それはいったい、「誰からみて」でしょうか。もちろん先に話したように、「最終的に一般化した答えは出ない」ことがわかったうえでの話です。--ZERO 2009年6月12日 (金) 15:35 (UTC)
よく分かりませんが、ZERO氏が私を許さないと言いたいのですか?ここはあくまでもZERO氏の文責で書かれた記事の内容について議論をはぐらかされている現状から、持ち出されたルールや優先度に関する問い合わせや話し合いに応じて貰うアドバイスに関して対話が為されており、松江騒擾事件のノート議論自体を進めているわけではありません。
また、問題文に関してのアドバイスを聞くことも出来ました。これらもZERO氏が書いた文章について議論をしてくれれば生かされることでしょう。また、これこそ話が歪められていると思うのですが、ここで私が反論を募集しているわけでもないのに反論を募集するかのような解釈をされて心外です。議論の上手とはこういうことを指すのでしょうかね。
「私がZERO氏が中立性を保つために出典も記事も文章を解釈しないと発言をした」との前提で話されていますが、どこでの発言でしょうか?態度に関してならば無条件降伏の語義や文意の照会に対して「出典の通り書いた」と定義をはぐらかされた回答しか貰えてい無いことと、こちらの理解とZERO氏の修正から主張併記をした部分の内容が元となっています。仮に違うのであれば早速文責者たるZERO氏より文中の無条件降伏の定義や文意を解釈していただき、ZERO氏が無視続けられている私の5/30の問題点投稿について議論を再開していただきたいものです。--Yasumi 2009年6月15日 (月) 11:40 (UTC)
  • 「出典の通り書いた」と定義をはぐらかされた回答
  • ZERO氏の修正から主張併記をした部分の内容
具体的にはどの部分ですか。全文引用しなくても良いので、日時だけでも良いので教えて下さい。私が「中立性を保つために出典も記事も文章を解釈しない」なんて言い方をするはずがないんですけれども。
仮に違うのであれば」と書いておられるけど、そんなに簡単に違っちゃダメでしょう。私はひとまず同意するに至っていませんが、Yasumiさんの一連の主張によれば「文責は当然編集者に起因する」。「先方は中立性を保つために出典も記事も文章を解釈しないそうです」(6月6日 (土) 09:19 (UTC))と書いたのはYasumiさんですから、私はこの一文の『文責者』たるYasumiさんに問い合わせているのです。ご自身の今までの主張が正しいなら「仮に違うのであれば」などと「自己文責」を放棄せず、ちゃんと解釈して下さい。その他の点についてはまた後日。--ZERO 2009年6月15日 (月) 17:18 (UTC)
「そんなに簡単に違っちゃダメでしょう。」いえ、本人による明快な具体的訂正や見解表明であれば前提は変わり私の認識問題は解消します。つまり私を疲弊させるためでない限り、全然ダメではないのです。--Yasumi 2009年6月18日 (木) 11:46 (UTC)
時間が出来たので私の認識について、追記します。「先方は中立性を保つために出典も記事も文章を解釈しないそうです。」という私のZERO氏に対する認識は私の「ZERO氏が作文した現状の該当記事とZERO氏が読解した出典文に於いて、記事文責者として無条件降伏をどのような意味として捉え、読者に読ませるべく書いたのか?」という照会に対して一貫して説明を果たしていないという点が基礎となっています。
個別に言えば--ZERO 2009年5月4日 (月) 12:52 (UTC)で私の質問(2について)「終戦の説明語句を松江騒擾事件の著述に依存あるいは制限しなければならないのか理由が分かりません。」に対して「文章を書いたときの出典に基づくべき、というそれだけの話です(情報源に書かれていないことは書けない)。読んだ人がいかに「あやふやな語句」「中立的ではない」と感じようとも、本文にそう書かれている以上は仕方のないことです。また、松江騒擾事件との関係が不明確な情報源をこの記事に持ち込む道理はないでしょう。それをもって記入したとしても「この事件に関係ない、だから削りなさい」といわれたら、削らざるを得なくなる。」との回答であり、また「ZERO氏の主張「(現在の文章は固有事象の説明であるので)(竹永氏が書いた内容に基づくので)この事件を著述した竹本氏の背景説明に従う必要がある。逆に言えば、事件を主体的に記述していない者の記述を採用する根拠はない」(←Yasumiの認識ですので誤解の可能性もあります)(2009年5月5日 (火) 11:37 (UTC)修正、ZERO氏2009年5月4日 (月) 03:52 (UTC)コメントに基づき)」との修正済みまとめであるわけです。
結局の所、ZERO氏が論点とした記事の内容に踏み込むことを避け、出典読了を議論参加資格としたり、独自序列に従って出典制限を設けたりと、「事実」や「意見としての事実」に触れることなく、「竹本本のような記事」にしている点で、それが読者の役に立つ者であるのかどうか共同執筆者同士の俎上に挙げていないことが非常に不審なのです。--Yasumi 2009年6月25日 (木) 12:02 (UTC)

[編集] 記述について提案

さて、ZEROさんは、「中立性を保つために出典も記事も文章を解釈しない」という意見ではなく、「ウィキペディアのルールに従いつつ各記事やウィキプロジェクトで個々に考えるべき問題である」と捉えているということでご理解いただけているように思います。

Yasumiさんは「無条件降伏」については諸説があり無条件降伏論争であれば他で議論すべきという点についてご理解いただけているように思います。また、当該資料を既に読まれています。

互いの振る舞いやノートのインクルードは、ここでの主題とは異なります。それらについて何か二人で話をしたいのであれば、会話ページやコメント依頼などでお願いします。相手のコメントの不備をいちいち指摘しなければ話ができないのであれば、好きにしてください。記述を適切なものとするため、あるいは方針類の理解についての合意に向かうことを考えましょう。

松江騒擾事件#日本の終戦から事件発生まで第一文「1945年(昭和20年)8月15日の正午、玉音放送によってポツダム宣言の受諾による無条件降伏が国民に伝えられた。」の部分について考えます。

松江騒擾事件#日本の終戦から事件発生まで第一文は、記事中の位置づけとしては、事件の発生に至る経緯の説明の最初の部分として、国、県、地区のレベルで、降伏なり終戦なりが、どのように伝えられたかを解説するなかの、一番最初のところに置かれています。

ここの文章は、主に島根あるいは松江における終戦の情報の報道と受容という事柄について、竹永による取捨選択はあるものの、基本的には歴史的な事実を伝えているもの、事実を伝えようとしているものと受け取られます。このような場面では、基本的に情報源の著者の見解を排し、情報源から得られる事実を抽出し、表現として適切なものを用いるのがよいと考えます。つまり、竹永に完全に依拠するのではなく、たとえば、竹永以外に、島根あるいは松江における終戦の情報の報道と受容についての情報が得られるなら、それは加筆されるべきでしょう。

Ks aka 98の理解では、

  • 玉音放送は戦争終結ニ関スル詔書を放送したもので、天皇が共同宣言すなわちポツダム宣言を受諾することを表明している。
  • 詔書では「降伏」あるいは「無条件降伏」という言葉は用いられていない。
  • ポツダム宣言においては、軍隊の無条件降伏が明記されているが、政府あるいは国体の無条件降伏は明記されていない。

となりますが、そこに間違いはないでしょうか。

無条件降伏という表現をめぐる論争の論点は複数あり、「有条件降伏を無条件に受け入れる」ことを「無条件降伏」とするかどうか、また「無条件降伏」と書くことで「有条件降伏を無条件に受け入れる」と読者が受け取るかどうか、カイロ宣言からポツダム宣言にかけての条件の変更をどう解するか、ルーズベルトほか連合国側の見解や認識をどの程度重視するかどうか、といったもののようです。論争は、(かつて?)具体的に論争としても存在し、また現在もいずれかの表現にこだわる方もいらっしゃるようです。

「1945年(昭和20年)8月15日の正午、玉音放送によってポツダム宣言の受諾が国民に伝えられた。」ということについては、およそ異論がなく、「ポツダム宣言の受諾」を「無条件降伏」とするかどうかには論争がある。ポツダム宣言の受諾を無条件降伏とすることは、比較的よく目にするものですし、政府見解でもありますが、この文脈で「無条件降伏」の語を用いないことが、中立的ではないとまでとは言えないように思います。この部分は、異論があるかもしれません。

次いで、記事のノートを参照すると

  • 松江騒擾事件の当該記述近辺は、主に竹永 (2005) を参考としている。
  • 竹永の記述は「昭和二十年(一九四五)八月十五日正午、ポツダム宣言の受諾による無条件降伏が、天皇の「玉音放送」によって国民に伝えられた」である(『島根県の歴史 県史32』)。
  • 竹永は、上記の文ほかを受けて「こうした敗戦直後の政治的激動」と続けている。

資料の記述についてはyasumi 2009年5月3日 (日) 09:22 (UTC)によりますが、このような記述があることについては、異論がないように受け取りました。

竹永の書いた「ポツダム宣言の受諾による無条件降伏が、天皇の「玉音放送」によって国民に伝えられた」は、記事では「玉音放送によってポツダム宣言の受諾による無条件降伏が国民に伝えられた。」となっていますが、語順の入れ替えと「天皇の」の除去があるのみで、本質的に意味は変わっていないと思われます。「天皇の」の有無は、「玉音放送」が天皇によるものであるという知識を読者が持っているとみなすかどうかで考えるべきことであると思います。

竹永が意図的に「無条件降伏」という語を用いたかどうかについては、yasumi 2009年5月3日 (日) 09:22 (UTC)にある竹永の引用を見る限りでは、「無条件降伏」の表現を抜きにしても、後の「こうした敗戦直後の政治的激動」と受けることはできるように思います。

そこで、(竹永の見解としてではなく)竹永を情報源として、当時の背景となる事実を選択・抽出し、それら事実の記述に努めるという作業としては、「無条件降伏」の語を避けることはできると思います。

ただし、

  • 竹永の関心は、Ciniiを見る限りでは、基本的には近現代地域史、民衆史にあり、政治や国際法にあるわけではないようですから、おそらく「無条件降伏」の語に強い意味を持たせて使っているのではないのではないかと推察しますが、引用部以外の文章を見て「無条件降伏」としなければならないという理由があるかもしれません。
  • また、2009年4月30日 (木) 03:01 (UTC)あたりを見ると、猪瀬直樹「恩赦のいたずら」の記述は、竹永よりもいくらか「無条件降伏」について重視しなければならない要素がありそうです。
  • 他方、yasumi 2009年5月3日 (日) 09:22 (UTC)に挙げられた騒擾を描く他の資料では、特に「無条件降伏」に言及されているわけではない。

といったところは考慮する必要があるでしょう。

島根における玉音放送の前後に放送局の発言として「無条件降伏」という表現が用いられていた、あるいは当時玉音放送が無条件降伏を伝えるものであったとする解説があったというような場合なら、今の文章を改めて、情報を加筆することになるでしょう。

竹永や猪瀬を情報源として、事件関係者がどのように受け止めていたか、という部分で、「無条件降伏」という表現が必要となるならば、書かれるべき場所や、記述の仕方は変える必要があると思います。理想的には、関係者の日記など一次資料を確認する、あるいはそれに基づく記述を探すということになりますが、これは困難かもしれません。

以上のような理由で、たとえば「玉音放送によってポツダム宣言の受諾による日本の降伏が国民に伝えられた。」というように改めるということを提案したいと思いますが、いかがでしょう。「日本の降伏」の表現が適切ではないということであれば、ほかの表現でもよいです。ここでは、玉音放送の記述に従いました。松江騒擾事件#玉音放送の記述からは、「敗戦」がよいのかもしれません。

どんなもんでしょ。--Ks aka 98 2009年6月16日 (火) 10:03 (UTC)

何故「記事に使う出典の優先度や制限とは?」内でこの話を?その提案は松江騒擾事件のノートでせにゃ。

ちなみに玉音放送で伝えられたのは「終戦の詔書」で、内容もポツダム宣言の受諾と新時代のための戦時体制の終了(終戦)。あの文章の流れだったら「1945年(昭和20年)8月15日の正午、終戦の詔書(ポツダム宣言の受諾と終戦)が玉音放送によってラジオの前の臣民に伝えられた。」の方がいい。そうするとその後の「同月16日付『島根新聞』社説では、これを「休戦の詔勅」と伝えた。」が映えるかもだぜ。--119.150.8.2 2009年6月17日 (水) 11:44 (UTC)

記事に関する最終的な議論はノート:松江騒擾事件で決定されるものと思っていますが、今回の場合は特にZERO氏の応対についての打診に於いて、意義がありそうです。その打診としてのKs aka 98氏の提案内容について、私は賛成いたします。なお、日本の降伏にリンクを張れば更に良いと思います。また、言外になりますが、出典の付け方は現状を維持する前提と認識しています。
さて以下、提案内容の補足をします。Ks aka 98氏の理解に対する3点(詔書とポツダム宣言の内容)の事実照会について間違いないものと考えます。また、現在の出典となっている本の事件の項目は約4ページ半の記述ですが、無条件降伏の語は冒頭のみの一箇所で採用されており、その他は引用を除いて敗戦・降伏などの語が使用されています。更に、玉音放送の前後に付随放送された終戦関連ニュースなどの内容については、ニュース原稿より無条件降伏の語句は見られないことを確認しています。逆に終戦の詔書文内の「国体ヲ護持シ得テ」に代表され、かつ終戦関連ニュースでも条件付き受諾(君主統治権に変更なきこと)とバーンズ回答の内容などの交渉経緯の解説があり、その後に「国体護持の一線を確保」とのニュースがラジオ放送されたとのことです。--Yasumi 2009年6月18日 (木) 11:46 (UTC)
非常に明快な論理廻しと建設的な今回の提案だったと思っています。しかしZERO氏は不在なのか無視しているのか全く反応がありません。もともと、同様な提案は「出典通りでない」という理由で却下済みのようですが、今回はどうでしょう?
Ks aka 98氏に於いては、せっかくの提案を今後はノートへの転載を含めて検討して頂きたく思います。--Yasumi 2009年6月25日 (木) 12:02 (UTC)
もうしわけないですね。ちょっと月末の6/30まで相当立て込んでおります。Ks aka 98さんへのお返事をまとめておりましたが、結局ノートで既に話した部分とかなり重なる点が多いので、失礼ながら部分部分を端折って話をします。
『当時の背景となる事実を選択・抽出し、それら事実の記述に努める』(基本的に情報源の著者の見解を排し、情報源から得られる事実を抽出し)という言い方をもって「無条件」の部分を外す、ということなら、それはまずいことだと思います。そこには『「無条件降伏」は、「著者の見解」であって「事実」ではない』という判断が働いている。「どんな『事実』も、誰かの『見解』のひとつである」という話はノートで既にしたつもりです。言い換えるならKs aka 98さんが、『事実』と『著者の見解』を、どんな基準をもって切り分けて話したのか、そのあたりを明確にしていただけるとありがたいです。論点として立ち上がった以上は、『誰が』語った「事実」なのかということを示しながら話をしないと、結局ウィキペディアのルールでシャットアウトされてしまう結果になるでしょう。--ZERO 2009年6月25日 (木) 14:31 (UTC)
あわてる必要のないものと思いますので、急がずともよいと思います。とても難しいものを問われてしまったので、どういう水準での説明がよいのか考えあぐねていますので、こちらの返答も多少時間がかかるかもしれません。--Ks aka 98 2009年6月27日 (土) 09:11 (UTC)
例えば、私は該当記事を読解するに於いてWikipedia:中立的な観点#この方針の言い換え:事実、様々な意見に関する事実も含めた事実を書け――だが意見は書くなWikipedia:信頼できる情報源で定義されているところの「事実」と「意見」に関して、「ポツダム宣言が受諾されたこと」「玉音放送は天皇による放送であったこと」「玉音放送で無条件降伏とは伝えられていなかったこと」は『事実』であり、「無条件降伏」は竹永本を出典とする『意見の事実』であるとの認識から、出典より該当記事に「天皇」が省略されたり、同じく「無条件」または「による無条件降伏」を省略しても、読者に事実を伝える重要性と出典内容から妥当な編集であると認識するわけです。
翻ってZERO氏は出典を読解し、出典の「内容」を記事に転換したハズであるのに、今までの主張は編集過程の方法論に触れるばかりであって「内容」に関する議論、つまり出典を読解した内容や該当記事文を読解した内容について殆ど触れていませんよね?今回であれば出典から「天皇」を省略し語順を改変したときに前段落で私が記事や出典の読解を表明したのと違って全く「内容」についての表明がない。チラシの活字を切り張りして作られた脅迫状はチラシの「内容」を再現しているのでしょうか?ZERO氏の実施した編集は、どのような「内容」に於いて「天皇」省略や語順入れ替えが出展の内容を記事に反映しているのか、「無条件」または同じく「無条件」または「による無条件降伏」を省略することがどのように出典の内容を損ねるのか?説明して頂きたく思います。
可能性として、私は貴方の共同執筆者であり、貴方は私の共同執筆者であるわけですが、我々は記事内容に関しての議論が可能なはずですが、何故記事内容の照会を回避して別の為されるのでしょうか?質問をはぐらかすことが議論の巧妙さなのかも知れませんが、私にはWikipedia:中立的な観点に関連しての対話を拒否されているようにも思えるのです。
「どんな『事実』も、誰かの『見解』のひとつである」という主張はWikipedia:中立的な観点#客観的な視点など存在しないという批判に類似しているように思え、今回で言えばZERO氏が例え話で出したように提案文の「降伏」に対して「降伏でない」という見解があり得るのかも知れませんが、それを本気でZERO氏が主張し得るのですか?そのような主張をするのであればそこから対立と議論が始まると思うのですが、今のところそのような認識をされていませんよね?該当記事は無条件降伏説を前提とした解釈をしないと成立しない、あるいは理解できない文になっていると思うのですが、何時になったら記事の内容について議論頂けるのでしょうか?--Yasumi 2009年6月27日 (土) 02:15 (UTC)
記事の内容の話をしたいならノートへ。yasumiさんがここで示している方針の理解あるいは解釈などに関係しないZEROさんの振る舞いについては会話ページへどうぞ。--Ks aka 98 2009年6月27日 (土) 09:11 (UTC)
このサブジェクトの当初の内容から話が大きく広がりすぎているように思います。当初お話されていた編集方針の話に絞るべきかもしれません。--Himetv 2009年6月30日 (火) 09:45 (UTC)
そうですね、具体的な問題を起点にいろいろ引用していたので話が混在化してしまいましたが、編集方針の理解・解釈などに関係する話、及びそれらを受けた記事を成立させるための議論の仕方などについて、引き続きご意見を頂ければと思います。--Yasumi 2009年7月1日 (水) 11:00 (UTC)
ちょっとずつ時間が取れるようになりました。
Ks aka 98さんへ。「記事の内容の話をしたいならノートへ」という言い方をされてしまうと、元も子もないような気がします。この提案自体がすでに「記事の内容の話」になっているし、6月16日 (火) 10:03 (UTC)の提案にもまだ意見を加えたいところはありますが、どうやっても個別記事の内容と関わっての話になってしまうので、わたくしとしてはどうにも議論を進めようがないのです。『ウィキペディアのルールを守りつつ、各ページで状況を判断して考えること』以上に話が進展しようがないと思います。
あえて「記事の内容の話」をしないで、何か追加して言及するなら、注意すべきは『読者』という概念です。今回の議論に限らず、『Wikipediaにおける読者』の方向性って、根本的に真っ向から衝突しうるものです。そこを考慮しないで『(読者にとって)強い意味かどうか』とか『必要性/重要性』とか『読者の便宜』を語ってもしょうがないと思います。このあたりは前にも僅かに触れましたが、もう少し説明が必要でしょうか。--ZERO 2009年7月3日 (金) 04:41 (UTC)

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[編集] 自治体に「寄付」された楽曲の著作権の扱い

ノート:呉市#呉市歌でのコメントをきっかけとして、市歌の著作権についてご質問です。当該楽曲についての著作者について調査しておりますが、現時点で作曲者の没年が不明の状態です。また、同曲は1928年12月24日に市議会で議決され同月27日告示第209号にて告示されております。一方、○呉市歌(呉市公式サイト)によりますと『呉日日新聞社寄附』との記述がありますが、こういう場合、著作権を含めた楽曲使用のための諸々の権利をそっくり移譲されているという解釈で問題はないのでしょうか?識者の方のご意見をいただきたく思います。--しいたけ 2009年6月7日 (日) 09:15 (UTC)

[5]に拠れば曲については保護期間切れ、詞については権利者として松本清という名前があり無信託となっています。
呉日日新聞が公募したとかいうことなんじゃないかなあとも思いますが、昭和3年となるとプラーゲ旋風の前ということもあって、当時の権利意識や「寄附」が意味する契約の状況を外部から判断するのは難しいと思います。--Ks aka 98 2009年6月8日 (月) 07:34 (UTC)
  • (コメント)調査ありがとうございます。松本清さんについてはネットで検索する限りは、生没年や人となりについて一切引っかかってきません。もし公募などであれば、応募した一般人ということかもしれませんね。引き続き調査および、識者の方からのコメントを待ちたいと思います。--しいたけ 2009年6月8日 (月) 17:15 (UTC)
Ks aka 98さんが示されているJASRACのデータベースを見る限りは詞についての著作権は著作者が保持していることになりますね。ただし、「寄付」と言った場合著作権を含めて呉市に委譲されたとも解釈できます。まずは当事者である呉市役所に問い合わせてみてはいかがでしょうか。市のWEBサイトに歌詞も記載している以上、著作権については検討済みでしょうから。--アルビレオ 2009年6月8日 (月) 20:26 (UTC)

(インデント戻し)遅ればせながら、当該編集を行った利用者(慧生さん)に当議論および内容についての喚起を行いました。--しいたけ 2009年6月22日 (月) 14:46 (UTC)

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[編集] 記事が削除された後の削除と移動の記録について

お世話になっております。教えていただきたいことがありまして書き込みます。場所が違うようでしたらご教示ください。 実は先日、あるインディーズの歌手[6]の記事を作成したのですが、特筆性が弱く削除対応となりました。Wikipediaのトップページからは検索できなくなったのですが、URLとしては有効で直接前述のURLにアクセスするか、Google等で「川元清史」を検索してもひっかかってしまい、困っております。管理者には「戻す予定もないので一切削除してほしい」と伝えたのですが、削除と移動の記録は残ってしまうのでしょうか?消していただきたい場合はどうすればよいかを教えていただきたいのです。どなたか、よろしくお願いいたします。削除していただいた管理者に直接連絡できればよいのですが、ノートが保護されており、書き込みできませんでした。 --Liu jian yi miliner 2009年6月19日 (金) 14:04 (UTC)

Google等は、グーグル側のキャッシュが残っている間は表示されます。これはウィキペディア側ではどうしようもありません。削除のログと削除依頼ページは残りますし、将来十分な特筆性が得られ、復帰依頼が出された場合には復帰されることもありえます。--Ks aka 98 2009年6月19日 (金) 18:20 (UTC)
    • わかりやすいご回答、ありがとうございました。--Liu jian yi miliner 2009年6月19日 (金) 21:16 (UTC)

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[編集] メニスカスを立項してもよいでしょうか?

en:Meniscus (10 June 2009 at 09:41) を翻訳してメニスカスを立項しようとしたところ、次の警告文が表示されました。

警告: あなたは以前に削除されたページを再作成しようとしています。このページを編集し続けることが適切であるかどうか確認してください。参考として以下にこのページの削除と移動の記録を表示します:

  • 2006年5月30日 (火) 12:30 Suisui (会話 | 投稿記録) "メニスカス" を削除しました。 ‎ (白紙化前の内容: '[http://www.example.com リンクのタイトル]Media:Example.mp3'''強い強b.x:]l]:;s]hka,hl;.aehlnkpl@;:]elk:gltphoikgpl@r;:/T>h,ljnmklg;p:/...')

何があったのかこの削除記録だけではわかりません。メニスカスを立項しても大丈夫でしょうか?--Akaniji 2009年6月20日 (土) 03:15 (UTC)

その削除ログを見る限りでは再作成しても全く問題なしと思います。よろしくお願いします。--Su-no-G 2009年6月20日 (土) 03:23 (UTC)
了解です。ありがとうございます。--Akaniji 2009年6月20日 (土) 03:36 (UTC)

立項OKです。いい記事書いてくださいね。--関白さま 2009年6月20日 (土) 06:43 (UTC)

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[編集] Wikipedia:削除依頼/ログ/今週から目次が消えました

今日の0時以降からだと思いますが、Wikipedia:削除依頼/ログ/今週を開くと目次が表示されなくなっています。単日のページ(Wikipedia:削除依頼/ログ/2009年6月20日など)では従来通り目次が表示されるのですが、何かあったのでしょうか? --Izuharamasahiro 2009年6月20日 (土) 13:54 (UTC)

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[編集] ソックパペット? ミートパペット? それとも善意の第三者?

IP:220.4.250.227会話 / 履歴 / ログ / whoisさんに対する対応方法についてコメントを求めます。(井戸端でかコメント依頼かで迷ったのですが、必ずしも「利用者の行動についての意見募集」でない部分もあるので、こちらで質問させていただくことにしました)

  • 220.4.250.227さんは、こちらの発言からして、現在無期限ブロック中の利用者:喜連川一色家さんのブロック逃れのソックパペットであることが強く疑われており、以前にもソックパペット認定を受けてブロックされたことがあります。
  • その後220.4.250.227さんは、自分は喜連川一色家の一族(分家)ではあるが利用者:喜連川一色家その人ではないと主張されましたが[7]、上にリンクした発言内容(「お久しぶりです」「その節は大変おせわになりました」)から判断して私には到底信じられるものではありませんでしたので、Wikipedia:管理者伝言板に「ブロック逃れと」して報告させていただきました[8]
  • その後220.4.250.227さんは、Ks aka 98さんの問合せに答えて、次のように回答されました。
「利用者:喜連川一色家は私の叔父です」
「叔父より「Wikipediaは可変IPアドレスが同じだと同一人物と仮定してものごとを決めてかかる所や一部の常連の利用者と一部の不公正な管理者が自らに都合の悪い記事にはタッグを組んでブロックする」などの制御をかけることも聞いていますのでこのへんも是正していただきたい気持ちもあり、あえて[IPアドレスが同じ]職場の端末を使っています」(下線部はDwyが挿入)
  • 220.4.250.227さんの主張内容や編集傾向は、WP:NORに対する理解(無理解?)やDoripokeさんに対する謂れのない非難まで含めて、利用者:喜連川一色家さんのそれと全く同じです。私としては、二人が同一人物でないとは俄かには信じられないものがあります。
  • 仮に二人が別人だったとしても、無期限ブロックを受けている身内の人と同じIPアドレスを使用することが妥当なことなのか、非常に疑問に思います。(ご本人によれば他のパソコンもあるのに敢えて同じIPアドレスの端末を使っているとのことですが、他の人から見ればブロック破りと区別がつきません)
  • Wikipedia:善意にとるの精神から言えば、こだわりなく普通に220.4.250.227さんと議論を始めれば良いような気もしますが、万一「ブロック破り」であれば相手の手にまんまと乗せられてしまうのも不適切ではないかとも思います。220.4.250.227さんの編集等に異論がある場合、私としてはどのように対応すればよいのでしょうか?
  • ちなみに、220.4.250.227さんがブロック破りかどうかは、こちらの削除依頼でコメント権を認めるかどうかにも関わってきます。

皆さんのご意見を求めます。--Dwy 2009年6月20日 (土) 16:42 (UTC)

  • --利用者:Dwyさんのコピぺによる抜き出し方の不備を指摘させていただきます。同時にコピペ元([9])を提示すべきだと思います。文章は全体から捕らえて理解するものですからね。(「NHKのJapanデビュー」の編集じゃないのですから)、私はDoripokeを称する投稿者によりWikipedia内での無許可による当家個人情報の開示と他サイトのアンウィキぺデア?(あまりにもふざけたサイトでしたので)内で「喜連川騒動騒動騒動」なる記事を投稿し、wikipediaの現記事「喜連川騒動」を誹謗している事実を叔父に伝えたことを胆略して記述されているはずです。誤解がないようにお願いします。また叔父が、Ks aka 98さんに連絡した結果でしょうか?Doripokeによる該当ページは現在削除されています。その内容は当然、当時Ks aka 98さんが確認されていることと思いますよ。それと、WP:NORですが理科系の記事と文系の記事とは理解と判断の仕方が異なるものだと思います。特に歴史資料関係の二次資料であれば、特別な知識がなくても漢字字典があれば誰にでも読めるものですから、その確認も容易ですよ。一次資料の読みを歪曲・捏造した二次資料はダメですがねw出典により十分カバーできるものと思います。--220.4.250.227 2009年6月21日 (日) 06:41 (UTC)

どうも。ぼくの判断としては、今のところは独立した人格を持つ他者と捉え、ブロック逃れのブロックはしなくてもいいかなと思っています。ただ、資料の扱い方や方針の理解について、叔父さんと同じであり続けるのであれば、やがてブロックされることになるでしょう。手続きとして、投稿ブロック依頼にするか、管理者伝言板でソックパペットとして報告するかは、今後の対話の様子と、対話に参加されている方々の判断に拠る、ということになるのではないでしょうか。--Ks aka 98 2009年6月21日 (日) 07:29 (UTC)


  • ご苦労様です。管理者の一人であるKs aka 98さんの公正なご意見は概(おおむ)ね理解させていただきました。本文記事の削除依頼での論議については公正な判断ができる皆様におまかせしたいと思います。ただし、このノートの過去Log[10]ですが。どういった判断だったのでしょうか?公正なる管理者の一人である利用者:海獺さんの名をかたりながら、可変IP220.116.197.154を利用した者の行為の件です。つまり、このLOGを見た方には都合の悪い質問、会話記録(出典情報)を同時に削除した行為と映る可能性があります。私にはそのように思えました。ノートに提示された資料の記述内容が出典と異なる歪曲・捏造があるのであれば問題ですが、私も直接出典にあたった者ですがその様な箇所はありませんでした。私としては最後にこのへんのご意見をいただければありがたく思います。お忙しいとは思いますがよろしくお願いします。--220.4.250.227 2009年6月21日 (日) 09:24 (UTC)


ぼくは、全体的にブロックには甘めなほうですから、ぼく以外の方が、どのように判断するかは、それぞれの考え方によりますし、それらがすべて不当というわけではないでしょう。

ご指摘の差分[[11]]は、IPの人が、海獺さんを騙るのではなく、海獺さんの対処を報告し、ソックパペットの編集として編集除去をしているに過ぎません。2009-03-10T09:08:06、[12]を受けての2009-03-18T17:27:19でのブロックがあったことは確かですし、メーリングリストでの訴えはなかったように記憶します。当時のIPさんの編集が不当であるとはいえないように思います。Dwyさんが挙げている[[13]]や、ぼくの会話ページ[[14]]からは、220.4.250.227での書き込みが「利用者:喜連川一色家」さんによるものと同一と考えることは自然なことでしょう。ぼくも、自分の会話ページへの書き込みは、「利用者:喜連川一色家」さんによるものと捉えています。いつから甥っ子さんによる編集なのか、ご説明いただけると助かります。また、叔父さんはウィキペディアでの編集ができない状態にありますので、もし、最近も編集されているようでしたら、慎んでいただけるようお伝えください。--Ks aka 98 2009年6月21日 (日) 10:03 (UTC)

  • お忙しい中、ご返答いただき、ありがとうございます。可変IDの方が管理者の処置を報告するというのはあまり適正なことではないというのが私の感想です。管理者本人の報告が本来であったと思います。とはいえ、それはそれでKs aka 98さんのコメントの趣向は理解させていただきました。また、ご質問にありました私のWikipediaへの編集開始は本年二月からです。それと、叔父の編集は利用者:喜連川一色家のブロック以来、記事への編集はないようです。([15])をご確認いただければ明らかでしょう。昨年10月のHorlicks さんとKs aka 98さんへの会話ページへの叔父の書き込みは、明らかな礼状とお願いですね。本人にも確認してみましたが、やはり([16])での私のコメントの通りで「面倒が起こるからほっておけ」でした。とりあえずご質問の返答とご報告をさせていただきました。--220.4.250.227 2009年6月22日 (月) 09:34 (UTC)
しらを切っても喜連川一色家の靴下あるいは幇助であることはばればれですよ。ブロックされた利用者には発言権も編集権もありません。(会話ページ除外)--hyolee2 2009年6月23日 (火) 04:14 (UTC)
  • hyolee2さんの「しらを切っても喜連川一色家の靴下あるいは幇助・・・」は非常に不愉快な表現と受け取っています。喜連川一色家の個人情報が昨年Doripokeによるネット犯罪行為により公開されてしまったことをご存知でしょうか?そのことを知っていての発言でしょうか?彼の行為の過去ログは当方で保管済であり、警視庁上層部にいる伯父の協力を得て、Doripokeはすでに特定済です。あとは起訴するか否かの状態でしたが、その後Doripokeが自分で反省したのか活動を停止し問題ページを削除したのを確認したので許していましたが、また今回Doripokeが活動を再開したところから判断すると彼はまだ反省していないようですね。また、今回の記事の削除協議で、『日本一小さい大大名』の発刊もあり、事件の真実はネット以外でも解明され、広報されつつありますので私はWikipediaの編集からは手を引き、善良なるWikipwdia住人の皆様にゆだねることも表明したはずですよ。一方、叔父の編集妨害を繰り返し永久ブロックに導いた者が、なぜその後に喜連川騒動関係記事をアンウイッキペディア上に誹謗記事として編集し、さらに喜連川一色家を誹謗した上で個人情報につながるページを悪意でネット上に公開したのか?このへんの経過を確認した私には叔父のブロックでさえWikipediaコミュニティーの間違いであったと思っています。--220.4.250.227 2009年6月24日 (水) 18:25 (UTC)
Doripokeさんの行動に問題があると思うなら、起訴してもらうなり何なりご自由にしていただけばよいことですが、そういうことはあなたの行動をどう評価するかとは全く関係がありません。220.4.250.227さんは、叔父さんや自分に対してコミュニティから寄せられた意見を謙虚に受け止めるべきだと思います。
喜連川一色家さんがブロックされたとき、反対する人がただの一人もいなかったことを、どのようにお考えですか?また、以前からの経緯をご存知である管理者Ks aka 98さんが、「資料の扱い方や方針の理解について、叔父さんと同じであり続けるのであれば、やがてブロックされることになるでしょう」とおっしゃっていることを、どう受け止めていらっしゃるのでしょうか?口先だけで「公正なご意見は概(おおむ)ね理解させていただきました」などと言ってみても、反省が態度に現れていなければ、全然意味がありませんよ。
220.4.250.227さんを靴下だと100%断定することはできないかもしれません。でも、もし同一人物だった場合、「甥です」と呪文を唱えるだけでブロックの効果がなくなり、平気で編集に参加できてしまうのは、絶対におかしいです。また仮に別人だったとしても、叔父さんがブロックされたことを承知の上で敢えて同じIPから同じ主張を投稿し続けているわけですから、コミュニティを故意に混乱させた責任を問われるのは当然だと思います。
他言語版ではこういう場合どうするのか調べていたら、英語版にそれらしいルールがあるを見つけましたので、Wikipedia‐ノート:多重アカウント#「IPアドレスの共有」の節の持ち込みで導入を提案してみました。皆さんのコメントをいただければ、うれしいです。--Dwy 2009年6月24日 (水) 21:17 (UTC)
  • Dwy さん。先の私のコメント「今回の記事の削除協議で、『日本一小さい大大名』の発刊もあり、事件の真実はネット以外でも解明され、広報されつつありますので私はWikipediaの編集からは手を引き、善良なるWikipwdia住人の皆様にゆだねることも表明したはずですよ。」を読んでいらっしゃいますか?また、今回のことでWikipediaがより公正なものとなることを期待していますよ。叔父は自分のページ内でしっかりと実名を公表した上で堂々と事件に関する史実を考察しています。ゆえに、『日本一小さい大大名』の第三章で著者は叔父の考察を実資料にあたり検証し取り入れたのです。歪曲や改ざんを企む者が実名をネット上で公表すると思われますか?Wikipediaのコミュニティが表面のルールだけにとらわれるとどのような結果をもたらすのか?これもご検討いただければと思います。、『日本一小さい大大名』のリンク先も確認ください。--220.4.250.227 2009年6月25日 (木) 08:53 (UTC)
こちらの発言からすると、「Wikipediaの編集からは手を引き」などという気持ちは更々無いようで、かなりがっかりさせられました。
どうせ編集を続けるなら、根拠もなくソックパペットの疑いをかけた人たちにまず謝罪でもすれば良いと思うのですが、そういう気持ちも更々無いようです(私自身も疑いをかけられて、実は結構怒っていたりします)。
しかしよく考えてみれば、あれだけはっきりと「手を引き」と言い切っているからには、普通の神経ならそう簡単には戻って来れないような気もしますから、ひょっとしたら甥っ子さんではなく、どさくさに紛れて叔父さんが復活したのではないかとか、あるいは敷地が6町歩もあるというお屋敷にお住まいのご一族の中からまた別の方が出てきた可能性もあるかもとか、馬鹿な考えだとは思うものの、紛らわしいのを承知の上でIPを共用されてしまうと、外から見ている人には全く区別がつきません。そういう場合は、全部ひっくるめて同一人物と見做して良いことにしようというのが、Wikipedia‐ノート:多重アカウント#「IPアドレスの共有」の節の持ち込みの提案です。皆様のコメントをお待ちしています。--Dwy 2009年6月27日 (土) 20:28 (UTC)
  • 個人の行為ですので、ここに書くのは不適切かもしれませんが、このページの2009年6月24日 (水) 18:25 (UTC)の編集に対して、3つ疑問点があります。(以下、斜体部は当該版における件のIP氏の発言の引用)
  1. 喜連川一色家の個人情報が昨年Doripokeによるネット犯罪行為により公開されてしまったことをご存知でしょうか?」とありますが、伯父さんこと利用者:喜連川一色家は以前より個人情報を公開しています。小生はそこにリンクを張っただけなのですが、それがネット犯罪だといわれる理由が全く理解できません。このページによれば、いわゆる広告料を払って検索エンジンのランクを上げているそうですので、そこにリンクが張られることの不都合が理解できません。リンクを張られるのが嫌ならば、ネット上に公開をしなければよいのでは?(なお、現在当該サイトではN某なる氏名・住所等が掲載されていますが、真実性が疑わしいためリンクしません)
  2. 警視庁上層部にいる伯父の協力を得て、Doripokeはすでに特定済です。あとは起訴するか否かの状態でしたが」とありますが、なぜ東京都の平和を守る警視庁が関与するのかが理解できません。名誉毀損罪親告罪ですので、利用者:喜連川一色家の告訴がないかぎり捜査を行うことはないでしょうし、起訴を行うのは検察官(起訴独占主義)です。個人的にその警視庁の伯父さんとやらが私について調査を行ったとしたら年金記録ののぞき見以上の公務員犯罪です。(職務専念義務違反って話もありますし、信用失墜行為でもありますね)もし私の素性が解っているというのならば、自宅でも職場でもいいので直接連絡をしてください。(それ以前に法的脅迫はウィキペディアの方針に反しています
  3. なぜその後に喜連川騒動関係記事をアンウイッキペディア上に誹謗記事として編集し」とありますが、それはアンサイクロペディアではないでしょうか。そしてその誹謗記事とは「喜連川騒動騒動」と「喜連川騒動騒動騒動」のどちらを指しているのでしょうか。(後者は削除済みです)なお余談ですが、喜連川騒動騒動は私以外の編集者によって大幅に改稿され、必要以上に(ほめ言葉)充実しています。220.4.250.227さんも編集に参加していますが、どうしてこっちではリンクを削除しているのに、こっちでは同じサイトへのリンクを追加しているのですか?(伯父さんとおぼしきN某なる人物のフルネームが公開されています

以上3点、きっちりお答え下さい。回答をブロック依頼とWikipedia:削除依頼/二階堂主膳助への賛否の参考にさせていただきます。--Doripoke 2009年6月29日 (月) 11:27 (UTC)

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[編集] 管理者の方の意見をお願いしたい

Wikipedia‐ノート:スタブカテゴリ#スタブカテゴリの名称統一改名提案で改名提案をしていますが、議論が完全に平行線であり、かなりイライラしています。管理者の方が誰も議論に参加してくれません。管理者の方の意見をお願いしたいです。--Rain night 2009年6月21日 (日) 05:57 (UTC)

管理者が絶対権力者というわけでもありませんから…。平行線なら他の意見を広く募集するためにWikipedia:コメント依頼してみてはどうですか?イラ付くこともあると思いますが、今回の件をざっと見たところ、多くのCategoryに影響する議論のようですし、十分に時間をとる必要があると思います。--アルトクール 2009年6月21日 (日) 06:39 (UTC)
コメント コメント Rain nightさん、お気持ちは分かりますが、感情的な発言をしても大概いいことはありません…。私は当該議論を承知しているので言わんとされていることは分かりますが、そうでない方も多数参照している井戸端で、単に「議論が完全に平行線」というだけで管理者の方に議論参加をお願いするのはちょっと違うのではないでしょうか。(一般利用者ではなくて)管理者の方に議論参加をお願いする理由を示された方がよいと思います。--Penn Station 2009年6月21日 (日) 11:27 (UTC)
管理者の経験がないと分からないことと言えば、使われなくなるカテゴリを削除する手順の作業量ぐらいのものでしょう。(1) 履歴を確認して (2) 削除しても構わない版ばかりであることを確認して (3) リンク元を見て (4) 必要であれば各リンク元の内部リンクを訂正して (5) 親カテゴリ・子カテゴリを見て (6) 必要であれば親子カテゴリの関係を訂正して (7) カテゴライズされている記事についてカテゴリ名の訂正をして (8) 「削除」をクリックする 、というのが一つのカテゴリを削除するために必要な流れになります。(7) は bot か一般ユーザーさんでもできます。(4)、(6) は一般ユーザーさんでもできます。残り (1)~(3)、(5)、(8) は削除する管理者自身が行う必要があるでしょう。この作業をざっと 300~400 個のカテゴリで行うということです。この説明をもって、あとは特に管理者の議論参加を要請する意味は感じません。--Su-no-G 2009年6月23日 (火) 03:52 (UTC)
かなりイライラし感情的になりそうなので一週間ほどネットを休みました。管理者の方のご意見が頂けないことが残念です。こういうケースは合意形成するには投票しかないのでしょうか。--Rain night 2009年6月29日 (月) 03:17 (UTC)
管理者です。管理者は議論を仕切る権限も決定する権限も持ちませんし、その意見の重みも他の利用者と変わるものではありません。ここで、こうやってお答えしていることも含めて、管理者が参加したところで、たいして意味はないんです。大規模な変化を伴う提案は、さまざまな視点からの議論参加者の合意を得る必要がありますから、そうそう思い通りに議論が進むものではありません。それぞれの意見を受け入れながら、忍耐強く説得力のある意見を述べ、落としどころを探ってみてください。合意が得られないなら、取り下げることも考慮すべき選択肢です。権限の行使に関わる削除についても話が出ていましたが、分野ごとの執筆者の合意を得て、どのカテゴリを削除すべきかということを確定し、はりかえ作業を行なう目処が立ったならば、削除依頼をしてください。作業量は、かなりありますが、合意の上での依頼であれば、何らかの形で対応することになるでしょう。再度元のカテゴリ名に戻すようなことは避けていただきたいと思います。--Ks aka 98 2009年6月29日 (月) 14:35 (UTC)

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[編集] オープンププロクシについて

このページを拝見してもイマイチ「オープンプロクシ」という単語の意味が分からなかったのですが、どういうものがオープンプロクシなのか具体的に教えてくれませんか。--Kingofclub13 2009年6月25日 (木) 08:24 (UTC)

公開プロキシの項は読まれましたでしょうか?(当該記事中には「公開あるいは匿名のプロクシ」で内部リンクが張られている奴です)。公開プロキシがわからないというなら、今度はプロキシを調べてみてください。--EULE 2009年6月25日 (木) 10:45 (UTC)

お答えいただきありがとうございます。--Kingofclub13 2009年6月26日 (金) 13:38 (UTC)

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[編集] 連絡

下のほうのテンプレートの展開でエラーが出ていたため、一番上のテンプレートを除去しました。除去した話題は、Wikipedia:井戸端/subj/「函数/関数」など複数の表記がある語の扱いです。--ひゃくまんこのしあわせ 2009年6月25日 (木) 11:58 (UTC)

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[編集] 編集態度の問題を指摘したユーザーがこのような行為に出た場合

一応コメント依頼も出してあるのですが、ご意見を拝聴したく。当方が会話ページへの方針確認分の設置[17]のような指摘を行った後に、該当のユーザーさんがこういう行為[18][19]に出られた場合、どうしたものかと迷っております。正直、こちらの指摘も刺々しかった訳ではありますが、全く無関係な記事における事柄まで持ち出してこられると、さすがにスピード違反者の逃げ口上のようで、どう取り合って良い物か。一人で対応しようとしても揚げ足取りの応酬に終わってしまうかとの危惧もあります。--ひゃくじゅうご 2009年6月26日 (金) 13:55 (UTC)

まあ、詭弁(関係の無い事物を引き合いに出して話をそちらに摩り替える)を弄して自己弁護を試みてるんだとしたら、もはや「アレ」な訳ですが、本気で言っている(詭弁ではなく率直な意見として)のだとしたら、「その話は該当ノートページで提起する問題で、ここで議論する事柄ではない」旨を通知するほうが良いと思います…まあ、Wikipedia:善意にとるの立場としてですが。ただ、議論の過程で関連する形で各々の記事が出てくるならまだしも、全く連続性も無く突発的にそれらの記事を引き合いに出した時点で、善意に取り難く「アレ」な案件になって行くような。「アレ」が何かは聞かないでください。
いずれにしても、出典や検証可能性はそれを事実かどうかという観点で調べる際に手助けとなるもので、第三者がおそらく記述者がたどった経緯とは別となる資料をあたっても概ね同じ結論に達するなら、少なくとも事実として「百科事典的説明」とみなすこともできる訳ですが、何処をどう調べても記述内容を肯定する結論に至れないとか、事実関係を逸脱して勝手なことを書き綴っている(非NPOVなど)なんて場合もあり、一概に検証可能性を満たしていないとは言っても、その水準には様々なモノが含まれ、ちょっと調べりゃ明らかに事実と判るようなモノと、調べりゃ調べるほど疑わしい記述とを同列に論じることもできませんね。して後者(調べるほどに疑わしい記述)は「削除されても仕方が無い」訳ですし、それを「関係の無い記事を引き合いに出してまでして自身の行為・記述を擁護する行為」(“話題逸らし”的な行為)は、コミュニティを疲弊させるだけだと考えます。--夜飛/ 2009年6月27日 (土) 12:19 (UTC)
指摘されている本人ですが、別に詭弁とは思っていませんし、同様の事例があったから訊いたまでです。
「E電」という言葉が一般に使われていないのは日本人なら誰でも納得することと思いますが、このようなことを検証する方法があるのでしょうか?
自衛隊装備の公募愛称が現場で使われていないのも、自衛隊員なら全員納得することと思いますが、それも同様のことではないでしょうか?もし、検証できないから削除するというなら、公募愛称が使われているような誤解を与える文章も削除するのが、信頼できる百科事典ということにならないでしょうか?
自衛隊や武器関係の記述は、自衛隊のWEBサイトに掲載されている程度の最低限の情報に統一するくらいにしないと検証可能性はみたせないのではないかと思います。専門雑誌に記述されているとは言っても、新聞などどは比べ物にならない信頼性の低さと思いますし。--Type64r 2009年6月27日 (土) 12:45 (UTC)
E電が一般に使われていない事の資料は結構あるのではないかと思います。「05月13日 JR東日本が首都圏の「国電」を「E電」に改称すると発表。」--110.1.191.253 2009年6月27日 (土) 17:17 (UTC)
コメントと資料提供、有難うございます、こういう事態は当事者間だけでやっていると平行線で徒労に終わりがちなのでありがたいことです。Type64rさんが方針を正常に理解できていないのが明らかな言動を繰り返した(いまだに繰り返しているけど)挙句に何らの脈絡も無くああいう行動に出られたので判断に迷いちらで第三者の意見を聞いてみたところですが、それでは、単に方針への理解が正常な段階に至る途上にあるユーザーさんからの提案として可能な限り善意に受け取り、そのうち時間を見て該当のノートでも作業に着手することにします。いつになるかはこちらの自由ですけど。
それよりも、Type64rさんがきちんと方針文書を読んで、ご自身でE電のノートに提案されるなり作業されるなりするのが早いし、有益だと思いますよ。そうすれば方針への理解もおのずと深まるでしょう。検証可能性は、解説さえきちんと読めれば理解可能なごく簡単なルールですから、ことさら詳しいユーザーや方針にうるさ型のユーザーでなくても、上で資料を出してくれている利用者110.1.191.253さんのように、手助けしてくれる人はいます。
いずれにせよ、残念ながらType64rさんは検証可能性への理解がまったく進んでおられないままなのが明らかになってしまいました
「自衛隊装備の公募愛称が現場で使われていないのも、自衛隊員なら全員納得することと思いますが、それも同様のことではないでしょうか?もし、検証できないから削除するというなら、公募愛称が使われているような誤解を与える文章も削除するのが、信頼できる百科事典ということにならないでしょうか?」という主張は意味不明です。自衛隊員なら全員納得することと思いますというのは、(根拠となる資料を提示することなく主張されている段階では)Type64rさんの都合の良い憶測の段階から脱却していないうえ、独自研究の方針が述べるところの「一次資料を直接ウィキペディアで公表すること、たとえば投稿者自身の体験の記述や、投稿者が行ったアンケートやインタビューなどを掲載する事は独自研究にあたり許されません」という、まさにコレです。
仮に誰かが「俺は自衛隊で働いていたとき、公募の愛称を使っている隊員を何人か見たぜ!俺が自衛隊で働いていたことも、愛称を使っている隊員の実在も証明する術なんか無いけど、これはホントだぜ!自衛隊で働いた経験のあるやつならみんな納得してくれると思うよ!」なんて主張したところで、こんなものは通りません。常識的になんていう主観に基づく都合の良い見方を持ち出すまでもなく、まさにどこの誰とも知れない人物による自主公表でしかなく、(根拠の明示できていない現段階における)Type64rさんの主張はこのレベルのお話です。
が、陸上自衛隊の公式ウェブサイトの装備紹介コーナー[20]をご覧になれば一目瞭然で、高機動車=疾風のように、公募による愛称を自衛隊が広報活動の一環に使用している事実が容易に確認できます。公式ウェブによる広報と各自衛官個人を「現場の」という言葉で峻別しようとすることも無意味です。現場の定義自体、個人の考えによって都合よく変容できるのです。
  • >専門雑誌に記述されているとは言っても、新聞などどは比べ物にならない信頼性の低さと思いますし
これも同様です。「信頼性低し」と判断を下すのは個人の主観に基づいたものであり、検証可能性の解説が述べる 「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」とは関係が無いことです。その専門雑誌とやらが、査読や編集を経ない自費出版物などで無い限りは。
同じ事をなんどか言わせて貰っていますが、Type64rさんには検証可能性独自研究は載せないの解説文に目を通していただくことを勧めます。理解が進むまで何度でもです。そうすれば、E電の事例のように自らの理解不足を晒しながら作業を他人に要請するまでもなく、ご自身で着手することもできるようになるでしょう。--ひゃくじゅうご 2009年6月28日 (日) 09:29 (UTC)
では、例えば89式小銃の項には「一般公募により「バディ」の愛称があるが、部内では「ハチキュウ」の通称もある。」とあり、「もある」という文章からは部内でも「バディ」が愛称として使用されているようにも取れますし、「ハチキュウ」と呼ばれている出典もありませんので公募愛称の「バディ」だけにして、ほかの項目でもすべて併記は止めて公募愛称のみにしたほうが良いですね。愛称一覧については、統合するにせよしないにせよ、検証できる公募愛称のみにして、ほかのすべての装備の説明でも部内愛称は一切書かないようにするべきとおもいますので、よろしく。--Type64r 2009年6月28日 (日) 12:11 (UTC)
広報紙(誌)・隊内紙・専門紙(誌)等の記載であれば、公募の有無にかかわらずWikipedia:検証可能性を満たしていると考えます。実際に使用されていないと思われる場合は、「XXXではOOOと報じられている」等の記載にすればよいでしょう。逆に現場で使用されているが記載が確認できないもの(スパロー (ミサイル)の「セブン」など)については言及しないでおけばよいと考えます。(どんな愛称であれ、そもそも部内で愛称を広報担当者以外が使うとも思えないのですが、そのあたりはType64rさんは如何お考えでしょうか?)--Himetv 2009年6月29日 (月) 10:46 (UTC)

スピード違反して捕まって、「俺の前を走っていた奴も同じスピードだった、何故捕まえない、不当逮捕だ!」と叫んでも無罪にはならないように、別件の問題を持ち出したところで、あなたがやっていることが正しいことにはならない。--EULE 2009年6月29日 (月) 01:41 (UTC)

広報紙(誌)、隊内紙はともかく、専門雑誌は明らかな間違いなども散見されますが、その間違った記事に基づく記述がウィキペディアに記載され、間違っていることを証明できない場合はどうなるのでしょう?
タブロイド紙などの記事からは積極的に載せるべきではない旨の説明もありますが、日本のマニア向けの雑誌とタブロイド紙に信頼性について大差があるとも思えませんが。
愛称も公募愛称については広報が部外向けに使う以外は、誰も使っていないと思いますが、それも検証は誰にもできないでしょうね。もしやるなら、陸自隊員20万人全員に誰かがアンケートして検証可能なメディアで発表しなければならないんでしょ。--Type64r 2009年6月29日 (月) 13:27 (UTC)

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[編集] 中途半端に日本語になっている記事の処理について

恐らく中国語から翻訳を試みたのだと思いますが、一部を除いて日本語になっていない記事を見つけてしまいました。まずは、その記事を御覧ください。

この状態で、2ヶ月以上放置されています。漢字が使われているので、日本語を読解できれば何となく意味は判る状態ではあるのですが、日本語版のWikipediaの記事としては、現状のままでは問題があるのではないかと思います。ただ、これをどのように処理すれば良いのか、私には判りません。どうすれば良いでしょうか?--G-Sounds 2009年6月26日 (金) 18:34 (UTC)

Himetvさんが現在修正追加を進められていますが、G-Soundsさんもこの記事を充実させてゆけばよいと考えます。Wikipediaの記事は皆で作るものですから。--金銀蝋 2009年6月27日 (土) 06:28 (UTC)

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[編集] Macのコマンド記号の表示について

私のパソコン(Windows XP)ではMacのコマンド記号が表示されず、コマンドキーの項目の表示がおかしくなります。Help:特殊文字では別に出し方が記述されたなかったのですが、どのようにすれば表示されるのでしょうか。--6144 2009年6月27日 (土) 23:42 (UTC)

Mac PCを使ってウィキペディアを閲覧すれば表示されます。--草薙 2009年6月28日 (日) 08:12 (UTC)
私のWindows XP Home SP3+Firefox 3.5β+IPA フォントで正常に表示されますが--220.148.226.99 2009年6月28日 (日) 08:28 (UTC)
Windows XP の場合そのままでは表示されません。
  1. ウィンドウズアップデート(http://windowsupdate.microsoft.com/) で 「MS ゴシック & MS 明朝 JIS2004 対応フォント (KB940157)」をインストールしてください。
    日本語版以外の Windows XP をお使いの場合は、http://www.microsoft.com/japan/windows/products/windowsvista/jp_font/jis04/default.mspx のリンクよりダウンロードしてください。
  2. IE6 をお使いの場合そのままでは表示されませんので、IE7 もしくは IE8、Firefox 3.x 等のブラウザで閲覧してください。
以上で表示されるはずです。--Lemonsquash 2009年6月28日 (日) 15:25 (UTC)
上のアドバイスにしたがってフォントをインストールしたところ表示されるようになりました。大変ありがとうございます。--6144 2009年6月29日 (月) 11:51 (UTC)

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[編集] 静岡県知事選挙の選挙期間中ですが

静岡県知事選挙の選挙期間中ですが、候補者によって編集に差異があるようです。出典を明記していない中立的とは言えない記述が、告示後も書き込まれ放置してある候補者を見かけます。わたしは初心者なのでどうして良いか分かりませんが、ウィキペディアが選挙の道具の利用されているようで、その在り方が危惧され投稿しました。--125.197.91.86 2009年6月28日 (日) 07:05 (UTC)

そもそも、選挙期間中にこのような(虚偽の)記載をすることは、公職選挙法上の選挙妨害にあたるのでは?--125.197.91.86 2009年6月28日 (日) 13:10 (UTC)

選挙の候補者かどうかとは関係なく、「出典を明記していない中立的とは言えない記述」はWikipedia:存命人物の伝記がありますので問答無用で除去してしまえばよいかと。なお少し古いログになりますが、郵政選挙の頃の井戸端の過去ログにWikipedia:井戸端/subj/公職選挙法とウィキペディアというのがあります。ご参考までに。もうちょっと最近にも話題に出たことある気がするんですが、、勘違いかも。確かに国政選挙はこれ以降参院選1回しかなかったしなぁ。--122.29.83.144 2009年6月28日 (日) 23:44 (UTC)

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[編集] 投稿ブロック依頼・調停機関について

投稿ブロック依頼を出された被依頼者は、事実関係などについての誤った書き込みについて反論してはならないのでしょうか?事実と異なる書き込みを前提にブロックを判断されることは人民裁判にあたるように思われます。また、係争中の記事に関して他言語版のように調停してくださる機関があれば係争中の記事の反対論者たちからブロック依頼を出されるということがなくてよいと思います。皆さんどう思われますか?--Chichiii 2009年6月30日 (火) 00:15 (UTC)

「事実関係などについての誤った書き込みについて反論して」もいいと思います。Wikipedia:投稿ブロックの方針#通常の投稿ブロック依頼手続きでは被依頼者はコメントできることになっていますから。ただ、反論と称して論争するとか、言い訳に終始するなどは嫌われます。--日輪 2009年6月30日 (火) 00:51 (UTC)
投稿ブロック依頼を見ましたが、反論が除去されるのは書き込む位置が理由だと思います。各投票ごとに長文レスを付けると非常に見難くなるので、審議妨害と言われてしまいます。投票の節ではなく、被依頼者からの節でまとめて反論すれば良いのではないかと思います。
調停については、コメント依頼を利用して各記事のノートへ他の利用者を呼び込めば解決する事もあるようです--219.105.96.134 2009年6月30日 (火) 01:01 (UTC)
日輪さん、219.105.96.134さんのご指導を参考に記載方法を変えてみました。ご指導ありがとうございます。--Chichiii 2009年6月30日 (火) 02:29 (UTC)

[編集] ウィキプロジェクト中国の後継主催者募集

2008年より1年以上活動してきたWikipedia:ウィキプロジェクト 中国ですが、PJ非参加者よりプロジェクトノートで「今後は大人しくしない」という不穏当な発言があり、その発言の原因が発起人の私の不徳の致すところですので、無駄な誹謗中傷合戦を回避するためにも発起人を辞退させていただきます。ただし中国関連記事は当該プロジェクト内容に依拠して作成してきましたし、また作成されておりそれなりに統一性が確立しつつある現状、どなたか有志の方に主催者として今後運営していただきたく皆様にご通知申し上げます。--Yonoemon 2009年7月1日 (水) 08:19 (UTC)

感情的になられているようです。わたしも、会話ページでは出典を出してくださいといっただけで常識がないとバカにされ、頭にきていたのは事実です。ともあれ、一旦両者の間の議論は中止し、片方が片方の参加している議論や審議に出向いたり、といったことも中止し、クールダウンをはかるべきと思います。反応がない場合でも、わたしは一ヶ月程度そのようにさせていただくつもりです。--Clarin 2009年7月1日 (水) 08:31 (UTC)
上記は不穏当な発言を敷衍するつもりなのしょう。こちらは感情論でも議論でもなく、単に不穏当な発言があったり、1年以上経過しかにも関わらず「発起人」という文言に拘って削除するなどの行為に、今後私によるプロジェクト運営は無理と判断したことを宣言したまでで、議論や調停を要望するものではありません。したがって第三者からのコメントは不要です。--Yonoemon 2009年7月1日 (水) 08:42 (UTC)

Clarin氏との協議の結果、双方が不適切な発言を撤回及び陳謝し今後も協力して編集作業を行う意思が確認されましたのでこの議論は継続不要であると考えます。双方でコミュニケーションを重ね、その主義主張を冷静に判断できなかったことは不徳及び知識不足のなせる業とも言えますが、今度は同様の問題を繰り返させることなくClarin氏との間でのコミュニケーションを構築し、東洋学関連項目へ整備を行いたいと思います。短時間で問題解決に至ったことに安堵すると共に、無用の議論を惹起させましたことを皆様に陳謝いたします。--Yonoemon 2009年7月1日 (水) 16:01 (UTC)

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[編集] 名称が不適切なリダイレクトの処理手順は?

葛西 (架空の人物)ろくでなしBLUESへのリダイレクト)の取り扱いに悩んでいます。括弧つきで有用なリダイレクトではありませんし、葛西という架空の人物は他の作品にもいるので名称不適切に思えます。履歴をみると、統合でできたリダイレクトのようです。このリダイレクトの削除を依頼したいのですが、Wikipedia:リダイレクトの削除依頼に出してもいいのでしょうか? それともリダイレクトの削除依頼ページに書かれている「リダイレクトの版(リダイレクト先は問わない)」および「Wikipedia:即時削除の方針に該当する版」のいずれにも該当しない版が履歴内に一つでも含まれているリダイレクトの削除は扱いません。と考え、Wikipedia:削除依頼の方に出すべきでしょうか?--蒲生直義 2009年7月2日 (木) 14:40 (UTC)

初版などに通常の記事[21]が含まれていますので、通常の削除依頼が妥当かと思います。なお、ページを統合してリダイレクト化したページであれば、本来ならば履歴の統合等の問題がありますが、当該記事は統合といいつつも、実際には葛西 (架空の人物) の内容をろくでなしBLUESへ統合しておらず[22]、要約欄に統合元の記述もないことから、そのまま削除依頼に出せるのではないかと思います。もし間違っていたらすみません。--Mugu-shisai 2009年7月2日 (木) 16:00 (UTC)

[編集] 「曖昧さ回避ページは基本的に不要」議論のお知らせ

かなり広範な分野に亘る問題かと存じます。以下のページへの幅広い編集者の皆様の御参加をお願いしたく存じます。

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[編集] 「ローカルルール」について

他のノートページで書いたのですが、怒られたので井戸端にて提言します。

ウィキペディア日本語版ではちょっと先走った編集があるとすぐに性急な編集だ、こういうのはローカルルールで禁止すべきだという方向になりがちのように思います(個人的にはこうした編集は通常の編集や検証可能性 など既存の方針をもって対応すべきと考えます)。しかもこうしたローカルルールは一度定められると、見直しや廃止は連載(放送)終了までまずなされません。こうなると自由な編集が著しく制限され、記事の成長が妨げられてしまいます。ちょっと困ったことがあるとすぐローカルルールというこの悪しき慣習は変えられないものでしょうか。--Avanzare 2009年7月3日 (金) 13:22 (UTC)

サブカル分野の事情は詳しくなく、ローカルルールを設けようとする一部の習慣をなくす効果的な方法も分かりませんが、分かっていることのみコメントします。ご存じかもしれませんが、現在Wikipedia:性急な編集をしない廃止提案がなされています。もし廃止になれば、少なくともこれに基づくローカルルールは根拠を失うのではないでしょうか。--Penn Station 2009年7月3日 (金) 13:45 (UTC)
コメント コメントウィキペディアでは困ったときにはローカルルールを作って解決しましょうという方針やガイドラインはないのですから、作らないでいいとか、記事の成長を妨げないような形にもっていくことを考えるとか、個別にやっていくしかないと思います。
全体的に、ルールを作らないといけない、決めたらそれを守らなければいけない、という風潮があるようには思います。それは、いちいち対応することを放棄して、わかりやすく排除しようということではあるけれど、同時に、労力を軽減しているということでもある。ついつい性急な編集が起こりがちな記事では、執筆者のコミュニティによって自制的に振舞う、というのも、信頼性を保つなどといった点では、重要だったりします。結局は、その記事に関与している執筆者のみなさんがどういう姿勢で臨むかってことの反映というか。
先走った編集があった時に、なんでそれがウィキペディアでは求められないのか、というのを、その執筆者に対して説明して理解してもらえれば、ローカルルールはいらないし、記事の発展に協力してもらえる執筆者が増えるということになる。というわけで、まずは、その説明するという作業を、自分で担ってみる、というところから、こつこつとやってみるというのが、ひとつの解決法だと思います。大変だけど、それをやらなきゃ、とも思う。--Ks aka 98 2009年7月3日 (金) 13:56 (UTC)