V・M・ペトリャコーフ記念試作設計局

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

V・M・ペトリャコーフ記念試作設計局(ペトリャコフピェトリャコーフロシア語:Опытное конструкторское бюро им. В.М. Петляковаオープィトナイェ・カンストルークタルスコイェ・ビュロー・イーミェニ・ヴラジーミラ・ミハーイラヴィチャ・ピトリコーヴァОКБ Петляковаオーカーベー・ピトリコーヴァ)は、ソ連時代に存在した航空機メーカーのひとつである。ペトリャコフ設計局などと略称される。

概要[編集]

ペトリャコーフ設計局は、ヴラジーミル・ミハーイロヴィチ・ペトリャコーフによって開設された。その主要生産機となったPe-2は、事故率がたいへん高かったものの優れた速度性能を示したことから赤軍空軍の主力急降下爆撃機として採用された。しかし、1942年にペトリャコーフは搭乗していたPe-2の墜落事故で死亡した。その後、設計局は彼のもとで働いていた設計陣により継続されたが、1946年ヴラジーミル・ミハーイロヴィチ・ミャスィーシチェフが代表となるミャスィーシチェフ設計局に改称された。

航空機[編集]

関連項目[編集]