BOACスチュワーデス殺人事件

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BOACスチュワーデス殺人事件(ビーオーエーシースチュワーデスさつじんじけん)は、1959年昭和34年)、英国海外航空(BOAC、現ブリティッシュ・エアウェイズ)の日本人女性客室乗務員(スチュワーデス)が扼殺され、遺体となって東京都杉並区で発見された事件。犯人が特定されないまま公訴時効が成立、未解決事件となっている。

概要[編集]

死体発見現場(宮下橋から撮影。遺体は橋から15メートルほど川下の地点で発見された)

1959年(昭和34年)3月10日、東京都杉並区の善福寺川大宮八幡宮近くの宮下橋)で、BOAC航空(現ブリティッシュ・エアウェイズ)の日本人女性客室乗務員(当時27歳)が扼殺死体で発見された。

被害者の交友関係からベルギー神父捜査線上に浮かんだが、弁護人バチカン大使館一等書記官の立会いのもとでの5回に渡る事情聴取では進展がなく、6月11日、神父は病気療養のため、正規の出国手続を経てベルギーに帰国した[1]

マスコミや世間一般から、状況証拠は神父に不利と見られていたため、突然の出国は深い疑惑を残すものとなった。

事件は解決のめどの立たないまま、1974年(昭和49年)3月10日公訴時効を迎えた。

謀略説[編集]

被害者は前年の12月、スチュワーデス採用試験に合格したばかりだったが、試験の結果はあまりよくなく、また募集条件の年齢(20-25歳)を超えていたにもかかわらず採用された、とも報道された。このため、採用に際し何らかの圧力があったのではないかという見方がある。また、この事件前後にBOACの他のスチュワーデスが金や麻薬などの密輸に関わった事件が発覚している。殺人事件は神父との情痴沙汰で起こったものではなく、国際的・組織的な密輸ルートに関わる謀略事件ではないか、という説もある[2]

著名作家の見解[編集]

  • 三浦朱門は、「もし当の神父が事件に無関係なら、なぜ積極的に警察に援助しないのだろう」と述べた[3]
  • 遠藤周作は、「(マスコミは)あたかも彼が真犯人であるかのごとく、その写真を掲載したりその名を発表した。一種の人権蹂躙」、「突然の帰国は一般の日本人の根のない疑惑をさらにふかめる原因となった」と述べた[4]
  • 松本清張は、この事件に関し『スチュワーデス殺し論』[1](ノンフィクション)を『婦人公論』に著し[5]、事件をモデルに小説『黒い福音』を執筆した。また捜査を担当した平塚八兵衛が退職した1975年、彼の捜査した事件の解説記事が「毎日新聞」「産経新聞」に連載された[6][7]。後年にも井出孫六が取り上げた[8]
  • 元東京都監察医務院長で作家の上野正彦は、その著書で「腕で首を絞めるのは外国人にみられる特徴」だと自身の監察医の経験から述べている(日本人の殺人では素手で相手の首を絞めて窒息死させる場合、ほとんど指でつかんで締めている)。

関連書籍[編集]

大橋義輝 『消えた神父を追え! BOACスチュワーデス殺人事件の謎を解く』(2014年8月、共栄書房)

脚注[編集]

  1. ^ 衆院法務委員会 昭和34年6月18日
  2. ^ 「スチュワーデス殺害事件とカトリックの謀略」(「創」1982年1月)
  3. ^ 『婦人公論』1959年7月pp82-85、現代日本キリスト教文学全集18巻(1974)pp127-132
  4. ^ 『世界』1959年8月pp171
  5. ^ 松本清張全集13巻pp459-476、中公文庫『黒い手帖』
  6. ^ 比留間 英一『八兵衛捕物帖』毎日新聞社、旺文社文庫 ISBN 4010642106
  7. ^ 7. 佐々木 嘉信『刑事一代 平塚八兵衛の昭和事件史』新潮文庫ISBN 4101151717
  8. ^ 『迷宮入りしたBOACスチュワーデス殺人事件』エコノミスト(1986/8/26)pp116-121、『その時この人がいた』毎日新聞社、ちくま文庫

関連項目[編集]