TKO (お笑いコンビ)

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 TKO
メンバー 木本武宏
木下隆行
結成年 1990年
事務所 松竹芸能
活動時期 1992年-現在
出会い 中学校時代
旧コンビ名 たむろ、T・K・O
現在の活動状況 テレビ・ライブなど
芸種 コント
現在の代表番組 イツザイ
過去の代表番組 コンビニTV TKOのおきて
MBSヤングタウン
知っとこ!など
公式サイト 公式プロフィール
受賞歴
1994年 ABCお笑い新人グランプリ新人賞
1994年 爆笑BOOING第4代グランドチャンピオン
2008年 キングオブコント決勝進出
2009年 S-1バトル月間チャンピオン(9月)
  

TKO(ティーケーオー)は、松竹芸能所属のお笑いコンビである。大阪府出身。

目次

[編集] メンバー

木本 武宏(きもと たけひろ、1971年5月6日 - )
木下 隆行(きのした たかゆき、1972年1月16日 - )

[編集] 経歴

  • 2人は中学校からの友人であり、木下は別の男性と吉本興業に入ろうと約束していたが、その男性はフィリピンへ。そんな木下に木本がローラースケート場で、「その迷彩の手袋、かっこええなあ」と声をかけたところ、木下は木本とコンビを組もうと決心したという。
  • 1990年10月に松竹芸能へ入り、1990年代中期より関西を中心にライブやテレビ・ラジオ等で活躍。テレビでは事務所の先輩森脇健児の番組によく出演していた。
  • 最初のコンビ名は「たむろ」(「ウッディーズ」にしようという案もあったらしい)だったが、後に、2人ともイニシャルがT.K.なので、これにボクシングT.K.O.(テクニカルノックアウト)をかけたT・K・Oにした。その後、TKOに改名。
  • これまで何度か東京進出を試みるも、いずれもさまざまな理由から定着することなく、ことごとく失敗を重ねてきた。2006年、特に理由はないが「今だ!」と思い、を頼りに自身5度目の東京進出を果たし、現在に至る[1]。ちなみに過去の東京進出時に出演したレギュラー番組と敗因は[2]
『東京Aランチ』は、『森田一義アワー 笑っていいとも!』の各曜日のディレクターがお気に入りの若手芸人をプロデュースし、『いいとも』のレギュラーに登用するという企画で、TKOも金曜レギュラーが内定し、共演者への挨拶まで済ませていたが、上記の理由でTKOのみがレギュラーが取り止めとなり、また『内P』では、腕やキャリアの割りに売れていないことのギャップが面白がられて呼ばれていたが、これも番組自体が終了するなど、不運が重なった経緯がある。
  • 2008年5月17日放送ザ・イロモネアで見事全ジャンルステージクリアーで100万円獲得 木下泣く
  • 第1回キングオブコント決勝進出。
  • 2009年9月度のS-1バトルで、初出場ながらも見事優勝。吉本以外では初の優勝者となった。

[編集] ネタ

コンビ
  • 主にコント。木下がとぼけた感じでボケまくる独特なコントを展開する。
  • 1つのネタを作る際に、ネタ合わせをみっちり2回行っている。
  • 最近では歌などで木下が木本に合わせようとする「知ったかぶり」や、漫才で木下が打ち合わせと違う言動をするネタ、大山ドラえもんネタをよく行っている。
  • ネタの合間のつなぎとして、木本が肩を交互に上下させながら「ズッツッチャッチャッ」と言い、木下が続けてDJスクラッチの真似をしながら「チキチキチー」と言うのが恒例となっている。
木下単独
  • 後述のとおり、デビュー当時から容姿が大きく変貌しており、それを生かして事務所の先輩でもある笑福亭鶴瓶せんとくんの顔真似を持ちネタとしている。なお鶴瓶のものまねでは本人からもらった眼鏡を使用している。またせんとくんのオフィシャルサポーターも務めており、就任式でせんとくんから12個のポーズを伝授された。[3]

[編集] 逸話

コンビ
  • デビュー当時は、ふたりともハンサムで通っていた。しかし、香取慎吾に似ているという評判まであった木下は、年を重ねるにつれ次第に太りだし頭髪も薄くなってしまった。雨上がり決死隊宮迫博之曰く、「歳を重ねるごとに(木下の髪の毛が)ムケちゃった」[4]
  • 半年先輩によゐこが、1年先輩にDA-DAがいる。同学年のこの2組とは若手時代に一緒にアメリカ村で路上ライブをするなど仲がいい。特に関西でずっと一緒に活動していたDA-DAとは、タメ口で会話するほどの仲。
  • 後輩のますだおかだにライバル心があるらしく、劇場で靴を隠すといった嫌がらせをしていた。
  • 後輩にオセロもいる。オセロが地方の営業に遅刻した際に2人が泣くほど叱りつけたが、後日事務所からその事について逆にこっ酷く叱られてしまった。現在はオセロの松嶋尚美と、のイズ時代から交流のあるヒサダトシヒロの結婚式に、共通の友人として木本が出席するなど、良好な関係となっている。
  • ますだおかだ、オセロだけでなく安田大サーカスにまで抜かれた時は相当悔しかったらしく、安大のクロちゃんがオチで使う紙吹雪を隠したことがある[5]
  • 爆笑オンエアバトルの初出演は270KBながらオンエアを果たした。現在もオンエアされたKBの最低記録である。
  • 森田まさのりが『ヤングジャンプ』で掲載した読み切りの『柴犬』は、TKOのふたりをモデルにした話だが、当時は2人が無名だったので、「取材協力 松竹芸能」になった。
  • 木下曰くオリエンタルラジオのことを「オリラジ兄さん」と呼んでいる[6]
  • 長寿番組である「MBSヤングタウン」のレギュラーを3年半にわたり務めたが、彼らの降板半年後に平日枠が終了したことから、大阪では「あいつらを番組に出すと番組が終わる」と言うジンクスが広まった。これについて本人たちは「呼んだら終わるんじゃなくて終了が決まってから自棄で呼ばれる。」とコメントしている[7]
木本単独
  • 既婚者である。妻とは16歳のころからの付き合い。[8]
  • DA-DA植村とのユニット「ジョンメロン」としても活動する。
  • 2005年頃から禁煙しているが、その理由は「タバコとコーヒーが大好きなせいで息がすこぶる臭かった中学の担任K先生みたいになりたくなかったから」という[9]
  • 2003年9月16日阪神百貨店前で阪神タイガース優勝記念セールに一番乗りしていたことが判明。18年ぶりリーグ制覇した前日夕方から並んでおり、一番乗りであった。関西ではマスコミ各社にタレントとして紹介されたが、当時は全国的にはまだ無名であったため、全国ニュースでは一般人扱いされていた。
  • 木工を趣味としており、カラーボックスに色を塗って、そこに蓋とキャスターを付けてお洒落な収納ケースにしたり、また、ビリヤード台を作った事もあったが、自分のアパートの4畳半の部屋に置いていたため、ビリヤード台の下で寝たこともあったという[5]
  • 実家は自動車販売店で、阪奈道路に面しているために飼っていた犬が車に轢かれて死んだことが数回ある。売れない頃はインターネットオークションで実家の自動車部品や服を販売し生計を立てていた。
  • 大阪のラジオ番組に及川奈央がサイン会の告知に来たので、大ファンだった木本は、次の日、京都のサイン会にファンとして参加。サイン入りの8×4プレゼントのジャンケン大会で勝ち残り、舞台上に上がり、本人から手渡された。
  • 松竹の風紀委員。礼儀作法には特に厳格で、後輩からは畏怖を込めてジャギと呼ばれることもある。
  • ますだおかだがM-1グランプリ王者になったとき、本人いわく「負けを認めた」ものの、安田大サーカスの団長によると「松本さんは(最終決戦の審査で)ますだおかだには投票していない」と話したという。また、その後木本は松竹芸能の事務所に展示してあったますだおかだのM-1グランプリのトロフィーを勝手に持ち帰り、道頓堀に投げ捨ててしまった。[10]
木下単独
  • 高校時代、なかなかのハンサムだったが、全くモテなかった。
  • 濱口優(よゐこ)率いる「松竹映画部」の一員。
  • 濱口等から、大のドケチであることが語られている。
  • 松竹芸能の後輩に自らを「ビッグ」と呼ばせている。しかし上記のケチエピソードから濱口曰く「どこがビッグやねん」。
  • 喫煙者であるが、濱口曰く「他人から貰ってばっかりで、木下自身が煙草を持っているのを見た事がない」とのことである。
  • ラジオ番組「ハイヤングKYOTO」の生放送中に、当時交際していた女性にプロポーズをして結婚。そして長女一人をもうけたが、5回目の東京進出の際に離婚している。長女は嫁が引き取ったため離れて暮らしており、その長女からもらった手紙を大切にしている[5]
  • 実家は関西や関東を中心に15店舗を持つ「元祖鉄板鍋きのした」グループで、現在は木下の長兄・眞行が経営者。次兄・浩行も「鉄板鍋づくし」「つけ麺屋ちっちょ」などを経営する実業家。1998年に発売された松竹芸能若手芸人のビデオ「よゐこ T・K・O ますだおかだ のイズ アメリカザリガニ DA-DA」のT・K・Oのコーナーでは木下の母が自ら出演し、よゐこと共に「きのした」のCMを制作した(ちなみに木本家の自動車販売店のCMも作られ、5秒ほどではあるが木本の両親が出演している)。また、ますだおかだのラジオ番組「どーだ!ますだおかだ」の番組スポンサーを務めていた時期もある。
  • コントS錠』(関西テレビでかつて放送していたローカル番組)で知り合った放送作家東野博昭(若い頃は北野誠と漫才をしていた人物)に誘われて舞台演劇を経験したことがある。
  • 歌がうまく、フジテレビ系「お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル」では決勝まで進むことが多い。この番組に力を入れていると番組中で話していた。2009年1月27日に放送された同番組では4度目の決勝戦で念願の初優勝を果たした。
  • デビュー前はダウンタウンの追っかけをしていた[11]
  • マザコンであり、中学3年生まで母の二の腕を触りながら寝ていた。本人曰く「落ち着く」[12]
  • 小学3年生までトイレをした後、自分でお尻を拭けなかった。これは「目の届かない所に手を伸ばすのが怖かったから」だという[12]
  • 小学1年生の頃に盲腸の手術をしている。しかし、手術を行なった医者がヤブ医者だった為に別の病院で再度摘出手術を行い、へその上に傷が出来る。手術の際に全身麻酔をされた事と傷が大きかった事で生死を彷徨っている。
  • その数年後、林間学校で山の水を飲み過ぎ、「腸がびっくりしてひっくり返り(本人談)」、腸捻転になり、その時の手術でへその下側にも傷が出来る。その結果、へその上下に縫い傷が出来た事で、へそが「メガネをはずしたときの、のび太の目」のようになった。
  • それらの傷跡のことで、宮川大輔よゐこによくいじられた(本人談)。舞台前など、よゐこ二人のテンションが低いときなどは、「ちょっと腹見せて!」と言われ、その傷跡を見て二人ともいつも大笑いし、テンションのあがったところで舞台に上がっていった。
  • それらの傷跡の為、お腹を出す仕事ができないことが多い。(「めちゃ×2イケてるッ!」でのプールでのよゐことの対決のとき、四人とも女性用の水着を着ていたのは、この傷を隠すためだった。)
  • 傷跡が仕事に影響が出るのと腹部の脂肪が増え傷が裂けそうになった為に2009年6月4日、その手術跡を除去する手術(傷の部分の皮を取り左右から引張り、縫いつける手術)を行った。医者に相談に行った翌日だけが仕事の休みであることから、医者にお願いし、たまたま他の手術のキャンセルが出た翌日に手術をしてもらうことになった。六時間に及ぶ全身麻酔と、牛乳パック三本分の脂肪吸引の末、手術跡を取り除くことができ、手術は成功。
  • 手術後、お医者さんは三日間入院が必要と木下に告げる。しかし、木下はすぐ退院できると思っていたので、次の日も仕事があり、また手術のことは、マネージャーにも相方にも相談していなかったため、先生に事情を説明し、無理やり退院。翌日「腰の具合が悪いんです」といってお腹にコルセットをしながら、テレビ番組「正直しんどい」の食事ロケに参加し、三日後には早朝までのラジオ生放送「まだまだゴチャ・まぜっ!~集まれヤンヤン~」に出演し、この手術のエピソードを自分で喋っていた。
尚、手術前日の相方とのやりとりはGyaoジョッキー『トークも結構おおざっぱ!2009年06月03日』にて放送されている。現在はアーカイブとして残っている(本人はGyaoの外にこの話を漏らして欲しくないと語っている)。
  • おなかの手術から一週間後、今度は五時間かけて、前歯四本を入れ替える手術を行った。

[編集] 出演番組

[編集] 現在

テレビ番組
コラボカーペットで、芋洗坂係長渡辺直美姫ちゃんCOWCOW多田健二2700と共演。
ラジオ放送

[編集] 過去・単発出演

テレビ番組
ラジオ放送
インターネット放送

[編集] Web

TKOインタビューmotteco書店 (2009月09月11日)

[編集] 関連項目

[編集] 脚注

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  1. ^ 2007年6月3日ABCテレビ『笑いの金メダル』より
  2. ^ 2008年5月1日テレビ朝日『アメトーーク
  3. ^ 「せんとくん」ソックリのTKO・木下、遂にオフィシャルサポーターに就任
  4. ^ 2008年3月放送の「アメトーーク」より
  5. ^ a b c 2008年10月14日放送の「はなまるマーケット はなまるカフェ」より
  6. ^ 2008年11月放送「アドレな!ガレッジ」より
  7. ^ 2008年12月5日放送の「一攫千金!日本ルー列島3時間スペシャル」で島田紳助が発言。
  8. ^ 「まだまだゴチャ・まぜっ!~集まれヤンヤン~」でたびたび発言している。
  9. ^ 自身のブログにて本人がコメント
  10. ^ 2009年8月2日放送「さんまのからくりTV」、2009年5月12日放送「リンカーン」より
  11. ^人志松本のすべらない話」で告白
  12. ^ a b 2009年3月13日放送「情報ライブ ミヤネ屋」より、木下の母および長兄・眞行談

[編集] 外部リンク

お笑い芸人歌がうまい王座決定戦スペシャル王者
オールスター回
つるの剛士
第14回
TKO
第15回
山崎邦正