MTKハンガリアFC

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MTKハンガリアFC
原語表記 Magyar Testgyakorlok Kore
Hungaria FC
クラブカラー
創設年 1888年
所属リーグ NB II(2部)
ホームタウン ブダペスト
ホームスタジアム シュタディオン・ヒデクチ・ナンドール
収容人数 12,700
代表者 ハンガリーの旗 ドモニャイ・ラースロー
監督 ハンガリーの旗 ガラミ・ヨージェフ
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

MTKハンガリアFCMTK Hungaria FC)は、ハンガリーの首都ブダペストを本拠地とするサッカークラブである。

目次

略歴 [編集]

クラブは1888年11月16日にブダペスト市内のカフェにて「Magyar Testgyakorlok Kore 」として創設された。創立者の多くはハンガリーの上流階級とユダヤ人資本家によって構成されていた。最初はフェンシング体操部門だけであったが、1901年3月12日にサッカー部門が設立された。

その後、MTKは1905年から1940年代のアマチュアリーグからプロリーグ黎明期にかけて15回のハンガリーリーグのタイトルと7回のハンガリーカップを獲得し、国内で最も成功したクラブとなった。しかし第二次世界大戦の頃にはクラブに多くのユダヤ人が選手や役員として参加していた事からユダヤ人排斥に苦しめられた。

戦後、ハンガリーが共産主義国となった1949年にMTKはハンガリー国家保安局(ハンガリー語:Allamvedelmi Hatosag, 略称:AVH)によって買収され「Textiles SE」と改称した。それから短期間のうちに「Bástya SE」、「ヴェレシュ・ロボゴー SE」(Vörös Lobogó SE赤旗の意)と改称した後、最終的にMTKに戻された。この混乱にも関わらず1950年代には3度のリーグタイトル(1951年、1953年、1958年)を獲得、1955年に国際タイトルであるミトローパ・カップを制覇。また同年にUEFAチャンピオンズカップにし出場UEFA主催の国際大会に参加する初のハンガリーのクラブとなり、その後1963-64シーズンのUEFAカップウィナーズカップでは決勝へ進出、ポルトガルのスポルティング・リスボンと対戦し準優勝の結果を残した。

国際サッカー歴史記録学会 (IFFHS) が発表した20世紀ヨーロッパにおけるクラブランキングでは、ハンガリーのクラブとしてはフェレンツヴァーロシュTCウーイペシュトに次いで、58位にランクされた[1]

MTKの選手達はマジック・マジャールとして知られるハンガリー代表の成功の中でブダペスト・ホンヴェードの選手達と共に中心的な役割を果たした。 ヒデクチ・ナーンドルは1953年11月25日に敵地ロンドンウェンブリー・スタジアムで行われたイングランド代表との試合においてハットトリックを記録し、歴史的な試合の勝利に貢献するなど攻撃面で重要な役割を果たし、ラントシュ・ミハーイザカリアーシュ・ヨージェフは守備面で代表を支えた。

また、マジック・マジャールは従来のWMシステムを発展させた4-2-4の原型となるシステムを採用し、後に世界中に普及していったが、そのシステムを最初に採用したのがMTKの監督ブコヴィ・マールトンで、後に代表監督のシェベシュ・グスターヴ(彼も元MTKの選手)によって採用されたといわれる。

タイトル [編集]

国内タイトル [編集]

  • ハンガリーリーグ : 23回
    • 1904, 1908, 1914, 1917, 1918, 1919, 1920, 1921, 1922, 1923, 1924, 1925, 1929, 1936, 1937, 1951, 1953, 1958, 1987, 1997, 1999, 2003, 2008:
  • ハンガリーカップ : 12回
    • 1910, 1911, 1912, 1914, 1923, 1925, 1932, 1952, 1968, 1997, 1998, 2000:
  • ハンガリースーパーカップ : 2回
    • 2003, 2008

国際タイトル [編集]

歴代監督 [編集]

歴代所属選手 [編集]

出典・脚注 [編集]

  1. ^ Europe's Club of the Century - IFFHS(2010年6月11日閲覧)

外部リンク [編集]