ケン・グリフィー・ジュニア
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| シアトル・マリナーズ #24 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | |
| 生年月日 | 1969年11月21日(40歳) |
| 身長 体重 |
6' 3" =約190.5cm 230 lb =約104.3kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 左投左打 |
| ポジション | 外野手 |
| プロ入り | 1987年 1巡目(全体1位) |
| 初出場 | 1989年4月3日 |
| 年俸 | $2,000,000(2009年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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| 国際大会 | |
| 代表チーム | |
| WBC | 2006年 |
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この表について
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ケン・グリフィー・ジュニア(George Kenneth "Ken" Griffey, Jr., 1969年11月21日 - )は、アメリカMLBシアトル・マリナーズの外野手。愛称はジュニア、THE KIDなど。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] アマチュア時代
1969年11月21日、ペンシルベニア州ドノラに生まれ、シンシナティで育った。タフィ・ローズとは幼馴染で、いつも一緒に野球をプレーしていた。家族ぐるみの付き合いでもあったという[1]。父親は1970年代にレッズでビッグレッドマシンの一員として活躍したケン・グリフィー・シニア。ジュニアは父の打撃成績を毎日チェックし、ラジオ中継を聞き、リトルリーグではアウトになることがほとんどなく、アウトになると悔し涙を流すほどだった[2]。
モーラー高校に進学し、野球とフットボールに励んだ。特に才能を発揮したのは野球の方で、1986年、1987年に所属リーグのプレイヤーオブザイヤーに輝いている。そして、1987年にはマリナーズに全米ドラフト1位で指名され入団。父のシニアは当時現役で、2世選手に対する風当たりは強く、人種差別を受けたため自殺を図ったこともあった[3]。
1Aビリンガムで54試合に出場して.313 14本塁打 40打点 13盗塁の好成績を残した。1988年には1Aサンバディーナに昇格して58試合に出場して.338 11本塁打 42打点 32盗塁の好成績を残し、シーズン終盤に2Aバーモンドに昇格した。1989年のマリナーズのスプリングトレーニングで出場26試合、打率.359、2本塁打を記録し、33安打、21打点、15試合連続安打は球団のスプリングトレーニング新記録となった[4]。
[編集] シアトル・マリナーズ時代
開幕をメジャーリーグで迎え[4]、1989年4月3日のアスレチックス戦でデビュー。初打席で二塁打を記録し、4月23日から4月26日にかけて球団タイ記録となる5試合連続複数安打を記録した[4]。7月23日時点でメジャー新人選手3冠となる打率.287、13本塁打、45打点を記録していたが、7月25日から8月20日にかけて小指の負傷により故障者リスト入りを経験し[2][4]、故障から復帰後は調子を落とし[2]、シーズンを通しての成績は、127試合に出場し、打率.264、16本塁打、61打点でグリフィーは新人王の投票でグレッグ・オルソン、トム・ゴードンに次ぐ3位に入った[5]。
1990年にはセンターの定位置を確保して155試合に出場し、初の3割20本塁打を記録するだけでなく、守備でもファインプレーを随所に見せて4月26日のヤンキース戦ではジェシー・バーフィールドの通算200号本塁打となるはずだった打球を、フェンスを登って阻止するというプレーもあった[6]。自身初のゴールドグラブ賞を1968年のジョニー・ベンチに次ぐ史上2番目の若さで受賞[6]。オールスターの投票では、ホセ・カンセコに次ぐリーグ2位の2,159,700票を集め、1955年のアル・ケーラインに次いで史上2番目の若さで初出場。5番センターで先発を果たした[6][7]。そして、父親のシニアが8月24日に成績不振のためレッズを解雇され、その5日後にマリナーズと契約を結び、8月31日のロイヤルズ戦で史上初親子が同時にスタメンに名を連ねた[2][6]。更に9月14日には初回に親子での2者連続本塁打も達成した[2][6]。この年の日米野球にも親子揃って選出され、来日している。
1991年には自己ベスト、リーグ4位の打率.327を記録し、7月23日には自身初となる満塁本塁打を放ち、9月30日のダブルヘッダー初戦で100打点をメジャー史上12番目の若さで達成した[8]。初のシルバースラッガー賞と2度目のゴールドグラブを受賞した。また、この年にシニアは引退。現役生活は19年だった。
1992年は6月8日のレンジャーズ戦の死球の影響で6月9日からDL入りしたが、6月25日にはメジャー復帰を果たした[9]。142試合に出場し、3年連続の3割20本塁打100打点を記録し、3度目のゴールドグラブを受賞。また、オールスターでは当時カブスに所属していたグレッグ・マダックスから本塁打を放つなど、3打数3安打でMVPを受賞している[9]。9月30日のブルワーズ戦で3ラン本塁打を放ち、球団史上初めて2年連続100打点を達成した[9]。
1993年は113得点、359塁打、45本塁打は球団シーズン記録となった[10]。6月15日のロイヤルズ戦で史上6番目の若さで通算100本塁打を達成し、7月には8試合連続本塁打のメジャータイ記録を達成した[10]。そして9月1日に球団史上初の40本塁打を達成し[10]、45本まで記録を伸ばしたが、本塁打王にはフアン・ゴンザレスに1本及ばなかった。
1994年は4月に球団月間新記録となる20打点をマークし、5月31日までにミッキー・マントルの20本塁打(1956年)を上回る22本塁打を放ち、メジャー新記録となった[11]。5月23日に通算153本塁打を放ち、新人だった時の目標である父の152本塁打を上回った[12][13]。6月12日には球団新記録となる通算161本塁打目を放ち、6月30日までにベーブ・ルースの30本塁打(1928年、1930年)を上回る32本塁打を放ち、メジャー新記録となった[11]。オールスターのファン投票では1977年にロッド・カルーが記録した4,292,740票を更新する史上最高の6,079,688票を集めた[11]。しかし、ストライキで8月12日限りでシーズン打ち切られてしまったが、40本塁打を記録して球団史上初の本塁打王となり、MVPの投票ではフランク・トーマスに次いで2位に入った[11]。
1995年5月26日、守備でフェンスに激突した際に左手首を痛めて全治3か月の大怪我をしたが、8月15日に復帰を果たし、その日に史上7番目の若さで通算1000本安打を達成した[14]。プレーオフには出場し6本塁打をマークするなど活躍したが、チームはリーグチャンピオンシップシリーズでインディアンスに敗退。また、この年は72試合の出場に終わったが、ゴールドグラブ賞を受賞している。
1996年5月21日史上7番目の若さで通算200本塁打を達成した[15]。6月19日に右手の有鈎骨を骨折し、約3週間の離脱を余儀なくされたが、それでも自己の持つ球団記録を更新する49本塁打を記録した[15]。
1997年4月にメジャー新記録の13本塁打を放ち、9月7日に史上15人目となるシーズン50本塁打を達成した[16]。打率.304 56本塁打 147打点を記録し、2度目の本塁打王、初の打点王、そして初のMVPを満票で受賞した。これは史上13人目の快挙である[16]。チームも地区優勝を果たした。
1998年4月13日に史上2番目の若さで300本塁打を[17]、9月25日に史上最年少で通算350本塁打を達成した[18]。56本塁打を放ち2年連続となる本塁打王を獲得、20盗塁も記録したことでウィリー・メイズ、ブレイディ・アンダーソンに次ぐ史上3人目の50本塁打-20盗塁も達成する。さらに、3年連続140打点以上も記録。これはベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグに次ぐMLB史上3人目の快挙である[18]。しかし、ナリーグでマーク・マグワイアが70本、サミー・ソーサが66本と本塁打のシーズンを記録を更新したため注目されなかった[3]。
1999年はオールスターのホームランダービーで2年連続3度目の優勝を果たし、シーズンでも48本塁打を放ち3年連続4度目の本塁打王、足でも自己最多の24盗塁を記録。また10年連続となるゴールドグラブ、7度目のシルバースラッガー賞を獲得した。さらにMLBオールセンチュリー・チームにも選ばれた。
[編集] シンシナティ・レッズ時代
1999年オフ、家族が暮らすフロリダからはシアトルが遠いということを理由に[2]、マリナーズが提示した8年1億3500万ドルの契約に首を縦に振らずトレードを志願[要出典]。トレード交渉は難航し、一時球団間ではメッツとのトレードが決まりかけたが、グリフィー自身が拒否[2]。年が明けてもトレード先が決まらず、結局マリナーズ残留かに思われたが、ファンから脅迫状が届いた事からメンタル的にマリナーズ残留は不可能とし、トレード交渉が再開[要出典]。2月に父親のかつて所属したレッズと1対4のトレードが成立し、9年総額1億1650万ドルで契約した[19]。背番号はマリナーズ時代の24から父親が現役時代付けた30に変更した。レッズの地元シンシナティでは観客動員が2,061,222人から2,577,371人へ50万人以上増加した[20]。
2000年4月10日のロッキーズ戦で当時史上最年少30歳4か月での通算400本塁打を達成し[21] 、ナリーグでもオールスターゲームに選出された(プレーはしていない)。9月中旬に足を痛め離脱した。打率.271 40本塁打 118打点という成績だった。2001年はスプリングトレーニングで足を痛め開幕から出遅れ、111試合の出場に終わった。デビュー年以来となるオールスターに出場できなかったが、8月に11本塁打を放ち量産した。翌2002年は4月8日から5月23日と6月25日から7月21日の2回故障者リスト入りをし、わずか70試合の出場に終わり、197打席で8本塁打と全盛期の姿とはほど遠かった。6月18日には通算2000本安打を達成している。
2002年シーズン終了後の11月29日にパドレスとのトレードが合意に達したが、トレード要員のフィル・ネビンがノートレード条項を行使したため残留が決まった[21]。2003年は開幕直後に右肩を脱臼するなど、53試合の出場。5試合連続本塁打を放つなど長打力はやや回復したが、打率は.247とガタ落ちだった。
2004年は開幕戦でカブスのグレッグ・マダックスから本塁打を放つ。4月は3本塁打に終わったが、5月に10本塁打を放ち、6月20日の父の日にカージナルス戦で史上20人目となる通算500本塁打を達成した。オールスターにも5年ぶりに選ばれ、w:Sports Illustrated紙の表紙を飾った。しかし、オールスター前に右足の腱を痛め、オールスターには出場できず。その後復帰した試合で腱が断裂、シーズンを棒に振り、83試合の出場で終わる。この年の手術でアスリートとしては前代未聞、右足に3本のボルトを入れることになった。
2005年は4月30日のブルワーズ戦まで本塁打はなかったが、それ以降は本塁打を12.03打席に1本のペースで量産。右足かかとを痛め9月4日を最後にシーズンを幕を下ろすまでに128試合で打率.301 35本塁打 92打点の好成績を残し、カムバック賞を受賞。オフには背番号を30からグリフィーの息子たちの数と同じ3に変更した。
第1回WBCでは、アメリカの優勝こそ果たせなかったが、.524 3本塁打 10打点と大活躍し大会のベストナインに選ばれた。
2006年4月5日に通算本塁打でミッキー・マントルを抜いたが、8試合に出場した時点で右ひざの故障で約1か月離脱。復帰試合で逆転サヨナラ3ランを飾った。7月に深刻な不振を経験し、9月4日に右足人差し指を脱臼し、親指も負傷するが、ホームでの最終試合で代打逆転3ランホームランを飾り、通算本塁打でレジー・ジャクソンに並んだ。
2007年からはライアン・フリールがセンターを守り、ジュニアはライトへ転向した。6月22日のマリナーズ戦で、移籍以来8年ぶりに古巣の本拠地セーフコ・フィールドでプレー。グリフィーが打席に入るとシアトルのファンはスタンディング・オベーションで歓迎し、続くヒットにも大歓声、マリナーズの投手が牽制球を投じるとブーイングが起こるという有様だった。7月11日には通算587号本塁打を放ち、フランク・ロビンソンを抜き、通算本塁打で単独6位となった。
2008年5月31日に通算599本塁打を打った後ハンク・アーロンとウィリー・メイズから「野球を楽しんでもっともっと打ち続けなさい」と激励の電話をもらい、ナーバスになっていた気持ちが楽になり[12]、6月9日、マーリンズ戦で右越えに2ランを放ち、大リーグ史上6人目となる通算600本塁打を達成した。
[編集] シカゴ・ホワイトソックス時代
2008年は契約最終年やジェイ・ブルースの成長に伴い、レッズでのプレイが今シーズン限りとみられるようになった[22]。 7月31日、トレード期限最終日にシカゴ・ホワイトソックスが残りの年俸と来シーズンのオプション破棄代半分を負担し、ニック・マセット、ダニー・リチャーとの交換トレードが成立し、グリフィーは拒否権を行使しなかったため、ホワイトソックスへ移籍[22][23]。8月20日に通算609本目となる本塁打を放ち、大リーグ通算本塁打で歴代5位のサミー・ソーサに並んだ。
[編集] 古巣復帰
2009年2月18日、古巣シアトル・マリナーズに復帰。
2009年11月11日、マリナーズは2010年の契約を結んだと発表した。AP通信などによると、年俸は200万ドル(約1億8000万円)。
[編集] 選手としての特徴
全盛期にはメジャーリーグを代表する走攻守揃った5ツールプレーヤーとして活躍した。90年代には4度の本塁打王を獲得。1997年にはMVPも獲得している。中堅手としての守備もメジャー最高レベルであり、ゴールドグラブ賞を通算10度受賞している。マリナーズ時代の恩師であるルー・ピネラ監督(現シカゴ・カブス監督)は「彼は私にとって最高の選手だった」と賛辞を贈っている[24]。しかし、レッズに移籍後は相次ぐ故障に苦しんだ。マリナーズ復帰後は主に指名打者として出場している。
多くのスラッガーがステロイドに手を染め、「ステロイド時代」と呼ばれるようになった時代にプレーしながら、ステロイド疑惑とは無縁のまま600本以上の本塁打を残したグリフィーを賞賛する声は大きい[25]。メジャーリーガーの薬物使用についての暴露本を出版したホセ・カンセコでさえ、「彼のようなクリーンな男はいない」「彼は常にクリーンだった」とほめたたえたほどである[24][26]。
[編集] 人物
いたずらっ子のようなルックスと気さくな性格で地元シアトルでは絶大な人気を誇る。ホワイトソックス在籍中の2008年後半にESPNが実施した「マリナーズの歴史上で最も偉大な選手は誰?」というアンケート調査においては、2位のエドガー・マルティネス、3位のイチロー、4位のアレックス・ロドリゲス、5位のランディー・ジョンソンらに圧倒的な差を付けて1位に選出された[27]。
90年代のMLBを代表する外野手であり、グリフィーに憧れて育った現役メジャーリーガーは非常に多い。特にアフリカ系アメリカ人の選手からの支持は絶大であり、CC・サバシア[28]、カーティス・グランダーソン[29]、ミルトン・ブラッドリー[30]、バーノン・ウェルズ[31]、デナード・スパン[32]、アンドリュー・マカッチェン、キャメロン・メイビン[33]らのように、多くの選手がグリフィーに憧れて育ったことを公言している。また、オーランド・ハドソン曰く、アフリカ系アメリカ人にとって、グリフィーは「野球界のマイケル・ジョーダン」的な存在である[34]。
また、イチローの憧れの選手として有名である。イチローは1995年オフにテレビ番組の企画でグリフィーと初対面し、2009年にはチームメイトとして憧れのグリフィーと同じユニフォームを着ることになった。イチローは9年連続200安打達成の際のインタビューで、「ジュニアの存在は計り知れない」とグリフィーに感謝を示すと共に、「シアトルの天然記念物に指定すべきだね。みんなで守っていかないといけないと思いますね」と語った[35]。普段からグリフィーとイチローは仲が良く、じゃれ合っている映像がTV放送でよく見られる。また、グリフィーの日課はイチローをくすぐることだという。グリフィー曰く、そうするとヒットをよく打つからであり、2009年のイチローの27試合連続安打のときには毎日くすぐらなければならなかったので大変だったという[36]。
[編集] 獲得タイトル・記録
- アメリカンリーグMVP 1回:1997年
- 最多本塁打 4回:1994年、1997年 - 1999年
- 最多打点 1回:1997年
- シルバースラッガー賞 7回:1991年、1993年、1994年、1996年 - 1999年
- ゴールドグラブ賞 10回:1990年 - 1999年
- MLBオールスターゲーム選出 13回:1990年 - 2000年、2004年、2007年
- MLBオールセンチュリー・チーム選出(外野手):1999年
- ナショナルリーグカムバック賞:2005年
- 開幕戦での本塁打は通算8本(2009年現在)で、これはフランク・ロビンソンと並びMLBタイ記録。[37]
[編集] 年度別打撃成績
| 年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1989 | SEA | 127 | 506 | 455 | 61 | 120 | 23 | 0 | 16 | 191 | 61 | 16 | 7 | 1 | 4 | 44 | 8 | 2 | 83 | 4 | .264 | .329 | .420 | .749 |
| 1990 | 155 | 666 | 597 | 91 | 179 | 28 | 7 | 22 | 287 | 80 | 16 | 11 | 0 | 4 | 63 | 12 | 2 | 81 | 12 | .300 | .366 | .481 | .847 | |
| 1991 | 154 | 633 | 548 | 76 | 179 | 42 | 1 | 22 | 289 | 100 | 18 | 6 | 4 | 9 | 71 | 21 | 1 | 82 | 10 | .327 | .399 | .527 | .926 | |
| 1992 | 142 | 617 | 565 | 83 | 174 | 39 | 4 | 27 | 302 | 103 | 10 | 5 | 0 | 3 | 44 | 15 | 5 | 67 | 15 | .308 | .361 | .535 | .896 | |
| 1993 | 156 | 691 | 582 | 113 | 180 | 38 | 3 | 45 | 359 | 109 | 17 | 9 | 0 | 7 | 96 | 25 | 6 | 91 | 14 | .309 | .408 | .617 | 1.025 | |
| 1994 | 111 | 493 | 433 | 94 | 140 | 24 | 4 | 40 | 292 | 90 | 11 | 3 | 0 | 2 | 56 | 19 | 2 | 73 | 9 | .323 | .402 | .674 | 1.076 | |
| 1995 | 72 | 314 | 260 | 52 | 67 | 7 | 0 | 17 | 125 | 42 | 4 | 2 | 0 | 2 | 52 | 6 | 0 | 53 | 4 | .258 | .379 | .481 | .860 | |
| 1996 | 140 | 638 | 545 | 125 | 165 | 26 | 2 | 49 | 342 | 140 | 16 | 1 | 1 | 7 | 78 | 13 | 7 | 104 | 7 | .303 | .392 | .628 | 1.020 | |
| 1997 | 157 | 704 | 608 | 125 | 185 | 34 | 3 | 56 | 393 | 147 | 15 | 4 | 0 | 12 | 76 | 23 | 8 | 121 | 12 | .304 | .382 | .646 | 1.028 | |
| 1998 | 161 | 720 | 633 | 120 | 180 | 33 | 3 | 56 | 387 | 146 | 20 | 5 | 0 | 4 | 76 | 11 | 7 | 121 | 14 | .284 | .365 | .611 | .976 | |
| 1999 | 160 | 706 | 606 | 123 | 173 | 26 | 3 | 48 | 349 | 134 | 24 | 7 | 0 | 2 | 91 | 17 | 7 | 108 | 8 | .285 | .384 | .576 | .960 | |
| 2000 | CIN | 145 | 631 | 520 | 100 | 141 | 22 | 3 | 40 | 289 | 118 | 6 | 4 | 0 | 8 | 94 | 17 | 9 | 117 | 7 | .271 | .387 | .556 | .943 |
| 2001 | 111 | 417 | 364 | 57 | 104 | 20 | 2 | 22 | 194 | 65 | 2 | 0 | 1 | 4 | 44 | 6 | 4 | 72 | 8 | .286 | .365 | .533 | .898 | |
| 2002 | 70 | 232 | 197 | 17 | 52 | 8 | 0 | 8 | 84 | 23 | 1 | 2 | 0 | 4 | 28 | 6 | 6 | 39 | 6 | .264 | .358 | .426 | .784 | |
| 2003 | 53 | 201 | 166 | 34 | 41 | 12 | 1 | 13 | 94 | 26 | 1 | 0 | 1 | 1 | 27 | 5 | 3 | 44 | 3 | .247 | .370 | .566 | .936 | |
| 2004 | 83 | 348 | 300 | 49 | 76 | 18 | 0 | 20 | 154 | 60 | 1 | 0 | 0 | 2 | 44 | 3 | 2 | 67 | 8 | .253 | .351 | .513 | .864 | |
| 2005 | 128 | 555 | 491 | 85 | 148 | 30 | 0 | 35 | 283 | 92 | 0 | 1 | 0 | 7 | 54 | 3 | 3 | 93 | 9 | .301 | .369 | .576 | .945 | |
| 2006 | 109 | 472 | 428 | 62 | 108 | 19 | 0 | 27 | 208 | 72 | 0 | 0 | 0 | 3 | 39 | 6 | 2 | 78 | 13 | .252 | .316 | .486 | .802 | |
| 2007 | 144 | 623 | 528 | 78 | 146 | 24 | 1 | 30 | 262 | 93 | 6 | 1 | 0 | 9 | 85 | 14 | 1 | 99 | 14 | .277 | .372 | .496 | .868 | |
| 2008 | 102 | 425 | 359 | 51 | 88 | 20 | 1 | 15 | 155 | 53 | 0 | 1 | 0 | 3 | 61 | 13 | 2 | 64 | 7 | .245 | .355 | .432 | .787 | |
| CWS | 41 | 150 | 131 | 16 | 34 | 10 | 0 | 3 | 53 | 18 | 0 | 0 | 0 | 1 | 17 | 1 | 1 | 25 | 6 | .260 | .347 | .405 | .752 | |
| '08計 | 143 | 575 | 490 | 67 | 122 | 30 | 1 | 18 | 208 | 71 | 0 | 1 | 0 | 4 | 78 | 14 | 3 | 89 | 13 | .249 | .353 | .424 | .777 | |
| 2009 | SEA | 117 | 454 | 387 | 44 | 83 | 19 | 0 | 19 | 159 | 57 | 0 | 0 | 0 | 3 | 63 | 2 | 1 | 80 | 6 | .214 | .324 | .411 | .735 |
| 通算:21年 | 2638 | 11196 | 9703 | 1656 | 2763 | 522 | 38 | 630 | 5251 | 1829 | 184 | 69 | 8 | 101 | 1303 | 246 | 81 | 1762 | 196 | .285 | .371 | .541 | .912 | |
- 2009年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
[編集] 脚注
- ^ 日本テレビ,本気顔 タフィ・ローズ プロ野球(読売ジャイアンツ),2004年3月5日(金)放送
- ^ a b c d e f g 出野哲也「歴史が動いた日 1990.8.31 メジャー史上初父子揃って先発出場」『スラッガー』2008年7月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌15509-11、90 - 92項
- ^ a b ナガオ勝司「ジュニア600号の肖像」『月刊メジャー・リーグ』2008年6月号、ベースボールマガジン社、2008年、雑誌 08625-6、39項 - 40項
- ^ a b c d "1989 Career Highlights:MLB.com" (英語). 2008年1月28日 閲覧。
- ^ "Baseball Awards Voting for 1989 - Baseball-Reference.com" (英語). 2008年1月28日 閲覧。
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- ^ seattle.mariners.mlb.com 4月6日付
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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