織戸学
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織戸 学(おりど まなぶ、1968年12月3日 - )は、千葉県出身で神奈川県在住のレーシングドライバー。妻娘あり。愛称「MAX」「オリド」「モン吉」「オリマブ」「まなぶB」「オリダー」など。最近は「MAX☆織戸」を名乗る機会が多くなった模様。
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[編集] プロフィール
自動車雑誌「CARBOY」主催のドリフトコンテストで頭角を現し、初代グランドチャンプとなった後に坂東正明率いるRACING PROJECT BANDOH(坂東商会)に入社し、1991年よりレーシングドライバーとしてデビューした。
デビュー当初は「ポストドリキン」とも呼ばれ、土屋圭市とは師弟関係の間柄(一番弟子)として知られる。横浜ゴムの開発ドライバーを勤めていた土屋がブリヂストンに移籍した際は、その後継ドライバーとして織戸が抜擢される。
全日本GT選手権(JGTC)には1996年より参戦し、最初はGT300クラスにてシルビアを駆り、翌1997年にはシリーズチャンピオンに輝いた。その後、2000年にはGT500クラスに上がり、最初は土屋エンジニアリングより参戦し、2002年サードに移籍。2003年は第7戦にてGT500初優勝を飾った。2004年に再び土屋エンジニアリングに復帰。2005年には開幕戦にて優勝を飾った。2006年は土屋エンジニアリングを立ち上げた土屋春雄氏の息子である土屋武士とコンビを組む。
他にも、今も原点である走り屋のスピリットを忘れず、自動車ビデオマガジン「ビデオオプション」の企画で、同じプロレーサーである飯田章と共に「水戸納豆レーシング」(ミッドナイトレーシング)というハチロクのワンメイクチームを結成しており、自らもトレノを所有している。
また、漫画「頭文字D」の大ファンでもあり、「頭文字D Battle stage」では雑談会で土屋圭市、今村陽一と共に出演している。
2006年4月20日 織戸が経営するダイニングバー「559 YOKOHAMA」が横浜市都筑区にオープン(現在は閉店しており、妻の美紀さんがエステ&ネイルサロンに改装し営業中)。
[編集] その他
首都高バトル01の阪神高速にワンダラーとして「オリマブ」名義で出現している。曰く阪神最強のワンダラーで、自身の愛車、青いリドックススープラに搭乗している。この車は彼を倒すと購入可能。ただし高い。
[編集] レース戦歴
- 1991年 - 富士フレッシュマンレース NA-1600クラス
- 1992年 - 富士フレッシュマンレース NA-1600クラスシリーズ優勝
- 1993年 - 鈴鹿フレッシュマンレース N2-1600クラス(第3戦より、3回優勝、シリーズ3位)
- 1996年
- 全日本GT選手権 GT300/GT500クラス
- N1耐久選手権 クラス2
- 1997年 - JGTC GT300クラス(シルビア、開幕戦鈴鹿・最終戦SUGOでクラス優勝しシリーズチャンピオン)
- 1998年 - JGTC GT300クラス(セリカ、シーズン途中からの参戦ながらランキング2位)
- 1999年
- JGTC GT300クラス(セリカ、開幕戦鈴鹿で優勝しランキング3位)
- NASCARウィンストンカップウェストシリーズ(スポット参戦)
- 2000年
- 2001年 - マカオ・ギアレース(TEAM DD #10 トヨタ・アルテッツア、2位)
- 2002年 - スーパー耐久 グループNプラス(TEAM DD #25 ADVAN ALTEZZA)
- 2003年
- 2004年 - ル・マン24時間レース GTクラス(チョロQレーシング #77 ポルシェ911GT3 RSR、総合12位・クラス2位)
- 2005年
- 2006年 - SUPER GT GT500クラス(スープラ、ランキング19位)
- 2007年 - SUPER GT GT500クラス(LEXUS SC430、ランキング17位)
- 2008年 - SUPER GT GT300クラス(セリカ/LEXUS IS350、第7戦もてぎで優勝 パートナーは阿部翼、ランキング12位)
- 2009年 - SUPER GT GT300クラス(LEXUS IS350)
[編集] D1グランプリ
全日本プロドリフト選手権(D1グランプリ)では、2001年~2004年までは、土屋圭市・鈴木学と並んで審査員として活躍していたのだが、2005年初頭に開かれた「東京オートサロン2005」のD1表彰式にて「今年から選手としてD1の舞台に参加する」と発言した事がきっかけで、D1に「選手」として参戦していく事になる。
メインスポンサーは、首都圏でカー用品店を営む「オートテック」。その他に横浜ゴム・ブリッド・土屋エンジニアリング・オートプロデュースBOSS・カーズ等々。そして、自身のプロデュースするスタイルショップ「RIDOX(リドックス)」も、スポンサード内に入っている。メンテナンスはオートプロデュースBOSSの他、現場ではNATSの生徒も参加させていた。
ベース車両は、トヨタ・スープラ(JZA80)。なんと、このクルマの元々の姿は水没車であり、解体屋行き寸前のところで彼が拾い上げ、ベース車両として再利用した。そこから土屋エンジニアリングでロールバーを入れ、オートプロデュースBOSSで手がけられたエンジンを積んでいる。
アメリカ・カリフォルニア州アーヴィンデール・スピードウェイで行われた開幕戦は本来乗るはずのマシンがまだ完成しておらず、暫定的なマシンであったため単走1回戦敗退だったが、シーズン通して単走進出率100%と、ルーキーとは思えないほどの安定感を保持している。
東京・お台場特設ステージで行われた第2戦では、2003年のシリーズチャンピオンであり、2004年第5戦から連続決勝戦進出記録を更新し続ける、アペックスワークスのマツダ・RX-7(FD3S)を駆る今村陽一を、序盤のベスト16で下してしまうという波乱を起こし、突如として注目を集めたが、続くハチロク(AE86)使いである植尾勝浩との対戦において、なんと痛恨のデフブローでリタイヤしてしまうという痴態(?)を演じてしまい、さらに注目を集めた。
宮城県・スポーツランドSUGO本コースで行われた第3戦では、予選・1回戦を軽く突破してきたが、続くベスト16で、RE雨宮ワークスのRX-7(FD3S)を操る末永正雄と対戦したときに、2本目で無理矢理行き過ぎてスピン。あっけなく姿を消した。
第4戦の大分県・オートポリスを欠場した後に迎えた第5戦エビスでは、HKSのボアアップキットで3400cc化した2JZ-GTEと、ボアアップ化による低速域でのレスポンス低下を防ぐためにホリンジャー製のシーケンシャルミッションを新たに搭載すると、土曜日の予選を乗り慣れていない中で何とか通過し、日曜日の本選でも1回戦を100点で通過する活躍ぶり。その勢いそのままで、追走でも大活躍を演出することになる。
まずベスト16で、2004年のシリーズチャンピオンであり、ORCワークスの日産・フェアレディZ(Z33)を駆る三木竜二を無難に下すと、「レーシングドライバー対決」となったベスト8で、HKSワークスのトヨタ・アルテッツァ(SXE10)に乗る谷口信輝と当たり、彼の大きなミスにより自身初のベスト4進出を決める。ベスト4では、Bee☆Rの日産・スカイライン(BNR32・車両名B324R:R32GT-RにR34の顔をスワップし、アテーサE-TSをキャンセルしたうえでフロントのドライブシャフトを撤去した完全FR仕様)を使う手塚強と当たる。1本目こそ6:4で持っていったが、2本目で接触した事が原因で、手塚がテールを激しくウォールにヒットする大クラッシュを負った。あわや織戸の反則負けと誰もが思ったが、完璧に彼がオーバーテイクを決め、決勝戦進出で自身の持つ最高位記録を塗り替えた。その決勝戦では、今シーズン既に3勝を挙げ、土屋圭市の個人事務所「圭オフィス」に所属する、日産・シルビア(S15)を操る風間靖幸との顔合わせとなった。両者とも全開で繋げようとしたが、後から振り出した織戸の方が、ウォールに右リアを激しくヒット。コントロール不能になってしまったスープラは、そのまま審査席前のスポンジバリアを激しく突き破り、土手にクラッシュ、オイルクーラーがパンクしてしまい勝負あり。それでもルーキーで準優勝と「MAX人気」を不動のものとした。ちなみに決勝戦に入る前、準決勝でのクラッシュが元で既にパワステが死んでおり、普通であれば決勝をリタイアするようなダメージを受けていたのだが、それでも出走する所に織戸の人柄を感じられる。
「新人で初優勝」との期待も持たれた第6戦の静岡県・富士スピードウェイでは、自身初のシード権を獲得して初優勝を決めるべく乗り込んだが、「走りが地味」という厳しい評価を受けて、まさかの1回戦落ちを喫してしまった。既に最終戦は不出場が確定してしまっているため、ここで彼のルーキーイヤーは幕を閉じてしまった。また、D1で乗っていたスープラも、水没していたせいか何かの怨念があったのか、マシントラブルが多発し、果ては第6戦後に移送中、大型トラックに追突されてしまい廃車となってしまった。
2006年5月にモータースポーツコムのイベントでカラーリング・スペックがほぼ同じ2号機を復活させたが、D1には参戦させていない。どうやらD1事務局や他選手への迷惑行為が報告されたため、参戦を取り止めさせられた模様。一部では審査基準の問題点を谷口信輝と共に、苦言を呈したのを事務局側(特に土屋と稲田)が快く思わなかった事が直接の原因であるとも言われている。(ただし、2005年に本人の口から「GTやNASCARで頑張りたい。」という発言が出ていることや、2006年以降も谷口と違いビデオオプションに出ていることから、あながちガセという噂もある)
2008年3月頃から復活の噂が囁かれ始め、第一戦エビス南のグリーフィングに谷口信輝と共に参加し、参戦を表明する。チームはSUPER GTと同じRACING PROJECT BANDOHからの参戦。マシンはこれまたGTと同じレクサス・ISをベースとした車両で挑む。この年は第5戦のオートポリスにスポット参戦のみとなった。その第5戦ではまた出来上がったばかりのマシンというだけにマシントラブルが発生し、修復は難しくリタイアという結果に。いち早く復帰した谷口のようにはいかなかった。今後はマシンを熟成させていき来シーズンから本格参戦を視野に入れている。 2009年GTでのドリフトデモランやDtoDなどで使用していたアリストをD1のレギュレーションに合わせ、第一戦エビス南へ参戦。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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