BMW・R75

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BMW・R75
基本情報
排気量クラス 大型自動二輪車
メーカー ドイツの旗BMW
エンジン 745[1] cm3 
内径×行程 / 圧縮比 78 mm × 78[1] mm / 5.8[2]:1
最高出力 26 hp (19 kW) / 4,000rpm[1]
最大トルク 49 N⋅m (5.0 kg⋅m) / 3,600rpm
乾燥重量 420 kg
車両重量 400[1] kg
      詳細情報
製造国 ドイツの旗 ドイツ
製造期間 1941年 - 1944年[1]
タイプ サイドカー、軍用車両
設計統括
デザイン
フレーム マルチパート、ボルト締め鋼管状フレーム[3]
全長×全幅×全高 2,400 mm × 1,730 mm × 1,000[1] mm
ホイールベース 1,444[3] mm
最低地上高
シート高
燃料供給装置
始動方式 キックスターター[4]
潤滑方式 
駆動方式 パートタイム後輪二輪駆動[5]
変速機 補助変速機付き4段変速+リバース2段[1]
サスペンション テレスコピックフォーク[6]
サイドカー側のチューブスプリング[6]
キャスター / トレール
ブレーキ 油圧ドラムブレーキ、ドラム径250mm[6]
油圧ドラムブレーキ、ドラム径250mm(サイドカーも同様)[6]
タイヤサイズ 4.5x16インチ[6]
4.5x16インチ[6]
最高速度 95km/h[1]
乗車定員 3[1]
燃料タンク容量 24[7] L
燃費 約15.87[注 1][3]km/L
11.76[注 2][3] km/L
カラーバリエーション
本体価格 2,630ライヒスマルク[8]
備考
先代 BMW・R66
後継 BMW・R24
姉妹車 / OEM
同クラスの車
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BMW・R75は、BMW製のサイドカー付きオートバイである。競合車であるツンダップ・KS 750とともに通称として"überschweres Wehrmachtsgespann"(ドイツ語で「超重ドイツ国防軍サイドカー」の意)とも呼ばれた。とりわけ、エルヴィン・ロンメルドイツアフリカ軍団による北アフリカ戦線と、1941年から1945年にかけてのソ連との戦いで使用された。

概要[編集]

主に第二次世界大戦中のナチス・ドイツ軍において使用された。その出自はやや特殊で、オートバイではあるがサイドカーの装着を前提としている。サイドカー側の車輪もレバーで駆動させることができる「パートタイム二輪駆動」構造になっていて、不整地走破性能は当時のサイドカー付きオートバイとしては、非常に高いものであった。サイドカーに機関銃(MG 34またはMG 42)が装備できる[8]

戦後、本車両のデザイン、二輪駆動構造を模倣・参考にしたソ連-ロシア製「IMZ・ウラル」や、現ウクライナ製「KMZ-DNEPR」が現在でも製造されている。また、1954年の東ドイツでは、本車のエンジン改良型「AWO-700」[9]というサイドカーも製造されていた。こちらはテストのために少数が生産されたものの、本格的な生産には至らなかった。

なお、後年BMW・R75/5と呼ばれる車種が生産されたが、これは、上記車種とはエンジンのシリンダーレイアウトなどに共通性を見出すことができるものの、実質的には別の車両である。

歴史[編集]

1930年代、BMWは人気があり、非常に高性能なオートバイを数多く生産していた。1930年代後半にツンダップとともにドイツ国防軍からの要請を受けて、サイドカー装備のオートバイの要件を満たすために開発された[2]

R75の試作モデルは、R71エンジンをベースにした750ccサイドバルブエンジンを搭載していた。ところが、テスト中にオーバーヒートの問題に見舞われたため、R75ユニット用にまったく新しい独自のエンジンを設計することになった[10]。このOHVエンジンは、後にR51/3、R67、R68などの戦後のBMWフラットツインエンジン二輪車の基礎となった。

BMW・R75と競合するツンダップ・KS 750は、どちらもロシアと北アフリカにいたドイツ国防軍の部隊で広く使用されていたが、評価期間の後、ツンダップが選ばれた[2]。1942年8月、ツンダップとBMWは陸軍の要請により、最終的にツンダップとBMWのハイブリッド(BW 43と命名)を製作し、BMW 286/1サイドカーをツンダップ・KS 750に移植することを目的として、両マシンの部品の標準化に合意した。また、R75の生産台数が20,200台に達した時点で生産を中止し、それ以降はBMWとツンダップはツンダップ-BMWの生産のみを行い、毎年20,000台を生産することで合意した。

しかし、20,200台のBMW・R75の目標が達成されなかった上に、アイゼナハ工場が連合軍の爆撃でひどく損傷したことによって、1944年にストップするまで生産が続けられた。1946年にはさらに98台がソ連によって組み立てられた[2]

それにもかかわらず、標準化プログラムにより、BMWとツンダップのマシン間で70%の部品共通化を達成した[2]。これにより、車両のスペアパーツの供給が簡素化され、その多くは今でも歴史的なオートバイ愛好家の手に渡っている。

技術[編集]

エンジンの左シリンダー

R75は、ギアボックスの上部にストラットを追加したマルチピースのボルト式チューブラースチールフレームと、油圧ダンピングを備えたテレスコピックフォークを備えている。単車の後輪にはサスペンションがなく、サイドカーにリーフスプリングがある。ボルトで固定された鋼管フレームは、ビームが分割されており、下部フレーム部分を折りたたむことができるため、簡単にエンジンをすばやく交換できる[6]。また、フックを利用して軽量特殊トレーラー1(SdAnh 1)やその他の荷物を取り付けることができる[11]。トラックゲージが1,180mm、重量が400kg、耐荷重が270kgである。

点火システムには、マグネトーが採用されている。点火時期を自動調整する機構を備えていたことから、信頼性の高い点火動作が保証された。マグネトーはツンダップ・KS600とBMW・R71にも採用されており、Noris ZGA2とBosch FJ2 R134の2つのメーカーから供給されたスパークプラグが使用される[4]。トルク曲線はサイドカーでの運転に適合している。圧縮比が低いため、エンジンは劣悪な燃料や合成燃料でも運転できる。

シフトレバー
手前はサイドカーのドライブシャフトとディファレンシャルロックレバー

4速ギアボックスは、変速切替を手元(燃料タンク右側)の2つのレバーまたは足下のシフトレバーの両方で任意に行える。また、オンロード・オフロード走行用それぞれのギア比があり、オフロードリダクション(3速)とリバースギアがある[12]。動力は後輪とサイドカーのホイールに伝達され。後輪の右側には、サイドカー駆動用のリミテッドスリップディファレンシャルがある[13]。これにより、R75は非常に操縦性が高く、ほとんどの路面を走行できるようになった。さらに、サイドカーのトルクを低く抑える(後輪で70%、サイドカーで30%)ことで、完璧な正起を可能にした。

1942年以降のエアフィルター

この組み合わせは当初、見事に優れたように見えたが、1941年から1942年にかけてのロシア戦線の初めに多くのンジントラブルに見舞われた。原因はエアクリーナーに水と泥が溜まっていたことである。その結果、1942年の終わりに、フィルターは燃料タンクの上部に移動され、ヘルメットのようなカバーに覆われたまま空気はキャブレターに通じる2本の長い接続パイプを通過した先にマフラーがある。この排気マフラーも極端に上方へ折れ曲がった形状をしており、マフラーまでの高さの水中走行が行えるようになった。さらにマフラー下部側面に排気ガスを取り出す管が付けられ、チューブを繋いでハンドル付近に導くことで、排気ガスを利用して手元を暖房できる[5]。この吸排気系の改良と同時に、伸縮式フォークには、スライディングチューブに汚れが入らないようにフォークブーツが取り付けられた[14]

到達可能な速度(km/h)[15]
ギア オンロード オフロード
1 22 14
2 44 24
3 66 42
4 92

車両解説[編集]

BMW・R75は、よく世界初の二輪駆動型サイドカーと誤認される[独自研究?]が、2輪史研究家たちの説によると、初めて実際につくられたのは1928年のことであり、Izhの黎明期モデル群の生みの親であるソ連のエンジニア、ピョートル・ウラジーミロヴィチ・モザロフが開発した試作車である。本格的な量産車は1929年に英国のボーンが特許を取得した技術によって生産されている[16]

数量と現在の分布[編集]

R75は18,000台が製造される予定だった。しかし、ヴェルナー・オズワルドによると、1944年に16,510台が生産されたと唱えている。なぜこうなったのかというと、R75の設計が複雑で製造コストが高すぎたためである。ドイツ国防軍の単価は2,630ライヒスマルクであった。生産は1941年6月に開始され、1942年10月にアイゼナハ工場に移管された[17][18]

その精巧で耐久性のある技術のために、コレクターズアイテムとして今でも非常に人気であり、それに応じて高値で取り引きされる。充分に復元されたR75は、オンロードでもオフロードでも問題なく日常的に乗ることができる。スペアパーツは、市場性を維持するために今日でも再生産されている。

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ オンロードでの値。
  2. ^ オフロードでの値。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j R75(1941~44年)”. バージンBMW (2008年3月25日). 2024年4月14日閲覧。
  2. ^ a b c d e f Ben Branch (2020年2月7日). “An Original WW2-Era 1943 BMW R75 With Sidecar” (英語). SILODROME GASOLINE CURTURE. 2024年4月14日閲覧。
  3. ^ a b c d BMW R75 Sidecar Unit Specifications” (英語). Phil Hawksley's BM Bikes 'The Ultimate BMW Information Site'. 2023年2月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月14日閲覧。
  4. ^ a b WW2 History (2021年12月7日). “BMW R75 Motorcycle” (英語). Real History Online. 2024年4月14日閲覧。
  5. ^ a b 戦争とバイク ~第二次世界大戦編~”. バイクの系譜. 2024年4月14日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g DragosGheran, Florin Profir (2022年10月26日). “BMW R75 Sidecar (1938-1941) Specs, Performance & Photos” (英語). autoevolution. 2024年4月14日閲覧。
  7. ^ BMW R75 Heavy Military Motorcycle with Sidecar” (英語). Military Factory (2016年9月9日). 2024年4月14日閲覧。
  8. ^ a b BMW R 75 Gespann”. MilBuddies.com (2024年). 2024年4月14日閲覧。
  9. ^ BMW R75, AWO 700 Versuchsmuster Prototypen” (ドイツ語). 2023年12月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月14日閲覧。
  10. ^ BMW Profile Band 1., S. 39.
  11. ^ Wehrmacht, Ersatzteilliste Protzhaken für BMW R 75 (eingesehen am 26. Februar 2017) (Memento vom 4. 3月 2016 im Internet Archive)
  12. ^ Suermondt: WH-Fahrzeuge 2005 S. 10
  13. ^ Peter Gantriis: The Art of BMW: 90 Years of Motorcycle Excellence, Motorbooks, 2013, ISBN 978-0-7603-4412-5, S. 80.
  14. ^ Wolfgang Zeyen, Jan Leek: BMW Motorräder seit 1923. Motorbuch Verlag, Stuttgart 2004, ISBN 3-613-02401-2, S. 103 u. 104.
  15. ^ Gerätebeschreibung und Bedienungsanweisung vom 27. Juni 1941. Vgl. Thomas Reinwald, S. 7.
  16. ^ 宮﨑健太郎 (2021年3月3日). “2WDサイドカーの、そもそものルーツは? [2輪駆動サイドカー物語その2]”. Lawrence. 2024年4月14日閲覧。
  17. ^ BMW Profile Band 1., S. 39.
  18. ^ Werner Oswald: Kraftfahrzeuge und Panzer der Reichswehr, Wehrmacht und Bundeswehr. 14. Auflage. Motorbuch Verlag, Stuttgart 1992, ISBN 3-87943-850-1, S. 64.

外部リンク[編集]