R-12 (潜水艦)

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艦歴
発注: 1916年8月29日
起工: 1918年3月28日
進水: 1919年8月15日
就役: 1919年9月23日
退役:
その後: 1943年6月12日に事故で沈没
除籍: 1943年7月6日
性能諸元
排水量: 水上 569トン
水中 680トン
全長: 186 ft 2 in
全幅: 18 ft
吃水: 14 ft 6 in
機関:
最大速: 水上13.5ノット (25 km/h)
水中10.5ノット (19 km/h)
乗員: 士官、兵員33名
兵装: 3インチ砲1門
21インチ魚雷発射管4門

R-12 (USS R-12, SS-89) は、アメリカ海軍潜水艦R級潜水艦の1隻。

艦歴[編集]

R-12は1918年3月28日にマサチューセッツ州クインシーフォアリバー造船所で起工した。1919年8月15日にヘレン・マックによって命名、進水し、1919年9月23日にボストンで艦長F・J・カンニーン中尉の指揮下就役した。

R-12は3月11日にコネチカット州ニューロンドンに向けて出航し、5月末まで作戦活動に従事した。その後パナマ南方で活動を続け、6月末にパナマ運河を通過、7月にカリフォルニア州サンペドロに到着した。サンペドロで船体番号 SS-89 が与えられ、8月末に真珠湾に向けて出港した。1920年9月6日に到着し、ハワイ水域での活動に入る。その後西海岸およびジョンストン島沖での訓練を行い、1930年12月12日に東海岸に向けて出航、1931年2月9日にニューロンドンに到着した。その後春まで偵察部隊の駆逐艦戦隊と共に訓練を行い、オーバーホールに続いて潜水艦学校の訓練生の訓練を行う。R-12は1932年9月27日にニューロンドンを出航しペンシルベニア州フィラデルフィアに向かい、1932年12月7日に退役、他のR級潜水艦と共に予備役艦隊で保管された。

7年半後の1940年7月12日にR-12は再就役する。完全就役のためニューロンドンに移動し、10月16日に完全就役すると12月10日にパナマに向けて出航、12月23日に到着する。パナマ運河近海の偵察任務を1941年10月まで続け、10月31日にニューロンドンに帰還、続く3ヶ月間はニューイングランド沖で作戦活動に従事する。1942年2月に南方の哨戒を開始し、翌年にはグアンタナモ湾およびキーウェストで活動した。1943年3月から4月までニューロンドンに帰還し、5月にキーウェストに戻る。その後は潜水艦乗組員に対する訓練に従事した。

1943年6月12日の正午過ぎ、R-12は水雷訓練のため潜水警報を鳴らした。潜水の準備を終えたと共に、前方バッテリー室が氾濫し始める。衝突警報が鳴らされ、バッテリー室の氾濫が報告された。メイン・バラストのブローが命じられたが浸水の方が早く、約15秒で、42名の乗組員とブラジル海軍のオブザーバーを乗せたままR-12は沈没した。生還したのは艦長、士官一名、兵士3人のみであった。R-12は1943年7月6日に除籍された。

2011年の潜水調査でR-12の残骸が発見されたが、沈没原因はいまだに不明である。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]