RPGマガジン

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RPGマガジン』(ロールプレイングゲームマガジン)は、ホビージャパンが1990年から1999年にかけて刊行していたテーブルトークRPG(TRPG)専門誌。「アールピージーマガジン」と発音されることもあるが、正しくは「ロールプレイングゲームマガジン」である。同時代に出版されていた他社の同系雑誌とは異なり、資料性の高い記事が特徴となっている。

目次

[編集] 概要

1990年5月2日付けで創刊。1999年7月発売の8月号(通巻112号)で休刊。休刊まで変わらず月刊刊行。当初は中綴じであったが、途中で平綴じにリニューアルした。テーブルトークRPG雑誌としては「特定のゲームシステムに依存しない、テーブルトークRPGという遊びそのものの魅力を伝えることをメインとする」という他にない独特の傾向があった。そのため、記事の多くはシステムに依存しない全般的なプレイガイダンスや、シナリオ作成の助けになる雑学に関係する記事が主流であった(とはいえ、ホビージャパンが発売しているゲームについては毎号サポート記事の連載も行われていた)[1]

[編集] 沿革

[編集] タクテクス時代

雑誌の前身はホビージャパンウォー・シミュレーションゲーム専門誌『月刊タクテクス』。1980年代末、折からのテーブルトークRPGブームが序々に盛り上がっていく中で『月刊タクテクス』もテーブルトークRPG関連の記事を扱うようになっていき、その量は日増しに増大していった。

1987年8月に発売された『タクテクス』46号(1987年9月号)からは奇数月の号はテーブルトークRPGのみを扱い、偶数月の号はウォー・シミュレーションゲームのみを扱うという変則的な出版形態を取るようになる[2]

また、それとは別個にタクテクス別冊として『RPGマガジン』が2冊出されている。後にこの別冊が独立して『月刊RPGマガジン』として創刊された。

[編集] 中綴じ時代(創刊号~59号)

創刊当初は『タクテクス』時代の記事を多く受け継いでいて、『ルーンクエスト』や『ワースブレイド』などの自社発売ゲームのサポートが中心であった。しかし、桐島カブキの連載記事「あなたにも出来るファンタジーRPG設定資料作成マニュアル」[3]などの歴史資料記事が静かな人気を得ていき、序々に資料性の高い雑学記事が増えていくようになった。

また、これらの比較的“硬派な”資料記事に加えて、ゲームライターの菊池たけしの記事(特に『セブン=フォートレス』のリプレイ)の軽妙なテンポが人気を博し、ライトユーザーも流入していった。

中綴じ時代の『RPGマガジン』のコンセプトを如実に表すものが、毎月行われていた「特集」記事である。『RPGマガジン』では毎月、SF特集、魔法使い特集、古代日本特集など、RPGのシナリオのストーリージャンルに合わせた特集が企画されていた。特集用に書かれる資料性の高い雑学記事は、歴史学、民族学、文学、科学など、さまざまな分野に渡るもので、ゲームファン向け博物誌のような雰囲気を成していた[4]

美麗なヴィジュアルに彩られたコンシューマゲームなどなかったこの時代、資料記事メインの編集方針は「ロールプレイングゲーム的な世界」をイメージするのに強い手助けとなり、読者の支持を受けることとなる。

[編集] 平綴じ時代(60号~112号)

資料記事は『RPGマガジン』の人気の原動力となっていたが、特定のゲームタイトルに非依存ゆえに「汎用的すぎて実用性がない」という批判を受けたり、雑学記事の衒学的な雰囲気がブーム期に大量に入ってきたライトユーザーから敬遠されたりといった、マイナスの側面もあった。そのこともあってか、1990年代後半に訪れた「テーブルトークRPG冬の時代」には雑誌の人気にも陰りが見え始めることになる。

そのような状況を改革すべく、『RPGマガジン』は第60号からページ数を増量し紙面をリニューアルした。このとき、増量に伴い製本が中綴じから平綴じに変化している。リニューアル初期は記事の内容を若干ライト向けにしつつも中綴じ時代の記事構成を引き継いでいたが、後に更なる読者層の流入を目指して、特集記事をTVアニメやカードゲーム、読者参加企画など、テーブルトークRPGに直接関連の無いものも取り上げていった[5]。しかしこの方針の転換によって、旧来からの古参の読者層が離れていくようになってしまった。

そんな状況下において、テーブルトークRPGと親和性の高いゲームということで、『RPGマガジン』内で紹介されていたトレーディングカードゲームマジック:ザ・ギャザリング』が人気を博し、それに関係する記事が毎月増大していった。

『RPGマガジン』はいつしか『マジック:ザ・ギャザリング』のユーザーには欠かせない情報源となっていき、1990年代末期のトレーディングカードゲームブームが到来すると、メインの読者層は「テーブルトークRPGを知らないトレーディングカードゲームのユーザー」にシフトしていった。

そしてついに1999年8月『マジック:ザ・ギャザリング』の専門誌『ゲームぎゃざ』へとリニューアルし、通算112号に及ぶ歴史に幕を閉じた[6]。ウォー・シミュレーションゲーム雑誌であった『タクテクス』にテーブルトークRPGの記事が増大したことで『RPGマガジン』は創刊したが、奇しくも同じ流れで休刊したこととなる。また、その後の『ゲームぎゃざ』も数年後には同じ流れで休刊し、別雑誌へリニューアルすることとなる(当該項目参照)。

[編集] サポートしたゲームシステム(五十音順)

[編集] 掲載漫画

[編集] 関連項目

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  1. ^ その他、ゲームと直接関係ない小説やコミックも掲載されていた。(以下にいくつか例を挙げる)。
  2. ^ タクテクステーブルトークRPGを初めて扱ったのはかなり初期のことであり、1982年4月に発売された『タクテクス』第3号の「SFゲーム特集」によってである。このときに「冒険のシミュレーション・シミュレーションの冒険」という題名で『[[トラベラー (TRPG)|]]』が紹介された。これが日本でテーブルトークRPGを一番初めに紹介した記事といわれている(一説には、この記事の人気が高かったのをきっかけとして、ホビージャパンはテーブルトークRPGの翻訳や自社開発に手を出し始めたとも)。『タクテクス』奇数月号がテーブルトークRPG専門になってからは、自社で発売しているゲームだけでなく、専用の紹介媒体を持っていない他社の国産RPGも積極的に紹介した。この流れは『RPGマガジン』になってからも受け継がれ、当時テーブルトークRPG紹介雑誌を持っていた富士見、角川、アスキーなどの系列下にない会社のゲームは、他社製品であっても『RPGマガジン』が積極的に取り上げるようになった(現在は『Role&Roll』誌が似たコンセプトを持っている)。
  3. ^ 学術的な中世西洋史の観点から、リアリティのある中世西洋風ファンタジー世界を作り出そうという記事。非常に「お硬い」系統の記事だが、筆者の桐島カブキは芸風の広いライターでおちゃらけた記事もたまに担当していた。『RPGマガジン』2号では「エルフは生物学的、社会学的、民俗学的に見てただの猿にすぎない」ということを4ページに渡って解説するバカ・アカデミズムな記事を書き、古参の読者には強い印象を与えている。桐島は多芸な人間で、同連載のイラストも自ら描き起こしている。また『RPGマガジン』末期には、きりしまかるきのペンネームで、当時ブームであった恋愛シミュレーションゲームに題材をとった、さまざまなタイプの萌え美少女キャラを作成するツール「ギャルズエンジン」という連載記事を執筆している。
  4. ^ 雑誌の初期は特定ゲームの特集が行われることもそれなりにあった。しかし中期以降はほとんどがゲームタイトルに依存してない特集になっている。
  5. ^ 姉妹誌である『月刊ホビージャパン』の影響なのか、『機動戦士ガンダム』関係の記事の比率が特に多かった。『ガンダム』は『ホビージャパン』よりテーブルトークRPG化もされて、『RPGマガジン』でサポートもされていた。他には『サクラ大戦』、『電脳戦機バーチャロン』など、セガとのコラボレーションも良く見られた。
  6. ^ゲームぎゃざ』は当初こそ『マジック:ザ・ギャザリング』を中心としたトレーディングカードゲーム専門誌であったが、次第に末期の『RPGマガジン』と同じように、トレーディングカードゲームと関係ない記事も載せるようになっていった。2002年にホビージャパンが『ダンジョンズ・アンド・ドラゴンズ』第3版の日本語版を制作・販売するに至ったのをきっかけに、『ゲームぎゃざ』においてもテーブルトークRPGの記事が復活する。ただし、『RPGマガジン』時代のような雑学記事の面影はすでになく、『ダンジョンズ・アンド・ドラゴンズ』というゲームタイトルに特化した堅実なサポート記事であった。テーブルトークRPGとしては他にも『幻奏戦記Ru/Li/Lu/Ra』などのサポート記事が『ゲームぎゃざ』にて連載された。
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