B.J.ライアン

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B.J.ライアン
B. J. Ryan
フリーエージェント(FA)
B J Ryan Jays.JPG
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ルイジアナ州ボージャーシティ
生年月日 1975年12月27日(38歳)
身長
体重
6' 6" =約198.1 cm
260 lb =約117.9 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 1998年 17巡目
初出場 1999年7月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

B.J.ライアンRobert Victor Ryan, Jr , 1975年12月28日 - )は、メジャーリーグベースボールの投手。左投左打。アメリカ合衆国ルイジアナ州ボージャーシティ出身。現在はフリーエージェント。

経歴[編集]

1998年にドラフト17巡目でシンシナティ・レッズに指名されて入団。翌1999年7月28日にメジャーデビューを果たすが、1試合に登板しただけで、同年の7月31日にボルチモア・オリオールズにトレードされる。移籍先では13試合に投げて防御率2.95の好成績を残す。

2000年開幕から5月2日までの1失点に抑えていたが、それ以後の9試合の登板で16自責点の成績で、6月9日にマイナーへ降格した[1]。その後マイナーでは14試合に登板し、フューチャーズゲームに投げてはいないが選出されている[1]。7月30日にメジャーへ復帰し、新人投手としてリーグ4位の42試合に登板したが、防御率は5.91に終わった[1]

メジャーで1年を通してプレーをした2001年はチームでバディ・グルームの70試合に次ぐ61試合に登板し、5月16日にメジャー初セーブを記録した[2]2002年は67試合に登板した。

2003年に一気に飛躍。ティッピー・マルティネス(1982年)の球団記録に並ぶ76試合に登板し、防御率も前年の4.68から3.40まで下げ、奪三振率は11.25でリーグ2位[3]2004年も好調を続け、昨年記録した球団タイ記録と同じ76試合に登板。防御率は2.28まで下がった。リリーフとして122奪三振を記録し、奪三振率は昨年を上回り、アーマンド・ベニテス(1997年 13.01)に次ぐ球団史上2位となる12.62[4]5月1日の対デトロイト・タイガース戦では、打者に対して1球も投げずに降板し、勝利投手になるという珍しい記録を残している。1-2と1点を追う7回2死1塁で登板すると、初球を投げる前に1塁走者だったオマー・インファンテ牽制球で刺してチェンジ、直後に味方打線が3点を奪い逆転し、残る8回と9回を別の投手が引き継いでリードを守りきったため、メジャーリーグ史上2人目[5]の打者に対して1球も投げずに勝利投手になった(0球勝利)。

続く2005年は、コントロールが定まらなかったホルヘ・フリオに代わり、抑え投手としてシーズンを迎えると、あれよあれよのピッチングを見せて36セーブをマーク。一躍オリオールズのクローザーに躍り出たかに見えたが、同年オフにフリーエージェントとなり、同年11月に5年総額4,700万ドルでブルージェイズへ移籍。

2006年もクローザーとしてしっかりと役割を果たし、リーグ3位となる38セーブをマーク。しかも、防御率は1.37という驚異的な数字で、その数字はあのニューヨーク・ヤンキースの抑えの切り札である大投手・マリアノ・リベラをも上回る数字だった(リベラの防御率は1.80)。また、この年の38セーブは、ブルージェイズ史上4人目の年間35セーブ達成者となる快挙であった。

しかし、2007年はわずか5試合の登板に終わった。4月14日の登板で4失点で救援失敗。翌日に左ヒジ痛が発覚して故障者リスト入り。予想以上に重症でトミー・ジョン手術を受けた[6]

2009年7月8日にブルージェイズから解雇される。7月16日シカゴ・カブスとマイナー契約を結んだ。しかし、メジャー昇格を果たせないまま8月5日に解雇された。

選手としての特徴[編集]

スリー・クォーター或いはややサイドハンド気味から、ツーシームスライダーを中心に投げ分ける。与四球がやや多いものの、奪三振率も高い。

左投手でもあり、左打者には滅法強い。クローザーに抜擢される以前は左打者に対するリリーフとして起用されていた。

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
1999 CIN 1 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 9 2.0 4 0 1 0 0 1 0 0 1 1 4.50 2.50
BAL 13 0 0 0 0 1 0 0 0 1.000 73 18.1 9 0 12 1 0 28 1 0 6 6 2.95 1.15
'99計 14 0 0 0 0 1 0 0 0 1.000 82 20.1 13 0 13 1 0 29 1 0 7 7 3.10 1.28
2000 42 0 0 0 0 2 3 0 6 .400 193 42.2 36 7 31 1 0 41 2 1 29 28 5.91 1.57
2001 61 0 0 0 0 2 4 2 13 .333 237 53.0 47 6 30 4 2 54 0 0 31 25 4.25 1.45
2002 67 0 0 0 0 2 1 1 12 .667 252 57.2 51 7 33 4 4 56 4 0 31 30 4.68 1.46
2003 76 0 0 0 0 4 1 0 19 .800 219 50.1 42 1 27 0 3 63 2 0 19 19 3.40 1.37
2004 76 0 0 0 0 4 6 3 21 .400 361 87.0 64 4 35 9 1 122 0 0 24 22 2.28 1.14
2005 69 0 0 0 0 1 4 36 0 .200 290 70.1 54 4 26 2 2 100 5 0 20 19 2.43 1.14
2006 TOR 65 0 0 0 0 2 2 38 1 .500 270 72.1 42 3 20 1 0 86 4 0 12 11 1.37 0.86
2007 5 0 0 0 0 0 2 3 0 .000 25 4.1 7 1 4 0 0 3 0 0 7 6 12.46 2.54
2008 60 0 0 0 0 2 4 32 1 .333 249 58.0 46 4 28 3 4 58 2 1 21 19 2.95 1.28
2009 25 0 0 0 0 1 1 2 2 .500 95 20.2 22 5 17 2 1 13 1 0 15 15 6.53 1.89
通算:11年 560 0 0 0 0 21 28 117 75 .429 2273 536.2 424 42 264 27 17 625 21 2 216 201 3.37 1.28
  • 2009年度シーズン終了時

脚注[編集]

  1. ^ a b c B.J. Ryan 2000 Career Highlights” (英語). 2008年5月4日閲覧。
  2. ^ B.J. Ryan 2001 Career Highlights” (英語). 2008年5月4日閲覧。
  3. ^ B.J. Ryan 2003 Career Highlights” (英語). 2008年5月4日閲覧。
  4. ^ B.J. Ryan 2004 Career Highlights” (英語). 2008年5月4日閲覧。
  5. ^ シカゴ・ホワイトソックスニック・アルトロックが1906年に達成したが、詳しいデータが残されておらず、日付・対戦相手不明となっている。9回表二死満塁で登板し、牽制球でチェンジ後、味方がサヨナラ打を打ち勝利投手になったとされている。このためB.J.ライアンの記録が初記録だとする説もある。
  6. ^ 村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2008』 廣済堂出版、2008年、76項。ISBN 978-4-331-51300-2

外部リンク[編集]