KM-2

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

富士 KM-2 「こまどり」

KM-2

KM-2

KM-2は、海上自衛隊が運用した対潜哨戒機などのパイロットを養成するための初等訓練で使用する練習機日本の航空機メーカー・富士重工業によって製作された。Kは「改造:Kaizoh」、MはベースとなったT-34「メンター:Mentor」の頭文字である。自衛隊での愛称はこまどり

開発経緯[編集]

富士重工では、世界の民間機需要が高性能・高出力の双発機へ変化していることに着目し、LM-1のパワーアップを行って対抗しようと考えた。2機製造された民間向けLM-1のうち、2号機(JA3105)のエンジンを強化し、プロペラを換装した試作機XKM(JA3119)を製作、1958年昭和33)12月1日に初飛行した。XKMは1959年(昭和34)12月9日に、運輸省の重量1750kg以下「C-1C類」高度記録に挑戦し、高度9,917mのFAI公認記録を達成し、その性能の高さを実証した[1]。量産型KM1959年2月に運輸省の航空大学校へ練習機として納入された。

自衛隊の採用[編集]

KMの主な目標は、LM-1を運用していた陸上自衛隊での採用であり、陸自仕様機をKM-1として提案した。しかし、KMは単純にいえば、LM-1のエンジンとプロペラを換装しただけで、性能は向上したが、陸自側の運用能力や目的は広げようも無く、採用されなかった。

一方、発足当初の海上自衛隊では、米軍から供与されたSNJ練習機(T-6 テキサン)を使用していたが、戦前の尾輪式機体である上、老朽化が激しく、後継機を早急に必要としていた。しかし、大型機を中心に運用するなど、航空自衛隊とは事情が違うため、空自の使用するタンデム(縦列)複座のT-34Aをそのまま採用すると、教育上不都合であった。このため、富士重工はKM-1の搭乗口を反対側(左舷)に付け替え[1]、装備品を海自仕様にしたものをKM-2練習機として提案した。KM-2は1962年(昭和37)7月16日に制式採用され第51航空隊での試験を経て、第201教育航空隊へ配備された。海自はKM-2を62機導入し、初等訓練に用いた。

かなりの年月が経ってから、陸自も高空性能を希望したため、KM-2を練習・連絡機TL-1として1981年(昭和56)10月29日に2機導入した。その後、教育課程の変更により、1990年(平成2)10月17日付けで海自の第201教育航空隊に引き渡され、名前もKM-2となった。

海自では1989年平成元)から同じく富士重工のT-5に機種更新され、1998年(平成10)3月3日に最後の2機(6291・6292)が退役し、用途廃止となった。

機体[編集]

レシプロエンジン単発の小型プロペラ機で、エンジン・プロペラを機首に搭載し、主翼は低翼配置といった、ごく一般的な機体である。座席は並列配置の複座に加え、補助席のついた4座席となっており、機体自体はLM-1とほぼ同じであるが、エンジンはIGSO-480-BIA過給機付きに転換、プロペラもハーツェル製3枚羽根に交換した。海上自衛隊の機体では、キャビンの出入り口扉を右側から左側へ、装備品も海自仕様に変更させ、訓練機であるため安全性に重点を置き、飛行計器・航法設備の強化が図られたほか、航法戦術訓練のできる完全複式操縦装置も取り付けられた。

スペック[編集]

  • 乗員2名/乗客2名
  • 全長 - 7.94m
  • 全幅 - 10.00m
  • 全高 - 2.92m
  • 自重 - 1,212kg
  • 最大離陸重量 - 1,750kg
  • エンジン - ライカミング IGSO-480-AIF6×1
  • 出力 - 340hp
  • 最大速度 - 380km/h
  • 航続距離 - 920km
  • 離陸滑走距離 - 420m
  • 着陸滑走距離 - 440m

配備基地[編集]

海上自衛隊 KM-2
陸上自衛隊 TL-1
  • 航空学校宇都宮分校

派生型[編集]

XKM
LM-1から改造された試作機。
KM
量産型の民間機。
KM-1
陸上自衛隊向けの練習機。採用されず。
KM-2
海上自衛隊向け練習機[1]
TL-1
陸上自衛隊向けの練習連絡機[1]
KM-2B
航空自衛隊練習機の応募の為に開発したタンデム複座の試作機。
T-3
KM-2Bの量産機。
KM-2D
エンジンをターボプロップに転換した試作機。
T-5
KM-2Dの量産機。コックピットキャノピー型に改良。KM-2の後継機。
KM-2F
KM-2Dのキャビンを中心に改造した試作機。
T-7
KM-2Fの量産型(仮称T-3改)T-3の後継機。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d 世界航空機年鑑1988 酣燈社 1988年 P104

関連項目[編集]