ドリーム・シアター

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ドリーム・シアター
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ボストン
ジャンル プログレッシブ・メタル
活動期間 1985年 -
公式サイト Dream Theater - The Official Site (英語)
メンバー
ジェイムズ・ラブリエボーカル
ジョン・ペトルーシギター
ジョーダン・ルーデスキーボード
ジョン・マイアングベース
マイク・マンジーニドラム
旧メンバー
マイク・ポートノイ (ドラム)
チャーリー・ドミニシ (ボーカル)
ケヴィン・ムーア (キーボード)
デレク・シェリニアン (キーボード)

ドリーム・シアターDream Theater )は、アメリカプログレッシブ・メタル・バンドであり、同種の音楽性のバンドの草分け的存在。イエスジェネシスなどの構築的なプログレッシブ・ロックと、アイアン・メイデンメタリカなどのドラマティックな展開を持ったヘヴィメタルの双方に影響を受け、それらを各々の豊かな演奏技術と多彩なバックボーンで組み合わせたスタイルを築き上げている。その音楽性とやれないことはおよそない技巧から、日本での人気も高い。ことに双方の要素を色濃く持つ音楽性のラッシュからの影響はメンバーが(特にアルバム『アウェイク』の頃まで)あちこちのインタビュー等でその影響を公言していた。

目次

[編集] バイオグラフィー

前作は「衝撃的なバンドのデビュー作」として迎えられたもののセールス的には伸び悩んだこと、プロダクションの数々の不手際(プロダクション内の不協和)、レーベルとの不協和など数々のトラブルが重なり、ライブ活動も満足に出来ない状態に置かれてしまったことから、2作目の発表までに3年を要したとされている。 また、この時期にバンドは徹底的なリハーサルを重ねて実力を蓄えたとも言われる。
  • 1994年に3rdアルバム『アウェイク』を発表する。ジョン・ペトルーシが7弦ギターを、ジョン・マイアングが6弦ベースをそれぞれ使用し始めたのと無関係ではないであろうヘヴィなサウンドを前面に押し出したアルバムとなる。このときキーボードのケヴィン・ムーアが脱退。
ツアー要員としてデレク・シェリニアンがヘルプで加入し、その後に正式にメンバーとして迎え入れられる。
このアルバムは2ndアルバムの『イメージズ・アンド・ワーズ』に収録されていた楽曲「メトロポリス」の続編として製作され、全編にわたって歌詞や旋律が同曲を下敷きにしたものとなった。アルバムタイトルも"Somewhere like a scene from a memory"という同曲のラインからの発想である。
また、ライブではこのコンセプト・アルバムが完全再現された。
  • 2001年、5thアルバムのツアーの最終公演に当たるN.Y.でのライブを収録したライブDVD、およびライブビデオ『メトロポリス2000』を発売する。
それに続き同公演を収録した三枚組にも及ぶライブアルバム『ライヴ・シーンズ・フロム・ニューヨーク』を発売する。

[編集] メンバー

ジェイムズ・ラブリエ(Vo)
ジョン・ペトルーシ(Gt)
ジョーダン・ルーデス(key)
ジョン・マイアング(Ba)
マイク・マンジーニ(Dr)
ジェイムズ・ラブリエ
1963年5月5日生まれ
パート: ボーカル
ドリーム・シアター2代目ボーカリスト。
Winter Roseというバンドに所属していたが、2ndアルバム『イメージズ・アンド・ワーズ』より参加。
本名は「ケヴィン」だが、加入当時のバンドにケヴィン・ムーアがおり、バンド内ではすでにジョン・ペトルーシとジョン・マイアングという同名メンバーがいたことから、混乱を避けるために「ジェイムズ」を名乗る。ケヴィン・ムーアがバンドを脱退した現在でも「ジェイムズ」を名乗っている。ちなみに、ミドルネームを芸名上のファーストネームに使用する他の有名人としては元ザ・ビートルズポール・マッカートニー(James Paul McCartney)やアイアンメイデンブルース・ディッキンソン(Paul Bruce Dickinson)、ピンク・フロイドロジャー・ウォーターズ(George Roger Waters)等がいる。
多彩な音楽性に順応できる表現力を持った優秀なフロントマンであり、その力量は「どんな曲でも歌えることから採用した」とメンバーに語らしめた。ドリーム・シアターでは多彩なバンドのカヴァーを難なく歌いこなしており、ヴォーカリストとしては非常に器用な人材といえる(ただし以前の食中毒の発作で喉を痛めてからは若干声域が狭まってしまったともいわれる)。しかしそのスキルとは裏腹に、バンドの中で最も存在感が薄いとも言われる。これについては元々インストゥルメンタル・パートの比率が高い音楽性ゆえヴォーカルの出番が多くないということや、ある時期以降マイクのコーラス・サイドヴォーカルが目立ってきたこと、一部作品においては作曲者クレジットに含まれていないという事実からきている。これに関してはかつてBURRN!誌のインタビューで編集長の広瀬和生に「あなたは正式なメンバーですか? それとも雇われですか?」という無礼な質問をされたことがあり、これについての非難的なコメントをWEBサイト上に発表したこともある。ただしこうした半ば揶揄的な扱いには作詞面での貢献を無視した不当な評価であるとの反論もある。しかしながら彼の作詩はアルバムにつきほぼ1曲であり、手がけたレパートリーの絶対量はペトルーシ・ポートノイに比せばかなり少ない。ちなみに作詩の傾向としてはややダウナーな表現が多く、近年は反戦のモチーフも登場している。
他のバンドへの参加要請も多く、また作曲面での関与が大きくないのかそれらの多くに応えており、彼に歌わせるためにアルバムを作成し、それ以前のヴォーカルに暇を出したバンドも存在した。ライヴにおいてはタンバリンを使うこともあったが、2005年より若干の補助的なキーボードプレイも見受けられる。タンバリン以前は「メトロポリス」の間奏で楽屋に消えてしまうなどの行動もとった。喉のコンディションを保つために、普段から蜂蜜湯を愛飲している。
ジョン・ペトルーシ
1967年7月12日生まれ
パート: ギター
ベースのジョン・マイアングとはバークリー音楽院に入学する前からの既知の仲。バークリー音楽院でたまたま練習室で練習しているマイク・ポートノイと遭遇、その時マイクはテスラのTシャツを着ており、二人に共通した音楽性を見出してバンド結成にいたる。マイクと共にバンドサウンドのプロデューサー的役割を担い、作詩も多く手がける。モチーフとしてはファンタジー的な非現実に多く材を取っており、ドリーム・シアターのドラマティックで起伏に富む楽曲には合致するものといえる。
1994年発表の『Awake』から7弦ギターを使用し始め、スティーヴ・ヴァイと並んで7弦ギターを存分に使いこなしているギタリストの一人である。演奏技術は正確無比なタッチのピッキング・スタイルで、スティーヴ・モーズ、スティーヴ・ヴァイ、アル・ディ・メオラ等に影響を受けたと言う。
ちなみに"petrucci"のより正確な発音は"ペトルッチ"(もしくは"ペトルーチ")であり、オフィシャルファンクラブのファンジンもこの表記に従っている。
ジョーダン・ルーデス
1956年11月4日生まれ
パート: キーボード
名門ジュリアード音楽院に、8歳にして入学している。
ドリームシアター3代目キーボーディスト。 ライヴでのソロにアドリブ要素があることを除いては完璧に音源でのプレイを再現する。
米版キーボードマガジンでキース・エマーソンに次いでファン投票第二位を獲得したことがある。ちなみにキースも彼を高く評価している(明確な出典求む)。
また、リック・ウェイクマンなどをはじめ多くのロック・キーボーディストが複数のキーボードを使用する中で、それを嫌い一台しか使わない珍しいスタイルのキーボーディストである。オランダ人のビルダーに特注の回転するキーボードを駆使。MIDI登場以降の当然の帰結と言えるモダンなセッティング・スタイルという事も出来る(ただし足下のペダルのセッティング数は尋常でなく多い)。1990年から2004年まではマスターキーボードとしてカーツウェル・K2600を使用していたが、現在はOASYSをメインとし、Synthsizers.Comのモジュラーシンセ等を使用する。また、コルグ・01/Wシリーズのデモ制作なども行った。
ジョン・マイアング
1967年1月24日生まれ
パート: ベース
15歳でベースを始め、バークリー音楽院の同級生のマイクとジョン・ペトルーシの三人でこのバンドの前身「MAJESTY」を結成。6弦ベースをメインとするが、チャップマン・スティックも演奏することができる。
以前は国内盤のライナーでジョン・ミュングと表記されることがあった。
ペトルッチと同時期に6弦ベース(「ニュー・ミレニアム」などにおいては12弦ベースを用いる)をメインに使用するようになり、3フィンガー・ピッキングによる超高速プレイを軸に、多彩なハーモニクス奏法タッピングも駆使する。パワフルなプレイの反面、人物的には控え目かつ物静かでありライブビデオなど映像記録で喋っているシーンは殆ど無い。以前はアルバムに一曲程度の作詞も手掛けていたが、『シックス・ディグリーズ・オブ・インナー・タービュランス』(2002年)から『ブラック・クラウズ・アンド・シルヴァー・ライニングズ』(2009年)までのアルバムでは行っていない。フレージングは、ビリー・シーンらヘヴィメタル系統のテクニカル志向よりもスタンリー・ジョーダン(Stanley Jordan)らジャズの影響が強いと言われている。
一日の大半を練習に費やすストイックともいえるほどの練習好きで、自己管理や鍛錬にまつわるエピソードは多い。ウォーミングアップに二時間を費やす、ライブ前に腕立て伏せを100回やるという習慣をクリニックで明かしたこともある。
両親共に韓国系移民である。
マイク・マンジーニ
1963年4月18日生まれ
パート: ドラム

[編集] 元メンバー

マイク・ポートノイ(Dr)
ケヴィン・ムーア(Key)
デレク・シェリニアン(Key)
マイク・ポートノイ
1967年4月20日生まれ
パート: ドラム
バンド全体をまとめるリーダー的な立場にある。作品に関して音楽的な面だけでなく、ビジネス面やライブビデオの編集、限定盤の販売の発案など、細かい事まで指揮を取る。その激しく安定感のある驚異的なドラミングからファンが多く、ライヴでもコーラス・サイドヴォーカルを兼ね合いながら演奏は乱れることは少ない。しかし2004年腱鞘炎を発症、腱鞘炎は一度発症するとフラッシュバック的に再発することの多い病でもあり、今後に不安が残る。ペトルーシに次いで多く作詞を手がけており、ペトルーシに比してシニカルで攻撃的か、遊戯的な側面のいずれかを強く打ち出している。
3バス(バスドラム×3)など、ドラムセットが日々増え続けるのも特徴。ニール・パートテリー・ボジオラーズ・ウルリッヒジョン・ボーナムなどの音数が多くパワフルなドラマーに影響を受けている。ドラムセットの点数が多いという点ではニールやテリーからの影響は色濃いと言える[1]
最近ではライブ中にオーディエンスをステージ上にあげ、ドラムセッションを行うなどファンサービスにも余念が無い。
2010年9月、公式HPにて突然の脱退を発表した。主たる脱退理由は、バンドを数年休業してサイドプロジェクト等の活動を行いたいポートノイと、すぐに新しいアルバム制作を行いたい他の4人との意見の相違によるもの。
2010年12月、バンド側に復帰を打診するも、代理人を通して断られていたことを明らかにした。
ケヴィン・ムーア
1967年5月26日生まれ
パート: キーボード
ニューヨーク州立大学フレドニア校音楽学部(State University of New York at Fredonia)出身。ペトルーシとマイアングの高校時代の同級生で、このバンドの前身であるMajestyに加入し、『Awake』のレコーディングまで参加する。脱退の理由は音楽性の違いが生じたためとのこと。初期作品の半数ほどは彼の曲とされる。シーケンサーで完成された楽曲をバンドに持ち込むことが多かったと他のバンドメンバーは語っている(例:「プル・ミー・アンダー」)。荘厳で幻想的なストリングスピアノのプレイを中心とした質の高い楽曲を多く提供した。ソロパート以外での手数は後任の2人に比して極端に少ない。固そうな外見とは裏腹に、インタビューなどではギャグを連発し、話し続けるキャラで、「周囲を常に笑わせずにはいられない人」と仲間に評されている。一方で詞を書く力にも恵まれており、総じてカリスマがあった(後のミュージシャンでも、例えばボブ・カツィオニスなどが影響を公言)。技術的には現在のキーボーディストには及ばないと現存メンバーにはいわれる。現在はクロマ・キー(en:Chroma Key)、OSI(:en:OSI)、ソロ名義などで活動している。
デレク・シェリニアン
1966年8月25日生まれ
パート: キーボード
バークリー音楽院出身。
ケヴィンの後任のキーボード。即興性やノリを重視し、弾きまくる、激しいライブパフォーマンスを見せていた。ディープパープルの「パーフェクト・ストレンジャーズ」をカバー、発売した際に、ヴォーカルは本家よりすばらしいが、キーボードは本家に遠く及ばないとBURRN!誌に書かれた。バンドを去った後も多彩な交友関係を生かし、セッションやコラボレーションでの楽曲作りを行っていた。ちなみにセッションを経験した相手にはいわゆる大御所も多数おり、ここでも即興を活かしたプレイスタイルで名演を残している。現在はPlanet X(:en:Planet X)で活動。
チャーリー・ドミニシ(Charlie Dominici)
1951年6月16日生まれ
パート: ボーカル
裏声を多用するスタイルで、後任者に比して声量が少ないが、個性的ということでは引けを取っていない。現在は自身の名を冠したバンド・ドミニシを率いて活動している。余談だが、現在のキーボーディストに「タクシーの運転手かと思っていたら歌いだしたからびっくりした」などと言われるような風体でライブに現れたらしい。

ボーカルはクリス・コリンズ (majesty時)→ チャーリー・ドミニシ → ジェイムズ・ラブリエ

キーボードはケヴィン・ムーア → デレク・シェリニアン → ジョーダン・ルーデス

ドラマーはマイク・ポートノイ → マイク・マンジーニ とメンバーが替わっている。

メンバー名の発音
Petrucci、Myung、Dominiciについて、日本の雑誌やサイトではそれぞれペトルーシ、ミュング、ドミニシとの表記が目立つが、正しい発音に近いのはペトルッチ、マイアング、ドミニチである。ドリームシアターの日本におけるオフィシャルファンクラブ、Carpe Diem!のファンジンもこの表記に準じている。

[編集] ディスコグラフィー

[編集] スタジオアルバム

[編集] ドリーム・シアターが演奏するカバーに関する考察

ドリーム・シアターはツアーにおいて2日連続で同都市で公演を行う際には2日目に、メンバーが影響を受けたアルバムをフルカバーすることで知られている。ドリーム・シアターは元来、その演奏能力の高さもあり、多くの演奏困難と言われる曲を苦もなく、演奏してきた。初期はアルバムのフルカバーよりもひとつのアーティストの代表曲のメドレーを比較的ラフに行った。ケヴィン・ムーアの去った後、彼らが、カバー曲が半分を占めるライブアルバム『ア・チェンジ・オブ・シーズンズ』を販売したのは、一時的に作曲が困難になったからだけではなく、カバー演奏に関し、その後にも「また、カバーのアルバムを出すようにレコード会社にいわれた」とメンバーは証言している。結果的に彼らはアルバムのフルカバー演奏をオフィシャル・ブートレッグとしてネット発売する方法を選んだ。このような経緯からも分かるように、彼らのフルカバー演奏は単なるファンと本人達の楽しみのためのものではなく、もっと踏み込んだ内容のもので、多くは入念な準備の元で録音されている。メタリカのメンバーが自分達のアルバムのカバーを入手したという話も伝えられている。マイク・ポートノイはフルカバーを演奏する理由として、自分達やファンの楽しみのため以外にも、名アルバムのカバーが自分達が作曲をする上での糧になると考えているからだ、と『Made In Japan』の小冊子内で語っている。しかしコピーで使われた優れた演奏や楽器はオリジナルアルバムで応用されていない。そのような葛藤はメンバー間でも根強かったようで、10thアルバム『ブラック・クラウズ・アンド・シルヴァー・ライニングズ』では、スペシャルエディションCD2において、カバー曲のスタジオ録音が収録されている。

[編集] 外部リンク


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