EDVAC

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EDVAC (Electronic Discrete Variable Automatic Computer=電子式離散変数自動計算機)は、ENIAC開発チームが後継機としてつくったコンピュータENIACと異なり、二進数を使用している。

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EDVAC は ENIAC がまともに動作するようになる前から設計が開始された。それは ENIAC を開発してみて判明した設計上の様々な問題点を解決することを目的としていたのである。ENIACと同様、EDVACはペンシルベニア大学米陸軍アバディーン実験場にある弾道学研究室のために製作した。ENIACの設計者ジョン・エッカートジョン・モークリーは、ジョン・フォン・ノイマンらと合流して設計を開始した。ベースとなったのはノイマンが1945年に出したリポート(下記外部リンク参照)である。新しいコンピュータの開発契約は1946年4月に結ばれ、当初予算は10万ドル、コンピュータの名前は Electronic Discrete Variable Automatic Calculator とされた。EDVACに実際かかった費用はENIACよりも若干少なく 50万ドルであった。

開発されたコンピュータは二進数(32ビット)を使用し、加算、減算、乗算、プログラム化された除算などが可能で、メモリは1000ワード(後に1024ワードに拡張)であった。物理的には以下のような部品から構成されている。磁気テープ読取/書込装置、オシロスコープ付制御ユニット、メモリや制御部から命令を受け取って適切な装置に命令を伝える分配装置、ふたつの数値に対して演算を行いチェック後にメモリに格納する演算装置、タイマー、水銀遅延管を64本使用したメモリ装置2台(各水銀遅延管は8ワードを格納、また補助タンクが3つあってそれぞれ1ワード格納)などである。加算にかかった時間は 846 マイクロ秒 で乗算は 2900 マイクロ秒である。開発する上での重要な問題は信頼性と経済性であった。

物理的には約 6,000本の真空管と約 12,000個のダイオードが使われていて、消費電力は 56kWである。設置面積は 45.5平方mで7,850kgの重量だった。運用には13人が8時間交代で張り付いていた。

EDVACは1949年8月に弾道学研究室に運び込まれ、いくつかの問題に対処した後、1951年に部分的に稼動した。完成までに時間がかかったのは、ペンシルベニア大学とエッカート&モークリーとの間で特許権を巡る争いがあったためと言われている。このためエッカートとモークリーは大学を離れ、エッカート・モークリー・コンピュータ社を設立しEDVACに関わった技術者も引き抜いていった。

1960年には、EDVACは一日に20時間エラー無しで動作した。平均では一日 8時間動作していたという。1953年にはパンチカード装置を追加、1954年には磁気ドラムメモリを外部記憶装置として追加し、1958年には浮動小数点演算装置が追加された。

EDVAC は1961年BRLESCに置き換えられるまで動作した。それまでの実績をみると、当時としては非常に高い信頼性と生産性であったと言える。

[編集] プログラム内蔵方式の功績は誰のものか

「プログラム内蔵方式」は、主要メンバーのジョン・モークリージョン・エッカートが考案していたとされる。しかし、EDVAC開発チームに入っていた当時一流の数学者であるジョン・フォン・ノイマンが、自分の名前でEDVACの仕組みについて発表し、それが広まってしまった(下記、外部リンクのレポート)。このため、「プログラム内蔵方式」は今もノイマンの功績とされている。

ENIACの主要開発メンバーであるモークリーとエッカートは技術面で優れており、開発メンバーのノイマンは理論的側面で優れていた。1945年、ノイマンは、EDVACの論理的側面を技術情報とともにノイマンの名前で発表する。これは、一流数学者の名前を利用してEDVACの名声をあげたいペンシルベニア大学側の思惑があったとされる。このことにより「プログラム内蔵方式」などの情報が外部に漏れ、反発したモークリーとエッカートは開発メンバーから離脱する。主要メンバーが離脱したEDVAC開発は大きく遅れ、世界初の「プログラム内蔵方式」コンピュータの称号は1949年EDSACに譲ることになる。EDVACは1951年になって完成する。

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