WWE統一世界王座
WWE統一世界王座 (WWE Undisputed Championship)とは、アメリカ合衆国のプロレス団体WWEに、2001年12月9日から2002年9月2日、2011年8月14日から2011年9月18日まで存在していた王座である。WWF王座とWCW世界ヘビー級王座(2011年では2つのWWE王座)を統一したものである。「統一王座」または「統一世界ヘビー級王座」とも呼ばれる。
概要
2001年12月9日にWWF王座とWCW世界ヘビー級王座の統一によって生まれた王座である。この王座を保持した選手(下記)は、プロフィールに「統一世界王座獲得」と記載されるが、公式な記録としてはWWEの創設時から現在までの看板王座であるWWE王座の記録として扱われる。
原語に含まれる英単語の「Undisputed」は本来「論議の余地がない」という意味である[1]。2つの世界王座を統一している「文句の付け様の無い王座」という意味で「統一王座」となる。「Undisputed」が「統一」の意味として使われる他の例としては、ボクシングにおいてWBAとWBCのタイトル等を同時に保持する王者が「Undisputed Champion」と呼ばれている[2]。なお、世界タッグ王座とWWEタッグ王座が統一されたWWE・統一タッグチーム王座(2009年4月5日~2010年8月16日)は、2つの王座を保持する文字通りの「Unified(統一)」という単語が使われている。
歴史
2001年3月、WWEはそれまでライバル団体であったWCWを買収した。その結果多くのWCW所属選手がWWEに移籍し、同時にWCWの王座もWWE内に流入、WWEの管轄となっていた。
しかし時が経つにつれ、WCWの王座はWWEの王座に吸収される等して消滅して行き、最後には看板王座のWCW王座が残るのみとなり、この王座も11月以降「WCW」の名称が消され、「世界王座」のみで呼ばれる様になった。
そして同年の12月に開催されたVengeanceで、WWF王座を保持していたスティーブ・オースチンがカート・アングルと、WCW王者であったザ・ロックがクリス・ジェリコとそれぞれ防衛戦を行い、防衛に成功したオースチンとジェリコによって王座統一戦が行われ、勝利したジェリコが初代統一世界王者となった。この時点でWCW世界王座は消滅し、その長い歴史に幕を下ろした。
2002年3月に行われたレッスルマニア18でトリプルHが2代目王者となったが、直後に団体略称が「WWF」から「WWE」に変更になったためWWE統一世界王座に改名した。また、それまでの王者はWWF王座とWCW王座の2本のベルトを持っていたが、これに際して、ベルトが新たにデザインされた1本に統一された。
その後、ハルク・ホーガン、ジ・アンダーテイカー、ザ・ロックと王者が続いたが、この年から看板番組であるRAWとスマックダウンでの2リーグ制がスタート、当初統一世界王者は2つの番組に出場出来たが、8月25日に行われたサマースラムでブロック・レスナーが王者となり、その後、レスナーは統一王座ベルトとともにスマックダウンの管轄となった。ときをほぼ同じくして、9月2日のRAWでエリック・ビショフによってWWE・世界ヘビー級王座(このベルトはWCW世界王座のデザインそのままである)が創設されたのを機に、WWE統一王座の名称から「統一」の文字が消えてWWE王座に戻り、ここに統一世界王座は事実上消滅するが、2011年のサマースラムで復活、9月18日のナイト・オブ・チャンピオンズの収録をもって再び消滅する。
歴代王者
- 初代王者:クリス・ジェリコ(01年12月9日~02年3月17日)
- オースチン、カート、ロックとの事実上のワンデイトーナメントを制して初代王者に。
- ジェリコにとっての出世試合であり、その後のオースチン、ロックとの再戦も制す。
- 2代目王者:トリプルH(02年3月17日~02年4月21日)
- 1月のロイヤル・ランブルで優勝し、レッスルマニアで長期欠場からの復活を証明する王座奪取。その後団体名称がWWEに改称、ベルトが1本となる。
- しかしホーガンとの防衛戦では、テイカー、ジェリコの乱入を受けて1ヶ月での王座陥落。
- 3代目王者:ハルク・ホーガン(02年4月21日~02年5月19日)
- 1993年以来のWWEの世界王者に輝く。リック・フレアーとの防衛戦を制するも、テイカーに完敗を喫し、トリプルHと同じく1月で王座陥落。
- 4代目王者:ジ・アンダーテイカー(02年5月19日~02年7月21日)
- 1999年以来の世界王者に。王座獲得後は、ジェフ・ハーディーとのラダー・マッチで名勝負を繰り広げ、トリプルHとの防衛戦も制する。その後、カートとの防衛戦において、テイカーのラストライドに対して、空中でカートがテイカーの腕と首を取り三角絞めで返すという展開になる。そのままの体勢でサブミッションに苦しみながらも、テイカーはカートの両肩をマットに着けることに成功しピンフォールを奪うが、テイカーは耐え切れずに同時にタップアウトしてしまう。レフェリーの判定ではフォールとタップが同時という異例の結末となり、カートとは再戦となる。7月21日に行われたVengenceでは、ロックを加えたトリプルスレットマッチで戦うも、カートがロックにピンフォールを奪われた為に、テイカーは負けずして王座陥落した。
- 5代目王者:ザ・ロック(02年7月21日~02年8月25日)
- Vengenceで、テイカー、カートとのトリプルスレット戦で王座奪取。
- 6代目、12代目王者:ブロック・レスナー(02年8月25日~02年11月17日、14年8月17日)
- 同年3月にデビューを果たし、以来無敗街道を突き進んでの王座奪取。これは当時の最年少記録である。レスナーの王座就任後の9月2日のRAWで「統一」の2文字が消えWWE王座に改名。その後、ベルトはレスナーと共にスマックダウンの管轄となる。また、WWE復帰後から2年後の2014年に、シナに対抗するプランCとして王座戦に契約。16度のジャーマンスープレックスに加え、2度のF5で王座奪還。
- 7代目王者:アルベルト・デル・リオ(11年8月14日~11年9月18日)
- 王者が2人いるという前代未聞の事が起き、ついにサマースラムでの王座統一戦でCMパンクとジョン・シナとの戦いになる。試合はパンクが制すが、デル・リオがマネー・イン・ザ・バンクでの権利を行使し(ケビン・ナッシュの介入もあり)、再試合で王座奪取。
- 8代目、11代目王者:ジョン・シナ(11年9月18日~11年10月2日、14年6月29日~14年8月17日)
- ナイト・オブ・チャンピオンズで、王座奪取。その後、再びWWE王座に改名。
- 9代目王者
- ランディ・オートン (13年12月15日~14年4月6日)
- TLCでの統一選で見事統一する。この試合が始まる以前に、すでにWWE王座は保持していたが、当時世界ヘビー級王者のシナが、「王者は1人でいい。」という発言により、王座統一が組まれていた。
- 10代目王者
- ダニエル・ブライアン (14年4月6日~6月9日)
トリプルHの王座出場権戦を経て、奪取。この時は、トリプルスレット戦に持ち込まれたものの、見事奪還。