NWF
NWF(National Wrestling Federation、全米レスリング連盟)は、1970年代前半にアメリカ合衆国に存在したプロレス団体。
プロモーターのペドロ・マルティネスと、選手兼プロモーターのジョニー・パワーズを中心に設立、運営され、ニューヨーク州バッファロー、オハイオ州クリーブランドを拠点に、アメリカ北東部、五大湖地区およびカナダを主要エリアとして活動した。「North American Wrestling Federation」を正式名称とする説もある。
概要
1970年にニューヨーク州バッファローを中心とするアメリカ北東部の大物プロモーター、ペドロ・マルティネスと、同地のトップスターであり、オハイオ州クリーブランドのプロモート権を得ていたジョニー・パワーズを中心に、メジャー団体のNWA、WWWF(現:WWE)と一線を画す独立団体として設立された。パワーズは同年ロサンゼルスにおいてフレッド・ブラッシーに勝利したとして初代世界王者に認定され[1] 、その後、王者は目まぐるしく交代する。
最盛期にはミシガン州、メリーランド州、カナダのトロント、モントリオールへとテリトリーを拡大、弱小団体とは呼び難い勢力を持つに至った。ボボ・ブラジル、ジョニー・バレンタイン、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ザ・シーク、アーニー・ラッドら一流選手が多数集結、パワーズとバレンタイン、ラッドとブッチャーとの抗争などの名物カードも生み、アメリカのプロレス誌上では、NWA、AWA、WWWFに次ぐメジャー団体と認知されていた時期もあった。
しかし1973年に入ると勢力は衰退、縮小していく。同年12月10日に東京で行われた世界戦において、第14代王者となっていたパワーズがアントニオ猪木に敗れ王座が日本に渡る。その後もパワーズは1974年3月には猪木を招聘してクリーブランドで世界戦を行うなど、1975年初めまでは同地で興行を行っていた。しかし前年に一時プロレス界から離れていたマルティネスが関わった新団体IWAに吸収されるかたちで、同年半ばまでには事実上活動を停止し消滅状態となった(このIWAも同年中には活動停止となっている)。
以上のように米国プロレス史全般からみれば短命のローカル団体にすぎず、設立経緯や活動内容、歴代王者等に不明な点も多々ある。しかし、アントニオ猪木が世界ヘビー級王座を1973年の獲得から新日本プロレスの看板タイトルとして1981年まで長く保持したこと、また日本でも高名な大物選手が多く参加していたこと等により、日本には愛着や関心を持つプロレスファンが多い。
新日本プロレスとの関係
一般にNWFと新日本プロレスとの結びつきは、1966年に東京プロレスに初来日して以来の、ジョニー・パワーズとアントニオ猪木の関係によるものとされている。しかし実際には、NWF設立以前の1969年に当地をサーキットし、パワーズとも旧知の坂口征二によるブッキングと考えるのが妥当である。
日本では「パワーズが図らずも猪木に王座を奪われたため、隆盛を誇っていたNWFが一転凋落に向かった」という伝説が、長年史実として語られてきた。現在はパワーズが新日本プロレスに王座を売却したとの見方が通説になっている。
この王座売却の時点で既にパワーズは団体自体を店じまいするつもりだったとの極端な見方もされるが、その後も1975年初めまではクリーブランド等で興行を行っており、これも断じ難い。
1975年初めで事実上NWFが消滅した後も新日本プロレスは1977年初め頃まではNWFが存続しているようなアングルを組んでいた(上述のIWA崩壊後もパワーズはIWAの名で1977年半ば頃まではノースカロライナ州で興行をしており、パワーズ一派という意味ではNWFの存続もまったくの絵空事ではない)。しかし、それ以降はNWFの消滅は日本でも周知の事実となり、同王座は事実上、新日本プロレス認定王座となった。1975年2月12日、NWFはNWAと業務提携を結んだ。1976年8月7日、NWA年次総会でタイトル名から「世界」が外され、NWFヘビー級王座になった。
1981年4月、IWGP構想に伴い、スタン・ハンセンとの王座決定戦に勝った猪木により、同王座は封印された。
タイトル
- NWF世界ヘビー級王座 / NWFヘビー級王座
- NWF世界タッグ王座
- NWF世界ジュニアヘビー級王座
- NWF北米ヘビー級王座
- NWFブラスナックル王座
NWF世界ヘビー級王座 / NWFヘビー級王座 歴代王者
レスラー | 戴冠回数 | 防衛回数 | 獲得日付 | 獲得した場所 | |
---|---|---|---|---|---|
初代 | ジョニー・パワーズ | 1 | 不明 | 1970年 | カリフォルニア州ロサンゼルス(フレッド・ブラッシーを破ったとして戴冠)[1] |
※設立当初のタイトル名はNWF世界ヘビー級王座。 | |||||
第2代 | ワルドー・フォン・エリック | 1 | 不明 | 1971年11月20日 | オハイオ州クリーブランド |
第3代 | ドミニク・デヌーチ | 1 | 不明 | 1971年12月8日 | ニューヨーク州バッファロー |
第4代 | ワルドー・フォン・エリック | 2 | 不明 | 1972年1月5日 | ニューヨーク州バッファロー |
第5代 | アーニー・ラッド | 1 | 不明 | 1972年6月9日 | オハイオ州クリーブランド |
第6代 | アブドーラ・ザ・ブッチャー | 1 | 不明 | 1972年6月24日 | オハイオ州アクロン |
第7代 | ジョニー・バレンタイン | 2 | 不明 | 1972年10月19日 | オハイオ州クリーブランド |
第8代 | ジャック・ルージョー・シニア | 1 | 不明 | 1973年1月24日 | ニューヨーク州バッファロー |
第9代 | ジョニー・バレンタイン | 3 | 不明 | 1973年8月 | 不明 |
第10代 | ジョニー・パワーズ | 2 | 不明 | 1973年 | 不明 |
第11代 | アントニオ猪木 | 1 | 9 | 1973年12月10日 | 東京 |
第12代 | タイガー・ジェット・シン | 1 | 2 | 1975年3月13日 | 広島 |
第13代 | アントニオ猪木 | 2 | 27 | 1975年6月26日 | 東京 |
※1976年8月7日、NWA年次総会でタイトル名から「世界」が外され、NWFヘビー級王座になった。 | |||||
第14代 | スタン・ハンセン | 1 | 0 | 1980年2月8日 | 東京 |
第15代 | アントニオ猪木 | 3 | 8 | 1980年4月3日 | 東京 |
第16代 | アントニオ猪木 | 4 | 0 | 1981年4月23日 | 東京 |
※1981年4月23日、IWGP構想により、NWFヘビー級王座を封印した。 |
※猪木の獲得前のアメリカでの王座変遷には異説もある。週刊ゴングと日本プロレス40年史によると猪木が王座奪取時点で第14代王者とされている。
復活版
2002年8月、藤田和之が「本物の戦いをしたいという僕等の想い」という考えから「IWGPと対立するもの」と自ら位置づけ、NWFヘビー級王座が復活し、藤田和之、高山善廣、高阪剛、安田忠夫の4人によるNWFヘビー級王座決定トーナメントが開催され、2003年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会で高山義廣がNWFヘビー級王者に君臨。その後、7度の防衛を果たし、1年間NWFヘビー級王座を保持する。
- 初代 高山善廣
2004年1月4日、新日本プロレス東京ドーム大会で絶対的タイトルIWGPヘビー級王者中邑真輔対NWFヘビー級王者高山善廣による王座統一戦が行われ、中邑真輔がIWGPヘビー級王座防衛に成功すると共にIWGPヘビー級王座とNWFヘビー級王座を統一。その後NWFヘビー級王座を再び封印した。
- 第2代 中邑真輔
参戦選手
- キラー・ブルックス
- ザ・ストンパー
- マイティ・イゴール
- ソニー・キング
- ジート・モンゴル
- ベポ・モンゴル
- ボロ・モンゴル
- ダスティ・ローデス
- ディック・マードック
- ドン・ファーゴ
- ジョニー・ファーゴ
- ミツ荒川
- ヨシノ・サト
- ワフー・マクダニエル
- チーフ・ホワイト・オウル
- ジャック・ルージョー
- レイモンド・ルージョー
- ハートフォード・ラブ
- レジナルド・ラブ
- クルト・フォン・ヘス
- カール・フォン・ショッツ
- ブル・カリー
- フレッド・カリー
etc.
脚注
- ^ a b “NWF Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2013年10月2日閲覧。