S.E.S.

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S.E.S.
基本情報
出身地 韓国の旗 韓国
ジャンル K-POP
J-POP
活動期間 1997年 - 2002年
レーベル キングレコード(韓国、1997年)
S.M.ENTERTAINMENT
(韓国、1998年 - 2002年)
VAP(日本、1998年 - 2000年
avex trax(日本、2000年 - )
事務所 S.M.ENTERTAINMENT
公式サイト S.E.S. Korea Official Site
メンバー
Sea
Eugene
Shoo

S.E.S.[1](エスイーエス)は、韓国の女性3人組の歌手グループ、アイドルグループ。1997年11月にデビューし、SMエンターテインメントとの専属契約が切れた2002年末に解散した。グループ名は、メンバーの芸名であるSea(パダ=朝鮮語で「海」の意。)、Eugene(ユジン)、Shoo(シュー)の頭文字から取ったもの。

メンバー[編集]

誕生日は韓国暦(日本の旧暦とほぼ同じ)

  • パダ(Sea/Bada, 바다 本名:최성희、崔盛希、チェ・ソンヒ)1980年2月28日(34歳)。血液型AB型。
  • ユジン(Eugene, 유진 本名:김유진、金楢真、キム・ユジン)1981年3月3日(33歳)。血液型A型。
  • シュー(Shoo, 本名:유수영、柳水永、ユ・スヨン)1981年10月23日(32歳)。血液型A型。

概要[編集]

韓国芸能界で、はじめて本格的・継続的に成功した女性アイドルグループである。彼女たちの成功に刺激され、Fin.K.L(ピンクル)Baby V.O.XSugarJewelryなどが続々と登場した。また、韓国経済危機が起こったとき、海外からの観光客誘致を呼びかけるCMに、金大中大統領(当時)と共演している。

1998年10月、バップから『めぐりあう世界』をリリースし、日本デビューを果たす。2000年5月にはエイベックスに移籍。「週刊少年マガジン」など少年誌のグラビアを飾ったり、「THE夜もヒッパレ」や「恋ボーイ恋ガール」などにも出演していたが、当時はまだ韓流ブームが起きる前で、韓国芸能への関心が低かったため、セールス的には不本意な結果に終わった。それでも、メンバーのシューは、日本・神奈川県出身で、日本語も朝鮮語も普通に話せるため、V6とデュエット曲「One」を日韓両国で発表したり、井ノ原快彦主演の舞台『東亜悲恋』やデジタルフォトドラマ「NO KISS」にも出演している。所属事務所だったSMエンターテインメントは、彼女達の後もBoA東方神起少女時代などを次々と日本に進出させ、今日のK-POPブームの礎を築いた。また、ユジンはアメリカグアム出身、シューは日本出身の帰国子女だが、このように海外進出を視野に入れて帰国子女をメンバーに入れる手法は、SMだけでなく他事務所のアイドルグループでも踏襲されている。

S.E.S解散後、パダは歌、ユジンはドラマ、シューはミュージカルを中心に活動している。

ユジン== エピソード ==

  • S.E.S.の所属事務所だったSMエンターテインメントの創業者兼オーナーであるイ・スマンは当初、同事務所所属の男性グループH.O.T.を日本でデビューさせるつもりだったが、当時の韓国では兵役未了の男性が海外を頻繁に行き来することは難しかったため断念し、代わりにS.E.S.が日本進出第一号になった。
  • S.E.S.の日本進出が失敗に終わったため、イ・スマンは日本ではヒットさせるまでに時間が掛かることを痛感し、その期間を逆算して次はもっと若い歌手を送り込もうと社運を賭けたプロジェクトを起こし、その結果BoAの日本進出成功につながった。また、S.E.S.は韓国で人気絶頂の時に日本での活動を優先したため、本国での人気低下を招いた面があるとされている。少女時代の日本デビューでは、SMはS.E.S.の失敗を教訓として、曲選びからデビューイベントの内容、時期まで慎重に吟味したという[2]。このように、S.E.S.の日本進出が苦戦した経験を、SMは後輩達の日本進出成功に生かしていると言えるだろう。
  • デビュー前は、中国語も話せるソイという女性も加えた4人組グループとし、各メンバーがそれぞれ英語、日本語、朝鮮語、中国語を話せるというグループ構成にする予定だったが、ソイが抜けたので、結果的に3人組としてデビューした。イ・スマンも、「S.E.Sは実は4人だったんですよ。中国語が出来る子も入れて4人だったんですが、デビューさせる直前に中国語のできる彼女の個人的な理由で抜けることになりました」[3] と語っていた。なお、ソイはのちに、女性グループT.T.MA(ティティマ)[4]のメンバーとしてデビューし、現在はギタリストのチャン・ジュンソンと一緒にRASPBERRY FIELDという2人組ユニットのボーカルとして活動しており[5]、彼女の姉はソロ歌手のHeyである[6]
  • 日本の芸能マスコミでは、S.E.Sを当時の日本の人気アイドルグループ「SPEED」になぞらえ、「韓国のSPEED」として紹介することが多かった。
  • 『めぐりあう世界』『夢をかさねて』『(愛)という名の誇り』などの作曲を島野聡が手がけた関係で、同じく彼の作であるMISIAつつみ込むように…』を韓国でカヴァーしたこともある(第4集「A letter from Greenland」収録、韓国でのタイトルは『Show me your love』)。
  • 1999年頃、メンバー全員が頭を金髪にしたために、韓国KBS放送から出演禁止に指定された事があった。KBSは公営放送であることから、芸能人は若者に多大な影響力を持つため、模範的な外見であることを当時は要求していたからである[7]
  • 2001年にはユジンとシューが、高校の代わりに韓国で通っていた外国人学校が韓国の大検資格を有していなかったことが発覚し、ユジンは一年通った高麗大学の、シューは合格したばかりの韓国外国語大学の入学を取り消されるという騒動もあった。合格の経緯が特殊才能保有者試験という特別枠だったため、その点でも世間の批判にさらされた[8]
  • 韓国の大手芸能事務所の一つであるDSPメディア(旧・テソン企画)は、SMエンターテインメント所属のS.E.Sに対抗する形で、女性4人組Fin.K.L(ピンクル)をデビューさせたが、その後もSMの東方神起に対するDSPのSS501、SMの少女時代に対するDSPのKARAといった形で両社の競合関係が続くことになる。
  • ユジンはデビュー当時から人形のように可愛く”韓国のオリビア・ハッセー”と呼ばれて現在でも人気を保持している。現在では”ビューティーアイコン”とも呼ばれ美貌は衰える事がないようです。アイドルが女優に転身する道を作った人で、アイドル出身の女優で1番の成功者・功労者と尊敬されています。女優に転身後は演技力に定評がある為、様々なドラマ&映画に出演し、高視聴率を得ています。*シューは2010年のインタビューで、S.E.S.時代を「華やかなとき」と表現し「当時は本当にたくさん仕事をしましたが、振り返ってみるとからっぽでした。そのときにわたしが持っていたのは、人気、ファンなど、永遠のものではなかったんですから。ですが日本でミュージカルに出演し、その状況をちゃんと乗り越え、今はとても心に余裕が出てきたので、華やかなときに戻れと言われても、そうしたいとは思いません」とコメントしている[9]
  • 2010年4月には、シューが妊娠した事をきっかけにプロバスケット選手イム・ヒョソン(仁川電子ランド)と結婚した[10]。結婚式では元メンバー3人全員が集まったことで、「S.E.Sのプチ再結成」として話題になった[11]。そしてシューは、同年6月23日午前2時30分に、ソウル・江南の病院で男の子を出産した[12]
  • 2011年7月には、ユジンが俳優のキ・テヨンと結婚した。この2人が知り合ったのは、MBCドラマ『恋人づくり』の共演したのがきっかけである[13] 。7月23日に京畿道安養のソウル中央教会で行われた結婚式には、元S.E.S.メンバーだけでなく多くの芸能人も出席した。パダは、「シューに続きユジンも結婚してうらやましくないか」という記者の質問に対して、「今はうらやましさを越えた」、「昨日の夜遅くまで、これがまさに真の(S.E.S.の)リーダーの役割ではないかと考えた」とコメントした[14]
  • パダは、ミュージカル「美女はつらいの」に2008年から主演(カン・ハンビョル役)を務めていて、数々の賞を受賞した。2011年10月8日~11月6日に日本・大阪松竹座で行われた公演では、KARAのギュリと共にダブルキャストで主演を務めた。『朝日新聞』2011年10月8日付夕刊で、パダはギュリと共にインタビューに応じたが、パダはS.E.S時代について、「当時、韓国のアイドルが日本のテレビに出るなんて大変だったし、どちらの国でも奇異の目で見られた。」「誰もいなかった時代に頑張った経験は自信になっている」と振り返った。ギュリは、「先に道を切り開いた人のおかげ、感謝している」と語った。ちなみに、パダとギュリは、同じく安養(アニャン)芸術高校の出身で、専攻も同じく演劇である。

ディスコグラフィー[編集]

韓国盤[編集]

アルバム[編集]

タイトル 発売日 販売量 レーベル
1集 I'm Your Girl 1997年12月24日
61万枚
キングレコード/シンナラレコード
1998年 年間 9位
2集 Sea & Eugene & Shoo 1998年11月23日
651,331枚
シンナラレコード
1998年 年間 21位
3集 Love 1999年10月29日
770,475枚
WaWa Entertainment
1999年 年間 4位
4集 A Letter From Greenland 2000年12月23日
645,713枚
IK-Pop
2000年 年間 16位
4.5集 Surprise 2001年7月11日
357,896枚
IK-Pop
2001年 年間 16位
5集 Choose My Life-U 2002年2月14日
406,528枚
IK-Pop
2002年 年間 11位
5.5集 FRIEND 2002年11月21日
94,654枚
IK-Pop
2002年 年間 66位

VCD,VHS[編集]

タイトル 発売日 レーベル
VCD,VHS Dreams Come True 1999年9月18日 Sego Entertainment
VCD SES nCD 1999年12月23日 Palette Music
VHS 2000 SES First Concert 2000年6月16日 Sego Entertainment
VCD 2000 SES First Concert 2000年6月23日 Sego Entertainment

日本盤[編集]

VAP[編集]

シングル[編集]
タイトル 発売日 オリコン
最高順位
販売量 タイアップ
1st めぐりあう世界 1998年10月21日
37位
13,780枚
日本テレビ系「ぐるぐるナインティナイン」エンディングテーマ
Remix I'm your Girl 1998年12月10日
82位
3,090枚
2nd 夢をかさねて 1999年2月21日
83位
2,470枚
フジテレビ系「そう快!ヒデタミン」エンディングテーマ
3rd (愛)という名の誇り 1999年6月23日
60位
8,930枚
フジテレビ系「恋ボーイ恋ガール」エンディングテーマ
4th T.O.P (Twinkling of Paradise) 1999年10月27日
56位
4,840枚
5th Sign of Love/Miracle 1999年12月8日
78位
3,280枚
日本テレビ系「第78回全国高校サッカー選手権大会」イメージソング

日本テレビ系「TVおじゃマンボウ」エンディングテーマ

6th Love ~いつまでもオンジェ·カジナ~ 2000年4月21日
100位
2,030枚
日本テレビ系「週刊ストーリーランド」エンディングテーマ
O.S.T. 海のオーロラ 2000年7月21日
映画「The AURORA 海のオーロラ」主題歌
7th Lovin' You 2000年8月2日
日本テレビ系「週刊ストーリーランド」エンディングテーマ
アルバム[編集]
タイトル 発売日 オリコン
最高順位
販売量
1集 REACH OUT 1999年3月10日
50位
10,290枚
ベスト Prime -S.E.S The Best- 2000年3月15日
64位
3,750枚
2集 Be Ever Wonderful 2000年5月24日
93位
2,760枚
ベスト HERE & THERE - S.E.S Single Collection 2001年3月16日
DVD,VHS[編集]
タイトル 発売日
PV集 S.E.S VIDEO CLIPS 2000年8月23日

avex[編集]

アルバム[編集]
タイトル 発売日
4集 A letter from Greenland 2001年6月12日
1集 SES 2001年8月22日
2集 SES2 2001年8月22日
3集 SES3 Love 2001年8月22日
5集 Choose My Life - U 2002年5月2日
ベスト BEST 2002年7月10日
ベスト BEAUTIFUL SONGS 2003年6月25日
DVD[編集]
タイトル 発売日
PV集 BRILLIANT CLIPS 2003年6月25日

出演[編集]

テレビ[編集]

レギュラー[編集]

音楽番組[編集]

バラエティ番組[編集]

ラジオ[編集]

CM[編集]

韓国[編集]

風船[編集]

韓国内での応援用風船の色は紫[15]

脚注[編集]

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  1. ^ S.E.S」と表記していることもある。
  2. ^ 『少女時代見聞録』少女時代研究会:編、蒼竜社、2010年、p29
  3. ^ 『韓国エンターテインメント三昧』田代親世:著、芳賀書店、2000年、p52
  4. ^ http://www.kpopsfan.com/home/ttma/ttma2.htm
  5. ^ 『K‐POPパーフェクトBOOK』阿部泰之:著、イーストプレス、2011年、p80
  6. ^ 『K‐POPパーフェクトBOOK』p205
  7. ^ 『韓国エンターテインメント三昧』p55、59
  8. ^ http://www.interq.or.jp/earth/tataku/04log/060603.htm
  9. ^ http://www.wowkorea.jp/news/FocusRead.asp?nArticleID=66643
  10. ^ http://contents.innolife.net/news/list.php?ac_id=4&ai_id=109927
  11. ^ http://www.kntv.co.jp/news/?p=36213
  12. ^ http://www.wowkorea.jp/news/enter/2010/0623/10071856.html
  13. ^ http://www.wowkorea.jp/news/enter/2011/0511/10083657.html
  14. ^ http://contents.innolife.net/news/list.php?ac_id=4&ai_id=135365
  15. ^ ファン・ボヒョン「コンサート会場での風船文化」、『K-POPSTAR Vol.2』、マガジンランド、2001年6月、PP92-93。

外部リンク[編集]

公式サイト[編集]

ファンサイト[編集]

Member[編集]