CANDLE JUNE
CANDLE JUNE(キャンドル・ジュン、1972年1月20日 - )は、日本のアーティスト。キャンドルによる空間演出をはじめ、オブジェの制作からアートディレクション、ウェディング演出まで幅広く手がける。CANDLE JUNEという名前については、自分はキャンドルを作る人だから名前を付け加えて短く表現したものだった。本名、廣末 順(ひろすえ じゅん)[1]。旧姓、井筒(いづつ)[2]。長野県松本市出身[2]。松商学園高等学校卒業。妻は女優の広末涼子。
略歴
1994年よりキャンドル制作活動を開始し、ギャラリーやサロンなどでエキジビションを開催。
1997年からanoyoの一員として籍を置く。anoyoは、ファッションや音楽、レイブパーティを総合的にオーガナイズする当時国内では珍しいアーティスト集団だった。https://tower.jp/item/940780/NIGHT-SHIFT
ルイ・ヴィトン、プラダなど高級ブランドのレセプションパーティーのデコレーションやパリコレなど、ファッションショーや
1999年 フジロックフェスティバルに新たに誕生したステージ、フィールド・オブ・ヘブンの空間演出に関わるようになる。フジロックは同年、新潟県湯沢町の苗場スキー場へ開催地を変更し現在に至る。それにともない、新たにホワイトステージとフィールド・オブ・ヘブンが新設した。[3]
忌野清志郎、ベン・ハーパー、ニール・ヤングなどのライブステージでキャンドル中心の空間演出を行う。フィールド・オブ・ヘブンの空間演出は、ピラミッドガーデンが始動する2010年まで毎年手がけていた。
2001年 ダライ・ラマ14世が提唱した「世界聖なる音楽祭」が広島で開催され、そこで「平和の火」を灯す。同音楽祭の総合プロデュースはトランペッターの近藤等則。この音楽祭がきっかけとなり、紛争地をめぐる平和活動「Candle Odyssey」を開始。2002年アメリカ大陸往復、アフガニスタン、中国、カンボジア、ロンドン、パリと巡り、各地の「悲しみの地」でキャンドルを灯す旅を続けた。https://mokohan.sayokoyamaguchi.com/02_candlejune/4/
2005年10月23日に発生した新潟中越地震では被災地支援に奔走。震災後に仮設住宅を訪問し支援物資を届けるなどの活動を行う。
同年11月、ELDNACS(エルドナックス)を立ち上げ、キャンドルを取り扱うショップを東京渋谷区にオープン。
社の理念として、「儲かってる会社が社会貢献をしよう」ではなく、「社会貢献を普通にする会社」という感覚で起業をしました。[4]
2008年 新潟中越地震の復興イベントとして命日にあたる10月23日に「SONG OF THE EARTH」を開催。[1] このイベントは2018年まで10年間にわたり行われた。https://www.asahi.com/articles/ASLBQ6J3XLBQUOHB00G.html
復興イベントとしてフェスティバルの形式をとっていることについて、日本各地の「お祭」の多くが、災害がきっかけて始まっていることから、「復興ってなんだろう?って思ったときに、フェスティバルなんじゃないかと思って」と語っている。[2]
2010年 ハイチ地震の発生時にはアーティストのMINMI、若旦那らとLOVE FOR HAITI(ラブ・フォー・ハイチ)を立ち上げた。彼ら二人にとってハイチは音楽のルーツでもある。かねてから友人でもある二人から、支援したいという相談を持ちかけられたのが始まりだった。https://enect.jp/people/candlejune-02/
New Acoustic Campが道志の森キャンプ場で初開催。会場全体の空間演出を手がけ始める。同イベントのオーガナイザーであり、兼ねてから親交のあったTOSHI-LOW(OAU/BRAHMAN)が直接話しを持ちかけてスタートした。https://natalie.mu/music/pp/newacousticcamp2012
2011年3月11日、東日本大震災が発生。LOVE FOR HAITIをLOVE FOR NIPPONに改称。福島県を中心に支援活動を開始する。
2009年に『Candle Odyssey-the book』(白夜書房)を上梓。
人物・スタイル
2010年に広末涼子と結婚[5]。現在、三児の父。
全身にタトゥーが入っており [3]、18歳くらいから入れ始めた。[4] 酒もたばこも嗜好しない。
季節を問わず肩から布をかけている(左肩が多い)。きっかけはアフガニスタンでお世話になった人からのいただきものがきっかけだったと語っている。[5]
思想や活動など
ギャラリーやサロンにてエキシビジョンを開催する他、大小様々なチャリティーイベント、音楽フェスティバル、ファッションショーなどで空間演出を生業としながらも、災害による被災地支援を行い続けている。2001年に始めたCandleOdysseyでは、戦争やテロの現場となってしまった地を巡っていたが、その行動は2005年の新潟中越地震での被災地支援へと繋がっていっている。
新潟県中越地震の震央地への支援、社団法人LOVE FOR NIPPONを立ち上げ、現在は支援活動がライフワークとなっている。2011年の東日本大震災、2016年にも熊本地震の復興支援で現地に訪れている。2019年台風19号で被害を受けた長野県の千曲川流域にもいち早く訪れリンゴ農家を支援している。[6]
長年にわたり原発反対運動を続けていたが、2011年の福島第一原発事故を境に考え方が変わったとインタビューやイベントなどでも語っている。『…原発事故が起きてしまった時に、多くの反対派の方々が「福島を見ろ!だから他を止めろ!」と叫ぶことに違和感を覚えました。被害に遭っている人たちに手を差し伸べるのが先なのでは? だから私が原発反対運動をこの先するのであれば福島のみなさんと一緒にしたいのです…』[7]
著書
- 『Candle Odyssey the book キャンドル オデッセイ ザ ブック』白夜書房 2009年10月3日発売 ISBN 978-4861915222
脚注
- ^ 広末涼子夫キャンドル・ジュン氏 妻の広末姓を名乗る理由 NEWSポストセブン 2011年2月11日付 12日閲覧。
- ^ a b 本名? 年齢? …キャンドル氏プロフィール 日刊スポーツ 2010年10月10日付 同日閲覧。
- ^ “フジロックのこれまでの歴史を振り返り! 前編(1997~2006年)”. Qetic (2016年7月5日). 2021年1月11日閲覧。
- ^ “【第2回】被災地応援でんき|キャンドルジュンさんに聞く”. ENECT(エネクト) by みんな電力 (2020年9月24日). 2020年11月3日閲覧。
- ^ 広末涼子さんが再婚 事務所HPで公表 共同通信2010年10月9日付 10日閲覧。
- ^ “G大阪安田理が失恋…メル友に奪われた!”. 日刊スポーツ (2010年10月15日). 2019年12月11日閲覧。
外部リンク
- 社団法人LOVE FOR NIPPON - 公式サイト
- CandleJUNE/ELDNACS - 公式サイト
- CandleJUNE Blog - 公式ブログ