プロダクション・アイジー

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株式会社プロダクション・アイジー
Production I.G., Inc.
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
180-0006
東京都武蔵野市中町二丁目1番9号
設立 2007年(平成19年)11月1日
(分割新設による)
業種 情報・通信業
事業内容 アニメーションを主体とした映像作品の企画・制作および版権管理
代表者 代表取締役社長 石川光久
資本金 1,000万円
売上高 31億4,728万円(2012年5月期)
純資産 27億4,846万円(2012年5月)
総資産 43億8,333万円(2012年5月)
従業員数 120名
決算期 5月
主要株主 株式会社IGポート 100%
関係する人物 石川みちる(旧プロダクション・アイジー取締役)
後藤隆幸(取締役・第1スタジオチーフ・アイジー副社長)
黄瀬和哉(取締役・第2スタジオチーフ)
下地志直(ジーベック代表取締役)
保坂嘉弘(IGポート取締役・マッグガーデン代表取締役)
奥野敏聡(IGポート取締役・オー・エル・エム代表取締役)
外部リンク http://www.production-ig.co.jp/
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株式会社プロダクション・アイジー: Production I.G., Inc.)は、アニメーションを主体とした映像作品の企画・制作を主な事業内容とする日本の企業。IGポートの子会社である。日本動画協会正会員。

目次

概要 [編集]

1987年昭和62年)設立。設立からしばらくはOVA(オリジナルビデオアニメ)、アニメ映画、ゲーム用アニメなどを制作の中心にしてきたが押井守監督の劇場映画作品を制作し、ヒットさせた事で日本国内だけでなく海外での知名度も高まり企業としての規模も拡大。2001年平成13年)よりテレビシリーズの元請制作にも進出。

東京都武蔵野市に本社・スタジオ、東京都国分寺市内にスタジオ、東京都府中市に実写撮影スタジオ「Studio iG(旧FIX STUDIO)」ならびに3DCGスタジオ「IGFX」、さらに新潟県新潟市西区に作画スタジオを構える。

2007年(平成19年)11月、持株会社体制への移行に伴い「株式会社IGポート」に商号を変更。新会社「株式会社プロダクション・アイジー」が分割新設された。IGポートは持株会社としてプロダクションI.G及びジーベックマッグガーデン、ウィットスタジオを傘下とし、グループ企業全体の事業展開・経営管理・資産運用管理を行っている。

旧・IG社時代はビィートレインが子会社であったが2004年(平成16年)に独立し、資本関係は無い。このほか背景美術部門として「小倉工房」を持っていたが、2007年(平成19年)に株式会社化し独立している。

資本関係はないが、IGポート取締役の奥野敏聡が代表取締役を務めるオー・エル・エムとIGポートグループ各社で協業が行われている。

2010年(平成22年)6月、竜の子プロダクション(以下、タツノコプロ)の株式11.2%を取得。保有割合第3位の株主となり、タツノコプロ作品のIGポートグループでの活用が模索されている。

設立の経緯 [編集]

テレビアニメ『赤い光弾ジリオン』を制作した「竜の子制作分室」に揃ったスタッフを分散させるのを惜しんで、同分室を率いた石川光久が、同じフロアを間借りしていた後藤隆幸率いる「鐘夢」(チャイム)を合併。京都アニメーションの援助を受けて、有限会社アイジータツノコ1987年(昭和62年)12月15日に設立。出資者は、石川、後藤、八田英明(京都アニメーション代表取締役)、タツノコプロなどである。

伊吹眞(西堀ひろみ)、内田哲夫らが設立の中心スタッフである。アニメーターはフリーで参加する形となり、次いでフリーで真下耕一主宰のスタジオ「銀河帝国」(後に解散)で制作を行っていた三本隆二と坂部久明、スタジオ・ムーのアニメーター黄瀬和哉らが追って参加した。

設立当初はシンエイ動画のテレビシリーズを始め、マッドハウスの『銀河英雄伝説』やスタジオディーンのOVA『機動警察パトレイバー』の制作協力を行っていた。しかし、下請け続きの仕事では管理費が取れないと思った石川は、シンエイ動画の下請けを持続させた形で元請制作に乗り出した。

その後は『赤い光弾ジリオン 歌姫夜曲』を皮切りに数多くの劇場映画やOVAを制作した。特に初期は貞光紳也西久保瑞穂、黄瀬和哉らが先陣を切ってアイジー作品をサポートしていた。

社名の由来 [編集]

"IG" という社名は、社長の石川と副社長の後藤のイニシャルから命名したものである。

I.Gタツノコ時代、タツノコの名前を入れたのは金融機関の理解を得るためと、分派したことによってタツノコプロと喧嘩したくなかったためだったとされる[1]。石川は「タツノコ」というネーミングにこだわりを感じており、今までお世話になったタツノコプロへの恩返しのつもりで入れたと語っている。タツノコの名前があったことは社会的な信用も得ることにも繋がった。

設立時にタツノコプロから資本金2割の出資を受けていたものの、当時苦境にあったタツノコプロは積極的にI.Gタツノコに仕事を回すだけの余裕がなかった。しかしながらその「タツノコ」と名のついた会社名であるためタツノコプロの関連会社と勘違いする人が増えてきた。そういった勘違いによる不快感が徐々にスタッフ(特に制作進行や制作デスク)に現れ出し、また業績が盛り返したタツノコプロ側からの要請もあり、社名から「タツノコ」の名を外す動きが始まる。石川は名前を変えることにショックを受けていたが、受諾し社名変更に至った。この社名変更と同時に、タツノコプロと京都アニメーションから受けていた資本金も返上している。

2010年(平成22年)には、プロダクションI.Gが逆にタツノコプロの株を取得し資本関係が復活。石川が同社非常勤取締役に就任した[2]

制作部・制作課 [編集]

制作部は10のスタジオ(第1-2は制作課、第3-10はプロデュース課)とシステム管理・開発課で構成されている(2011年現在)。

各スタジオは2007年から〇〇課(〇〇課スタジオ)と呼ばれている、これは攻殻機動隊における〇〇課にちなんだものである。また同年コスト管理体制の強化から制作部を2部体制に変更、内訳は制作1部(制作課・プロデュース3,4,6,10課・システム管理・開発課)、制作2部(プロデュース5,7,8,9課)となっている。

これまで担当スタジオは各作品のサイトやブログ等で語られる程度であったが、2011年のギルティクラウンでは6課が初めてスタジオ名を表記した。6課ではその後一部スタッフが独立しウィットスタジオを設立した。また8課はJe t'aimeにおいて社名クレジットの上に8を模したマークを掲げている。

沿革 [編集]

設立 - 有限会社時代 [編集]

  • 1987年 竜の子制作分室として竜の子プロダクションから独立
  • 1987年12月15日 東京都国分寺市に有限会社アイジータツノコを設立
  • 1990年6月5日 株式会社イングを設立[3]
  • 1991年5月 アニメーターを辞めるはずだった小村方宏治が石川の助言を受け、新潟県新潟市に帰郷し、「新潟スタジオ(アイジー新潟)」を設立
  • 1993年9月 有限会社プロダクション・アイジーに社名変更
  • 1995年5月 株式会社ジーベック設立
  • 1995年10月 背景美術部門「小倉工房」設置[4]
  • 1997年6月 ビィートレイン株式会社設立[5]

旧・IG社時代 [編集]

新・IG社 / IGポート社時代 [編集]

制作作品 [編集]

テレビアニメ [編集]

1980年代

1990年代

2000年代前半

2000年代後半

2010年代前半

OVA [編集]

1980年代

1990年代

2000年代

2010年代

Webアニメ [編集]

劇場アニメ [編集]

1980年代

1990年代

2000年代

2010年代

ゲーム [編集]

その他 [編集]

他多数。

関連企業 [編集]

かつての関連企業
  • 株式会社キキ(2004年清算、音響制作部門を有限会社フォニシアとして新設)
  • ビィートレイン株式会社
  • 有限責任組合amimo

関連人物 [編集]

演出家 [編集]


アニメーター [編集]


美術監督 [編集]

色彩設計 [編集]

3D CGI [編集]

脚本家 [編集]


制作 [編集]

主要取引会社および作品参加プロダクション [編集]

脚注 [編集]

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  1. ^ 「軌跡 Production I.G 1988-2002」p.18 石川光久の発言。
  2. ^ 株式会社竜の子プロダクションの株式取得に関するお知らせ IG Port ニュースリリース 2010年6月5日閲覧。
  3. ^ 現・IGポートの母体会社。
  4. ^ 2007年独立。
  5. ^ 2004年に持分法適用会社から除外。

参考文献 [編集]

外部リンク [編集]