F-14 (戦闘機)

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F-14 トムキャット

アメリカ海軍のF-14D

アメリカ海軍のF-14D

F-14アメリカ合衆国グラマン社が開発した艦上戦闘機。愛称は「雄猫」を意味するトムキャット(Tomcat)。

目次

[編集] 概要

アメリカ海軍の保有・運用するF-4 ファントム IIの後継機として、グラマン社の開発した可変翼と長射程のAIM-54フェニックスの運用能力を特徴とした、第4世代ジェット戦闘機に分類される艦上戦闘機1970年の初飛行を経て1973年から運用部隊に配備された。

総計712機が製造され、アメリカ海軍の他には唯一イラン空軍で採用された。

アメリカ海軍のF-14はF/A-18E/F戦闘攻撃機への機種転換が進み、2006年9月22日VF-31トムキャッターズの解隊を最後に全機が完全退役した[1]

[編集] 開発の経緯

[編集] F6Dミサイリアー構想

F-14の源流は1950年代まで遡る。当時アメリカ海軍は仮想敵国の対艦攻撃機要撃用の機体を必要としており、1957年にはダグラス社でXF6D-1ミサイリアー(Missileer)を計画していた。F6Dは先進的な火器管制システム(AN/AWG-9)の元、ベンディックス社開発のAAM-N-10イーグル空対空ミサイル(速度マッハ4、射程203km)を運用し、遠距離迎撃のために約10時間のCAPを実施する構想であったが、このミサイル以外の武装を持たず機動力や汎用性に乏しいものであったため廃案となった。しかしながら、空軍も同時期にAIM-47ミサイルとAN/ASG-18レーダー/火器管制システムを開発しており、その両者の計画は統合され、イーグルミサイルはAAM-N-11を経てAIM-54 フェニックスとなり、また、AN/AWG-9の開発も継続され、共にF-111B及びF-14で採用されるに至った。

[編集] TFXプログラムとF-111Bの頓挫

1961年ケネディ政権下で国防長官に就任したロバート・S・マクナマラは、効率化の一環として、海軍と空軍から要望されていた新型戦闘機を可変後退翼を持つ共通のプラットフォームTFX(Tactical Fighter Experimental)として開発する計画を立てた。空軍から出ていた要望は低空侵攻可能な戦闘爆撃機、海軍からの要望は対艦ミサイル搭載の大型機を対艦ミサイル射程外から迎撃するための長距離航行可能かつ短距離での格闘戦を想定した戦闘機であり、共通化の困難なものであった。

1961年10月1日に入札各社は各案を提示。ゼネラル・ダイナミクス社が落札した。ゼネラル・ダイナミクス社はグラマン社と提携し、グラマン社は降着装置と本体後方部、および海軍型のTFX-N(後のF-111B)のデザインを担当した。

F-111Bの試作機は1965年の5月に初飛行を行ったが、重量過多、航行速度不足、降着装置の位置が前方に偏り過ぎてことによる着艦時挙動の危険なまでの不安定さから、要求仕様の緩和等の対応をすることのないまま、採用見送りに至った。

[編集] VFXプログラムの立ち上げとグラマン案の採用

当時海軍で使用していたF-4ファントムIIおよびF-8クルセイダーソビエト連邦の新型機などの出現により早晩質的優位性を失なってしまうものと考えられていたため、海軍はF-111B不採用を決定後ちにVFX(Carrier-based Fighter Experimental)プログラムを立ち上げた。

1967年10月に各社はこの要望に応札、グラマン社とマクドネル・ダグラス社が残った。翌年マクドネル・ダグラス社はモデル225を、グラマン社はモデル303を提示。最終的にグラマン社が落札した。グラマン社の案は管制システム、ミサイル、エンジンをF-111Bからそのまま転用したものだった。

[編集] F-14の開発

YF-14A

F-14は当初、F-111同様垂直尾翼が1枚だったが、海軍の異議に応じて垂直尾翼を2枚とした最終案が1969年3月に採択された。開発を急ぐ海軍とグラマン社は、試作機による性能評価の結果を踏まえつつ開発した量産型を制式採用し発注するという従来の開発手順を踏まず、いきなり量産型の生産に入り、スローペースで生産する先行量産型でテストを行うクック・クレイギー計画を採用し、まず12機の先行量産型を製造した。そして、先行量産型の各機に受け持ちの性能評価項目を振り分け、迅速に開発を行うこととした。

初飛行は1971年1月を予定していたが前倒しされ、1970年の12月21日に試験飛行責任者のロバート・スマイズとプロジェクト・テスト・パイロットのウィリアム・ミラーによって敢行された。この飛行は悪天候と視界不良のために短時間で切り上げられた。9日後に再度飛行試験が行われたが、着陸の際に降着装置の油圧系統が故障し、予備系統も作動せず、試作機は墜落した。操縦士は射出座席で脱出し軽傷を負った。この時製作中の12号機を1X号機として試験に割り当てたため、試作機は都合13機である。

この設計ミスを修正した2機目の試作機は1971年5月24日に初飛行を行った。この試験機は低速度での動作確認、可変翼、および火器の動作確認に割り当てられた。3機目は搭載重量を増やしての飛行、4、5、6機目はムグ岬の海軍基地でAWG-9/AIM-54の搭載試験を行った。このうち5機目は1973年6月20日スパローミサイルの発射試験で自機に命中するという珍しい事故で墜落している。この事故の原因はスパローを下に打ち出す力が足りないことにあった。その結果、発射後に急上昇して高度を稼ぐようになっているスパローとの高度の再交差までの時間が不足し、その間にF-14を追い越せなかったスパローがF-14の機体下面に激突したものである。7機目はF401エンジンに換装された。8機目は生産ラインのデータ確認に使用され、9機目、11機目はレーダーとその他のシステム確認に割り当てられた。11機目は地上標的に対するM61 バルカンによる攻撃テストにも使用されている。10機目は海軍試験場で空母での発着を想定した試験に使用された。

海軍による最初の試験飛行は1971年12月16日に行われたが、搭乗員からは着艦の際の挙動の制御が難しいためビースト(獣)と呼ばれた。翌1972年の6月15日に最初のカタパルトを使用した発艦試験が「CV-59 フォレスタル」で行われ、6月28日に初の着艦試験が同空母上で行われた。この10号機はのち着艦に失敗し操縦士は死亡している(火器管制員は同乗していなかった)。

[編集] 運用開始と配備数の圧縮

F-14は初期導入機が老朽化しつつあったF-4の代替として1973年より配備が開始され始めた。この1973年はアメリカ軍がベトナム戦争からの全面撤退が開始された年である。しかし、F-14の取得費用および整備などにかかる諸費用が群を抜いて高いことが知られるようになると、野党の政治家をはじめとする各方面より強い非難を受けた。

実際、民主党のハートキー(Hartke)とビンガム(Bingham)両上院議員から採用を非難する報告書が提出されるなどしたため、当初のF-14の配備予定数(722機)から最終的に313機にまで圧縮された。

その後も政治家マスコミなどによる非難は止まず、更なる圧縮が計画されたが、当時のエルモ・ズムウォルト・ジュニア海軍作戦部長によって擁護され、免れることになった[2]

[編集] 特徴

[編集] 基本構造

VF-211所属のF-14A

F-14は艦隊防空戦闘機であり、長距離爆撃機から大量の空対艦ミサイルを発射するソビエト連邦軍飽和攻撃戦術に対抗するために開発された。F-14の能力は防空に特化したものとなっている。これは攻撃機に対する要撃機として使用するためである。よってF-14は、格闘戦を重視したF-15やF/A-18とは異なる設計思想の元に開発された戦闘機といえる。

F-14の一番の特徴としては、AIM-54 フェニックス空対空ミサイルと、それを使用するための強力なレーダー火器管制装置を装備する点が挙げられる。操縦機構の付いていない後席には、F-4と同様にRIO(Rader Intercept Officer)と呼ばれる専門のレーダー員が搭乗した。[3]

F-14の主翼には補助翼はなくスポイラーが装備されている。ロール機動を行うためには、水平尾翼の差動も合わせて利用される。

F-14は艦隊防空に特化した機体ではあるが、その翼面荷重の高さ[4]の割に空中戦能力は高い。これは、平たい胴体の発生する揚力と自動制御による後退角最適化により旋回半径を小さくする効果とによるものである。例えば、同時期に開発されたF-15との模擬空戦においてはたびたび勝利し、2機のF-15を相手に1機で勝利したこともあると言われている[5]。もちろん、模擬空戦での戦果が即実戦での評価につながる訳ではない[6]が、少なくとも格闘性能に優れるのは事実である。実戦においてもMiG-23Su-22相手に勝利している。

しかし、その大型な機体のために空力抵抗が大きいことと、搭載エンジンTF-30の余剰推力の不足(高G旋回を行なった後の運動エネルギーの回復が難しくなる)、神経質なエンジンを扱うためのスロットル操作の制限は、空中戦におけるマイナス要因となっている。

[編集] エンジン

後方より

エンジンの間隔をあけた双発エンジン配置は、流入空気の整流を容易にし、一方のエンジンの致命的な故障(爆発、火災、タービンブレードの破損による飛散など)の他方への影響を押さえることができるという利点がある。しかし、1発停止時の推力軸線と機体軸線とずれが大きくなるため操縦はより困難になる。F-14では、開発当初から新エンジンへの換装を予定していたこともあり、2基のターボファンエンジンを胴体下面に左右に間隔をあけて搭載し、左右のエンジンの間をミサイルの搭載場所として利用している。[7]

F-14Aはプラット&ホイットニー社製TF30-P-412を搭載している。このエンジンはF-111Bで採用されたTF30-P-12の改良型でF-111Dにも採用されている。出力は12,350lbで、F-14の機体もF-111Bより軽量化されているため、推力重量比は向上しているが、F-15やF-16など同世代機との比較では劣っており、重量に対して推力不足と評されている。また機体との適合性も悪く、インテーク付近での気流の乱れに敏感で簡単に圧縮機の失速を起こす。特に高迎え角飛行時かつアフターバーナー使用時においてスロットルを動かす際にエンジンがフレームアウトを起こしやすく、片方のエンジンがフル・アフターバーナー、もう片方のエンジンがフレームアウトという状況が生起した場合、前述の推力軸線と機体軸線とのずれが大きいことからフレームアウトしたエンジンの方向に大きなヨーイング・モーメントが発生する。ヨーイング・モーメントはまたローリング・モーメントを発生させることとなるが、この修正のためにラダーではなくエルロンを使用した場合、ますますヨーイングが加速し、回復困難なフラットスピンに陥ることが多い。このため、F-14のフライトマニュアルでは、高迎え角飛行時かつアフターバーナー使用時のスロットルの操作に制限を加えている。[8]TF30を採用した全機種での重要障害は40にも及び、被害総額は10億ドルを越えている。

以上の問題は、まずF-111Bのエンジンと火器管制システムを流用して手っ取り早く実機を完成させ、その後に逐次性能向上を図っていくという開発方針によるものである。当初A型は最初の67機のみ製造し、プラット&ホイットニー社製のF401-PW-400に換装したB型を400機製造予定だった。

このF401-PW-400エンジンは空軍が後に開発したF100と同じくJTF22を基に設計された、安定性に加えて高出力、低燃費を目指すものであったが、開発中に技術的な不具合に遭い、F-14の機体価格の高さから生産そのものを問題視される中での予算追加は困難とされた。そのため、このエンジンの実用化計画は消滅し、F-14Bの製造は開発段階で頓挫することとなった。2機目のF401搭載試験機158260(1機目は試作機の7号機)はほとんど完成していたものの試験飛行前にエンジンをTF30に換装されている。

結局、TF30の抱えた問題の解決はF-14B/Dでのゼネラル・エレクトリック社製F110-GE-400の採用を待つことになった。

[編集] ミサイル

F-14が搭載するAIM-54はアクティブレーダーホーミング長距離空対空ミサイルで、射程は200kmを超える。このミサイルはソ連のスタンドオフミサイル Kh-22 及び発射母機である Tu-22/22M爆撃機空母戦闘群のはるか遠方で迎撃する目的で開発され、現在でもアメリカ軍が今まで制式採用してきた空対空ミサイルとしては最も射程が長いものとなっている。しかし、この高価なミサイルは大型で機動性が悪く、実戦使用例は湾岸戦争時の1度きりである。この時は最大射程で発射したため命中はしていない。

フェニックスの他には、中距離空対空ミサイルであるAIM-7、短距離空対空ミサイルのAIM-9も搭載できる。これらの空対空ミサイルあるいは爆弾等は、胴体下面の左右エンジン間にある4カ所のパイロンあるいはAIM-7用のランチャー、主翼根元に1カ所ずつあるパイロンおよびその側面にあるAIM-9用のレールランチャーの計8カ所に搭載する。ただしフェニックスを6発搭載した場合、発艦はできるが6発搭載したままでは着艦重量を超えるため、2発を投棄または発射後でないと着艦できない。

F-14の第一の目的は艦隊防空能力であるために対地攻撃能力を付加するに十分すぎる性能を持っていたものの積極的に付加されなかった。このために特に空母戦闘群に対艦ミサイルで攻撃を仕掛けてくる可能性のあった唯一の国家であるソビエト連邦崩壊後、F-14の存在意義が大きく薄れていた。結果として、当時主流になりつつあった中距離空対空ミサイルAIM-120の実弾発射試験には参加したものの、改修による延命効果と費用との勘案から搭載の制式化は見送られた。

なお、フェニックスは2004年9月30日にアメリカ海軍から退役した。

搭載組み合わせ
  • AIM-9 ×2 + AIM-54 ×6
  • AIM-9 ×2 + AIM-54 ×2 + AIM-7 ×3
  • AIM-9 ×2 + AIM-54 ×4 + AIM-7 ×2
  • AIM-9 ×2 + AIM-7 ×6
  • AIM-9 ×4 + AIM-54 ×4
  • AIM-9 ×4 + AIM-7 ×4

[編集] 火器管制装置

F-14のレーダーAN/AWG-9は最大探知距離が200kmを超える画期的な高性能レーダーである。操作は後部座席のレーダー迎撃士官が行う。AN/AWG-9は最大で24目標を同時追尾、そのうち6目標へAIM-54フェニックスを発射し同時攻撃する能力がある。飛行制御用計算機には最初期のマイクロプロセッサであるGarrett AiResearch製Central Air Data Computer(CADC)が採用された。

前席からすべての武器の発射(および各種追加機器の操作)が可能だが、通常は中射程以上のミサイルの操作は後席のレーダー迎撃士官が行い、前席の操縦士は操縦に専念することで乗員の負担を分配している。ただし機関砲やサイドワインダーの様な短距離ミサイルの操作は前席からのみとなっている。

また、AN/AWG-9は、戦闘機間データ・リンクであるリンク4C (TADIL-C)に対応している。これは従来、空対地データ・リンクとして用いられてきたリンク4Aの発展型で、当時用いられていた空対空のデータ・リンクとしては最大容量のものであった。なお、リンク4Cの運用に対応しているのはF-14のみである。

[編集] 可変翼

主翼を大きく開いているF-14D

F-14の大きな特徴の一つとして、飛行中に速度によって主翼の後退角を変え、翼幅を最適化する可変翼が挙げられる。

可変翼はF-111でも採用していたが、F-111では巡航飛行時に操縦士が手動で角度を変更するのに対し、F-14では角度の自動制御を可能としている。この自動制御は速度に対応した最適化だけに留まらず、加速時には後退角を大きくして抵抗を減らし、旋回時には後退角を小さくし翼幅を広げて旋回半径を小さくしたりもする。F-4(J型)との比較では、加速性能で45%、旋回半径で40%、旋回率で64%向上している。この値は推力重量比や翼面荷重の比較からの計算値を上回っており、その分が可変後退翼による性能向上といえる。

後退モード切替スイッチはスロットルレバー側面にある。自動にしておくと、MSP(Mach Sweep Programer)が動圧に応じて制御する。マッハ0.4までの20度から線形に後退し14,000ft以下の低空では0.6付近で約25度となり、そこから変化が急になり1.0付近で68度となる。20,000ft以上では0.7付近で約22度となり、1.0付近で68度となる。なお、MSPによる最大角制限の下で自由に後退角を変更することができる。また、非常用レバーにより、20度、55度、68度、75度に設定できる。ただし、75度の後退角では主翼と尾翼が重なる事になり、この状態で飛行した場合は主翼と尾翼の干渉で悪影響をもたらし、これを使えるのは降着装置に荷重がかかっている時のみに限られている。これは空母上での収納スペースを節約し、取扱いを容易にするためのモードである。

イラク戦争に参加するF-14B

F-111の鋼製のピボット軸ではひび割れが多発したため、強度確保と重量軽減のためにチタン真空中で電子ビーム溶接して作成しており、素材と工作技術の両面で製造コスト上昇の要因となった。

可変翼機は速度に応じて最適の揚抗比を得ることができるものの、可動機構の複雑さや、可動部品、特に軸の強度確保を必要とする等の面から、工数など諸コストの上昇を招く事が問題視された。また重量増加も大きな問題であり、可変翼による性能向上効果が相殺される事となる。F-14に若干遅れて欧州機のトーネード戦闘機にも採用されているが、それ以降の採用は途絶えている。

当初F-14ではもう一つの可変翼として主翼付け根のグローブベーンを展開するようになっていた。これはマッハ1.4以上になると主翼付け根前縁から展開される小翼で、超音速飛行で揚力中心が後退するのを打ち消す狙いがあった。マッハ1.0~1.4では手動で操作でき、また、空戦モードにしておくと空戦フラップと連動して迎角とマッハ数に応じて作動した。さらには後退角55度の爆撃モードでは全開となった。しかし飛行特性にほとんど影響を与えないことがわかり、A型機の運用当時では無効化され、B型およびD型機では搭載兵器との干渉をなくすために廃止されている[9]

[編集] 愛称

愛称「トムキャット」の由来は、可変翼の動きがの耳の動きに似ていることから名づけられた。かつてグラマン製戦闘機にシリーズ的に名付けられていた、猫もしくはネコ科の動物が含まれる愛称とは、直接は連続したものではないとされる。

しかし一般には、グラマンのネコの名がついた戦闘機のシリーズと認識される事が多い。実際にも退役記念行事として、コンフィデレートエアフォース所属のF4F(正確にはゼネラルモーターズ製FM)、F6FF8Fといった、ネコの名がつく一連のグラマン戦闘機と併走飛行を行ったことがある。F-14は失速直前でフラップを下ろした状態、逆にF4Fはほぼ全開出力での飛行だった。

[編集] 改修

[編集] 対地攻撃能力の付加

F-14は、当初搭載されたレーダーの能力などから空対空戦闘のみを考慮された戦闘機だったが、航続距離が長いことや搭載能力に余裕があるなどの利点があった。

湾岸戦争でのA-6の損耗率の高さと、後継機として開発されていたA-12やその代替案であるA-6Fの開発が中止されたことにより、A-6引退とF/A-18E/Fスーパーホーネット配備までのつなぎとして、F-14の右主翼付け根のパイロンに、LANTIRNポッド(F-15EF-16に搭載されているものにGPSとの連動機能を追加する改修が行われている)を装備して対地攻撃能力を付与することとなった。

この改修によりポッド搭載のみでレーザー誘導爆弾などの使用が可能となった。この対地攻撃能力が付与されたタイプのことをボムキャットと呼ぶこともある。

[編集] 偵察能力

F-14は偵察ポッド(TARPS)を装備し偵察任務にも使用されている。RF-8の退役後、アメリカ海軍には専用の戦術偵察機がなく、F-14はその重要な代替機となった。1990年代から始まった空母航空団と飛行隊の改編ではTARPSとLANTIRNを装備しない飛行隊から解隊・機種転換されていったことから、これらのポッドによってF-14が延命できたともいえる。

ちなみに、TARPSを装備した機体には「ピーピング・トム」の別称があり、カメラを構えたトムをデザインした専用パッチもある。

[編集] 要撃機型

上述の通りF-14に搭載された火器管制システム AN/AWG-9と、AIM-54 フェニックス・ミサイルは、要撃機への搭載を目的とする空軍との共同開発である。そのため、F-15と共に、老朽化したF-106戦闘機に代わる要撃機としての採用が検討された。

要撃機としての能力は、上昇性能においてはF-15が優れるものの、ミサイルと火器管制システムの能力ではF-14が優れており、一長一短である。だが70年代以降のアメリカ空軍は防空を軽視しており(それ以前にソ連の爆撃機の脅威を過大評価した事の反動である)、F-106後継機の選定は優先度の高い要件とはみなされず、結論を出さないままに立ち消えとなった。結局F-106は耐用年数の限界まで配備が続き、退役後はF-15およびF-16が要撃任務を引き継いでいる。

[編集] スーパートムキャット21計画

1990年代前半に、アフターバーナーの使用なしでのマッハ1の巡航飛行(スーパークルーズ)が可能なエンジンの搭載やステルス性の付加、さらには改良型航空電子装置の搭載や本格的な対地攻撃能力の追加などにより、21世紀にも通用する戦闘機として、本機の発達改良型である"スーパートムキャット21""アタック・スーパートムキャット21"などが計画された。これは、1980年代後期から1990年代前半にかけて開発・導入が検討されていた空軍YF-22をベースに、主翼をF-14と同じく可変翼とした海軍の発達型艦上戦術戦闘機・NATF(F-22N)や、A-6E艦上攻撃機の後継機として計画されたA-12ステルス攻撃機の開発が最終的に中止されたことを受けたためである。

しかし、空対艦ミサイル搭載可能化をはじめとするマルチロール化の失敗、F/A-18の拡大改良型であるF/A-18E/F スーパーホーネットがF-14の後継機として採用されたこと等により、最終的に"スーパートムキャット21"などの開発は中止された。

[編集] 実戦経験

ベトナム戦争では、配備されたのが1973年にアメリカ軍が撤退した後だったため、1975年4月にアメリカ海軍と海兵隊が中心になって行われたアメリカ民間人のサイゴン撤退作戦のための上空支援に使用されたのみとなった。

1981年の対リビア作戦で初の戦果をあげており、ニミッツから発艦したF-14が地中海シドラ湾上空で2機のリビア空軍Su-22Mシドラ湾事件 (1981年))を、1989年1月にも同じく2機のリビア空軍機MiG-23MLシドラ湾事件 (1989年))を撃墜している。

1983年レバノン内戦への介入、および1986年4月ベンガジトリポリへの侵攻(リビア爆撃 (1986年))を援護。作戦活動中に偵察を行った。

1991年湾岸戦争では大規模な空中戦は行われなかったが、イラクMi-8ヘリコプターを撃墜している。一方でイラク軍の地対空ミサイルで1機が撃墜されている。

1993年からバルカン上空で、ユーゴスラビア紛争に絡み戦闘空中哨戒(CAP)および偵察を実施、1995年に初の爆撃を行った。コソボ紛争でもF-14が高速前線航空管制および爆撃を実施した。

2001年アフガニスタン戦争では作戦の中心となり、前線航空管制 (FAC) や、燃料積載量が少なく奥地まで飛行できないF/A-18Cの代わりに、F-14が誘導爆弾などを投下し、多数の戦果を上げている。

2003年イラク戦争でも、誘導爆弾などを投下し戦果を上げた。

[編集] 配備状況

保守・整備の容易さと多用途性などに由来する費用対効果面からF/A-18E/F戦闘攻撃機への機種転換が進められ、最後に残った戦闘部隊VF-31トムキャッターズ2006年9月22日に解隊したため、アメリカ海軍のF-14は全機が完全退役している。

[編集] アメリカ海軍太平洋艦隊

  • アメリカ海軍戦闘機兵器学校(NFWS:Navy Fighter Weapons School)通称:トップガン-1996年に海軍打撃作戦センター(NSWC)に吸収され、海軍打撃・航空作戦センター(NSAWC)として再編成
  • 第1戦闘飛行隊(VF-1 Wolfpack)-1993年9月30日全機退役
  • 第2戦闘飛行隊(VF-2 Bounty Hunters)-2003年7月1日にF/A-18FによるVFA-2へ再編成
  • 第21戦闘飛行隊(VF-21 Freelancers)- 1996年1月31日全機退役
  • 第24戦闘飛行隊(VF-24 Fighting Renegades)- 1996年8月20日全機退役
  • 第51戦闘飛行隊(VF-51 Screaming Eagles)- 1995年3月31日全機退役
  • 第111戦闘飛行隊(VF-111 Sundowners)- 1995年3月31日全機退役(2005年にF-5FによるVFC-111 Redesignatedへ再編成)
  • 第114戦闘飛行隊(VF-114 Aardvarks)-1993年4月30日全機退役
  • 第124戦闘飛行隊(F-124 Gunfighters)-1994年9月30日全機退役
  • 第154戦闘飛行隊(VF-154 Black Knights)-2003年10月1日にF/A-18FによるVFA-154 Redesignatedへ再編成
  • 第191戦闘飛行隊(VF-191 Satan's Kittens)-1988年4月30日全機退役
  • 第194戦闘飛行隊(VF-194 Red Lightnings)-1988年4月30日全機退役
  • 第201戦闘飛行隊(VF-201 Hunters)-1999年1月1日にF/A-18AによるVFA-201 Redesignatedへ再編成
  • 第202戦闘飛行隊(VF-202 Superheats)-1999年12月31日全機退役
  • 第301戦闘飛行隊(VF-301 Devil's Disciples)-1994年9月11日全機退役
  • 第302戦闘飛行隊(VF-302 Stallions)-1994年9月11日全機退役

[編集] アメリカ海軍大西洋艦隊

VF-84 ジョリーロジャースは1976年にF-4からF-14Aへと交代した
第143戦闘飛行隊のF-14とF/A-18E(2005年)
  • 第14戦闘飛行隊(VF-14 Tophatters)-2001年12月1日にF/A-18EによるVFA-14へ再編成
  • 第31戦闘飛行隊(VF-31 Tomcatters)- 2006年10月にF/A-18EによるVFA-31へ再編成
  • 第32戦闘飛行隊(VF-32 Swordsmen)-2005年10月1日にF/A-18FによるVFA-32へ再編成
  • 第33戦闘飛行隊(VF-33 Starfighters)-1993年10月1日全機退役
  • 第41戦闘飛行隊(VF-41 Black Aces)-2001年12月1日にF/A-18FによるVFA-41へ再編成
  • 第74戦闘飛行隊(VF-74 Bedevilers)-1994年4月30日全機退役
  • 第84戦闘飛行隊(VF-84 Jolly Rogers)- 1995年10月1日全機退役
  • 第101戦闘飛行隊(VF-101 Grim Reapers)- 2005年9月15日全機退役
  • 第102戦闘飛行隊(VF-102 Diamondbacks)-2002年5月1日にF/A-18FによるVFA-102へ再編成
  • 第103戦闘飛行隊(VF-103 Sluggers/Jolly Rogers)-2005年5月1日にF/A-18FによるVFA-103へ再編成
  • 第142戦闘飛行隊(VF-142 Ghostriders)-1995年4月30日全機退役
  • 第143戦闘飛行隊(VF-143 Pukin' Dogs)- 2005年前期にF/A-18EによるVFA-143へ再編成
  • 第211戦闘飛行隊(VF-211 Fighting Checkmates)- 2004年10月1日にF/A-18FによるVFA-211へ再編成
  • 第213戦闘飛行隊(VF-213 Black Lions)- 2006年5月にF/A-18FによるVFA-213へ再編成

[編集] 試験評価飛行隊(Test and Evaluation Squadrons)

  • 第4試験評価飛行隊(VX-4 Evaluators) -1994年9月30日に全機退役
  • 第9試験評価飛行隊(VX-9 Vampires)-全機退役
  • 第23評価飛行試験隊(VX-23 Salty Dogs)-全機退役

[編集] アメリカ以外での採用

グラマン社はアメリカ海軍での正式採用後、各国へセールスを行った。イラン空軍への採用(後述)を得たものの、その運用費高や複座型艦上機であるが故に売り込みはうまく行かなかった。

日本航空自衛隊でもかつて、第3次F-XでF-14を導入しようと検討していたこともあったが、比較評価の結果F-15となった[10]

その他、1970年代にはイスラエルサウジアラビアカナダスペインオーストラリアへのセールスを行なったが、いずれもF-15やF/A-18に採用を奪われた。

結局、アメリカ海軍以外にF-14を導入したのは、潤沢なオイルマネーで最新鋭兵器を買いあさっていたパーレビ王朝時代のイラン空軍のみとなった。

イランの旗 イラン

[編集] 概要

トップガン飛行隊の仮想敵機役でイラン空軍機を模倣した塗装が施されたF-14A
左後方より

パーレビ王朝政権下に、ソ連偵察機による領空侵犯対策として新型戦闘機の導入を計画。F-4の輸出実績があったマクドネル・ダグラス社のF-15との一騎打ちとなり、1974年6月にF-14Aの採用を決定する。ちなみに選考の際には、当時のイラン皇帝モハンマド・レザー・パフラヴィーが自ら両機を操縦して乗り比べている。当時は80機のF-14Aと共に、714基のAIM-54が発注された。

[編集] 機体

イランが購入したのは一部の装備を外したF-14A仕様機だった。なお、イランのF-14Aは引渡し以来長い間いわゆる「デザート迷彩」を施していたが、近年、同国空軍のMiG-29同様の砂色と水色による迷彩に塗り替えられた機体も増えている。

[編集] 現在の運用状況

その後の1979年1月に、反米的なルーホッラー・ホメイニーを指導者に行われたイラン革命によりアメリカは引渡し前の機体の差し止めと部品供給の停止を行い、補修部品の調達が困難となったイランでは同機の運用は困難となった。しかし、イラン・コントラ事件に絡んでイランのアメリカ製機は補修部品調達を受け続けたために稼動状態を保ち、F-14もイラン・イラク戦争で実戦使用された。

ロシアからは戦力補強のためにMiG-29などが引き渡されている。 またイランからロシアに流出したF-14の技術情報がSu-27の開発に流用されたとの説もある。

イランでは、F-14の後継と期待されたMiG-31やSu-27の購入が経済及び政治的な事情からできなかったため、現在でも貴重な防衛戦力として多数のF-14の維持に精力を注いでいる。数十機がロシアの支援により稼動状態にある。F-14と同時に導入したAIM-54はイラン・イラク戦争で消費したため、現在はホーク地対空ミサイルを改造して搭載している。

なお、アメリカ海軍退役後のF-14は、他の戦闘機の例に漏れず各地で展示されつつある。しかし、未だ運用を続けているイラン空軍への流出を防ぐため、レーダー・電子部品・エンジン等は完全撤去されてから引き渡されている。

配備部隊

  • 第72飛行隊(72nd TFS)-1976年~1980年
  • 第73飛行隊(73rd TFS)-1977年~1990年代半ば頃
  • 第81飛行隊(81st TFS)-1977年より
  • 第82飛行隊(82nd TFS)-1978年より
  • 第83飛行隊(83rd TFS)-第73飛行隊より編成

[編集] 型式

1969年から1991年までの期間に、総計で712機のF-14A/B/Dが製造された。グラマン社はF-14の発展型として、電子機器を換装し、全天候攻撃・偵察能力を持たせたF-14Cの新製を提案したが、計画段階で却下されている。実機にC型がないのはこのためであり、計画の仕様はD型に活用された。さらには、性能を落とした「F-14X」も計画したが、こちらも却下されている。[11]

F-14A
基本型で478機がアメリカ海軍、79機がイラン空軍に引き渡された。
F-14B
上記のエンジンの問題にもあるように、F-14AのTF30エンジンは開発当初からその問題が指摘されていた。そのためエンジンの換装案がいくつか挙がっており、最終的にエンジンをF110-GE-400に換装したF-14A+(7号機がF-14Bを名乗っていた)が開発され、後にF-14Bと呼ばれるようになった[12]
F-14D
1990年には、レーダーをAN/APG-71に換装したF-14D型が開発された。これは新規で製造されたものとF-14Aを改修したものの2つのタイプがあるが、前者はF-14Dと呼び、後者はF-14D(R)と呼ばれる。B、Dとも最初は全てのA型を改修する予定だったが、冷戦の終結で製造費が安価で運用も柔軟なF/A-18戦闘攻撃機の導入が基本方針となり、改修も新造も大幅に規模が縮小された。
F-14B、F-14Dはスーパー・トムキャット(Super Tomcat)という非公式の愛称がつけられている。BおよびDはF110エンジンを搭載し、排気ノズルの形状がTF-30エンジンのA型と異なるため、外見から判別可能である。
国防総省は海軍からの根強い反対にもかかわらず、性能は劣るものの安価で整備が容易なF/A-18を主力として、F-14Dの全面配備を認めなかった。結局、国防予算の都合、フル装備の重いF-14が着艦可能な空母が無い、既にF/A-18が配備されていた等の理由により、F-14Dは新造37機、A型からの改造18機の計55機の配備にとどまった。

[編集] 仕様

Grumman F-14 Tomcat.png

[編集] 登場作品

[編集] 参考・脚注

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  1. ^ USATODAY.com - [1](英語)
  2. ^ The Encyclopedia of Modern Military Aircraft (ISBN 1-904687-84-9)
  3. ^ RIOの大半は操縦資格を所持していない。なお、空軍型や輸出用のF-4では、後席にも操縦機構がついている。
  4. ^ F-15やF-16といった同世代機との比較であり、前任機F-4よりは低翼面荷重である。
  5. ^ KKワールドフォトプレス アメリカ軍用機カタログ
  6. ^ 模擬空戦では最初からポジションが決められている事が多いが、実戦においては、まず有利なポジションを取る事が重要視される。F-15の上昇能力や加速性といった長所は、有利なポジションを取るために必須のものである。
  7. ^ A-5ヴィジランティも、間隔をあけたエンジンにはさまれた位置に爆弾倉を設けており、類似する設計となっている。
  8. ^ Rear Adm. Paul T. Gillcrist USN (Ret.), FEET WET REFLECTIONS OF A CARRIER PILOT, Schiffer Military History, 1997, pp330-331
  9. ^ 青木謙知監修 清原伸一編 雑誌「ワールドエアクラフト - 第1号」(World Air Power Journal)デアゴスティーニ・ジャパン、1999年
  10. ^ 1976年入間基地で行われた国際航空宇宙ショーでの両機の激しい売り込み合戦があった。
  11. ^ 三才ブックス『F-14トムキャット”ラストフライト”』 2006年(ISBN 4-86199-057-2)
  12. ^ PS2で発売された「エースコンバット5」にてB型が爆弾装備のため「ボムキャット」という愛称になっていたが、実際にはA形でもLANTIRNユニット装備、コンピューターの変更で爆弾装備可能である。これを当時の操縦士は「ボムキャット」と既に呼称しており、B形だけを指す物ではない。

[編集] 関連項目

[編集] 外部リンク

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