F1死亡事故一覧
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F1死亡事故一覧は1950年から始まったF1世界選手権のレースウィーク中に発生した死亡事故の一覧である。 なお、80年代前半まではF1の車体を使いながらも世界選手権に組み込まれていないレースがあったがそれらのレースで発生した死亡事故、またテスト中の死亡事故(エリオ・デ・アンジェリスなど)は除外してある。
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ドライバーの死亡(観客等が同時に死亡したケースも含む) [編集]
1950年代 [編集]
- 1958年ドイツGP - 11周目にピーター・コリンズのフェラーリがコースアウト。車外に投げ出されて死亡。
- 1958年モロッコGP - 42周目にヴァンウォールのスチュアート・ルイス・エヴァンスがホイールロックとエンジンブローを併発しコースアウト。横転したマシンは炎上。マシンに取り残されたルイス・エヴァンスは、全身に重度の火傷を負い6日後に死亡。
1960年代 [編集]
- 1960年ベルギーGP - ヨーマン・クレジット・クーパーで出場していたクリス・ブリストウがフェラーリのウィリー・メレスとの激しい3位争いをしていたが、バーネンヴィルでコースを外れ、ほぼ直角にアームコ・バリアに激突。さらにそれを突き破って土手に衝突し大破した。バリアが鋭利な凶器と化し、ブリストウは下顎から上を切断されて即死した。さらに、この5周後にロータスのアラン・ステイシーの顔面を鳥が直撃し即死した。さらにそのままロータスは暴走し、コース脇に飛び出して横転、炎上した。予選中にも大事故が相次いだため、「暗黒の週末」と呼ばれる。
- 1961年イタリアGP - 2周目にフェラーリのウォルフガング・フォン・トリップスがロータスのジム・クラークと接触しコースアウト。フォン・トリップスは車外に投げ出されて即死。また、巻き込まれた観客14名も死亡。
- 1964年ドイツGP - ポルシェのカレル・ゴダン・ド・ボーフォールが予選中にコースアウト。2日後に死亡。
- 1967年モナコGP - フェラーリのロレンツォ・バンディーニがシケインでクラッシュし炎上。救出に時間がかかり(近くを飛んでいた取材ヘリコプターの巻き起こした風が救出の妨げになったと言われている)3日後に死亡。
- 1968年フランスGP - ホンダのジョー・シュレッサーのマシンがコントロールを失いクラッシュし炎上。シュレッサーは死亡。この事故がきっかけとなりホンダの第一期F1活動は休止となった。
- 1969年ドイツGP - 予選中のクラッシュでゲルハルト・ミッターが死亡。
1970年代 [編集]
- 1970年イタリアGP - シーズン5勝を挙げ、チャンピオン争いで首位にいたロータスのヨッヘン・リントが予選初日にパラボリカでクラッシュし死亡。このレース以降、チームメイトのエマーソン・フィッティパルディが大活躍したことによりライバルはポイントを挙げられず、ヨッヘン・リントが死亡のままチャンピオン獲得。
- 1973年オランダGP - この年F1にデビューしたマーチのロジャー・ウィリアムソンが2戦目のオランダGPでタイヤトラブルからクラッシュ。マシンは炎上しロジャー・ウィリアムソンは焼死。親友であるデビッド・パーレイがレースを捨て、彼を助けに行ったことは有名である。
- 1973年アメリカGP - ティレルのフランソワ・セベールが予選中に大クラッシュ。宙を舞ったマシンはガードレールの真上に落下し、首から下を縦に真っ二つに引き裂かれ即死。
- 1974年アメリカGP - サーティースのヘルムート・コイニクのマシンがガードレールに激突。マシンがガードレールの下をくぐりぬけ、コイニクは首を切断し即死。フランソワ・セベールの事故から丸一年の日に起こった事故であった。
- 1977年南アフリカGP - シャドウのトム・プライスが、路肩で炎上していたチームメイトのレンツォ・ゾルジのマシン処理のためにコースを横断したマーシャルをはねるという事故が発生。はねられたマーシャルとマーシャルの持っていた消火器を顔面に受けたトム・プライスが即死。(参照:トム・プライス#事故死)
- 1978年イタリアGP - スタート時の多重クラッシュで入院したロニー・ピーターソンが翌日死亡。医療ミスによる死亡説もある。
1980年代 [編集]
- 1982年カナダGP - 決勝のスタート直後、リカルド・パレッティのマシンがエンジンストールで停止していたポール・ポジションのディディエ・ピローニのマシンに追突。パレッティの救助作業中にマシンが突如炎上、救助作業が難航し、パレッティは死亡。パレッティの死因は焼死ではなく、追突の衝撃による胸郭打撲と思われる。
1990年代 [編集]
- 1994年サンマリノGP - 予選2日目にシムテックのローランド・ラッツェンバーガーのマシンからフロントウイングが脱落し、ヴィルヌーヴコーナーのウォールに激突しラッツェンバーガーは即死。直前の周回にコースアウトしていたため、それが原因と考えられている。グランプリ開催期間中の死亡事故は12年ぶりであり、その他のF1マシンドライブ中でも1986年のエリオ・デ・アンジェリス以来8年ぶりとなった。
- 1994年サンマリノGP - 決勝の7周目にウィリアムズのアイルトン・セナがタンブレロをコースアウトし、コンクリートウォールに一直線に突き刺さる形でクラッシュ。マシンは大破した。即座に救出活動が行われ病院に搬送されたが、サスペンションパーツの破片がヘルメットを貫通したことによる前頭部の損傷により死亡。
この事故以降2012年現在まで、F1選手権中におけるドライバーの死亡事故は起きていない。
ドライバー以外のみが死亡 [編集]
1950年代 [編集]
- 1953年アルゼンチンGP - 3位を走行していたジュゼッペ・ファリーナがコースを横切った少年をはねた後、観客の中に突入。ファリーナは無事だったが少年と観客合わせて10名が死亡。
1970年代 [編集]
- 1975年スペインGP - ヒルのロルフ・シュトメレンのマシンのリアウイングが脱落。マシンはコントロールを失い、観客席に突っ込み観客4名が死亡。シュトメレンは重傷を負った。
- 1977年日本GP - フェラーリのジル・ヴィルヌーヴとティレルのロニー・ピーターソンが接触。宙を舞ったヴィルヌーヴのフェラーリが立ち入り禁止区域にいた観客と接触し、観客2名が死亡。ヴィルヌーヴは無事だった。
2000年以降 [編集]
- 2000年イタリアGP – レース1周目に、フェラーリのルーベンス・バリチェロ、マクラーレンのデビッド・クルサードら7台が絡む事故が発生したが、この事故によりマシンから飛んだタイヤの直撃を受けたコースマーシャルの1人が死亡。
- 2001年オーストラリアGP – スタート直後に発生したラルフ・シューマッハとジャック・ヴィルヌーヴのクラッシュにより吹き飛んだタイヤがフェンスの隙間をすり抜けてボランティアで参加していたコースマーシャルに直撃し死亡。
関連項目 [編集]