Wikipedia:井戸端/subj/ある概念や事実を一つの文章にまとめられた記事の扱いについて

ある概念や事実を一つの文章にまとめられた記事の扱いについて[編集]

以前、コメント依頼に提出した話題[1]に関することですが、あまり意見が得られなかったので、こちらで失礼します。前回のコメント依頼における経緯は、ノート:淫蕩#コメント依頼20110629をご覧ください。

今回は議論の範囲を少し拡大して、「ある概念や事実を適切な形で一つの文章にまとめたものの、それを表す適切な項目名がすぐには想起されない場合どうするか」という内容について相談させていただきます。

衝突の発端は、項目名の解釈の相違にあります。私は2011年1月から3月ごろになされた大幅加筆[2]を尊重し、当該項目を「性的に奔放な人々、およびそれに関する文化や習俗」について一つの読み物としての存続の道を探りました。一方で、対立するIP諸氏は、当該項目が持つ辞書的な定義である「酒色にふける」「飲酒・博打・売春」といった意味の解説に限定すべきという信条の下、態度を頑なにしています(参照:[3][4][5])。

参考に、それぞれの立場が推している版をここに提示します。

もちろん、一方の立場が正しくて、もう一方の立場が間違っているなどと、一元的な判断は求めません。ただ、一連の加筆は、百科事典の文章として有意なものであり、項目名との多少の食い違いがあるというだけで、全ての記述を機械的に不可視化して無為なものにしてしまう、IP諸氏の態度は、協同作業を是とするウィキペディアにおいて、建設的なものとはいえないと思います。--Damena 2011年7月25日 (月) 00:46 (UTC)[返信]

項目名の解釈の相違とかってことじゃなくて、独自研究にならないよう検証可能性を満たしているかどうか、という点で二つの記述は異なります。Damenaさんが推す内容を、情報源を示しながら書けばよい。ある概念や事実を一つの文章にまとめる前に、信頼できる情報源において、その概念や事実がどのような名称で用いられているかを確認していないのであれば、「適切な形でまとめた」とは言えず、まさしく独自研究であり、ウィキペディアでは受け入れられないものとなります。--Ks aka 98 2011年7月25日 (月) 03:37 (UTC)[返信]
自分としては 2011年6月28日 (火) 23:39 (UTC) の版の方が適切だ思います。本記事のような概念もの、「xxの歴史」、「hogeにおけるhuga」などは、執筆者が裾野を広げようと思えばいくらでも広がります。Wikipedia の内部的にはある程度分量のある記事が評価される、という事情もあるのでしょうが、拡張されすぎて主題の輪郭を損なっている記事もあると感じます。もちろん長い記事全てがダメというわけではなく、利根川のように出典・内容が厳選され、良く構成されて尚長い記事もあります。しかし 2011年7月24日 (日) 08:42 (UTC) の版は、解釈の拡大・合成の結果として前述のような悪い面が目立ちます。「ある程度の解釈の合成は仕方ない」のではなく、このような記事の執筆に際してこそ、情報の合成に細心の注意を払うべきだと思います。その点でIPの人は言葉や態度は悪いですが、内容的にはそんなに変なことを言っているようには見えません。定義の精査や適切な記事への転記の提案などは、むしろ建設的だと思います。- NEON 2011年7月25日 (月) 03:54 (UTC)[返信]
Ks aka 98さん、NEONさん、ご助言ありがとうございます。もちろん各々の執筆者の方の努力と善意は尊重されるべきですが、それと同時に記述として百科事典として積極的に受容されるためには、周到な資料の渉猟と精緻な検証作業を欠かすことができないということですね。記事を包摂される上で誰からも批判を受けない状態にするために、初心を忘れないようにすることが重要ということがわかりました。せっかくの機会ですのでもう少し他の方のご助言も募集したいと思います。--Damena 2011年7月26日 (火) 01:13 (UTC)[返信]
当時は当然だったのであれば、何でも淫蕩と分類するのはおかしく、殆どの内容が性風俗のページに、出典付のものをいくつかピックアップして収録、リンクすれば解決ではないですか。--Dictionwolf 2011年7月26日 (火) 14:44 (UTC)[返信]
Dictionwolfさんのご助言によると、内容の転記によって記述の温存を図ること可能ということですね。適材適所に記述を配置し調整を行えば、NEONさんがおっしゃるような「拡張されすぎて主題の輪郭を損なっている」という心配もなくなるというわけで、実は当該IP氏にも同様の発言があります[6]。記述が不可視化された状態で果たしてその作業を誰が行うのかという問題もありますが、原理的には「出典を示す責任は、ある編集を行った執筆者、またはその編集を残すことを希望する執筆者にあります。」ということですし、以前コメント依頼を提出したときにほとんど人手が集まらなかったこの過疎状況を鑑みると、(私にそれを実行する能力があるかという問題は別として)私自身が責任をもって内容転記を行う必要がありそうです。ご助言ありがとうございます。さまざまな貴重なご意見が得られましたが、ウィキペディアの長い歴史の中で同様の状況を経験された方がまだまだおられると思います。引き続き、ご意見、募集いたします。--Damena 2011年7月26日 (火) 22:44 (UTC)[返信]
温存というか、単なる転記ではなくて、記述してくれた方がいくつかの出典を使いつつも、結局自分で勝手に解説してしまっている部分が多々あるので、挙げられた出典を読みつつ、当時の性風俗の説明用として多くは再構築となると思います。 基本的に出典にすなおに沿っていれば、脚注にゴタゴタ書く必要はないし、光源氏がどうのこうのと言っても、架空のキャラクターですからね、外人が読んで誤解する書き方になってます。あわてずじっくり取り組んだ方が良いですよ。--Dictionwolf 2011年7月27日 (水) 13:01 (UTC)[返信]

最後にコメントをいただいてから2週間以上経過しました。そろそろ私自身が上記の責任を果たさなくてはなりませんが、正直私の能力不足のせいで項目の改善の目処が立ちません。少なくとも現状の版(差分)においては、WP:SELFと照らし合わせて問題があると思われます。何らかの形で修正を試みたいのですが、何かアドバイスをいただければ幸いです。--Damena 2011年8月12日 (金) 23:56 (UTC)[返信]

主体性を欠いた対応で恐縮ですが、先ほどWikipedia:修正依頼に当該項目を提出したことをもちまして[7]、井戸端での議論を閉じさせていただきます。なお、上記WP:SELFに関しては、既にNEONさんによって修正がなされています[8]。--Damena 2011年8月23日 (火) 03:47 (UTC)[返信]