TBSビデオ問題
TBSビデオ問題(TBSビデオもんだい)は、1989年10月26日に、TBSのワイドショー番組『3時にあいましょう』のスタッフが、坂本堤弁護士がオウム真理教を批判するインタビュー映像を放送直前にオウム真理教幹部に見せたことが、9日後の11月4日に起きた坂本堤弁護士一家殺害事件や一連のオウム真理教事件(松本サリン事件、地下鉄サリン事件等)の発端となったとされる事件であり、TBSが引き起こしたマスコミ不祥事・報道被害である。
オウムビデオ事件、オウムビデオ問題、単にTBSオウム事件、TBS問題・TBS事件・TBSビデオ事件ともいう[1]。
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[編集] 経過
[編集] 年表
- 1989年10月26日 - オウム真理教について翌日27日の放送で取り上げることを企画していた『3時にあいましょう』[2]は、26日午前中にオウム真理教批判の急先鋒であった弁護士の坂本堤のインタビューを録画。同日、昼から『3時にあいましょう』金曜日担当プロデューサー武市功率いる取材班(社会情報局)はオウム真理教富士山道場にて報道局社会部と合同で麻原彰晃(松本智津夫)による「水中クンバカ」の実演を取材。報道局社会部記者西野哲史のインタビューが終了後、『3時にあいましょう』取材班のインタビューが開始。紛糾するインタビューの中で、武市は坂本弁護士のインタビューを麻原の実演の様子と一緒に放送することをオウム側に明らかにした。結局、オウム側に事前にビデオを見せることを提案し、その場の事態を収拾する。オウム真理教の早川紀代秀、上祐史浩、青山吉伸らが同日の深夜、TBS(当時の千代田分室)を訪れ、インタビューが収録されているビデオを見せることを執拗に要求。ここで番組総合プロデューサー多良寛則が、部下にインタビューを収録した当該ビデオを3人に見せるよう指示し、3人はビデオを視聴。早川はこのときのことをメモにとっている。結局、オウム側の抗議にTBS側スタッフはインタビュー(企画していたオウム特集自体)を放送しないことを承諾・約束し、オウム側幹部はその場を後にする。
- 1989年10月31日 - 早川、上祐、青山ら3人が横浜法律事務所を訪れたが、坂本からは教団を告訴する旨を告げられ交渉は決裂。
- 1989年11月4日 - 坂本堤弁護士一家殺害事件(当時は「失踪事件」)が発生。
- 1995年9月5日 - 神奈川県警がTBSへ捜査協力を依頼。9月中に東京地検がTBS関係者(武市、多良と「水中クンバカ」を合同取材した報道局社会部西野記者も含む)からの事情聴取を行う。
- 1995年10月9日 - TBSが社内調査委員会を設置。
- 1995年10月12日 - TBSが、東京地検の要請に応じて坂本のインタビューテープを任意提出。
- 1995年10月19日 - 日本テレビが夕方のニュース番組『NNNニュースプラス1』で、TBSが放映前の坂本のインタビュービデオをオウム幹部に見せたと報道。同日、TBSは夕方のニュース番組『ニュースの森』内で否定の声明を放送。
- 1996年3月11日 - TBSは坂本のインタビュービデオを見せた事実はなかったという「社内調査概要」を発表。
- 1996年3月12日 - 早川被告公判。TBSのプロデューサーおよび早川の供述調書の要旨告知(事件の核心となる早川メモが公表される)。横浜法律事務所、TBSに対して公開質問状。TBSは会見で重ねて否定。
- 1996年3月19日 - TBSは、横浜法律事務所の公開質問状に対する回答書提出。坂本のインタビュービデオを見せた事実はなかったと回答。TBSの大川常務、衆議院法務委員会に参考人招致。社内調査概要に従って発言。
- 1996年3月23日 - 「早川メモ」の全容が明らかとなる。
- 1996年3月25日 - TBSの磯崎洋三社長、坂本のインタビュービデオを、オウムの早川たちに見せたことを認める内容の緊急記者会見を行う。同時に、武市の懲戒解雇処分を発表。
- 1996年3月28日 - TBSの大川前常務、衆議院法務委員会で陳謝。
- 1996年4月2日 - TBSの磯崎社長ら、衆議院逓信委員会に参考人招致。
- 1996年4月3日 - TBSの磯崎社長ら、衆議院逓信委員会に参考人招致。
- 1996年4月30日 - TBSは坂本のインタビューテープ問題についての社内調査概要など発表。19時00分から19時20分まで磯崎社長による特別番組「視聴者の皆様へ」、19時20分から22時50分まで「ビデオ問題検証特番『証言・坂本弁護士テープ問題から6年半』」を放映。郵政省に最終報告書を提出。Bの懲戒解雇と磯崎社長ら三役の辞任を発表。
- 1996年5月1日 - 磯崎社長が引責辞任。後任に砂原幸雄新社長が就任。
- 1996年5月20日 - TBSは、23時50分から5分間の特別番組「視聴者の皆様へ」で砂原社長より経過報告と今後の対策および謝罪放送をした。
- 1996年5月20日~5月24日 - TBSは不祥事による自粛措置として深夜放送を取りやめ。
- 1996年5月24日 - TBSは横浜法律事務所に公開質問状に対する再回答書提出。3月19日の回答書を全面的に撤回し、坂本インタビュービデオを見せたことを認めるとともに、遺族と横浜法律事務所などに陳謝。
- 1996年12月18日 - TBS「放送のこれからを考える会」(座長・堀田力弁護士)が、報道現場における「個の確立」を求める提言。
- 2009年11月 - 各放送局が「弁護士一家殺害事件から20年」を特集する中、TBSがこの件について報道することはなかった。
[編集] 国会参考人招致
- 1996年3月19日
社内の調査は、予断を排し、厳正、公正に行いました。その結果を隠すことなく発表いたしました。社内調査では、オウムの三人に対応しました二人の社員のほか、当日建物内におりました外部スタッフなどに状況を聞きました。(中略)そうした状況から、我々はテープは見せていないと確信しております。検察庁の捜査結果につきましては私どもはコメントできませんけれども、社内の調査では、見せたという事実は出ていないと確信しておる次第でございます。
—大川参考人, 衆 - 法務委員会
- 1996年3月28日
三月十九日、当法務委員会の場で私どもの社内調査の結果を御報告申し上げましたが、その後、新たな事実が判明いたしました。TBS社員がオウム真理教の幹部三人に、坂本弁護士のインタビューテープを見せていたのであります。前回、当委員会に御報告した内容は誤りということであります。まことに申しわけございません。訂正させていただくとともに、おわび申し上げます。
—大川参考人, 衆 - 法務委員会
[編集] TBS批判とその過熱
[編集] 報道倫理の逸脱
TBS側スタッフがオウム幹部にビデオを見せたことは、情報源の秘匿というジャーナリズムの原則に反し、報道倫理を大きく逸脱するものとして批判された。また、TBSがビデオをオウム幹部に見せたことで坂本が殺害されたという非難もあり、TBS以外の報道機関や世論もこれを認め、TBSを批判して責任を追及した。さらには、オウム幹部の公判において当事者の供述やメモが明らかになったことを受け事実を認めるまでの5か月以上にわたり、「内部調査」を根拠に疑惑を否定し続け、この間の調査の不透明さから、TBSは事実を把握しているのに意図的に隠しているのではないかと疑われた。こうした杜撰な対応による危機管理の失敗も、TBS批判をさらに加速させる要因となった。
[編集] 内部調査の破綻
当初、調査委員会設置時には報道局を中心とした善後策がまとめられていたが、1995年10月19日の日本テレビの疑惑報道で事態は一変する。一連の経緯を把握していなかった一部経営幹部が、日本テレビに抗議を指示。幹部らの独断に近い形で『ニュースの森』内での抗議声明の放送が決定してしまう。この抗議声明の放映により、TBSは疑惑を否定せざるを得ない状況に追い詰められてしまったのだった。それから調査委員会は経営幹部中心となるが、その調査は該当プロデューサーらからの聞き取りのみで、その発言を鵜のみにした「結論ありき」のものだった。しかも、該当プロデューサーはTBSの内部調査と検察の事情聴取に異なった証言をしており、TBSの調査委員会はこのことすら把握できていなかった。一連の経緯からビデオ問題はジャーナリズムや報道機関への信頼を大きく揺るがす非常に重大な事件とされる。
[編集] マスメディアと視聴者との信頼関係
TBSが一転してビデオを見せたことを認めた1996年3月25日、TBSの看板番組『筑紫哲也 NEWS23』のキャスターを務める筑紫哲也は当日の番組内で、マスメディアが視聴者との信頼関係の上で存在していることに触れ「TBSは今日、死んだに等しいと思います[3]。……今日の午後まで私はこの番組を今日限りで辞める決心でおりました」と発言した[4]。この発言も大きな反響を呼んだ。ただし筑紫自身もそれまではビデオを見せたことを否定する発言をしていた。
[編集] 相次ぐ波紋と批判
一方で、世論のTBS批判や「TBSがビデオをオウム幹部に見せたことで坂本が殺害された」という非難に対しては「坂本はそれ以前にラジオに出演し、麻原と電話での討論を行っており『TBSが見せたテープの内容が殺害の直接の動機となったのではないか』との報道は妥当性を欠いている」との反論や「TBSバッシングに興じることで(報道倫理としての)問題の本質を見逃してしまう」とする異論[5]があった。また、これらの批判が行き過ぎ、批判の対象が殺害実行犯のオウム真理教からTBSに移ってしまったことで、一連のオウム事件そのものの真相究明がおろそかになったとの意見もある。
なおTBSは遺族に対しても不誠実な対応をしている。妻・都子さんの父、大山友之さんの著書から引用する。これを不満の表明ととらえるのは著書全体の流れからして適切でない。
1週間後の3月19日、衆議院法務委員会において、参考人として招致されたTBS常務は、この矛盾を突かれ、返答に詰るといった醜態を晒す結果となっています。挙句の果てに、その年の4月30日、TBSは、監督官庁である、郵政省に、事の顛末を報告しています。私は、この「坂本テープ調査報告の要旨」について、日刊紙数社の記事を読み比べましたが、TBSの誤魔化しの意図が見えすぎる半面、事態の真相が全く見えてこないことに激しい憤りを感じました。そこで、私は、直接TBSに問い合わせをしてみました。真相をこの目とこの耳で確認したかったのです。自宅からTBS本社に電話をかけ、広報担当の部署へつないでもらい、住所氏名、どういう立場の人間かを細かく申し述べ、用件を手短かに伝えると、電話の相手が代わりました。そこで私はさらに細かに説明すると、先方はこう言いかけました。「今、責任者が席をはずしていて…」ところが、それも言い終わらないうちに、今度は別の男の声でいきなり、「いったい、何をどうしろと言うんだ!何を要求するんだ!」 そう恫喝してきたのです。これには驚きました。激しい怒りも湧いてきました。しかし、私は真相を知ることと,郵政省に提出した報告書と同じものを入手することが目的であることを思い、ぐっと堪えて、「要求でなく、お願いの電話です。坂本ビデオの報告…」と言いかけたところで、また、電話の相手が代わりました。「私は広報部副部長の〇〇です」居たのです! 責任者は席を外している筈なのに、その場にいたのです! 丁寧に名乗ってはくれましたが、用件を伝えると、「あるにあるが、残る部数も少ないし、部外者に見せる物ではないが、仕方がない、送ります。」そういう答えが返ってきたのです。やはり私は部外者だったのです。『仕方がねえ、送ってやらあ。有難く思え』で済む程度の人間として扱われたのです。マスコミという特権意識に舞い上がった、彼らの思い上がりを強く感じたものです。勿論、マスコミを十把一絡げにして物をいうつもりはありません。しかし、刑法に抵触するとまでも言えないにしても、およそ、理性ある人間として、してはならない過ちをしでかし、それを恥じる事もなく、逆に隠し切ろうとしたTBSの当時の経営陣は、マスコミの末席にも置けない、いや置いてはならない、という思いは今でも変わっていません。このような経緯はありましたが、96年5月2日付けで、広報部長の添え書きと共に、次の表題の書類を送って頂いたことは幸いでした。
— 大山友之(妻、都子さんの父), 「都子 聞こえますか」(2000年新潮社)[6]P227以下
[編集] TBSへの影響
[編集] 番組の大幅改編
TBSはかつて「キー局の雄」や「民放の雄」(『8時だョ!全員集合』や『水戸黄門』などの人気番組が多かった)などといわれたが、1980年代後半から1990年代にかけて、社内の人員構成の高齢化などで番組編成の改革に遅れが生じ、日本テレビなどに視聴率を奪われ、TBSは視聴率の全体的な低迷に陥っていた。ことに平日正午台は『新伍のお待ちどおさま』を除いていわゆる「死に枠」と揶揄された。また平日夜10時にテレビ朝日『ニュースステーション』に対抗すべく夜10時にニュース番組を設けるが視聴率不振で2年で撤退した(『JNNニュース22プライムタイム』『JNNニュースデスク'88・'89』)。さらに社長の意向で『クイズ100人に聞きました』などの人気番組を打ち切って始めた『ムーブ』も失敗していた。
しかし一方でワイドショー番組『モーニングEye』や『ビッグモーニング』→『ザ・フレッシュ!』などが高視聴率を得ていた。こうした状況下でビデオ問題が発覚したのである。結局、1996年6月の中途改編以降、編成・組織の改革を行うことになる。
[編集] 報道系ワイドショー一斉打ち切り
1985年に発生したテレビ朝日『アフタヌーンショー』の「やらせリンチ事件」[7]を上回る放送界最大の事件となったこの問題でTBSは社会的非難を浴び、各ネット局にも大きな打撃を与え[8]、当時放送中であった報道系ワイドショー番組は報道との線引きが曖昧であったとの指摘を受け、いわゆる「報道系ワイドショー」といわれる番組からの撤退を表明する。TBSは1996年6月と10月に改編を実施した。この問題を受け誕生した番組の一つに人気番組『はなまるマーケット』がある
しかし、後番組の『おはようクジラ』・『素敵なあなた』および正午枠は視聴率が悪く、リニューアル・打ち切りが繰り返されることになる。その後、1998年に始まった『ジャスト』ではトレンド情報を充実させ、2000年に始まった『ベストタイム』では家事や家計、部屋のリフォームなどをテーマに置いた。一方で『ジャスト』が正式に芸能ニュースを扱ったことや、『ベストタイム』は番組主体でニュースをワイドショー的演出で紹介するなど、従前の定義による「報道系ワイドショー」の事実上の復活と捉えることができる[9]。
しかし、TBSはビデオ問題発覚から8年後の2004年秋改編で「死に枠」とされていた平日正午枠で放送を開始した『(特)情報とってもインサイト』で報道系ワイドショーを本格的に再開した。だが視聴率は低空飛行の状態が続き、2005年春改編から放送枠を拡大して『きょう発プラス!』と改め、以降この路線は『ピンポン!』、『ひるおび!』で維持されている。
[編集] 深夜放送自粛
不祥事による自粛措置として5月20日から24日までの5日間テレビの深夜放送を取りやめたほか、この期間は『NEWS23』の放送を第1部のみに短縮した。なおラジオの深夜放送は通常通り行われた[10]。この他、地方局では、TBSの深夜番組をネットせずに、『痛快!明石家電視台』(本来は関西ローカル)などMBSの番組をネットするケースも見られた。
[編集] 機構改革
当時、いわゆる報道系ワイドショー系の番組のみならず、情報系から一部バラエティに至るまで数多くの番組が「社会情報局」というセクションで制作されていたが、この件に関しては「ボーダーレス」「ノンジャンル」のセクションだからこそ起きた問題なのではないかという内外からの指摘もあった。
こうした声を踏まえ、社会情報局を廃止した。廃止後、ニュース系の番組は一旦すべて報道局に移管され、それ以外の番組はすべて制作局へ移管され、これが後にTBS社内の制作局、ラジオ局等を分社化させる遠因となった[11]。
ちなみに、TBSでのこの流れを受け、テレビ東京以外の在京民放他局も同様部署の整理再編に動くこととなり、日本テレビ(社会情報局)とフジテレビ(編成局社会情報部)はそれぞれ段階的に廃止・一般番組制作部門への吸収などが行われた。テレビ朝日(情報局)だけは組織改編をせず、同様の部署は維持された(2007年の機構改革で情報局は報道局に吸収された)。
[編集] 路線変更
1996年6月改編では『スーパーワイド』(『3時にあいましょう』の後続番組)が終了、4か月間、ドラマ再放送に充てる。『オンタイム』・『フレッシュ!』を廃止し、裏番組の『ズームイン!!朝!』を意識して地方情報を扱った『おはようクジラ』を開始。一方ではバラエティー番組『クイズ悪魔のささやき』を終了し、『輝く日本の星!』を開始させている。
9月には『スペースJ』・『モーニングEye』が終了した。『モーニングEye』の後継は『はなまるマーケット』を、『スーパーワイド』を放送していた午後3時台に『レディス4』(テレビ東京制作)のようなサロントークを中心にした情報番組『素敵なあなた』を開始した。『サンデーモーニング』と『ブロードキャスター』(2008年9月終了)は報道局制作に移行したため打ち切られなかった。『はなまるマーケット』については放送開始から10年を超える長寿番組となった。
[編集] TBSと日本テレビの関係悪化
[編集] 関係悪化での出来事
この事件を報道した日本テレビとは事件の前後しばらくの間、双方の局が相手に番組資料映像を貸さないなど、険悪な関係となった(但し、準キー局の毎日放送 (MBS) と日テレとは、『野生の王国』など過去の番組映像のやりとりを行っていた)。下記はその主な事例である。
- 俳優のフランキー堺が亡くなって間もなく、日テレの『知ってるつもり?!』で彼をとりあげた際、主演作『私は貝になりたい』のワンシーンが流れたが、1958年にTBS(当時はKRT)で放映されたドラマではなく、翌1959年に劇場公開された橋本忍監督、東宝配給の映画版だった。
- 加藤茶がゲスト出演した日テレの2時間特番で、ドリフ全盛期のいかりや長介のエピソードの前置きにドリフ出演番組のVTRが流れたが、TBSの『8時だョ!全員集合』ではなく、同番組休止期間中の1971年4月から半年間日テレで放送された『日曜日だョ!ドリフターズ!!』の映像を使った。
- 高校サッカー中継は、日テレ系フルネット局が開局した地域でも、1994年度までは一部のJNN系列局が参加していたが、日テレが事件を報道した直後の1995年度の大会から日テレ報道に対する報復の意味も含め次第にJNN系列局が制作参加局から離れ、現在の参加局は宮崎放送のみとなった。宮崎放送が引き続き参加しているのは、NNNに加盟しているテレビ宮崎(FNSメインネット・ANNにも加盟しているがNNSには非加盟)がスポーツ中継(特に野球・サッカー)のノウハウが高くない事が影響しているためといわれる。なお、大分のネットは当地にある日テレ系列局のテレビ大分(フジテレビと日テレのクロスネット)が編成上の都合でネット出来ないことから宮崎と同じ理由でTBS系列の大分放送でネットされることになったとされる。
[編集] 関係改善後のエピソード
その後、TBSと日本テレビとの間では何らかの話し合いが持たれたようで、現在はこの問題が発覚する前とほぼ同様の関係に戻っている。ここ最近におけるTBSと日本テレビの番組面における交流を示すエピソードを下記にまとめる。
- 『サンデージャポン』で『ラジかるッ』を頻繁に取り上げ、時にはサンジャポ取材班が日本テレビのゼロスタジオまで赴き『ラジかるッ』オンエア前後にVTR取材も行っている(『ラジかるッ』でも『サンデージャポン』について頻繁に取り上げている)。
- 日テレの人気番組『進め!電波少年』などを手掛けた土屋敏男元プロデューサーが『サンデージャポン』にゲスト出演している。
- 2007年3月20日の日テレ『ザ・ワイド』の船越英二追悼のコーナーで、TBSの『時間ですよ』の映像が引用された。
- 2007年3月30日にはプロ野球開幕に合わせて日本テレビと共同企画(『みのもんたの朝ズバッ!』と『午後は○○おもいッきりテレビ』に両局のアナウンサーが相互出演)を行っている。
- 『ドッカ〜ン!』で、インディ500の中継映像が『映像提供・日本テレビ』のクレジット入りで放送された。
- 『ラジかるッ』の司会を務める中山秀征が、2008年2月27日放送『はなまるマーケット』のコーナー「はなまるカフェ」に、主演舞台の宣伝のためにゲスト出演した。コーナー開始前のゲスト紹介では「ラジかるッコール」も披露した。
- 日テレ『THE・サンデー』の北京オリンピック関連のコーナーで2007年世界陸上の映像が流れ、「映像提供・TBS(ジ〜ン)」のテロップが入り、活字でなくロゴが使われていた。[12]
- 『ぴったんこカン・カン』で加藤浩次が『悪魔の契約にサイン』の番宣を兼ねてVTRゲストで出演した際、加藤が司会を務める日テレのワイドショー『スッキリ!!』の映像が流れ「映像提供 日本テレビ」のクレジットが表示された。
- 2008年に行われた第50回日本レコード大賞では水谷豊が出演。『カリフォルニア・コネクション』の歌唱中に、日本テレビのドラマ『熱中時代・刑事編』のVTRが放送された。
[編集] 脚注
- ^ 単にTBS事件といえばTBS成田事件を指すことが多いため注意が必要である。
- ^ 1989年10月当時のTBS系列26局の内、15時台は21局が『3時にあいましょう』をネットしていたが、IBC岩手放送とテレビ山口はフジテレビ系列の『タイム3』の同時ネットを放送、北陸放送と宮崎放送はテレビ朝日系列の『お昼のマイテレビ』の時差ネットを放送、山陰放送は再放送枠となっていたため、これらの5局では『3時にあいましょう』は当時ネットされていなかった。
- ^ 筑紫は著書『ニュースキャスター』(集英社新書)にて、元々この言葉は放送直前の会議の中でスタッフが発した言葉で、放送にあたって自身の言葉として発していいか同意を得たうえで発言したという後日談を記している。
- ^ News23 多事争論 3月25日(月) 「坂本弁護士事件とTBSの問題」
- ^ いずれも、「この問題はどの報道機関でも起こり得たことだ」として、TBSバッシングに興じ、自己批判・自己反省を行わないマスメディアのあり方やTBSへの過熱した批判報道に対して疑問を投げかけている。
- ^ 都子 聞こえますか ― オウム坂本一家殺害事件・父親の手記 大山友之 (新潮社) ISBN 4104380016
- ^ テレビ朝日は『アフタヌーンショー』「やらせリンチ事件」以降ワイドショー全体はもちろんのこと、テレビ朝日系列全体の信頼失墜に陥り、特にテレビ朝日系列平日正午枠は半年から1年で打ち切りを繰り返すいわゆる「死に枠」となってしまった。1992年9月に発覚した『素敵にドキュメント』(ABCテレビ)のやらせ発覚が引き金となって、テレビ朝日は1993年4月に『モーニングショー』打ち切りやテレビ朝日系列平日正午枠の時差ネット廃止(廃止時点に放送していたJNN系列局は山陰放送・宮崎放送・琉球放送の3局)などのワイドショー改編を行った。
- ^ MBSを視聴している関西の視聴者からは「MBSはTBSの番組を撤退しろ」という声もあったほか、さらに『アフタヌーンショー』打ち切り時に『アフタヌーンショー』をネットしていた北陸放送・山陰放送・長崎放送・熊本放送・宮崎放送・琉球放送は「やらせリンチ事件」以来の大打撃を受けた。
- ^ 『ジャスト』ではスキャンダルネタは扱わなかった。例としては1999年に起きた浅香光代と野村沙知代との間で起きた騒動(いわゆるサッチー騒動)はTBS以外の「報道系ワイドショー」に当てはめることのできる番組は連日報じていたが、『ジャスト』は他番組ほど触れていない。『とくダネ!』(フジテレビ)も同様の方針を採っている。
- ^ ただし、『いすゞ歌うヘッドライト〜コックピットのあなたへ〜』はTBSラジオのみ放送休止し、同時ネット局への裏送り放送として通常通り行われた。
- ^ 2000年に「TBSエンタテインメント」、「TBSスポーツ」、「TBSラジオ&コミュニケーションズ」、2001年には「TBSライブ」にそれぞれ分社化するもエンタテインメント、スポーツ、ライブの3社は2004年に「TBSテレビ」に統合され、ラジオの放送免許とコールサインは2001年10月1日にTBSラジオ&コミュニケーションズへ継承され、テレビ放送のコールサインは同日に変更になった。2009年にTBS自体も商号を『株式会社東京放送ホールディングス(略称:TBSホールディングス、TBSHD)』に変更、放送免許の承継を含むテレビジョン放送事業及び文化事業の現業一切をTBSテレビに分割して純粋持株会社化になった。
- ^ 日テレだけでなくテレビ朝日 報道ステーションでも映像使用時に「映像提供 (ジ~ン)TBS」とロゴが表示された。
[編集] 関連項目
- 3時にあいましょう
- モーニングEye
- スーパーワイド
- 坂本堤弁護士一家殺害事件
- オウム真理教(現:Aleph、ひかりの輪)
- TBSテレビ#2000年以降の主な事件・不祥事・トラブル
- TBSビデオテープ押収事件 - 1990年に暴力団を取材したビデオテープが捜査資料として押収された事件。
[編集] 外部リンク
- 坂本弁護士一家殺害事件(坂本弁護士と家族を救う全国弁護士の会 瀧澤秀俊)
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