ニュースステーション
| ニュースステーション NEWS STATION |
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|---|---|
| ジャンル | 報道番組 |
| 放送時間 | 放送時間を参照 |
| 放送期間 | 1985年10月7日 - 2004年3月26日 (4795回) |
| 放送国 | |
| 制作局 | テレビ朝日(ANN) |
| 企画 | オフィス・トゥー・ワン (企画・制作協力) |
| 出演者 | 久米宏 小宮悦子 渡辺真理 岡田洋子 小谷真生子 丸川珠代 白木清か 上山千穂 朝岡聡 松井康真 飯村真一 坪井直樹 角澤照治 長島三奈 真中瞳 河野明子 渡辺宜嗣 小林一喜 ほか、出演者を参照 |
| 音声 | ステレオ放送[1] |
| オープニング | こちらを参照 |
| エンディング | 同上 |
| 外部リンク | 公式サイト (アーカイブ) |
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特記事項: 金曜日は放送開始から1988年3月まで「金曜版」として23時台に放送。 |
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『ニュースステーション』(英称:NEWS STATION)は、1985年(昭和60年)10月7日から2004年(平成16年)3月26日まで、テレビ朝日とオフィス・トゥー・ワンが共同制作し、テレビ朝日をキーステーションとするANN系列で平日(祝日も含む)22時台に放送された報道番組である。全4,795回の平均視聴率は、14.4%[2]。通称「Nステ(エヌステ)」、「NS(エヌエス)」。
目次 |
[編集] 番組概要
テレビ朝日がそれまで平日23時台に放送していた『ANNニュースファイナル』に代わり、ドラマやバラエティ番組を放送していた平日22時台に新設したニュース番組である。テレビ朝日の本社移転(アークヒルズ)と同時に開始された。構想から開始までに1年以上を費やし、構想段階から広告代理店である電通が深く関与した。久米も構想の段階で起用が決まり会議に参加しており、番組の準備などのため、久米は1985年4月までに『おしゃれ』以外のレギュラー番組を降板した[3]。
当時としては前例のない番組であり、開始当初は8%程度の低視聴率に悩んだ。しかも当番組開始の翌日に『アフタヌーンショー』の「やらせリンチ事件」が発覚し、連日自局の不祥事を報道しなければならなかった[4]。1986年2月のフィリピン政変以降は、安定して20%前後の高い視聴率を誇り、テレビ朝日の看板番組となった[5]。関東地方での視聴率20%超えは、245回[2]。関東より先に関西で視聴率を獲得した。
「中学生でもわかるニュース」をコンセプトとして、政治や経済などのニュースにおける難解な用語や展開などを、フリップや地図、模型、実物、政治家人形、積木などを使い、わかりやすく伝える工夫を凝らした。安竹宮で争われた1987年自民党総裁選挙では全派閥を積み木で表現し、積木を積み立てて今後を予測した。初期には手書き・手作りといったアナログ感を重視していたが、コンピュータグラフィックスについても最新技術を積極的に導入している。1990年代初めには民間気象情報会社のウェザーニューズの協力で天気予報に3DCGを使い[6]、イラク戦争では地図を「CADシステム」を用い、後のGoogle Earthのように直感的な操作で地図の拡大・縮小を行った。2002年あたりからはクロマキー処理を行わないリアルタイムCGも多用された。
また久米が「個人的意見」を言うことで従来の番組や新聞との差別化を図った。久米のコメントや番組の基本姿勢は、久米がマスコミ人として持っている反権力・反戦争の信条を色濃く反映したものだったため、広く人気を博した反面、自民党筋や保守派などから偏向しているとの根強い批判・反発も呼んだ。
従来、外部発注が常識となっていた民放テレビ局にあっても報道番組は聖域とされ、番組制作が外部に委託されることがなかった中で、オフィス・トゥー・ワンという外部の制作プロダクション(久米の所属事務所でもある)を導入してニュース番組を制作していた。
『ニュースステーション』はANNのプライムタイムニュースの位置付けになっているが、ネット局の構成や制作会社が作っているニュースショーという特殊な性格上、タイトルに「ANN」のクレジットが付かなかっただけでなく、エンドロールでは「協力:ANN系列各社」→「制作:ANN系列各社」(番組初期は「ANN加盟(数字)社」)と表示され、企画中継等の場合は技術協力として中継先の局名が表示されていた。こういう事情からANNの海外支局等からの中継の際は、各支局にセットにあるANNのロゴの上から『ニュースステーション』のロゴを貼って隠していた時期もあった。
音声は当初モノラル放送であったが、1993年4月19日[7]からステレオ放送になった(これは後番組『報道ステーション』も同様)。
[編集] 金曜版
開始当初から1988年4月1日までの毎週金曜日は、「金曜版」として、開始を23時としていた。これは金曜22時台に人気シリーズである必殺シリーズ[8]を制作していた朝日放送への配慮による。「金曜版」では、毎回ゲスト2名(男女1名ずつ)をブーメランテーブルに隣接するソファのセットに招いて、バラエティ色の強い「金曜チェック」「奥様教養シリーズ」「ニュースミステリー」「カウントダウンJAPAN」「ニュース・ことわざ勉強室」「世直しエイド」といったシリーズを放送した。
金曜版は1988年4月改編で終了することになり、3月25日と4月1日の2週にわたって終了スペシャルを放送することとなったが、3月25日放送は臨時ニュースに時間を割き、結局4月1日のみの放送となった。金曜チェックはこの影響か、4月1日には2本立てで放送された。なお、4月1日放送のみ22時放送開始で、これは当初から予定されていた。
以降の金曜の放送は金曜版とは呼ばれなかったが、1990年代中ごろにテリー伊藤や笑福亭松之助がコメンテーターを務め、真中瞳がスポーツキャスターを担当するなど、月曜から木曜までとは違う雰囲気作りが図られた。また、1995年4月から設けられたスタジオサブキャスターの登用も当初は金曜のみであり、1998年5月11日に渡辺真理がサブキャスターとして登場して以降は全ての曜日で設けられるようになった。後番組の『報道ステーション』においても、月 - 木曜日と金曜日とでコメンテーターを変えている点等にその名残が窺える。
[編集] 特別編成
大災害などの緊急ニュースの発生時には放送を午後9時からに前倒しあるいは放送終了時間の延長をすることがあった。
初めて放送終了時間の延長を行ったのは、1986年2月25日である。この日フィリピン政変が起こり、それに関連して、30分の時間延長がなされた(詳細は後述)。
初めて前倒し編成を行ったのは、1986年11月21日である。この日に発生した伊豆大島三原山の大噴火に関連して、午後10時から約2時間の拡大版として放送した(詳細は後述)。
この件をはじめとして、それ以後も湾岸戦争開戦、皇太子徳仁親王ご成婚、阪神・淡路大震災、アメリカ同時多発テロ事件などではほぼ同様の措置がとられ、特に三原山噴火の際には、当時クロスネット局で、テレ朝枠を持っていた山形放送が編成の都合上差し替えもできなかったことから、臨時ネットとして60分のみ放送したことがある。
[編集] 番組の終焉
『ニュースステーション』は上記の通り、数々の試みをこなしてきたが、久米は1999年10月から年末まで番組を降板。番組復帰後の2000年頃から度々降板を申し出ていた。そして、2004年春に降板することでテレビ朝日と正式に合意した[9]。これに伴い、2003年8月25日に翌春の番組終了が発表され、2004年3月26日をもって番組が終了した。後番組は古舘伊知郎らがキャスターを務める『報道ステーション』である。
[編集] 放送時間
すべて日本時間(JST)で記す。
| 期間 | 月 - 木曜日 | 金曜日 | |
|---|---|---|---|
| 1985.10.07 | 1988.03.31 | 22:00 - 23:17(77分) | 23:00 - 24:00(60分) |
| 1988.04.01 | 1994.09.30 | 22:00 - 23:17(77分) | |
| 1994.10.03 | 2000.03.24 | 22:00 - 23:20(80分) | |
| 2000.03.27 | 2001.09.28 | 21:54 - 23:09(75分) | |
| 2001.10.01 | 2004.03.26 | 21:54 - 23:10(76分) | |
- 備考
- 前述の通り、1988年3月まで金曜日は23時台で放送された。同年4月『華麗にAh!so』開始から23:20終了となっている。
- 2000年3月27日から開始時刻を6分前倒し、フライングスタートを実施。同日にNHK総合が裏番組として『NHKニュース10』をスタートさせたため、それに対する対抗策とみることが出来る。
- 後期 - 末期の放送時間は後番組の『報道ステーション』で現在も引き継がれている。
[編集] スポーツ番組による特例編成
- 高校野球開催期間中
全国高等学校野球選手権大会が行われる毎年8月中旬の2週間は、ハイライト『熱闘甲子園』(ABC制作)を放送するための特例編成となっていた。
- 1989年までは平日の同番組の放送が22:00 - 22:30[10]であったので、1986年と1987年は番組の開始から終了まで全編30分ずらし(通常日は22:30 - 23:47、金曜版のみ23:30 - 土曜未明0:30)としていた。1988年と1989年は1時間に短縮し22:30 - 23:30とした。
- 1990年から1999年は終戦記念日(8月15日)前後を基点とし、大会前半は通常と同じ22:00 - 23:17→22:00 - 23:20、大会後半は1時間短縮版で22:00 - 23:00とした。同番組の放送は大会前半は23:20 - 23:50、大会後半は23:00 - 23:30であった。
- 2000年のフライングスタート開始以後は全日程を通して通常と同様の時間帯(21:54 - 23:09→21:54 - 23:10)となった。同番組の放送も全日程を通して23:10 - 23:40となった。
- 大相撲開催期間中
大相撲期間中は『大相撲ダイジェスト(以下:ダイジェスト)』を放送するため、『Nステ』は3分短縮となっていたが、1995年4月改編を期に解消された。2000年4月のフライングスタート開始以後はネオバラエティ・金曜ナイトドラマの後に『ダイジェスト』を放送した。2003年9月で『ダイジェスト』は終了する。
[編集] 番組での出来事など
[編集] 1980年代
- ニュースステーションスペシャル
- 初期には年末に『ニュースステーションスペシャル』と題して、大掛かりな特集を中心とした長時間番組を放送した。1985年は日本航空123便墜落事故を特集し、1988年は後述の10.19ロッテ-近鉄戦であった。その後も何度か、長時間特番を組むことがあった。
- 1986年2月25日
- フィリピン政変(エドゥサ革命)が起こり、政権が交代した。この日は早河洋プロデューサー(当時、現:代表取締役社長)が30分の時間延長を決断。放送終了の1分30秒前にCNNテレビで中継された米国・シュルツ国務長官の記者会見を流し、マルコス前大統領の亡命および政権崩壊の一報を伝えた。当時大学生の安藤優子がマニラから電話で中継を行った。安藤は、隣にいたNBCニュースの情報を聞き取っていたという。この日のニュースは、後に「ニュース番組を変えたニュース」として伝えられている。また、2009年2月1日にテレビ朝日開局50周年記念特番の一環として放送された「“ニュースの記憶”〜あの頃あの時あなたは…報道50年映像全史〜」では、冒頭10数分にわたりこの日の放送の一部が放送された。なお、この日は関東地区で19.3%の視聴率を記録した。
- 1986年11月21日
- 伊豆大島の三原山が数日前から活発な火山活動を始め、この日の夕刻、新たな噴火口から大規模な噴火が始まった。これに伴い島民に避難命令が出され、さらには島外への退避命令が出されるに至る。夕刻から翌日未明にかけ火山活動はピークを迎えるが、その動きに合わせ夕方から番組の休止や内容変更が続く中、朝日放送の責任枠であった当時の金曜21時枠および22時枠を内容変更し、この番組が急遽放送開始を前倒しし、21時台のANN報道特別番組に引き続き、22時から23時57分まで時間枠を拡大し放送された。
- 1988年10月19日
- プロ野球・パ・リーグの優勝決定試合であるロッテ対近鉄戦(いわゆる10.19)をテレビ朝日は近畿広域圏の朝日放送のみに向けて中継の制作(裏送り)を行った。21時から10分間の予定で急遽全国放送することにしたが、結局は試合終了まで全国中継した。21時台の『さすらい刑事旅情編』は休止し、CMを一切入れずに放送した。さらにニュースステーションも放送予定の大半をやめてそのまま中継を続け、テレビ朝日自体に対する評価を大きく高めた。なお、視聴率は30.6%(関東地区。関西地区は46.4%)で、初の30%台以上の記録だった。
- この日は特異日であり、阪急ブレーブスの身売り発表や、貨物列車脱線事故などニュースがあり、またこの日に予定していたニューヨークからの中継を中止した。
[編集] 1990年代
- 1991年2月21日
- 番組開始から出演していた初代コメンテーターの小林一喜が1991年2月19日に亡くなり、この2日後に番組の冒頭で20分間にわたり追悼特集を組み、終盤では小林夫人が記した手紙を小宮が読み、号泣した。
- 1995年2月17日
- 兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)の発生から1ヶ月後の1995年2月17日、神戸市中央区のポートアイランドにあるサンテレビジョン本社からニュースステーションを放送した。サンテレビはテレビ朝日系列の朝日放送の放送区域である兵庫県をカバーしている系列外の独立UHF放送局である(朝日放送とは業務提携関係にあることから、この異例の取り組みが実現できたという)。震災の主たる被災地の地元局であることから、この日のみサンテレビジョンと共同で番組を制作・放送したものである。またサンテレビジョンのニュース番組である『ニュースEyeランド』の関西向け天気予報なども全国のANN系列でそのまま流されるなど、報道番組としては極めて異例の取り組みが行われた。
- 久米のいない放送
- 久米はテレビ朝日との間で契約更新に合意できなかったため、1999年10月6日に番組内で「私の出演は本日までです」と宣言し、翌日から年末まで番組を降板する[11]。
- この期間は渡辺宜嗣と渡辺真理の2人で進行する。翌10月7日放送の冒頭で、渡辺宜嗣は挨拶の後「久米宏はいません。しばらく私がキャスターを務めますが、『ニュースステーション』のキャスターは久米宏です」と異例の発言をしている。渡辺宜嗣が取材していた2000年問題特集を放送するため、ウラジオストクや中東などから中継を行ったほか、日本シリーズ期間中は開催地の福岡ドームとナゴヤドームから放送を行った。
- この期間の久米についてテレビ朝日は「休暇」としているのに対し、久米の著書・サイトなどでは「無職」としている。
[編集] 2000年代
- 2000年1月4日
- 久米が3ヶ月ぶりに番組に復帰。同時に番組オープニング、タイトルロゴ、スタジオセットがリニューアルされた。この時久米は口ヒゲを生やし、それまで黒く染めていた髪を白髪のままにするなど、イメージチェンジを遂げた。
- 2000年5月3日
- ほぼ全編西鉄バスジャック事件の立てこもり現場の中継に終始。テーマ曲の生演奏は後日放送となり、スポーツニュースは結果のみ伝えることになった。番組ではJリーグ開幕以来、当日の試合結果を詳しく伝えてきたが、それが出来なかった唯一の日となった。
- 2001年7月23日 - 27日
- 福岡市で開催した世界水泳の独占放送権をテレビ朝日が取得。世界水泳の中継が午後9時24分に終わってしまうため、ちょうど第19回参議院議員通常選挙が行なわれる直前ということもあって、この間「SPECIAL WEEK」とし、午後9時36分からの放送となった。この際オープニングも特別バージョンのものが用意され、オープニングBGMもアニメ機動警察パトレイバーのものが使用された。時間が前倒しとなった9時36 - 54分の間は主に候補者へのアンケート結果(全候補者 ファイナルアンサー)を放送した。
- 2001年9月11日 - 13日
- 久米が遅めの夏休みをとり、渡辺真理だけで放送していた11日。午後9時45分、世界貿易センタービルに飛行機が突入。9時54分のオープニングのあと、この日関東に上陸し、東北へと達していた台風15号のニュース。56分頃にCNNインターナショナルの映像を用いて第一報。CMを挟んでトップニュースだった台風情報を、台風通過直後の岩手朝日テレビ前からの中継などを交えて伝えなおす。この間に2機目の突入。この事態を受け、飛行機事故を中心に放送。CNNの同時通訳を交えながら当時ニューヨーク駐在の内田忠男や当時ワシントン支局長の鈴木悟らと状況を見守った。後にアメリカ同時多発テロとして知られるが、午前0時まで放送し、その後はANN報道特別番組となる。午後11時台はエンディング直前までCMを挟まずに放送。
- 12日、『はぐれ刑事純情派』を休止、午後9時から11時24分までの放送で、全編テロ報道となる。この日も渡辺真理1人だけで放送。
- 13日、休暇中の久米が夏休みを切り上げて復帰。番組欄の最後に「久米宏」と書いてアピール。プロ野球速報も伝え、放送時間の拡大も無かったが、11日・12日より高い視聴率を記録した。後日談によると久米はパリでこのニュースを知ったという。
- 2002年5月14日
- ミャンマーで軍事政権により軟禁されているアウンサンスーチーと久米が5分間の電話対談を行い、録音した音声を放送した。なお、久米はミャンマーの軍事政権を嫌い、国名を旧国名の「ビルマ」と伝えていた。
- 2002年6月14日
- 2002 FIFAワールドカップで日本が初めての決勝トーナメント進出を決定したこの日は、大阪・ABCスタジオから生放送が実現した。
- 2003年12月19日
- 同じ六本木ヒルズ内に本社を置くJ-WAVEの『Jam the WORLD』と同時放送(午後9時から30分ほど)、久米とパトリック・ハーランがニュース原稿を読み、久米がJ-WAVE社内の様子をリポート、平井堅が六本木ヒルズ内から中継で『見上げてごらん夜の星を』を披露した。
[編集] 最終回(2004年3月26日放送)
- オープニングでは『ニュースステーション』開始と同じ年に植えられたアークヒルズの桜並木から夜桜中継をした。
- エンディングでは久米が、民間放送のありかたについて、視聴者をはじめ広告代理店の電通、歴代のスポンサー・スタッフなどへ感謝の言葉、小学生時代の自らの通知表の内容、番組や久米個人に対する批判者へのお礼などを述べた。歴代オープニング曲とその当時の久米の映像を交えて過去18年半のニュースを振りかえり、中国語によるパロディ予告編「久米的電視台」が放映された。
- 最後は一人手酌のビールを一気に飲み干し、(降板していた時期があったため)「本当にお別れです。さようなら」との挨拶で番組を終えた。
- 番組終了後、同日中に競合番組である『筑紫哲也 NEWS23』内のコーナー「多事争論」で筑紫哲也が久米への言葉を述べたことをはじめ(その日のタイトルは「さようなら、NS」)、翌日以降の情報・バラエティ番組、新聞各紙でも報道されるなど、ニュース番組としては極めて例外的な扱いを受けた。
- ニュースステーション終了でプロダクションのオフィス・トゥー・ワンは、同時間帯の報道番組制作から撤退することになる。
- 後番組の『報道ステーション』は『ニュースステーション』とは全く別の番組という位置付けがなされ、花束贈呈などの司会者の引き継ぎは一切行われなかった。
- 最終回の視聴率は19.7%(関東地区)。
[編集] 出演者
[編集] キャスター
- メインキャスター
- 久米宏(1985年10月7日 - 1999年10月6日、2000年1月4日 - 2004年3月26日)
- サブキャスター
- スタジオサブキャスター
- 岡田洋子(1995年4月7日 - 1997年3月28日)
- 小谷真生子(1996年4月5日 - 1998年3月27日)
- 丸川珠代(1997年4月4日 - 1998年10月2日)
- 小宮悦子(1998年4月3日 - 1998年9月25日)
- 白木清か(1998年5月11日 - 1999年12月23日)
- 上山千穂(1999年2月1日 - 2004年3月26日)
- スポーツキャスター
- 朝岡聡(1985年10月7日 - 1987年9月18日、1988年4月8日 - 1990年3月30日)
- 松井康真(1987年9月21日 - 1991年3月29日)
- 飯村真一(1991年4月1日 - 1993年9月30日)
- 坪井直樹(1993年10月1日 - 1996年10月2日)
- 角澤照治(1996年10月3日 - 2004年3月26日)
- 長島三奈(1997年4月4日 - 2000年4月7日)
- 真中瞳(現・東風万智子)(2000年4月14日 - 2002年10月4日)
- 河野明子(2002年7月4日 - 2004年3月26日)
[編集] 主要キャスターの変遷
| 期間 | メイン | サブ | スタジオサブ | スポーツ | |||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 月・火 | 水・木 | 金 | 月 - 水 | 木 | 金 | ||||
| 1985.10.7 | 1987.9.18 | 久米宏 | 小宮悦子 | (不在) | 朝岡聡 | ||||
| 1987.9.21 | 1988.4.1 | 松井康真2 | |||||||
| 1988.4.4 | 1990.3.30 | 松井康真3 | 朝岡聡3・4 | ||||||
| 1990.4.2 | 1991.3.29 | 松井康真 | |||||||
| 1991.4.1 | 1993.9.30 | 飯村真一 | |||||||
| 1993.10.1 | 1995.3.31 | 坪井直樹 | |||||||
| 1995.4.3 | 1996.3.29 | (不在) | 岡田洋子5 | ||||||
| 1996.4.1 | 1996.10.2 | 岡田洋子5 小谷真生子 |
|||||||
| 1996.10.3 | 1997.3.28 | 角澤照治 | |||||||
| 1997.3.31 | 1998.3.27 | 小谷真生子 丸川珠代 |
角澤照治 | 長島三奈 | |||||
| 1998.3.30 | 1998.4.17 | 堀越むつ子6 | 小宮悦子 丸川珠代 |
||||||
| 1998.4.20 | 1998.5.1 | 渡辺みなみ6 | |||||||
| 1998.5.4 | 1998.5.8 | 渡辺宜嗣6 | |||||||
| 1998.5.11 | 1998.10.2 | 渡辺真理7 | 白木清か | ||||||
| 1998.10.5 | 1999.1.29 | 白木清か | |||||||
| 1999.2.1 | 1999.10.6 | 上山千穂 | 白木清か | ||||||
| 1999.10.7 | 1999.12.23 | 渡辺宜嗣1 | |||||||
| 2000.1.4 | 2000.4.7 | 久米宏 | 上山千穂8 | ||||||
| 2000.4.10 | 2002.6.28 | 真中瞳 | |||||||
| 2002.7.1 | 2002.10.4 | 角澤照治9 | 河野明子 | ||||||
| 2002.10.7 | 2004.3.26 | 河野明子9 | |||||||
|
|||||||||
- 備考
- 久米が休暇の際には小宮が進行役となっていたが、1995年から渡辺宜嗣が代役を務めた。2000年からは渡辺真理が進行役となった。
- 小宮が休暇の場合は渡辺みなみが務め、渡辺真理が休暇の場合は不定期出演のスタジオサブキャスター(後述)が代役となっていた。
- スタジオサブキャスターが金曜日のみの頃は当初は岡田のみだったが、小谷がスタジオサブキャスターとして登場して以降は交代で出演していた。
- 小宮は1998年4月6日から月 - 木曜夕方の『スーパーJチャンネル』担当に伴い、『Nステ』は金曜日のみの出演となる。同年9月25日の放送を最後に正式に降板し、10月5日より『Jチャンネル』の全曜日担当となった。
- 渡辺真理のサブキャスター就任は当初は4月の予定だったが、TBSラジオと世界フィギュアスケート選手権中継の仕事が4月まであったため、5月からの出演となった[12]。このため、1998年3月30日 - 5月8日はの間は、月曜 - 木曜を堀越・渡辺みなみ・渡辺宜嗣でつなぎ、金曜日は小宮降板後の第1週のみ堀越が出演。
- 松井は、1988年4月に金曜日の放送時間が月曜から木曜と同じ22時台に繰り上がった際、同じ金曜日に生放送の『ミュージックステーション』との兼ね合いで、金曜日は松井の前任者の朝岡が務めた。
- 長島は2000年4月7日で『Nステ』卒業及びテレビ朝日を退社する。予定では3月31日だったが、諸事情により一週延長されていた。2001年2月に契約社員としてテレビ朝日に復帰。
- 真中は自身が主演したNHK夜の連続ドラマ『恋セヨ乙女』(2002年7月)が台風情報で1日放送が延期し金曜日に放送日が順延になった際に、同じ時間に出演するのを避けるために『Nステ』には出演せず、河野が代わりに出演した場合もあった。
[編集] その他のキャスター
- スタジオサブキャスター(不定期出演、代役時)
- スポーツキャスター(メイン以外)
- お天気キャスター
- 松本裕子
- 大谷千亜紀
- 勝恵子
- 大石恵
- 乾貴美子
- 内藤聡子
- 河合薫
- 斎藤義雄 - 金曜日のみ
- 増田雅昭 - 金曜日のみ
- 宮部二朗 - 金曜日のみ
- 飯島真一 - 金曜日のみ・台風接近の際は随時
- 坪井直樹
- 上山千穂
[編集] コメンテーター
- 小林一喜(1985年10月7日 - 1991年1月)
- 田所竹彦(1991年5月20日 - 1992年10月9日)
- 和田俊(1992年10月12日 - 1996年3月29日)
- 高成田享(1996年4月1日 - 1997年10月31日)
- 菅沼栄一郎(1997年11月3日 - 1999年4月20日)
- 轡田隆史(1999年4月23日 - 1999年12月23日)
- 笑福亭松之助 - 金曜日のみ
- テリー伊藤 - 金曜日のみ
- 清水建宇(2000年1月4日 - 2004年3月26日)
- 萩谷順(2000年1月5日 - 2004年3月26日)
- 森永卓郎(2000年1月6日 - 2004年3月26日)
- 船曳建夫(2000年1月 - 2002年頃)
- 補足
- 初代のコメンテーター小林は、久米・小宮と名トリオとして親しまれたが、1991年2月19日に逝去。小林は、久米不在時に一度だけメインの代役を試みたことがある。小林を含めニュース解説者としてのコメンテーターは船曳、森永を除いて歴代、朝日新聞記者またはその経験者。開始にあたり人選を朝日新聞社に依頼し、小林が選ばれた。ちなみに和田は、この番組以前に『ニュースフロンティア』で古舘伊知郎と共演している。ゲストとして出演機会の多かった福岡政行は選挙予想をことごとく当て有名になった。
[編集] リポーター
- 渡辺宜嗣 - 久米不在時にはメインも
- 若林正人 - 夜桜中継が有名
- 渡辺みなみ - 小宮不在時にはサブも
- 橋谷能理子 - 初期の天気コーナーも
- 内田忠男 - 主にニューヨーク支局から
- 宮嶋泰子 - スポーツ特集担当兼ディレクター
- 三反園訓 - 主に国会記者会館から
- 立松和平 - 心と感動の旅
- 羽田健太郎 - ピアノ演奏中継(天気コーナー)
- 安藤優子 - CNNコーナー担当
- 神田秀一 - 皇室関係担当、一時期天気予報も担当
- 西脇亨輔(1998年9月 - 2002年7月) - ほぼ毎日リポートを担当
- 平石直之
- 長島三奈
- 小林一枝
- 下平さやか
- 雪野智世
- 松苗慎一郎
- 岡田洋子
- 小谷真生子
- 佐藤紀子
- 木下智佳子
- 田中真理子
- 田丸美寿々
- 木佐彩子
- 山口容子
- 内田誠
- 補足
- 渡辺宜嗣は、休暇中の久米の代役の定番であり、当番組長寿化の功労者の一人。また、リポート・スタジオサブキャスターを務めた小谷真生子を始め、初期のCNNコーナーを担当した安藤優子や、リポートから天気コーナーまでマルチにこなした橋谷能理子など、後に他局で活躍する女性キャスターたちがこの番組を足掛りとしている場合も多い。
[編集] 番組構成
番組内で久米が番組の放送開始・主なコーナーの開始時間を一定にするようアピールしてきた。番組(または野球速報)を「日々の生活の一部」として観ている視聴者を尊重してのことで、放送時間の変更があれば、時には前週から丁寧に予告していた。10時開始だった2000年3月までの番組構成を例に挙げると、スポーツは22:30頃、天気予報は22:50頃に放送。プロ野球速報がない日は22:55にスポーツを放送する日がある。また番組冒頭で「スポーツは○時○分ごろ、天気予報は○時○分ごろ放送します」と言った。
番組終盤のニュースフラッシュでその他のニュースを1項目20秒程度で一気に流した。1990年代までは16項目表示できる電光ボードを使用。2000年代はスタジオ演出を用いずVTRのみで構成。この時久米が「できるだけニュース」と言うのが定番だった。
番組のエンディングでは「あすの予告」と世界各地のドル/円相場を紹介。午後5時の東京での取引値との差を久米が暗算で伝えていた。最後の半年間は、久米が「マーケットチェック」とコールすると、画面が切り替わり、右下隅には、「宏のMarket Check」と表示されていた。
エンドタイトルは初期から中期にかけては情報カメラの映像だったが、それ以降は無人のスタジオの静止画に変わった。『大相撲ダイジェスト』放送日はクロスプログラムの演出を行う。無人のスタジオの静止画というエンドタイトルは後番組『報道ステーション』にも引き継がれたが、現在はテレビ朝日以外の系列地方局でしか見ることができない。
[編集] スポーツ
[編集] 野球
プロ野球に関しては当日の試合速報が番組の主力コンテンツとしてあり続けた。2月の「キャンプフラッシュ」、3月の「順位予想」、10月の「日本シリーズ予想&解説」が恒例。日本シリーズに関しては該当チーム以外の監督・選手が解説者として出演することもあった。
- プロ野球速報
- 番組初期、プロ野球のある日は「日本一速いプロ野球速報」をウリにしていた『スポーツTODAY』に対抗すべく22:25頃から「プロ野球速報」として放送していた。試合速報は取材した放送局が編集・ナレーションを行い、各リーグの順位表が初代セットの一部に組み込まれていた。
- 試合映像は各放送局から配信(ナレーションも原則各放送局アナウンサー。地方球場遠征の場合、系列局がない地域ではテレ朝か近隣系列局アナウンサーが述べる場合あり)しており、試合の映像が終わってから、東京のスタジオから選手・監督のコメント、記録などの一口メモを流すという体裁だった。
- 当初から独自のコーナージングル[13]を採用しており、アニメ番組の主題歌のイントロを加工したもの[14]も使用されたりした。
- また、1992年のシーズンからチームの呼称を報道番組としては初めて愛称名(「ジャイアンツ」「ライオンズ」など)のみとした。その後一時「親会社名+愛称名」のフル名称になった時期もあったが、「巨人」あるいは親会社名のみの呼び方は番組終了までされなかった。この呼び方は後番組の『報道ステーション』には受け継がれていない。ペナントレースの優勝チームの決定が近づくとくす玉がセットに吊り下げられ、優勝が決まるとそれを割って祝福するシーンもあった。
- 日刊スポーツとの中継
- 番組開始当初、1990年代まで木曜日の放送では「マユゲのノーさん」こと日刊スポーツ編集委員・野崎靖博記者と同社東京本社(築地)と中継回線をつないで、プロ野球解説や翌日の紙面の紹介を行っていたことがあった。2000年1月の久米復帰後も出演を続けたが、レギュラー最後の出演時期は未詳。
- プロ野球1分勝負
- ニュースフラッシュのあとに放送された名場面(珍プレー)を中心に、その日のプロ野球を1分でまとめたコーナー。爆風スランプの『いつか逆転』が使われたこともあったが、真心ブラザーズの『どか〜ん』をテーマ曲に採用してからはこの曲で定着、高校野球の応援で耳にする曲となった。雲仙普賢岳が噴火した折には歌詞が噴火を連想させるとして『どか〜ん』の使用を自粛している。
- クドちゃんナベちゃん キャンプフライデー
- 1987年の春季キャンプシーズン、西武ライオンズに当時在籍していた工藤公康と渡辺久信によるコーナー。文字通りキャンプ地からのリポートをするコーナーであったが、まだ一般に馴染みの薄かったパシフィックリーグの若手選手がもつレギュラーコーナーであったため、ある意味、画期的なものであった。
- ジャイアンツエイド
- カープファンの久米宏が、巨人ファンの著名人を招いて、巨人が優勝するための策などを主張させ合った。コピーライターの糸井重里や川崎徹、漫画家の黒鉄ヒロシらが常連で、彼らの自由な発言が人気だった。特に黒鉄の巨人軍優勝のための「安心理論」(どんなにジャイアンツの調子が悪くても、優勝できる理由をこじつける)は、企画の目玉であった。
- 宜嗣とドラゴンズ
- プロ野球キャンプ取材では、大の中日ファンである渡辺宜嗣が中日の北谷キャンプを訪れ、監督らにインタビューし、「燃えよドラゴンズ!」を大熱唱することが恒例となっていた。
[編集] サッカー
川平慈英が専属キャスターとして、Jリーグ開幕時から番組終了まで出演した。Jリーグも試合のある日は全試合の結果を放送、特集枠をJリーグ情報に充てることもしばしばあった。1998年サッカーW杯では川平がフランスから連日放送。2002年W杯ではテレビ朝日が担当した日本対チュニジア戦の放送を久米と川平の司会で放送した。
放送日にJリーグの試合がある場合、他のスポーツニュースでは試合映像の終わりのところでその試合のスコア結果を字幕出ししていたが、この番組はプロ野球と同じ要領で、試合映像を最初に映した後、映像が終わってから別のカットで詳細なスコアテーブルを全画面表示して、そこに川平が選手・監督談話や記録などの一口メモを述べる体裁をとっていた(一部の日、1-2試合程度しか行われなかった場合は除く。このような形式は2011年度のフジテレビジョン・「すぽると!」でもJ1リーグの土曜日開催の試合に限り行っている)。
- マンデーJ/MJ
- 水曜の常時開催が無くなると月曜に名シーンを放送する「MJ(Monday J League)」を放送。日本人選手の海外進出や2002年W杯人気もあり、海外リーグの話題も伝えた。特に1999年J2リーグ発足以後からは、週末に行われたJ2の試合を他のスポーツニュースよりも詳しく伝えた(J1は注目のカード数試合を抜粋して放送)。これには川平は登場しない。
-
- 川平慈英のJ2めぐり
- この「マンデーJ」との連動で、1999年のJ2発足当時に、「J2のオリジナル10」といわれるチームを川平が訪問し、そのチームのJリーグでの取り組みや試合の観戦レポートを紹介するコーナーがあった。
- 都並さんといっしょ
- 当時サッカー解説者であった都並敏史が登場し、川平とともに、サッカーについてのミニ知識などを解説したコーナー。
- レインボー
- Over The Rainbowのエレキギター演奏と共に、ゴールシーンの映像を振り返り、ボールの軌道を虹なぞらえて演出する。日本代表試合での日本代表選手のゴールシーンなどに使用。
- 「次はいつ?」
- 川平にはおなじみのフレーズが多く存在した。「いいんですか?いいんです!」や心酔した時の「くぅーーー!」など。ハイテンション過ぎて、久米から「次はいつ来るの?」と冷やかし半分に訊かれ、未定だと「(呼ばれれば)いつでも!!」と締める事が多かった。
[編集] その他スポーツ
- 特集
- スポーツ特集は野球・サッカー以外の幅広い競技にも及ぶ。マイナースポーツの取材数では他のスポーツニュース番組より圧倒的に多く、さらに毎年継続して取り上げた(パリ・ダカール・ラリーやアメリカスカップなど)。スポーツ特集には宮嶋泰子がディレクターとして取材。
- スポーツ中継告知
- テレビ朝日で放送されるスポーツ中継の告知は色々な形で行われた。ル・マン24時間レースや全英オープンゴルフや全米オープンゴルフ(男女・シニア)のある時期は開催先から解説陣が最新の様子を伝えるなど、告知は怠らなかった。また、全英オープンの際の久米と青木功の掛け合いも名物であった。
- ネーミング
- なにかとダジャレや気の利いたフレーズを使うことが多かった。Jリーグ順位掲示板「回転くん」「かめすけ」や、2002 FIFAワールドカップカウントダウンの「あと韓日くん」など。
- 角澤ポジション(角ポジ)
- 2000年1月4日の久米復帰に合わせたスタジオリニューアル(後述)に合わせ、ブーメランテーブルの手前に、当時のスポーツ担当であった角澤照治の専用席が設けられ、以降、角澤担当曜日のみその専用席に角澤が位置してスポーツコーナーを進行する形になった。これにより、角澤は久米、渡辺真理、上山の3名を背にして進行を行う形になり、各出演者の表情も一緒に覗うことができるようになった。基本的にはコーナー全体を通して専用席で進行するが、最初は専用席で進行し、途中からブーメランテーブルに移動して進行を行うこともあった。この専用席は通称「角澤ポジション」と呼ばれた。
- なお、角澤以外のスポーツキャスター(長島三奈、真中瞳や河野明子)は従来通りブーメランテーブルで進行していたが、角澤不在時の代行担当者らが「角ポジ」を使用するとカビラーバや上山地方といった名称がついた。また、テレビ朝日系の朝日放送のニュース番組『NEWSゆう+』の「ゆうスポーツ」では、「角ポジ」と同様に、担当のキャスターがメインキャスター陣よりも前に座って、スポーツニュースを伝えている。
[編集] 名物企画・シリーズなど
- 夜桜中継
- 「夜桜中継」は例年春に行われた大規模な中継である。初期に担当した若林正人は、久米の進行が気に食わないことが多く、契約が終わると久米批判で知られるようになった。夜桜中継は他系列の南海放送や四国放送も中継に協力していた(裏送り)。正式なANNのネットワークニュースではないために協力が得やすかったと言われる。このほかに夏の「滝中継」、秋の「紅葉中継」も行われた。
- 立松和平こころと感動の旅
- 作家・立松和平が自然の中を旅するリポート。須賀潮美による水中リポートも織り込まれることがあった。立松の独特の語り調子と、須賀の酸素ボンベでの呼吸音が話題を呼んだ。初期は、須賀の実父がカメラマンとして同行していた。
- 金曜コンサート
- 若林正人がクラシック音楽を紹介した企画。
- 最後の晩餐
- 『最後の晩餐』は、久米が著名人に「人生最後に食べたいもの」というテーマでインタビューするという企画。のちに単行本化された。なお、久米の夏季休暇が3週間で定着してから考え出された企画で、初期は休暇3週目に放送されていた。
- シリーズ日本の駅
- 国鉄分割民営化が目前に迫っていた1986年当時、日本の様々な駅を紹介した。中島みゆきの「おだやかな時代」がテーマソング。国鉄民営化をもってコーナーも終了した。
- シリーズ新・日本の駅
- 小林旭の「駅」がテーマソング。
- マンハッタン瓦版
- ニューヨーク支局の内田忠男が、地元紙の気になる記事を紹介するコーナー。渡辺みなみが代役を務めることもあった。
- 絶滅危惧商品
- 忘れかけた頃に放送されるシリーズ。戦後復興期に使われ、その後使用されなくなった商品の今昔を、ナレーターがその商品に扮して伝える。
- 小泉武夫の○○の快楽
- 発酵食品の研究で知られる小泉武夫教授が、さまざまな地域の地元食を訪ねるもの。これを端に、発酵食品だけにとらわれず、いろいろな地元食を扱った。
- 業界新聞
- あまり目に触れることのない、業界内向けの新聞に着眼点を置き、その新聞の生い立ちや、取り扱う業界について探る。
- 登山シリーズ
- テレビ朝日のディレクター・大谷映芳(『渡辺篤史の建もの探訪』プロデューサーなどを歴任)による登山紀行。ムスタン取材は何回かに分けて放送、これ以降は江守徹がナレーターを務める。後に日曜午後に放送される番組の先行ダイジェスト版という形式をとる。
- ビートルズ映像公開
- ビートルズが『エド・サリヴァン・ショー』に出演した映像や、アップルコンピュータがリマスタリングした際に作成した日本で1回しか放送できないミュージックビデオなど貴重な映像を放送。
- チャンスの前髪
- 渡辺真理が、話題の人物にインタビューする企画。
- 轡田隆史のぶらり旅
- 朝日新聞の論説委員でかつてコメンテーターだった轡田隆史が各地を旅するという企画。
- おなじみのゲスト
- などなど
[編集] 所沢ダイオキシン訴訟
- 環境総合研究所のデータを基に、埼玉県所沢市の葉物野菜から高いダイオキシン濃度が検出されたと1999年2月1日に報道。
- 大手スーパーから所沢産のホウレンソウを始めとする野菜が締め出され、卸し価格が半値以下に下落する被害が出た。番組中で久米が「葉物野菜」と表現したダイオキシンが検出された農産物は、実際は煎茶であり、乾燥しているため本体重量が軽く、生鮮野菜と同量のダイオキシンが見かけの上で多く計算されることによるもので、実際に飲む上では健康に悪影響はないものだった。
- 当初、番組コメンテーターの菅沼が「この報道をやめて(ダイオキシン問題を)救えるかってんだ!」と生放送の番組内で怒鳴るなど誤りを認めなかった。放映の二週間後、久米が番組内で農家に謝罪し、「検査対象が茶だとは知らなかった」と弁明した。農家側は、風評で損害を受けたとして、当初376人の原告団を結成して、損害賠償請求訴訟を起こした。
- 裁判では1審と2審がテレビ朝日側が勝訴、最高裁で2審の判決を破棄し、東京高裁に差し戻された。番組終了後の2004年6月16日に、テレビ朝日が農家側に謝罪して和解金1000万円を支払うことで和解が成立した。
- 環境総合研究所自体はこの裁判で問題のあったデータやコメントをしたにもかかわらず不問となっているため自社の正当性を認められたとしている。
[編集] スタジオセット
スタジオセットは、当時のアーク放送センター(現在のテイクスタジオ)地下3階にあったAスタジオ(テレビ朝日の本社移転後は、六本木ヒルズ新本社5階にある第4スタジオ)に常時建て込まれている状態で、2階(末期のセットでは3階)まで作られたほか、ゲストを招く部屋や家具までも仕込まれるなど大掛りで非常に手の込んだものになっている。コンセプトは「久米宏の部屋」で、放送終了までに5回改築された。奥行きを重視したこれらのセットを使うことにより、画面全体に非常にくつろいだ雰囲気が生まれ、ニュース番組でありながら、柔らかい印象を視聴者へ与えることに成功した。
- 初代:1985年10月7日 - 1990年9月
- アークヒルズ敷地内のマンション高層階にあり夜景が見えるという設定で、白を基調とし、茶色・木目調の什器類がアクセントを添えている。質感や色は、久米の当時の自宅の部屋にそっくりだという。奥にゲスト用の客間があったほか、ソファのセットもあり、1988年3月までの金曜版はそこから放送した。壁には巨大プロ野球順位表が設置されていた。
- この期間には、番組に立体感を出す狙いから、前半30分弱をアーク放送センター1階のニューススタジオ(Nスタジオ、報道局内)から、それ以降をこのセットのあるAスタジオから放送することが多かった。この区切りに当たるコマーシャル入り直前に、移動のため久米たちが立ち上がる、という演出を織り込んだ。海外ニュースを伝えるCNNコーナーや、金曜版のニュースはNスタジオから伝えられた。大きなニュースが入ったときは、全編をNスタジオから放送していた。
- 出演者の座る位置は右側に久米と小林、左側に小宮となっていた。
- 2代目:1990年10月 - 1995年9月
- 高層階からの眺めを維持し、基調色の白の存在感が強まった。Jリーグ開幕以降は、Jリーグ速報用のボール型順位表「電動くん」が常時置かれていた。初代で木目調だったニュースフラッシュ用のボードは、石材風になった。
- 出演者の座る位置は当初は先代と同じだったが、後にコメンテーターの位置を小宮の隣に移し、右側に久米(後に金曜のみスタジオサブキャスターも)、左側に小宮とコメンテーターとなった。
- 3代目:1995年10月 - 1999年8月
- これまでの雰囲気を一新し、飛騨地方にあった民家の木材を使用。これもセット奥の背景は高層からの夜景。夜景のホリゾント幕はこれが最後となった。小宮がサブキャスターだった頃は、月曜から木曜は通常のキャスター席だったが、金曜のみソファと小さいブーメランテーブルを使用することが多かった。
- 出演者の座る位置は当初は先代と同じ、後にコメンテーターの位置を久米の隣に戻し、右側に久米とコメンテーター、左側に小宮(金曜のみスタジオサブキャスターも)となった。渡辺真理のサブキャスター就任及びスタジオサブキャスター本格的導入となってからは、右側に久米と白木(1998年9月まで金曜のみ丸川)→白木・上山、左側に渡辺真理(1998年9月まで金曜のみ小宮)とコメンテーターとなった。
- 4代目:1999年8月 - 1999年12月23日
- これまで改装中は1階のNスタジオから放送していたが、ここでは先代の2階にある「書斎」がテーマの小さなセットを使用した。このセット奥の窓には高層階からではないが夜景が見えていた。この時に久米の契約交渉がまとまらず、久米は3か月間不在となる。5か月の短命に終わる。
- 5代目:2000年1月4日 - 2003年9月26日
- レンガがアクセントになったセットで、久米曰く「関東のとあるワイン倉庫を改装した」という設定。美術(大道具)搬入口付近まで建て込むなどアークAスタに組んでいたセットとしてはこれまでで最大の規模となった。1階左奥には囲炉裏を囲んだ板の間、その手前にはテラス。正面奥にはキッチンその右手前には書斎。2階左側に趣味の部屋、ここは「ビートルズ映像公開」企画で使用された。同じく2階右側は通路を兼ねた書棚が置かれている。ここは天気コーナーでしばらく使用していた。2002年4月に1階書斎部分を改装した。
- このセットでは出演者の座る位置は今までとは逆になり、当初は左側に久米とコメンテーター、右側に渡辺真理と上山となっていたが、2001年4月あたりから上山とコメンテーターの位置を入れ替え、左側に久米と上山、右側に渡辺真理とコメンテーターとなった。
- 6代目:2003年9月29日 - 2004年3月26日
- テレビ朝日の社屋移転に伴い、使用していたスタジオはアーク放送センターAスタジオから、六本木ヒルズ新本社の第4スタジオへ変更となった。
- 「東京湾に浮かぶ700tクラスの貨物船の船底をイメージした」という3階建ての作りで、40tもの鉄を使い、建て込みには数百人がかりで1ヶ月もかかった超豪華なセットであった。[15]同じスタジオ内には夕方のニュース番組『スーパーJチャンネル』のセットも作られ、『ニュースステーション』よりは小規模ながらも、共通のデザインコンセプトで設計されている。
- 新セットを作るにあたり、テーブルなどほとんどのセット内のものは新調されたが、一部の家具や小物は前のセットから引き続き使用された。(さらにその一部は番組終了後『スーパーJチャンネル』へと引き継がれ、現在でも使用されている。)
- このセットでは出演者の座る位置が元に戻り、右側に久米と上山、左側に渡辺真理とコメンテーターとなった。
- 番組終了後、この6代目セットと10代目オープニング映像、リアルタイムCGにより、スタッフが2003年度のテレビ美術を対象とする「第31回伊藤熹朔賞」を受けた。
- 番組終了後、このセットの取り壊しには時間がかかったため、後番組にあたる『報道ステーション』は、新セットの完成まで番組開始後1週間のあいだ、テレビ朝日本社1階のアトリウムに仮設セット(基本的にはテーブルと椅子のみ。これは新セット完成後そのまま4スタに移設)を建てて放送した。『スーパーJチャンネル』も、通常『ANNニュース』を伝えるニュースルーム(Nスタジオ)から放送した。
[編集] ブーメランテーブル
『ニュースステーション』ではキャスター席に特徴的な「ブーメランテーブル」が使われ、メールマガジンのタイトルを『NSブーメラン』とするなどこの番組の名物であった。番組開始当初は濃い色のものが使用されていたが、後に交換されたときには薄い色のものへ変更になった。
また、2003年9月の社屋移転に伴いテーブルが新調された際に、同じスタジオから放送されることになった『スーパーJチャンネル』でも使用されるようになった。テーブルは移動可能な台に載せられ、両番組の放送ごとに双方のセットを行き来して据え付けられていた。『ニュースステーション』終了後、『報道ステーション』の開始にあたってはまた新たに違うデザインのテーブルが作られることになり、セット同様わずか半年でその役目を終えている。
2004年12月29日に放送された特別番組『サプライズ!?2004』(出演:小宮悦子、上田晋也など)では、2003年9月まで使用されたブーメランテーブルがセットとして使われた。
[編集] テーマ曲・コーナー別使用音楽
- 1985年10月7日 - 1987年9月25日:『ANNニュースのテーマ』(松岡直也)
- 他の『ANNニュース』でもこのテーマ曲に変更。
- 他の『ANNニュース』ではこのオープニングから派生したCG画像を使用していたためそれらの映像は通称「青屏風」と呼ばれている。ちなみに元であるオープニングは青屏風の上に地球儀が乗っかったデザインだった。
- 1987年9月28日 - 1989年1月27日:曲名なし(前田憲男)
- 週末の『ナイトライン』と共通でテレビの三原色を示す光線が放たれたのみスタジオ風景が細切れに現れたところでタイトルというCG混在映像が使われていた。
- 1989年1月30日 - 1993年4月16日:『Good evening』(本多俊之)
- このころから、オープニング曲・CM前ジングル以外に番組内で使われる音楽もトータルにコーディネートされ始めるようになった。
- 天気予報のBGM、スポーツコーナーのテーマ(『JUNP UP』)なども本多が担当。
- このころから、オープニング後に日付表示がなされるようになった。
- 歴代のテーマ曲の中ではこの曲が長く使われている(約4年3か月、作曲者だけでも含めると約7年8か月)。
- 1993年4月19日 - 1996年10月4日:『Harmony』(本多俊之)
- 1996年10月7日 - 1998年5月8日:『36度線』(ASKA)
- 「36度線 -1995夏-」 (CHAGE and ASKA) 参照。
- 天気予報のBGM(違う曲)も提供。
- 1998年5月11日 - 1999年12月23日:『靴は履いたまま』(ゴスペラーズ)
- これ以降、オープニング映像で日付を表示。この時期のオープニング映像はその日のニュース映像が使われた。
- 重大ニュースがあった際は定時開始でもこの曲を使用せず、ピアノ曲が使われた(パキスタン核実験)。
- アルバム「Vol.4」収録[16]
- スポーツ『イントロ'98』 - アルバム「Vol.4」収録
- 2000年1月4日 - 2002年3月29日: 『NS2000(NEW STREAM 2000)』(福岡ユタカ)
- これ以降、オープニングCGの中で放送内容の告知を行う(Char演奏のW杯バージョンを除く)。
- 2001年ではこの曲のニューバージョンとして『NS2001』が使われた時期もあった(アルバム「Calling -The Latest Best-」収録)。
- 導入当初は30秒あったが、途中から1フレーズカット(5秒ほど)。
- スポーツ『Trance Zone』 - アルバム「Calling -The Latest Best-」収録
- ニュースフラッシュ『5scenes from a Dizzy day』 - シングル「NEW STREAM 2000」、アルバム「Y・Voices」収録
- 2002年4月1日 - 2002年6月28日:『A FAIR WIND』(Char)
- この期間内に、日韓共催のサッカーFIFAワールドカップがあり、このテーマ音楽に乗せ、川平慈英のナレーションで1回目からのW杯の歴史を振り返る特別バージョンで、決勝戦とともに終了。
- 2002年7月1日 - 2003年9月26日:『サラバンド』(サラ・ブライトマン)
- アルバム「ハレム」、「輝けるディーヴァ 〜ベスト・オブ・サラ・ブライトマン〜」収録(共にフル・ヴァージョン)
- スポーツ『ハレム』 - アルバム「ハレム」収録
- 2003年9月29日 - 2004年3月26日:U2の演奏、選曲、監修による以下のテーマ曲
- オープニング『Where The Streets Have No Name (約束の地)』
- スポーツ『Lady With The Spring Head (スピニング・ヘッド)』
- ニュースフラッシュ(「できるだけニュース」)『Discotheque (ディスコティック)』
- エンディング『Electrical Storm (エレクトリカル・ストーム)』
[編集] 番組タイトルロゴ・カラーリング
| この項目では色を扱っています。 閲覧環境によっては、色が適切に表示されていない場合があります。 |
ロゴの変更は2回行われている。渡辺真理の初回と久米の3か月ぶりの復帰の2回。六本木ヒルズに移転した際にカラーリングを変更している。
- 番組開始 - 1998年5月8日 上に「ニュース」下に「ステーション」で、カラーリングは青→銀色→青→白(白で縁取られた)。
- 1998年5月11日 - 1999年12月23日 先代のアレンジ。ロゴの「ステーション」が右にずれる。カラーリングはネイビー。
- 2000年1月4日 - 番組終了 番組開始以来初めて英字のタイトルに。カラーリングはオレンジ / 黄色→青色 / 水色。
- カラーリング
- 番組開始 - 1989年1月27日、1993年4月19日 - 1996年10月4日「ニュースステーション」(青)
- 1989年1月30日 - 1993年4月16日「ニュースステーション」(銀)
- 1996年10月7日 - 1998年5月8日「ニュースステーション」(白)
- 1998年5月11日 - 1999年12月23日「ニュースステーション」(ネイビー)
- 2000年1月4日 - 2003年9月26日「NEWSSTATION」(オレンジ / 黄色)
- 2003年9月29日 - 2004年3月26日「NEWSSTATION」(青色 / 水色)
[編集] テロップフォント
[編集] キャスター表示
- 1985.10.7 - 1997.9(フォントは石井ゴシック体→タイプバンクゴシック体)
- 1997.9 - 1998.5.8(テロップ機材変更に伴う、若干立体的に。フォントはNIS-POP文字系)
- 1998.5.11 - 1999.12.23(フォントはJTCウィンZM9系)
- 2000.1.4 - 2003.9.26(ここから名前表示に装飾が付くようになった[17]、フォントは小さくJTCウィンS7系)
- 2003.9.29 - 2004.3.26(フォントはニューロダン)
[編集] 見出し
- 1985.10.7 - 1992.3(フォントは石井ゴシック体)
- 1992.4 - 1998.5.8(フォントはゴナ→JTCウィン)
- 1998.5.11 - 1999.12.23(フォントはJTCウィン(斜め)とラムダシステムズの明朝体)
- 2000.1.4 - 2003.9.26(フォントはJTCウィンとラムダシステムズのゴシック体)
- 2003.9.29 - 2004.3.26(フォントはニューロダン)
[編集] 本文など
- 1985.10.7 - 1993.3
- 1993.4 - 1998.5.8
- 1998.5.11 - 1999.12.23
- 2000.1.4 - 2003.9.26
- 2003.9.29 - 2004.3.26
[編集] エピソード
- 1989年、久米は番組の企画「ジャイアンツエイド'89」で「巨人がリーグ優勝したら坊主頭になる。日本シリーズでも勝ったら徳光さんの番組で万歳する」と宣言。この年に巨人が優勝し、この公約を守った。久米が万歳したスポーツコーナーは本来、日本テレビのローカル枠だが、話題性の高さから各系列局は臨時にネットした。
- 金曜版では、久米はカジュアルな服装をしていた。これ以外にも番組初期にいち早くイタリアン・スーツに身を包むなど、それまでのニュースキャスターのイメージを突き破った久米のファッションも話題を呼んだ。また、番組に復帰後の時も、久米はスーツにネクタイ姿だけでなく、カジュアルな服装の姿もしていた。
- 1990年前後あたりから、記者や他のキャスターを身内のようなものとして考え、視聴者に向かって担当する記者やキャスターを紹介・案内する場面では、他局なら「○○キャスター、○○記者、○○アナウンサー」などと紹介するところを、敬称はともかく職名も付けず「名字」「フルネーム」だけで紹介していた。代表的な例として「次のニュース小宮から」「国会記者会館にいる三反園訓に聞きます。三反園さん」など。呼びかけなど当人との会話では従来通り「さん付け」であった。久米が「週刊朝日」で丸谷才一の「外部に対して、身内である同じ番組の出演者に敬称を付けて呼ぶのは社会人としておかしい」という発言を読んだのがきっかけだという。テレビ朝日の他の番組ではこのような呼びかけはしていない。
- この番組では、ニュース番組としては珍しくプロンプターの使用を取り止め、全ての原稿を机の上に置いて読み上げる方式を採った。久米は著書で視聴者の側を向いたニュース番組にしたかったからそのような方式にしたと記している。つまり読みにくい原稿は手元の原稿を見ながら読み上げる、といった姿を求めた。ちなみに後番組の『報道ステーション』では机の上に原稿は置いているが、プロンプターを使用している。
- 番組開始時にキャスター・リポーターの一般公募で若林正人らを発掘したが、放送開始10周年でも、一般からのキャスター募集が行われた。NTT部長や毎日新聞女性記者などが選ばれたが、出演期間は短かった。
- 久米は、毎年3週間の夏休みをとったが、久米の休暇中には大事件が起きることが多く、ジンクスとして語られることがあった。
- 海外アーティストが来日したとき、度々出演し、生演奏している。『ミュージックステーション』にはスケジュールの都合で出演できなくても、週5日放送の『ニュースステーション』なら出演しやすいという面もある。
- 本多俊之・ゴスペラーズ・福岡ユタカ・Charら、歴代オープニング曲を担当したアーティストの出演・生演奏・生歌唱も、すべてではないが行われた。
- 『ニュースステーション』が終了して5年が経過した2009年頃に、久米が当時の番組スタッフから最終回の放送を収録したDVDをもらい、これを見た久米は「なんという金の使い方をした番組だったんだ」と振り返っている。
[編集] 平均視聴率ベスト10
| 位 | 視聴率 | 放送年月日 | 備考・放送内容 |
|---|---|---|---|
| 1 | 34.8% | 1994年10月26日 | 日本シリーズ「西武対巨人」戦終了後 |
| 2 | 31.9% | 1995年10月24日 | 日本シリーズ「ヤクルト対オリックス」戦終了後 |
| 3 | 30.9% | 1988年10月19日 | いわゆる「10.19」当日。上記を参照 |
| 4 | 28.2% | 1995年4月24日 | オウム真理教の村井(元)幹部刺殺事件発生など |
| 5 | 27.6% | 1995年5月8日 | オウム真理教幹部への単独インタビュー放送など |
| 6 | 26.7% | 1989年6月26日 | 歌手・美空ひばり死去など |
| 7 | 26.3% | 1989年2月13日 | リクルート事件でリクルート江副浩正前会長逮捕など |
| 8 | 1995年3月23日 | 地下鉄サリン事件発生など | |
| 9 | 1995年4月10日 | オウム真理教幹部各地で逮捕など | |
| 10 | 1995年4月13日 | オウム真理教施設一斉捜索など |
[編集] 評価と影響
『ニュースステーション』は、様々な意味でテレビのニュース番組に革命を起こしたと評価される。
前述のように、難しい用語や内容をわかりやすく解説したことで、政治や経済に興味のなかった層が関心を持つきっかけとなり、多方面に大きな影響があった。
この番組の成功は、久米宏のテレビ司会者としての力量や話術・個性に負うところが大きいと評価され、良くも悪くもかつてのフジテレビのワイドショーの『小川宏ショー』をもじって「久米宏ショー」と呼ばれることがあった。久米が番組でいう意見と発言すること自体について、評価が分かれた。
この番組以降、ニュース番組全般で、報道に携わった経験のない文化人やタレントなどがキャスター・コメンテーターに起用されることが多くなった。またテレビ向きの言葉を発することに長けた「専門家」のコメントが使われる機会が増えた。これらについては安易な人選、拙速な内容との批判がある。音楽・ナレーション・テロップなどをワイドショーのように使う表現・演出手法は、しばしばニュースを過度にセンセーショナルなものに見せた。従来の報道番組になかった娯楽番組的要素を採り入れたことから「報道バラエティー」とも評され、報道番組のワイドショー化の先駆けとして批判される。
[編集] スタッフ
- 構成:
- プロデューサー:早河洋、
- ディレクター:
- 企画・制作協力:オフィス・トゥー・ワン
- 協力→制作:ANN系列各社(初期はANN加盟20社→ANN系列20社、という風にANNの加盟局数が入っていた)
- 制作著作:テレビ朝日
[編集] 関連番組
- 『ニュースステーション』開始から1年後の1986年10月24日から毎週金曜日午後8時台に放送されている関口宏→タモリが司会を務める音楽番組。番組タイトルに「ステーション」を持つ『Nステ』の派生番組。初代番組ロゴは『Nステ』の初代番組ロゴと共通のデザインだった。
- 国政選挙の開票速報番組。1986年7月の衆参同日選挙から2003年11月の第43回衆議院議員総選挙まで久米宏を中心として放送された。
- 1987年10月4日から1988年4月3日まで、日曜日午前11時台に放送された。渡辺みなみが司会を務め、若林正人が経済解説をした。テーマ曲も当時の『ニュースステーション』と同じであり、「金曜チェック」の再放送が目玉の一つだった。
- ドキュメント天皇崩御 昭和から平成へ
- 「平成」改元が行われた1989年1月8日(日曜日)12時から2時間にわたって放送された報道特別番組。久米宏と小宮悦子が司会を務め、『ニュースステーション』のスタジオセット(ただし背景は昼の風景)から放送した。
- チャレンジステーション
- 1996年と1997年に放送された『熱血27時間!!炎のチャレンジ宣言』の番組内ニュースコーナー。通常編成における『ANNニュース』の代用的位置付けであり、1996年放映版はニュースステーションのタイトルロゴをアレンジしたものだった。キャスターはタレントの雛形あきこと高井正憲。
- 『ニュースステーション』の後番組。『Nステ』とは別番組の位置づけではあるが、『Nステ』の制作手法などの名残りを受け継いでいる。
- TBS系列で23時台に放送されている報道番組。1989年10月2日より放送開始。『Nステ』同様平日最終版のニュースの概念を大幅に変えた番組。同時間帯で何かと比較された。また、久米宏と筑紫哲也は双方とも早稲田大学の出身で、広島東洋カープのファンでもあった。ちなみに、双方の古巣は久米宏はTBS、筑紫哲也は朝日新聞であった。また、渡辺真理もTBSアナウンサー時代、この番組に出演していた。
[編集] ネットしていた放送局
『ニュースステーション』の放送が始まった頃のANN加盟フルネット局はキー局テレビ朝日を含めて12局。クロスネット加盟である福井県の福井放送と、宮崎県のテレビ宮崎と、長野県のテレビ信州(現日本テレビ系)ではその関係上NNN(日本テレビ系)の夜の最終ニュース『きょうの出来事(現:NEWS ZERO)』を放送していた。テレビ信州は、在長民放では4局目に開局した長野朝日放送(abn)の開局まで、ANNのネットニュースは昼枠と夕方枠しかネットしておらず、結果的にテレビ朝日のネットをabnに譲るような形でネットニュースを全てNNNに切り替えた。
ANNは、テレビ放送ネットワークとしては他の放送系列よりも系列局の設置などにはばかるほどの起伏に当たるばかりになってしまい、その後、日本テレビとフジテレビの人気番組の勢いが圧倒的になると、各地のローカル局は人気ネット番組の整理に追われるようになる。1989年のKAB熊本朝日放送の開局を皮切りに、テレビ朝日はNET時代に大頓挫した全国ネットワーク構築を再展開。それまで他系列とのクロスネットを組んでたローカル局ともネット関係をほぼ断ち切るようになり、政府の提案した民放四波化推進の条件にまでは達してないものの、フルネット24局体制を『Nステ』の放送期間中に完成させ、「Nステ」は、北海道から沖縄までテレビ朝日の放送が視聴できる体制づくりにも貢献した。しかし、系列局発のローカルニュースがANNプライムニュースの位置づけではないためか、番組の放送中などに挿入しにくい状態であるため、系列局今日最後のニュースは、番組の放送終了後か、深夜枠に回されてる。(とは言え深夜枠は日付が翌日になったあとに系列局が放送する例が多く、実際は日付が変わったあとのニュースと捉えなければいけないようである。)尚、後番組の「報道STATION」に関しては、ANN完全系列24局が放送開始当初からネットしている。(しかし、こちらも番組の放送中に系列局がローカルニュースを挿入できない状況が続いてる。)
[編集] 脚注
- ^ 1993年4月19日から実施。それ以前はモノラル放送。
- ^ a b 2007年4月5日スポーツニッポン「小宮悦子、2度目の離婚 10歳“姉さん婚”から12年--「女性セブン」報じる」
- ^ 嶌信彦『メディア 影の権力者たち』1995年4月講談社 ISBN:4062076284
- ^ 『アフタヌーンショー』は1985年10月18日に打ち切り。
- ^ しかし、番組開始に伴う番組編成の改編で、平日夜22時台に放送されていた番組を中心に放送時間が変更され、『特捜最前線』『必殺シリーズ』が終了に追い込まれた。これらの改編に加え、『アフタヌーンショー』の「やらせリンチ事件」が影響してか、1980年代後半から1990年代はテレビ朝日ではヒット番組に恵まれず、視聴率において終始4位(民放キー局、NHK除く)だった。
- ^ 『ウェザーニューズ 報道気象の歴史』 株式会社ウェザーニューズ (PDF)
- ^ 朝日新聞縮刷版の番組表を確認。
- ^ 2009年1月 - 6月、金曜21時に『必殺仕事人2009』として放送。
- ^ 広瀬道貞社長 定例社長会見要旨(2003年9月30日)
- ^ 1982年の第1回熱闘甲子園のみ21時開始。1983年の第2回以降1989年まで22時開始がずっと定着していた。
- ^ 1995年頃からことあるごとに週刊誌で「久米降板」説が取りざたされた。
- ^ 2010年8月28日の『久米宏 ラジオなんですけど』でゲスト出演した渡辺真理がコメント。
- ^ 荻野目洋子『湾岸太陽族』、B'z『LOVE & CHAIN』など。
- ^ 「機甲戦記ドラグナー」OP『夢色チェイサー』、「からくり剣豪伝ムサシロード」ED『てなもんだ人生』など。
- ^ 作品リストー舞台・他ーニュースステーション - 大澤製作所
- ^ オリジナルバージョンが収録されている。番組で使われたバージョンはゴスペラーズ・パーフェクトハーモニーブック「歌おう」に付属されているCDのtrack-4に収録されている。
- ^ 久米は青(NEWSSTATION)、コメンテーターと角澤・川平は緑(NEWSSTATION)、女性キャスターと天気キャスターは黄色(NEWSSTATION)。NEWSSTATIONと濃淡を付けている。但し、ゲストコメンテーターの場合はこの装飾は付かない。2003年9月29日の六本木ヒルズ新本社移転後は、久米(NEWSSTATION)、コメンテーター(NEWSSTATION)、渡辺真理と上山(NEWSSTATION)、角澤・河野と川平(NEWSSTATION)となっている。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
| テレビ朝日系列 平日最終版のニュース | ||
|---|---|---|
| 前番組 | 番組名 | 次番組 |
|
ANNニュースファイナル
(1975年10月13日 - 1985年10月4日) |
ニュースステーション
(1985年10月7日 - 2004年3月26日) |
報道ステーション
(2004年4月5日 - ) |
| テレビ朝日系列 平日スポーツニュース枠 | ||
|
ANNスポーツニュース(第2期)
(1982年4月 - 1985年9月) |
ニュースステーション
(1985年10月7日 - 2004年3月26日) |
報道ステーション
(2004年4月5日 - ) |
| テレビ朝日 平日21:54 - 22:00枠 | ||
|
世界の車窓から
【6分繰り上げて継続】 |
ニュースステーション
|
報道ステーション
※21:54 - 23:10 |
| テレビ朝日系列 月曜22時台 | ||
|
ニュースステーション
|
報道ステーション
※21:54 - 23:10 |
|
| テレビ朝日系列 火曜22時台 | ||
|
ニュースステーション
【この番組からテレビ朝日制作】 |
報道ステーション
※21:54 - 23:10 |
|
| テレビ朝日系列 水曜22時台 | ||
|
特捜最前線
【木曜21時台に移動して継続】 |
ニュースステーション
|
報道ステーション
※21:54 - 23:10 |
| テレビ朝日系列 木曜22時台前半枠 | ||
|
愛川欽也の探検レストラン
【土曜19時台後半枠へ移動して継続】 |
ニュースステーション
|
報道ステーション
※21:54 - 23:10 |
| テレビ朝日系列 木曜22時台後半枠 | ||
|
美女紀行!E湯!E味
【日曜18時台後半枠へ移動して継続】 |
ニュースステーション
|
報道ステーション
※21:54 - 23:10 |
| テレビ朝日系列 金曜22時台 | ||
|
ダウンタウン探偵組
【この番組まで朝日放送制作】 |
ニュースステーション
【この番組からテレビ朝日制作】 |
報道ステーション
※21:54 - 23:10 |
| テレビ朝日系列 金曜23時台 | ||
|
不明
|
ニュースステーション
|
華麗にAh!so
※23:25 - 23:55 |
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