PCCカー

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PCCカーとは、アメリカ合衆国の「Electric Railway Presidents’ Conference Committee(ERPCC)」によって開発された路面電車車両、またそれに準じた構造を持つ路面電車車両である。最初のPCCカーは1930年代に開発され、第二次世界大戦に世界の多くの路線に導入された。

概要[編集]

TCRT PCC streetcar
サンフランシスコ市営鉄道(MUNI)のFマーケット・ワーフラインで運行中の、パシフィック電鉄の塗色を再現した1061号。 (1946年製)
運転方式が足踏みペダル式なのが特徴(東京都電5500形

PCCカーはアメリカ合衆国にあった「The Electric Railway Presidents' Conference Committee(ERPCC)」によって開発された。この委員会は、各地の路面電車運営会社が集まって1929年に結成され、当時台頭してきつつあったバス自家用車に対抗できる新しいタイプの路面電車を開発することが使命だった。PCCの名前もこの委員会にちなむ。

PCCカーは、独特な流線型の車体とスムーズな加速性能を持ち、各地の鉄道会社に採用された。これらのPCCカーはそれぞれの会社の事情に合わせてアレンジが行われたが、多くの車両はそれでも、いかにもPCCカーらしい形を保っていた。

PCCカーは1936年に最初の100両が作られた。その後も北アメリカでは、1950年代の初期まで製造が続けられた。北アメリカでは4978両が作られ、ヨーロッパでもオランダベルギー等にほぼ純正のPCCカーが存在した他、旧西ドイツのデュワグカーやチェコ製の旧東欧共産圏標準形タトラカーなど、PCCカーをたたき台にした高性能車は本国北アメリカをも凌ぐ量産がなされた[出典 1]。これらはいずれの事業体でも引退期にあり、多くは超低床LRV等に置き換えられているが、なおも多数が欧州各地で使用されている。

PCCカーは丈夫で長持ちしたが、現在では大部分の車両が廃車となり、一部は各地の博物館保存鉄道で保存されている。わずかな両数ではあるが、現在でも走っているものがある。代表的なものとして、サンフランシスコの中心街・マーケットストリートから港湾地区を通り、観光フィッシャーマンズワーフまで走る「F-Line」がある。もともとこの区間を走る路面電車が存在し、一旦地下に全面移転になったものの線路や架線(トロリーバスを運行しているため、継続利用されていた。)が残されていた。これを利用したフェスティバル等での特別運行が時折実施されていたが、フィラデルフィア市SEPTA(セプタ)から中古PCCカーを大量に導入し(その後ニュージャージーからも追加導入している)、アメリカ各地の廃止になった路面電車のカラーリングに装って、通常運行が復活した[出典 2]。同様にイタリアミラノ市電の中古車も導入され、共に主力車として使用されている。

第二次世界大戦前に作られた初期バージョンのPCCカーは「エアカー」と呼ばれ[要出典]、ドアの開閉やブレーキに使われる圧縮空気を作るための電動空気圧縮機を持っていた。これに対し、1945年以降に製造された後期バージョンの車両はすべてが電動化されていたのが特徴である。これは騒音が大きい空気圧縮機とエアブレーキをなくすためで、エアブレーキは、モーターに取り付けられた電気駆動方式のドラムブレーキに変更されていた。また初期バージョン、後期バージョンとも、停車するときには主として発電ブレーキを用い、エアブレーキまたは電気駆動ブレーキは、車体が完全に停止する直前まで[脚注 1]使われなかった。運転方式は加減速共に自動車同様の足踏みペダル式で、手は運転台コンソールにあるつかみ棒を握っているだけである[出典 3]

PCCカーのシステムは、路面電車のみならず都市高速電車に応用された例もある。シカゴ“L”の試作連接車である5000系(→51系:1947年製)、大量増備された量産ボギー車の6000系(1950 - 1959年製)、そして単行運転可能で併用軌道区間での運用も行われた両運転台車の1系(1959・1960年製)がそれである。内側台枠方式で小直径の弾性車輪を使用する台車直角カルダンによる駆動系、超多段制御の主制御器等、路面電車用PCCカーのシステムをそのまま応用している。もっとも、これらの運転台はPCCカーの開発にも参加したウェスティングハウス・エレクトリック社およびウェスティングハウス・エア・ブレーキ社が開発したシネストン・コントローラと呼ばれるブレーキ弁と主幹制御器を同軸化したワンハンドルマスコンを使用しており(このためブレーキは電空同期を前提とするSMEE電磁直通ブレーキが採用されている)、その点では足踏みペダルによる操作を基本としたPCCカーとは異なっていた[出典 4]

日本のPCCカー[編集]

日本のPCCカー・東京都電5500形

日本では第二次世界大戦後の1950年代に路面電車の高性能化への取り組みが行われる中で、PCCカーが注目された。しかし、日米の車両規格の違いや法規上の問題から、PCCカーそのものの輸入は実現せず、PCCのライセンスを受けて製造された車両として、1954年東京都電5500形(5501号)電車が1両試作された[出典 5][出典 6]

同じ頃、PCCの設計思想に触発され、日本国内でもPCCカー同様の直角カルダン駆動方式を採用するなどの高性能化を行った日本メーカー独自の高性能車が開発され、全国の路面電車各社で採用された。これらの高性能車もPCCカーと呼ばれることが多い(準PCCカー、和製PCCカーと呼ばれることもある)。

これらの高性能車は騒音振動が少なく、高い加減速性能を持っていたが、足の遅い従来車両との混用では速度向上効果は得られず、また、構造も大幅に異なるため、保守点検に時間を要すなどの理由から、のちに、従来車と同じ吊り掛け駆動方式に改造[脚注 2][出典 7]されたり、短期間で廃車されたりする車両[脚注 3][出典 8]が多数出ることとなった。

日本のPCCカーの例[編集]

参考文献[編集]

  • 宮本政幸 『新路面電車読本(電気車研究シリーズ6)』、電気車研究会、1953年
  • 松田新市 「東京都交通局納入P.C.C.カー」、『三菱電機』 Vol. 28 No. 12 1954年12月
  • 『世界の鉄道'73』、朝日新聞社、1972年
  • Carlson, S.P.; Schneider, F.W. 「PCC: The Car That Fought Back」 Interurban Press 1980年 ISBN 0-916374-41-6
  • 東京都交通局編 『わが街わが都電』、東京都交通局、1991年
  • 三田研慈 「都電7000形ものがたり」、『鉄道ピクトリアル No.593 1994年7月臨時増刊号』、電気車研究会、1994年
  • 江本廣一 「東京市電~都電 車両大全集」、『鉄道ピクトリアル No.614 1995年12月号』、電気車研究会、1995年
  • 青木栄一 「カリフォルニア州のライトレール事情」、『鉄道ピクトリアル No.688 2000年7月臨時増刊号』、電気車研究会、2000年
  • 吉川文夫 『路面電車の技術と歩み』、グランプリ出版、2003年9月

脚注[編集]

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  1. ^ 松田(1954)によれば、東京都電5501の場合約3km/h。
  2. ^ 神戸市交通局1150形、土佐電気鉄道500形。
  3. ^ 東京都交通局5500・6500形および7000形7020など。

出典[編集]

  1. ^ 「PCC: The Car That Fought Back」
  2. ^ 「鉄道ピクトリアル No.688」pp.65-66
  3. ^ 「新路面電車読本」pp. 137 - 153
  4. ^ 「PCC: The Car That Fought Back」Chapter 6 PCC RIDES THE RAPID pp. 163 - 170
  5. ^ 「わが街わが都電」 p. 176
  6. ^ 「路面電車の技術と歩み」pp. 179 - 180
  7. ^ 「世界の鉄道'73」pp. 83・86
  8. ^ 「鉄道ピクトリアル No.593」p.81、「鉄道ピクトリアル No.614」pp.56-59

関連項目[編集]

外部リンク[編集]