CDゴドイ・クルス・アントニオ・トンバ

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CDゴドイ・クルス・アントニオ・トンバ
原語表記 Club Deportivo Godoy Cruz Antonio Tomba
愛称 El Tomba,
El Expreso(エスプレソ、急行列車),
Bodeguero(ボデゲーロ、ワインセラーのオーナー)
クラブカラー 青と白
創設年 1921年
所属リーグ アルゼンチン・サッカーリーグ
所属ディビジョン プリメーラ・ディビシオン
ホームタウン メンドーサ州, ゴドイ・クルス
ホームスタジアム エスタディオ・フェリシアーノ・ガンバルテ[1]
収容人数 15,000
代表者 アルゼンチンの旗 アレハンドロ・チャピーニ
監督 アルゼンチンの旗 セルヒオ・ゴメス
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
サードカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

クルブ・デポルティーボ・ゴドイ・クルス・アントニオ・トンバスペイン語: Club Deportivo Godoy Cruz Antonio Tomba)は、アルゼンチンの中西部、メンドーサ州の都市ゴドイ・クルスに本拠地を置くスポーツクラブである。サッカーチームがもっともよく知られているが、バスケットボール、ハンドボール、フィールドホッケー、テニス、バレーボールのチームも抱えている。サッカーチームはリーガ・プロフェシオナル(1部)に所属している。

歴史[編集]

1954年のチーム

1921年6月21日、スポルティーボ・ゴドイ・クルスという名称で設立された。1930年4月30日、DBアントニオ・トンバと合併してCDゴドイ・クルス・アントニオ・トンバに名称変更された。1959年、14,000人収容のホームスタジアムのエスタディオ・フェリシアーノ・ガンバルテが建設され、ラ・ボデーガ(La Bodega、ワインセラー)という愛称で呼ばれた。1965年の親善試合ではボカ・ジュニアーズに4-0で、1997年の親善試合ではCAリーベル・プレートにも同スコアで勝利し、これらの試合はファンの間で語り草となっている。メンドーサ州選手権では1944年、1947年、1950年、1951年、1954年、1968年に優勝し、1989年と1990年と1994年には全国規模のトルネオ・デル・インテリオール(現存せず)に出場した。1994年にはトルネオ・デル・インテリオールで優勝し、プリメーラB・ナシオナル(2部)に昇格した。プリメーラB・ナシオナルで10シーズンを過ごし、2005-06シーズンには決勝でCAヌエバ・チカゴを破ってクラブ初のプリメーラ・ディビシオン(1部)昇格を決めた。

2006年9月9日のCAベルグラーノ戦(1-1)で、20歳のエンソ・ペレスがプリメーラ・ディビシオンでのクラブ初得点を決めた。2006アペルトゥーラは18位と苦しみ、クラウスーラ2007は10位と持ち直したが、2006-07シーズン終了後には過去3シーズン(ゴドイ・クルスの場合は過去1シーズン)の獲得勝ち点率が20クラブ中18位となった。自動降格は免れたものの、昇降格プレーオフではCAウラカンに2試合合計5-2で敗れ、プリメーラB・ナシオナル降格となった。しかしプリメーラB・ナシオナルにいたのはわずか1シーズンであり、2007-08シーズンはCAサン・マルティンに次ぐ2位でプリメーラ・ディビシオン昇格を決めた。2010年1月、それまでトップリーグのクラブを率いた経験がない39歳のオマール・アサード監督が就任し、2010クラウスーラでは優勝争いに絡む健闘を見せた[2]アルゼンチンサッカー協会に間接的に加盟しているクラブ(ブエノスアイレス自治市、大ブエノスアイレス都市圏ロサリオサンタフェ以外に本拠地を置くクラブ)では最高となる勝ち点37を獲得し、3位となった。2010-11シーズンも躍進のシーズンとなった。アペルトゥーラ2010では5位、クラウスーラ2011では3位となり、2010年(暦年)の通算成績3位でコパ・リベルタドーレス出場権を獲得した。2011年前半にはコパ・リベルタドーレスに出場し、グループリーグではLDUキト(エクアドル)、CAペニャロール(ウルグアイ)、CAインデペンディエンテ(アルゼンチン)と同組となった[3]。2勝1分3敗でグループ最下位に終わったが、グループ首位から最下位まで勝ち点3の混戦だった。2011年9月10日のCAオール・ボーイズ戦では6-1の大勝を収めている。2011年後半にはコパ・スダメリカーナに出場し、2回戦でCAラヌースを破ったが、決勝トーナメント1回戦ではウニベルシタリオ・デポルテス(ペルー)にPK戦の末に敗れた。2012年にもコパ・リベルタドーレスに出場し、ウニベルシダ・デ・チレ(チリ)、アトレティコ・ナシオナル(コロンビア)、ペニャロールと同組となった。ホームでのペニャロール戦には勝利したが、1勝2分3敗の勝ち点5でグループ3位に終わった。2012年11月にはマルティン・パレルモが監督に就任し、ロベルト・アボンダンシェリがコーチに就任した。

愛称[編集]

クラブ名に由来するエル・トンバ(El Tomba)またはボデゲーロ(Bodeguero、ワインセラーのオーナーの意)という愛称を持つ。ボデゲーロという愛称は、前身クラブのひとつであるDBアントニオ・トンバ(Deportivo Bodega Antonio Tomba、クラブ名称そのものが「ワインセラー・スポーツクラブ」)がワインを販売する活動もしていたことに由来する。またスタジアムの近くに鉄道が通っていることから、エル・エスプレソ(El Expreso、急行列車)という愛称も持っている。

タイトル[編集]

過去の成績[編集]

シーズン ディビジョン 順位 勝ち点 備考
2006–07 アペルトゥーラ プリメーラ 18 17
クラウスーラ 10 25 昇降格プレーオフの末にプリメーラB降格
2007–08 通算 プリメーラB・ナシオナル 2 ?? プリメーラに自動昇格
2008–09 アペルトゥーラ プリメーラ 11 23
クラウスーラ 9 26
2009–10 アペルトゥーラ プリメーラ 17 16
クラウスーラ 3 37
2010–11 アペルトゥーラ プリメーラ 5 29
クラウスーラ 3 34 コパ・リベルタドーレスグループリーグ敗退
2011–12 アペルトゥーラ プリメーラ 12 24 コパ・スダメリカーナベスト16
クラウスーラ 18 14 コパ・リベルタドーレスグループリーグ敗退
2012–13 イニシアル プリメーラ 14 20
フィナール 7 29
2013–14 イニシアル プリメーラ 14 20
フィナール

現所属メンバー[編集]

2022年9月11日現在[4]

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
2 DF アルゼンチン ピエル・バリオス
3 DF アルゼンチン エリアス・ペレイラ
5 MF アルゼンチン ネルソン・アセベド
7 FW ウルグアイ エンソ・ラローサ
8 MF アルゼンチン ルシアーノ・ピサーロ
9 FW アルゼンチン トマス・バダローニ
10 MF アルゼンチン バレンティン・ブルゴア
12 GK パラグアイ フアン・エスピノラ
13 DF パラグアイ ホセ・カナーレ
15 DF ウルグアイ フアン・ピンタード
16 MF アルゼンチン マティアス・ラミレス
17 FW アルゼンチン タデオ・アジェンデ
19 MF アルゼンチン マヌエル・ジャーノ
20 FW ウルグアイ サロモン・ロドリゲス
22 DF アルゼンチン ジャンルカ・フェラーリ
No. Pos. 選手名
23 FW アルゼンチン クリスティアン・チャベス
24 DF アルゼンチン ギジェルモ・オルティス
25 DF アルゼンチン ネストル・ブレイテンブルク
26 FW アルゼンチン ナウエル・カイネッリ
27 MF アルゼンチン トマス・カストロ・ポンセ
28 MF アルゼンチン エリアス・ロペス
30 MF アルゼンチン フアン・アンドラーダ
31 DF アルゼンチン フランコ・ネグリ
32 MF アルゼンチン ゴンサロ・アブレゴ
35 GK アメリカ合衆国 マティアス・ソリア
36 MF アルゼンチン ブルーノ・レジェス
39 FW ウルグアイ サンティアゴ・パイバ
42 MF アルゼンチン ガブリエル・ベガ
50 GK アルゼンチン ディエゴ・ロドリゲス (キャプテン)

歴代監督[編集]

歴代所属選手[編集]

脚注[編集]

  1. ^ Estadio Feliciano Gambarte La Bodega.
  2. ^ footballista、2010年5月12日号
  3. ^ Rise of the interior? Southamericanl Fútbol]
  4. ^ “Godoy Cruz squad”. Club Deportivo Godoy Cruz Antonio Tomba. https://int.soccerway.com/teams/argentina/godoy-cruz-antonio-tomba/122/squad/ 2018年10月7日閲覧。 

外部リンク[編集]