レーザーディスク
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レーザーディスク(Laserdisc、LD)とは直径30センチのディスクに両面で最大2時間の映像を記録できる光ディスク規格である。
本来レーザーディスクという名称は日本国内ではパイオニアの登録商標(第2284421号)だった。規格名としてはレーザービジョンディスク(LV)という名称が用いられたが後に商標公開され、事実上一般名詞化していたレーザーディスクという名称を他メーカーも使用できるようになった。
発売当時は「絵の出るレコード」というキャッチコピーが使われていた。
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[編集] 歴史
[編集] 誕生
1977年にフィリップスが開発した技術。日本においてはパイオニアが製品化し、民生用としては1981年に第1号機が発売された。当初はパイオニアのみが製品を販売し日本ビクターの開発したVHD陣営と販売競争を繰り広げた。ビクターはビデオデッキ市場においてVHS方式を広めた実績があり、採用メーカ数では圧倒的に不利(13対1)だった。
しかしながら映像ディスクはビデオデッキと違い再生専門で録画ができない事から、当初はビデオデッキよりも高画質を求めるマニア向けの規格となった。そのため、VHDと比較して画質面のアドバンテージがあった(VHDの水平解像度が240本程度だったのに対し、レーザーディスクは400本超)ことに加え、ピックアップが非接触式のため劣化しないと考えられていたことから、レーザーディスクの方が圧倒的に優勢であった。
さらに、コンパクトディスク(CD)とのコンパチブル再生機の発売、レーザーカラオケのヒットによって、一般層にも普及した事から、結果的に規格争いに勝利した。
VHD陣営のメーカーも参加して開発した音楽CDのための量産技術が同じ光ディスク方式であるLDの技術とコストの問題を解決させ、LDを勝利に導いたと言われる[1]。
[編集] 普及
初期のLDはメインとなった映画ソフトが7,000円~1万円前後の価格設定で発売されていたが、1980年代終盤からパイオニアLDC(現:ジェネオン・ユニバーサル・エンターテイメントジャパン)が中心となって「エバーグリーンシリーズ」「ブロックバスター」等と称して5,000円を切る価格帯で次々と人気ソフトを発売。やがて他社もこれに追随する価格帯の製品を増やし加えてパイオニアの他、ソニー、松下電器産業(現:パナソニック)、ケンウッドといった各社から「ロッキュッパモデル」と言われた69000円台の安価なプレーヤーも次々と登場。LDは1990年代前半を最盛期としてユーザーを拡大、多くの映画、音楽、ドキュメンタリー、アニメ、その他各種のコンテンツがLDフォーマットで発売されパイオニアからはCD/LDコンパチプルプレイヤーを搭載したミニコンポ「プライベート」も登場した。特に1992年ころからはそれまでの映画のテープソフトで主流だった画面のトリミングをやめ、できるだけ劇場公開時の画面サイズに忠実なワイドスクリーンサイズの画面で映画ソフトを次々に発売して映画マニアを中心にユーザー層を厚くしていった。
映画LDの中には1本の映画をワイドスクリーンとテレビサイズの2パターンの商品で発売するなどマニアックなラインナップがなされたものも多くこれらの中には現在のDVD-Videoで発売されているソフトでは見ることが出来ない画面サイズのものもあったが、一方で「同じ映画のソフトが何種類も発売されている」ことから当時の一般的ユーザーを混乱させる副作用も生んでいった。
またテレビドラマやアニメーションなどのシリーズ作品を複数枚のLDに全話収録して一括販売する「LD-BOX」という形態の商品も数多く発売され、コアなファンやマニアを取り込んでユーザー層を拡大させていった。
[編集] 衰退
LDの家庭用プレーヤーソフトは販売専用という戦略をとり、末期の一時期を除いてレンタルは全面禁止だった(この点はVHDも同じ)。当時の映像ソフトはレンタル向けが中心であり、個人が購入する例は少なく、LDソフトの低価格化も進まなかった。また録画ができない事もあり、普及率はビデオテープレコーダ(VTR)に遠く及ばなかった。
そしてソフトの発売種と量が増える一方で生産ラインの少なさが次第に影響し始める。1994~1995年ころには一部の人気商品を除いてほとんどの商品が初回ラインのみの生産で終了するようになり発売と同時に販売元品切れとなるソフトが続出、新譜として発売された月に廃盤で入荷不可という奇妙な商品も相次いで出現してしまった。需要に供給が全く追いつかない状態となる一方でこれまでは高額だったテープソフトの低価格化と安定した供給が進み、ユーザーの離脱が始まっていく。なお、アニメLDソフトにおいては1980年代後半の時点でここで述べられたような供給体制の不備が一部のビデオ雑誌で指摘されていた。[要出典]
やがて1996年にCDと同じ12cmサイズのDVD-Video規格(DVDビデオ)が登場。最初期のソフトラインナップはLDと同じく、ディスクメディアのポテンシャルを引き出すための高品質なオーケストラコンサートやBGV、教養分野や代表的なブロックバスター作品というバリエーションであり、供給出足が鈍かったものの、1997年~1998年より洋画作品をLDで数多く発売していたパイオニアLDC(2000年頃までタッチストーン・ピクチャーズ系中心)やソニーピクチャーズ[2]、ワーナーホームビデオといった洋画メジャー系のコンテンツを中心に、ソフトの充実と比較的廉価な価格帯(ブロックバスター作品の場合、LDソフトでは一作品5000円~8千円程度の価格帯が主流だったが、当初のDVDソフトでも3900円~6千円程度)でソフトを発売するようになり、DVDディスクと比べると大型で耐久性も劣るLDはその地位を急速に奪われていく。また、1999年に入ると東芝EMIやソニーミュージックをはじめとしたレコード会社がミュージックビデオやライブを収録した「ミュージックDVD」の発売、ブエナ・ビスタ(ウォルト・ディズニー・カンパニー)の参入[3]などLDを上回るスピードでソフトの発売が行われ始めた。
1999年頃からは家庭用パソコンにCD-ROMに代わりDVD-ROMドライブが搭載される機種が増加し、2000年3月には当時のDVDプレーヤーよりも安価でDVD-Videoが視聴出来るゲーム機「プレイステーション2」が発売され爆発的ヒット商品となったことからDVDビデオの再生機器台数が急増し、DVDレンタルの躍進などDVDビデオソフト市場が急速に拡大する。これによって、邦画・テレビドラマのDVD化やアダルトDVDも出回る様になり、LDユーザーのターゲットだった洋画やOVAも新作はDVDへ移行するといった市場変化がみられ、大部分の映像ソフト・レコード会社がLDの制作・発売を終了し、映像メディアの主役となることはついになかった。
LDからDVDへの過渡期である1997年から1999年にかけては、同一タイトルをLDとDVDで併売するタイトルがパイオニアLDCが発売元の洋画(ブロックバスター作品)とOVAを中心に見られた。
過去に発売されたLDソフトの映像を視聴するだけの機器になりつつあった2002年に、パイオニアがLDプレーヤー事業から撤退する報道があった[4]ものの、消費者からの要望があったために細々とながら生産・販売を継続する方針を取った[5]。
また、DVDが発売された時点でカラオケボックスでは既に通信カラオケが台頭していたものの当時は技術仕様の問題から音質が貧弱だった。その一方でレーザーディスクカラオケはスタジオ収録や楽曲のオリジナル音源とプロモーションビデオなどのアーティスト本人出演映像を収録できる点から演歌・歌謡曲をはじめとする定番曲での利用では一定の評価を得られており、費用面から通信カラオケ機器導入に消極的な一部のパブ・居酒屋・カラオケスナックといった飲食店(→接待接客を伴う店舗は風俗営業)や壮年者を中心としたカラオケファン(歌謡曲愛好家)が自宅で楽しむなど根強い需要が2000年代に入っても残っていた。しかし新曲対応の鈍さが最大の弱点である事は変わらず、2004年に登場したBBサイバーダムに過去に自社(第一興商)やコロムビアミュージックエンタテインメントなどが制作したレーザーディスクカラオケの映像や音源をストリーミング配信する機能を盛り込みクオリティ面での不利は払拭されため、この領域の衰退に拍車をかけた。それでも後述の2007年3月までは、個人向けに20cmのカラオケソフトが細々と発売され続けた。
[編集] 終焉
2007年3月、市場衰退により世界唯一のディスクプレスメーカーとなったメモリーテックが製造ラインを廃止。これによりレーザーディスクの歴史は幕を下ろした[6]。最後まで制作を続けたのはテイチクの家庭向け市販カラオケソフト(20cm薄型シングル)「音多ステーション」シリーズであり、2007年3月発売の三門忠司の楽曲が収録された規格番号「22DK-1018」まで、毎月4タイトル以上の新譜ソフトの発売を続けた。
2006年12月に発売した演歌歌手・川中美幸の『金沢の雨』などが収録された規格番号「22DK-995」がラストプレスとなり、製造ライン終了に伴う式典を行った。
ソニー・松下電器などはLDプレーヤーを1999年度までに販売終了・撤退し、DVDへ軸足を完全に移した。それ以後、パイオニアだけが以下の機種をLDプレーヤ最終機種として発売している。
- DVDとのコンパーチブル(一体型)プレーヤー【DVL-919】
- DVDコンパチプレーヤーにボーカルマイク端子や音程調節などカラオケ機能を付け加えた【DVL-K88】
- LD時代より実質的に継承した、スピーカー・アンプがプレーヤーと一体化したテレビ台型の大型媒体であるDVDオールインワンカラオケシステム【DVK-900】(1998年発売開始)
- CDとの一体型機【CLD-R5】(1995年頃発売開始)
これらは発売後モデルチェンジをすることなく、5年以上に亘り細々と生産・販売を続けていた。しかし2009年1月14日、今後現行4機種について合計約3000台を以って生産を終了すると発表をおこない、全ての現行機種の2008年度限りでの販売終了が決定された[7]。これら最終機種では2008年の生産打ち切り後最低8年間は修理に必要な補修部品を保有する他、過去の機種でも補修部品に在庫があれば修理に応じる体制を併せて発表している。
[編集] 規格
LDフォーマットのディスクはアクリル樹脂の記録面にアルミ蒸着を施したものでアクリル樹脂は反りが発生するため、片面記録であっても両面張り合わせディスクが基本である。直径30センチと20センチのものがあるが、20センチディスクにはCDと同じポリカーボネートを使用した張り合わせ無しの薄型も存在する。これらはLDシングルと呼ばれ、非対応のプレーヤーでは厚さを調整するスペーサを重ねて使用する必要がある。なお通常のディスクは盤面が銀色だが、末期に登場したレンタル専用商品は金色にして区別している。
両面記録ディスクではA面/B面と呼ぶ。レコードと違ってピックアップはディスクの下にあるため実際に再生されるのは裏面の記録内容で、レーベルに記載されている面と実際に信号が記録されている面は逆である。なお反対側の面を再生するにはレコードのようにプレーヤーから取り出してひっくり返す必要があるが、後にディスクを取り出さずに連続再生できるピックアップがU字形に移動するプレーヤーも発売された。初搭載したのは三洋電機が1987年に発売したSLV-J1だった。愛称はLevin。両面再生機能は「ジェットターン」と呼ばれた。この名称は1990年代後半から2000年代にかけて同社の排気循環型サイクロン掃除機のシリーズ名に使われた。
[編集] 映像
映像はアナログ(ダイレクトFM)方式を採用し、記録はレーザーを使って読み出す。映像はNTSCのビデオ帯域が4.2MHzのため、1MHzあたり80本の計算で水平解像度336本となる。CAV方式では内周部336本から始まり外周部440本になり、平均して水平解像度400本以上と言われる。CLVでは、常時330本前後になる。直径30センチのディスクではCAV方式(回転数1800rpm)では片面30分、CLV方式(回転数1800~600rpm)では片面1時間の映像を記録できる。
トラックは螺旋状に記録されておりCAV方式の場合、NTSCの1フレーム(1/30秒)の情報が螺旋の1周に記録されている(30回転/秒=1800rpm)。すなわち一時停止は1周を繰り返し再生、コマ送りは順次前後の1周に移動、変速再生はトラックの読み出し間隔を変更という仕組みになっている。一方CLV方式では一定の線密度で記録されているため、トラックとフレームの間に物理的な関連はなく正逆サーチ以外の特殊再生はできなかった。このため、1980年代後半にプレーヤーにデジタルメモリーを搭載してCLV方式での特殊再生を実現した。デジタルメモリー初搭載のプレーヤーは1986年発売のLD-S1。
LDフォーマットはNTSCの全ての帯域をそのまま記録していると表現されることもあり、DVD-Videoのような圧縮が一切ない(映像信号についてはアナログなので当然だが)のが特徴である。この点からDVDのMPEG-2による圧縮ノイズを嫌い、LDの画質を好む人もいる。特にコマ送り、正逆サーチなどの特殊再生ではLDが優れている。音質についてはデジタル記録であれば、圧縮が無いLDのほうが完全に優位に立っている。ただし、最新コンテンツはLDで発売されることは全くない。
MUSE規格でハイビジョン映像を記録したものもあり、Hi-Vision LD対応プレーヤーで再生できる。
[編集] 音声
音声は開発当初はアナログ(FM)のみだった。1984年に世界初のCD/LDコンパチブルプレーヤー「CLD-9000」を市場に投入するに併せ、デジタル(44.1kHz/16ビットリニアPCM)音声の記録が未使用帯域の利用で追加された。
1987年にCD VIDEO(CDV)が新規に市場投入するに併せて、CD-DAと同様のTOC情報が合わせて記録されたデジタル音声付レーザーディスクが一般的となった。「LaserVisionマーク」「CD VIDEOマーク」「DigitalSoundマーク」の3つがジャケットやディスクに併記されている。当初はこのタイプのディスクをCD VIDEO LDと呼んでいたが元となるCDV規格が思ったように普及しなかったことから、1989年頃からは「LASERDISCマーク」と「DigitalAudioマーク」の併記されたものがTOC付きLDと認識され現在ではこれが主流となっている。
末期にはドルビーデジタルやDTSといったデジタルサラウンドが導入され、またハイビジョンで製作されたマスターテープを用いたりワイド画面でワイドスクリーン作品をより高解像度で鑑賞出来るよう画面の横幅を3/4に圧縮したスクイーズ方式も一部ソフトで採用された。音質/画質は大きく向上し、これらの技術はDVDにも引き継がれている。
特にドルビーデジタルは、初期DVDソフトの音質がLD収録のものより劣ると言われていたものをビットレートを384kbpsから最大448kbpsまで引き上げる事でLDを上回る音質を達成した。
なおDTS音声が収録されているLDを再生する際は光出力端子(S/PDIF)のあるモデルとDTS音声を再生できるAVセンター/アンプまたはプロセッサーがあれば一部の機種を除いて再生可能だが、ドルビーデジタル音声が収録されているLDを再生するにはアナログ音声トラックのRchに高周波変調して記録されているドルビーデジタル音声信号をAC-3RF出力の付いているLDプレイヤーとRFデモジュレーターで元のドルビーデジタル音声に変換できるAVセンター/アンプもしくはプロセッサーが無いと再生が出来ない。厳密にはデジタル音声の領域をドルビーデジタル音声またはDTS音声が占有しているため、通常それらのアンプを通さずに再生する場合はアナログ音声のみでの再生になる(映像は普通に観ることが出来る)。またRFデモジュレーターは一部の高級機または一昔前のAVセンター/アンプまたはプロセッサーでしか内蔵されておらず、最近のAVセンター/アンプには内蔵されていない場合が多い。単体でのRFデモジュレーターはほとんどのメーカーで生産が終了しているため、中古ショップまたはオークションでしか入手できない。
[編集] 注意点
[編集] ディスクの劣化
LDフォーマットが市場へ投入された当初は「半永久的に劣化しない」という表現を使っていたが、1980年代中頃からこの表現は中止された。レーザーディスクに使用されたアクリル樹脂は吸湿性が高く空気中の水蒸気を吸着する事によりアルミ記録面が劣化し、ノイズが発生した。原因としては当時はまだアルミ蒸着技術が確立しておらず、製造時にミクロ単位の異物が混入したことによるものだった。一部のメーカーは良品との交換対応を余儀なくされ、劣化対策は当時メーカーにとって急務だった。
その後アルミ蒸着技術の確立・精度向上と共にこの事象がほぼ解決されたのは1992年頃であり、それ以前に製造されたレーザーディスクにはノイズ(ホワイトスノー・スノーノイズなどとも呼ぶ)が乗っているものが多い。なお、改良が加えられえた経年劣化対策済み(酸化保護膜付加・防錆加工・接着剤の材質改善)のディスクにおいてもごく僅かながらも劣化は進行する。
一般家庭の保存環境下ではLDの平均寿命は30~50年程度とされ、材質にポリカーボネートを使用したCD・DVDに比べ短い(CD・DVDの平均寿命は30~100年程度とされる)。このような経緯から後に開発されたDVD規格などでは「半永久的に劣化しない」という表現は消えている。レーザーディスクが生産を中止してから長期間経過しているが劣化したディスクは盤面を見ても判断が付かず、実際に映像を視聴してみるまでノイズの有無は分からない。
[編集] S端子による映像出力
LDプレーヤーでは多くの場合コンポジット出力に加えてS端子出力も備わっている。しかし必ずしもS端子で接続したほうが画質が良いとは限らない。
VHSやDVD-Videoなど、輝度信号(Y)と色信号(C)が分離記録されている場合はS端子で接続したほうがY/C混合・分離が発生しないため画質が向上する。しかしLDの場合、もともとコンポジットで記録されているのでY/C分離は避けられない。プレーヤーとテレビモニタをコンポジットで接続すればモニタでY/C分離することになりS端子で接続すればプレーヤーでY/C分離することになるため、モニタのY/C分離性能のほうがよい場合はコンポジットで接続するのが正解ということになる。
加えて中~低価格帯でS端子を持つプレーヤーではディスクから読み取ったコンポジット信号がそのまま出力されているわけではなく、プレーヤー内部でY/C分離したものをS端子に出力する一方で再度Y/C混合したものをコンポジット出力しているものが多い。これはコストダウンが理由である。このようなプレーヤーでは、S端子で接続したほうがよい。高級機種では、このようなことをしていないという意味で「ダイレクトコンポジット出力」などと謳っているものもある。ただし歴代のLDプレイヤーで最高級機とされるLD-X1はY/C分離した信号をデジタル処理して高画質化を図っているため、ダイレクトコンポジット出力ができない。
なおDVDとの一体型機の一部はコンポーネント出力端子を備えるが、同端子からのLDの画像は白黒になってしまうためこの方法での正常な再生はできない。
[編集] ゲームへの利用
従来のVTRとは異なり、ランダムアクセスを可能としたLDはゲーム用途にも活用された。リモコンを利用したLDプレーヤー単体でプレイ可能なゲームのほかアナログ音声部にデータレコーダ形式のプログラムを収録してMSXパソコンでコントロールするシステム、LDにCD-ROM互換データを記録した新規格「LD-ROM」を使用したレーザーアクティブがある。
アーケードゲームにもLDは採用され、1983年から1980年代中盤までにかけてLD再生機能を用いたゲームがいくつかのゲームメーカーからリリースされ独特なプレイ方法のLDゲームは一つのジャンルを形成した。高画質の動画再生というそれまでのゲームマシンにない特徴を備えていたが肝心のゲーム内容が大雑把で単調なため、すぐに廃れてしまった。これらの詳細については「レーザーディスクゲーム」を参照。一部のメーカーは高画質の動画再生という点に着目し、野球拳や脱衣麻雀などに応用した。
その後、コンシューマーゲーム機の日本電気ホームエレクトロニクス製PCエンジンとセガ製メガドライブの両専用パックどちらかを前面スロット差し込むことで対応したLDゲームソフトがプレイ可能なレーザーアクティブがパイオニアから発表・発売された。しかし両ハードともCD-ROMが普及しつつあった事、価格が高価だった事、ゲームショップが積極的に扱わなかった等の理由によりソフトは多くは供給されなかった。
[編集] 年表
- 1970年 - パイオニアがビデオディスクの研究を開始。
- 1972年
- 9月 - オランダのフィリップス社が開発した光学式ビデオディスク「Video Long Play(VLP)」を発表。
- 12月 - アメリカのMCA社による光学式ビデオディスク「Disco Vision」を発表。
- 1974年9月 - フィリップスとMCAが協議をし、フィリップス/MCA方式として両方式を統一。
- 1975年 - ドイツのベルリンで行なわれたフィリップス/MCA方式のデモにより、パイオニアが同方式を採用。
- 1977年10月 - パイオニアとMCAの共同出資でユニバーサル・パイオニア株式会社(UPC)を設立。
- 1978年12月 - フィリップスの子会社マグナボックスが米国ジョージア州アトランタ市でVLPプレイヤ「マグナビジョン」VH-8000を発売。家庭用としては世界初のLDプレイヤとなった。
- 1979年2月 - UPCがアメリカで事実上の業務用第1号機PR-7820を発売。
- 1980年
- 4月 - パイオニアがレーザーディスクの商標を採用。
- 6月 - アメリカでUPCが民生用機VP-1000を発売。
- 11月 - パイオニア、フィリップス、MCA、IBMによる「レーザービジョンアソシエーション」がアメリカで設立される。
- 1981年10月9日 - パイオニアが初の日本向けの民生用機LD-1000を発売。
- 1982年
- 1983年
- 11月 - ピックアップに従来のガスレーザーチューブに代わり新開発の半導体レーザーを採用したLD-7000を発売。これによりプレーヤーの小型化と低価格化が進む。
- 12月 - ソニーがLDの参入を発表し、翌1984年4月からパイオニアLD-7000のOEM供給でレーザーマックスのブランドを用いてプレーヤーLDP-150を発売。
- 1984年
- 6月 - 日本を中心としたアジア太平洋地域で「レーザービジョンアソシエーションパシフィック協会」(LVAP協会)を設立。38社が加盟。
- 9月 - パイオニアが初のCDとLDのコンパチブルプレーヤーCLD-9000を発売。同時にLDにデジタル音声がオプション規格として盛り込まれる。
- 12月 - それまでカラオケ向けで使われてきた20cmのディスクが一般向けソフトにも採用。
- 1985年
- 2月 - 日立製作所と日本コロムビアがパイオニアのOEM供給でプレーヤーを発売。
- 3月 - 日本マランツがパイオニアのOEM供給でコンパチブルプレーヤーを発売。
- 6月 - ソニーが自社開発のプレーヤーを発売。それまでの水平解像度350本が370本に。
- 6月 - パラマウント映画とユニバーサル映画の権利を持つCICがLDにソフト供給。これにより、アメリカの映画会社7大メジャーが出揃う。それまでLDに供給しなかったのは、VCTがVHDの開発者である日本ビクターとの合弁会社「CIC・ビクタービデオ」(法人としては現在のパラマウント ジャパン)から発売されていたためである。
- 11月 - 日本楽器(現・ヤマハ)が自社開発のプレーヤーLV-X1を発売。10万円を切り、水平解像度400本を達成。
- 1986年
- 長時間ディスク(CLV)では不可能だった静止画やコマ送り、スロー再生などの特殊再生をデジタルメモリの搭載により可能にした初のLDプレーヤーLD-S1がパイオニアより発売。
- 10月 - クラレ鹿島工場がレーザーディスク生産を開始(VLP方式生みの親であるフィリップスからの技術を導入した)。
- 1987年
- 1989年
- 4月 - 東芝EMI御殿場工場(現:トエミ・メディア・ソリューションズ)がレーザーディスク生産を開始。
- 10月 - パイオニアとKDD(現:KDDI)が書き換え型(リライタブル)レーザーディスクを共同開発したことを発表。
- 11月 - パイオニアが自社の商標だったレーザーディスクを他社に無償開放。
- 11月 - CBS/SONY GROUP静岡プロダクションセンター(現:ソニー・ミュージックマニュファクチュアリング静岡工場)がレーザーディスク生産を開始。
- 12月 - LD-ROMを発表。
- 1990年
- 2月 - レーザービジョンディスクと呼ばれるフィリップス/MCA方式を開発したフィリップスが同方式を今後はレーザーディスクシステムと呼ぶことを発表。
- 1991年
- 1993年
- 1996年
- 1998年
- 4月 - 東芝EMI御殿場工場(現・トエミ・メディア・ソリューションズ)がレーザーディスク製造事業から撤退。
- 1999年
- 三菱樹脂のLD製造子会社ダイヤディスク株式会社が解散。レーザーディスク製造事業からも撤退。
- 2000年
- 9月 - クラレがレーザーディスク製造事業から撤退。
- 2002年
- 5月 - パイオニアがLDプレーヤー事業から撤退する報道がなされたが、7月に事業継続を表明。
- 2003年
- 4月 - パイオニアビデオ株式会社(PVC)が分割され、光ディスク製造事業から撤退。
- 2004年
- 3月 - コロムビアミュージックエンタテインメント(現:コロムビアデジタルメディア)がレーザーディスク製造事業から撤退。
- 2007年
- 2009年
- 1月 - パイオニアはユーザーからの要望でLDプレーヤー事業を継続してきたが、ついに撤退すると発表。今後はDVL-919等の4機種合計3000台の製造をもって終了となる。
[編集] エピソード
- 商標公開される前には吉幾三の『俺(お)ら東京さ行ぐだ』の第3コーラスの歌詞中に、「レーザーディスクは何者だ?」のフレーズがある。当時は販売不振のさなかであり、パイオニアはその感謝のしるしとして吉に同社のレーザーディスクプレーヤーを贈った。その後しばらくの間吉は音楽番組で同曲を歌う際「レーザーディスクは化け物だ!」と歌っていた。
[編集] 備考
- LDは高画質ゆえに海賊版作成に悪用されることが多かった。対策として一部映画会社では映画の題名が表示される部分に「ディスク用映像」のテロップを入れていたが、一般ユーザーからは不評だった。なお当時はコピーガード技術が発展途上で通常再生時の画質も悪化させるものだったため、LDソフトにはコピーガードは施されなかった。
[編集] 参考資料
- 林正儀『AV新時代を拓く レーザービジョンディスク入門』啓学出版、1985年、
- 荒井敏由紀『[ドキュメント]孤立からの逆転 パイオニア1vs13の賭け』日本能率協会、1990年
- 本多晋介『パイオニアLD戦略会議室』日本文芸社、1991年
- 佐藤正明『映像メディアの世紀』日経BP、1999年
[編集] 脚注
- ^ 神尾健三『画の出るレコードを開発せよ!』草思社、1995年、p208-p209
- ^ 当初よりコロンビア映画の他、LD・VHSソフトでCIC・ビクタービデオが販売元だったユニバーサル映画作品のDVDソフト販売元にもなっている。
- ^ 2000年頃までタッチストーン作品やごく一部のディズニー映画はパイオニアLDCが発売元だった。
- ^ パイオニア、LDプレーヤー事業から撤退へ IT Media 2002年5月23日
パイオニア、LDプレーヤーの生産を終了の方向で検討 AV Watch 2002年5月24日 - ^ パイオニア、LDプレーヤーの製造・販売を継続へ ―事業継続の要望が数十件寄せられる AV Watch 2002年7月23日
- ^ LDの生産が全世界で終了。最終プレスは川中美幸 ORICON STYLE 2007年5月20日
- ^ レーザーディスクプレーヤー生産終了のお知らせ 2009年1月14日
- ^ 増田弘道『アニメビジネスがわかる』NTT出版、2007年、p130
[編集] 関連項目
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