Tennis for Two
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| ジャンル | パズルゲーム |
|---|---|
| 対応機種 | 単独マシン |
| 開発元 | ブルックヘブン国立研究所 とウィリアム・ヒギンボーサム |
| 発売元 | 非売品 |
| 人数 | 2人 |
| メディア | データ読み書き無し |
| 発売日 | 1958年10月 |
| 価格 | 非売品 |
| 売上本数 | 1台 |
| その他 | 研究所外で一般人が遊んだ初のテレビゲーム |
『Tennis for Two』(テニス・フォー・ツー)は、物理学者のウィリアム・ヒギンボーサム博士 (William Higinbotham、1910年10月25日 - 1995年11月10日)が1958年に発表した、コンピュータゲームの元祖的存在。
世界初のテレビゲームと呼ばれる事が多いが、『OXO』などさらに古いものも存在していた。正確には世界で初めて「研究でコンピュータを使っている人だけでなく、不特定多数の人に遊ばれた」「遊んだ人も多いに楽しんだ」ゲームである。『Tennis for Two』(二人でテニスを)のタイトルは、アメリカの楽曲および映画『Tea for Two』(『二人でお茶を』)に由来すると思われる。
目次 |
[編集] 『Tennis for Two』が出来るまでの背景
博士はアメリカ合衆国のニューヨーク州・アプトンにある連邦原子力研究機関、ブルックヘブン国立研究所(Brookhaven Naitonal Laboratory、通称BNL)計測器部門の責任者で、日本に落とされた原子爆弾の計画「マンハッタン計画」にも関わり、レーダーシステムの改良を担当していた。しかし地元住民には原子力に対する不安があった為、研究が安全である事をアピールしようと、研究所を毎年秋に一般公開していたが、内容は機材や写真だけで、住民には退屈としか思えなかった。
そこで博士は、楽しみながら研究を理解してもらうのが一番と考え、同部所の技術者であるロバート・ボブ・ドボラックと共に、3週間でこの展示を完成させ、1958年10月、展示会に来た見学者に実際遊んでもらった。
[編集] ゲームの概要・操作方法
一般的なピンポンテニスゲームは『オデッセイ』やアタリの『ポン』の様に、真上から見下ろした視点でラケットが上下に動く。だが『Tennis for Two』は横から見た視点で、地面をあらわす横のラインと、ネットをあらわす縦の短いラインが描かれ、ボールは放物線を描いて下に落ちる。
使用する操作装置はボタン1(ゲームリセット)、つまみ(ボールの落下する放物線角度を変える)、ボタン2(打ち返す)である。点数表示は無い。ボームを打ち返す音は付いていたが、音声や動画は記録されていない。
ハードウェア面を説明すると、オシロスコープ(直径5インチ/13センチ)をモニターにして、アナログ演算機とコントローラがつながれている。オシロスコープ以外には、冷蔵庫・タンス大の機械が2~3台接続されていた。
[編集] その後の『Tennis for Two』
『Tennis for Two』は大評判となり、これを遊ぶ為に何時間も並ぶ人が出た程だった。翌1959年にはより大きな15インチオシロスコープで公開され、重力の違う惑星上ではどう違ってくるかという様子も展示された。しかし翌年までには別の研究に使う為、資材が解体された。
電子回路の特許を20持っていた博士は、『Tennis for Two』については権利を主張する事が無かった。またこれを継続しようとする者や、ゲームビジネスに使おうとする者も現れず、『Tennis for Two』の存在は長年埋もれたままになった。
1982年2月頃、ビデオゲームに関する裁判で博士自身が証言したのが、再度脚光を浴びるきっかけになったと言われている。世界初のゲーム歴史研究家と言われるDavid Ahlが同年11月、コンピュータ雑誌に記事を載せた事で、やっと知られる様になった。
なお現在は、ネット上で同種のシミュレーションが遊べる様になっている。
[編集] 外部リンク
[編集] 参考文献
- それは『ポン』から始まった:赤木真澄 アミューズメント通信社 ISBN 4-9902512-0-2 C3076

