NO. NEW YORK

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NO. NEW YORK
BOØWY楽曲
収録アルバムMORAL
リリースオリジナル版
1982年3月21日
シングル版
1985年8月22日
規格オリジナル版
LP
シングル版
12インチレコード
録音オリジナル版
スターシップスタジオ
スタジオバードマン
シングル版
1985年5月10日 - 14日
伊豆キティスタジオ
ジャンルロック
ニュー・ウェイヴ
時間オリジナル版
3分31秒
シングル版
4分15秒
レーベルオリジナル版
ビクターInvitation
シングル版
東芝EMI/イーストワールド
作詞者深沢和明
作曲者布袋寅泰
プロデュースオリジナル版
渡辺モリオ(マライア
シングル版
佐久間正英
その他収録アルバム
後述を参照
後述を参照
MORAL収録曲
サンプルミュージック
NO. NEW YORK

NO. NEW YORK」(ノー・ニューヨーク)は、日本ロックバンドであるBOØWYの楽曲。

1982年3月21日にビクター音楽産業Invitationレーベルからリリースされたファースト・アルバム『MORAL』に収録されている。作詞は深沢和明、作曲・編曲は布袋寅泰[‡ 1]

BOØWY結成直後に「IMAGE DOWN」に次いで制作された曲であり、ニューヨークにおける女性との禁断の恋を歌った内容となっている。『MORAL』収録曲の中では最もポップでメロディアスな曲調となっている。オリジナル版は高橋まことの加入以前にレコーディングが行われたため、ドラムスは木村マモルが担当している。

ほぼ全てのライブで演奏されており、最終公演の最終日となった『“LAST GIGS”』(1988年)の4月5日公演では2回演奏され、2回目は最後の曲であったためBOØWYとして最後にライブ演奏された曲となった。後に氷室京介および布袋、高橋はソロライブにおいて同曲を演奏している。

音楽性とテーマ[編集]

最初に制作された段階では「NEWYORK NEWYORK」というタイトルだった。当初は氷室が作詞をする予定だったが、メロディーに合う歌詞が書けなかったため、当時メンバーであった深沢和明が代わりに作詞した。歌詞は1980年に起きたジョン・レノン射殺事件に触発されて制作され、『MORAL』収録のオリジナルバージョンでは間奏部分に、ジョンの死を告げる当時の英語でのラジオ放送の音声が入っている[1][2]

本作はBOØWY研究者の間でゲイ娼婦男娼)の歌という解釈がある[3]。男性用フレグランスは大抵コロンまたはトワレであり、歌詞のコロンについてはTHE YELLOW MONKEY吉井和哉が指摘している[3]。吉井はコロンを「叩く」仕草に着目し、この歌詞表現には男性らしさがあるのでニューヨークのゲイの歌ではあるまいかと推察した[4]。さらに、著作家・樋口毅宏によると、つまりこの歌はエイズウィルス保持者との愛(性交渉)のフェーズにより「星になる」のである[3]。樋口は1980年代のニューヨークがエイズの大流行であったことを論拠にしている[3]

その時期に、シンディ・ローパーは、エイズに関する歌「ボーイ・ブルー英語版」を収録したアルバム『トゥルー・カラーズ』(1986年)をニューヨークでレコーディングしている[‡ 2]ルー・リードは、エイズに関する歌「ハロウィン・パレード」を『ニューヨーク英語版』(1989年)に収録し、このアルバムもまたニューヨークでレコーディングが行われた。

ライブでの演奏時に氷室が「花をちぎる」の場面で自らの鼻をつまむパフォーマンスを行った事から、淋病の歌ではないかと噂が広まった事がある[5]。その他、1988年の『MORAL+3』リリース時のカードに書かれたレビューに「Nadeshiko Yamato」(やまとなでしこ)の略であることを思わせる言葉が書かれていたが、当時マネージャーであった土屋浩は「そういう意味ではない」と述べている。

リリース[編集]

ファーストアルバム『MORAL』(1982年)に「NO N.Y.」のタイトルで収録されていたが、シングル『BAD FEELING』(1985年)のカップリング曲として収録された際に再レコーディングされ、タイトルも「NO. NEW YORK」と変更された。シングル版は『MORAL』収録のバージョンよりも間奏が長くなり、曲全体では40秒ほど延長されている[5]。また、「NO N.Y.」と「NO. NEW YORK」とではメロディが異なり、後のライブでも「NO. NEW YORK」のバージョンで演奏される事になる[‡ 3]

初の12インチシングルで「BAD FEELING」をリリースすることが決定した際に、カップリング曲をどの曲にするかで会議が行われ、当時の代表曲であったこの曲が「ファンへのプレゼント的な意味合い」と言う理由で選ばれ、伊豆キティスタジオにて再録音された[1]

ミュージック・ビデオ[編集]

本作のミュージック・ビデオでは、曲タイトルが「NO! NEWYORK」になっている。ベルリンハンザ・スタジオでのレコーディング風景やメンバーが散策する様子、マーキークラブ(Marquee Club)での演奏を収めた。当時の音楽番組でこのビデオがオンエアされた事もあった。

全部で3回のBメロは、最初の2回がBOØWYメンバー4人の顔を追って、最後の1回は氷室が白人とキスをしたり、スタジオのエンジニアが登場する。

ライブ・パフォーマンス[編集]

同じ『MORAL』収録曲である「IMAGE DOWN」と共に、解散までのほぼ全てのライブで欠かさず演奏された[6]。1982年10月9日に新宿LOFTで行われた6人最後のライブでは深沢がボーカルを担当した。氷室が本作を歌唱する場合は、必ず最初の歌詞の「この世を渡る」の部分を「男を誘う」と変えている。東芝EMIへの移籍直後までは、アルバム『MORAL』収録のオリジナルバージョンで演奏されている[6]

最終公演となった「“LAST GIGS”」(1988年)では2回演奏されている。1回目は「この曲も今日が最後だと思うと少し悲しいけど、最高の、不朽の名曲を送ります!」と氷室がMCした後に17曲目として演奏され、2回目は「今度は、ひとりひとりで、必ずここで会おうぜ!」と氷室がMCした後に客電を付けた上で2度目のアンコールの最後の曲として演奏された[7]。これにより、BOØWYとして最後に演奏された曲となった。

また、以下の通りテレビ出演にて演奏された。

カバー、リミックス[編集]

BOØWY解散後は氷室京介および布袋寅泰高橋まことがそれぞれソロライヴでカバー演奏している。高橋の2013年4月に行われたライヴでは、深沢がゲストで参加して同曲を歌っている。

スタッフ・クレジット[編集]

オリジナル版[編集]

BOØWY
スタッフ
  • 渡辺モリオ(マライア) - サウンド・プロデュース
  • 星加哲 - ディレクター
  • 小野誠彦 - レコーディング・エンジニア、リミックス・エンジニア
  • 月光恵亮 - イメージング・コーディネーター
  • 東元晃 - エグゼクティブ・プロデューサー
  • 長戸大幸ビーイング) - エグゼクティブ・プロデューサー
  • 月光恵亮 & MOONSHINE PROJECT - アートディレクション
  • 月光恵亮 - デザイン
  • 居坂和典 - 写真撮影
  • *TAMA CHAN - メイクアップ
  • 木村マモル - スペシャル・サンクス
  • ELK. - スペシャル・サンクス

シングル版[編集]

BOØWY
スタッフ
  • 小林肇 - アートディレクター、デザイン
  • 子安次郎 - ディレクター
  • 土屋浩 - パーソナル・マネージメント
  • ユイ音楽工房ロックプロジェクト - プロダクション・マネージメント
  • 岡崎好雄 - マスタリング・エンジニア
  • 糟谷銑司 - プロデューサー
  • 佐久間正英 - シンセサイザー

収録アルバム[編集]

スタジオ音源(オリジナル版)
スタジオ音源(シングル版)
ライブ音源

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 1985年のシングル版は実質的には佐久間正英との共同編曲。
  2. ^ BOØWYのシングル「B・BLUE」がリリースされたのはこのアルバムリリースの2週間後。
  3. ^ 渋谷公会堂での初ライヴでは、既にシングル・バージョンの方で演奏されていた。

出典注[編集]

  1. ^ a b B to Y 2004, p. 67- 「WORKS」より
  2. ^ 別冊宝島 2006, p. 85- 山口大介「知られざるカリスマロックバンドの素顔―BOØWYトリビア」より
  3. ^ a b c d 樋口 「BOØWYとわたし」
  4. ^ 吉井 『おセンチ日記』
  5. ^ a b 別冊宝島 2002, p. 117- 不二雄、江口崇、編集部「『BOØWY COMPLETE』全114曲完全楽曲解説!」より
  6. ^ a b 別冊宝島 2002, p. 113- 不二雄、江口崇、編集部「『BOØWY COMPLETE』全114曲完全楽曲解説!」より
  7. ^ ARENA37℃ 2001, p. 59- 星野京子「1988年6月号 BOØWY“LAST GIGS” 1988.4.4&5東京ドーム」より
  8. ^ 解散から15年を経ても減衰しないBOOWYのトリビュート&リスペクト・アルバム”. BARKS. ジャパンミュージックネットワーク (2003年12月15日). 2021年7月24日閲覧。
  9. ^ 10-FEET、豪華コラボ盤&名曲カバー集同時リリース”. 音楽ナタリー. ナターシャ (2014年3月27日). 2021年7月25日閲覧。

参考文献[編集]

  • 吉井和哉『吉井和哉の㊙おセンチ日記』ロッキング・オン、1996年。ISBN 4947599464 
  • 「ARENA37℃ SPECIAL vol.3 BOØWY」『ARENA37℃』2001年12月号増刊、音楽専科社、2001年12月4日、59頁、ISBN 9784872791686、雑誌01594-12。 
  • 「音楽誌が書かないJポップ批評18 BOØWYと「日本のロック」」『別冊宝島』第653号、宝島社、2002年6月7日、113, 117頁、ISBN 9784796627245 
  • 『BOØWY B to Y THERE'S NO BEGINNING AND THE ENDS.宝島社、2004年9月20日、67頁。ISBN 9784796642408 
  • 「音楽誌が書かないJポップ批評43 21世紀のBOØWY伝説」『別冊宝島』第1322号、宝島社、2006年7月27日、85頁、ISBN 9784796653497 
  • 樋口毅宏 失われた東京を求めてvol.4 BOØWYとわたし」『散歩の達人 2016年10月号』交通新聞社、2016年9月21日https://books.google.co.jp/books?id=5SscDQAAQBAJ&pg=PA128&redir_esc=y&hl=ja 

外部リンク[編集]