M-TEC

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株式会社M-TEC
M-TEC Co.,Ltd.
M-TEC本社
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
351-8586
埼玉県朝霞市膝折町2-15-11
設立 2003年10月1日
業種 輸送用機器
法人番号 6030001047742 ウィキデータを編集
事業内容 二輪・四輪の競技用車両およびパーツの製作・販売 他
代表者 代表取締役 橋本朋幸
資本金 3,000万円
従業員数 190名(2014年現在)
主要子会社 MUGEN America,Inc.
MUGEN EURO.,Limited
関係する人物 本田博俊(『無限』創業者)
外部リンク http://www.mugen-power.com/
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株式会社M-TEC(エムテック、M-TEC Co., Ltd.)は、ホンダ車用アフターパーツの製造販売やレース用エンジンの開発製造を行う日本の企業。2003年平成15年)設立。

概要

前身は株式会社無限(むげん)。2003年に株式会社M-TECが設立され、2004年(平成16年)に無限のほぼ全ての業務がM-TECに譲渡された。

現在も株式会社無限は存続しており、『無限』の商標は株式会社無限が保持している。そのため、M-TECは株式会社無限と『無限』ブランド独占使用契約を締結して『無限』ブランドによる事業を展開し、株式会社無限はM-TECからライセンス料を得るという関係性にある。

ここでは株式会社無限に関する記述も行う。

沿革

無限

M-TEC

MUGEN RR
  • 2003年(平成15年)10月1日 株式会社 M-TEC を設立。代表は永長眞(ながおさ しん)。
  • 2004年(平成16年)4月1日 株式会社無限から『無限』の商標保持及び管理以外の業務の譲渡を受ける。同時に株式会社無限と『無限』ブランドの独占使用契約を締結する。

主な業務

(2003年以前は株式会社無限、2004年以降は株式会社M-TECによるもの)

レース用エンジンの開発・製造及び供給
ホンダ車用アフターマーケットパーツの開発及び製造販売およびレース部品の供給とレースサポート
  • 現在は二輪・四輪共に行なっている。
VFR800X MUGEN
自社パーツによるセッティングを施した輸入車両の販売
  • 2011年(平成23年)、日本国内未発売のホンダ製オートバイを輸入し、自社製パーツを装着して無限ブランドで販売した。車両はVFR800X MUGENVFR1200X/XD MUGENで、その後両車のベースモデルがホンダから正規に国内販売された(800Xは2014年〈平成26年〉12月、1200Xは2014年〈平成26年〉3月発売)。
ホンダ車によるワンメイクレースにおいて、エントラントへのテクニカル及びホスピタリティのサーキットサービス
  • H.O.A.(ホンダ ワンメイク レースアソシエーション)メンバー

レース活動

TEAM MUGEN
MOTUL MUGEN NSX-GT(2019年)
MOTUL MUGEN NSX-GT(2019年)
国籍 日本の旗 日本
活動期間 1998年 - 現在
カテゴリ FN/SF
JGTC/SUPER GT
チームズ
タイトル
全日本GT選手権 GT500クラス(2000年、2002年)
全日本GT選手権 GT300クラス(2004年)
SUPER GT GT300クラス(2013年)
ドライバーズ
タイトル
全日本GT選手権 GT500クラス(2000年)
全日本GT選手権 GT300クラス(2004年)
SUPER GT GT300クラス(2013年)
スーパーフォーミュラ(2013年、2018年)
公式サイト http://www.mugen-power.com/motorsports
2021年のスーパーフォーミュラ
エントリー名 TEAM MUGEN
レーサー 15. TBA
16. 日本の旗 野尻智紀
マシン SF19ホンダ
タイヤ 横浜ゴム
2021年のSUPER GT (GT500)
エントリー名 TEAM Red Bull MUGEN
レーサー 日本の旗 笹原右京
日本の旗 大湯都史樹
マシン 16. Red Bull MOTUL MUGEN NSX-GT
タイヤ 横浜ゴム
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無限

シビック

1985年(昭和60年)から1993年(平成5年)まで全日本ツーリングカー選手権 (JTC) にシビックで参戦し、1987年(昭和62年)、1988年(昭和63年)、および1991年(平成3年)から1993年(平成5年)にかけてディビジョン1/クラス3のシリーズチャンピオンを獲得した。

1994年(平成6年)、1995年(平成7年)の全日本ツーリングカー選手権 (JTCC) にシビックフェリオ1996年(平成8年)、1997年(平成9年)にアコードで参戦し、1997年(平成9年)にはシリーズチャンピオンを獲得した。

1998年(平成10年)から2003年(平成15年)まで全日本GT選手権 (SUPER GT) のGT500クラスにNSXで参戦し、2000年(平成12年)にはドライバー/チーム、2002年(平成14年)にはチーム/チューナー部門でシリーズチャンピオンを獲得した。

2輪では、1976年(昭和51年)から1992年(平成4年)までの16年間、全日本モトクロス選手権に無限オリジナルモトクロッサー・ME(無限・エルシノアの略)シリーズで参戦。他のワークス・チームに先駆けて、フロントサスペンションのロングストローク化やエンジンの水冷化、アルミフレームの採用など、数々の新機軸を盛り込んだ先鋭的なマシンを送り出した。また無現・MEは1980年(昭和55年)のモトクロス世界選手権アメリカGPの125ccクラスにおいて、ジョニー・オマラのライディングで優勝を飾っている。ロードレースにおいては、1984年と1985年に生沢徹率いるTeam Ikuzawaと由良拓也率いるムーンクラフトと手を組んで、鈴鹿8時間耐久ロードレースCBX750Fのエンジンをオリジナルフレームに搭載したオリジナルマシンの無限・ホワイトブルで参戦している。

M-TEC

2004年(平成16年)は、前年のGT500に出走していたNSXに若干の変更(タイヤをブリヂストンからダンロップに変更するなど)を加え、GT300クラスに参戦した。開幕戦から常に上位争いに加わり、シリーズチャンピオンを獲得した(優勝は最終戦の1回)。シーズン当初は「ちょんまげ」(ルーフの上に設置されるエアインテークの通称。メーカーオプション)を封印していたが、同年最終戦以降に使用を再開。

2005年(平成17年)も常に上位の成績を上げ、シーズンランキング2位となる。

無限 CR-Z GT(GT300)
2014 Super GT
第6戦 鈴鹿1000km

2006年(平成8年)より独自チームでの参戦はいったんなくなったが、2012年(平成24年)に第4戦(スポーツランドSUGO)よりCR-Zで参戦することが決まり、7月4日にツインリンクもてぎでのシェイクダウンと合わせて正式な体制が発表された。2013年(平成25年)にはアジアン・ル・マン・シリーズ(AsLMS)第5戦(富士)で優勝したほか全戦で入賞した結果、ドライバー/チームのシリーズチャンピオンを獲得した。

2005年(平成17年)からは、メンテナンスガレージ及び実質レース運営としてチーム国光の100号車を請け負った。

2006年(平成18年)より始まった全日本スポーツカー耐久選手権 (JLMC) へ第2戦より参戦した。マシンはクラージュ・C70で、エンジンはMF458S (V8 4,500 cc NA)、タイヤはミシュランを使用。しかし、2007年(平成19年)シーズンをもってJLMCが消滅したため参戦を終了した。

エンジン・マニュファクチャラーとしては、SUPER GT(GT500のNSX及びGT300のVemac・RD408R)やフォーミュラ・ニッポンF3等でエンジン供給を行っている。2008年(平成10年)からは世界ツーリングカー選手権 (WTCC) に参戦するホンダ・アコードユーロRにもエンジン供給を開始した。

2010年(平成22年)よりフォーミュラ・ニッポンへ独自チームでの参戦を開始し、シリーズ名称がスーパーフォーミュラに変わった2013年(平成25年)にはドライバーズチャンピオンを獲得した。

2012年(平成24年)には競技用の電動オートバイ『神電』(shinden) を開発し、マン島TTレースのTT-Zeroクラスに出走。2012年・2013年はクラス2位に終わるが、2014年から2019年まで6連覇を達成している[1]

2014年(平成26年)から、HRD Sakura からの受託業務としてGT500 NSX のパーツサポート業務を行っている。これは、同年よりこれまで同業務を受託した童夢が業務縮小に伴い撤退した為と言われている。

2017年(平成29年)より「TEAM MUGEN」としてSUPER GT GT500クラスに復帰する。

F1への挑戦

1987年(昭和62年)から1988年(昭和63年)にかけて、無限単独でF1用V8エンジンの製作に入り、ティレル・018全日本F3000で使用されたレイナード89D改を使用してのテスト走行を行った[2]。しかし、これと前後して後述する無限ホンダV10エンジン計画が動き出したため、結局このときに製作されたV8エンジンは実戦デビューすることはなかった。

1992年から1993年まで、ホンダが前年にティレルへ供給したV10エンジン「RA101E」の開発を無限が引継ぎ、「MF351H」と改称したエンジンをフットワークへ供給することを発表した。エンジンのブランド名は「無限-ホンダ("MUGEN-HONDA")」。ホンダは1992年限りでF1から撤退したが、その後も完全ではないものの、技術供与やエンジニアの派遣を行なっていた。

1994年ロータスへ供給を行った。新設計V10エンジンの「MF351HD」を投入した第12戦イタリアGPジョニー・ハーバートが、予選4位を得る速さを発揮するが、決勝ではスタート直後にジョーダンエディ・アーバインに追突されてスピン。赤旗再スタートとなったが、新エンジンがレースカーに搭載された1基しかなく、旧型エンジン (MF351HC) を積んだTカー(スペアカー)でのピットスタートとなってしまった。結局、この年1度も入賞することはできず、資金難に苦しんだチームはこの年をもって撤退した。

排気量が3,000 ccに縮小された1995年には、リジェに新エンジン「MF301H」を供給。1996年モナコGPでは、荒れたウェットレースをオリビエ・パニスが制し、無限-ホンダに初勝利をもたらした。しかし、翌1997年にリジェを買収したプロストはオールフレンチチームを目指していたため、当時プジョーエンジンを使用していたジョーダンと交渉の末、エンジンをスワップする形となった。

1998年からジョーダンにエンジンを供給することになり、同年のベルギーGPで、元ワールドチャンピオンのデイモン・ヒルが勝利し、このシーズンでチームはコンストラクターズランキングで4位となった。翌1999年ハインツ=ハラルド・フレンツェンが2勝を挙げ、終盤までドライバーズチャンピオン争いに絡む活躍を見せ、コンストラクターズランキングで3位にまで躍進した。

ジョーダンへのエンジン供給は2000年まで続いたが、その年よりホンダがエンジンコンストラクターとして復帰したこと、チーム代表のエディ・ジョーダンが、B・A・Rと同等のワークスエンジンをホンダに要求、2001年からの供給が決まったことで、無限のF1活動は2000年限りで終了した。

なお、F1公式サイトでは"MUGEN HONDA"表記(2000年コンストラクターズランキング)となっており、テレビ中継時表記は"HONDA"と記載していた。

これらの一連のF1参戦は、当初「(ホンダF1の)第2期で得た経験を、いつかF1に復帰した際にそのプロジェクトに引き継ぐ」ことを目的としてスタートしたが、実際には第3期の活動は無限とは全く関係のないところでスタートし、無限ホンダに関わっていた人間には(ホンダの人間ですら)全く声がかからなかったという[3]。背景にはホンダ社内の派閥争いがあったと目されており、実際には2002年頃から無限ホンダの関係者も第3期活動に参加するようになるものの、結果として苦戦を強いられることになった[3]

変遷表

チーム シャシー 搭載エンジン 出走数 優勝回数 獲得ポイント
1992年 フットワーク・無限ホンダ フットワーク・FA13 MF351H 16 0 6
1993年 フットワーク・無限ホンダ フットワーク・FA13B
フットワーク・FA14
MF351HB 16 0 4
1994年 チーム・ロータス ロータス・107C
ロータス・109
MF351HC / MF351HD 16 0 0
1995年 リジェジタン ブロンド リジェ・JS41 MF301H 17 0 24
1996年 リジェ・ゴロワーズ ブロンド リジェ・JS43 MF301HA 16 1 15
1997年 プロスト・ゴロワーズ ブロンド プロスト・JS45 MF301HA / MF301HB 17 0 21
1998年 B&Hジョーダン・無限ホンダ ジョーダン・198 MF301HC 16 1 34
1999年 B&H・ジョーダン・無限ホンダ ジョーダン・199 MF301HD 16 2 61
2000年 B&H・ジョーダン・無限ホンダ ジョーダン・EJ10 MF301HE 17 0 17

ギャラリー

  • サプライヤー 1992年 - 2000年

注釈


脚注

  1. ^ 神電は、年度毎に漢数字でモデル名が名づけられている。例えば2017年モデルは神電六、2018年モデルは神電七といった具合である。
  2. ^ 『Racing On 2009年4月号』三栄書房、2009年、P.40-P45頁。JANコード 4910096810499。 
  3. ^ a b 『GP Car Story Vol.31 Jordan 199』(三栄、2020年4月)pp.34 - 39

関連項目

  • 本田技研工業(創業者同士は親子ではあるが株式会社無限、株式会社M-TECともに資本関係はなく、契約上のパートナーという形を取っている)
  • イルモア(2006年から2008年までフォーミュラ・ニッポン用エンジンを共同開発した)
  • F FINAL

外部リンク