TOHOシネマズ渋谷

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TOHOシネマズ 渋谷
TOHO CINEMAS SHIBUYA

TOHOシネマズ渋谷
情報
正式名称 TOHOシネマズ渋谷
旧名称 渋谷東宝会館、渋東シネタワー
完成 1991年
開館 1991年7月6日
開館公演 ホーム・アローン(シネタワー1)
バックドラフト(シネタワー2)
キンダガートン・コップ(シネタワー3・4)
収容人員 (6館合計)1,224人
設備 5.1チャンネルデジタルサウンド
用途 映画上映
運営 TOHOシネマズ株式会社
所在地 150-0043
東京都渋谷区道玄坂二丁目6-17
位置 北緯35度39分32.5秒 東経139度41分56.1秒 / 北緯35.659028度 東経139.698917度 / 35.659028; 139.698917 (TOHOシネマズ 渋谷
TOHO CINEMAS SHIBUYA
)
座標: 北緯35度39分32.5秒 東経139度41分56.1秒 / 北緯35.659028度 東経139.698917度 / 35.659028; 139.698917 (TOHOシネマズ 渋谷
TOHO CINEMAS SHIBUYA
)
アクセス 渋谷駅(2番出口)から徒歩約3分
渋谷109向い、道玄坂登り口左手
(東急田園都市線・東京メトロ半蔵門線渋谷駅とは地下コンコースで直結)
外部リンク TOHOシネマズ渋谷
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TOHOシネマズ渋谷(とうほうシネマズしぶや、TOHO CINEMAS SHIBUYA)は、TOHOシネマズ株式会社が経営・運営するシネマコンプレックス東京都渋谷区道玄坂の『渋東シネタワー』(ビル名称)内にある。

チケット売り場は1階にあり、上映されている作品のチケットはすべてここで購入できる。2011年7月15日渋東シネタワーを改装し、「vit」および「シネマイレージ」を導入の上リニューアルオープン[1][2][3]。同年11月30日、下層階(地下1階、地上1階・2階・3階)を改築し、6スクリーンに増設してリニューアルオープンした。

本項では、同館の前身となった映画館『渋谷東宝会館』及び『渋東シネタワー』についても詳述する。

沿革

  • 1936年11月1日:「東横映画劇場」開場。
  • 1944年9月1日:「渋谷東宝映画劇場」に改称。
  • 1952年11月17日:「渋谷文化劇場」開設。
  • 1956年12月26日:「渋谷東宝会館」として再オープン。1階に渋谷東宝劇場、4階に渋谷スカラ座、地下1階に渋谷文化劇場が入居。
  • 1989年2月26日:渋谷東宝会館閉館。
  • 1991年7月6日:跡地に渋東シネタワー(4スクリーン)が開業。
  • 2006年10月1日:運営会社が東宝株式会社からTOHOシネマズ株式会社に変更。
  • 2007年3月1日:株式会社渋谷文化劇場がTOHOシネマズに吸収合併される。
  • 2011年2月2日:渋東シネタワー1・2を一時閉館。同年7月15日TOHOシネマズ渋谷のスクリーン1・2・3・4として再開業する。
  • 2011年11月30日:渋東シネタワー3・4を改修し、TOHOシネマズ渋谷スクリーン5・6とする。

概要

渋谷東宝会館

渋谷東宝時代に上映した『ゴジラ』(監督本多猪四郎1954年11月3日封切)。本作公開時は道玄坂まで伸びるほどの行列が出来たという(ゴジラ (1954年の映画)#作品公開と反響も参照)。

1936年昭和11年)11月1日、東京横浜電鉄(現在の東京急行電鉄)が建設し、東横映画劇場として開場。しかしながら、開場間際に東宝小林一三と東横の五島慶太との間に交渉が成立し、同館は開場と同時に東宝へ譲渡され、東宝直営館としてスタートした。3階建の鉄筋コンクリート造で、座席数は1,401席[4]。オープン当日のプログラムは、ユニバーサル・ピクチャーズ製作・配給のアメリカ映画『ショウボート』(監督ジェームズ・ホエール)と、成瀬巳喜男監督のP.C.L.作品『朝の並木路』が上映された[4]

同館が建つ4年前の1932年(昭和7年)の時点では、当時の東京府豊多摩郡渋谷町における映画館は、道玄坂方面には道玄坂キネマしかなく、それ以外には1925年大正14年)に広尾不二館から改称した広尾キネマ恵比寿駅前にあったヱビス帝国館や、氷川館、澁谷館、澁谷キネマ、澁谷劇場、聚楽座といった映画館も存在していた[5]

1942年(昭和17年)には第二次世界大戦における戦時統制が敷かれ、日本におけるすべての映画が同年2月6日に設立された社団法人映画配給社の配給になり[6]、すべての映画館が紅系・白系の2系統に組み入れられるが、同年発行の『映画年鑑 昭和十七年版』によれば、東横映画劇場は同じ東宝系列の日比谷映画劇場や、松竹系列の邦楽座(後の丸の内ピカデリー)等と共に「白系」に属していた[7]1943年(昭和18年)12月、株式会社東京宝塚劇場東宝映画と合併し、東宝株式会社となる。

1944年(昭和19年)9月1日、東横映画劇場は渋谷東宝映画劇場に改称。戦後は渋谷スカラ座や、地階の渋谷文化劇場(1952年11月17日開館)を擁した『渋谷東宝会館』として数々のヒット作や大作を上映した。なお、渋谷文化劇場だけは東宝子会社の渋谷文化劇場が経営していた。

1989年平成元年)2月26日、渋谷東宝会館は施設の老朽化や渋谷駅前の再開発に伴う建て替えを理由に閉館。最終番組は東宝(閉館時の座席数1,026席)が『ダイ・ハード』(監督ジョン・マクティアナン)、スカラ座(同494席)が『ロジャー・ラビット』(監督ロバート・ゼメキス)、渋谷文化(同204席)が『ゼイリブ』(監督ジョン・カーペンター)だった。建て替えまでの間、渋谷方面における東宝洋画系上映は東急文化会館内にあった渋谷東急2と、東京テアトル系列のシネセゾン渋谷、ヒューマックス系列の渋谷ジョイシネマ(現:渋谷HUMAXシネマ)が請け負っていた。

渋東シネタワー

2010年1月に撮影された渋東シネタワービルの外観。建物正面に『恋するベーカリー』『LIAR GAME ザ・ファイナル・ステージ』『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々』『のだめカンタービレ最終楽章(後編)』の告知看板が掲げられていた。

1991年(平成3年)7月6日、渋谷東宝会館は『渋東シネタワー』と改称し、4スクリーンに増設して再オープンした。「渋東」の名称は、かつてこの地にあった「宝」に由来する。

2006年(平成18年)9月30日までは、シネタワー1・2・4は東宝が、シネタワー3は2007年2月28日まで渋谷文化劇場が所有していたが、2007年(平成19年)3月1日よりTOHOシネマズに合併統合された。

シネタワー時代の概要

スクリーン 定員(座席数) 車椅子 音響方式 詳細
シネタワー1 606 2 SRD/SRD-EX/DTS/SDDS ビルの7階(現在のスクリーン1・2)。椅子の色は青。
常に洋画と、ヒット予想の高い邦画が上映された。
TOHOシネマズスカラ座系の東宝洋画系チェーンであった。
シネタワー2 790 ビルの4階・5階(現在のスクリーン3・4。5階は2階席)。椅子の色は赤。
常に、大作の東宝洋画系作品が上映された。
TOHOシネマズ日劇(以下TC日劇)スクリーン1系のチェーン。
2階席を設けており、かつては全席指定で料金は2,500円であった。
シネタワー3 342 SRD/SRD-EX/DTS ビルの2階。椅子の色はピンク。洋画と邦画が上映された。TC日劇スクリーン3系のチェーン。
シネタワー4 248 SRD/SRD-EX ビルの地下1階(現在のスクリーン5・6)。椅子の色は紫。東宝邦画系作品のみを上映していた。
TC日劇スクリーン2系のチェーンであった。1カ月に1作程度の割合で、新作が公開された。
オープン当時は日比谷映画みゆき座系のチェーンだったが、渋谷宝塚劇場の老朽化による閉館のため、1997年5月31日より同劇場からTC日劇スクリーン2(当時は日劇東宝)系=東宝邦画系のチェーンを引き継いだ。
1999年12月18日、渋谷宝塚跡地に複合商業ビル「QFRONT」がオープンし、同ビルの7階に映画館「渋谷シネフロント」が開館した。
なお、シネフロントは2010年1月22日をもって閉館し、同年4月23日、核テナントであるTSUTAYA渋谷店のコミックフロアに改装オープンした。

※ただし、シネタワー時代末期(2009年以降)はヒット予想の高い作品により、客入りなどで上映館を4館内で入れ変えることも多かった。

TOHOシネマズ渋谷

2011年(平成23年)、開館から20周年を迎えた渋東シネタワーは大幅なリニューアル工事を実施。まず同年2月より上層階にあったシネタワー1と2を閉鎖・改装し、同年7月15日TOHOシネマズ渋谷スクリーン1・2・3・4がオープン。次いで下層階のシネタワー3・4を改装し、同年11月30日にTOHOシネマズ渋谷スクリーン5・6がオープン。同時に全スクリーンの上映方式も長らく続いた35mmフィルム上映からデジタル上映へと移行した。これにより映画館としての渋東シネタワーは消滅することになったが、建物自体は引き続き渋東シネタワーの名称が使用されている。

TOHOシネマズになってからは、東宝系の邦画・洋画のみならず、丸の内ピカデリー1・2・3で上映される洋画も一部上映するようになった[8]

各館の概要

スクリーン 定員(座席数) 車椅子 音響方式
1 154 2 5.1チャンネルデジタルサウンド
2 197
3 297
4 115
5 234
6 215

全スクリーンともデジタル3D上映に対応している。

脚注・出典

  1. ^ 2011年度新規出店のお知らせ(TOHOシネマズ公式サイト 2010年12月24日発表) (PDF)
  2. ^ 「TOHOシネマズ渋谷」7月15日(金)オープン “渋東シネタワー”が“TOHOシネマズ 渋谷”としてリニューアル致します。(TOHOシネマズ株式会社 2011年6月)
  3. ^ TOHOシネマズ 渋谷リニューアルOPEN ∥ TOHOシネマズ(2011年7月15日閲覧)
  4. ^ a b 戦前期日本の映画館写真(3) - 東京・新宿 渋谷 神田 六本木篇”. NFCデジタル展示室. 東京国立近代美術館フィルムセンター (2013年12月17日). 2014年3月20日閲覧。
  5. ^ 昭和7年の東京府下の映画館”. 中原行夫の部屋(原資料「キネマ旬報」). 2013年8月19日閲覧。
  6. ^ 年鑑[1942], p.9/53-56.
  7. ^ 年鑑[1942], p.10/24-36.
  8. ^ 2009年(平成21年)1月30日渋谷ピカデリー2013年(平成25年)5月23日渋谷東急といった松竹東急洋画系映画館が閉館していることも関係している。

参考文献

  • 『映画年鑑 昭和十七年版』、日本映画協会、1942年発行

関連項目

外部リンク